5 バロニアの柱
日が傾きだした頃、城下街と城外では炊き出しが行われていた。
国土の9割以上が失われたエステルドバロニアは一次産業が壊滅してしまっているが、運営がメンテナンス以外行わなくなってからもこつこつと積み重ねてきたおかげで上限ギリギリまで蓄えられていた食糧をようやっと消費できると皆がたらふく食べるだけ支給が可能だった。
巨大な大釜の中で煮えたぎる定番の豚汁と、その脇で綺麗どころのメイド服を着たエルフや獣人が笑顔でおにぎりを配っている。血の気の多い種族などもいて混乱が予想されていたが、目立った暴動は起きることなく、綺麗に整列して一人ずつお椀を片手に並んでいた。
今のところは、だった。
皆が食事を順々に受け取る中で、そこに素知らぬ顔で大きな角を生やした鬼が、半人半蛇の【ナーガ】の子供の前に割り込んだ。
ナーガの子供が抗議をしようと舌を鳴らして声をかけるも、身の丈2m近い【赤鬼】が振り向いて威嚇するその形相に数歩後退り、何も言えず俯いて目に涙を溜めてしまう。
周りの大人もその様子を目にしてはいるが、コボルトやゴブリンといった背の低い種族。鬼に真っ向から抗議できる魔物がいない。
力で格が決まる魔物の社会において、ヒエラルキーの低い彼らではその子供に慰めを小声で伝えるしかできることはない。
悠々と、さも当然のように割り込んだ赤鬼。力が正義の魔物としては至極当然の権利だと言いたげに振る舞っている。
だが、ここは無秩序の外界ではなく、エステルドバロニアの中。
郷に入っては郷に従え。国の決まりが定められ、国の法が存在している以上、それを破る者には相応の罰が下る。
でかい図体で偉そうにする赤鬼の背後から毛深い手が頭を鷲掴みにした。
「なっ、何しやがる畜生!」
不意の攻撃に暴れ出すが、その手はがっちり固定されて外れる様子がない。それどころか徐々に上へと持ち上がり、頭蓋が軋むほどの握力が加えられて少しずつ鬼の両足が地面から離れていく。
亜人種としては上位に入る鬼を子供扱いできるような魔物は非常に少なく、そんな魔物は大抵が軍に所属している。従えぬ者を容赦なく裁く、バロニアの力の象徴の下に。
「おい、なあ、お前何してやがる」
凍えるような声。ぐるると喉を鳴らして、ゆっくりと鬼の体が、自分を掴む人物の獰猛な口が横目で見える位置まで引き寄せられた。
少しずつ相手の顔が前へと乗り出す。ゆっくりと横目に映る相手の顔が誰かを悟り、力自慢の鬼が歯をガチガチと噛み鳴らして大袈裟なほどの怯え方をし始めた。
前に突き出た長い口の周りには群青と白の毛が生え、徐々に露わになる顔の上には大きな獣の耳。ずらりと並んだ牙を剥き出しに、身の丈3m近い狼の獣人の目がぎょろりと鬼を睨みつけた。
ちらりと見えたダマスク鋼の胸当てには、王が国に命を捧げた者に許す、国の紋章が刻まれている。
「なあ。順番くらい分かるよなぁ? 幾ら鬼でもそこまで馬鹿じゃねえだろ。それを何割り込むなんてガキみてえなことしてんだよ。ガキですら真面目にしてんのに、いい歳こいた野郎が割り込みたあ良い度胸じゃねえかオラァ!!」
彫り深い眼窩の中で鈍く光っていた灰色の瞳に怒りが灯された瞬間、鬼の頭は勢い良く地面へと振り下ろされ、周囲に砕けた地面と鮮血を飛び散らせて陥没した。
周囲を顧みずに突如行われた粛清に周囲は軽いパニック状態となり、巨躯の狼と地に沈む鬼を残して円形に距離を取る。
小刻みな痙攣以外では微動だにせず、地面に頭を突き刺した状態の鬼を手放すと、立ち上がった蒼白の巨体は勢い良く足を振り上げ、埋もれた頭部目掛けて叩き落とした。
それも一度といわずに、二度、三度。
「国に対する! 恩が! 足りねえ! ようだな! てめえみたいな奴でも、広い心で受け入れてくれる我らが王の顔に、泥を塗る気かクソ野郎がぁ!」
合計で五度。最後の一撃は地面を陥没させるだけではなく、その周辺に蜘蛛の巣状の亀裂を走らせて隆起させる破壊力を持っていた。
