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エステルドバロニア  作者: 百黒
4章 港の国
61/93

11 交渉



「まずサルタンの現状についてお話しいたします」


 目の前に並べられた料理に手を付けないうちにファザールは口を開いた。


「今、サルタンには幾つかの手が伸びています。一つは帝国、もう一つは魔王からです」


 魔王軍は各地へと侵攻しており、帝国とは既に幾度も交戦して戦線を広げているらしい。

 かつての戦争で大敗した経験から対魔兵器を作り続けてきたことで互角の戦いとなっているが、どちらも決定打に欠けている状況。そこで両国が目をつけたのがサルタンだった。

 商業国家と仰々しく名乗っているが所詮は小国。せめぎ合うイーラ大陸で趨勢を決めるには、側面を突く拠点となるこの土地を奪うのが最も効果的だ。

 サルタンは対抗できる軍事力を有しておらず、逃げようにもコルドロン連峰がレスティア大陸の中心へ向かうのを阻んでいる。

 帝国は協力という名の従属を求め、魔王軍ははっきりと侵略を宣言してきた。


「立ち向かったとしても敗北は必至。一度ならず二度までも国を辱められようとしている。そんな時、貴方の情報が齎されました」

「私が表舞台に姿を見せたのは王国へ往訪してからだ。つまり情報は王国の、我々エステルドバロニアに仇なす者から得ていることになる」

「そのとおりです。魔王軍幹部と手を組んでいる者たちから届けられた報です」


 カロンの脳裏に山賊たちの姿が浮かぶ。只者じゃないと思っていたが、国王と関係があるとは思わなかった。冷静に考えてみればこの閉鎖された土地であれほどの強者を国が野放しにしているのがそもそもおかしい。今でこそ子飼いではないが、何かしらの因縁は持ち合わせているようである。


「にわかには信じられませんでしたが、そちらの従者の方の力を見て確信しました。いかに帝国であろうとも、彼女ほど強力で精巧な機械人形を造る技術は持ち合わせていません」

「そうか」

「だからこそ、お願いしたい」


 そう言ってファザールは正座に座り直すと勢いよく頭を下げた。


「お父様!?何をなさっているのですか!」

「父さま!あ、頭を上げてください!」


 膝前に置かれた大きな盃に前髪が僅かに触れるほど深く頭を下げて、両肩を娘と息子に掴まれながらファザールは恥も見聞もなく叫んだ。


「どうか、サルタンを救っていただきたい! これしか、我々に残された道はないのです!」


 料理を運び込んでいた侍女たちも足を止めていた。自分たちの王が見ず知らずの人間に国の命運を預けようとしている姿は、頼りない王にしか映らない。それでもファザールは国のために形振り構わず縋りつこうとしている。

 平民から成り上がり、この難民の集まる街を国と呼べるものにまで成長させた商人王。民に寄り添う王だからこそできるのだ。

 後世に美談として語り継がれるのであれば、カロンはその想いに応える必要がある。弱き者を守るため魔物と手を取り合う、そんな物語。

 時が止まったように、皆が息を飲んでじっと息を潜めた。イリシェナも父の声を聞いて言葉を飲み込んだ。

 帝国の手は少しづつサルタンに迫っているのをイリシェナは誰よりもよく理解している。母を目の前で失ったあの日、機械の黒鎧の騎士が放った言葉は忘れもしない。だからこそ、カロンへの疑惑よりも父の熱い思いを前に何も言えなくなった。


 そんな、サルタンの懇願を、



「断る」



 カロンははっきりと拒絶した。

 ファザールは頭を下げたまま硬直し、ラシェラは父の肩を抱いたまま瞳を見開いてカロンを見つめている。

 止まった時がそのまま凍りつく。

 冷たい魔物のような男にでも見えているのだろうか。冷酷無比で心のない魔物とでも思われているのだろうか。

 それでも関係はない。今カロンが感じているのは、ファザールへの不信感だった。


「おまえ……!!」


 イリシェナの怒りを前に揺るがない。掴みかかろうと動いた彼女を牽制するように、コードホルダーの腕がもたげた。


「それが、サルタン王女の振る舞いか」

「うるさい! おまえなんかに言われる筋合いはない!」

「そうか。ならばそれがサルタンのやり口か? 疑わしきは斬り、従わぬは斬る国だと王女自らが示していると、そう受け取ってもいいのだな?」


 親譲りの綺麗な顔を鬼のように歪めるイリシェナだが、なぜそんなに怒られるのかカロンは理解できない。

 どれもこれもこの女が原因だ。突然悪人呼ばわりしたことが全ての発端で、大切な配下に傷を負わせてまともに謝罪もせず、立場も忘れて騒いでばかり。こんな問題児をこの場に連れてきたファザールだって悪いだろう。

