7 王との謁見
白銀の王城は、月の光を浴びて日中より幻想的な姿を見せていた。
街は蝋燭の火や街灯の魔導光がくまなく照らし、外壁の上に淡いオレンジの光を漏らしている。
その橙赤に揺らめく大地から伸びる3つの塔は、まるで天への階を思わせ、塔を繋ぐ巨大な円環は月の縁を象っている。
王城と呼ばれる塔はそれぞれ別々の役割を持たされている。
左の塔は軍事を司り、各軍団長の部屋や武器庫、兵舎などを兼ねており、軍事力の全てがそこに詰まっている。
右の塔は内政を司り、食糧庫、資材置場、氷室、資料室、大書庫といった衣食住に関する施設が周辺と塔内部に備わっている。
中央の塔は2つと違い、王の所有物であり象徴とされている。他の塔よりも高く聳え、その内部には謁見の間、玉座の間、王の間、執務室、宝物庫、会議室などなど。言い換えるなら国の外交を司っていると言うべきか。
三角形に配置された塔は宙に浮かぶ巨大な輪で繋がっており、その輪が連絡路の役割を担っている。
たった3つの支えで崩れずにいる輪には何かしらの魔法が掛けられていると言われているが、建築法と物理法則を無視してクリエイト可能なシステムを魔法というならその通りかもしれない。
中央の王城には謁見の間と玉座の間があり、どちらも意味合いが同じに思われるだろうが役割が若干違う。
謁見の間は外部から人が訪れた際に使用し、玉座の間は内部の人間で集う際に使用する設定だ。
故に、本来であれば軍議は白銀で埋め尽くされ、黒曜に煌めく座の置かれた玉座の間を使うのだが、王の意向で今回は謁見の間を使用することになっている。
何をするつもりなのか、疑問を抱かれるだろう。
昼間引き起こした、突然のドラゴンゾンビ召喚の件。その真意を尋ねるためだった。
その召喚の現場に居合わせた軍団長たちは、一度も足を踏み入れたことのない謁見の間の扉の前で整列していた。
日が暮れて黄昏に染まる草原で、ルシュカが何故突然このようなことを行ったのかを尋ねると、王はこう口にした。
──二時間後、謁見の間にて答えよう。
ただそれだけを言い残し、王は霧散したかのようにその場から消え去り、残された者たちは夢でも見たような、信じられない気持ちだけが胸中で渦巻いていた。
王が秘術を披露したことは一度としてなく、そもそも自身の持つ力を誇示したことがない。
民を愛し、兵を愛し、臣下を愛し、国を愛す。己が身を顧みることをせず、王は常に愛する者の幸せのために動いてきた。
魔物を統べるのなら力で押さえつけて従わせるのが一般的だが、それを決して行わず、一つの種族として丁重に扱い、種族での差別をせず平等に扱うことで国を纏めた。
人間の王と馬鹿にする者は今ではいない。魔物ではないからこそできた政治で、それが昔よりも圧倒的に幸せで平和なのだ。馬鹿にできるはずもない。
強きも弱きも手を取り合って暮らす国。エステルドバロニアの王は誰よりも優しい御方だと、そう慕われている。
だが、今回の事態は全く逆の方向だ。
対価を支払わず強大なアンデッドを呼び出したことは街中に知れ渡っている。
それは王の秘術を讃えるよりも、戸惑いが大きい。
心優しき王の逆鱗に何かが触れてしまったのではないか。
我々に対して警告を放ったのではないか。
軍団長の地位に置かれた文武に秀でた魔物ですら畏れを抱いたのだ。軍人でもない街の者たちが恐れないはずがない。
外は既に日が沈み、銀月と星屑が空を彩っている。
中央の王城。王のテリトリーとも言える塔に軍団長達が足を踏み入れることは少なく、皆緊張した面持ちをしていた。
この城は特別空気が重い。警備の兵は軍とは違って特別に選び出されており、皆無口で動き一つ一つが洗練されている。
内政に携わる高官たちも同様で、鋭い視線を不躾にも軍人へ向けてくるが、反論を起こす気が湧いてこない。
彼らからすれば王の象徴であるこの城は高貴でなければならない。それを少しでも汚すのなら誰であろうと即刻首を落とす気概がある。
左右の城がどうであろうと、ここだけは神の領域でなければならないと、誰一人気を抜かずにいる。
心優しき王。秘術という超越した力を持ちながらそれを誇示しない王。
