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エステルドバロニア  作者: 百黒
3章 王国と公国
50/93

26 欠




 フィレンツェの森で、2人の男女が逢瀬をしていた。

 木漏れ日の下に立つ騎士と、フード付きマントを纏う愛らしい少女の光景は絵画になってもおかしくないほど様になっている。

 軽鎧の騎士は、胸丈の少女の顔を見て寂しげに目じりを下げて微笑んだ。


「もう、行くのか?」


 見送りに来たのだから、そうなのだと分かっても尋ねたかった。

 ともにこの動乱を乗り越えた仲間として、離れてしまわなければならないのは物悲しい。

 なによりその理由が、ただ住むべき場所が違うだけじゃないのが、余計に。

 少女は心配させぬよう気丈に笑ってみせたが、マントを握る手は震えていた。


「魔物と人間ですから。今は……今はまだ、一緒にはいられません」


 エステルドバロニアの登場によって、王国は大陸の覇権を握ることが叶わなくなった。

 そして、国の中で意見が別れていて今後どうするのか何一つ決められていないのである。

 国の上層は魔物を排除すべきと考えるが、兵士は目の当たりにした圧倒的な力に立ち向かうべきではないと訴える。

 そこに拍車をかけるのは、救出された貴族たちの意見だ。

 颯爽と現れて助けられた恩を、恐ろしくはあるが返すべきだと言うのである。

 現場を知らない大臣たちの意見はこのままだと封殺されかねないが、しかし魔物への恐ろしさが根幹にあるのでまだどう転ぶか誰にも分からなかった。

 手を取り合うのか、それとも刃を交えるのか。

 どちらにせよ、フェルミリアは正体を知られれば問題になると気を使い、まだ誰も起きていない早朝を狙って誰に知らせることもせず王国を出た。

 しかしベルトロイはその行動を読み、先回りして森へ入ったところで声をかけたことで、こうして向き合っている。


「今は、きっと皆さんにご迷惑をおかけしてしまいますから……」

「そんなことはないよ。俺もいるし、ポウルもリーヴァルも、隊長は分かんないけど、マリアンヌだって。君が望むなら王国で生活できるように助けてみせるし、そう思っているはずだ」


