19 興奮
アポカリスフェ。
かつてVR黎明期において一世を風靡したMMORTS。
人気こそ長くは続かなかったものの、その戦闘システムは多くの作品に影響を与えるほどに洗練されていた。
プレイヤーが操作するのは、普段眺めているばかりのマップである。
広い範囲を捉えるヘクスマップと、近い範囲を映す広域マップ。
平時はほとんど覗き見用のものと化しているが、この機能が真価を発揮するのは戦争時、宣戦布告を行ってからだ。
カロンが宣戦布告の承認をしたと同時に、半透明のウィンドウがマップの周囲に幾つも機能が展開される。
ツリー状に纏められた自軍と敵軍のユニット情報。作戦の指示をするためのコマンドボタン。絶えず流れていく行動ログ。マップ上の青い点である自軍のユニットの頭上には役割を示す符号。
タブレットのように寝かされた大きな広域マップに指を走らせて自軍全体を丸で囲み、進行ルートを矢印で引けば、エレミヤとグラドラの軍がウィンドウの中で進軍を始めた。
猫の獣人部隊の一部に別の円を描き、大きく迂回して敵側面に当たるよう矢印を引けば、直進する軍から離れて行動をする。
ピンチアウトで拡大してから一体をタップして選び、行動方針を選択すれば単独で行動を開始する。
後方の魔術部隊を丸で囲み、前線部隊と紐付けて支援のコマンドを選択すれば、様々な支援の魔術が光となって飛んでいく。
全てが意のままに、遠い地から言葉を発さずとも兵たちを動かす力。
これは兵棋演習に近いシステムだ。
偶発的な出来事はリアルタイムで発生し、演算をする必要もなく答えは結果として得られる。
王ただ一人が遠隔にて戦いを掌握する様は、近代的な戦争と似通う点も多い。
いや。
ゲームであったからこそ遠隔操作の気分で良心を痛めることもなかったが、今はそのようにはいかない。
自分の手腕によって失われる命が、自分の目で生きる姿を見てきた魔物たちが、画面の向こうで戦場を駆けていく姿が見えてしまう。
「……」
考えるなと自分に言い聞かせながら、カロンは宮殿の玉座の前に立ち、小さく疲れの含まれた吐息を零してからウィンドウの操作に集中した。
魔幻将軍を名乗る【キマイラ】グウェンタをハルドロギアが打ち倒したことにより、サルタンの国内からは脅威が去った。
その偉業を讃えるかのように、サルタン王ファザールはカロンを国賓として正式に招き入れ、恭順を示すように玉座を差し出した。
突如現れた異邦の王に対する過剰なまでの畏怖を表するファザールの振る舞いに家臣たちは反感を抱いたが、それは初めだけに留まり素直に受け入れた。
宮中の皆が薄々グウェンタの存在に気付いており、帝国の切り札であるスコラを手中に収め、ファザールの妻とその子らに何事かが起こっていることも察していた。
それを救い出した人物であり、宮殿を覆う強固な結界を一撃で破壊し尽くし、魔王軍の精鋭を屠った集団の長となれば、今は不用意に触れることを憚っただけのことである。
ファザールが自ら玉座を明け渡したことに異を唱えるには、魔王を越えるような存在の前では出来なかった。
「エステルドバロニア王は、一体何をなさっているのですか……?」
ファザールと並んで跪くイリシェナが恐る恐る尋ねると、返答は作業に集中しているカロンからではなく、側に立つ長身の【キメラ】ロイエンターレから発せられた。
「お静かに。カロン様は神の如き秘術を行使しておられます。どうか邪魔なさらぬよう」
「秘術?」
「はい。我らエステルドバロニアをお導きくださる、言葉なき号令。偉大なる王の奇跡。今カロン様は王国に迫る愚か者共を排除することに注力されております」
カロンからゆっくりと離れながら、まだ目を覚まさない勇者を監視するハルドロギアに代わって場を取り仕切るロイエンターレは、ただの人間に自慢するような口調で語る。
そう言われても、聞かされた側にはなんのことかさっぱり分からない。
カロン以外の目からは、何もない空間を指で摘んだり丸を描いてみたりと奇妙な行動にしているようにしか見えておらず、そんな大それた何かが起こっているとは思えなかった。
「我が王の戦に距離など関係ありません。どこまでも、どこまでも、たとえ世界の果てであろうと。遠く彼方へ征く我ら僕へと、そのお言葉は遍く届く。まあ、人間には……あの魔王軍にも理解は出来ないでしょうが。とにかく、どうか邪魔立てなさいませぬよう」
