8 転移
人気の少ない城の中を、大股で歩くミラは鬼気迫る形相でまっすぐ前を睨んでいる。バチバチと電撃に変化された魔力が体に漂い、弾ける度に淡い青に明滅していた。
手紙に書かれていたもの。それは、エイラ・クラン・アーゼルの居場所だった。
一向に姿を見せないとは思っていたが、まさかこのような大胆な策をとるとは思いもしなかった。しかもアーゼライ教のトップを堂々と攫うなど。
差出人は書かれていなかったが筆跡には見覚えがある。団長の職についてから頻繁に見るようになった点だけで相手が誰かなのか容易に想像がついた。
(クソが。好き勝手しやがって……! これなら面倒覚悟で暇してるベルトロイでも宛てがっておけばよかったか)
騎士団長直属の部隊だが、団内の階級が低い彼らは基本的に城内の警備に就くことができない。
過激派でもアーゼライ教への配慮はするだろう。せいぜい懐柔はあるかとまで考えていた。
(馬鹿なのか? 教皇を始末することも害することもできないのに、どうやって口止めする気だ。プリーステスの価値くらい少し考えれば分かるだろう! というか、その尻拭いは私がしなきゃならないんだぞ! あー腹立つ!)
ダン! と強く踏み込むと同時に一際強く雷撃が駆けた。
(大方、私か教皇を処分してその罪をカロンに擦り付けたいんだろうが、逆に私がいなくなったらエステルドバロニアに立ち向かえる人間が消えることになる……とも、考えられないのか)
確証もない他国の協力にそこまで夢を持てるのは、誰にも知られず既に話を通せているからとは考えられない。
交易の拠点にしている三つの港町には厳重な監視を敷いている。エステルドバロニアの恐怖が染みついた騎士たちが危険を及ぼしかねない行為を見過ごすとは思えなかった。
ミラの感じていた印象はもっと狡猾で、こんな浅慮ではなかったはずだ。まるで何かに突き動かされているような、不可解な力の介入を感じさせる。
「……ふん、関係ないな。そっちの思惑はどうであれ、騎士らしく剣で問えばいいだけだ」
辿り着いたのは、昔は後宮として使われていた屋敷に繋がる細い廊下。長く放置されていて、城から通じる床の上には薄く埃が敷かれていた。
灰色の雪を踏み締めるように、先についた大小二つの足跡を追って警戒しながら歩を進めていく。
高い位置にある細いスリットから差す月明かりだけを頼りに奥へ。そしてピタリと止まって面倒臭げに鼻を鳴らした。
「貴方は私にどうやって答えてくれますか? ボルノア宰相閣下」
「さすがは騎士の誉れといったところか。まあ、そうでなくては騎士団長など務まらん」
腰に手を当てて長い銀髪を掻き乱し、ゆっくりと奥からやってくる声の主を髪の間から覗く。
暗闇から姿を現したラグロッド・ボルノアは、ぴたりとエイラ・クラン・アーゼルを寄り添わせていた。そこに恋人のような甘い空気は存在せず、銀の刃が怯えた少女の首筋でギラリと光っている。
「貴方は、国を滅ぼすおつもりですか?」
「滅ぼす? 馬鹿を言うなミラ・サイファー。今まさに魔物に侵略されているではないか」
「あれは飼いならされた獣です。有象無象の野放しにされた害獣とは訳が違う」
「だからなんだというのだ! 魔物であることに変わりなどない! 勇者である貴様が、誰よりも早く力を振るうべき相手だろう!」
叫ぶラグロッドに、ミラは苦々しい顔をして直視しないよう顔を背ける。もうすでに負けているとは口が裂けても言えない。
それをラグロッドは反論できないのだと思い、さらに言葉を重ねた。
