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エステルドバロニア  作者: 百黒
4章 港の国
57/93

7 夜宴



 夜会は貴族の見せ場である。

 首脳同士の会談を終えてから催される歓迎会には多くの貴族が参加し、並べられた豪勢な食事を前にして歓談に花を咲かせていた。

 ドレスで会場を彩る若い娘たちは集って話に興じながら自分を引き立てようと振る舞い、その隙を窺う若い男たちが品定めするように目を走らせて、気に入った花を触れにいこうと牽制しあう。

 それを見ながら、爵位を持つ者たちが笑顔の裏に棘を忍ばせて交流を深めていく。人脈こそが武器であると、繋がりを数えながらより合わせることに懸命であった。

 特に今注目を集めている者には老若問わず関心が向けられている。

 伯爵家の娘、マリアンヌ・フォン・フランルージュ。

 貴族に返り咲いた美男子、リーヴァル・オード・シュトライフ。

 今をときめく“天雷”の専属部隊に抜擢された若く有望な騎士であり、容姿も含め将来に期待されるのは当然と言えた。

 名のある貴族が子を紹介し、その子は親密さをアピールしようと居座り、割って入るように別の貴族が子を連れてくる。

 二人は入れ代わり立ち代わりやってくる人を笑顔で迎え、当たり障りなく上品な振る舞いを心掛けながら疚しさの透けた顔を相手にしていた。

 内心はこの場に集う誰よりもささくれだった棘を生やしているが、立場を考えてひた隠すしかなく、代わりに疲労が浮かびあがっている。

 まだパーティに主役の姿はない。始まってから既に三十分近く経過しており、王すら現れる気配がない。

 しかしそれよりも、マリアンヌはいつまで経っても姿を見せない隊長のことを思っていた。


(一体何をしているんですの、ミラ・サイファー……!)


 本当なら彼女こそ最も注目されるべきなのだ。勇者に覚醒し、亡くなった勇者をも越える力を手に入れたサイファー家の一人娘の話題性は十分で、マリアンヌの元へ訪れる者は皆必ず一度は聞いてくる。

