25 決
アポカリスフェは、プレイヤーが魔物の王となって世界に立ち向かう話に思われていた。
事実運営もそのように宣伝しており、プレイ開始当初は迫害を受けながら魔物の国を強大にしていくものだと。
だが、実際にプレイヤーが感じたコンセプトは違った。
これはあくまでも人間が主軸にあり、プレイヤーは邪悪な敵として扱われるのだ。
勇者と英雄が人の世に平和を齎そうと戦い、その足掻きを踏み潰して世界を支配しようとする魔王。
その構図が、長くプレイしてきたカロンの、アポカリスフェに抱いている印象だった。
何故そう思うのか。
まず1つは勇者と英雄の強さにある。
人間側のユニットは基本的に魔物よりも弱く設定されてる。
レベルの概念をプレイヤーが持ち合わせているのに、併せて人間もがんがんレベルを上げるのは不自然だし、新規参入者には地獄でしかないからだ。
しかし、そうなるとレベルさえ上がればプレイヤーが好き勝手できてしまうと言う二律背反を抱えてしまう。
そこで運営が作り出したのが、人間たちの守護者となる勇者と英雄の存在だった。
《勇者》は自身とパーティメンバーのステータスを大幅に上昇させ、《英雄》は同軍ユニットのステータスを強化する。
それによって素のレベルに補正もかかるため、大差のある敵にも立ち向かえるようになっていた。
だからプレイヤーは序盤から中盤はとにかく強い勇者や英雄の所属する国を避けて慎ましく目をつけられない程度に行動しなければならない。
そして強くなった魔物で反逆するのが定石のプレイとされている。
人間のレベル上限はモンスターと同じ100だが、補正はそれを超えて作用するので最強クラスの勇者になると数値で言うなら150相当にまで上る。
英雄はそこまでいかないが、それでも人間側ユニットを全員70相当に引き上げられる怪物じみた者も存在した。
それで全体のゲームバランスを整えていたのだ。
エステルドバロニアが勇者や英雄に対して過敏に反応するのはそこに理由があった。
もう1つはもっと深刻な問題だ。
勇者と英雄は――突然変異のように覚醒する。
最強の騎士でも、粗暴な山賊でも、果てはそこいらの農民でさえ、危機に陥るとなんの前触れなく覚醒するのである。
急激にレベルが上がって補正がかかり、楽勝な戦争が突如として地獄絵図に変わったこともあった。
それが原因で中規模の街を破壊し尽くされてボロ屋に戻された苦い経験もある。
だから、カロンは人間の王だが主役ではない。
人類を脅かす悪の親玉でしかなく、いつだって燦然と輝く光を纏って人間は反旗を翻してきた。
勇者とは。
英雄とは。
まさしく人類の希望であり、すなわち魔物の絶望となる。
それは悲しいことに、この世界でも変わらないのだと証明されてしまった。
「はああああっ!!」
ウェポンスキル・《ヴォーパルエッジ》
ウェポンスキル・《エレクトロンジェミニ》
黄金の焔を瞳に宿して真の勇者へと至ったミラ・サイファーは、先程の実力差を覆さんと怒涛の剣撃を繰り出した。
速さも格段に上がり、剣の重みも増している。なにより雷の剣が有能だった。
受ければ浅くとも切り裂く鋭利さに加えて、触れるだけで奔る電流が僅かでも動きを鈍らせる。
火花と電気が幾重にも重なって外壁の上を眩く照らす。
「ちぃっ!」
舌打ちを鳴らすのは梔子姫だった。
捌いても嫌な痺れが手に残り、躱しても電荷となった剣先から放たれる青い閃光が追い縋ってくる。
ミラが追い、梔子姫が引く。
それは始めと同じ構図であっても速度は僅かにミラが勝り、ほぼ互角の戦いの様を呈していた。
梔子姫は近接戦が得意ではない。
加えて特殊な性能を持つ近接武器と相性が悪い。
そのようにステータスが設定されており、カロンも長所を伸ばす方向で育成してきた。
デバフを解除することは可能だが、触れる度に与えられる“麻痺”に構っていては余計な傷を負うことになる。
微弱であり大した効果はなくとも、脆弱と吐いて捨てた相手に好き勝手されるのは苛立たしいものがあった。
一撃でも入れられればまた形勢は梔子姫に傾くが、鈍重な拳では稲妻のように屈折して駆け回るミラを捉えるにはあまりにも遅い。
互いに決定打を欠かしたまま、激しい応酬は閃光を飛び散らせながら繰り返された。
互いに新しいカードを切ることに躊躇していたが、先に動いたのはミラだった。
