表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エステルドバロニア  作者: 百黒
4章 港の国
62/93

12 引鉄

遅くなって申し訳ありませんでした……!





 イリシェナの存在は、無関心を選んだカロンにとっては邪魔でしかない。

 あの会談で啖呵を切っておきながら彼女と共に行動してはファザールにまた話のネタを与えかねないし、それ以前に火薬庫みたいなこの国と関わりたくないのである。


「本当に悪いと思っているんだ! 私のせいで破談になったならどんなことをしても償うから! なあ、お願いだ!」

「うるさい。静かにしてろ」


 苛立ちながら告げるとイリシェナは押し黙って縋るような目を向けてくる。勝ち気な女性の弱い姿に罪悪感が疼くも、すぐに拳の中で握り潰して再び歩き出した。

 宿屋で押し問答を繰り広げて親切な店主に迷惑をかけたくないからと、コードホルダーを連れてアテもなく街へ出たが、反応しないことに焦るイリシェナはどこまでも付いてきた。

 これだけアグレッシブな王女なら当然有名人なのだろう。黒一色の男が見目麗しい町娘を従えて歩くだけでも目立つのに、許しを求める破天荒な王女まで連れていればどうなるか予想できるものだ。

「父上になぜ交渉が決裂したか聞いたか?」

「……聞いて、ない」

「そうか。なら教えてやる。この国と手を組む必要性が我々には無いからだ。分かったら帰れ」

「そっ、そんなことないぞ? サルタンは商売の上手い国だからな。王国なんかよりよっぽど力になるはずだ!」


 王国が周辺国からどう思われているのかはよく分かったが、そこは別に問題じゃないのだ。

 ファザールにしろイリシェナにしろエステルドバロニアを上辺でしか理解していないからカロンの考えと大きく乖離している以上、魔物の王を動かす言葉は作れない。

 カロンとコードホルダーは、まだ付いてくるイリシェナを無視してただ歩く。向かう先は港の側にある大きなマーケットだ。

 商業の国というなら様々な品が集まっており、世界の技術レベルを判断する材料が多く存在すると考えた。

 偉そうなことを言っているが、カロンもこの狭い大陸の情勢をようやく掴み始めたばかりでしかない。情報の有無が明暗を分けるとアポカリスフェの頃から身を持って経験している。これは自分の目で見ておきたかった。

 結局イリシェナは途中で諦めることはなく、奇妙な三人組はそのまま港にまで辿り着いた。


(止めが入ると思っていたが……本当によく分からん)


 手を組まないと真正面から拒絶した相手だ。つまり将来敵対する可能性があると普通なら少なくともカロンはそう思う。

 しかし道中も港に入るための関所も素通りできてしまった。国防の認識が違うのだろうか。好都合だが、それがかえって落ち着かなかった。


 市場はさすがの活気だ。所狭しと並ぶ屋台から威勢のいい声が飛び交い、往来も負けじと賑わせている。

 七割がた人間だが、中には獣人や亜人も多く混じっており、ファザールが口にしていた通り他種族との融和に抵抗がないようだった。

 人間と魔物の共存。カロンが目指したカタチ。

 しかしなぜだろうか。エステルドバロニアに感じたような、共に生きていきたいという気持ちは沸き起こらない。

 神都でも薄々感じていた疎外感。たった一人の人間として暮らす魔物の国と比べれば、ゆかりのない人間の国には居心地の良さすらなかった。


「もっと早く気付いていたら……」

「マスター?」

「いや、なんでもない。先へ進もうか」


 喧騒はすぐにカロンの沈んだ気持ちを掻き消してくれた。

 買うか買わないかで揉めるドワーフとリザードマンや、店主のおばちゃんに値切り交渉をする人虎。冒険者のような装備を確認し合う人間とエルフの集団。

 屋台には丁寧に並べられた見たこともない食材。店先に飾られた高価な剣。薄暗い店の棚に置かれたおどろおどろしい色の薬品。

 興味を引くものは幾らでもある。

 それなのに、カロンは店の前で立ち止まってはさっさと移動するという奇妙な行動しかしなかった。

 イリシェナからは、人差し指を忙しなく動かしながら歩き回っているようにしかみえない。

 市場にまで来たのに、商品を手に取ることもせず右往左往するばかり。コードホルダーも無言で付き従うだけで何をするわけでもない。

 イリシェナの観察する視線を感じながらも、カロンは傍から見れば奇妙にしか映らない動きを続けた。


(何をしてるかなんて分かんないだろうな。アポカリスフェさまさまだ)