 だからこそ、この“商人王”が何を考えているのかが全く読めなかった。カロンでも分かることをこの美男子が分からないはずがない。

 何も言わないのならそれで構わない。これ以上迷惑をかけないでくれれば、迎えが来次第早々に引き上げるだけなのだから。


「イリシェナ、ラシェラ。それに皆も、部屋を出てくれないか」


 ようやく口を開いたファザールの言葉は、カロンたちと一人で相対したいというものだった。

 当然受け入れられるはずがない。相手は凶悪な力を振るう機械人形とその主。もし何かあったとき、戦う力を持たないファザールだけでは何もできず殺される恐れがある。

 両の肩を掴んでいた二人の手は引き上げる力からしがみつく力に変わったが、ファザールは頭を下げたまま、今度は強く言い放つ。


「部屋を出てくれ。これは命令だ」


 命令と言われてしまえば従うしかない。強く抵抗を示すこともできる。イリシェナのように顔を左右に振って袖にしがみつくことも。だがこれ以上ファザールの威を貶める真似はできない。するわけにはいかない。

 相手が強力だからこそ、毅然とした国の有り様を示さなければならないのだと、給仕の女たちは姉の手をそっと握って外へ連れ出すラシェラを追って部屋を後にした。

 残されたのはカロンとコードホルダー、ファザールと暖かな料理たちだけ。

 鮮やかな黄と緑の民族衣装にベージュのターバンを巻いたサルタンの商人王は、ゆっくり頭を上げると今までのやり取りなんてなかったかのような暖かい笑みを浮かべた。


「王とは、なかなか難しいものですね。いつまで経っても上手く演じられそうにありません。そうは思いませんか?」


 見透すような瞳がカロンを射抜く。


「私には関係のない話だ。貴様の娘の悪行も、偽りの美談作りも。手を借りたいと言いながら虚仮にするのは我々への宣戦布告のつもりか?」

「こちらの事情に巻き込んだことは本当に申し訳なく思います。ですがこうでもしないと周囲から人が離れてくれないもので」


 それはイリシェナのことも含まれているのだろう。あのお涙頂戴も何かしらの意味があるのだろうが、わざわざ賓客の印象を悪くする芝居を打ったのは全くもって理解できない。

 というか、あんな勝手な行動ばかりしていてイリシェナの立場は大丈夫なのだろうか。カロンが考える必要のないことだが、少し気になった。


「とにかく、これでようやく貴方と正直に語り合えそうですね」

「商人の言葉はいつの時代も怪しいと相場が決まっている」

「そんなことはありませんよ? 我々は嘘を吐きません。開示する情報を選択しているだけです」

「解釈の広い文言で都合よく事を運ぶも加えておけ」

「手厳しいですね。ですが、どうやら商売を下賤と思ってはおられないようだ。貴方となら仲良くなれると確信しましたよ」

「これだけのことをしておいて何を――」

「貴方は、王の責務を深く理解していらっしゃらないのではありませんか?」


 息を呑みそうになるのを、堪えた。


「……」

「私は目に自信があります。これでただの平民から玉座まで登ってきたと言い切れるくらい信を置いている目が教えてくれるんです。貴方が――王の威で自らを飾っただけの人間だと」


 激昂してもいい場面だが、カロンは声を出せなかった。

 自分がずっと直面していた問題を真っ直ぐ口にされてしまい、今も胸に漂う迷いが膨らんでいく。


 

「これ以上我が王への侮辱は許容できかねます。どうかオーダーを」

「いや、待て」


 キリキリと駆動音をたてて身構えるコードホルダーを思わず止めてしまう。それすらファザールに読まれている気さえして気味が悪いが、どうしても気になってしまった。


「何を、理解していないと?」

「そうですね……勝手な想像ですが、冷徹な判断を下す基準が曖昧ではありませんか? 本来であれば、貴方はイリシェナを許すべきじゃなかったんです。無実の罪を作り上げて襲いかかったのですから、私がカロン王だと知っていたことも絡めてしまえばいくらでも要求できた」

