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エステルドバロニア  作者: 百黒
3章 王国と公国
48/93

24 勇者

カロンの心情を少し修正しました。




 自室に篭もるカロンは、ソファの上でだらしなく足を投げ出して寝転がったまま、特に何をするでもなく天井を眺めていた。

 玉座の間から部屋に戻ってから誰も入るなと言って閉じこもっているが、その理由はただこの気の抜けた姿を見せたくなかったからだ。

 胃が痛くなるイレギュラーが多く発生して紆余曲折したが、それでも望む形に収まりそうだと安堵したらもう動く気力が奮い立たない。

 高い天井を見上げて考えるのは、当然今回の戦争のことだった。


 団結して勝利するんだろうと。そういう方針だとアルバートには確かに伝えていたはずだ。

 それがどうして謎の両成敗に繋がるのか全く分からなかった。

 精神的支柱だった勇者を2人も失ってしまえば、王国は強大な魔物の国に対して正しい判断を下せなくなる可能性がある。

 誰が騎士団長に就くのか分からないが、あの場にいた騎士であれば強硬な態度はとれないだろうと期待したい。

 だがそれは事態を知らない内政側と衝突した軍部の構図が生まれるのでは。

 つまり内部のいざこざに巻き込まれて手を焼くのでは。

 そう考えてしまえば負の連鎖がカロンの中で止まらなかった。

 

「あ゛~~」


 しかし、仮にあの勇者2人が存命していたら上手く王国に話を通せるのか?