 カロンが行っているのは、コンソールウィンドウをフル活用した情報収集である。

 他者からは視認できないカロンの万能具には膨大な情報が詰め込まれているのだから使わない手はない。

 あの食べ物の名前は。武具の能力値は。アイテムの効果は。

 どこに存在するかも分からないデータベースは、収められた情報の全てをカロンに開示してくれる。


(でも、全部じゃない)


 しかしそれは、当然だがデータベースに存在する物に限られる。

 武具やアイテムの効果は分かっても、名前が判明しないものがあった。食材に関しては殆ど調べられない。

 アポカリスフェとは違う世界だからこそだろう。それでも一切ステータスの見れない武器や防具がなかったことだけは幸いだった。

 同時にすれ違う人のステータスも覗き見ていた。こちらは苦労なく確認できたので、一先ずは安心である。

 城でもマップを見ながら行っていたが、やはり同じ部屋に篭って作業するのと違ってとても捗る。


(ミラに届くような強さは流石にいないな。王国の兵士と同じくらいか。勇者候補なんてものがいるってことは、これが人間の平均的な強さで、大局を左右してきたのは勇者だったのか?)


 職業もありきたりで、特別強いわけではない。

 厳しい装備を付けているのだからそれ相応の危機と戦っているはずだ。恐らく魔物を相手にしているのだろうとは思う。

 ただ、レベルの観点からみればアポカリスフェの人間の方が遥かに強かった。コルドロン連峰を制圧するのに一切苦戦しなかった点からも、この世界の魔物自体さほど強くない可能性がある。

 詳しく聞くならイリシェナだが、それはなんだか負けた気がするのでカロンは一人で推測を続けた。


 小一時間同じことを繰り返してから、カロンは次に艦船技術を見るために移動した。

 イリシェナの姿はいつの間にか消えていた。さすがにずっと宛もなく追い続けるのは辛いものがあったのだろう。


「本当に謝りたかっただけなのか? だとしても、監視するつもりで付いて来るぐらいしても良さそうなものだが」


 ガレー船が海上で並ぶ壮観な光景だが、それよりもサルタンの動向に引っ掛かりしか覚えないカロンはコンソールを見つめながら困惑を吐露する。


「通常稼働のセンサー範囲離脱を確認。宮殿へ入ったのかと」

「そのようだな。随分と移動が速いが、何かのスキルでも使ったのかもしれん」


 カロンもマップで確認している。

 宿に戻るまでは覚悟していたが、思いのほか早く帰ったのも腑に落ちない。

 ファザールとイリシェナの言動がちぐはぐ過ぎないだろうか。

 子を為したことのないカロンには分からない感情があるとしても、ファザールがイリシェナを放置するのは違う気がする。

 イリシェナも、父に反発している素振りがあったのに今日になって中途半端に掌を返してきた。

 気にするなと自分に言い聞かせても気になって仕方がない。

 不意に視線を巡らせると、港の端に浮かぶ一隻の戦艦が見えた。


「……え?」


 木造の帆船が多い港の中でたった一隻異彩を放っている。赤と黒の塗装が施されており、商人の国にはいささか似つかわしくない好戦的な造りだ。

 宮殿に飾られていた垂れ幕には天秤と硬貨が描かれていたが、あの戦艦には全く別の紋章が掲げられている。


「ちょ、ちょっと失礼!」

「うおっ、と! なんだいあんた。ビックリするじゃねえか」


 近くを通りかかった水夫を慌てて呼び止めたカロンは、戦艦を指差して尋ねる。


「あれはどこの所属の船か知っているか!?」


 水夫は馬鹿なことを聞く奴だと不審そうな顔をしたが、肩を掴んだカロンの手の力を感じて仕方なく答えた。


「ニュエル帝国のに決まってんだろ。ほら、どいてくれ」


 カロンの手から力が抜けたのに合わせて水夫が肩を抜いて足早に去っていく。

 手を中途半端に上げたまま固まっていたカロンだったが、ゆっくり戦艦の方に向き直ってコンソールウィンドウから情報を開いた。

 コンソールウィンドウはこの世界の知識を持たない。はためく軍旗に描かれた獅子の頭を貫く剣の紋章に画面を合わせても、Unknownとだけ表記された。

 

(なんでだ?)