針の穴を縫うような刺突が喉元目掛けて矢のように放たれたが、僅かに遅れて梔子姫の爪が進路を妨害する。
放電しながら爪の曲面を滑った剣を更に一歩踏み込んで一押ししたが、あと数ミリのところで爪に挟まれて動きを止めた。
剣を掴まれれば必死に抜くだろうと判断して梔子姫の腕が大きく振りかぶられる。
しかし、そこにミラはもういない。
「爆ぜろ!」
固有ウェポンスキル・《千々稲魂》
剣を捨てて後ろに下がったミラが開いた手を強く握りしめると、梔子姫が掴んでいた雷剣が弾けた。
「うわっ!」
マジックスキル・雷《グロースキン》
圧縮された雷が枷を外されて、本来の姿へ戻ろうと轟音を上げて爆発したことに驚きながらも、瞬時に防御術式を組み上げて防ぐ。
咄嗟に組んだのは低レベルの雷耐性を組まれた膜だったが、光が止んだ先に見たのは小さく罅の入った膜と、大きく陥没した城壁の通路だった。
「最悪だ……あとで直すの僕なんだぞ……」
美しかった城壁はところどころが黒く焦げ、幾つも大きな凹みや欠けができている。
そして、
「あ」
つう、と頬に一本の筋が浮かび、それを拭って梔子姫が呟いた。
そよ風に流れる土煙の向こうで雷光を纏うミラは、目障りだと風を切り払って無愛想に梔子姫を見つめ返し、溢れる力に口の端を持ち上げた。
「届いたぞ」
ひく、と梔子姫の口角が動いたが不敵な笑みは崩さない。
「なんだい、褒めてほしいのかい?」
「私の剣は届くんだ。お前にだって、あの犬にだって、私の剣は届く!」
スタンススキル・《迅雷の構え》
スタンススキル・《疾風の剣技》
纏った雷が強く発光した瞬間、残像を残して梔子姫の背後に回り込んで双剣を振り翳していた。
その速さに梔子姫の反応はやはり僅かに遅く、掲げた腕で防いだのは刃が眼前に迫った時だった。
「届く! 私の剣は届くぞ!」
振り払われた衝撃に身を任せて後ろに下がると、再び発光して梔子姫の死角に現れては剣を振るう。
ヒットアンドアウェイに切り替え、高笑いを上げながら襲いくる連撃に食らいつきながら、梔子姫は相性の悪さに苦々しく唇を噛む。
最強クラスには遠く及ばないミラだが、俊敏性は梔子姫よりも上だ。
スピードに特化したミラの攻撃は鋭くとも軽く、脅威には感じないが、自分の攻撃が当たらないのはフラストレーションが溜まる。
「ああもう鬱陶しい!」
人間ごときに翻弄されている事実に我慢ならず大振りの二発が繰り出されるが、その隙を逃がすことなく踏み込んだミラの剣が梔子姫の腹部に食い込んだ。
が、全力を加えても浅くしか傷がつかない。
決定打に欠ける。それでも、その僅かな手応えでミラには十分だった。
全身を駆け巡る魔力の質は遥かに濃厚で、手先から指の先まで力が満ち溢れている。
生まれてから内に巣食い続けていたあの声が今はもう聞こえない。紛い物を唆す未練の怨嗟も綺麗に止んでいた。
それは、自由だった。
これが勇者の見ていた世界なのかと、雁字搦めにしていた呪いから解き放たれた高揚感に笑みが抑えられなかった。
凶悪な魔物に囚われた人間を救い出すなんて理想的な状況に勇者の本質が歓喜している。
酔っているのだ。
これ以上ないシチュエーションに。
「人間が……」
その笑みが、梔子姫には我慢ならなかった。
魔物さえ忌避する破滅願望を勇敢と捉えて正さない。
いつだって勇者は狙ってくる。あの世界でも、この世界でも。
それは、魔物への殺意ではなくて、もっと別の理由からだと、よく理解していた。
軍団長たちが、心の中で思いながら決して口にはできない数多の戦争の真実。
勇者と王の邂逅を演出した理由の一つが的中したのは、この予想外のミラの強さより厄介な問題だった。
「けど、届くだけじゃ意味なんてないけど、ねっ!」
ぎゅおっ、と風さえ蹴散らす大きな爪の一撃に、ミラの反応がほんの僅かに鈍った。
飛び退いて体勢を整えてから熱く感じた頬を撫でると、擦りむいたような大きな擦過傷になっていた。
――掠っただけでこれか。
少しずつ力に慣れてはいるが、まだ黒き妖狐とは歴然とした差が埋まらない。
小さな傷は数度つけられても、疲労で見ればミラの方が呼吸する度に肩が揺れてしまっている。
今はまだ互角には持ち込めていても時間が経てば徐々にミラが不利になっていくだろう。
あの巨大な獣の腕が次に当たれば今度こそ決着が付いてしまう。頬の痛みがその考えを頭によぎらせた。