 それはないだろう。

 経験豊富な勇者なら余計に「魔物死すべし」と言いかねない。

 話し合いすらまともに出来ず、例の聖戦などと言う大乱を起こそうと動く可能性も十分に考えられた。


 ごろんとうつ伏せになって、座面に頬を擦りつけて疲れ切った目を瞬かせる。

 せいぜいまとまって考えられるのは今はこれが限界で、これ以上起きていてもいい事なんてなにもない。

 数日まともな睡眠を取れずにいるのも相まって整理も殆どつかないのでは、無駄な時間と呼べてしまうだろう。

 それならいっそ諦めて、安全になったと言い聞かせて眠ってしまったほうが良い。

 大きく柔らかな天蓋付きのベッドよりもソファで寝た方が心もなんとなく落ち着けそうだった。


「もうダメだ。明日、明日から考えよう」


 起こったことから学んで次に活かしていくしかない。

 そうは言いながらも頭の片隅にちらつくこれからを呟いていた。


「そうなると、これからどうアプローチしていくかだよなぁ。やっぱりまずは使者をたてて、それから……」



 ――caution! caution! caution!――



「っ! なんだ!?」


 鳴り響いた警報音と全面に浮かんだ警告文が弛んだ視覚と聴覚を盛大に刺激した。

 常であればまず聞くことのないこのけたたましい音は、植え付けられたトラウマに触れて微睡んでいた意識を一瞬で覚醒させた。

 勢い良く体を起こして咄嗟に周囲を確認し、思い出したようにウィンドウを開いて状況を確認する。

 国の全体マップを開くと外壁が赤く色づいており、一部分に円で目印がされていた。

 緊急のシステムメッセージには『侵入者発見』と記されている。


「侵入……なんだ? 公国の残党か? いや、それはこの辺には近づいていないのを確認しているが」


 なんであれ敵意をもった何者かが国に攻撃を仕掛けに来たのは確かだ。

 恐る恐るマーキングされた地点を拡大し――そこに映された2人の姿を見て思わず声を上げた。


「はぁ!? ミラと梔子ぃ!?」








 街の賑わいから離れた城壁の上で睨み合う2人の女。

 正義の名のもとに勇者として振る舞う侵入者と、魔を統べし王に仕える邪悪な守護者。

 奇妙な相対は、人間から見ればミラの姿は勇敢な騎士と捉えられるだろうし、魔物からは梔子姫が最強の番人と讃えられるだろう。

 誰が主役で誰が敵か。一つ言えるのは、どちらも明確な殺意を振り撒いて確実に息の根を止めてやろうと意気込んでいること。

 その姿はヒーローと呼ぶには相応しくないほどに殺気立った姿だった。


 巨腕から伸びる鋭い爪刃を確かめるように動かしながら、どう玩弄してやろうかと獣はせせら笑う。


「一体何しに来たのやら。全て終わったのにむざむざ殺されに来る必要はないじゃないか」


 逆手に握りしめた剣を眼前に構え、ミラは細く深く息を吐き出した。


「せっかちは嫌われるよ?」


 呆れてみせる梔子姫に構わず、ミラは体の奥から湧き上がる衝動に従って臨戦へと姿勢を変えていく。

 長く使い続けてきた柄の感触を確かめるように力を込め、閉じた瞼を見開くと同時に前のめりに体を倒す。


 個体保有スキル・《勇者の血Ⅰ》

 個体保有スキル・《騎士の誉れ》

 スタンススキル・《フェザーダンスⅢ》

 スタンススキル・《ウインドステップⅡ》


 鼻先が地面に触れる寸前でしなやかな太腿が引き締まり、敷き詰めた石の道を砕いて跳躍に等しい疾走を開始した。


 ウェポンスキル・《チェイサースピア》


 両の手を左右に広げて三歩で踏み込み、順手の剣から先に梔子姫の喉元を貫きにかかる。


「おっと」