ロイエンターレを含めたキメラたちは真剣な面持ちでカロンを見つめており、その雰囲気は他の介在を許さないような厳粛なものがある。
もしそれが事実であるなら、エステルドバロニアの戦争はこの世界では理解の及ばない次元で行われているのだろうか。
作業に没頭するエステルドバロニア王の、長い前髪の合間から覗く黒紫の瞳は何を見ているのだろうか。
ファザールたちの疑問は尽きないが、確かなことは、この世界の人間と異邦の民たちの間には、決して交わらない何かが存在しているということだけだった。
「けほっ」
小さく咳をして、カロンは周囲の声も耳に入らぬままマップを注視している。
苛まれそうなほどに冴えた頭が、ぶつかり合わんとする二つの群れの情報を素早く整理し、最適な形になるように兵の動きを指先で調節しながら、ふと気になった一つの疑問が浮かんだ。
(魔物たちは、俺のしていることをどう見ているんだろう)
王でありながら指揮官を担うカロンから送られる指示の数々。
忠実に動いているが、どうしてなのかが全く分かっていない。
それをカロンから尋ねるのは立場上憚られるが、今になって無性に気になっていた。
その答えは、実に単純なものであった。
草原を駆ける精鋭たちは、カロンから送られてくる細かな指示に合わせて淀みなく隊列を組み替えられる。
仲間の合間を縫うような動きを突然求められても、息の合ったコンビネーションで事も無げに行える。
ロイエンターレが言葉なき号令と表現したものの正体は、彼らの視界に浮かび上がる幾つもの矢印と文字であった。
誰がどこへ、いつどのように。
部隊を率いる隊長がわざわざ口にせずとも、全てがエステルドバロニアの兵たちの中で共有されている。
ただ無意識に、夢遊病のように操られているわけではなく、兵たちはその不可解ともいえる図と文字に全幅の信頼を置いているのだ。
精強であり、王に最上の忠義を捧げる者たちは、言葉なき号令とともに困難を幾度となく乗り越えてきた。
神の神託などという不定形なものよりも、確かにそこに居る王の意志こそが我らを導いてくれると疑わない。
将を一人失った程度で統率を乱し、ただぶつかることしか出来ない魔王軍とでは、覚悟が違うのだ。
「さあ! 行くぞ行くぞ行くぞ行くぞー!」
熱に浮かされたエレミヤの声に呼応して、猛々しい咆哮が起こった。
この世界で暮らしていても目にすることのないような怪物の数々が怒涛のように押し寄せてくる。
意気軒昂に戦を求めるエステルドバロニアの兵士たち。
それに負けじと、魔王の配下たちも雄叫びを上げた。
爛れたゴーレムや単眼の巨人、八百足のムカデや三ツ首の怪鳥といった巨大な魔物から、棘の鎧を着たリザードマンや大盾を担いだオーク、山羊角のデーモンや毒煙を撒き散らすトレントなどもいる。
その数は凡そ五百。この大陸を手に入れるために魔王がどれだけ本気かがよく分かる。
多種多様な魔物が揃えられているのは圧巻の光景であり、見た目だけであればエステルドバロニアよりも迫力があった。
しかしそれは魔物と戦争する経験のない者の見方であり、慣れた者からすれば、掻き集めたようにしか見えない。
「魔王など何するものぞ! 我ら第二団が一番槍の誉れをいただく!」
「統制も取れていない相手だ! 手柄が欲しいなら正面の敵を食い荒らせばいい! 訓練より簡単だぞ!」
「第二団に遅れるなよ野郎ども! 我ら第五団! 神速エレミヤの兵に恥じぬ速さで殺せぇ!」
「エステルドバロニアのお通りだぁ! 殺されたくなきゃてめえで死ねよぉ!」
そして、ついに両軍がぶつかり合った。
エステルドバロニアがこの世界で戦争を行ったのは二度。
一度目は神都ディルアーゼル。二度目はラドル公国。
神都では軍団長たちの活躍によって蹂躙し、公国は低レベルの兵でオーソドックスに攻めた。
どちらもエステルドバロニアとしては本領発揮と言い難い展開だった。
しかし今回は違う。
投入された精鋭、二百。
徹底した強化魔術による援護に、本腰を入れたカロンの指揮。
容赦はなく加減もない。遊びもなく油断もない。
ぶつかり合う最前線。
そこで起きたのは、獣人たちによって一刀のもとに斬り伏せられる魔王軍の構図であった。
鮮血を浴びながら一歩一歩進むエステルドバロニア軍の前に屍の道が開かれていく。
鍔迫り合いの音はなく、数合打ち合った後には肉を引き裂く音と断末魔が響いた。