「そもそも、なんで君はここまで来れたんだよ。いくら今が終戦してお祭り騒ぎだとしても哨戒している奴がいたはずだぞ?」
「それは教えられないな」
「……ふん、誰か手引きしたんだろ。そんな事するってことは僕と同じこと考えたやつか」
「さて、どうだか」
そんなこと、ミラには答える義理はない。
どうだってよかった。
(救うんだ。私が)
勇者の幻影は魔を滅せと無念の妄執を叫んできた。
しかし、本質はそんな負の衝動じゃない。
鼓動と共に駆け巡っていた亡霊の戯言から解き放たれて尚のこと強く思ってしまう。
魔の手から人を救えと、生まれ持った才能が歌うように力を与えてくる。
(でも、私は)
そして、その声までも自分の想いか定かではなかった。
雷霆と呼ばれた黄金の騎士が叙事詩で語られる。囚われの姫君を救い幸福に天寿を全うしたと。
今ミラを突き動かしているものは、なんなのか。
ギリっと歯を噛み鳴らし、不要な感情を砕いて飲み込んだ。
振り払う動作でまた軽々と弾き飛ばされたが、すぐに体勢を立て直して力を漲らせる。
唯一、この女狐に抱く怒りだけは自分のものだと言い張って更に高く上へ至るために剣を構えた。
「駆けよ、嘶け、天つ百光敵を穿て!」
固有ウェポンスキル・《エレクトロピアサー》
梔子姫に与えてきた攻撃で発生した電荷を目印にして雷剣が宙を駆けた。
天から落ちるように幾度も屈折しながら二本が迫る。
防ぐか、避けるか。瞬時に迫られた二択から梔子姫は防ぐことを選ぶ。
マジックスキル・雷《クラスターフィールド》
無詠唱で展開された青白い半球の繭の強度は即席の防御術式よりも強固だった。
ガキンと突き立った剣が蜂矢に光を放ち、轟音を上げる。
防ぐことが苦手でもまだ止められる威力だと、梔子姫がほくそ笑む。
これだけの魔力を注いでいれば消耗は激しいはずだ。耐えてしまえば次こそ拳を当てられる。
片腕を突き出してフィールドを維持しながらどう攻めるか考えて――次の衝撃に目を剥いた。
「れ、連投!?」
雷鳴が途切れずに飛翔する。
空いた手に次から次へと雷剣を生み出してはスキルを発動させて、ミラは絶え間なく金色の剣を投げた。
今飼い慣らしてやると酷使すればするほど目覚めていく感覚があった。
この雷霆を自らのものにすれば、その時は勝てると信じて。
次第に剣は、その威力を増しているのか繭に切っ先を食い込ませるようになっていく。
城壁が余波を受けて削れていき、ドーナツ状に足場を窪ませていった。
(もっと、もっとだ……!)
握り締めた新たな剣は、今までよりも凝縮された雷が青く輝いている。
「はああああっ!!」
固有ウェポンスキル・《グングニルブレイド》
この一投だけは青い一閃となり、宵闇を一文字に駆けて繭を穿った。
光が止んだ時には、ミラは剣を杖にしてどうにか立っていた。
これで勝てていなければどうするのかも考えられない。
震える膝を叱咤して惨めな姿だけは晒したくないと堪える。
その震えは、死力を尽くしたから――ではなかった。
「あーあ、最悪だ」
それは梔子姫の声だが、無理やり声を作っているようなノイズだらけのものだった。
だが、彼女の姿は城壁の上にはない。
それより上。
ふわふわと漂う闇に包まれたナニカが、三眼で見下している。
「仕方ないよね。君が悪いんだよ。あんなことされたらもう手加減なんて出来ないじゃないか」
月光も飲み込む闇は千切れ舞う草のように離れては静かに消えていく。
触れれば何もかも殺すのだろうと幻視させる狂気を孕んだ黒を纏っているのは、月光よりも美しく輝く白い獣だった。
覚醒したからこそ、生まれて初めて、ようやく、正しく理解した。
絶望とはどんなものかを。
「それに……いや、これは君に言うことじゃないか。それじゃあ――さようなら」
短い言葉に誘われて、漂っていた闇が小さな球体となってミラへと迫る。
ふよふよと触れる夜より冥い射干玉。
あれには触れては駄目だと、剣を投擲して牽制を図りながら背を向けて全速力で駆け出した。
惨めだなんて思う暇もない。全身から汗を吹き出して稲妻のように疾走するミラ。
球体と剣が衝突した刹那――巨大な漆黒が広がった。
光を捻じ曲げながら飲み込む虚空はそれよりも早くミラの下半身を貪って、一定の大きさに広がってから音もなく収束して掻き消えた。
闇が飲み込んだ跡には、何も存在しない。