「ただの慈悲に随分と食いつく」

「そうかもしれませんね。ですがイリシェナは王族です。国主として振る舞うなら最低でも金銭を要求する方が正しい。相応の償いをさせるのが対等以上の付き合いというものですよ。初めて邂逅したのなら尚更」

「……この国に興味がなかっただけだ」

「そう言われてしまうとそうですね、適当にあしらうのも納得はいきます。ではどうでしょう。王国が使い物にならないとなれば我々を使いたくはなりませんか? あの国よりも遥かに役立ちますよ?」

「不穏分子を排すればいい」

「これも勝手な想像ですが、王国が立ち行かなくなるだけの数が貴方の敵になっているでしょう。あれはそういう思想の国です。外に対して深く関わろうとしないが内側にだけは絶対に受け入れようとしないはず。だからラドル公国がいつまでも残っていたのですから」


 どこまで見通しているのか。少ない情報を駆使して真実へ踏み込める知能が美貌や美声以上の武器であり、それこそがファザールの目なのだ。


「街の様子をご覧になったのであればご存知でしょう。この国は獣人や亜人も暮らしていて異種族には寛容です。人との共存も、難しくはありません」


 褐色の美男子は甘く囁く。それが正解の道だと、親しげで優しく、愛おしいとさえ思わせる声がカロンの中へと染みていく。もし手を取り合えば誰よりも理解し合える相手なのかもしれない。


「どうですか。私と手を組んではいただけませんか?」


 伸ばされた手を見て、カロンは瞼を閉じた。

 受け入れるか、断るか、どちらを選んでも目の前の本物には読まれている気がする。

 どこまでいってもカロンは凡人だ。今までの人生がそれを物語っている。エステルドバロニアの王に相応しいだけの才覚は備わっていない。


「これだけ教えてくれ」


 瞑目したまま呟いた。


「なんでしょうか?」

「なぜ彼女を同席させた。私への態度が苛烈なことくらい分かっていただろう」


 そうカロンが問うと、ファザールは僅かに悲しげな顔を作り、視線を逸らした。


「以前は賢い子でした。直情的な自分を上手く抑えてサルタンの王女に相応しい姿であろうとしていた。ですが、それでは何も救えないと感じてしまったのでしょう。立ち向かう強さが大切なものを救うのだと、そう思い込んでいるようです」


 少々意味を履き違えていますが、とファザールは付け足した。


「このような場であれば相応に振る舞うことも必要だと思ったのですが、なかなかどうして」

「あのような姿を見て冷静でいられるはずがなかろう」

「仰るとおりです」


 どこまで本気なのか掴めないが、これだけは本心から口にしている親心だと思いたかった。

 改めて伸ばされた手を、カロンは片目で見つめてから短く息を吐き出して自分も傷ひとつない手を伸ばし、


 パンッ、と軽く払った。


「貴様は我らエステルドバロニアを随分と甘く見ているようだ。その認識を糺すために幾つか大切なことを教えてやろう」


 今度こそ嘘偽りなく硬直しているであろうファザールに、魔物の王らしい顔を作って告げた。


「一つ。気を使わなければ我が軍はいつでもこの地を踏める」


 一つ指を立てる。


「二つ。話を持ちかけるにはひと足遅かったな。私は、進むべき道を既に選んでいる」


 更に一つ。


「そして三つ」


 三本の指を立てながら、一泡吹かせられると確信している事実を告げた。


「コルドロン連峰は、我々が手中に収めた」


 途端に、ファザールの顔色が変わった。

 長く前人未踏であり、大陸を二分する山脈は人の住める土地ではない。環境に適応した魔物たちが弱肉強食の理を敷き、人如きでは決して扱えぬ場所だ。

 誰の手にも落ちることはなく、あの山があるからこそサルタンは帝国に備え続けられた。その前提が崩れているなど誰が予想できるというのか。

 驚愕に目を見開いたファザールをそのままに、カロンは素早く立ち上がると踵を返して何も言わぬまま広い部屋を後にした。


 すれ違う民族衣装の役人たちから奇異の視線を向けられるのも無視して颯爽と宮殿を立ち去り、ただ前だけを見つめたまま宿へとひたすらに歩いていく。


「お見事でした」


 コードホルダーの言葉にカロンは答えない。


「恐らくあの男は本気で我々に媚びを売りたいのでしょう。帝国と魔王で板挟みにあっていて、どちらもこの国に利となりませんから。しかしそれでも商人根性なのか、自国の利益をまだ求めようとしていました。カロン様が断ったことで向こうはいよいよ後がなくなり、偉大なる王に全てを捧げるか死を選ぶか迫られることとなります」