 きっと彼らはそうしてくれるだろう。

 それほど、この可愛らしく勇敢な少女を大切にしてくれている。

 そっと伸ばされた手を掴めば、何があっても離しはしない。1人にしないと目で訴えていた。

 しかし、彼女は化け物なのだ。


「ありがとうございます。でも、あの国が私の帰る家なんです」


 やんわりと、その申し出をフィルミリアは辞退した。

 寂しいと彼女は口にしない。それでも行かなければならないと噛み締めた唇に決意が表れている。

 これ以上引き止めることは出来ないと分かり、ふっと力を抜いてベルトロイは膝をつく。

 騎士として生きることになって、初めて捧げる小さなお姫様への誓い。


「俺たちは君に沢山助けられた。だから、何かあったらその時は必ず力になるよ」


 勇者候補なんて関係ない。魔物を倒すべきと誰もが言うが、そうじゃない魔物もいるのだと知った。

 心があり、思想があり、意思がある。

 人間と魔物の違いは殆どない。言葉を交わせばわかり合うこともできると知った。

 いつか、人々に広まればまた出会えるだろう。

 どれだけの時間を必要とするか定かではないが、近い将来実現すると、あの王を見て思った。


「その時まで、どうか元気で」


 力強い男の眼差しに、フィルミリアは僅かに体を震わせてから、そっとベルトロイの耳に手を添えて、軽い口付けをした。









 個体保有スキル・《淫魔の刻印》


「ありがとう、ベルトロイ・バーゼス。クソみたいな青春でしたが少しは楽しめましたよ」

「えっ?」


 囁く声は、耳を塞がれたベルトロイには聞き取れなかった。

 にこりと笑う顔はいつもと変わらない満開の花を彷彿とさせる可愛らしさなのに、何故か蜜に濡れた茨さえ連想させる。

 何が変わったか分からないが、初めての口づけの驚きが勝ったベルトロイは、静かに離れて森の奥へと消えていく姿をただ見送るしかなかった。



 さくさくと、落ちた草木を踏みながら森の奥深くへと進むフィルミリアを待ち構える者がいた。

 場違いなほど綺麗に身を整えた老紳士は、マントを脱ぎ捨てたゴシックドレスの少女に意地の悪い笑みを浮かべた。


「やあ。初めての偽装任務はいかがだったかな? ミリアちゃん」


 そう老人が口にした瞬間、森の中にけたたましい金属の駆動音が鳴り響いた。

 ジャラジャラと鎖の伸びる音に合わせて、周囲の木が瞬く間に鉤爪のような刃に削り取られた。

 鎌のような棘の生えた薄氷にも似た半透明な刀身の連なりが少女の動きに合わせて老人を切り裂いたが、手応えはない。

 振り抜いた腕を引き戻すと、輪を描いて伸びた刃はまた駆動音を上げて巻き取られていく。

 本来の姿に戻った刃は鎌首を擡げる蛇のように湾曲し、蛇腹剣と呼ばれる武器としては異様な形状をしていた。


「次そう呼んだら本気で殺しますよ? カロン様がお望みだから我慢してやってただけなんですから」


 血振りするように奇妙な剣を払い、フィルミリアは斬られた箇所を影で塞ぐアルバートを睨みつけた。

 アルバートはいつもと同じ、人間味のない仮面のような微笑を浮かべている。


「それは失礼した。てっきり好きになったのかと思ったが」

「好き? 私が? 人間を?」


 くつくつと喉を鳴らして、俯いた顔がゆっくりと上がっていく。

 そこに可憐でか弱い少女はどこにもいない。


「面白いですねアルバート。食事の好みはあっても食材に好意なんか抱きますか? まぁ食事の際に抱くのは吝かではありませんがね!」


 嗜虐と淫蕩に汚れた恍惚の笑み。桃色の唇と真紅の瞳を孤月に曲げた顔には怖気を感じさせる狂気がにじみ出ている。

 地面に剣を突き立てて、反った胸に指先を当てながら【淫魔の女王】は、ふふんと鼻を鳴らした。


「こんなに、こんなに可愛くて美しい私が可憐で清楚でいたいけな少女を演じてあげたんですから、恋の百や千向けられても仕方ないですよ! ああ、なんて罪深いんでしょうか! カロン様の手によって絶世の美少女に作られてしまったせいで、愚かな雄が餌になろうと集まってきてしまう……暴力的な可愛さじゃありませんか!?」

「……そうだね」

「さすがルシュカに次ぐ智謀の持ち主はよく分かっていますね!」


 べったりと貼り付いていた仮面に面倒の二文字が薄く浮かび上がるが、そんなことはお構い無しに彼女は——第6団団長の淫魔は上機嫌にゴシックドレスのスカートを広げてくるくると回っていた。


