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エステルドバロニア  作者: 百黒
1章 魔物の国
6/93

6 動き出す王


 エステルドバロニアの居城。三本の天を衝く巨大な白銀の塔とその台座を人々は“城”または“王城”もしくは“バロニア城”もとい“白銀城”等々と好き放題に呼んでいる。

 呼び方はほとんど決まっていないので統一感がない。王都の名前に至っては存在すらしていない。地方にも名前がなく、よくそれで国としての体裁を保てていたなと感心する。


「やっぱ、国のような何かをそれっぽい国にしないといけないかな」


 目覚めてから一夜を共にした私室のソファの上でだらしなく膝を組んでずり落ちた姿勢のまま、カロンはメニュー画面のマップを見ながら思案する。

 ルシュカと会話していると、地理の話が適当すぎてお互いがどこを指して話しているのかうまく噛み合わないことが幾度かあったのが原因だ。

 居住区といっても亜人の区画や獣人区画、巨人や異形などで纏められており、そこから種族同士の仲の良し悪しで振り分けている。

 猫と犬の獣人同士は仲が悪く、犬と猿の獣人も仲が悪い。亜人もゴブリンとエルフでは別物だし、似た者同士のエルフとダークエルフでも険悪。

 これらを上手く分けて衝突しないよう配慮しながら街に配置しなければならない。

 その時の種族間の相関図を作るのに酷く時間を費やして、その間配置できずにいた魔物は全て城の外に放置していたのは今となってはいい思い出となっている。


 それは置いておいて、分かりやすくエルフの区画と言ってくれれば分かるものを、そういった概念がないのか、城から南東の位置にある場所の右上なんてえらく遠回しな説明をされるとカロンが分からない。


「そうなると地図がいるのか。てか、地図すらないのか……」


 発展しているのはカロンの手掛けた物だけで、それ以外は原始人レベル。地図もないのにあっちへこっちへ行けるのは、魔物らしい察知能力か何かのおかげなのだろう。基本的に人間より動物寄りに考える。

 この国の──と言っても今は城と周辺だけだが──マップを正確に理解しているのはウィンドウで見れるカロンしかいない。

 まともに会議をするには早々に仕上げて名前を付けないといけないようだ。誰よりも自分のために。

 ふと相関図の苦労が蘇ったが、そこまで酷いことにはならない、と思う。

 少々嫌な予感はしたが、開いていた城を見渡す【ヘクスマップ】を閉じて【全体マップ】へと切り替える。



 それとは別の問題もある。根本的な疑問が。


 この世界は、いったいどこなのか。

 この国は、いったい何なのか。

 ゲームシステムは全て使用できるのか。


 訳の分からない世界に突然飛ばされたと思っているが、もしかするとアポカリスフェ内の拠点の位置が変わっただけで、まだゲームの中なんじゃないかという疑問がまだカロンの中には存在している。

 しかしそれが事実だとしたらNPCがらしからぬ言動をすることと痛覚への説明が付かない。


 ゲームと違う世界なのではと考えると、コンソールウィンドウを開いてマップを開いたり、インベントリを開いてアイテムを取り出すと目の前にきちんと現れることに説明が付かない。

 それ以外にも、城外の制圧が完了した土地に見張りの灯台を建設するようコンソールウィンドウから指示を出すと、ぞろぞろと仮設住居を建設中だったギガスが集まって灯台をさっさと建て、また元の作業へ帰っていった。原理は知らない。