 朗々と語るコードホルダーは記憶領域をフル回転させながら二人のやり取りを何度も再生させていた。

 明確な侵略者であるニュエル帝国と魔王軍では存続も危ぶまれるサルタンにとって、敵でも味方でもない強力な国の存在は一縷の望みだったことだろう。王国との面倒事も知っているとなれば、周囲と協力体制の整っていないエステルドバロニアに上手く取り入ってある程度重要視される位置に潜り込めればそれだけで長生きできる。

 だが、それをカロン様が容易く許すはずがないのだ。

 王国の現状は全て計算された上でのこと。多少イレギュラーがあったが方針は変わらず、このまま行けばリフェリス王国は形だけを残した傀儡に成り果てる未来しか残されていない。

 共存すると宣言されていたが、何もかもを慈悲によって許すことが共に歩む道ではない。本来共存というのは互いに利がなければならず、なによりも強者を害するのは寄生と言い変わる。

 王国は今、共存するに相応しい姿へと変えているのだ。自浄できない不甲斐なさを慈悲によって我らの手で成しているに過ぎない。

 いや、そもそもどの国もエステルドバロニアにとっては重要ではないのだ。今まで全て自国で完結していたのだから、カロン様の温情によって生きていられているだけなのだから。

 全てを滅ぼしかつての栄光を取り戻すなど容易いことだが、王はこの世界を尊重すると決めて過酷な道をお選びになっている。


 つまるところ、人間は至上の王の慈愛を賛美するために存在するのではないだろうか?


「いいか、コードホルダー」


 カロン様至上主義の極致へ到達しかけた彼女だったが、すぐに凛々しい声で意識をデータの海から現実へと引き戻した。


「はい」

「あの男の申し出を断ったのは……様々な推測も理由にはあったがそれだけではない」


 コートを翻し、カロンはじっと鮮やかな虹彩の宿る機械の瞳をまっすぐに見つめた。


「私は、大切なものを傷つけられた。それをただ許すつもりなどないのだよ」


 そう。カロンは別にイリシェナを許したわけではなかった。彼女をどうこうしたところで満たされる何かがあるわけじゃないし、それでコードホルダーが怪我を負ったことと釣り合いがとれるとも思わない。

 今回のことでようやく目が覚めた。いや、この世界に来る前から知っていたはずなのだ。

 愛と平和を謳うだけの対話に意味はなく、力を翳して初めて意味が生まれる。国の認識を履き違えていた結果がこれだ。全て自分の撒いた種だ。


「すまなかったな。無用な傷を負わせてしまった」

「……はっ! いえ、そのようなことはございません。私は王に仕える人形であり、この身全てが御方のもの。玩具のように愛でるも、塵のように粗雑に扱うも、全て御身の御心のままでございます」

「そうか。実に頼もしいな」


 ギュウウウン、と激しい駆動音とともに彼女の顔が赤くなっていく。荒ぶるハードディスクのようなガリガリという荒ぶった音がどこかから奏でられているのが心配になったが、カロンは再び歩きだすとそのままチャットウィンドウを開き、指を動かさず思考で文字を入力した。


 ――カロン国王陛下:ルシュカ、状況はどうなっている?


 すぐさま返答がくる。


 ――第16団団長:万事抜かりなく。現在王国の謀反者を全て洗い出している最中です。

 ――国王陛下:そうか。私たちを襲った相手から何か情報は得られたか?

 ――第16団団長:どうやら魔王を名乗る不届き者の手下も紛れ込んでいるようで、そちらも捜索しています。しかし今王国にいる者たちでは難しいかと思われますが、いかが致しますか?

 ――国王陛下:いかが?