だが、それは周囲から見た認識で、この城では違う。
魔物の頂点に立つ絶対の君臨者。神をも統べる偉大なる王。
その王をお守りする最後であり最強の砦。それがこの中央の王城の姿だ。
図らずも王との謁見が叶ったことで浮ついていたグラドラたちだったが、そんな気持ちはとっくに忘れていた。
グラドラ、エレミヤ、アルバート、守善、五郎兵衛の順に並び、今か今かとその時を待っている。
扉の左右を守る【リザードベルセルク】が大きな剣を両手で床に突き立てた姿勢のまま軍団長たちに警戒した視線を向けており、生きた心地がしない。
「随分と緊張なさっているようだね。もっと気楽にいればいいだろうに」
そんな中でも普段の態度を忘れずにいたのはアルバートだった。
元々が紳士的で──腹の中はともかく──立ち居振る舞いも気品があるからか、自然体に見える。
エレミヤが眉間に小さく皺を作ったが、アルバートの全身を上から下まで横目で確認し、ふうと呆れたように溜め息を吐いた。
「おじいちゃん、杖震えてますよー」
小声で告げられ、慌てて杖を片手で持ち、胡散臭い笑みを作る。
「いや、お恥ずかしい。しかしこの城は相変わらず素晴らしいですな。右の塔の杜撰な雰囲気や左の塔の肌を刺す雰囲気ではなく、空気が重い」
「一つ疑問なのだが、何故玉座の間が1階にあって謁見の間が18階なのだ?」
「それ俺も気になる。1階だとここまで緊張した感じないじゃん。2階から上が半端じゃなくおっかないのが不思議」
「それは王の心遣いだと思われるがね。我々に心労を与えぬよう自国の者との謁見には落ち着きのある玉座の間を使い、他国の者にはその威厳を知らしめると同時に下手に逃亡などができぬ上の階に招くのだろうさ」
なるほどと他の者は納得したが、単なる設計ミスである。建築法も物理法則も無視すると、常識も無視してしまうのはよくあることだろう。
アルバートのおかげで幾分か気持ちに余裕ができたが、それも僅かな時間しか保たなかった。
不意に扉が僅かに開き、中からルシュカが現れた。普段の軍服姿だが、王の惚気を連発しまくるいつもの様子と違い、彼女もまた緊張している。
「準備が整った」
「なんでお前が緊張してんだよ」
強ばった表情にグラドラが突っ込みを入れる。
ルシュカは一瞬言葉を詰まらせたが、少し泣きそうな顔をして狼の顔を見上げて睨んだ。
「私もこの部屋は初めてなのだ! あの引き篭もりまでいるのだぞ? さっきから震えが止まらん……」
外交をしたことがないので未使用だったのだから当然と言えよう。
しかし普段からここに勤めるルシュカが震えるなど、いったい中で何が待っているのか。自然と面々の顔が引きつってくる。
「では、行くぞ。武器は兵に渡しておけ。全てな」
普段から武器を身につけているエレミヤ、アルバート、兵衛がリザードベルセルクに渡していく。
杖を持参しようとしたが、使わなくても歩けるだろうと“武器になるもの”まで取り上げられる周到さ。1階の玉座の間への入室にはそこまで過敏じゃなかったはずだがとアルバートが尋ねると、「2階からは別次元だと思っていただきたい」と有り難いお言葉を頂戴した。
ルシュカが兵に頷く。
2体のリザードベルセルクは扉の前の面々を見て危険がないかを確認すると、鋼鉄の扉を左右同時に同じ速度で開け放った。
玉座の間はあまり飾り立てておらず、ミスリルの白に玉座と国旗の黒しか主な配色がない。豪華絢爛な王の権力よりも清廉潔白な王の心象をイメージさせるように夜でも魔導光で爛々と照らされ続けている。
だが、謁見の間は王の心象ではなく威光を表現する作りとなっている。
大きな龍が彫られた鋼の扉を開け放てば、軍団長たちの視界に広がるのは金と紅。
窓のない室内は消えぬ蝋燭だけが灯されており、左右に配置された複雑な彫刻が施された柱が遙か奥に見える玉座まで連なっている。
壁には様々な調度品が飾られており、そのどれもが廊下に置かれている物とは比べものにならないほどに豪華で、一つでそこらの国の予算を軽く超えるだけの芸術があった。
足が軽く沈むレッドカーペットが通路中央から真っ直ぐと延び、玉座の前で途切れている。
「ぁ……」