激しい踏みつけを浴びせられた赤鬼は、もはや原形を留めてはいない。頭部は何一つ形を残さず液状になって血と混じり地面に吸い込まれている。
位置の外れた一撃が背中を踏んだが、腹部を綺麗に潰して上下に分かれている。下半身は強力な一撃の反動で吹き飛び、どこかへ消え去っていた。
毛むくじゃらの大きな足を鬼の“あった”場所から退けて、獣は残骸の上半身をつまみ上げ、何を思ったか口の中へ放り込んだ。
天と地に分かれて裂けそうなほど開かれた口に飲み込まれ、残されたのは凄惨な血溜まりだけ。
ようやっと怒りが落ち着いた獣は周囲に目を配る。巨大な体に生え揃った群青と白の毛に紅を付着させ、クルースニクのボスにしてバロニア軍第2団団長、ランク9の魔物【クーロセル】のグラドラは不満げに鼻を鳴らした。
「何見てんだ。殺されてえのか」
見せ物のように計らずともなってしまった状況にまた苛立ちを感じたのか、再び納めていた牙を口の隙間から覗かせると、グラドラを避けて慌ただしく整列が行われる。
それにも腹を立てたのか、舌打ち一つ鳴らしてその場を離れようとしたところ、後ろから「ありがとう」と幼い声が聞こえた。
振り向くと、お椀を両手で抱きしめた、怯え気味のナーガの子供が深々と礼をしている。
「おう。たらふく食ってでかくなれよ小僧」
バロニア軍きっての荒くれ者。“短気”“獰猛”の性格を与えられた狼の長は、凄惨な殺戮を行っていた者が作るには似つかわしくない笑顔で少年に手を振り、今度こそその場を離れる。
後には、炊き出しを待つ魔物の列と、深く陥没した地面と血溜まりだけが残されていた。
エステルドバロニアの法は、カロンが考えたわけではない。
システムの中に法律を選ぶものはなく、一定のルーチンワークでただ動くだけの魔物には確かに必要ないと納得していた。
では、今こうして本物となった国の法はどうやって定められているのか。
それは、国民たちの思想が自然と共通の認識に昇華されただけだった。
高い知能を持つ生物としては最下位に位置する人間が建国した魔物の国。
一捻りで殺せてしまう人間が、ただの人間では到底及ばぬ力を持つ魔物を従えるなど、考えられるものではない。
だが、それを一人の男が成し遂げた。
多くの苦難を乗り越え、多くの危機を薙ぎ払い、威風堂々と王道を貫いた男。
ばらばらになっていた魔物達を一つに纏めたその偉業は、ただ力だけが正義だった魔物の世界に大きな波紋を呼び起こした。
国の法の基本はこうなっている。
弱き王が強き民を救うなれば、強き民は弱きを救う――
もし野生の魔物が見れば、オークやリザードマンやミノタウロス等の脳筋筆頭もいる混成魔物軍団の法に弱者を救うなんて言葉が通じていることに衝撃を受けることだろう。
それぐらい魔物社会から見ると異質だった。
だが実際にバロニアの国民は心掛けている。それこそ人間なんかよりも年寄り女子供を大事にする風習が息づいている。
まあその理由として、先程無惨に殺された鬼のように、破った者には軍から大変有り難い目に遭わされるので半ば強制的に染み付いたのが大きい。
エステルドバロニア建国145年。カロンの知らないところで決められた国の法は、ある意味で正しく根付いていた。
「そういや王って100年以上も王なんだよな……ほんとに人間か?」
「そりゃーそうでしょ。どっからどう見ても人間じゃん」
「いや、でもよ。ずっとあの姿のままっておかしくねえか? 人間の寿命は俺らみたいに何百年じゃなくて何十年しかねえだろ。エルフのガキでもいっちょまえになるのに、老けねえのはおかしくね?」
体に付着した血をそのままに、3mはある巨体が大股で人波を掻き分けて城の方へと向かっていく。
その凄惨な姿から周囲が自然と距離を空けているが、グラドラの姿を見て無邪気に声をかけてくる者もいる。