 キンッ、と虫を払うような軽い動作で切っ先が跳ね上がるが気にはせず、更に一歩進んで脇の下を狙って逆手の剣が奔った。

 リーチの長い梔子姫は近づかれる程に身動きが取れなくなると考えたゼロ距離の斬撃。

 だが刃は月光の軌跡を宙へ描くに留まってしまった。


「あの時より速いじゃないか」

「……ちっ」


 左右を囲う塀の上に立ってわざとらしく拍手をする梔子姫を見て、触れることの出来なかった剣閃の余韻を眺めながら逃げられたと舌を鳴らして再び駆ける。


 今度はどちらも順手に握って飛び退いた梔子姫へ肉薄した。

 全身を満たす魔力をスキルへと回す。スピードを重視するミラの剣技は常人には追えぬ速さに至っていた。


 ウェポンスキル・《ダブルブリッツ》

 ウェポンスキル・《クロスエッジ》

 ウェポンスキル・《旋風連斬》

 ウェポンスキル・《逆さ顎》


 右から二連、左右二連、左三連、逆袈裟に振った影から天へと抜ける一刀。

 踊るように足を運び、韻を踏むように剣が舞う。騎士にはあるまじき野蛮な技ながら、冴え渡る刃の残像は彼女の天禀を感じさせた。

 剛剣と呼ばれたドグマでさえ、傷つけぬよう加減しては勝てんと口にさせた実力を遺憾なく発揮する。

 それがミラが軽装騎士として最良の勇者であることを証明するものであり、それは梔子姫が王国最強の騎士程度では勝てない証左となってしまう。

 もう少し速く動ければ。もう少し力があれば。そんな高望みで対等に立てるような敵ではない。


「っ……!」


 ウェポンスキル・《アクセルソード》

 ウェポンスキル・《パワースティング》

 ウェポンスキル・《スピンスライサー》


 息もつかせぬ連撃は掠りもせず、軽やかな身のこなしだけで空振りに終わっていく。

 隔絶した実力の差をまざまざと見せつけられる度に苛立ちが募った。

 あの時、あの酒場での一戦は油断したからだと心の何処かで思っていたが、二度も遊ばれては事実と受け止めなければならない。

 魔物に負けているなど認められないと叫ぶように、騎士の誉れの名に恥じぬ斬撃の暴風を吹き荒らした。

 般若の形相を浮かべたミラに、梔子姫は薄く笑いかけ続ける。

 この世界に来てから誰もが感じている手応えのなさは、梔子姫の自尊心を満たすに足るものだった。


「それで今まで何を掴んできたんだい? その程度で掴めたものにはどれだけの価値があるのかな?」

「っしぃぃ!!」


 両手を広げてわざと隙を作られたと分かっても、ミラは飛び込まざるを得ない。

 懐に飛び込んで肩に担いだ双剣を密着した状態で振り下ろした。


 ウェポンスキル・【鎧断ち・改】


 互いに身動きが取れない距離から繰り出す斬鉄の二連斬を躱せた者はいなかった。

 薄い絹衣に包まれた柔肌を骨ごと断つなど造作もないことだ。

 それだけの業であり、磨き上げた技だ。

 しかし――


「君たち人間は、いつだって惨めで哀れで……ムカつくよ」


 梔子姫の白い肩に触れて、斬鉄の妙技は止められていた。

 ひゅっと嫌な音が喉で鳴る。

 無呼吸で斬り続けていたからだと、心が言い訳を即座に生み出した。

 白い肩に触れたまま進むこともできずに震える双剣を、憐憫の目で見下ろす梔子姫は自然体なまま言葉を続けた。


「勇者なんて存在のせいで希望や期待でもあるのか知らないけど、そんなレベルで勝てるわけないじゃないか。

 僕ら魔物は生まれながらに格がある。それを突然変異の勇者風情が……いや、それにすらなれない半端者が勝とうなんてちゃんちゃらおかしいね。

 人間は強くなれる。僕らよりも。それをボクは知っている。けどね」


 一歩前に踏み出されただけで小柄なミラはふわりと地面から足が離れて宙に浮いた。