開かれた扉の向こうに広がる世界。世間と隔絶した荘厳な部屋から溢れ出した重圧に全身に震えが走り抜けた。
エレミヤが感嘆の声を上げそうになったが、肺に流れ込んだ威圧感が言葉を殺す。
普段から王が至高の存在だと頭では理解していたが、それがどれほどのものなのか、五臓六腑隅々に理解させられる。
「行くぞ」
短い合図と同時に、粛々とルシュカが奥へと足を進め、グラドラたちもそれに続く。
ルシュカを先頭に、5人並んでもまだ余裕のある通路を奥へ進めば進むほど重圧が増し、装飾品に混ざって剣を掲げて動かぬ金色の【意志持つ鎧】が青い光を目に宿らせ、進む魔物を追って動いている。
ごくりと誰かが喉を鳴らす。口の中が乾き、満足に呼吸ができない。
ルシュカが立ち止まる。
あと5mも進めば王の前と言うところで膝を突いて頭を深く下げた。後続もそれに合わせて臣下の礼を取る。
「第2団団長グラドラ、第3団団長アルバート、第4団団長守善、第5団団長エレミヤ、第7団団長五郎兵衛、各軍団長をお連れしました」
奥で人が動く様子がある。
薄暗い玉座の側で人の動く気配が近づいてくるのを感じて視線を向けると、少女が長く鋭い二本の槍を両手に握りしめ、ルシュカの前まで訪れた。
その少女は、胴から膝までを肌にピタリと張り付いた黒のインナースーツを身につけ、短冊のような腰巻きを巻いている。
見えている素肌には赤く仄かに光る入れ墨が刻まれ、紋章の描かれた黒い布を目を覆うように巻き付けている。
ルシュカ以外が、見覚えがない人物に首を傾げそうになった。
王に紋章を託されているのはバロニアの十七柱に他ならないが、殆どの柱には面識がある。なかったとしても空を常に飛んでいるヴェイオスや国の四方を守る4人くらいのもの。
では誰なのかと思考を巡らせていると、黒い腰まである髪を揺らし、背丈に不釣り合いな二つの丘も揺らす少女が桃色のふっくらした唇を開く。
「第1団団長、ハルドロギアです。お父様がお待ちです。こちらへどうじょ」
沈黙が流れる。
(噛んだ……)
(噛んだ……)
(噛んだ……)
第1団団長、ランク7の魔物ながらランク10の魔物にも劣らぬ魔改造が施せる公式チートモンスター【キメラ】のハルドロギア。
この中央の王城を守り続ける最後の砦であり、一切城から出てこない生粋の引き篭もり。
しかし実力はレアモンスターではないが団長陣にも引けを取らない。キメラ特有の性質から鍛え上げられた室内戦の補正が強くかかる彼女相手では、一対一で勝利をおさめるのは難しいだろう。
王の護衛を任される第1団は普段であれば仕事がないので中央の塔の最上階に控えているのだが、今回は正式な形での謁見ということもあって久方振りに人前に姿を現した。
そんな彼女を初めて目にしたことよりも、舌っ足らずな喋り方に加えて噛んだことの方が気にかかってしまう。
微妙な空気が緊張を軽く払いのけている中、棒立ちだった少女の口許がむにむにと動き、口の端が下へと下がり肩を震わせ始め。
「ふえぇ……お、お父様~~~……」
その空気に耐えられなかったらしく、パタパタと素足で奥へと走っていってしまった。ふかふかなカーペットのおかげで音はしない。
強いことは強いが、“童心”“臆病”の性格ではこの幼さも仕方がない。
「……行くぞ」
部屋へ入る前とは若干の意味合いが違う台詞だが、ルシュカに従って奥へと進む。
うっすらと王の座る巨大な背もたれの金の玉座が全貌を現し、その周囲に侍る者の姿も見えてくる。
玉座は細い金を幾重にも編みこんで形作られている。下手に1枚の金で作られるよりも精巧で緻密な細工だ。背もたれには六芒星に剣と蛇の紋章があり、背を預ける人物は黒衣を纏って足を組み、じっと配下を見下している。
左右にはハルドロギアと似た服装をした、6人のキメラの女性たちが槍を脇に立てて並んでいる。年齢は様々だが誰もがその美貌に一点の曇りもない。すらりとした肉体美を張り付く黒で隠し、団長のハルドロギアよりも色香があった。
玉座の左右、少し後ろから正面を照らしているために王の姿がよく見えないが、確かにそこにいる。脚にハルドロギアがしがみついてぐすぐす鼻を鳴らしているので間違い無いだろう。