 結果、ゲームの基本的な操作は可能で、システムやコミュニケーションは不可能という所までは分かった。

 では、アポカリスフェの目玉とも呼べるモンスター召喚。それとプレイヤーを束縛していた王都以外移動禁止。この二点はどうだろう。

 どちらもまだ試していないので判断できず、この二つに何らかの変化が起きたとすれば今考えている疑問も確信に変わる。


 異世界に、エステルドバロニアの王都が転移した可能性を、確信へと変えられる。


 目の前に浮かび上がるオレンジ色の文字、コンソールウィンドウも見方を変えれば魔法ともとれる。

 魔法という言葉を使ってしまえばそれだけで何もかもが丸く収まる気がしないでもない。

 だからといってモンスター一覧に記される忠誠度が当てになるかといえば別問題だ。

 もし機能していても忠誠度は王に対してのものであり、カロン個人には適用されないと考えている。

 仕事はできるがウザい上司の鬱陶しさは社会経験で否が応でも理解させられたので、王としては有能でも性格が受け入れられなければ排除される恐れがある。

 アメリカのように訴訟を起こすような生易しさが魔物にあるとは到底思えない。確実に首を獲られる。

 それを避けるためにも、でかい態度で、それでいて心配りができる素敵な上司を演じ続ける必要がある。

 「堅苦し過ぎる」と散々注意されていた29歳ができるかどうかは疑問ではあるが。


 また話が逸れたので戻そう。とにかく疑心暗鬼を続けるのは愚策なので、仮定でもいいから落とし所がほしい。そのためのモンスター召喚と城外への移動。

 モンスター召喚は場所を選ばなければ今すぐにでも実行できる。

 王都内を好きにワープできる転移機能が公式で設定されているので、城の地下3階を丸々使用した召喚儀式専用の部屋に飛べば誰にも知られずに実験可能だ。


 だが、そこでやるのは得策ではない。

 システム上その召喚部屋に入れるのはプレイヤーだけで、召喚したモンスターはプレイヤーと契約し、名前を与えられると自動的に軍部のモンスター一時保管施設へと送られる。

 もし不測の事態が起きた時に誰も助けに来られなくて詰んだり、転移で逃げるとモンスターが部屋に置き去りになるので二度と部屋が使えなくなるのは困る。

 通常モンスターはどこでも召喚できるが、課金のレアモンスターの召喚だけは部屋を使わないといけなかった。


 どこか都合の良い場所はないだろうかとマップを凝視して探す。

 緑の点がうじゃうじゃとマップの中を動いているが、それは全て魔物を表している。

 どこに誰が居るのかをすぐ調べられる便利機能で、今カロンにとって都合の良い、魔物の居ない場所を探すのにも役立っている。


「お。裏か」


 目を付けたのは、正門とは正反対の位置にある北門。マップの点が極端に少なく、外を守る守備兵二人しか確認できない。

