1 思考
4章開始します。
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何故こんなことになったのだろうか。
自問しても答えは出ない。
エステルドバロニア国王、カロン。
遍く魔を統べし天魔波旬の主。
中央大陸を恐怖の渦に陥れた張本人。
そんな男が――暗い檻の中に閉じ込められていた。
「うーん……」
手の届かない高さにある隙間から差し込む光の下で腕組みをするカロンは、どうしたものかと頭を悩ませている。
石積みの壁は厚く頑丈で、嵌められた鉄格子はビクともしなさそうだ。
汚れた地べたに座ることも出来ず、仕方なく壁に背を預けてずっと瞑目していた。
ミラを捕らえていたエステルドバロニアの牢獄にも似た、埃っぽいこの暗がりに放置されてから凡そ1時間ちょっと。
部下とは問題なく連絡を取れているが、今後の予定を考えると荒事にはしたくなかったし、派手な行動も少し咎められる。
かと言っていつまでもこんな所で燻っているわけにもいかない。
それは分かっているが、完全に面倒事に巻き込まれた身としてはしっかり把握して事態を動かしたい欲がある。
どこの手の者たちなのか。どんな理由があるのか。何が目的なのか。
この世界にまだ馴染めていない自覚があるからこそ、裏を感じさせるこの状況を見定めたいとも思う。
そんな悠長な判断を選べるのは、当然カロン自身にそれだけの力があるからではない。
この牢屋にはカロンだけではなく、もう一人存在する。
それはここへ訪れるには都合が良いと思って連れてきたバロニアの一柱であり、か細いただの少女と判断されたおかげで同じ空間に閉じ込められていた。
正確には、大人しくしているようにと厳命してあり、それに従ってくれているだけだった。
キィン――
だが、流石に痺れを切らしたようで、駆動音と共に杖をつくような硬質な音がカロンの側に近付いてくる。
斜向かいからやって来るのは、エステルドバロニアにおいては最も人間に近い種族であり、最も人間とは遠い種族でもあった。
細く美しい流線型のボディをハイレグ状のレオタードに似た黒い装甲とオレンジ色のベルトで身体を隠した少女。
膝から下は鋭角を組み上げた鋼の義足で、肘から下は複雑に折り重なる鋼の義手。
胴の丈とは釣り合わない厳しいデザインが施された黒鉄の少女は、ヘルムの隙間から伸びた紫から淡い橙へと移り変わる夜明け色の髪をゆらゆらと揺らしながらカロンの前に立つと、埋め込まれた背骨の尾でバランスを取りながらキリキリと駆動音を上げて膝をついた。
「待機オーダーより1時間2分が経過。マスター、これ以上の拘束は状況から推測するに――無駄、と判断致したします」
バイザーに隠れた蒼白な顔を上げ、緑の光を放つモノアイで主の顔を窺うランク10の機巧種、【エクスマキナ001】。
その名を――
「コードホルダー、新たなオーダーを要求致します」
個体数の少ない機巧種の少女を跪かせたまま、カロンは疲れたように眉間をもみほぐす。
「どうしたものかなぁ」
なんでこうなったんだろうと思いながら、まだ答えを出すことはない。
「もう少し、待ってくれ」
そう告げて、またカロンは考える。
初めて自分に訪れた危険に対する、最も正しい判断を。
◆
公国と王国の戦争が終結し、エステルドバロニアは戦後処理として様々な外交を執り行うこととなった。
領土、交易、連携。あくまでも対等な立場として両国の間で交わされる条約は慎重に協議を進められていた。
初めて真っ当な外交であるとルシュカ率いる第16団は、「ついにこの時が来た」と本来の役目を果たすことに躍起になっており、使える者は何でも使ってやると今一番活気づいている。
再三の話となるが、カロンはなるべく穏便な方法を模索してほしいと考えているので、その意思に沿うよう細心の注意は払われている。
決してルシュカが得意とする圧倒的武力による恐怖の外交ではない。それは他の団長たちによって厳重に監視されていた。
しかし悲しいことに、エステルドバロニアは軍事力を背景とした強行的な外交を迫っている――と、リフェリス王国の内政官は考えているのだった。
エステルドバロニアが王国に対して求めた見返りは大きく分けて3つ。
公国に寝返った貴族の領土、その3分の1をエステルドバロニアに譲渡する。
今後の窓口として領事館を設置し、関係を密にする。