「飼いならされているからといって我々を喰らおうとしない根拠などない! のうのうと聖地に陣取るやつらに脅かされるのならば先んじて滅ぼした方が流れる血は少なく済む! それをなぜ理解しない! 国を護るべき騎士たちがこぞって魔物如きに尻尾を丸めるなど……それが国を護る者たちのすべきことか!」
「あの公国相手に圧勝した相手です。慎重になって何が問題ですか」
「そんなもの関係あるか!」
興奮した腕に力が篭もり、抱き寄せるように細い首を見せつけるように締め上げた。元騎士の男に敵うはずもなく、体を捩って逃れようとするエイラの口から溢れる吐息が笛のように細く鳴る。
「役目を果たさぬ勇者に意味などない。人外魔境の犬になる前に始末する方が安全だと思わんかね? おっと、動くなよ? どちらが命を落とそうとわしには好都合だが、か弱い娘を守れないのは勇者の本位ではなかろう?」
もはや宰相の役職には似つかわしくない悪党の顔を作るラグロッド。だが、ミラにはそんなことどうでもよかった。
(仮に教皇が死に、私が宰相を殺したとして、外部に誰が虚報を撒く? 確実にこいつと手を組んでいる奴がいるはずだが、それが誰なのかが分からないのは困るな)
エイラが殺されるより早くラグロッドを殺すことはできるが、拘束できるかとなるとあまり自信がない。
いきり立つラグロッドに話が通じそうな様子はなく、とりあえずおとなしく従っておこうと決めたミラは、両手を上げて降参を示しながら自分が来た道の途中に立つ天井を支える柱を肩越しに見つめた。
(少しくらいは、協力してくれると信じてるからな)
ミラが向けた視線の先。円柱の陰に身を潜めて様子を窺っていたカロンは、彼女が振り向いたことに気付かずこの状況をどうすればいいのかと脳をフル回転させている最中だった。
(完全に俺のミスだな……教皇に護衛は付くと勝手に思ってたけど、よそのやつにそこまで配慮するほど優しくなかったなぁ俺の部下は)
彼女に神都のエルフが同行しなかったのは、エステルドバロニアに気を遣ったことが原因だ。
「教皇の身を守るのに我々は当てにならないと言いたいのか」なんて言われたらたまったもんじゃない。エステルドバロニアをこれほど信用しているのだとアピールする目的で、エイラは単身付いてきたのである。
それを受けてカロンはこっちで守ってやらないといけないと考えはしたのだが、その旨を団長たちに伝えていなかった。事実、背後に控えるコードホルダーは全く動く気がないし、マップに映るグラドラたちも部屋で待機しているようだった。
(王国の騎士が代わりに護衛してたはずだけど、あれが宰相とグルだったわけね。しかしどうするよこれ。あの言い分だと俺たちが姿を見せた時点で教皇を殺しかねないぞ)
移動バフ持ちで梔子姫より早く動けたミラなら簡単に助けられるのに、どうして動かないのか。同じようにミラにとっても不都合なものがあるとするなら――
「それじゃあ、脱いでもらおうか」
予想外の発言を耳にして、カロンは思わず吹き出しそうになって口を強く押さえる。
「何を言ってるんだ」
カロンの気持ちを代弁するかのようなミラの呆れ声に、ラグロッドは癇癪を起こしたように突然怒りを顕わにする。
「ドグマの右腕だなんだと持て囃されたベイルの娘を好きにできる機会などないだろう? あの男にはさんざん煮え湯を飲まされた。それを優しい娘に肩代わりしてもらうだけのことだよ? 無理にとは言わんさ。ただその場合は……分かってるな?」
実にどうでもいい私怨である。こうも典型的な悪役がいるのかと逆に感動を覚えるほど清々しい下衆っぷりだ。
人質をとるくらい腹を据えるとこんなことも平気で言えるのだろうか。ただ、それはこの場面では悪手じゃないのかと感じた。