 エステルドバロニアの外へ通じる門は四方にあり、今はどうか分からないが、以前は東西南北に正確に向いていた。

 城は南を正面にしており、王都の中央に陣取っている。その周囲を軍の施設が固めていて、更にその周囲が城下街となっている。

 城へ赴くには必ずバロニア軍の検問を受ける仕組みで、不審者の侵入はほぼ不可能だ。その逆で、検閲を受けずに外に出ることもできない。

 当然転移で北門の前まで飛べばいいだけなので問題ないが、門を守る守備兵が邪魔になる。自分で配置しておいて言うことじゃないのだが。



 どうにか外に出たい。一粒で二度おいしくなる。でもルシュカ以外の魔物には会いたくない。恐ろしい。

 ぐぬぬと口を歪めて何か得策は無いだろうかと必死に足りない頭の中を漁ってみるも、そんな都合のいい策が出てくるわけがない。


「失礼します。カロン様、そろそろお食事を用意しようかと思うのですが、何か苦手なものとか……どうか、されましたか?」


 ノックの音に気付かなかったのか、扉を開けて芯の通った直立でルシュカが、ソファの上で腕組みをして唸っているカロンを見つけて首を傾げる。

 渡りに船とはこのことか。都合のいい策はないが、都合よく現れた彼女がいる。


「ルシュカ」

「はい」

「外に行きたいので、同行をしてくれ」

「承知しました」


 勢いで口にした言葉に、彼女はなんの疑問も抱かず二つ返事で了承した。

 これが王の立場なんだろうか。演じておきながら周囲の反応に一々引っかかるのは、まだ役になりきれていないんだろうと微妙な気持ちになった。






 エステルドバロニアの城下街は徐々にかつての喧騒を取り戻し始めている。

 まだ交易が復活していないのでどの店も軒並み閉店しているが、その代わりに大道芸が普段以上に街を騒ぎ立てていた。

 剣劇を披露する首なし騎士や、変わったものでいえば商売の代わりに腕相撲大会を開催する牛頭鬼なんて者もいる。

 皆思い思いに鬱蒼とした気持ちを吹き飛ばそうとしており、人から人へ笑顔を運んでいた。

 無敗の王国が苦難に挫折なんかしないのだと、ただ恵まれていることを享受できない者たちが、有志の者が愉快に振る舞い行進する姿を見て、頑張ろうと国の元気が灯り続けていた。


 様々な顔ぶれと姿形の魔物たちが大声を張り上げて囃し立てる中、人ごみに逆らって進む二人がいる。

 一人は凛とした足取りで、ビスクドールのような端正な顔を真っ直ぐ正面に向けて歩く女性、ルシュカ。

 もう一人は、黒い大きなマントを頭からすっぽりと被って周囲に目を配りながら歩く怪しい風体のカロン。

 王の側近であるルシュカが出歩く姿も人目を引いているが、それ以上に黒い物体がルシュカの隣を、寄り添うように歩いている奇妙な生き物が民は気になるらしく、不躾と分かっていても視線を向けてしまう。