王から紋章を帯びることを許された17人の軍団長の存在はそれだけ憧れの存在なのだ。
「んー、でもいいんじゃない? だって王ってさ、どこの人かも分かんないじゃん。アタシらを秘術で生み出してくれた親で、この魑魅魍魎がうじゃうじゃした国の王。年老いないなんて驚くことじゃないと思うよ?」
海を割るように人波を退けながら大きな歩幅でどんどん進んでいく狼の後を軽い足取りで追いかけるのは、背の高い猫耳の女だ。
白いキャスケットの下から金色の少しウェーブがかった長い金色の髪を後ろへ流し、愛らしい金の猫耳をひくひくと動かしている。
ダークグレーのYシャツにアイボリーの七分丈のカーゴパンツ。そのお尻のところからは狐の尾が生えており、風の軌跡を辿るように揺れている。
幾つものベルトを腰に巻きつけ、そこに魔術装が施された多くのナイフを差しており、たすき掛けにした黒い布に国の紋章。
引き締まった筋肉質の細い体にうっすら浮かび上がる腹筋が、Yシャツの裾からチラチラと見えている。
「いいじゃん。王様のお陰でこうしてられるんだからさー」
“陽気”“孤高”の性格を与えられたバロニア軍第5団団長、ランク9の最速の獣人種【フクスカッツェ】のエレミヤが暢気な答えをグラドラに返した。
グラドラは僅かに鼻先を上に向けて考えると、
「だな」
考える意味があったとは思えない適当な相槌を打って話を終わらせてしまった。
実際のところ、現実の1時間でゲーム内の1日と脳内の時間感覚が操作されていて、カロンがアポカリスフェ開始してから6年ちょっとしか経ってないのだが、それを元NPCが知るよしもない。
クーロセルのグラドラとフクスカッツェのエレミヤ。
この二人の相性はかなり微妙だ。“短気”と“陽気”の相性はいいが、“獰猛”と“陽気”の相性は悪く、残り2つの組み合わせは微妙となっている。
つまり、微妙な仲である。
「あ。さっき鬼殺しちゃってたでしょ。あとでゴロベーに怒られちゃうんじゃない?」
「一族の恥を晒すよかマシだろうが。そもそも、そういう決まりだろ」
それなのに割とつるんで行動していることが多い。
というのも、グラドラ“獰猛”が発揮されなければそれなりに付き合えるわけで、戦場のような本能が全開になるような状況ではお互い近寄らないようにしている。
エレミヤも戦闘中は誰かと組まされるより単独行動を好む。そうやって互いに上手く距離をとることで二人の仲は割と良好だった。
「それにしても、落ち着くの早かったねー」
「対処すんの早かったしな」
「アタシらだけじゃもうダメダメだね。ワンコロなんか尻尾丸めて怯えちゃうしさ」
「どこぞの混じり物は机の下で震えてただろうが」
「あ?」
「あ゛?」
もう一度言うが、微妙である。
王城の付近まで辿り着くと、エレミヤは今日の仕事は終わったと言いたげな大きな伸びをする。
街の中と外の混乱がある程度落ち着いた現在、軍団長達の仕事は警邏くらいしか無くなってしまっている。
元々配備されていた地域は消失しているせいで、国の四方を守る4人と空を常に飛んでいる1匹、地下の引き篭もり1人と塔最上部の引き篭もり1人、合わせて7人の軍団長以外は全員この王都に集結しているが、遠征がなければすることが何もない。
王城の門を警備する2匹と領土制圧に駆り出された3体、内政を担当するルシュカを除けば4体も手持ち無沙汰でブラブラしてしまっている。
王からの指令もなく、直に命ぜられた任務は完了済み。次の指令を待っているが、ルシュカからは「適当に見回りしてろ」と戦力外通知を食らっていた。
「あー……もう暇! 暇! 暇だよー!」
エレミヤは気怠げに背を丸めて王城の門を潜っていく。
王城唯一の門の前で敬礼する二人の少女に適当に手を振って応え、覇気も何もない、一軍を担っているとは思えないやる気の無さで綺麗に整えられた庭の芝生に飛び込んだ。
「あー、王様に会いたいなー……」