 次の瞬間には、弾丸のように後方へと吹き飛ばされた。

 バウンドしながら滑空した華奢な騎士は塀にぶつかってようやく動きを止めた。

 ごふっと口から溢れた血を石道の上に吐き出すだけで、擦過で傷ついた体は起き上がろうと試みても膝から崩れ落ちてしまう。


 たった一撃。

 スキルでもない通常攻撃。

 魔力も乗らない、純粋な力だけの蹴り。

 あの時も感じた隔絶した差を再び示された。


「そこに辿り着けるのはほんの一握りだ。目覚めた時点で届かない無能には浅ましく泥水啜って這いずりながら戦った先にしかないんだよ。

 とは言え、あの程度を英雄だとか言っちゃう時点で文明レベルを察しちゃうけどさ」


 地面と水平に伸ばした足をゆっくり下ろしながら、梔子姫は自分の知識を確かめるように誰ともなく呟いている。

 全身を駆け巡る痛みは吹き飛んでぶつかった時よりも腹に刺さった蹴りの方が強い。

 内臓全て破裂したと錯覚しそうな程なのに、それがまだ加減されているのだと察した。


「ぐっ、ぇ……ごほっ! ごほっ!」


 息を詰まらせながら喘いでも、動け動けと体に何度も命令を下し続ける。

 屈辱的な姿を晒すことへの怒りよりも、次に訪れる危機から逃れなければならない。

 直後、呼吸音に紛れてひゅっと風を切る音を研ぎ澄まされた聴覚が捉え、激痛を堪えながらなんとか横へ飛んだ。

 黒い毛に覆われた巨腕がミラの脇腹を掠めたが、紙一重で躱した拳は勢いをそのままに叩きつけられる。

 轟音と共に立ち上った土煙。放射状に走った亀裂がその威力を物語っていた。 


「は~あ、これじゃ予定が台無しだ」


 悪戯が失敗した子供のような拗ねた態度で、膝をついて呼吸を整えるミラを見ながら髪を掻き上げる梔子姫は、つまらなそうにすると王城の一室へと目を向けた。


「カロンには悪いことをしてしまったな。こんな予定じゃなかったんだが」

「はぁっ、はぁっ……予定……?」

「僕はね。カロンに友達を作って欲しかったんだ」


 梔子姫の目が、初めて子供のように輝いて、頬を染めて陶然とした表情を作った。


「王は孤独なものだ。周囲から向けられる信頼に答えようとすればするほど心の内を見せられなくなってしまう。

 僕は一番の理解者だけど、やっぱり何処かで部下として扱われてしまうからね。

 だから人間の理解者を作ってあげたかったんだけど……」


 熱を帯びた吐息をこぼして自分に酔っていたが、尻すぼみになる言葉から徐々に感情が顔を覗かせる。


「僕らの……ボクの愛する偉大な王に色目使いやがってさあ! 勇者だか知らないけどあの人に薄汚い感情向けやがって!! 篭絡しようとしやがって!!」


 吹き荒れる紫黒のオーラが周囲の灯りを消し去った。

 銀月の下で顔を覆い隠し、体を振り乱しながら今まで内に秘めていたものが爆発した。

 それはひどく歪で自分勝手な思想。それでも王の為と謳いながら許容できない狭量な思考。

 カロンが王であり魔物じゃないと分かっているからこそ、自分で仕向けておきながら許せない。

 いつか、人間と共に歩むんじゃないかと恐怖するが故に。


 メキメキと形が崩れそうになった右頬を隠したままミラへと近付いて、無造作に胴を握って持ち上げた。

 ミシミシと巻きついた爪が食い込み、苦悶が血とともにミラの口から溢れ出す。


「お前がこんな馬鹿なことをする理由なんてお見通しだよ」

「あぐっ……」

「囚われの姫を救いに来てるつもりだったんだろう? 勇者らしく、悪を倒してカロンを助けだそうと思ってたんだろう? あの人を、哀れんだんだろう!?」


 ミラの目が驚愕に見開かれる。

 

