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エステルドバロニア  作者: 百黒
4章 港の国
70/93

20 神威




 北欧神話に語られる、神より生まれし世界を覆う蛇【ミドガルズオルム】。

 この大蛇が世界に誕生してから今まで、ただの一度も己を脅かす存在と出会うことはなかった。

 ただ這うだけで命は潰れ、吐息一つで山が崩れる。

 その強大な力ゆえに道を遮れる存在などなかった。

 しかし、今。

 目の前に聳える巨獣、四凶にも数えられる災厄【饕餮】を前にして初めて身の危険を感じ、七色に煌めく鱗を逆立てて、鋭い毒牙を剥き出しにしながら縦に割れた瞳孔でじっと睨みつけていた。

 首を擡げたミドガルズオルムと同じ高さに顔を持つ饕餮は、肥大した赤黒い腕を地面に付けて、爪で大地を深く削りながら牛の四肢で迫る。

 風の音。

 地響き。

 蛇と牛が互いに威嚇する中、その足元ではゴーレムと獣人の戦いが開催されていた。


「っしゃああ! 殺せー!」

「刃物は効かんぞ!」

「じゃあ石でも拾って殴ればええやろ!」

「ちぃっ! 手首持ってかれたぁ!」

「いいもん落ちてるじゃん! そぉれ、砕け砕けー!」

「それ俺の手ぇぇぇ!?」


 小手先抜きの真っ向勝負。

 最前線を担う魔物たちは全身でぶつかるようにゴーレムに殺到し、先程よりも遥かに原始的な殴り戦法で殺そうとしていく。

 【ジュエルゴーレム】は七色に輝く鱗から生み出された、無機物に魂を注がれた魔物である。

 様々な鉱石が入り混じった殻は斬撃に高い耐性を持つため、必然的に打撃武器での攻撃が有効だ。

 しかし、全員が都合よくハンマーや棍棒などを持っているわけではない。

 それをどう打開するかというのも実に原始的で、倒したゴーレムから剥いだ宝石を活用したり、とりあえず適当に何かを拾ったり、苦肉の策で武器の柄を使ったりと工夫している。

 ゴーレムのレベルは50前後と高くはないが、防御力が同じランク5の魔物と比べると数段高く、楽に倒せる相手ではなかった。

 数も先遣の魔王軍より多く、ただ攻撃もせず物量で押してくるだけでも厄介な相手だ。

 些か苦戦を強いられる近接戦闘部隊は、文字通り身を挺して懸命に前線を維持する。

 下知なくば不退転にて死ぬまで盾とし続けるのは、後方の魔術部隊のためでもあった。


「《ヴォーパルストーム》! 《イレイザードラフト》! 《六合時津風》!」

「弾幕張れぇ! 脳筋どもが押さえてるうちに後続を仕留めろぉ!」

「楽しくなってきたなぁ兄弟! 《メイルシュトローム》!」

「ちょっと、君。あそこで暴れてる負傷者、殺してでも連れてきてください」

「ふへへ。《ディバインヒール》、《ディバインヒール》、《ディバインヒール》、《ディバインヒール》、《ディバインヒール》……」

「あの子の頭に魔力回復薬をかけてきなさい。え? 大丈夫よ、魔術を行使し過ぎて死んだ人はいないもの」


 魔術師のイメージとはかけ離れた、前線に負けず劣らずの野蛮さが漂う後衛の獣人たちは、荒々しい中身の会話を飛び交わしながら矛と薬の役目に徹していた。

 損害は()()()()()()だが、それはミドガルズオルムが動かずにいるからである。

 ランク10の魔物は、たとえレベルが低くとも油断はできない。

 基礎の能力が高い。要対策の特殊技を持っている。攻撃範囲が全軍を巻き込む。常時発動の凶悪なデバフがある、などなど。

 グラドラやエレミヤのように、純粋な種族の最上位種である者はランク9までにしか存在しない。

 そこから上は、魔物たちの持つ常識でも測れないのである。

 ゆえに、小さき者は小さき者の果たすべき役目に集中していた。

 すでにこの戦場の主役は代わり、その決着は終末を齎す神々へと託されていた。


 足元で繰り広げられる戦いを見ることなく、世界蛇と貪食の悪神は互いの攻撃が届く距離を保って相対していた。

 シュルシュルと威嚇音を鳴らしながら先の割れた舌を伸ばすミドガルズオルムに、翡翠の巨躯を隆起させて白煙を吐きだす守善は、地面を掘るように右の手を握り締めて凶悪な笑みを浮かべている。