残されたのは、失った大気を埋めるように吹き抜ける風と、黒い触腕でミラを掴む、本来の姿を晒した梔子姫だけ。
城壁ごと綺麗な円形に抉り取った余韻の中央で浮遊する白い狐は、意識を失ってゆらゆらと揺れる姿を見て巨大な目が愉悦にひずませた。
「ほんと、人間って愚かだね」
見つめる先はおびただしい血を流す、腰から下を失った無残な姿。
あれほど吠えておきながらこのザマかと、そう思えば笑いが止まらない。
「君は死ねないよ。カロンが必要とする限りはね。だから、いらなくなった時はまた遊ぼう、ミラ・サイファー」
答えはない。
それでかまわない。
結局、この人間の価値は世界を知るためのサンプルでしかないのだから。
喧騒から離れた静寂で、晦冥白狐は王城を見つめる。
君ならこれで分かるだろう、と。
「ねえカロン、彼女は君の言うレベルでは幾つだったんだい?」
解けた闇の隙間から、隠していた傷が顕になる。
最後の一投によって貫かれたそれは梔子姫の慢心した結果であり、この世界の目安でもある。
尋ねたら答えてくれるだろうか。それとも怒られるだろうか。
いや、どっちでもいい。
きっと今この瞬間は、カロンの目を独り占めできているだろうと、そう思うだけで一層笑いが止まらなかった。
◆
エステルドバロニア。
魔物の国。
その存在がリフェリス王国で周知されたのは、公国との戦争を終えて一晩経ってからだった。
兵士たちは勝利を祝う賑わいに反して重苦しい足取りと暗い顔つきで帰還し、何があったのかと根掘り葉掘り聞かれて訥々と語られていく。
それは民が考えていた勝利とは程遠く、そして容易には受け入れがたい空想のような出来事であった。
そして、同じ報は国の中枢にも届けられる。
「魔物の国が、ディエルコルテの丘に……?」
「それも、その国の手を借りて勝利しただと」
「そんな与太話を誰が真に受けるというのだ!」
無言を貫く国王をよそに、老いた声が四方から投げつけられる。
この王国にとって魔物とは害獣であり、アーゼライ教の聖典に記される「悪しき魔は人の世を貪る混沌の化身なり」の一文に則って扱ってきた。
それが突如として国となって現れ、巨万の魔を率いる王が人間だなどと世迷言を信じられるわけがなく、仮に事実であれば滅ぼすべきだと声高に叫んでいる。
「それに、ヴァレイル殿とドグマ殿は何処へ消えた!」
「その国に殺されたのではないか?」
「バカを言うな。我が国が誇る勇者なのだぞ」
「しかし大公の下へ向かってから戻らぬとなれば」
「なんにせよ、仮にでも次の騎士団長を擁立せねばなるまい」
「では誰を」
二転三転する話題はどれも結論を生み出せぬままで纏まりがない。
それほどに、たった一日で何もかもが変わり果ててしまった。
未曾有の危機であるのは間違いないのに、判断する材料があまりにも足りていなかった。
「まずは」
腹に力を入れて発せられた王の強い語気に、騒いでいた声が自然と静まり返る。
「まずは、相手を知らねばなるまい。知らぬことには何も出来ぬ。倒すべきなのか、倒すことができるのか。斯様な嘘を多くの兵が口を揃えて言うはずはないだろう。となれば、すぐそこに存在していると思って物を考えていかねばならん」
「しかし、我が国の勇者が……」
「戦争だ。そういうこともある。そう思えなければ、どれだけ平和に呆けて耄碌していたかと笑われてしまう。違うか?」
公国を野放しにしていたことへの痛烈な批判も篭められた言葉に反論できる者はいない。
王自身もその責任を感じていると、震える拳から見て取れた。
「初めに次の騎士団長を決めねばなるまい。国を守る要だ。誰か、良いものはおらんか」
王の問に顔を見合わせた者の中から、1人の男が立ち上がる。
「では、推薦したい者がおるのですが宜しいですかな?」
その男の名を、誰も思い出せない。
ただ以前からこの国の為に忠義を尽くしてきた重鎮だと言うことだけは分かっていた。
魔術への造詣の深い、ヴァレイルの弟子だった者もこの場にいる。
だからこの見覚えがないのによく知っているなんて矛盾を晴らす者がいないということは、魔術を使用されていないのだろう。
「では誰を推すのかね。え……っと」
「ああ、お忘れになられましたか? では改めて名乗らせていただきましょう」
――私、アルバートと申します――
次くらいで3章終わる予定です