「カロン様、お姿を隠される必要はあるのですか?」


 ルシュカが隣を歩く男に声をかける。

 自身より少し背の低い男は一瞬だけ肩を震わせたが、すぐに平静を取り繕ってルシュカを睨んだ。


「その名で呼ぶな」


 周囲から奇妙な物体を見る視線を浴びせかけられながら、この国の王は誤魔化すために矢継ぎ早に言葉を重ねた。


「国はまだ混迷を極めている。国庫を開放したことで落ち着いているがいつ底をつくとも限らん。それに……そう、まだ私が姿を見せるときではないだろう?」


 実際は見せたくないの間違いだが、あながち間違ってはいない。

 国の食糧庫に蓄えられているものはまだまだ余裕があるが、それに胡座をかいて一次産業の復興が遅れてしまうのは実に良くない。

 どれだけ多くても上限がある。いつまでもそれに頼っていては商売も成り立たないし、少しずつだが着実に備蓄が失われていってしまう。

 少しでも回復を早めて安定した国の形を取り戻さなければならず、それが実現していない段階で、まだ民が不安を感じている状況で顔を出しても有り難みが薄い。

 やはり絶好の機会で衆目の前に現れるのが、民の心にも響くだろう。


 というのが、カロンの発言から考え出したルシュカの想像である。


「なるほど。その通りですね。では農地や漁場を確保して徐々に配給の数を減らし危機感を与えましょう。我々は無償で住処を与えているのではありませんから」

「それはやめておこうか。負担を増やしてまですることではないだろうから、な」


 大きく頷いて王の考えに共感を示し、これからの算段をたてるルシュカが言動に不信感を抱かなかったことに肩を撫で下ろす。


 二人は目的地の北門の外を目指していた。

 実験を考えていたカロンの下に都合よく現れたルシュカを伴って移動している。

 本音を言えば転移したかったが「せっかくですから街の様子を見ていきましょう」と寿命を縮めかねない提案に押し流されて、こうして怯えながら移動する羽目になっていた。

 別にそこまでカロンが怯える必要は本当はない。王の地位を考えれば、たかが一つや二つの失言失態でどうこうされるなど起こりえないと想像がつくもの。

 だがそこまで楽観的に考えることはできなかった。


 カロンにとってただのNPCだったからこそ魔物を使役できた。

 カロンにとってただのゲームだったからこそ政治を行えた。

 それが突然現実になったのだ。

 心を持ち、意思を持ち、考えを持った魔物。

 ただの駒だったものが突然自律行動をとるようになれば、全て言われるがままに動いてくれる保証は消え去ってしまう。

 これがMMORPGのようにNPCが人間であったならこうも警戒などしない。話せば通じると相手の見た目から判断できる。

 だが人の皮を被った獣が相手となると、まず真っ先に力をイメージする。言葉を話せる猛獣をイメージする。

 人間のように損得や倫理を考えて動くかどうか定かではなく、人間と同じ思考をしているかも分からない。

 それに高度な知能を持つ魔物は全体の3割程度だろう。残る7割は知恵はあっても知性がなかったり、本能しかない魔物がほとんどだ。

 寝て目が覚めたらヤクザの親分になっているような、しかもドーベルマンがマフィアより多いような、そんな状況で誰が恐れずにいられるのか。

 カロンは力持ちのスーパーマンでも英雄でも特別な存在でもない。


 非力な人間なのだから、恐れずにはいられない。


 ぐっと唇を噛んで、胸の奥で揺蕩う負の感情を噛み殺す。

 都合の良い展開があればいいのにと何度も思ったが、結局何も変わりはしない。

 日々日頃あくせくと働く会社員は、異世界に飛んでも特別とはならなかった。


(精々、こいつらが絶対に裏切らないと言い切れるんなら、違うんだろうけど)


「信じられるかよ……」


 意に反して口から零れた言葉は黒いマントの内で消えた。








 城の外には、確かに草原が広がっていた。

 青々とした草が穏やかな風に靡かれて緑の絨毯を波立たせる。

 初めて自分の目で事態を確認したルシュカは、どこか今でも信じられず、呆然として立ちすくんでいた。

 周囲に人の姿はない。難民は全て南門の前に集められており、軍の出入りに使用する北門には、ただ門を守る警備兵が立っているだけだ。

 カロンは門から十数歩歩くと、後ろを振り返り、そして再び前を向いた。


「アポカリスフェじゃ、ないんだな」


 初めて訪れる、箱庭の外。

 いつも近くから眺めるだけだった王城を、初めて王都として見ることができた。

 白銀に煌めく王城の姿は、まるで天に愛されているかの如き神々しさを感じさせる。

 塔の上で翻る国の紋章が、自分の背にも刻まれているのを意識すると、あの神の国が自分の物だと優越感が僅かに湧き起こる。

 念願だった城の外には冒険譚のような壮大な自然が広がり、吹き抜ける清々しい空気がマントと王衣をはためかせ、夢と希望の溢れる大冒険を予感させるほどに美しい世界が双眸に映し出されていた。