 僅か数分の睨み合い。

 蛇にとっては永劫のように長く、牛には刹那よりも短い時間を経て、先に動いたのは蛇だった。

 初めて出会う同格の存在への恐怖に駆られたのか、樹齢数千年の大木よりも太い胴を縮めて飛ぶように頭を伸ばし、横向きに開かれた口は守善の腰へと食らいついた。

 鋭い毒牙を突き立てて、強靭な顎で噛み千切ろうとするミドガルズオルムだったが、翡翠の胴は頑強であり、牙は浅く食い込むだけで先へと進まず、どれだけ力を加えても微動だにしない。


「これが、世界を包む大蛇の力……? これが……この程度がァ!」


 どっしりと地面に根を張ったように、世界蛇の突進を受けても下がらぬ守善が、愉悦を込めて叫んだ。

 高く掲げられた守善の左手がミドガルズオルムの首を強く掴み上げ、握られていた右の巨腕が大きく振りかぶって蛇の腹を強く殴りつけた。

 山が吹き飛んだかと思うほどの激しい打撃音が辺りに響き渡り、太い蛇の胴がくの字に折れ曲がって宙に浮き上がる。


「退避、退避ー!」


 下敷きになるのを避けるために慌ただしく動く軍のことなど気にせず、クレーターのように腹部が陥没した一撃を受けて力を緩めたミドガルズオルムの頭を、左手だけで強引に地面に押し付けた。

 大地に罅を入れて埋没した蛇に、守善は嘲笑うように言葉を吐きかけた。


「ああぁはっはっははあ! 偉大なる我らが王の覇道を、この程度の蛇で遮ろうなど笑わせる! 我らを止めたくば世界の一つや二つ滅ぼしてから出直してこい!」


 押さえた頭目掛けて大振りな巨腕が振り落とされる。

 風もろとも殴る赤熱した拳がミドガルズオルムの額を打ち抜いた瞬間、生物を砕くというにはあまりにもけたたましい音が大陸の端まで広がった。

 もう一度と再び巨腕を引き絞る守善だったが、正面から飛んできた何かを胸の中心で受けて、初めて後ろへと吹き飛ばされる。

 咄嗟に掴んだ何かの正体は、フレイルのような宝石の棘が生えたミドガルズオルムの尾だった。

 