貨幣価値を精査し、適正な取引を行えるよう調整を図る。
細かいことは多々あるが、大きなものを挙げるならこの三つである。
内容だけ見れば、領地の件を除いて対等なものと言えるはずだ。
魔物たちが暮らすための土地だけはどうしても必要なので、それさえ融通してくれるならば他は不利でも今は別段構わなかった。
宝物庫に放り込まれた無尽蔵の財が空になるには国を数回ゼロから作り直してようやくといった量だ。
数年もの間、山賊紛いに国を滅ぼしてまわった蓄えは、金で解決できることならどうとでもできる自信があった。
が、提案された王国はカロンの言葉を額面通りに受け取ることもなければ、商売根性を出して優位に進めようともしなかった。
アルバートが代理として行われた会談の場で得られた情報は、
「納得していない、と?」
玉座の間にて報告を聞いたカロンが冷たく呟く。
「はい。どうやらあちらは、要求を強引に飲まされようとしていると思っているようですな」
「馬鹿を言うな。何一つ圧力をかけてはいないだろう。それともアルバート、貴様がそう仕向けたのか?」
じろりと見下ろされて小さな老体がブルリと震えたが、弁明するようにアルバートは慌てて頭を激しく振った。
「そのようなことは! 王の意に沿うよう細心の注意を払って要望をお伝え致しました! 誓ってカロン様にご迷惑をかけることがないよう努めております!」
「なら何故その場で是と答えておきながら、そんな馬鹿げた感情を持つのだ」
会談にてアルバートから伝えた内容に不備はない。
好々爺とした態度で努めて誠実に、コボルドを従えて赴き、カロンの言葉をそのまま伝えただけだ。
この采配はカロンとアルバートの認識の差があったせいで噛み合っていなかったが、あくまで余計な恐ろしさを植え付けないようにと配慮したが故の結果である。
「低級な魔物風情に怯えるなど騎士の恥晒しどもめ」と身内に悪態を吐く姿を見るに堪えない光景だったとアルバートが話していたが、そこに関してはもう興味がなかった。
結局、もうひと月も経っているのに王国との話が何一つ進んでいないことが問題だった。
「それで? 何か要求はあるのか?」
時間のかかる話だとは思っていたが、しかしいつまでも梨の礫では不満げにもなってくる。
その気持ちを汲みながら、アルバートはこれ以上カロンの負担を増やしていいものかと思い悩みながら、今回の会談で告げられた要求を、言い淀みながら言葉にした。
「……王国は、カロン様と直に話をしたいと求めてきました。対等な立場とするなら国王同士で一度顔を合わせ、組織のトップで意思の疎通を図りたいそうでございます」
「なに?」
友好をどこにアピールするわけでもないのだから外交官を通した交渉で十分なはずだ。
ましてや戦争を終えたこの段階でトップの人間が行き来するなど危険だろう。
この主張はあくまでも現場を知らぬまま国の運営に携わる大臣たちによるものであり、現騎士団長である“雷霆”ミラ・サイファーや救われた各地の貴族は関与していないし、反対意見も多かった。
国の形態がなかなかに混乱してきているが、それでもアルドウィン国王を含めた内政官の主張は一貫していた。
「それで、向こうはカロン様を招きたい、と」
これはアルバートも癪に障った。
ただトップ会談を求めるだけならまだ堪えられたが、王に出向けとは立場を理解していないから出てくる言葉ではないか。
救われた側のくせに上から目線の発言をする愚か者を、あの勇者たちのように消し炭にしてやろうかと本気で考えたくらいだ。
王から与えられた役目がなければ間違いなく実行していただろう。
「そうか。苦労させたな」
そんな想いを汲むように、労いの言葉がそっと心に注がれた。
カロン的には面倒なクレーマーの対処をさせてしまった程度の感覚だったが、アルバートは捧げる忠誠心を認めての労いと取り、誇らしげに頬を緩ませた。
「いえ、王の抱えるものに比べればこのぐらいは些事でございます。それより、どうなさいますか? 今一度互いの立場を理解させるのも宜しいかと思いますが」
「そうだな……」
カロンは指先でウィンドウを操作してリフェリス王国を確認する。
システム上は同盟国となっているが、そこにある内部感情は別物だ。
自国にも敵対値表示があるように、他国にも同様の数値が表示される。