「傅け。王の御前である」
右に控えるキメラの一人が平坦な声で指示すると、一糸乱れぬ動作で素早く跪いた。
「此処にエステルドバロニア軍各団長、揃いましてございます。御言葉を頂戴いたしたく、馳せ参じました」
周囲から遠慮なく突き刺す視線に面を上げることができない。
王の居城を守る第1団、7人のキメラが勢揃いの警戒っぷり。それが、この場がどれだけの意味合いを持つのか知らしめている。
床に着く手が緊張で震え、体勢を崩してしまいそうだ。
呼吸をしているのかどうかも分からない、前後不覚に陥った感覚。それを正すのは、一人しかいない。
「よく来てくれた。我が儘を言ったことを許してほしい」
その声は、とても穏やかだった。
部屋の重圧が不思議と和らぎ、自然と肩の力が抜けていく。
申し訳なさそうな王の声にルシュカが反射的に顔を上げるも、脇に控えるキメラの眼光で言葉を口にできなかった。
許可無く発言をするのは無礼に当たる。この場を任されているキメラたちの無言の圧力に、ルシュカは静かに頭を戻した。
「本来なら玉座の間で十分なのだが、この部屋を使う機会が今後ないとも限らん。せっかくだからと思ったのだが……余計な重荷になっているようだな」
「い、いえ! そんなことは! 王の素晴らしさを頭でしか理解していなかったことを恥じるばかりっす!」
敬語が苦手なくせに脊髄反射で答えてしまったグラドラが明らかな失態を犯す。
いくらなんでも“頭でしか”と言うのはいかがなものか。それに言葉尻もおかしい。おまけに許可なく発言をしている。最悪だ。
しまった、と思ったときにはキメラたちの視線が明らかな殺意をもってグラドラに突き刺さる。
助けを求めて隣に目を向けても、皆目を逸らして知らぬ振りを決め込んだ。
文句を言おうにもこれ以上問題を起こせば団長の資格剥奪や王の紋章剥奪、軍からの除名もあり得るのでは。
噴き出した汗が毛を伝ってカーペットの上にぽたりと落ちる。それを合図に右にいた3体のキメラが一斉に動こうとしたが、音もなく上げられた手が制止した。
「ロイエンターレ、タルフィマス、フィルドレイト。お父様は何も指示していない。だから、駄目」
王の足下で座っていたハルドロギアの指示に、3体はちらりと王に目を向ける。
「…………グラドラは大切な臣下だ。失うわけにはいかない。私を思っての行動なのだな。三人とも、ありがとう」
随分と沈黙があったが、逆光で顔が見えずとも微笑みを感じさせる口調でキメラを止めた。
同時に労われたからか、元の位置へ戻っていく3体が妙に浮ついていた気がするが、今はそんなことよりも王の言葉の方が大事である。
グラドラとかどうでもいい、とエレミヤは脱力してうなだれるワンコに視線すら向けなかった。
「さて、では昼の件についての質問に答えるとしよう」
ようやく、待っていた言葉を得られると再び緊張が走る。
王は小さな声で何かをぶつぶつ喋ると、意を決して顔を上げた。
王も緊張しているのである。
勢いで説明すると言った手前逃げることができず、二時間もかけて考え抜いた適当な言い訳が通用するかどうかを。
「まず、私は示威行為なんかに興味はない。この国は暴力と圧政ではなく、平穏と安心で築き上げてきたのだ。他国に侵略したり領地を拡大するのも、全ては民の、ひいては国のために行ってきた。そうだろう?」
少し不安になって聞き返す王。
ルシュカたちは同意を示すことを求められたと感じ、声を揃えて是と返された。
「う、うむ。故に私は示威行為など行ってはいない。民に不安を与えるつもりなど、なかったのだがな……」
語尾が気落ちしていく。
そこに込められた想いに、胸を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
王はやはり王だった。
常に民のことを考えており、常に我々を大切に思ってくれている。
だというのに、街でも軍でも王の行いに怯える声が上がり、彼ら軍団長たちも不安に駆られていた。
だが実際はどうだ。王はそんな周囲の反応に心を痛めておられるではないか。
信じていた民に、兵に、臣下に、そう思われるなど王が悲しまないはずがないではないか!