「あはぁ」


 引き千切ろうと両手で握って力を加えるよりも早く、実態を持った嵐のような速さでミドガルズオルムが守善の周囲を包み込む。

 世界を包む蛇の巻くとぐろはこの世界に存在するどの建造物よりも高く、エステルドバロニアの王城の天辺にも届きそうなほどである。

 とぐろはたちまちに捻れて窄まり、その上から更に何重にも巻き付いて、人面牛胴の巨獣をミンチにしようと締め上げた。

 落ちてきた月のような大きな球体となった姿は悍ましい蜂球のようなミドガルズオルムの拘束。

 だが、中で抵抗する力はあまりにも強く、どれだけ締め付けても潰れない。

 それどころか、激しい痛みを感じたのは攻めているはずのミドガルズオルムだった。

 内側から体の一部を毟り取られたような感覚に耳障りな絶叫を上げて暴れだし、とぐろを解こうとするが、閉じ込めた守善はびくともしない。

 体を捩って解こうとしても世界を覆える長大な体では時間がかかる。

 鮮血に染まった赤黒い腕が宝石の鱗をものともせずに外へ突き破るほうが、遥かに早かった。

 ミドガルズオルムは頭を振り回し、周囲に何度も叩きつけながら藻掻き苦しむ。

 ブチブチと両手で引き千切りながら拘束から脱した四つ角の怪物は、暴れまわるミドガルズオルムの頭を再び掴むともう一度地面に押さえつけて、今度は握りつぶしにかかった。

 神に連なる大蛇を、まるで子供扱いだ。

 並の相手ではどれだけ集まろうと容易く轢き殺されて、そうでなくとも延々と生み出されるゴーレムの餌食になる。

 仮に、他の魔獣であっても到底太刀打ちできない。

 だが、守善だけは別だ。

 この、四つ角を持つ人面牛胴の獣は、神を殺す一点において他の追随を許さないのである。

 前方広範囲の全ユニットのステータスを下げる《万象飢餓》。

 敵のランクを一段階下げて強制的にランク差補正を作る《問答無用の轢殺》。

 そして、神の適性を持つユニットに対して絶大な効果を発揮する《竜生八子を喰らいし者》。

 ミドガルズオルムと同じ、生まれ持った恵体、才能、能力。

 違うとするなら、それまでに経た経験と、明確な目的の有無だろうか。


「命を乞え。生を望め。果てに死して我らを拝せ」

 

 苦し紛れに放たれた砂嵐を浴びながら、四凶饕餮は生き足掻く惨めな存在を見て愉悦に笑い続ける。

 掲げられた巨腕が、のたうつ蛇の頭部に狙いを定めた。


「最高だ……!」


 ウェポンスキル・拳《破軍》


 真上から落ちた拳は宝石の鱗を粉砕し、頭蓋を貫き、大地を割った。

 聳える巨獣が放つ一撃に世界が耐えられるはずもなく、草原は一瞬にして隆起して荒廃する。

 王国の前に広がっていた景色全てが、十数分で破壊しつくされた。

 人智を超えた、正しく神々の戦い。

 これで全てに終止符が打たれるとさえ思う圧倒的な力のぶつかり合い。

 しかし、魔物たちにだけは分かっている。


 ――これが、よくある戦争の、ほんの一幕でしかないと。


 念入りに、確実に、決して復活できぬようにと守善は潰れた蛇の頭を執拗に殴り続けた。

 魔力の供給が絶たれてジュエルゴーレムが宝石に変わってもひたすらに殴り、原型がなくなって肉と血の池に変わり果てたところでようやく動きを止めた。


「は、はは! はぁっはっはっはっはっはぁ!」


 殺戮の歓喜を高らかに、暮れだした空へと溶けていく。

 掬い上げた大量の血を浴びるように、両手を広げて笑う翡翠の巨獣の姿を遠巻きに見る騎士団たちの絶望など、彼らは知りもしない。

 今までで一番白熱した戦いだったと、ただ喜ぶエステルドバロニアの兵士たちは、全てを殺し尽くした喜びを雄叫びに変えて勝利を祝う。

 これこそが魔物の軍勢、地獄の使者、人王の下僕。

 確かに、カロンの目論見の通りエステルドバロニアを知らしめる結果となった。

 王国、魔王軍のみならず、文字通り世界に轟く戦を繰り広げた。

 それがどのような波乱を起こすのかは、まだ誰にも分からない。

 ただ――

 