「黙ってろ混じり物。そのうち会いに来てくれるってんだから大人しくしてんじゃねえか」
ごろごろと服が汚れるのも気にせず芝の上を転がる猫と狐の混合生物を鬱陶しげに見つつも、グラドラも芝生まで近づいて巨体を屈めて座り込んだ。
「だといいけどねー。王様って凄い寡黙じゃない? 不必要なことはしないっていうか、言わないっていうかさー。時々城に戻っててすれ違っても一言労いだけして通り過ぎちゃうしー。なんか、寂しいよねー」
一応カロンは兵に会う度に声はかけている。かけてはいるが、それに返事がないのが分かっているので声をかけるだけしかしない。
これで何かしらの文章が用意されていて、何かしらの反応が返ってくるならともかく、そうじゃないのなら引き止めて長々独り言を呟くなどするわけがない。
「忙しいんだろ。ルシュカと二人で全部取り仕切ってるって聞いたしよ。しゃあねえよ」
「まあねー。アタシも何か返事したいんだけど、王様って凄い王様オーラ纏ってるじゃん?」
「あれすげえよな。俺でも頭下げたくなっちまう感じするぜ」
「仕事してるんだ! みたいな、王様らしい空気感じちゃうと萎縮しちゃってさー。それも悪いのかなー」
「さあ、どうだかね」
それを彼ら魔物から見るとこう見えるらしい。
黒の王衣の保有スキル。反乱、下剋上といった国家内問題の発生率を100%抑制し、代わりに外的要因での問題発生率を50%引き上げる性能も大きく関係しているだろう。
ごろごろするのにも飽きたのか、大の字になって動きを止めたエレミヤは空をじっと見つめて思いに耽る。
自分を生み出してくれた親であり、魔物にたくさんの幸せと知識を与えてくれた王。
幾度も戦場を自慢の速さで駆け回り、成果を上げる度に与えられる給料の中身に一喜一憂していた頃もあったが、それは次第に虚しくなっていった。
彼女が欲しいのはお金でも地位でも名誉でもない。
父親に、好きな人に、「よく頑張ったね」と優しい声で言ってもらえるだけで十分なのだ。頭なんて撫でてもらったらそれだけで死ぬまで戦える勇気が手に入る。
忠誠度は確かに王に対する評価の表れだ。カロンの憶測は正しい。
だが、カロン個人に対する評価が低いなんて決まってなんかいない。
少なくともエレミヤは、王様としてよりも、ただのカロンに褒められる方が何十倍にも嬉しいと感じている。
まだ一度も実現したことはないのが寂しいが。
「あー、王様に会いたいよー」
「うるせえ。黙れ」
グラドラもまた、エレミヤと同じ気持ちだ。
堅苦しくて、いつだって張り詰めた雰囲気で仕事に明け暮れる姿ばかりを見ていると心配で仕方がない。
ルシュカの前だとどうなのかは分からないが、グラドラが知る限りではそんなイメージしか浮かばない。
魔物ばかりの環境で、一人の人間に戻れないのではないか。一人の時間でも気を休める暇もないのではないか。王という立場に縛られて、ただのカロンに戻れないのではないか。
口には決して出さないが、いつだって内心は心配ばかりしている。
王である前に親なのだ。
「……会いてえな」
「うっせー黙れ犬っころ。骨でもしゃぶってすっ込んでろー」
「てめえ……死にてえんだな? 死にてえんだろ。遠慮すんなよ擦り潰すように跡形もなく血溜まりにしてやるからよぉ!」
「ふーんだ。遅いわんこがアタシに追いつけるわけないじゃん。ばーかばーか」
「んだとゴラァ!」
あからさまな挑発だったがそれに乗っかって二人共戦闘態勢をとる。気落ちしていた気持ちをお互い相手に怒りをぶつけて発散させる気だ。
勢い良く立ち上がってエレミヤを捕まえようと鋭い爪の伸びた手を振り下ろすが、そこに大の字に寝ていたエレミヤは既にいない。
グラドラが一歩踏み出せば届く位置でニヤニヤ笑いながらあっかんべーをして余裕綽々のエレミヤ。
当然、グラドラが怒らないはずがない。
「ぶっ殺す!」
「かかってこーい犬っころー! アタシの速さに追いつければの話だけどねー!」