 ――第16団団長:あの人間の女はただの手駒でしかありませんので、愛しの王を害したのであれば下手人に相応の償いをさせなければ収まりがつきません。我々から王を奪うヤツなんてぶちこ……んん、とにかく報復すべきと進言いたします。

 ――国王陛下:なるほど。だが蜥蜴の尻尾切りで済ませるのは割に合わん。こそこそ嗅ぎ回っている魔物は当分そのままにしておけ。どうせ何もできん。

 ――第16団団長:……では、北へ兵を差し向けて構わないのですね?

 ――国王陛下:ただし動向を探るまでだ。そのためなら()()()()()()()()()。いいな?

 ――第16団団長:委細承知いたしました。それと最後にご相談があるのですが。


 往来の中心でカロンは足を止めた。


 ――国王陛下:なんだ?

 ――第16団団長:第8団をサルタン近海へ配備してもよろしいでしょうか?


 第8団。バロニアの十七柱で唯一海に特化した軍団であり、多くの海獣や魚人で構成されている。海に沿うこの地であればこれ以上ない戦力だ。却下する理由もないので了承すると返信は止まり、話は終わったようだとウィンドウを閉じようとする寸前に文字が浮かんだ。


 ――第16団団長︰よくご決断くださいました。


 それを読んだカロンは、不意に熱くなった目頭を強く拭って足早に宿へと向かうのだった。



 そして翌朝。

 カロンの目覚めは今までで一番良かった。今まで抱えていたモヤモヤした思いが晴れたからだろうか。いい人ぶることをやめたのが随分と負担を軽くしてくれたらしい。

 窓際を見ると、コードホルダーが直立で待機していた。夜通し警護してくれていたのか、朝日を浴びて夜明け色の髪を煌めかせて無機質な美貌を窓の外へ向けている。


「マスター、お目覚めですか」

「ああ……」

「水を汲んできていますので、お使いください」


 右手に清潔なタオルを持ったまま、左で差し出された大きな桶にはなみなみと水が張られている。カロンはベッドの縁に移動して顔を流し、タオルで顔を拭いてから立ち上がった。

 コンソールの時計では07:00の表示。こんな健康的な目覚めは本当に久しぶりだ。

 とりあえず朝食をどうしようかと思っていると、コードホルダーが突然掌を入り口のドアに翳した。


「どうした?」


 問いに返答はなく、代わりにノックの音がする。女の声だった。


「あの、朝早くに申し訳ありません。下にお客様にお会いしたいと仰る方がお見えになっていまして……」


 ステータスを確認すると、店主の妻らしい。コードホルダーに手を下げるように指示をして念の為誰なのかをマップで確認するカロン。


「んん?」


 と、奇妙な声が出た。

 カロンは身支度を整えている間も不思議そうに首を傾げており、部屋を出て階段を降りるさらに表情を顰めた。

 カウンターの側に置かれた椅子の上で小さくちょこんと座っていたのは、褐色の肌に映える鮮やかな黄と緑の衣装姿の女。

 昨日あれだけのことをしたのにどうしてまたここにいるのか。訳がわからず混乱するカロンを彼女は見つけて駆け寄ってきた。

 階段の上から見下されて萎縮する彼女――イリシェナにカロンは冷たく問いかける。


「なんの用だ。話はもう」


 言い終えるよりも早く、イリシェナは深々と頭を下げて叫んだ。


「昨日は悪かった! 簡単に許してくれるとは思ってない! けど何か償わせてくれ!」


 昨日と打って変わっての態度にカロンは唖然とした、わけではない。

 王国への訪問からずっと考えていた王に相応しい姿の答えを自分なりに出したつもりだった。今までの弱気な態度では誰かを傷つけてしまうのだと悟ったからこそ、エステルドバロニアの偉大な王として君臨する決意を固めた。

 そんなにわか知識の王様でも分かることがある。


「なんなんだお前は……」


 王族が民衆の目がある場所で暴れたり、大きな声で謝罪したりするのは良くないということだ。

 イリシェナの独断なのか、ファザールの策略なのか。せっかく収まっていた胃の痛みがぶり返し、カロンはゆっくりと部屋へ引き返すのだった。









 

 

 

 


 

第二巻の発売が決定いたしました!

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― 新着の感想 ―
[一言] イリシュナの精神攻撃だ!
[良い点] おもろい [気になる点] 流石に主人公ブレブレ過ぎんか?
[一言] 第二巻発売おめでとうございます。
感想一覧
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