「殺す気かー! バカー!」


 人型に戻った守善のもとに駆け寄って、怒り心頭のエレミヤに、守善は惨殺の高揚も鳴りを潜めて普段の気怠げな態度に戻っている。

 それが、余計エレミヤの癪に障った。


「あぁ……? 死んでないからいいじゃん」

「うぬぬぬぬぬ……ナイフ投げつけてやろうか……」

「それは勘弁してほしいな。エレミヤの能力だと下手したらまじで死ぬもん」

「……それー」

「うおっ! だからやめてってば!」

「小さくなるのは卑怯だと思います!」

「ふざっ、ちょっ、俺今ちゃんと仕事したよね!?」

「おりゃおりゃー。うひひ、犬っころ狙うより楽ちんだー! 踊れ踊れー!」


 人間の形態に戻った守善に半分本気でナイフを投げつけながら、ケタケタと笑うエレミヤのこめかみには血管が浮き出てている。

 守善が暴れればこうなるのは必然だと分かっているが、それに備えるのはかなり負担だ。

 巨大生物二体のぶつかり合いがエステルドバロニアに齎したのは、防御魔術をフルで使用した魔術師たちの激しい消耗であった。

 しかし、エレミヤの怒りは完全に個人的なものである。

 なんとか殺せないかとミドガルズオルムの周囲をちょろちょろしていたところで巻き込まれかけただけなので、守善が今浴びせられているのは本当にただの八つ当たりだった。


「こういうときくらい真面目にしてくれない!?」

「えー? でもさぁ」


 のたのたと鈍い動きでスレスレを飛んでくるナイフを避けていた守善の言葉に、エレミヤはピタリと動きを止めてさっぱりと笑った。


「こんなもんでしょ?」


 確かにそのとおりではある。

 終わってしまえばこんなものだ。国が落ちれば大敗、死んで惜敗、生きて辛勝、落として大勝なのだ。

 だとしても、情緒はあってもいいはずで、ヘラヘラとご機嫌なエレミヤを見ながら守善は溜め息を吐いた。


「俺と同格の魔物を出してきたってことは気にしておくべきだと思うけど」

「普通だと思うけどー」

「……全然相手できてなかったのによくそんなこと言えるよね。とにかく、俺たちみたいに極めた敵が出てくる可能性があるってことだから、今後は――」

「ねえねえ、それより気になるんだけどさー」


 真面目な話をしていたのに、突然腰を折られて守善の顔が険しくなるが、エレミヤだからと納得して指差す方向に視線を動かす。

 そこにあるのは、地面に積み上げられたままのミドガルズオルムの胴体。


「食べてもいいのかなー」

「……どうすればいいとかじゃないんだね」

「うん」


 もう付き合いきれないと、守善は大きく嘆息して白い短髪をガシガシと掻き乱した。


「……カロン様に聞けばいいよ」


 本当に情緒の欠片もない。

 ただ、それも我々の戦だと思えばどうでも良くなった。


「さて。あとはコードホルダーの方か。……あれはあれで俺よりひどいからなぁ」


 ちらりと見た山脈の向こう。

 一瞬空が赤く染まったのを見て、守善は鼻で笑った。


「絶好調だね」








 守善がミドガルズオルムと交戦していた、それと同時刻。

 コルドロン連峰で隔てられた西レスティアでも戦いの火蓋が切られた。

 いや、より正確に言えば。

 虐殺の焔が、北を焼いたのだ。


「ギィ! ギィ!」

「Grrrrr」

「ギャ、ギャギャギャ!」


 ただ受けた命令に従ってサルタンに向けて南下する魔王軍の兵隊。

 王国に放った手勢とは違い、ゴブリンやオーガ、トロールといった知恵のある亜人で構成されている。

 ランクは中程度だが、比較的レベルが高い者で纏められており、身につけた装備はどれも禍々しいオーラを漂わせている。

 サルタンの人間が見れば絶望するだろう。

 強力な能力を持つ重装備で固めた魔物の軍勢、それが七十も一団となって迫っているのだから。

 東に派兵された者たちと比べて数こそ少ないが、質で言えばこちらの方が上である。

 ミドガルズオルムという切り札があったことを考えれば、捨て駒にした兵よりも強者を揃えているのも納得がいく。


「見エタゾ!」


 先頭を進んでいたトロールが、森の合間から覗くサルタンの宮殿を剣で指し示しながら後続へと顔を向ける。


「スベテ食イ尽クシテ構ワント陛下ハ仰セダ! スベテ、スベテ殺シ、嬲リ、喰――」