見れば国の首脳陣が殆どマイナス感情を表す赤に染まっており、騎士や市民、地方貴族は平均するとニュートラルに近い。
ミラたちや一部の騎士だけがプラスを表す青だが、それで好意的に事態が動きはしないだろう。
「アルバート。どうするのが適切と思う?」
「水と油である以上、この違いを埋めるのは一朝一夕には難しいかと思われますが。やはり本隊を投入してしまった方が円滑に進むでしょう」
「そう言うな。この方針に付き合わせてしまったのだ。今更反故にしては皆の苦労も報われん」
今更手のひら返しをしてはミラにした言い訳が消えてなくなってしまう。
アルバートも考慮したようで、こくりと首を縦に振った。
「でありますか。しかしああいう手合いは体面を気にしますからなぁ。外訪するにも順序が大事でしょう。ここは向こうから出向かせたいところですが」
「この国に堂々とやってこれるような……ミラくらい豪胆な奴などそういやしないぞ」
「はっはっは! 仰る通りで。となれば、やはり王自ら出向くしかありませんかな。それも盛大に、豪奢に、豪勢に、です」
「ふむ、武力ではなく財力を示すと?」
「はい。我らがエステルドバロニアの国力を市井にも知らしめるのです」
大規模な軍事パレード作戦なら、暴力を振り翳す外交とは違い、大国に相応しい振る舞いで畏怖させるのは手段として最適と思えるが、それはそれで問題があるように思えた。
「この国を侮っている連中に金銭を見せびらかすのは、神都にいた老人どもと同じ道筋を辿る可能性はないか?」
「無論可能性は大いにあります。そこで、付随してもう一つ価値を持ち込んではいかがでしょうか」
「価値?」
「我が国にとって当たり前に存在し、安価な魔道具。フェルライトでございます」
ん? と視線を上に向けて、玉座の間を照らす照明を見た。
エステルドバロニアでは当たり前のように使われている、電気も火も必要としない魔法の照明器具。
確かに神都の街には見なかったし、この世界では希少なアイテムなのか。
カロン自身も、これがゲームからの延長じゃなければ脳内投影できるゲームが登場した時くらいの驚きを感じたかもしれないレベルの代物では確かにあるが。
魔術の存在する世界で、魔力で動くアイテムがどれだけ珍しいのか現地を調べていないから分からないまま、
「なるほどな……」
と、思慮深そうに呟く。
神都や王国に派遣することが多いアルバートが言うのであれば相応の価値があるのだろうと納得する。
こちらから要求したこと以上の見返りを示して、それを反故にされたのであればエステルドバロニアに協力的な者にも言い訳がたつだろうか。
黒の王衣の効果は属国までにしか及ばないので、リフェリス王国がこちらに悪感情を抱くのは最早どうしようもない部分がある。
ままならないよな、と独りごちながら、物憂げに国のステータスを見ながら指先で肘掛けを叩く。
ともあれ、これで時期は未定だが王国に行くことは確定となった。
ただでさえお飾りのような王なのに、神輿にまで乗ってはますます身の丈にあわない。
特にミラは笑ってくるだろう。間違いないと断言できる。
それと同時に、少し楽しみな気持ちもあった。
なにせこの世界に来てからまともな外出は、無理に解釈して神都に2回足を運んだだけしかない。
自分の国すらまともに歩かない男が外に出たがるのは矛盾している気もするが、それでも異世界の風景にはときめくものがある。
「では、今後の仔細をルシュカと……梔子姫も含めて調整してくれ」
「……あの女狐もですか?」
珍しくあからさまに顔を歪めたのを見て、意外だなと思った。
どうやらアルバートは梔子姫にあまり良い感情を持っていないらしい。
“狡猾”と“調和”のアルバート、“狡猾”と“淫靡”の梔子姫、そして“忠義”と“冷酷”のルシュカ。
確かに“淫靡”は相性のいい性格が少なくて、真面目系とは絶望的に合わないにしても、他は悪くないはずなのに。
煩わしげな顔をされるも、カロンはその計画にこの3人を纏めようと決めていたので変更はない。
(この3人はなぁ、どうもなぁ)
不信感とまではいかないが、少し優秀過ぎて訳の分からない方向に持ち込まれている気がしてならないのだ。
神都の件しかり、公国の件しかり、カロンとしては都合のいい展開なのに思い描いた過程を踏んでくれない。
それを悪いと言うつもりはないが、どうにも過激すぎる節がある。
もう少し、せめて敵対していない相手に対して人道的な方法を考えてほしい。