「……」


 この状況を楽しめないのは損に感じてくる。

 ずっと憧れていた外の世界がある。ずっと憧れていた魔物たちの心がある。ずっと憧れていた終わらないコンテンツがある。

 未知の世界で、危険だらけで、それでも胸が躍るのは、よくある物語のプロローグと同じなんじゃないのか。


 そんな未来を思い描いたが、カロンは静かに首を振って自嘲した。

 それが冒険者の役目なら、そうすることが最高に楽しいだろう。

 でも、俺は冒険者なんて夢の溢れる人間じゃない。

 自分は、王だ。

 たとえハリボテだとしても、世界を股に掛けることはできやしない。

 この箱庭で生きることが、できうる限りの王の幸せなのだから。


 新鮮な空気の賜物か、いくらか気持ちが落ち着いたような気がする。少なくとも癇癪を起こしたくなるモヤモヤはない。

 冷静な判断をできるようになったかは今一だが、行き当たりばったりで行動しようとは思わなくなり、次またルシュカに街を歩こうと誘われてもきっぱり断れる気がする。


 今なら、大丈夫な気がしてきた。

 大きく息を吸い込んで、深く深く吐き出し、一つパンと手を合わせ、きっと前を見つめてカロンの意気込みが形を作る。


「よし、やってみますか」


 大自然とは何とも偉大で、この広大な草原の中に佇むと不思議と元気になってくる。

 魔物が周りに全くいないからかも知れないが、カロンの心が一つ前に進むには十分だった。

 コンソールウィンドウを開いてインベントリを選択し、幾つかのカードを適当に選んで取り出す。

 何もない空間から光る泡のエフェクトを放って現れたのは四枚のカード。

 これが魔物を召喚するのに必要な、【モンスターカルテ】だ。


 国に魔物を増やす方法は二通りあり、一つは制圧した領土で暮らす魔物を説得する方法。もう一つはクジの景品だ。

 前者はランクの低い魔物しか揃わないが、交配で低確率だが上位互換の魔物が生まれることがある。

 後者は無料ガチャと課金ガチャがあり、無料の方はクエスト達成の際に貰えるポイントで引くことができ、中くらいまでのランクの魔物が入手できる。課金ガチャは想像の通り、現金で高ランクの魔物を入手できる。

 そうして手に入れた魔物は、このモンスターカルテとしてインベントリに登録され、召喚の際に使用することでカルテに書かれた魔物を手に入れることができる仕組みだ。


 カロンの手にはランク1の異形種【ガンパウダースライム】、ランク4の魔獣種【ガルム】、ランク6の【ドラゴンゾンビ】、そしてランク8の魔獣種【ケルベロス】の4枚がある。

 魔物の初期の忠誠度は召喚の場合カルテのランクで決まる。

 ランク1なら90%、ランク2なら80%、ランク9なら10%、ランク10なら0%という風に。

 忠誠度は色々なクエストでユニットに配備して使用したり、戦争に参加させて褒賞を与えることで増加していく。

 課金で10%増加させるアイテムはあるにはあるが、効果の割に高かったので忠誠度を固定するアイテムばかり使っていた。


 ここに来た目的は召喚が使用できるかどうかを調べるためだ。

 だが、ルシュカが共にいる。

 特殊な性能ではあるがレベルは最大値で、召喚したての魔物に勝てないわけがない。

 ルシュカは今一番カロンが信頼できる魔物だ。嫌な顔一つせず用件を受け入れてくれるし、一緒に内政のことを考えてくれる。

 彼女になら頼んでも大丈夫だろう。


「ルシュカ」


 背中越しに、後ろに控えているであろう彼女に声をかける。


「はい」


 短い返答がはっきりと聞こえた。


「私に何か起きたとき、君は助けてくれるか?」

「はい、勿論です。カロン様を脅かす者が存在するのであれば、この【アノマリス】のルシュカ、不惜身命の心で御身をお守りいたしましょう」


 何をするのかを伝え忘れたが、伝わったらしい。嬉々とした声で返ってきた答えは、頬を綻ばせるのに十分な力があった。

 そこまで言われれば、ルシュカの“忠義”を信じてもいいと思えた。


 手に持つカードを見て、何を召喚しようか考える。

 魔物は忠誠度が高ければ王の命令に反抗しなくなり、スキルや魔法を多用するようになる。忠誠度MAXによる特殊スキルなんてものもある。

 ゲームの頃はそう説明されていたが、それが現実となり、忠誠度が低い魔物が襲いかかってきたりするのかどうか。それを確かめたい。

 たった一人だが信じる相手ができた。とても心強く、一歩を踏み出す支えになってくれている。

 カロンは意を決してランク4のガルムを召喚することに決める。

 ランク8のケルベロスは流石に冒険しすぎだし、ランク1のガンパウダースライムにするには忠誠度が高すぎる。ドラゴンゾンビはアンデッドなので、真祖の加護がなければ日の下で死んでしまう。