 きらりと、宮殿の頂上が光を放った。

 何かが反射したような小さな光は、二条となってトロールの前に着弾し、そのまま軍を二つに分けるように真っ直ぐ振るわれる。

 そして、収束された光が開放された瞬間、爆発を伴った火柱が光線の軌跡を辿って天へと迸った。

 強力な鎧も、屈強な肉体も、劫火に包まれて融解していく。

 森は焼け落ち、大地は燃え尽き、巻き込まれた魔物たちは塵も残さず焔の中に溶ける。

 阿鼻叫喚の焦熱地獄を生み出した少女の姿をした機械は、バイザー越しにその光景を見つめて顔色一つ変えずに次弾を装填する。

 露出の多い黒いボディスーツに、鋭角の装甲を組み合わせた鋼の手足。

 紫から橙へと移り変わる夜明けのような長い髪を風に揺らして、コードホルダーは髪と同じ紫と橙のオッドアイを拡大縮小させて次の標的を探す。

 背に浮遊するは巨大な金と銀の砲塔である。

 超長距離の魔力砲撃を行う、機巧種だけが扱える特殊兵装だ。

 膨大な魔力を背中に繋がるケーブルを通して砲塔に注ぎ込み、逃げ惑う亜人たちに向けてゆっくりと手を翳した。


「第二射、参ります」


 ウェポンスキル・砲《バーティカルエクスプロード》


 ギュオン、と耳を掻き毟るような奇音を上げてレーザーが放たれる。

 燃え盛る火から左右に割れて逃げる脆弱な背に容赦なく襲いかかった光束は一直線に大陸の端まで地面を奔り、それを追うように爆発と炎が巻き起こった。

 王国で繰り広げられたものとは違う形の殺戮。

 紫煙を吐くような深い呼吸に合わせて、巨大な砲塔も閉じていた排気口を開いて高温の蒸気を噴き出した。

 轟々と燃え広がり、森も魔物も焼却されていく。

 そこに思うことなど一つもない。ただの狼煙代わりにしか思わない。

 コードホルダーにココロは分からない。一部人間の素体が使われているだけの機械には、データで保存されている今までのカロンの姿と照合して解析するしかココロを知る術がない。

 その解析が、此度の王はコードホルダーのデータには存在しない感情を有していると解析している。

 それは怒りであり、寂しさであり、悲しみである。

 常であれば真っ直ぐに感情を表してきたカロンが、幾つもの表情を綯い交ぜにした複雑な思いを抱く理由がどこにあるのか。


「反応消失。任務完了しました。……私は、褒めてもらえますか? マスター」


 その声は通信に繋がれていない、ただの独り言だった。

 バックパックユニットを収納し、地面へと着陸したコードホルダーは従者の服へと着替えて宮殿の中へ向かう。

 常識を外れた出来事が与えた衝撃は、声を上げて逃げ惑う思考すら奪い、誰もが巻き込まれぬようにと身を潜めて息を押し殺している。

 耳鳴りがしそうなほどの静寂に包まれた宮殿内を鋭角の爪先が石を叩く音だけが響く。

 大広間に続く大扉を開けば、そこにはサルタンを取り仕切る者たちが左右に立ち並び、コードホルダーの帰還を歓迎するように頭を下げていた。

 玉座の置かれた大広間で、この国を取り仕切っているはずの人間は、黒き王と黒き獣にひれ伏している。

 一番先頭へ進んだコードホルダーは、鋭い形状の手足を折って跪く。

 同時に、カロンが口を開いた。


「ご苦労。転移の門はどうなった」

「交戦中に消滅を確認。空間貫通のスキルによる砲撃は恐らく届かなかったと思われます」

「やはり、リフェリスが主戦場だったか。ミドガルズオルムを投入したわりには制御下に置けていないようだったが……まあ、それは追々考えるとして」


 肘をついて座っていたカロンはゆっくりと立ち上がり、コートをはためかせながら石段を降りる。

 ファザールの前で足を止め、青の混じった昏い黒の瞳で睥睨した。


「これで魔王軍はこの大陸から消えた。残された問題は帝国の動きだが……ファザール王、何か考えはあるか」

「カリウス・グレイブハウル将軍は皇帝に忠実ですが、我々に猶予を与えるなど融通も利かせられる男です。そちらは私にお任せいただければ」

「ふむ。私が派兵して追い払うことも出来るが」

「お言葉ですが、カロン陛下がこれからレスティア大陸の安堵に注力なさるのに、外部の干渉は障害でしかありません。いずれ矛を交えるとしても、今は穏便に、このサルタンの名を使って収めるのが最善かと」