「ち、違……!」

「違うわけがあるかよ。お前たちはどいつもそうさ。非力だと知れば救ってやらなきゃなんて勘違いして、カロンに群がる害虫でしかない。

 恋でも愛でもない妄想の果ての自己中心的な義憤に掻き立てられる。反吐が出そうな正義感で顧みることも出来ずに死にたがる。

 こんな奴らがカロンと同じ生物だなんてだけで腹立たしいし、気にかけられてるのもイライラさせられる」


 言葉を失ったミラの見開かれた目が、余計に梔子姫の癪に障った。

 脳に囁くように届いた文字がミラの助命を指示している。

 カロンに言われれば当然従うし、カロンの為であればなんでもするが、その腹のうちはまた別だ。

 梔子姫とてミラの重要性は理解しているが、それでも渦巻く妬みは止められなかった。

 酒場で楽しげに話す二人の姿を遠目に見て、我慢ができなかった。

 だからわざとミラに自分とカロンの関係を、酒場の一件で印象づけてこうなるように仕組んだのだった。


 飄々として見せている梔子姫だが、人間に抱く悪感情はバロニアの柱の中で最も強い部類に入る。

 掘っ立て小屋から始まった頃から常に晒されてきた人間への恐怖は、そう忘れられるものではない。

 ルシュカは人間に興味を持っていないから深く考えていないし、もう一体のヴェイオスはその存在故に全てを無条件に下に見ている。

 カロンに近い位置から景色を見ていた梔子姫だからこそ、長い苦渋の日々を齎した人間を心底憎んでいた。

 カロンに近いから、魔物ではその心に近づくことが出来ないと分かり、業腹だが人間の友人を探してやろうと思った。

 そんなミラと変わらない自己中心的な思考が働いていた。


「ぅぅ……ぅあああああっ!!」


 スタンススキル・《雷の加護Ⅰ》


 雄叫びを上げたミラの体に稲妻が走った。

 大したダメージには繋がらない悪あがきだが、それでも僅かな痺れを嫌って乱暴に放り捨てる。

 またゴロゴロと地面を転がって伏せる弱さに、そうまでして生かしておかなければならないのかと思ってしまう。


 ――カロンが望んでいる。


 それがあるから梔子姫は人間に好意的な素振りをするし、親しげな態度を作ってみせる。

 だから今もスキルを使わず手加減をして半死半生を目処に痛めつけているのだ。


「さて、もう少し遊ぼうよ。まだやれるだろう?」


 剣を杖にして立ち上がろうとするミラに笑いかけても、その瞳には何も感情も宿していなかった。


「だって君は、勇者なんだからさ」


 勇者は魔物に立ち向かう。

 だが、死を前にしても尚そうするべきなのか。

 梔子姫に指摘されて、言葉を詰まらせた自分はなんなのだ。

 ただ自分の独りよがりで始めたこの戦いに生命を賭ける意味はあるのか。

 もう何も分からない。

 知らなかった自分を覗かれたような気がして気持ち悪い。


 霞む視界の奥で渦巻く思考は要領を得ない。

 殺せと騒ぐ血の意思を今日ほど煩わしいと思ったことはなかった。







 画面の向こうで行われる一方的な暴行を、カロンはただ眺めることしか出来なかった。

 街では変わらず宴が続いており、誰も2人の存在に気づいている様子がない。

 余計ないざこざが増えないと思えば助かるが、それは終わりをあの2人しか決められないことでもある。

 梔子姫には何度もメッセージを送っているが、返ってくるのは「分かっているとも」と言う、どう捉えているのか不明なものだけだ。

 恐らくは、ミラがまだ交戦の構えを解かないからと推測しているが、もう彼女の体力は半分近く削られていた。

 次に梔子姫が攻撃を加えれば一気に瀕死にまで減らされるだろう。最悪の場合死ぬ可能性もある。

 頭を掻き毟りながらどうするべきか必死に考えるが、自分がその場に現れても収拾がつくとはどう考えても思えなかった。

 かと言って誰かを救援に向かわせるのは、場は収まってもミラに対する悪感情を増やしかねないので、後の期待を込めればそれも最小限に抑えたい。


「どうするどうするどうする……さすがにミラが死ねば王国との関係性に大きな溝ができるのは分かっているはずだけど、ならなんで気絶させたりしないんだ」


 ミラのレベルは30ちょうど。

 最高まで育てたレベル100の梔子姫との差が70もある。

 これだけ離れていればどんな攻撃が当たってもかすり傷すら負わせられないだろう。

 

「ミラ……なにしに来たんだよ……」


 彼女は勇者じゃない。

 ただ血を分けただけのまがい物だ。

 それはステータスでも判別できるし、キャラの見た目でも分かる。


 ドグマ・ゼルディクト然り、ヴァレイル・オーダー然り、その目には炎が灯っていた。

 それが勇者の証だ。

 スキルに《勇者》を持ち、その強さによって色の変わる勇者の証。

 赤は最低ランクで、レベル補正もステータス補正も最低量しか上昇していなかった。

 弱い人間が強い魔物に立ち向かうには、その程度の力じゃ到底届かない。

 あれがこの世界の限界ならどうやっても無理だ。

 だが、もし、万が一、あの世界に近い存在だったとするならば。


「……」


 また、ミラの体が宙を舞う。

 大きく削られた体力ゲージが、終わりが近いことを告げていた。







「もう呻き声も聞こえなくなったね。やっと静かになってくれて嬉しいよ」


 定まらない視界は、どこを見ているのか分からない。

 ミラの耳に届く機嫌の良い声がどこから聞こえてくるのかも分からない。

 全身が酷く痛む。訓練でも実戦でもここまで痛めつけられたことはなかった。

 呼吸も細く、今にも止まりそうだと自分でも思う。


 そもそも、どうしてこんなことになったんだろうか。


「君は結局何も出来やしないよ。今まで雑魚を相手にして強いと錯覚してたみたいだけど、所詮井の中の蛙。本物を知らない」


 途切れ途切れに、気分良く独りで勝手に喋り続ける女の声を捉えた。


 分かっている。

 意志を持たず叫ぶしか出来ない血の声がうるさくなればなるほど敵が強いんだと経験で知っている。

 初めて見た時から、本当は敵わないと分かっていた。

 それでも、立ち向かわずにはいられなかった。


「今まで通りの蛙でいればもっと平和でいられたのにね。此処に来なければ、こんな目に遭うこともなかったのに」


 その通りだ。

 戦争が終わったのに余計な火種を生む真似なんて必要ない。

 あの敗戦は大きな疵だったが、周囲に当り散らしていればいずれ疼きが収まるはずだった。

 それでも来たのは――


「カロンはお前を必要としているけど、余計な感情は邪魔なんだ。あの人にいい影響を及ぼさないしさ」


 そう……だろうか。

 それは、この女が決めることじゃないだろう。

 嗚呼、思い出した。


 私はカロンを救いに来たんだ。

 