 今回の潜入において、最も適任と判断された彼女だが、本来は〝淫靡〟と〝高貴〟の性格を与えられているので、勇者候補たちに見せているような可愛らしさなど微塵もない。

 最も人間に近い姿で、要職を兼務しておらず、なおかつ演技力のある者とカロンは見込んでいたが、他の団長たちは絶対上手くいかないと思っていた。

 男を立ち食いする。開始3秒でベッドに連れ込む。そんな猫被れるわけがない。あれはゴロベエにも負けない変質者だから無理だ。などなど。

 しかしそんな下馬評を覆して、フィルミリアは見事役目を果たした。

 その対価として支払った禁欲生活の反動なのか、かなりテンションが高く常より相手しづらい気がする。

 しかし、残念ながら普段からこの感じなのでアルバートの勘違いであった。


「それで、首尾はどうなんだい?」

「首尾も何も、私の役目はもう終わったんですけどねぇ。まあいいでしょう」


 くるんと蛇腹剣を指で弄ぶと、足元に落として虚空に収納してから近くにできた切り株に腰を下ろした。

 優雅に足を組み替えながら、わざとスカートの裾を際どくして男を誘うような仕草を見せる。

 色気立つ白磁の柔肌だが、アルバートの気を引きたいわけではなく、それが彼女の在り方なだけで、官能的に足を組み替えてもアルバートは一瞥もせず、フィルミリアも気にはしていない。


「それで、何から聞きたいですか?」

「無論、王からどのような指示をいただいたのかだよ」

「普通ですよ? 勇者候補に接近して好意を抱かせ、エステルドバロニアとの架け橋になれと」

「ほう。それが額面通りとは」

「思うわけないじゃないですかぁ。聡明なカロン様から直々に告げられたことですから、その裏もちゃんと理解してましたとも!」


 裏とは、勝手に作りあげられるものである。

 魔物の国では、カロンに対して当たり前のように流行していた。


「カロン様がターゲットに選ぶだけのことはありましたね。この戦争で多く命を落とせば高い地位も狙えるくらい、人間たちの中では有望株でしたから」

「そうだね。これであの国の中枢には、魔物側に肩入れする人間が紛れることになった」

「勇者を失い、期待する勇者は魔物の側。王族文官との対立は避けられないんじゃないですかぁ?

 軍もあれだけの戦いを見せられちゃったら歯向かう気は起きないし、貴族もほぼ同じ」

「つまり、これであの国は王政の危機に瀕する。王族は意見を通せなくなり衝突が避けられないだろう」


 それが、アルバートたちが勝手に描いたカロンの作戦の全容であった。

 国内に懐疑心を。兵士に恐怖を。貴族に恩を植え付け、内部崩壊を狙う。

 それに加えて、もう一手。


「あの女がカロン様に執心となれば、次の騎士団長に据えて協力体制を構築しやすくなる。魔物への忌避感よりもカロン様への心象を欲するはずだ。アレは我々には届かぬ益虫として王国内をかき回してくれよう」

「ふふふっ、カロン様はアレが勇者として覚醒することもお見通しだったんでしょうね! やっぱりあの人は私たちなんかじゃ到底及ばない先見の明をお持ちです! あああああああ、素敵すてき!」


 カロンの指示によって自由な行動を許されたアルバートは、それを現勇者の排除と受け取った。

 低レベルな上に年老いて魔物に対する悪感情も凝り固まった邪魔者を排除すれば、真の勇者として力を得たミラ・サイファーを実力から判断して軍の上に置かざるを得ない。

 王は詳細な命令を下してはいないし関知もしていない。仮にそれを知られたとしてもアルバートを叱責して厳しい罰を与えれば、強力な存在に対して王の権限がどれだけ及ぶか示すことさえ出来る。

 全ては、エステルドバロニアを統べる王の存在を強く認識させ、言葉一つで友好も王国もろとも枯葉のように吹き飛ばせると示す為に。

 どちらに転んでも不利益はなかった。侵略して完膚なきまでに潰さないのは今後の為の布石としての微々たる価値しかなく、カロンが友好的に接すれば接するほど、事実に触れていく程に恐怖のどん底へと陥っていくのは間違いない。

 ぶんぶんと身体を抱きしめて脆弱な人間の王に恋慕し興奮し欲情するフィルミリア。

 ミラのような力もないのに、睥睨されただけで頭を下げ靴まで舐めたいと思わせる神々しさは、淫魔の女王たる彼女の琴線に触れてばかりだ。


「はぁ、本当に素晴らしいですね! もう帰り次第めちゃくちゃに抱かれたいですよ! ご褒美におねだりしたらダメでしょうか!? しっぽりとねっとりと……はっ! でももし145年も生息子をお守りだったら……マーベラス! ベリーグッド! エクセレント! はぁはぁ、こうしちゃいられません、今すぐにでもお会いしないと疼きが止められそうにありませんので失礼します!」