 その疑問は戦艦が停泊していることに対してではなく、それを隠蔽しようとしなかったサルタンへのものだった。


(あの水夫が普通に受け入れているなら、帝国籍の艦船が入港するのは珍しくないのか? 俺に帝国の脅威がどうこう言ったのだか、、ここだけは絶対に見られるわけにはいかない場所のはずだ。くそ、マップじゃどれがどこの国の人間か調べられん! 宮殿の中はまだ覗けないし……)

「マスター、何者かがこちらを狙っております」

 

 対象を選択しても名前や職業とパラメータ、スキルまで確認できる。

 だが今最も欲している国籍の情報だけはどうやっても表示されない。先も言ったように、この世界のデータがコンソールの中に収められていないからだ。

 何か方法はないかと試行錯誤をしてみるも、マップに映る点の色さえ区別できない。サルタンに宣戦布告でもすれば第三者を色分けできるが、それでは本末転倒である。


「マスター」

(あの交渉もわざと怒るように誘導された気もする。敵対が目的か? メリットなんて何もないぞ。コードホルダーの力を見ているんだから戦って勝てるとは思わないだろうし)

「マスター」

(情報の重要性は理解しているはず。詳細を知らない国を相手取って戦争するなんて危険を冒す意味がないなら慎重に動くのが普通だ。どうしてこんな短絡的に……魔物への憎しみ? しかしあの対応は……)

「失礼いたします」

「うおっ!」


 考えに没頭していたカロンを優しく押す感触。


「うごぐな!」


 何をされたのか確認するためにカロンが振り返ると、無表情のコードホルダーを掴んで首筋にナイフを当てる女、と思われる砂色の暑苦しいコート姿の人間が見えた。

 フードの下は目と口以外を包帯でぐるぐる巻きにしている。よく見れば手も足も全身が包帯で隠されていた。

 膿んだ汁と血を吸って変色した包帯のほつれた箇所からは赤黒い肉が見える。火傷の類ではなく、拷問の末に皮を剥がれたような姿だ。


「うごがないで、ぐれ゛」

 