(宰相はミラか教皇を殺せればいいって言うけど、ならさっさと動いたほうがいいんじゃないのか? 時間の経過は誰か来たりと不測の事態を招く可能性を高める。脱がすのはミラの力を封じる手段に繋がらない。いくらなんでも強気すぎるだろ)
それだけこの作戦に自信があるのかと、ミラと同じ疑問に至ったカロンは広域マップを開き、自分のいる位置を中心に拡大して表示する。
マップは占領しなければ詳細な情報を得られないが、大まかな配置とキャラの点は表示される。
基本的に映ればいるし映らなけれはいない、のだが。
「……欠けてる?」
例えば認識阻害の魔術を使う者がいた場合、その範囲も同様にマップから消える。壁に寄り添っているとその壁も一緒に消えるため、不自然だが隠密させる魔物は中心を移動させるのがアポカリスフェのセオリーだ。
はっとその知識が引き出され、咄嗟に不自然な場所を確認しようと一瞬柱陰から身を乗り出し、
「んっ!」
丁度下着を取り去って、長い銀髪が揺れる白い背中が見えてまた柱に隠れた。
ミラの覚悟を見てはいけないと一度深呼吸してから、後ろに手招きを見せてコードホルダーを顔の側へと呼び寄せ、小さな耳にそっと囁いた。
「オーダーでしょうか」
「いや、違う。今私が相手に気付かれていないのは、お前が何かしているからか?」
「簡易ですがジャミングを発生させています。中位の魔術では看破される危険性がありますが、あの男を解析した結果それは不可能と判断いたします。しかしコードホルダーのスキルは性質上雷属性には不得手なため、ミラ・サイファーは認識しているかと」
「なるほど。では、あそこの壁になにか見えるか?」
ずず、とコードホルダーの首が伸ばし、カロンの顔の横から指の指し示す方向を見て機械式のオッドアイを作動させる。
「……いえ、確認できません」
彼女の能力なら中位までは探知できる。それが出来ないとなれば、リュミエールのような魔術のエキスパートじゃなければ相手に悟られず調べることは難しい。
範囲攻撃に巻き込めば解除されるが、そんな派手なことができるわけもない。
(ゲームとは違う)
しかしそれは、ゲームの頃の話だ。
もう一度広域マップを拡大縮小しながら確認して、ミラがスカートに手をかけたタイミングでカロンはコードホルダーに合図を下す。
「通路中央から指定ポイントを撃て。あとの判断は任せる」
キュン、と機械が喜びの駆動音を上げた。
「イエス、マスター」
夜明けのような髪を広げ、菫のドレスを翻し、ジャミングを解除して柱から飛び出したコードホルダーは突き出した右手に左手を添えてカロンの指していたポイントに狙いを定めた。
あっとラグロッドが声を上げるよりも早く、掌に溜められた魔力が弾丸となって壁を穿つ。
「ミラ!」
叫べばすぐに呼応して、ミラはスカートにかけた手をコードホルダーと同じように前へと翳し、雷撃をラグロッドの腕へと正確に飛ばした。
カロンが見たのは二つ。
ミラの電撃を浴びて反射的にエイラの拘束を解いたラグロッド・ボルノア。
もう一つは、コードホルダーの射撃が運良く当たらなかった何者かが、壁から離れながら何かを放り投げる姿。
不審者の対応はコードホルダーに任せられる。ミラはラグロッドを捕まえに動いている。なら自分は教皇を確保しようと思い数歩走ったところで、左上の視界が湾曲していくのを見た。
「は?」
それは姿を消していた女が投げた小さな指輪。冠に填められた青い宝石が、大量の魔力を吐き出しながらカロンに迫っていく。
全てが瞬間的な判断で動いた。コードホルダーは指示に従った。ミラは即座にラグロッドを感電させた。エイラは解けた隙に走りだした。
女は――セーヴィル・ハイランドは、憎き敵国の王を見つけて、咄嗟に投げてしまった。