 そう言い残して、ぎゃあぎゃあと1人で騒いでさっさと姿を消してしまったフィルミリア。

 アルバートは一人取り残され、珍しく疲れたように溜め息を零した。


「フィルミリア嬢を御すのは、我が王にしか出来ん芸当でありますな」


 彼女への皮肉とも、カロンへの称賛ともとれる言葉も合わせて吐いた。

 “調和”と“狡猾”を与えられたアルバートでも、“淫靡”と“高貴”を拗らせた彼女を上手く扱うのは至難の技らしい。

 五郎兵衛と比べた場合、あちらはまだ言うことを聞いてくれるだけマシだが、こちらは思慮こそあっても言動が唐突な事が多いので、掌握できる点で言うならまだ男色鬼の方が幾分かマシであった。


「私も微力ながら細工もできたし、フィルミリア嬢も保険をかけられた。本当に、ミラ嬢さまさまですな」


 もしミラが大人しく王国に戻っていたらこんなことにはならなかった。エステルドバロニアがこれほど最良の結果を得ることはなかった。

 アルバートは、あくまでも()()()()()()()()()()()()()

 王国への細工も、勇者の殺害も、ミラへの助力も、それをカロンが望んでいると察したからでしかない。

 それを望んでいるからこそ、その差配をあの時自分に一任したのだと確信している。


 木漏れ日を遮るようにハットを指で摘み、ぼんやりと霞む王国を眺めながら背後に渦巻く闇を生み出した。


「さて、ここからはカロン様のお手並みによるでしょうか。まあ、結局どっちでもいいのでしょうがね」


 おそらく今頃、最後の詰めに取り掛かっているだろう。

 その優しさが慈愛か慈悲かまではアルバートには分からない。ただ、弱者を救うのもまた王らしさである。それが天魔波旬の集う国を導いてきた根幹なことは、小さな小屋からゴブリンを従えて始まった建国の道筋を知る者は理解できる。

 失敗したところで、ベストがベターに変わるだけでしかない。むしろ失敗してくれた方が面白いぐらい王国は混乱に陥ってくれそうだ。


 それに、大公を監視していた幾つもの目。

 手遊びのような上位スキルの奔流を見てどう接してくるかで底も知れよう。


 どうなることやらと、この戦争の結果を愉しみに思いながら、真祖はコートを翻して闇の中へと姿を消した。

 

 


 





 ジメジメとした薄暗い通路には、クスクスと笑う女の声が霧のように響いている。

 図書館と同じ階層にあり、今の今まで使われていなかった地下の一角を漂うランク5の死霊種【リッパーレイス】が壁から壁をすり抜けて、囚われた人間の前を何度も往復していた。

 巨大なメッツァルーナを握りしめて見せびらかすように目の前を通る度に人間の様子を観察するが、顔も上げず手を高く吊るされたまま動かないのを残念がってシャリンと刃を鳴らしては消えていく。