 コードホルダーは大人しく従った。

 カロンに危害を与えようとしたこの女を始末するのは簡単だが、見るからに人攫いから逃げ出したような女だ。

 宿屋の店主が話していたことに繋がりがあるとすれば、それを気にかけていたカロンに指示を仰ぐべきだと判断した。

 カロンも初めこそ驚いていたが、すぐ膿んだ女の正体を探ろうとコンソールを操作する。

 途中で、いまさらこの国に何かする必要はないだろうと思い直したが、ステータスで表示された女の名前を見て目を見開いた。


「ぐすりが、ほじいんだ。けがをさせ゛だぐない゛。そ、だげで、い゛い゛んだ」

「待て、分かった。薬は持っている。傷に効くものだ」


 爛れたような声に敵意はなく、焦りのほうが強く感じられる。

 カロンはインベントリから取り出した小瓶を見せた。

 女はすぐに奪い取ろうとしたが、拘束していたはずの腕がコードホルダーに掴まれているせいで前に進めなかった。

 慌ててコードホルダーから離れようともがくが、小さな体とは思えない力の強さにびくともしない。


「い゛う゛っ、ぐぁ……!」


 布越しに握られた箇所から容易く血が溢れた。動くだけでも全身に耐え難い激痛が走る体では、ほんの少し触られただけでも言葉にならない痛みとなる。


「落ち着け。条件を飲むなら渡してやる」

「はぁっ、はぁっ……どんな゛?」


 自分が優位に立っていないと理解して、女は狙った相手を間違ったことを後悔しながら抵抗をやめた。

 カロンは周囲がざわついているのを見てコードホルダーに合図をする。


「了解しました。演算開始、術式構成、範囲指定、カウント、三、二……《インビジブルファランクス》起動」


 コードホルダーの頭上から半球形に広がった魔術は三人を取り込んで姿を隠す。

 兵士を呼ぼうとしていた女性も、助けに入ろうとしていた男性も、忽然と消えたことに驚いているが、三人には関係ない。

 カロンは薬を投げ渡すが、コードホルダーは拘束を解かない。

 先に渡されてしまえば、女はカロンの求めを拒否はできなくなった。

 それほどに彼女は欲しており、一度手にしたものを取り上げられる絶望に耐えられそうになかった。


「まずお前の家まで案内しろ。話はそれからだ」



 カロンが案内されたのは、朽ち果てた倉庫だった。

 長く使われていなかったようで、どこもかしこも埃が堆積している。

 包帯姿の女はコードホルダーに掴まれたまま奥へと進み、昔は管理人が住んでいたと思われる小さな部屋に案内した。

 ガラクタだらけの室内は暗い。その奥だけは整頓されていて、スノコに敷かれた汚れた布団の上に、子供が横たわっていた。

 子供と分かるのは薄いシーツのような布の膨らみ方からで、姿は確認できない。ただ、はみ出た手足には女と同じように包帯が巻かれており、上下する胸の動きは弱々しい。

 傷か、病か。どちらかにでも楽にしてやりたいと思っての行動だったのだろう。

 コードホルダーに手を離されて、女はすぐに子供へと駆け寄った。

 カロンから受け取った薬を開けて口の中へ流し込む。すると淡い光が子供の全身を包み込み、見る見るうちに傷を治していく。


「あ゛、ああ゛、よがっだ……」


 衰弱は傷からくるものだったらしく、苦しみから解放されたことで胸の動きは深く穏やかなものに変わった。

 縋りついて涙する女が落ち着くまで待って、カロンは近くにあった木箱にコードホルダーの敷いた高価な布の上から腰掛けて話しかけた。


「そろそろ、いいかな?」

「はい゛。あ゛りがとう、ございま゛ず」


 傷を傷めぬよう押さえるようにして涙を拭った女は、カロンに向かって両手をつき深く頭を下げた。


「名前は何かな?」

「……エ゛イ゛ルでず」

「ふむ。ではエイルよ、貴様と弟はどうしてそんな姿になのかね。巷で噂の人攫いの仕業か?」

「そ、う゛です」

「なるほど。命からがら逃げてきたと」


 ひれ伏したままの女のステータスを改めて確認し、カロンは「これは勝手な想像だが」と前置きして独り言のように語り始めた。


「どうやらサルタンの王ファザールは国を滅ぼしてほしいと考えているのかもしれんな」


 突然ファザールの名が出てきたことに、コードホルダーは不思議そうに首を傾げた。


「どうして会談で無礼を働いたのか。なぜ帝国との関係を捏造したのか。手のつけられない娘を側に置いたのか。監視の目を全くつけず野放しにするのか。一代でこの国を築き上げた手腕とどうしても結びつかなかったのだ」


 女の体が震えている。


「しかし、貴様の登場で全て解けたぞ。ああ、喋らなくていい。その喉では辛かろう。うむ、帝国との関係は悪いのだろうが、港に停泊していることに疑問を持たぬくらいには交流がある。とても今すぐ戦争になりそうな状況ではない。では、あの王は何を知らせたかったのか」


 女は、金持ちの身なりをしていたから襲っただけだった。

 サルタンの王と繋がりがあるとは考えもしなかった。

 この男は、全てに気付いている。

 それがこれから自分たちにどんな影響を及ぼすのかが見えなかった。


「そうだ。エイルといったな。私は薬をもうひとつ持っているのだが、どうかね」


 勢い良く頭を上げた女の顔に浮かんでいたのは歓喜じゃなかった。

 ブルブルと子犬のように震えながら手を左右に振り乱して逃げるように後ずさっていく。

 カロンは取り出した瓶を手の中で転がしながら、女の様子を冷たく見下ろした。


「なぜ逃げる? 傷が治るのだから喜ばしいことだろう? 治ったらなにか問題があるのか? 例えば……また魔物に皮を剥がれる、とかな」


 驚愕に動きが止まった瞬間を見計らって、カロンは器用に瓶の蓋を片手で外して女に向けて放り投げた。

 弧を描いて宙を舞う瓶からバラ色の液体が溢れ、避けようとする女のフードに当たった。

 パシャ、と水の音がなり、女の体が淡く光を放つ。


「そ、んな……」


 傷に張り付いていた包帯が剥がれて、女の体から滑り落ちていく。

 俯いて絶望する表情を見なくても、カロンは確信を持って彼女の名を呼んだ。


「はじめまして、エイル……いや、サルタン王女イリシェナ。会えて光栄だよ」

「……貴方は、一体何者なのですか」


 観念した女はゆっくりとフードを脱いだ。

 解けた包帯の内にある顔は、つい先程までカロンたちの後ろをうろうろしていた厄介な王女と同じ顔をしていた。

 キャラクター名には、しっかりと名前が書かれている。本来ならば決してあり得ない、同一人物の存在を表す文字。

 この女も、間違いなくイリシェナだ。


(偽物がズタボロってのはまずないだろうな。そうなると、向こうが俺にも分からない方法でイリシェナを謀っていることになる。帝国によるもの? それも考えられん。となればこれは……)