個々の戦法こそ決まりがなく、能力任せの野蛮さが目立つ獣人部隊だが、隊列は微塵も乱れる様子はない。
物理に高い耐性を持つ敵は、魔術部隊が王の指示に従って最適な属性の魔術で優先して殺す。
回復を主に使う敵は、弓兵が指定されたポイントを狙い寸分違わず殺す。
姿を消していようとも、探査魔術で暴いた瞬間遊撃の兵によって即座に殺す。
側面を突こうと動いても、それより早く動いていた別働隊の巨獣が容赦なく殺す。
しかし、魔王軍もただでやられていくわけではなかった。
一太刀浴びせたホブゴブリンがいたし、中位の魔術で腕を射抜いたアークデーモンもいた。
これまでと比べれば善戦しているように見えるが、それはステータスだけで判断するなら微々たるダメージにしかなっていない。
なにより、エステルドバロニアの兵は傷をどれだけ負おうとも決して怯まなかった。
目の前の敵を殺せと命じられた。それに従っているだけだ。
その為に動いていた。それが忠義であるからだ。
何をしようと、何処へいようと、王の目から逃れられる者はない。
何を知らずとも、何処か分からずとも、王の意思に逆らう者はいない。
ただの群れでは、この精強な魔物の軍隊には届かない。
かつて世界を脅かした地獄の使者たちは、その猛威を振るうことなく旧き時代の産物に成り果てようとしていた。
「これで終わる?」
遠くサルタンの宮殿で、カロンは呟いた。
「奴らが……魔王が裏で公国と繋がっていたのなら、これじゃあ弱すぎる」
魔王軍はそれなりの数だ。
ラドル公国の反乱が成功していてもいなくても、リフェリス王国を落とすには十分ではある。
その思惑が外れた以上は何かしらの対策を講じているとカロンは思っていた。
わざわざ精鋭を出したというのに、これでは以前の低レベル部隊でも勝ててしまう程度の戦いでしかない。
将を三体失ったことも知らないのか。情報の伝達が不十分なのか。ただ計画の体を成そうとしているだけか。
マップ上では滞りなく殲滅が進んでいる。
ただ、離れた地点には今だに転移の門が存在したままなのがどうしても気になった。
「カロン様、何かございましたか?」
「……ロイエンターレ、コードホルダーと連絡は取れるか?」
「暫しお待ちを。……はい、問題なく。ご命令通り、こちらに現れた門を監視しているとのことです」
「何かおかしな様子はあるか」
「……いえ、数十の魔物が出てくるだけと」
「そうか」
右手でコンソールを操作したまま、左手で顎を擦るカロンは、ロイエンターレからの返答を聞いて更に考える。
(あのレベルとランクの魔物を将軍扱いしていたってことは、本当はすごく弱いとか? あれは……あれは捨て駒だろ)
カロンから見てそれなりでも、今攻めてきている魔王軍はリフェリス基準なら絶望的な相手だ。
それなら内部工作なんて遠回しなことはせず、初めから軍を送れば済む。
サルタンもそうだ。帝国の切り札である勇者を手中に収めたのなら、有利を取るためにすぐ占領してもいいはず。
なぜそうしなかったのか。
(できないのか、やらないのか)
できないのであればそれまでだが、もしやらなかったとするならば。
(俺と同じで、隠しておきたかった?)
答えは、リフェリスの転移門から現れた。
「っ、はは!」
その存在を表すパラメータを見て、カロンは驚愕と同時に思わず笑いを零した。
頬を伝う汗をそのままに、ギリッと噛み締めた奥歯が音を立てる。
「やってくれる……!」
◆
大きな損害もなく、魔王軍の数を半分にまで減らしていたエステルドバロニアの兵たちに、防御態勢の命令が下された。
明らかな勝利を目前にしてなぜなのか。
そう思う気持ちとは別に、主命を絶対とする兵たちは即座に強固な防御系の魔術とスキルを行使し、戦闘の手を止めて身構えた。
突然攻めの手を止めて盾や結界に篭った光景に魔王軍は疑問を抱きながらも、好機とみて苛烈に攻撃しようと構える。
しかし、その遥か後方から訪れた砂塵に飲み込まれ、切り刻まれて絶命した。
まるで砲撃のような砂の嵐は全てが宝石であり、日の光を浴びて七色に輝きながら戦場を貫いて王国にまで迫った。
だが、ずっと動かずにいた王国騎士団の前へと移動していた巨獣の群れが壁となり、直進する虹の光束は生きた壁に阻まれて四散し、キラキラと輝いている。
「ぺっぺっ……なんなのこれー」