誰かが後悔から嗚咽を漏らしていた。誰かは分からない。誰もがかもしれない。
「主よ。申し訳ございませぬ。貴方様を常に信じて今までやってきたというのに、拙者は、なんと無礼な考えを巡らせていたのか……ふぐぅぅぅ」
「わ、私も、ごめんなさい王様! こんなに王様が優しいって知ってたのに、疑うようなこと考えて、本当にごめんなさい!」
「え、あ、うん。あ、えーっと……構わん。説明が足りなかった私が悪いのだ。お前たちが気にすることではない」
変に民をビビらせて、反感買ってたらどうしようと考えると憂鬱になっていたのに、急に泣き出されて思わず素が出たが、咳払いをすると再びカロンは威厳溢れる低い声で話を進めた。
「では何故そのようなことをしたのか。それは、警告だ」
「ぐすっ……警告、ですか?」
「そうだ。これを見ろ」
王は鷹揚に頷いて、キメラの1体に合図をする。
顔を上げた団長達が見たのは、キメラが広げた一枚の大きな紙。
紙の中心に円が描かれ、“エステルドバロニア”と書いてある。その周囲には幾つかの点があり、そこには“アンノウン”の文字。それ以外にも小さな点が多数記されている。
大雑把だが川や山が描かれたそれは、一応地図として機能していた。
「こ、これは?」
「私にはその、お前たちに調査させた土地をこうした俯瞰で見る力があってな。それに基づいて地図を作ってみた」
「おおお、そのようなお力が。なんと素晴らしいのでしょうか。さすが我らが王ですな」
「ああ、うん。ありがとう」
えらく感動されたが、むしろ地図が今までなかった方が感動するべきではないのだろうか。
魔物で探索した地域を全体マップで見ることのできる王の力で描かれたマップ。適当だがそれなりには読み解ける。
「この異世界にも文明があることは知っているだろう。ヴェイオスによって現在4つの国と31の町村を確認している。どれも人間の国、というのはミャルコからの情報だ」
空を常に飛び回っている古龍種のヴェイオスと猫の親玉であるミャルコの2体は情報収集に優れており、まだ遠征にも向かっていない地域まで判明していた。
「これらの国。どれだけの戦力があるのかは判らぬが、現状衝突が起こりうる相手だろう。魔物のために土地を確保するため、幾つか強引に制圧しているしな」
幸いにも人間には出くわさなかったが、いずれ露見する。
十中八九魔物の存在を知れば人間は攻めてくるだろう。手を取り合って仲良くしましょうなんて考える輩は然う然う居ないのは自明の理だ。
なにせこちらは、“魔物の国”なのだから。
「我々エステルドバロニアは、近いうちに再び人間と相見えることになるであろう。その前に我が国の恐ろしさを知らしめる必要がある。魔物だからと嘲ることができぬよう見せつけておく必要がある。故に!」
どん。強く玉座の肘掛けが叩かれ、しんと静まりかえった。
30間近の男の演技力が試される瞬間である。
「故に、私は人目に付く派手な行為を、召喚を行った。我々は野蛮ではない。我々は無知ではない。我欲で襲うことなど決してしない。しかし敵が牙を剥くのなら、同胞を傷つけるというのなら、一切の容赦はしない」
熱を奪う冷たさを感じる。
暗がりで怪しく浮かぶ王の双眸が、その意志の強さを物語る。
冷徹で、残酷な、しかし温情は与える優しさを備えて。
「だから、王様は俺……あ、いや、私たちの前で秘術をお使いになられたんだ、ですね。相手が攻める気持ちを起こさないように、圧倒的な姿を見せることで」
「お前たちがあの場所にいたのは計算外だったがな。まあ、結局その警告に意味はないかもしれぬ。私が何をしたところで、攻めてくる奴らはいるのだからな」
見切り発車のど派手な召喚に意味がないので予防線を張っておく。守善は納得したらしい。
「では、何故ドラゴンゾンビを召喚なされたのですかな?」
ぴくりと、王の動きが止まる。
下からでは見えないが、視線をあちこちにさまよわせて発言をしたアルバートを捉えると、ぶつぶつ何かを呟いてからまた顔を上げた。
「……いやなに。私にもお前のようにデイライトウォーカーが作れないかと思ってな。やはり私では不可能なようだ。恥ずかしいところを見られてしまった」
「いえ、そのようなことは。龍の死骸を用いずに生み出すなどこのアルバートには決して行えぬこと。それを拝見することが叶い光栄であります」