高位の転移魔術《ディビジョンゲート》の封じられた指輪は、カロンへと迫りながら飲み込むように魔力を広げていく。
「カロン!」
「カロン様!」
ミラとエイラの逼迫した声。しかしカロンに避けられる反射神経があるはずもなく、混乱した頭で呆然としたまま指輪を見つめるしかできなかった。
「マスター、お側におります」
カロンを包んで収束する魔力の合間を縫って優しく抱きしめるコードホルダーの感触が、王国での最後の記憶であった。
◆
「……んん」
ゆっくりと瞼を開いて、寝ぼけ眼で周囲を確認するカロン。
そこは、古い木造の狭い部屋だった。全く見覚えがないが、安っぽさがどこか落ち着く、そんな質素な部屋。
馬車に揺られていたのは覚えているが、その後眠ってからどうなったのかが分からない。ただ生きているのは間違いないようだ。
「マスターの起床を確認。お体は大丈夫でしょうか」
「ああ、そこにいたのか」
無機質な声は窓際にいた。閉めきったカーテンの隙間から外を眺めていたのか、ドレス姿のままカーテンの端を握って立つコードホルダーはカロンの近くまで近寄り、ベッドの際に腰を下ろして愛おしむような手つきで頬に手を添わせた。
「バイタルに異常なし。しかし疲労が顔に出ています。もう暫くお休みになられてはと提案します」
「……あの、コードホルダー?」
「オーダーですか?」
恋人同士のような感じで、口角を少しだけ上げて頬を撫で続けるのを制止してから、むくりと体を起こしたカロンは純粋な疑問をぶつける。
「ここ、どこなんだ?」
「回答。港湾商業国家サルタンの都市部に位置するエサドの宿泊施設です」
「……支払いは」
「あの山賊が工面しました」
――寝てる間になにがあったんだ。
ただ、彼女が店の人を脅したりしたわけじゃないことは安心した。
深呼吸をひとつしてからベッドを降りてカーテンを開ければ、陽光を浴びて煌めく水平線と、所狭しと石造りの建物が並んだ景色だった。
神都と違い無骨な黄土色の壁。歩く人々は殆どが人間で、ちらほらと亜人や獣人の姿も見受けられる。港にはいわゆるフリゲートやガレオンと言う艦種の船がズラリと並んでいて、その活気が微かに聞こえていた。
「……」
熱量の違いだろうか。今まで見てきた国はどれも穏やかさの側面が強かったが、この国からは闘争心に似た勢いを感じる。喧騒がエステルドバロニアのそれとどこか近いと感じるからかもしれない。
カロンはこれから救出が来るまでの間をこのサルタンで過ごすことになる。夢と希望に満ち溢れた冒険がそこに待っている、のかも知れない。
新しい標的が現れたことを喜んでいるのだろう。口を一文字に引き締めるカロンを見てコードホルダーは駆動音を一オクターブ高く鳴らした。
しかし、当然カロンの中にそんな大それた野望があるはずもなく、
(穏やかに過ごそ……)
争いに巻き込まれないようゆっくりとした生活をしながら、遠距離でエステルドバロニアと王国の問題を処理していこうと堅く誓っていた。
残念だが、コードホルダーという超弩級の魔物を従えているだけで平穏から遠のきそうだとは思う。しかし、それでも何事もないことを強く祈る他ないのだ。
「まずは、この服装をどうにかしないとな」
そのためにも、この軍服と彼女のドレスはさっさと隠してしまいたい。
カロンは綺麗な姿勢で控えるコードホルダーに顔を向け、真剣な眼差しで告げた。
「街に行くぞ」
「イエス、マスター。どこまでもお供します」
9月30日発売予定のエステルドバロニア、絶賛予約受付中ですのでどうぞご予約、情報拡散のほどよろしくお願いいたします。
次からはカロンとコードホルダーの仲良し探索が始まりますので、面白くなってくれるはず。