 ボロ布を適当に巻きつけられた人間には足があった。

 虚無の闇に飲み込まれて失われたはずの下半身が完璧に治されていた。

 内臓が溢れ出て虫の息だった人間を治療できる薬などこの世界には存在せず、それだけ強力な魔術が使える魔術師など居るかどうかさえ分からない。

 常識を遥かに超越したモノが存在する事実。それに人間は感知せず、ただ時が過ぎるのを待っていた。

 ふと、重苦しい鉄の軋みが聞こえてきた。

 耳障りだった幽霊たちは怯えたように姿を消し、残ったのは石を踏み鳴らす靴音だけ。

 音は2つあり、どちらも一定の速度でゆっくりとやってきて、目の前で止まった。


「元気かな、ミラ・サイファー」


 そう呼ばれ、勇者へと至った人間はようやく顔を上げた。

 薄汚れて乱雑になった銀の髪の合間から、その2人を見て微かに唇を歪めた。


「そう見えるか?」

「ずいぶんと居心地が悪そうだ。なかなかに騒がしかったんだろう?」

「ああ。気が狂いそうだったよ」


 そうかと呟いて、声の主は従えていた女に手で合図をして鉄格子の扉を開け、中へと入ってきた。


「ルシュカ、戻っていいぞ」

「カロン様。この女は勇者です。貴方様と2人きりにするなど危険すぎます。どうか――」

「戻れと、言ったんだ。すまないが外で待っていてくれ」


 低い声に、女はぐっと唇を噛んで深く頭を下げ、「なにかしたら生を後悔させてやる」と呟いて来た道を戻っていった。


「さて」


 そう前置きして、魔王カロンは勇者ミラと三度目の邂逅を果たした。

 もう騎士と出自不明な貴族ではなく、魔王と勇者として相反する立場であることを明確にして。


「何故生かされているか、と思ってそうだな」

「いいや。それは大体察しがついているよ。勇者として目覚めた私を駒にするつもりなのだろう? 恐らくドグマ団長もヴァレイル殿も、もうこの世には居ないはずだ。私を騎士団長として擁立させて、魔物肯定派にでも仕立て上げる。そんな計画をしていると」


 勇者として目覚めなければ、ミラの影響力は貴族としての地位しかない。目覚めたからこそ勇者至上主義の王国では絶大な力を手にできる。

 腐っても貴族として、騎士として教育を受けてきた彼女でもこの展開は想像がついた。

 だが、反してカロンはなんとも言えない顔を作った。


「……まさかとは思うが、カロン、お前考えていなかったのか?」

「え? まさか、そんなわけないだろう」

「だよな」


 取り繕った感じがあるが、ミラは深く追求することはせず話を続けた。


「リフェリス王国は大騒ぎだ。今まで見つけては遊びのように殺していた魔物が群れをなして騎士団が苦戦していた公国軍を容易く殺してしまうんだからな。そんなの実際に見なければ誰も信じられん。あれを敵に回すくらいならと下剋上さえ有り得る。

 私に、それを制御させるつもりなんだろう? 都合のいいイヌとして王国を利用するために。はは、お前が救ってほしいと思っているなんて馬鹿な考えだったな」


 完璧だと言いたいくらい、腹立たしいほど緻密な作戦だった。

 自分が勇者になってもならなくてもこの国に影響はない。首を縦に振ればもっと都合がいいだけだ。

 あのひ弱な姿も全て演技なのだとしたら、この男の掌で全て踊らされていたことになる。

 ふざけた妄想が最悪の事態を招いたと思うと笑わずにはいられなかった。


 壊れたように笑うミラだが、カロンは後ろで手を組んでゆるゆると首を左右に振る。

 その仕草の意味が分からず、ミラの声はぴたりと止んだ。


「それもあるにはあるが、私の希望とは違うな」

「なに?」


 これ以上何があるのか。

 もはや魔物以上に得体の知れない存在と認識しかけていた魔物の王は、気負いなく言ってのける。


「私の目的は交易だ」

「……待て、待てカロン。そんなもののためにこんなことをしたのか?」

「そんなものとは失礼じゃないか。大切なことだろう?」


 そうじゃない。それは副産物であるべきだと言いたい。

 これからエステルドバロニアが外へ出るための手段として利用し尽くす中の一つが交易じゃなければ、こんな面倒な手順を踏まず、邪魔な者を公国のせいにして排除してしまえば済んだ話なのだ。