なので、戦いの絡まないこの作戦を通してそれぞれの考え方を知る魂胆である。
「とにかく、経過報告してくれれば裁量はある程度委ねよう」
そしてどんなことでぶつかったりするのか教えてくれ。
問題児と思しき3人の、ゲームとして設定されたものではなく、生きる彼らの性格を知るために。
どうせ他の手なんて思いつけないとアルバートの案に丸乗りしたカロン。
深く頭を下げたアルバートがニヤリと笑った理由も、ルシュカとこの案を通すために相談していた内容も、「王様って本当に大変だな」と胡乱な目をするカロンがその全容を正しく知るのは、全てが整ってからになるとは微塵も思っていなかった。
◆
エステルドバロニアは、今祭りの真っ只中にあった。
この世界に来てから祭りばかりやっている気がするが、普段の賑わいとさしたる差はないので言い様の問題ではあるが。
但し、今回はとくに賑やかだった。
戦争となれば第一線の部隊が活躍することが多いのが当たり前だったが、今回異例の大抜擢によって新兵たちが戦に花を添えたのだ。
街では『新兵応援キャンペーン』なるものが開催されており、低ランク低レベルの兵士の飲食を無料にする催しが行われている。
お陰で非番の兵士たちが昼夜問わず乱痴気騒ぎ。それに便乗して他の兵士も騒ぎ立て、住民も混ざって大変なことになっている。
そして、老舗の定食屋【フルブルゾン】はもっと凄いことになっていた。
「今日はグラドラの奢りなので好きに飲み食うように。はいそれじゃかんぱーい」
ウォォォォ! と遠吠えを上げたコボルトたちが、グラスを掲げて主催の守善へ感謝を示し、50体のコボルトは一斉に料理と酒に手を付けた。
店を貸し切って、所狭しと詰め込まれた子犬たちはキャンキャン吠えながら手を挙げて料理を注文していく。
その対応に追われるウェイトレスたちは汗を流しながら厨房と客席を幾度となく往復しており、下手な団体客より消費ペースの早い軍の兵士に悪戦苦闘していた。
その戦いの光景を見ながら、守善は気怠そうにカウンターに突っ伏したまま、目の前に置かれた蛙のムニエルを頬張っている。
この子犬部隊は、先の戦争で活躍した歩兵の一部であり、守善ではなくグラドラの配下たちだ。
あの戦争に参加したのは、グラドラ配下のコボルト。五郎兵衛配下のゴブリンとスプリガンである。
本来なら彼らの隊長なりグラドラなりが面倒を見るべきなのだが、彼らの休暇と合わせて休みだったのが守善だからと押し付けられたのである。
いや、この場に立場が上な者はいるのだ。それこそグラドラの右腕として副団長を預かる人狼の女が。
「あの」
背後から声をかけられ、ゆっくり頭を上げた守善の隣に、その女が腰を下ろした。
白い狩衣に黒のロングスカートと、少し上半身の露出が目立つが、晒された肌は青みがかった灰色の毛で覆われている。
手先や鼻先は絹のような白毛で、毛並みの良さがどれだけ手入れしているのか明白だった。
「すみませんでした。せっかくのお休みなのにグラドラが無理を言ったせいで……」
【ルナルーガルーヴ】というランク8の獣人種、第二団副団長のハルーナは申し訳なさそうに謝罪した。
グラドラもハルーナも二足歩行の狼のような外見であるが、獣に近いグラドラと違って彼女は体つきも顔立ちも少しばかり人間に近い。
その表情の変化も女性らしく繊細で、長い鼻をヒクヒクさせながら、眉尻を下げて耳まで垂らしている。
「いいよ、暇なのは事実だしさ」
赤黒い腕を持ち上げて店のマスターを呼び、ハルーナの方に視線を向けた。
それだけで察して、彼女の前に小さなグラスが運ばれてくる。
「ハルも非番なら飲んでもいいんじゃないの?」
「い、いえ! 私がグラドラのお金を使うわけには……」
「気にしなくていいって。そんなことでどうこう言うほど狭量じゃないでしょ」
「でも……」
「ハルの労いも兼ねてるんじゃない? 俺たちより、副団長の方が忙しく動いていたのは事実でしょ」
団長たちの役割は戦闘に比重が傾けられており、団の運営に関しては基本副団長とその部下たちによって回されていることが多い。
転移してからはとにかく忙しかったはずだ。人一倍不満を垂れ流す自分のところの副団長も会うたび嫌味を言うので、さすがの守善も気を使おうかと思ったほどだ。