「……サルタンは、何を目指すつもりか。エステルドバロニアの支配を由とする気か?」


 ファザールの申し出はもはや同盟ですらない。望んで従属を示している。

 黄や緑の色鮮やかな異国の装束を土で汚したまま、ファザールは顔を上げずに言葉を返した。


「勿論でございます」


 声に躊躇いはなかった。


「エステルドバロニア王。貴方がここへいらした時から私は決めていたのです。絶大な力を持ちながら驕ることはなく、冷酷でいながら温情も忘れていない。等身大で、しかし至上の、貴方こそを王と呼ぶのでしょう」


 歪んだのは、カロンの口だった。


「帝国は我らにとっても不倶戴天の敵。このサルタンはニュエルを滅ぼし、捲土重来を果たすのが悲願。その為であれば、我が国はエステルドバロニアに全てを委ねても構いません」


 何か裏があるのかと考えるが、ハルドロギアとコードホルダーの活躍を見て画策できるようには思えない。

 それがカロンの目的ではある。

 だが、こうも簡単に話が纏まっては、なんとも拍子抜けであった。

 前回は手を組もうと申し出てきたのに、どうしてこんな簡単に掌を返したのか。


(……まあ、ファザールは色々と抱えていた問題が一気に解決したから、そこだけ見たら筋は通るのか? でも相手は商人だし、何か裏があってもおかしくないような気も)


 土地への愛着はあっても執着がない時代に生まれたカロンには、土地を取り戻すことにどれだけの意味があるのか理解できない。

 ファザールからすれば、帝国の打倒をエステルドバロニアが代行してくれるだけでも大きな利だ。

 噛み合わない認識の違い。それを突き詰めても恐らく意味はないと、カロンは標的を切り替える。


「貴様はどう思う?」


 向けられた視線の先は、キメラたちでもコードホルダーでも、サルタンの人間でもなく、天井を支える石柱にであった。


「さあな」


 柱の影から姿を見せたのは、ハインケン・グレイクロウだった。

 黒と赤のボロ布を継ぎ合わせたような禍々しい宵の装束のフードをとり、仄暗い赤髪の合間から灰の双眸でカロンを睨みつける。


「スコラ様の身柄を引き渡してくれるんなら、俺からも口利きしてやっていいんだけどな」

「そうか。なら貴様には期待しないことにしよう」

「……渡す気はねえ、か」

「私は賭けに勝っただけだ」

「確保したのは俺が先だった」

「それは屁理屈というものではないのかな?」

 