 各国との渡りにも、大陸の制御にも、いざという時の盾にも使える王国の有用性を、ただの交易相手としてしか見ていないのはおかしい。

 なにか足りないものがある。そう考えてミラははっと目を見開き、悔しがるように歯を噛み締めた。


「そうか、とっくに神都はお前たちの手の中なのか」

「ご名答。よく分かったな」

「そうじゃなければおかしい。王国以上にディルアーゼルは各国から宗教の聖地を有する街として重要視されている。エルフを解放したことで亜人や獣人のいる国と関わるのも上手く進むし、問題が起きた時の捌け口として利用するには都合がいい所だ」


 王国が公国と神都を制御できていないことは周知の事実だった。

 その地位を考えれば、神都ディルアーゼルの方が対外政策に利用しやすいだろう。

 つまり、王国に求められる役割は本当に交易でしかないことになる。


「なら、何故こんな真似をした。どうして、私を生かした! こんな生き恥を曝させる理由はなんだ! 答えろ!」


 想像していた自分の価値が崩れ去り、ミラは抑えきれない苛立ちを吐き出した。

 心の何処かで、まだカロンは自分を特別と思ってくれていると信じていたのに、それを踏みにじられた気がして我慢がならない。

 手に入れたいものが手に入らなかった。ならせめて手に入れたいと思わせたい。

 そんな、ひどく歪んだ心の均衡のとり方。

 雷霆の勇者となった騎士の誉れも、所詮心の弱い1人の人間でしかないなんて認めたくなかった。

 

 ボロ布をはだけさせ、はぁはぁと荒く息をするミラを見ながら、カロンはゆっくりと背を向けて呟いた。


「これ以上、被害を出さないためだ」


 その意味が、すぐに理解できない。


「私は余計な死を嫌う。例え魔物でも、人間でも、命の尊さに違いなどない。

 あの勇者たちが残っていれば再戦の目ができてしまう。あれ以上の戦力で圧勝してしまえば他国に救いを求めたくなってしまう。これ以上勇者を失えば民衆が暴動を起こしてしまう。エステルドバロニアと共存を果たすためには、ここまでする必要があった。それが理由だ」


 アルバートも、ミラも、エステルドバロニアの視点から考えていた。

 だが見方を変えれば、王国はギリギリのところで自ら滅ぶ手段を取れなくなったと言えるではないか。

 魔物に強い悪感情を持つドグマとヴァレイルの排除。わざと弱い魔物による公国の制圧。王国貴族の早急な救援行動。覚醒したミラの生かされる理由。

 事実としてあの戦争で失われた兵の命は少なく済んでいるし、貴族のことをミラは知らないが、それも含めれば筋が通っている。


 王国は、今後も生きていくために、強大な国へ反旗を翻さぬよう手足をもがれた。

 まるで悪逆非道な行いにも映るだろうが、強大な国だからこそ出来る生かし方でもある。

 むしろ、他に王国が生き長らえる手段は無いとばかりに。


「我が国の民も人間への怒りを持っている。刃を向けられては黙っているなど王である私にはできん。その時は、滅ぼさなければならない」


 そうならないために、カロンは選んだのだ。拘泥とした思いを押し殺すような平坦な口調で聞かされた内容に、ミラは驚きを隠せない。


「お前は、馬鹿なのか?」

「おい。言うに事欠いて馬鹿とはなんだ」

「お前たちからすれば、王国なんてむしろ邪魔な存在じゃないか」

「それがどうした。私は王だ。弱い人間の王なんだぞ。どうして弱者を切り捨てられる」


 その衝撃がどれだけのものか、カロンには分からない。

 ミラは、ここに真の王を見た気がしていた。


(こんなことになった言い訳が他に思いつかないだけなんだけどね。我ながらひどい内容だけど)