太い後ろ脚が大きく膨らんで芝生を深く抉るぐらい力強く踏み出した。
エレミヤはふわふわと風に乗るように重力を感じさせない速さで一気に距離を離す。
二人の走っていく方向は王城の裏。北門の方向。
いつまでも追いかけっこを続ける二人の向かう先で、誰が何をしようとしているのかは、まだ知らない。
◆
国の周囲は現在、元の領土だった森林地帯ではなく、天変地異の怪奇現象が起こったせいでだだっ広い草原のど真ん中に移り変わっている。
豪華絢爛な国が道路もないのにぽつんと異様な存在感を放って聳えているのはとても違和感があった。
周囲の土壌は人の手が入った形跡がないおかげか非常に豊かで、東の方角には森林が。西には山脈が連なり、北には大きな休火山。南には崖があり、魔物が生活するには適した環境が揃っている。
残念なことに凍土は見つからなかったため、地下に掘った空洞に氷の息を吐く飛べない竜【フロストワイバーン】を押し込んで擬似的に環境を作り、そこで寒さを好む魔物を生活させることにした。
火山も再現できないことはないが、国に多大な影響を及ぼす危険性があったので無理をして探した。
もし見つからなかったらどうしていたのか。恐らく洒落にならない大火災が待っていたことだろう。
しかしそんな考えも今となっては思い出す必要もない。上空と地上から城を中心として半径23kmの距離まで偵察を完了させ、必要な土地を最優先で確保させている。
他の土地も制圧してしまえばいいのだが、まだこの世界の詳しい情報を得られていないので無闇矢鱈と侵略するのは避けるよう厳命されていた。
離れたところに国が見つかったと聞いた時点で、領土を確保すれば衝突は免れなくなるのは間違いないだろう。
境界線も分からず最小限の土地しか奪っていないつもりだが、そんなカロンの気遣いが相手に伝わるわけがなく、どちらにせよそのうち関わることになるのは目に見えている。遅いか早いかの違いしかない。
今は余計なことを考えずに物事を進め、その時になったら考えることにしようとバロニア内政担当の王とルシュカの間で決定していた。
だらだらと行進するバロニアの遠征軍は最後に残った北部火山の制圧を完了し、一路王都へと向かっている。
制圧とはいうが、そこに生息する生物が邪魔かどうかを判断して排除し、防備を整えるのが役割となっている。
魔物もそこで暮らしていたりしたが、話を聞く気がなかったので可哀想だが殺処分されている。
これで目的の環境整備は完了し、あとは国に戻って報告を済ませて今回の任務は終了する。
土壌は確保したが、そこから魔物の移動を護衛したりと時間がかかるのでまだ完全に問題が解決したわけではないものの、とりあえずは目処が立った。
後は自分たちの出番は無くなるだろうと、各軍団の団長たちは実に清々しい気分で帰路へついている。
ぞろぞろと鬼と吸血鬼や屍人と巨大な醜い化け物が列をなして行進する光景は圧巻の一言。
大地を揺るがす歩行をする化け物は戦車に、それを囲む鬼や吸血鬼は歩兵に見える。
誰かが見かければ大騒ぎになる百鬼夜行に勝るとも劣らぬ行進。幸いにも近辺に人影も魔物影もなく、ただただ異様な行進が粛々と行われているだけだった。
「はー暑い。よくあんなところで暮らせるよね」
のしのしと重苦しく歩く巨大な猪の上から聞こえた、少しばかり大人びた少年の声が空に溶ける。
白い髪に翡翠の瞳と一風変わっているが、こめかみから頭頂に向けて生えるニ本の捻れた角が一風どころかえらく変わっている。
上半身は何も身につけておらず、背中から天に向けて生える捻れた角と異様に肥大した右腕が一際目を引く。赤黒い皮膚の下から太い血管が脈動するのが見え、巨大な手は大の大人の体を片手で掴めるほどに大きい。
派手な刺繍の施された墨色の袴を穿いた少年は、胡座を掻いて大きな欠伸を一つした。
端正な顔立ちをした美少年だが人ならざる姿を持つ彼は、第4団団長、ランク10の異形種【饕餮】の守善という。