 もっとカードを選別すればいいのだが、都合良くランク4と検証にはぴったりでルシュカも一撃で仕留められる強さは丁度良い。

 召喚に必要なゲーム内通貨を支払って召喚のプログラムを起動すると、召喚する魔物のカルテを地面に置くよう指示が表示された。

 緊張した面持ちで左手で扇状に開いたカードをゆっくりと引き抜く。

 ルシュカがいるから大丈夫だなんて十数秒前まで考えていたが、いざとなると恐ろしい。

 もし襲ってきたらとか、もし助けが遅かったらとか、根っからの気弱が発症して手が小刻みに震えてしまう。

 少しずつ引き上げられていくガルムのカルテ。

 もう少しで抜けそうなところまで来たところに、なにやら城の方から音がする。

 何事かとカロンとルシュカが揃って振り返ると、風を置き去りにして走る【フクスカッツェ】のエレミヤが、憤怒の形相でがむしゃらに走る【クーロセル】のグラドラに追いかけられながらカロンの下へ向かっているではないか。


「おうさまーーー!!」


 ニコニコと満面の笑顔で、城に篭りっきりで滅多に会えないご主人様を見つけたのがよっぽど嬉しいらしく、まふっとした大きな尻尾を振り回してエレミヤがやってきている。

 どうしてこんなところに、と疑問を抱くもそれはすぐに霧散してしまう。

 背の高い大人な女性が蕩ける笑顔で自分を求めていることに惚けた、なんてことはない。

 その後ろを追従する巨大な狼の方にどうしても目が行って、カロンの目にエレミヤは数秒も映っていなかった。


「待てやこらクソアマぁ! てめえの尻尾引き千切って襟巻きにしてやるからじっとしてろやあ!」

「うひはー! 王様の前で下品だよ犬っころー!」

「ぶっ殺す! ぜってえ殺す! 死に晒せ合い挽き女ぁぁあ!」


 鼻の横に皺を作り、ふと頭の片隅に小学生時代友人が庭で飼っていたシベリアンハスキーが噛み付こうと首に鎖が巻き付いているのも構わず飛びかかってきたことを思い出す。

 あれだ。飼い主の躾が悪いと見知らぬ他人の序列を最下位と判断して襲い掛かってくるんだ。

 つまり、アレは躾が悪く、その飼い主は自分で。

 アレは飼い主に噛み付かないだけ躾ができていないのではないか?


 しかし、カロンに迫る恐怖の光景はそれだけでは終わらなかった。


「主ー! 只今帰りましたぞー!」


 振り返っていた顔を正面に勢い良く戻すと、地平線から幾万の巨大な影がやってきている。

 それが遠征に出していた軍だという考えは浮かばない。

 数千の黒い影が連なって地響きを鳴らしやってくる光景は誰がどう見ても地獄からのお迎えだ。

 大声で騒ぎ立てる兵衛の声が、こっちへ来いと誘っているような錯覚に陥り、抱いた勇気は粉々に砕け散った。

 顔から血の気が引いて震えが大きくなる。さっきまでルシュカは信頼できるなんて言ってはいたが、ルシュカ以外が信頼できるという考えが那由他の彼方に吹き飛んだ。


 あまりにも激しく震える指先がカードを誤って引ききってしまう。左手の指先に力が入っておらず、引いたカードではなく引くつもりのないカードが左手から1枚はらりと地面に落ちた。


 ――completion of attestation


 目の前に横文字が流れる。


「……え?」


 認証が完了しましたの表記に驚いて地面を見ると、カードを中心にして巨大な瑠璃色の召喚魔法陣が足元に展開された。

 魔法陣が放つ閃光と共に辺りが一段暗くなる。召喚の際のエフェクトで周囲が暗くなって魔法陣が強調され、いかにも魔物召喚といった空気を作り出すのだが今はそんなことどうでもいい。