 血の意志に従った訳じゃなくて、自分の意思でここに来た。

 あの穏やかな顔が。気弱な眼差しが。不器用な笑顔が。


 魔物と出会ってから諦めと苦しみに包まれているのを見たから。


 王と言うなら、もっと王らしく振る舞えばいいんだ。

 あんなに怯えた兎のように顔色を窺っている必要なんてないはずなんだ。

 慕われているのなら、もっと配下に心を許せばいいんだ。


 ミラには、カロンが演じる王の姿がただの虚勢だと見破られていた。

 同じ人間同士だからか、はたまたミラの目が養われているからか。

 梔子姫に言われたように、玉座に座る矮小な姿を哀れんでしまった。


 だって、彼は――


「さて、と。もうこれ以上は殺しちゃいそうだし。そろそろ帰ってもらおうかな」


 もう話すことが尽きたと、血溜りに伏せったミラに近付く梔子姫。

 適当に記憶を消して、回復させてから人間の国に送り届けなければならない。

 手間だが、自分が起こした以上は自分できちんと終わらせる必要がある。

 ぴちゃりと赤い水溜まりに踏み入り、上体を折って髪を掴んで持ち上げた。

 真っ赤に染まった勇者候補。

 その口が微かに動く。


「……して……は……」

「ん?」


 掠れた声ははっきりと聞き取れない。

 思わず聞き返した梔子姫は、次の言葉をつい聞き取ろうとした。


「……うして……カロンは……自由……じゃ……ない……」


 それは、カロンが言っていた言葉。

 あの時は甘やかされた貴族が擦れた考えを口にしているのかと思ったが、そうではなかった。

 これがカロンの実情だった。


「自由じゃないか。これだけの国を持ち、全て思うがままに出来る。それのどこが自由じゃないんだ」


 本気で、梔子姫はそう思う。

 それは魔物の観点からの答え。


 バキンと、体を巡る声が止まると同時に何かが外れた音がした。


「じゃあ…………






 やっぱりお前達魔物にカロンは縛られるべきじゃない」






 生気を取り戻したと同時にミラの全身から黄金の光が溢れ出す。


「なっ!?」


 初めて警鐘が鳴るのを感じた梔子姫が地面に叩きつけようとしたが、彼女の体から迸った雷が腹部に当たり、その威力に思わず手を離して飛び退く。

 光は見る間に身体を癒していき、雷は剣となって形作られる。

 汚れが消えて、ゆっくり地に足をつけたミラは、あの気高く美しい“騎士の誉れ”に相応しい姿に戻っていた。


「は、はは……そうか。居るのか。居てしまうんだね」

 

 ゆっくりと開けられたその瞳に灯された黄金の炎を見て、梔子姫は久しく忘れていた興奮と恐怖に笑ってしまう。


 スタンススキル・《勇者Ⅶ》

 スタンススキル・《雷霆の末裔》

 スタンススキル・《疾風迅雷Ⅴ》

 スタンススキル・《ブレイドダンサーⅤ》

 スタンススキル・《雷剣の使い手》

 スタンススキル・《叛逆のレガリア》


 更新されていくスキル。

 上昇していくステータス。

 人の中から生まれる人外。

 魔物を脅かす本物の執行者。

 エステルドバロニア最大の敵。


 感嘆と畏怖を込めて、カロンが静かに呟いた。




 ――勇者、と。

 






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― 新着の感想 ―
[一言] カロンってどこまでも自陣の魔物に対して愛がないよね。 ここまで読んでいくらリアリティっていっても主人公の人格クソすぎない?
[一言] あでしょうね。 そう来ますよね。 わかりますよ。 でもね、これはあつい、あつい!あつすぎる!!
[一言] 茶番にしか見えない。ちぐはぐな設定がここに来て物語を意味不明にしてて見てられなくなった。一貫したものが一つもない。
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