 睨み合うカロンとハインケン。

 勇者に比肩する帝国の将軍相手に引けを取らないでいられる自分を褒めながら、カロンは内心で決めあぐねていた。

 この戦争の後処理で残った一番の問題は、サルタンの今後でもリフェリスの処遇でもなく、帝国の生み出した秘密兵器の扱いであった。

 カロンは勇者という存在に関心があるだけで、“天禀”の勇者が欲しいわけではない。

 あわよくば今後争うことになる帝国の切り札を確保しておきたいと思うが、未知数な勇者を国に招いて内憂を生む不安もある。

 どちらの選択をしても好都合で不都合だった。

 ハインケンは一貫してスコラ・アイアンベイルの身柄を求めているが、恩を売れるのはハインケンまでで帝国ではないとこれまでの会話から推測される。

 どちらが自分の利になるのか。不明瞭な材料から不確定な未来を選ぶというのは実に心細いものである。だからこそ、カロンは情報という安心を欲するわけだが。


「カロン様」


 剣呑な空気に割り込んだのはロイエンターレだった。


「なんだ」

「勇者が、目を覚ましました。現在、ハルドロギア様がこちらへお連れしております」


 ハインケンが、ファザールが、イリシェナが、ラシェラが、スコラの覚醒に喜色を示す。

 敬愛する姫君への、厄介な恩人への、信頼する友人への、大切な二人目の姉への。

 だが、魔物たちはハインケンの登場よりも警戒を強め、第一団は揃った動きで槍を正面に向けて構えた。

 魔を討つ払暁の刃。勇者によって生み出された勇者。人造の英傑。

 ハルドロギアに危害が加えられた報告がなかったとしても、カロンに何かする可能性を考えれば油断はできない。

 広間に集まる全員の視線が大扉に集中する。

 ゆっくりと開けられた扉の向こう。先導するキメラの後ろに立つ少女が姿を見せる。

 真紅と漆黒のドレスを身に纏い、伏せられたルビーの瞳がゆっくりとカロンに向けられた。

 線は細くも成熟した女の肉感があり、人間離れした淑女のようで、しかし人間らしい儚さのある顔立ち。

 粛々と歩いている姿をみて、カロンは初めて彼女の異質さを理解した。

 脳裏に過ぎった“デザインベビー”という言葉が、よく似合う。

 そんな印象を、青紫の髪をサイドテールに結んだ“天禀”の勇者、スコラ・アイアンベイルに抱いた。


「お初にお目にかかります、エステルドバロニア国王陛下」


 カロンの前。コードホルダーよりも一歩前で優雅にドレスの裾を摘み一礼するスコラは、見も知らぬ異国の王に敬意を払った。


「そして、ようやく出会いました」


 ゆっくり上げられた顔に浮かぶ微笑み。

 なのに、異様なほど上気しており、真っ白な頬を赤く染めて熱に浮かされた乙女のような感情を見せている。

 初対面の人間だ。前世だ何だと与太話があるはずもない。

 だが、これに似たことが最近あったような気がする。


(……ああ、そうだ。ミラが、これに近いような雰囲気のときが)


 この感情を理解できるものは、この場には一人もいない。

 人間の感情でもなければ、魔物の感情でもない。

 これは、勇者だけが持つ特別な感情だから。

 スコラは、その思いを包み隠さず言葉にする。


「どうか私を使い潰し、命果て尽きるまで(アイ)してくださいませ――囚われのお姫様(ヘルトフラウ)


 空間から取り出された十字架のような両刃の槍を眼前で差し出し、まるで騎士の受勲をするような姿勢をとるスコラ・アイアンベイル。

 一体何が起きているのか理解できる人間がどれだけいるのだろうか。

 さざ波のように押し寄せる頭痛が、視界に不可解な記号を幻視させた。


(なにこれ……)


 これはスコラが異常なのか、それとも勇者や英雄が異常なのか。

 それとも――




 個……有ス…ル《囚われの姫君(ヘルトフラウ)》 開示

 勇……求め………ぬ特………与す…

 それ……いで…り、祝……あ…、願望………、…的で……


 メッセージが届いています


 from:あおsfhぱwふぁsm4いw32



  私を見つけて



次話でこの章も終わる予定です

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― 新着の感想 ―
[良い点] ‟「どうか私を使い潰し、命果て尽きるまで壊(アイ)してくださいませ――囚われのお姫様」  空間から取り出された十字架のような両刃の槍を眼前で差し出し、まるで騎士の受勲をするような姿勢をとる…
2020/06/27 20:38 カンムリワシ
[気になる点] 気になる事ではあるんですが。ほんと大したことじゃないんだけど、コードホルダーたちやルシュカの銃のような機巧系の整備や開発やらはどうやってるんだろう、と少し気になりまして。 今までの描写…
[気になる点] 情報の少なさが想像を掻き立てる…… スコラ視点だと、勇者としての血を濃くするために結ばれるべきディエルコルテの丘の新たな英雄であり、 助ける側の勇者ではなく、(おそらくはグヴェンタに…
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