 落ちているカードに記された魔物の名は、【ドラゴンゾンビ】。


「げ、まず……」


 巨大な円に歯車と輪を象る魔術装飾文字。

 機械式時計を参考にした、アポカリスフェ開発スタッフが丹誠込めて仕上げた円環はキチキチと軋む音を立てて幾度も回転し、ガチンと全てが合わさると同時に陽の光を遮った空間の中を瑠璃で満たす。

 見慣れた光景だからとカロンは呆然と見ているが、周りにいるルシュカやグラドラ、エレミヤはあまりの眩しさに腕で視界を覆った。

 徐々に光の中で巨大な竜が形作られていく。ぐずぐずに溶けた皮膚が爛れて崩れ、強烈な腐敗臭が辺りに立ち込める。

 見上げるほど巨大な朽ちた竜【ドラゴンゾンビ】は赤や黒や紫で彩られた毒々しい肉体で立ち上がり、目のない眼窩を赤く光らせて首をもたげ、大きな咆哮を上げた。

 風の止んだ草原が、その嘶きに振動の波紋が爆ぜる。


「なんという……これが王の……エステルドバロニアを統べる御方の秘術……」


 光が消え去った先に見えたその巨大な竜の死骸に目を見開いてルシュカは驚愕を表す。

 王の目的が何かを知らずにいたが、まさか秘術を使うとは思ってはいなかった。

 それ以前に、秘術の光景を目の当たりにして驚きで体が動かない。

 召喚術は常に対価を支払うことで成し遂げる。吸血鬼の【真祖】アルバートですら自らの肉片を用いて陽光に浴びても朽ちぬ死者の軍勢を作り上げている。

 それをいとも容易く、ただ一切の紙だけで、魔術を扱えるルシュカですら理解できない異質の魔法陣を用いて実現させるなど、畏れで震えが止まらない。

 騒いでいたグラドラとエレミヤも、遠くから押し寄せていた五郎兵衛たちも、ルシュカと同じ気持ちなのか、足を止め、毛を逆立たせて王の背を見つめていた。

 自分たちを生み出した至高の魔術が顕現する姿を、ただ言葉も無く見つめることしかできなかった。


 ドラゴンゾンビが再び咆哮を上げる。劈く声は存在しない声帯を無理やり震わせて生み出され、耳に狂気の残響を残す。

 威嚇の咆哮かとカロンは身構えるが、ドラゴンゾンビは何かする気配はない。

 もたげた顔をカロンへと近づけ、じっとその双眸を見つめていた。

 腐敗臭で吐き気を催すが、赤く発光する目から逃れることができず、蛇に睨まれた蛙のように硬直してしまう。


 やばい。やばい。殺される。ルシュカ。助けて。助けて。


 頭の中でリフレインする言葉は、言葉にしなければ誰にも届きはしない。

 ルシュカから見れば、王とドラゴンゾンビが見つめ合っているようにしか見えず、カロンにしてみればがんを飛ばされているようにしか感じていない。


 緊張した時間が過ぎていく。徐々に覆っていた陰りが消えていき、陽の光が再び訪れた。

 強い日差しが腐敗した体に触れると、途端にその体が崩れていく。

 屍には加護がなければ日の下を歩けはしない。カロンが危惧していたように、ドラゴンゾンビに暖かな熱が二度目の死を刻一刻と与えていく。

 だが、ドラゴンゾンビは何も言わない。叫びもしない。じっとカロンの目を覗いているだけだ。

 その赤い瞳の輝きの奥で何を考えているのかは分からない。


 肉体が形を保てなくなるその直前、遂に動いた。

 食われる、と警戒したカロンだったが、ドラゴンゾンビは巨大な口を開くことはなく、四つ足でしっかり地面に根を張ったまま、カロンの靴に顎を乗せる。


 それは、まるで騎士の忠誠を示す姿だった。


 カロンは知らないが、魔物たちは文字通り無から生み出される。つまり、過去を持ち合わせていない。

 ゲームのモンスター図鑑で開発スタッフの考えた設定が反映されるだけで、個としては召喚されたその時から始まる。