 それもマリアンヌを疲弊させる要因の一つであり、今目の前にいる伯爵家の嫡男も開いた胸元を隠れ見ながらミラのことを尋ねてきた。

 確かに夜会は貴族の見せ場だが、立ち位置の特殊な今の彼女にとってこの人だかりは不本意なものである。

 常であればもっと上手くやれるのだが、今日ばかりは神経のすり減るやり取りが続いていた。ミラのことに加えて、あの魔物の国のことも根掘り葉掘り聞かれるのだから。

 いい加減にうんざりだと顔に出そうになるが、慣れた作り笑いを浮かべて顔を上げ――背後から迫る影がマリアンヌを覆った。


「失礼。少しお借りしてもよろしいか?」


 その声は厳格だった。マリアンヌから姿は見えない。ただ影の大きさが声の主の体格を表している。


「あっ……こ、これは閣下……」

「よろしいか?」


 怯えた様子の嫡男が絞り出した声に被せて威圧的な雰囲気が放たれ、若い男たちはすごすごと引いていった。

 マリアンヌがゆっくりと振り向くと、背の高い偉丈夫が無機質な目でじっと見下ろしている。ごつごつとした男の顔だが、その目の迫力は娘とよく似ていた。


「お久しぶりです、サイファー公爵閣下。お体はよろしいのですか?」

「それなりにであるが、やはり随分と賑やかになっていると知っては出ざるをえぬ。それに、ミラも面白いことになっているとなれば老体を押してでも参加しておかねばな」


 笑顔と呼べるものではないが、僅かに下がった目尻を見てマリアンヌは懐かしささえ感じた。

 あの娘にしてこの父というのか。表情が乏しくどこか無機質で、しかしその裏にはがっちりと縛り上げてひた隠した感情があると分かる微々たる変化をする表情。

 元王国騎士団副団長、ベイル・フォン・サイファー公爵は周囲を睨みつけて集まる視線を散らせてから、マリアンヌをそっと窓際へ招いた。

 がっちりした大きな体に黒と蒼のタキシード。老いてもなお失われていない迫力は、昔から知っていても緊張してしまう。


「そう固くならんでもよろしい」


 ベイルがそっと囁くが、マリアンヌは抜けない強張りの残る苦い笑みを浮かべる。


「そう仰られましても……ドグマ団長の右腕としてご活躍なされた閣下を前にして萎縮しない者はおりません」

「そなたの父は遠慮と言うものを知らんのだがな。我が娘と違い親には似なかったのか。それに、ミラが勇者へと至ったのであれば、この老骨に価値などなかろう」

「そのようなことは……」

「まあ、その話はいい。私が聞きたいのは、あの国のことなのだ」


 あの国とは、やはりエステルドバロニアのことだろう。


「遠戚とは言え、王族の血を引いていたラドル大公の反逆に我が国が屈したのは誠に遺憾である。その窮地を救われた恩義はたとえ横槍であっても感じてはいる。が、やはり魔物の国と聞いては信じるなど無理な話だろう」

「そうでしょうね」

「ミラが言うには、カロン王は話が通じるやつだとのことだが……どうもアレは入れ込んでいるように見える。まあ、私に似て不器用で無愛想だったのが急におかしくなった方が衝撃ではある」

「私も同じ気持ちです」

「うむ。いや、その話もいい。一線から退いた私が気軽に登城するわけにいかんから、あまり詳しく調べることができなんだ。なのでマリアンヌ嬢、そなたであれば客観的に物事を見ているだろうと踏んでいるのだが、どうかね?」


 想像はついていたが、いざ面と向かって問われるとすぐに言葉にできなかった。

 エステルドバロニア王カロン。誰が見ても分かるくらい弱く、それがあの化け物の群れの中で異彩を放っていた人間。その内にあるものはなんなのか、マリアンヌは理解できていない。

 ただ、謁見の間にて交わした約束を反故にしかねない評価を下すわけにもいかず、ベイルの求めているであろう面から見ることにした。


「狡猾で残忍、という印象はございませんでした。しかし思慮深く聡明であります。あれほどの魔物を従えて驕っている様子もなく……これは私見ですが、誠意に誠意で応える王かと」

「ふむ。確かに先の様子を見る限りそういう雰囲気はあったが。では、求心力はどうか」

「そこまでの姿を見ることはありませんでしたが、あの王に敵対されなければ魔物たちも牙を剥くことはないと思われますわ」

「では、もう手遅れやもしれぬな」


 身も蓋もない言い方だが、ここまでの王国側の対応はどれもこれも悪手でしかない。

 エステルドバロニアに好意的な派閥は国の内政に深く関与していないものばかりなせいで、裏であれこれと今日まで画策したが結果は全て水の泡だ。ただ、この交流の場でアプローチを試みるものは多いだろうし、明日以降であれば宰相派閥が拘束する時間も減ると読んでいる。


「これから取り戻します」


 取り交わした約束は絶対だ。たとえ相手が魔物であっても。

 その意気を感じたのか、ベイルはふむ、とおとがいに手を添えて視線をリーヴァルの方へ向けてからマリアンヌへと戻した。


「そうか。そなたがそう言うのであれば、そうなのだろう」

「ミラからはその辺りのことを何も伺っていらっしゃらないので?」

「様子がおかしいので何かに精神をやられたのかと思ってな」

「ああ……」


 実の親にそこまで言われるのは余程のことだが、確かにあの変わりようは色々と疑われても仕方ないだろう。

 恋する乙女、には随分と程遠い変化な気もするし、ただただ奇妙としかいいようがなかった。

 しかし、ベイルはミラの覚醒に思うところはないのだろうか。

 彼はドグマと同じ時代を過ごし、覚醒する戦友の姿も見ていたはずだ。ミラ・サイファーを“騎士の誉れ”として過酷な訓練に浸し、傍若無人な振る舞いを強いてきた張本人のはずである。