「そう言ってくれると助かるよ。本当に」
結局、王の真意は何一つ変わりなどなかった。
馬鹿みたいに勘ぐっていたことが恥ずかしく、王は優しい方だったと改めて実感し、安堵の息を吐いてようやく普段の雰囲気を取り戻しかけた。
王が静かに玉座から腰を上げると、キメラたちも臣下の礼を取る。
「よく聞け。エステルドバロニアは侵略国家なんかではない。ただ暮らすために必要なものを求めるだけでしかない。決して己は牙を見せはしない。
だが奴らが噛みつくなら容赦はするな! 人間に己の分を弁えさせろ! しかと心へ刻んでやれ! エステルドバロニアに刃向かった者の末路を!」
『はっ! 我ら王の隷! しかと拝命しました!』
一言一句違わずに揃った忠誠の言葉。王の背筋に衝撃が走り抜ける。
感動よりもなによりも、なんで揃ったんだという気味の悪さが。
今圧政をしてないって言ったのに、隷とか言っちゃ駄目だろう。という突っ込みはぐっと飲み込んでみせる。
「では、話は終わりだ。最後に何か言いたいことがある者はいるか? 発言を許可しよう」
聞かなかったことにして、何気なく、何気なく王は口にした。
よくある質疑応答のつもりだったのだ。何もなければすんなりと場を退席して逃げることができたのだ。
だが、この場にいる者達にはそんな甘い認識では済まなかった。
ロイエンターレと呼ばれた年長者のキメラが挙手をして立ち上がった。
ポニーテールにした彼女は今までの話の流れに不満があるのか、きつい目つきを更にきつくして睨んでいる。
聞こえぬぐらい小さく、王が悲鳴を上げた。
「お話が終わったようなので軍団長の方々に僭越ながら一言申し上げます。一体あなた方は誰の許可を得て発言しておられるのですか。先程のグラドラ様の一件は、王がお許しになられただけで発言を自由にしていいとは仰られておりません」
僭越ながらと前置きしておきながらその口振りは完全にお説教だ。
軍団長でもない魔物に注意されてむっとするが、そう言われるとその通りだと納得して押し黙る。明らかに礼儀に反している。
軍統括であるルシュカが何故か責められるような視線を背後から向けられて殺気立つが、王の前だと自制して努めて冷静に言葉を返す。
「確かに、それは申し訳ない。しかしだな、貴様らの長であるハルドロギアがいつまで経っても王に触れているのはいかがなものか! ずっとベタベタしてうらや……じゃなくて失礼だろう!」
「これは……お気持ちは分かりますが、お王がお許しになられているのです」
「行動そのものが場にそぐわないと言っている! 王がお許しになられたとは言え、それに甘んじるのは許されざる行為だぞ!」
「そうだそうだ! 私にもその場所を代われー!」
「エレミヤは黙っていろ! 今私はロイエンターレと話をしているのだ!」
「黙んないもん! 私だってやっと王様に会えたんだもん! 頭撫でてもらうくらいいいでしょー!」
「そんな話はしておりませんよエレミヤ様」
「そうだそうだ! 拙者もしてほしい!」
「ゴロベエ、お前は黙ってろ」
ロイエンターレの発言を皮切りに騒がしくなった謁見の間。もはや威厳がどうこうなどなくなっている。
粛々と終えるはずが、キメラVS女性軍団長の図式が完成していて、いつの間にかハルドロギアがキメラたちの後ろで野次を飛ばしていて、関わりたくないと顔を上げないグラドラがいて、守善によって顔を地面に埋没させた五郎兵衛がいて、愉快だと高らかに笑い声を上げるアルバートがいる。
最強の魔物を従えろ! とはアポカリスフェの謳い文句だったが、肝心の最強の魔物を従えている人物は玉座の隅に体を寄せて身を小さくしていた。
「おかしいな……格好良く終わる場面じゃないの……ここは……何事もなく終わると思ったのに……」
気弱な王の言葉は誰の耳にも届かず、グラドラが痺れを切らすまで言い合いは続き、皆が気付いた時には王の姿は転移して消えた後だった。
その日から暫くの間、軍団長とキメラたちは王に愛想を尽かされたのではないかと怯えながら日々を過ごしていたという。
そんな王は、ニコニコしていた者たちの豹変ぶりに怯えて私室から一歩も外に出なかったそうな。
なんとも悪循環な彼らが正常運転するのは、暫くはないだろう。