 黒い笑みがカロンの口元に浮かび上がる。


「いいだろう。本気で敵対したいというなら喜んで相手してやろうじゃないか」


 リフェリスだけでなく、このサルタンでも邪魔をしてくるようだ。

 エステルドバロニアの存在に気付いた上で引っ掻き回し、好き放題やっておきながら取るに足らぬと適当に扱われるのも我慢ならない。


「ここまで虚仮にしてくれたんだ。返礼は盛大に、泣いて喜ぶものにしよう」


 今まで見たことのないカロンの悪どい顔をデータファイルに保存しながらコードホルダーは恭しく跪く。

 これまで二度の戦をしてきたが、どちらも相応の目的があった。神都ディルアーゼルはエルフ、リフェリス王国はラドル公国と、救う側の立場をとってきたが、今回は全く違う方針となるだろう。

 それはエステルドバロニアが最も得意とし、最も好む戦いがやってくる。

 レスティア大陸に最大の戦火が訪れる。





 サルタンの宮殿イル・ナ・バーネムの玉座に、商人王ファザールが微笑みの仮面を被って台下の人物を見つめていた。

 ファザールの視線を注がれている黒と赤の鎧を身に付けた男は、厳つい顔を苛立ちに歪めている。


「それで、街の騒動の原因は判明したのか」


 裏路地を一部半壊させた謎の襲撃事件の犯人が何者なのか。

 男の問いにファザールは眉ひとつ動かさず淀みなく答えた。


「いえ、まだ見つけられていません。疑わしい人物はいましたが、犯人ではなかったようで」

「嘘だな」


 しかし、男はすっぱりと否定した。


「昨日イリシェナ王女が侍女を従えた黒ずくめの男と交戦していたという話を街で聞いた者がいるぞ。宮殿にも招いていたそうじゃないか」

「ですが、犯人ではありませんでした」

「そのような話を信じると思うのか? 帝国による者ではないとなれば」

「グレイブハウル将軍」


 ファザールの目から笑みが消えたのを見て、ニュエル帝国五烈将の一人カリウス・グレイブハウルも剣呑な空気を漂わせる。

 ニュエル帝国海軍の将であり、“砕波”の勇者でもある古参の将軍の威圧を受け流す。

 海千山千の修羅場を潜ってきたのは戦人だけではないと噛み付くように。


「商人王、こちらはいつでも貴国に対し侵攻を行う用意がある。それはご理解頂けているか」

「はい、勿論です」

「そうせずにいるのは、貴国が帝国の軍備増強を援助してきたからだ。そうでなければとうの昔に滅ぼしている。それに……」


 カリウスは、喉をつまらせたように言葉を区切ると、不本意そうに目を逸らした。

 立場があると分かっているし、あの御方は決して口にはしないが身を案じている。

 血を分けた肉親への思いも知る身では、お節介と知りながら尋ねざるを得ない。


「スコラ様も、おられる」


 今度はファザールが目を伏せた。


「この国へ亡命してもう三年になるというのに、まだお戻りになろうとして下さらんのは何故だ。ここ半年は姿も見ていない。一体あの方はどうされたのか、それも隠し通すのか」

「彼女の意思です。あくまでも帝国からの賓客である以上、我々が意見を申すことはできません。そもそもがそちらの問題ではありませんか。出来うることなら内々で解決していただきたい」

「それを阻んでいるのではないか。こちらがどれだけ文や言伝、通信魔術で呼びかけても一切反応を示してもらえん。貴様らが何かしらで妨害し、対帝国の人質として幽閉している可能性も考えられるぞ」