 召喚され、その目の前に映る人物は、魔物たちは初めに親と認識し、その次にシステムの仕様によって国主と認識する。

 ゾンビであろうと、なんであろうと、生まれたての彼らの生命はその時から初めて色が付いていくのだ。


 ずるずると腐肉を零し、骨を剥き出しにして臓物を撒き散らす魔物ではあるが、一人の人間の男に傅く光景は、いかに醜悪ではあっても、そこにある心は何よりも美麗なもの。

 崩れて朽ちて死す運命の竜は、最期のその時を迎えるまで、己が忠義を見せる。


「……いずれまた会おう」


 カロンの静かな弔辞が、ドラゴンゾンビの最期を彩る。


 本当に許せ。無駄にして本当にごめん。お前結構強いのに。でもまだカルテあるから、機会があったらまた呼ぶから。


 想像よりも呆気ない展開で終わり、検証が成功したのかどうかもよく分からないままドラゴンゾンビは消えてしまった。

 襲う時間はあったはずだし、ランク6だから忠誠度は40%しかない。それで襲われなかったということは、何か理由があるはずだ。

 襲われる前提で考えていたわけではないが、最後にこうべを垂れたのはどうにも納得がいかない。

 しかし考えても分からないので、とりあえず首を引っ張る邪魔なマントを肩から千切るようにして乱暴に取り払った。


 その中から現れたのは、王のみが背負うことのできる国の紋章。

 威風堂々と背に刻まれた紋章をはためかせる紫黒のコート。

 【黒の王衣】。

 国の騒動全てを抑圧する代わりに他国との問題を引き起こす諸刃の剣。

 その効果が発揮されていたのだが、自分のコスチュームに効果があることは綺麗サッパリ頭から抜け落ちており、まだ当分は気付かないだろう。


 もやもやした気持ちのままで消化不良に終わってしまい、また近いうちに確かめてみようという結論に至る。

 するべきことは済んだと振り返り、やけに静かなのも気になって後ろを振り向く。


 そこにいるべきはずの人物が見えない。


 どこへ行ったのだろうとそわそわして視線を彷徨わせると、カロンの探していた人物は草の上に膝をついて深々と頭を下げていた。


 なにこれ。


 よく見るとグラドラもエレミヤもルシュカと同じような姿勢を取っている。遠くてカロンでは見えないが、遠征軍も皆傅いている。

 何がどうなっているのかが分からず、臣下の礼を取る魔物たちの前で、カロンはおろおろすることしかできず、その光景は日が傾いてからようやくカロンの許可が出て幕が閉じた。



 その日の出来事は、世界中へと走り回った。

 天に立ち込めた暗雲。

 強烈な瑠璃色の輝き。

 そして猛る竜の咆哮。

 まだ見ぬ世界のその果てまで、エステルドバロニアの存在を主張した日だった。



 黒の王衣の効力は、知らぬ間に蝕んでいく。

 そう、知らぬ間に。











「――――の午後、――の二階の部屋で男性の死体が――。

 調べによると、男性は亡くなったその日にVRのオンラインゲームを――、――が予告なくサーバーの機能を停止したことが明らかになり、VRヘッドギアの危険性を調査して――」



2012.10.17 改訂

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― 新着の感想 ―
[一言] なぜこのタイミングで召喚できるか確かめた…(・・?) 死ぬのが怖い人がする行動では無いと思いますが。 そしてドラゴンゾンビはただ無駄に死んだってこと…? かわいそうすぎないですか??? もし…
[一言] こういう儚くて美しい話弱いんだよ見た目醜悪なのも更に加速させてるし ドラゴンゾンビくんが駆け抜けた刹那の人生でボロボロ泣いてる
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