 マリアンヌでさえ表に出せない拘泥とした思いがある。親としてなら、何かが違うのだろうかと尋ねたい衝動に駆られて喉から言葉が出かかった。

 小さくベイルを呼んだ声は、幸か不幸かどよめきに掻き消される。

 声の先にいたのは、騎士の正装を着た仏頂面のミラ。そして彼女を従える上機嫌なアルドウィンだった。


「ようやくか」


 優雅な足取りで上座に向かう二人の姿を見て、ベイルが呟く。

 マリアンヌもその様子を見ていたが、人垣の隙間から一瞬だけ見えた、不満と面倒臭さを隠そうともしないミラの態度につい吹き出してしまい、慌てて口元を隠した。


「諸君」


 歓談の賑わいがアルドウィンの一言でしんと静まり返る。


「此度、我が国には大きな危機が訪れ、大切なものを多く失った。しかし、引き換えに新たな未来が誕生した。まずは、“天雷”ミラ・サイファー」


 紹介を受けて一歩前に出たミラが、会釈程度に頭を下げる。それだけで示し合わせたような喝采が浴びせられた。

 未婚で、美女で、公爵家の一人娘で、おまけに勇者とくれば、男たちは目の色を変えて彼女に賞賛を送る。

 以前なら自分より優れたものを全て手に入れたミラに対抗心を抱いただろうが、今は不思議と落ち着いている。惜しみなく拍手できるほどではないけれど、今の人間臭さが増した彼女は嫌いじゃない。


「それでも、そういうところは成長しないんですのね」


 まったく、と呆れながら成り行きを見守るマリアンヌは、ふと何か軋むような音を聞いた気がして隣へ顔を向ける。


「どうかしたかね?」

「……いえ」


 気のせいだろうか。


「そして、新たな国も現れた。王国の危機を救ってくれたエステルドバロニアだ」


 主役の紹介は簡素だった。嫌悪が香るほどに。

 それはエステルドバロニアの存在を暗に認めないことを、ここにきてまだ示唆している。これがカロンや配下の逆鱗に触れてしまえばそれだけで国の存続に関わるとどうして理解できないのか。

 間違いなく誰かがアルドウィンに指示をしているはずだ。交渉の引き伸ばし、あからさまな挑発、本当に聖戦などという幻想に期待しているのであれば考えが甘すぎる。同じアーゼライ教を信仰する国の勇者が束になっても勝てるかどうか疑わしいほど強力な国だというのに。

 しかし、侯爵家の娘如きにどうこうできるはずがなく、黙って成り行きを見つめる他なかった。


「それでは。エステルドバロニア国王カロン様、ご入場になります」


 儀典長が朗々とその名を呼べば、派手な音楽と共に大扉が再び開かれた。

 自然と全ての目がそこへ向けられる。

 荘厳な音楽に合わせてゆっくりと部屋の中に入ってきたのは、昼と全く変わらない豪奢な黒を纏ったエステルドバロニア王。

 そして、それ以上に目を引いたのが、隣に立つ鮮やかな少女だった。


「なんと……」

「あれは魔物……なのか?」

「美しい……」


 まるで時間が止まったように、誰も彼もが身じろぎ一つせず美少女を目で追っている。マリアンヌですら思わず息を呑み、カロンと少女の二人を残して時間が止まったような錯覚に陥った。

 夜明けを思わせる紫から橙へと移り変わる鮮やかな髪。その美しい髪と同じ両眼異色の虹彩は光をいっぱいに取り込んで宝石のような煌めきをもって周囲を見ていた。

 菫色の上質なエーラインドレスが折れそうなほど細い体にふわりと膨らんだ胸元を際立たせている。陶器のような白さはまるで人間味がなく、それが芸術品と錯覚させた。

 なによりその容姿だ。その容姿だけで、人間とは違う存在であることを象徴している。

 全てが完璧で整っており、人の股から生まれるだけでは決して手の届かない黄金の比率で配置されていた。

 人間じゃないからこその美貌だと分かっていても、その異彩から目が離せなかった。

 貴族の男が己の価値を披露するには、爵位に衣服、貴金属、そして女だ。それら全てをぽっと現れた男に掻っ攫われたのだ。ニコリともしない男は刺さる視線の醜さを意にも介さず、悠々と見せつけるように夜明けの少女を連れて歩き、アルドウィンの側に立つ姿は、彼の方が勇者のようにさえ見える。


 ゾワリ、とマリアンヌの背筋に怖気が走った。

 粘つく泥水のような薄気味悪い殺意が放たれた方へと顔を向けたが、そこには誰もいない。ベイルも姿を消していた。

 この異常なパーティがただで終わるとは思えない。しかし杞憂で終わってほしい。

 また男たちが群がってくる。身動きの取れない自分に歯噛みしながら、マリアンヌはミラが動いてくれるようにと祈るしかできなかった。





 貴族の交流。

 なんだそれは。

 踊ったりするのか。

 自慢話ばかりなのか。

 そんなカロンの疑問は、入れ代わり立ち代わりやってくる男たちを見て氷解した。


(エロジジイかっ!)