「答えは変わりませんよ。誓約は陛下直々に下したもの。我々が一切関与せず関係も持たないことを望んだのに、連絡がとれないから反故にして連れ帰ろうと?」


 サルタンが抱える爆弾であり、帝国への切り札。

 突然この国へ訪れて我が物顔で暮らし始めた破天荒な第一王女。

 穏やかなのに全く意思を曲げない姿が若き日の皇帝によく似ている、青紫の髪をした姫君。

 長くファザールの悩みの種となっているが、歳の離れた可愛い妹に悪い虫がつかぬようにと、脅迫まがいのルールを押し付けられたせいでサルタンも手出しが出来ないのだった。

 人に愛される魅力に溢れ、誰であろうと親しくなってしまう姿は、祖先を地獄に落とした者たちの末裔を憎む人間には猛毒であり、外出をすべて禁止なども確かにしてきた。

 新しい方法での嫌がらせなのかと本気で思うほど、事情も言わずに亡命を続ける彼女を、むしろ強引に引き取ってもらいたかった。

 本当は、今もそうしているはずだった。


「……申し訳ありませんが」


 ファザールが何かを隠していることはカリウスも感じ取っている。それが王妹殿下に関わることだと。

 しかし何も確証が得られない。城の人間から隠し事の気配は感じられず、この男だけが何かを匂わせてくる。

 本来ならばもう数日滞在して探りたかったが、すでに期日の五日を過ぎてしまった。これ以上留まることはできない。

 そして、これが最後通牒となる。


「魔王軍への攻勢作戦に協力するつもりはないのだな?」

「はい」

「……その前にスコラ様を返してもらいたかったが仕方ない。陛下からは「従わぬば諸共に」と仰せつかっている。決行は三日後の明朝。どういう意味か分かるな?」

「精一杯の抵抗をさせていただきます」


 さしたる戦力を持たないサルタンでは勝負にもならないだろう。歴史の繰り返しとなるのはファザールでも理解できている。

 しかし、帝国に屈するくらいなら死ぬ方を選ぶのがサルタンだ。

 カリウスはファザールの決意を見て、寂しげに目を細める。

 カリウスはこの国が嫌いじゃなかった。戦いではなく、商売でのし上がったことも認めていた。

 しかしそれは勝者の言い分でしかない。世代を重ねても屈辱は消えないのだ。


「残念だ」


 それは紛れもない本心からの言葉だった。

 背を向けて去っていく後ろ姿を見ながら、ファザールは血が滲むほど強く拳を握り締める。

 完全に姿が見えなくなったのを確認してからゆっくり立ち上がると、壁際へ移動して垂れ幕の裏に隠されたスイッチを操作した。

 静まり返る広間に石の擦れる音が響く。

 現れた階段を下へと降れば、そこには祭壇があった。

 赤い魔力光の灯る魔術式の中央には、青紫の髪をした女が、薄い布だけを体にかけて眠るように横たえられていた。

 浅く呼吸を繰り返しているが、彼女に左腕はなく、その傷口からは常に血が流れて魔術に供給されていた。

 痛ましい姿に、ファザールはそばに膝をついて優しく頬を撫でることしかできない。


「すまない……」


 全て自分が招いたことだ。妻の死も、娘たちの失踪も、彼女の犠牲も。

 本当はエステルドバロニアの王に向かって偉そうなことを言える立場ではない。

 むしろ羨ましいと思うほど恵まれ、叫びたくなるほど欲しい物を持っていた。

 だからこそ、彼でなければいけない。彼だけが一縷の望みだ。


「君は、笑うのかな」


 もう家族を失った今、支えになっているのが忌み嫌っていた相手なんて無様だと。


「もう帝国との話は済んだのか」


 暗闇の向こうから、岩を転がすような声が聞こえた。

 ファザールが立ち上がり、また仮面を被る。

 地響きを鳴らしてゆっくりと迫る巨影が魔術の赤い光で徐々に照らされていく。

 六本の腕に六つの目。獅子の脚に蜥蜴の尾。

 そして両脇に、萎んだ娘二人を従えて。


「グウェンタ様」


 ゆっくりと平伏するプライドの欠片もない王の姿を、魔王軍の将、【キマイラ】のグウェンタは勝利を確信して嗤った。


「これで帝国は何もできずに滅ぶであろう! 王国もいずれ落ちる! なにやら邪魔者がうろついているが、もう我ら魔神将を止められる者はいない!」


 深く入り込んだ魔の手は知らぬ間に手の施しようがないほど食い込んでいる。

 その企みを打ち砕けるのは、純然たる力だけだ。

 弱肉強食の理の上に立つ者の到来をファザールは待つ。

 その果てにすべてが滅びるのならば、喜んで裁かれようと。


 












 

 

エステルドバロニア好評発売中です。

ぜひお買い求めください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 待ってました [気になる点] はよう(ノシ 'ω')ノシ バンバン はよう(ノシ 'ω')ノシ バンバン
[一言] 戦じゃ戦じゃ!蹂躙じゃ〜!
[良い点] 予想を大幅に裏切られてワクワクします(((o(*゜▽゜*)o)))♡ [気になる点] ポーションをかける際に瓶を投げる必要はない気がします
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