カロンの指示のおかげで大きな損害は出なかったが、直撃を食らった中央の部隊は完全に守りきれなかった者が散見され、皆一様に宝石の嵐に体を削られて出血している。
その中央部隊に混じっていたエレミヤは部下のおかげで無傷だったが、腕で口元を覆っても入ってくる砂の不快さに唾を吐きながら前を見た。
怪しく佇む地獄の門。
それをこじ開けていたのは、宝石の鱗を持つ大蛇だった。
ドラゴンのような厳しい頭を持つ大蛇は、巨人の背よりも太い胴を捩りながら強引に門を潜っている。
這い出ても這い出ても終わりはなく、エレミヤの前まで頭部を伸ばしても、まだ尾は出てきておらず転移門と繋がっていた。
虹の宝鱗を持つ地竜。
世界を包む大蛇。
ランク10。
魔獣種。
――世界蛇【ミドガルズオルム】。
吼えずとも大気が震え、動かずとも世界が揺れる。
とぐろを巻きながら高く高く、太陽を覆うほど高く首を擡げる姿は、世界の破滅を齎す災厄に相応しい神々しさと禍々しさに満ちていた。
この世界で生まれた命では抗えぬ大いなる存在は顕現した。
人など塵芥にしか見ず、魔すらも路傍の石としか思わぬ終焉の化身。
この世界に生を受けた者には決して届かぬ天上の怪物に、誰もが蛙のように死を待つしかない。
世界蛇ミドガルズオルムが捻るように体を身震いすると、体を覆っていた宝石が剥がれ落ちて地面に突き刺さった。
一枚一枚が三メートルほどある巨大な虹色の鱗。
それはミドガルズオルムから魔力を注ぎこまれ、ゴリゴリと石を擦るような音を鳴らしながら形状を変えていき、手足の生えた宝石の塊のような魔物へと進化した。
からくり人形のような、魔力で蛇の意思に合わせて動くだけの疑似生命だが、それでも命を作り出した。
落ちる巨大な鱗から生まれていく【ジュエルゴーレム】は、同じ魔王軍の魔物も潰しながら数を増やしていく。
これが神に類する存在の力、《宝命創生》。
魔力尽きるまで傀儡を生み続けるこのスキルを止めなければ、レスティア大陸はたちまち埋め尽くされるだろう。
その災厄に立ち向かえるのは、神に愛されし救世の英雄か。
もしくは――
「うへぇ」
大いなる存在を目前にしていながら、エレミヤは苦虫を噛み潰したような顔で面倒くさそうな声を発した。
「どう見ても雷通らなそうなんですけどー。あーあ、犬っころが来る前にもう一つ美味しいとこ持って行きたかったのになー」
「ちょ、ちょっとエレミヤ様。今は静かにしててくださいよ」
更に、顔半分皮を削がれた虎の獣人が慌てて立ち上がって耳打ちをする。
「なんで?」
「今狙われたらきついからですよ」
「……なんで避けてないの?」
「アンタ守るのに盾になったからじゃないですか!」
「しー、静かにしないとー」
「こっ、この人は……!」
言葉を理解できているか定かではないが、下で騒ぐ何かに気付いてミドガルズオルムは頭を向ける。
己の前で、弱き命が音を出すことを不思議そうに見つめた。
普通であれば、その邪眼に中てられるだけで絶命してもおかしくない。
なのに、声の数はどんどんと増えていき、傷ついた者も無事な者も次第に立ち上がって武器を構えていく。
「エレミヤ様って俺たちのこと勘定に入れないよな」
「グラドラ様早く来ないかな……」
「人んとこの団長に頼るなよ。お前らの団長だろ」
「回復部隊ー、仕事しろー。俺目潰れてるぞー」
「は? 唾でも付けとけば治るんじゃないです?」
「えぇぇ……」
「撤退指示はなしか」
「嬉しい話じゃねえか。負けねえって思われてるってことだろ」
声は増えていく。
絶望とは無縁な者たちが牙を剥く。
「うひ、残念だったねー。アタシたちは、エステルドバロニアは、神くらいじゃ驚かないのさ」
だって、と胸を張って宣言したエレミヤが後ろを振り向く。
身を盾にして傷ついた巨獣たちの中から進み出てゆったりと歩いてくる小さな人影。
四本の角と異形の腕を持つ少年の影は、陽炎のように揺らぎ泡のように膨張していく。
見る見るうちにその姿を山より高く聳える、牛胴四肢を持つ二腕四角の巨獣は、翡翠の体を隆起させてけたたましい歓喜の声を上げた。
それは、八竜を喰らいて神へと至った獣。
ミドガルズオルムが初めて出逢う同格の獣が、当たり前のように現れた。
終末だと、どこかで人の子が呟く。
反して、ミドガルズオルムを見上げるエレミヤが呟く。
「第二ラウンドの、はじまりだー!」