ここにいるコボルトたちを選出して装備を整え、五郎兵衛の団と情報共有して作戦に支障をきたさないよう配慮したりと、ただ暴れていたグラドラより遥かに軍に貢献していた彼女だ。
それくらいともう一度勧めれば、ようやくグラスを手にして小さく礼をしてからハルーナは桃色の液体を口に含んだ。
「でも、休暇って初めてだよね」
「私たち士官ではそうかもしれません」
戦争を終えてから軍の勤務体系が大きく見直されたことにより、団長クラスの者にも休暇を与えるように変更された。
軍の中枢にいる魔物はいかなる場合でも常勤するのが当たり前だったが、カロンが慌てたように施行したのである。
国の紋章を身に付けることを許された、軍を預かる者として当然の役目であり栄誉あることだと思っていたので、戸惑っている者は多い。
守善もその1人であり、お人好しで引き受けた部分もあるが、突然与えられた休みをどう過ごしていいのか分からなかったから、というのも理由にあった。
「ところでさ」
舐めるように飲むハルーナが、守善の声色を察して背筋と耳を伸ばす。
周囲の音が遠のいたような感覚の中で、カランと守善の手元で氷が踊った音がよく聞こえた。
「この世界の人間は、どうだった?」
今回は王が全てを差配したために戦場で指揮こそ執らずにいたものの、それでも彼女は遥か後方でその光景を見つめていた。
あの戦いぶりを見て出てくる答えは自ずと一つに限られてくるはずだ。事前に五郎兵衛から聞いていた守善は彼女も同じ答えを導くだろうと思っていた。
だが、
「そうですね。率直な感想を申し上げるのであれば、やはり以前の、あの世界と比べても遜色ない脅威が生まれる可能性があるのではと思います」
「へえ」
一軍の本隊すら必要としない低俗な戦争。児戯のように王の手遊びで終わらされた戦争。
それを見て、彼女は脅威であると口にした。
「やはり、あの女騎士が勇者の力を発露したことは気に留めるべきでしょう。そしてその血がどれだけの人間に流れているのかも、その血の濃さによるかも不明な今は我々のような高官が苦戦する敵が登場する可能性は十分にあります。
もしあの戦争をもっと放置して被害を増やしていた場合、勇者候補と呼ばれる人間たちから勇者が現れる可能性があったのと思うと、迂闊に攻める真似は現状避けるべきでしょう」
「けど、ハルーナでもミラ・サイファーは殺せるはずだ」
「はい。私でも勝てるでしょう。梔子姫様が苦戦なさったようなことを聞きましたが、それこそ児戯に等しいもの。あの勇者があと3人いてもあの御方に届くことはありません。
ですが今後その素質を極められるのだとすれば、それはやはり恐ろしい存在に成り得ると思います。私は、本物の怖さを侮ることは致しません」
たった1人で軍を圧倒し、平然と団長格と対等以上に戦う人間の姿が焼き付いて離れない。
不明瞭なことが多い今、友好的なミラを育ててみるのも1つの手段として考えるべきとさえ思う。
恐らく、団長たちの中でも割れる考え方だ。思慮深い者ほど見えていない事柄に警戒を抱いているだろう。
遠吠えで競い合うコボルトたちから外れて神妙な面持ちをする2人。
そこに、静かに新しいグラスが置かれた。
前を見ると、年老いたゴブリンが皺でくしゃくしゃになった無愛想な顔があった。
「今くらい、仕事忘れても、いんじゃねえのか?」
たどたどしいが、長い歴史を感じさせる声だ。
この国の歴史と共に生きてきたゴブリンの言葉に、守善とハルーナは顔を見合わせてから小さく笑いあった。
休暇というものに如何に慣れていないのかを実感させられて、感謝を示すようにグラスを掲げるとゴブリンはカウンターでの仕事に戻った。
「今は、そうしましょうか」
「そうだね」
ハルーナは小さくグラスを合わせると、席を立って可愛い部下たちのもとに向かっていった。
憧れの的なのか、待ってましたと言わんばかりの歓声に包まれて困惑する姿を見つめながらゆっくりと酒を楽しむ努力をしてみる守善。
ゆっくりした時間は好きだが、なにもないとそれはそれで落ち着かないと視線がついつい彷徨ってしまう。
寝てしまおうかと上体をカウンターに投げ出していたが、ふと忙しない店員たちの中に足りないものを感じて伏せたまま声を上げた。
「マスター? あの外から来たエルフはどうしたのー?」
ゴブリンはグラスを拭きながらそっと呟いた。
「ルシュカ様が、今朝連れてった」
書籍化の情報を1つ新しく発表します。
詳しくは活動報告を御覧ください。