 とは、カロンの心の声である。

 ミラと会って説得できる嘘を作るのに寝ないで考えた成果は、なんとか通用しそうだと安心していた。

 それどころかミラが言い出した恐ろしい作戦の概要にぞっとしたくらいだ。

 確かにエステルドバロニアの利益だけを見たらそうなる。これがルシュカたちに説明する必要に駆られていたならそっちに思考が傾いていただろう。

 ミラに弁明するために考えたからこそ、とても耳触りの良い方向に進める余地があったのだ。


(そういうとこまで考えて皆動いていたのか? いや、ないな。梔子姫とか絶対考えていないぞ。あれは俺を困らせる奴トップ3に加えておこう)


 ちなみに1位はアルバート。2位はルシュカである。


「一つ聞かせてくれ」


 背後から落ち着いた声がして、カロンは首だけで振り返る。


「なんだ?」

「お前は、囚われているのか? この国に、あの魔物たちに」


 その答えを知ってどうするつもりか、少し分からない。

 ミラがどうして夜襲をかけてきたのかを知らないカロンには、背中を見るミラの眼光に二度目の決意が灯っているなど想像もしていなかった。

 まさか自分を救うためにもう一度この国を敵に回そうと思っているなど。


 だが、答えは決まっている。

 自分の仲間が傷つく姿を見てようやく心の底から言える言葉だった。


「俺が心血注いで作り上げた国だ。

 平穏を好み、お祭り騒ぎばかりしているような、そんな奴らの暮らす幸福な国だ。

 人間に迫害され、陵辱され、虐殺されて尚、俺の想いに従ってくれるような優しい国だ。

 故に、歯向かうなら容赦はしない。如何なる手段を用いてでも葬ろう。

 それが、」


 ――愛するエステルドバロニアを守るために、俺が選ぶ王道だ。


「お前の反旗に二度はない。次は容赦なく殺す」


 黒に身を包んだ男の言葉は、跪きたいと思わせる気迫に溢れていた。

 慈悲深く冷徹な声に、ミラはようやくカロンの本質を知り、がくりと項垂れる。


「ああ、まったく馬鹿な女だな私は。あの女狐が正しかったか」


 なんの話か尋ねるよりも早くミラは諦めたような力ない声を出した。


「魔物に手出しはしないと誓おう。騎士とし……いや、ミラ・サイファーとして誓おう」


 魔物を殺せと訴える声の煩わしさは、斬り捨てて黙らせてやる。

 植え付けられてきた思想が吹き飛ぶくらい清々しい気持ちだった。

 この男が従えるのなら、信じてやろうかと思えるくらい。


 カロンはニヤリと笑いながら、それ以上の会話は不要だと鉄格子の外へ出て暗い通路を足早に歩いた。



 こうして、騒動の幕を閉じる。

 これからどのような事態が待ち受けていようとも、カロンは自分で決めた茨の道を、大切な仲間に切り開かせて進むだろう。

 新たな時代の幕開けは、1人の人間を大きく変えた。


「魔王でも名乗ろうかな」


 それに相応しい存在に。

 天魔波旬を統べる王としての姿に。

 この世界を地獄の坩堝に変えようとも、守るべきものを守る人間に。


「それに相応しいだけの力を手に入れてやる」


 それを歓迎するようにノイズが頭に走った。

 今、ふと何かが抜け落ちたような気がして振り返るが、そこには何もない。


(あれ?)


 立ち止まる。





「なんで怖がってたんだ?」





 抜け落ちたものの正体を思い出すことはないだろう。

 ただ、選んだ道を歩くしかこの男には残されていないのだから。



3章はこれで終わりとなります。

所感は活動報告にて書きます。


それと、書籍化企画進行中でございます。

そちらも活動報告をご覧下さい。



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― 新着の感想 ―
[気になる点]  不安の残る終わり方だ。
[一言] 主人公が自分の国や部下を大切にしてくれるようになったらなんも言うことないわ。ただクチナシ姫は嫌い
[良い点] もう神神! 最高! 4章これから読みますが凄く作り込まれててとても面白いです! なろうはよく漁るんですが久しぶりに面白い作品に出会いました! 設定とか章ごとに作りこんであるのがひしひしと伝…
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