カロンの生み出した魔物の中ではまだまだ若いが、本来の姿を晒せば魔物中でもトップ3に入る巨大な人面牛胴の怪物となる。力だけならグラドラでも及ばない。
若いながらに気分屋で、あくせく動くことが性質上できない故に、今回のようなちょっとした遠征にもすぐ渋る。
“安穏”“傲慢”の自分至上な性格も理由だが、足の遅さが鈍牛なのも理由なのだろう。本人は真面目に歩いているのに、文字通り牛歩なのだ。歩きたくなくなるのもよく分かる。
軍団長のだらしない姿を見ても異形たちはいつものことだと然したる反応を見せずにいたが、今回同行している堅物はその怠慢を見過ごせなかった。
静かに鋭い刃を彷彿とさせる立ち居振る舞いの武士が、地面を蹴って空へ飛び上がると猪の背中へ飛び乗り、守善の脇腹に目にも止まらぬ速さで繰り出した回し蹴りを炸裂させる。
重い一撃を与えたつもりなのにゴム鞠のような感触しかなく、蹴りを放った男は地面に着地してふむ、と無精髭の生えた顎をさする。
浅葱色の羽織に烏羽色の袴を着こなす、白髪交じりの黒髪を後ろで結った渋い壮年の剣豪。
その額からは立派な一角が突き出ており、羽織の背中には円形に書かれた梵字と大きな鬼の一文字。
少しばかりナンセンスな柄だが、ナンセンスに埋もれて気付きにくい場所、襟元に国の紋章がある。
「なにすんだよ兵衛。痛いだろ」
第7団団長。鬼達の首領、ランク9の亜人種【覇王鬼】の五郎兵衛は、草履で地面を擦りながら胸襟から出した手で顎を弄んだまま元々きつい目をさらにきつくする。
蹴り飛ばされた守善は6回は地面をバウンドしていたのに、少し土で汚れただけで怪我一つなく、飛んでいった位置からのたのたと戻ってきた。
眠そうな目を擦って少し顔をむくれさせるが、兵衛はそんな顔をしたところで誤魔化せはしない。
「おぬし、それでも軍を預かる者か。怠慢としてやる気の欠片もないではないか」
「あのね、俺の足がどれだけ遅いか知ってて言ってんの? 子供にすら負けるんだよ?」
「そんなものは気迫でどうにでもなろう! そもそも人の身をしているのに何故それほどまでに足が遅いのだ! いまだに拙者の下に辿り着いておらんし!」
吹き飛ばされたのは事実だが、少し駆け足でもすれば兵衛の前に着くものだ。
だが守善は相変わらずのたのたと、なんでそんなゆっくり歩けるんだという疑問が湧き起こるほど遅い。
「だからそういう風になってんの。元の姿ならこの速度でもそこそこ速いけど、人の姿じゃこんなもんなんだってば。いい加減にしてよゴロベエ」
「誰がゴロベエだ! 拙者は五郎 兵衛だ!」
さらに目を吊り上げて訂正しろと吼えるが、守善は五月蠅そうに耳を塞いで顔をしかめて聞く耳をもとうとしない。
きっと五郎兵衛と書いてあればゴロベエやゴロウベエと読みたくなるだろうが、正確にはゴロウヒョウエである。
ゴロベエで名前変換しても出てこなかったのでゴロウヒョウエで変換し、そのまま読み方も登録したカロンのミスという裏話があるが、この名前に誇りを持っている兵衛にそれを知らせるのは少々酷かもしれない。
“剛毅”の性格付けが為された五郎兵衛はバロニアの十七柱の中で一番頭が固い。
曲がったことを嫌い礼節を尊び、鬼らしい豪快さや大らかさがどこにも見当たらず、口うるさい叔父のような五郎兵衛はあまり好かれていない。
別に愚痴愚痴五月蠅いからと子供みたいな嫌われ方をしているわけではなく、問題は、もう一つの性格である“盲信”……ではなく、兵衛自身の性嗜好にあった。
「おぬしの振る舞いが主の品位を下げるのだぞ! そのようなことで主の顔が悲壮に歪んでしまったら……そそられるではないか!」
“盲信”のせいで、王に欲情する男色の変態なのが嫌われる理由だった。
生憎と魔物の社会でも同性愛はあまり良しとされておらず、そもそも衆道など流行ってもいないので、ただの鼻つまみ者である。