 やってくる男たちは挨拶もそこそこにコードホルダーのことを根掘り葉掘り聞いてくるのだ。途中からカロンを完全に無視する者までいた。

 もっと探りを入れてきたり、高等な話術で翻弄されたりするんだと思って身構えていたのに、蓋を開けてみればオッサンの下世話ばかり。楽でいいのだが、すごい納得がいかない。

 恐らくコードホルダーが現れる前はそう考えていたのだろう。それほど、この夜明けのような機巧少女が衝撃的だったのだ、と思うことにしている。

 事実、彼女の美しさはこの夜会の中でも飛び抜けたものだ。ミラやマリアンヌも非の打ち所がない美人だが、コードホルダーのそれは人間では持ち得ないものも詰め込まれた完璧なものである。

 髪の色、目の輝き、肌の白さ、スタイル。どれをとっても人間離れしたもので、こうして下品な思惑を持ち込む男たちの気持ちも分からなくはない。

 ただ、それが自分がキャラメイクした魔物だと思うと素直に喜べない部分もあった。


「マスター」


 声をかけてきたコードホルダーの視線の先を追うと、ミラが会話に夢中なアルドウィンの隙をついてカロンの側まで音もなくやってきた。

 不機嫌そうな顔に少しだけ喜色を混ぜて、小さく手を上げるミラは近寄ってきた男を軽く押し退けてカロンの隣に並ぶと、いつの間に盗んだのか給仕の持っていたお盆を差し出してきた。


「食べるか? 何も食べていないんだろう?」

「すまない」


 乗っていたのは薄いクラッカーの上に野菜とハムのようなものが添えられたもので、神都の酒場で見た得体の知れない料理とは違った。

 口に入れると、見た目通りの味がした、よく言えば素材の味を生かした料理。正直なカロンの感想は、味のしない料理。これが貴族の食べ物なのだろうかと首を傾げた。

 微妙な顔をしたカロンを見てミラは小さく笑う。


「いいものを食べ過ぎなんじゃないのか?」

「いや……」

「まあ、こんなものだよ。これでも食材は高級なんだが、味付けがな」


 西洋のイメージでいくと調味料を多用する印象だったが、この辺りは文化の違いなのだろう。


「それより紹介してくれないか? 今初めて見るんだが、どこにいたんだ?」

「ああ、私の部下だ。挨拶を」

「北方守護統括、第十二軍団長を拝命しています。コードホルダーです」

「ミラ・サイファーだ。で、これは愛人かなにかか?」

「なんでそうなる……ただの護衛だ。グラドラたちを連れ回すわけにもいかんからな」

「それはそうか。だが、あっちを連れ回したほうがナメられずに済むと思うぞ?」

「貴様はどっちの味方か――」

「失礼します。ミラ・サイファー様にお手紙が」


 給仕が銀の盆に乗せた手紙を恭しくミラに差し出してきたことで、カロンの言葉は途切れた。

 すぐにコンソールを操作して給仕の情報を確認する。不審な点はなく、平凡な一般人のデータなのを見てミラに目を向けると、同じ気持ちだったのか鋭い目つきで頷いていた。


「……ご苦労」


 手紙を受け取ったミラはすぐに中身を確認する。


「何者からだ」


 カロンの問いにミラは答えなかった。

 何も言わず踵を返し、手だけがカロンに「ここにいろ」と合図してそのまま広間を出ていってしまう。

 わざとらしい怪しさに後を追うか考えたカロンは、隣にいるコードホルダーを見てからもう一度しっかり考えて、


「行くぞ」


 そう告げて、足早に去ったミラを追いかけた。




 


 


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