「……俺は兵衛の発言で十分王の品位下げてると思うけどね」
黙っていればダンディなのだが、口を開いて王の話をし出すと鼻息荒く目をギラつかせる。
これさえなければマトモなのにと鬼女たちがよく嘆いているのを耳にするくらいに残念な鬼であった。
「ほら、その辺にしておけ。もう目と鼻の先まで来ているのだから足を止めては兵も可哀想だぞ」
王への愛を熱く語って節操のない五郎兵衛に付き合わされてげんなりしていたところに助け船が入る。
音もなく二人の側に現れたのは、背の低い老人だった。
「来るの遅くない?」
「いやぁ面目ない。関わりたくなくてね」
「ほんと、たち悪いよ」
はっはっはとよく通る声で老人が笑う。
初夏に近い暖かさなのに、左の胸元に紋章を刺繍した黒いスーツでびしっと決めた杖を持つ老人。
背丈は150もなく、老いて縮んだと見えるが、背筋はぴんと一本芯の通っていて武術を嗜んでいそうな印象を持つ。
黒いシルクハットに首から下げたマフラーと、マフィアのボスのような格好だが下品には映らず好々爺とした雰囲気を感じる。
第3団の団長を務める吸血鬼を統べるランク10の悪魔種【真祖】アルバートは、兵衛と守善の間に割って入ると二人の胸に手を当てて動きを抑制した。
にこりと穏やかな微笑みを浮かべて諌めてはいるが、その腹の裏で何か良からぬことを考えているんじゃないかと勘繰ると何をしていても怪しく見えてしまう。
伊達に“狡猾”“調和”の性格を与えられてはいない。
「兵衛殿。その愛しの王が報告を待ちわびているのだから早く行くべきじゃないのかね? 守善殿もそれを思って自ら歩くことをせなんだ。皆にも王にも迷惑がかかる。ここは大目に見てはどうか」
「ぬぅ……そう言われると拙者に言えることはない。配慮が足りなかったな。許せ守善」
上手く丸め込まれた五郎兵衛は申し訳なさそうな顔で深く頭を下げた。カロンをだしに使うといとも容易く丸め込まれるのはどうかと思うが、この場はそれで救われた。
うんうんと頷いて満足げなアルバートだが、守善の気分が晴れたわけではない。
「まぁ、そうだね。ならお返ししてチャラにしようか」
「ぬ、お返しとはなん――ぐへえええええええ……」
意地の悪い笑みを浮かべた守善に疑問を感じて顔を上げた瞬間、醜い右の豪腕が刹那の間もなく横殴りに振るわれる。
風を裂かずに風諸共五郎兵衛の脇腹を抉り、腕と腹の間で行き場を失った大気が一気に爆ぜた。
振り抜かれた腕はメキメキと肋骨をへし折りながら突き進んで、遥か彼方に標的を弾丸のような速度で吹き飛ばし、情けない悲鳴がフェードアウトしていく。
「ま、一発は一発だよね。それに足は遅いけど手は早いんだよね、俺」
満足気に拳の感触を確かめて美形を悪どく歪ませる。そこに罪悪感は欠片もありはしなかった。
「おー、まさか私も一緒に殴るとは、随分な扱いではないかね?」
ふわりと黒い霧が守善の横に並ぶと人を象り、晴れるとそこにはアルバートが飄々として現れた。
宣戦布告に気付いた瞬間に霧に変化して躱したらしく、守善は殴り損ねたことにあからさまな舌打ちを鳴らす。
「あんたに関してはいつだって殴り飛ばしたいくらいだよ、日の下を闊歩する者。腐乱死体を日中出歩かせるなんてどうかと思うけど」
「はっは! まぁ私の加護があれば腐った世界は昼でも自由だ。丁度良い手駒が腐乱死体しかないので許してくれたまえ。
ふふっ、四凶に目をつけられるとは、長生きできなくなりそうですな!」
「あーむかつく。あんたを殺せる奴なんかそうそういるかよ」
ぶすっと頬を膨らませた守善は興味を失ったのか、のろのろとした足取りで猪の上を目指していく。
その後ろ姿を見つめながら、アルバートは突かずにいたステッキをくるりと回してシルクハットを深々とかぶってその表情を隠す。
「いえいえ、いるではないですか。我々化物を殺せる存在がすぐ側に。英雄と呼ぶに値する御方が、ね」