21 雑兵
遅れてごめんなさい
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「22小隊、27小隊戻りました!」
「急いで隊形を整えろ! 乗り越えて来る前には終わらせろ!」
「邪鬼の悪戯、深き穴にて阻みたもう……アースフォール!」
「魔力の申告は必ずしろ! いざと言う時に使えるだけは必ず残せ!」
敵の行軍はある程度足止めができている。
フィルミリアによる麻痺付与の拘束魔術と、魔術師と騎士によって掘られた塹壕の効果は想像以上の効果を得ていた。
愚直に進む魔物たちは目に見える罠にいとも容易くかかり、混雑した先頭に阻まれ後続は身動きが取れていない。
あらためて布陣した騎士団は先頭に重装騎士が大盾を構えてその時を待ち、その後方に立つ騎士もいざという時に備えている。
「とにかく敵の足を狙ってください! 時間を稼げば必ず勝機が訪れます!」
指揮を執るのはリーヴァルだ。
ミラが指揮権を引き継いだはずなのに、なぜかその役割を押し付けられてよく分からないながらも必死に声を張り上げている。
リーヴァルの作戦は純粋にミラの立てた策を補うように侵攻を阻む手段を選んだ。
魔術師が弧を描いて放つ魔力の矢は敵の手足を重点的に狙って打ち込まれ、それも進軍の妨害として役立っていた。
今この作戦を支えているのは魔術師に他ならず、騎士たちは敵の咆哮や熱線を遮る壁となって彼らを守らなければならない。
徐々にでも彼我の距離は確実に詰められている。敵が一歩前へと進むだけで、騎士たちは武器を握る手に力がこもり、ヘルムの下でじっとりと気持ちの悪い汗を滲ませていた。
「援軍はまだなのか……」
「このままじゃ……」
「死にたくねえよぉ」
戦う意欲を失った彼らには、ミラからもたらされた援軍の報にすがるしかなかった。
統率のない魔物たちは助け合うこともなく、無我夢中で前へ進もうと、押しのけ踏みつけながら吼える光景は蠱毒にも似ている。
生物の悍ましさが晴天さえ赤黒く澱ませて見える程に恐ろしく、カチカチと鳴る鎧の音が陣で共鳴していた。
その中で、誰よりも果敢に挑む者たちがいた。
借り受けた魔馬に跨って、先頭集団の前を往復しながら剣を振るう部隊。
この戦で然程重要視されていなかった、ミラとベルトロイ、そしてフィルミリアだった。
「フィルミリア!」
「はい! パラライズクラスター!」
掌に集まった雷球を揺れる馬上から放ると、着弾した地点から数体を巻きこんで麻痺に陥れた。
その隙を狙って穆王駿馬・絶地はベルトロイの意思を汲んで飛び込んでいく。
高ランク、それもランク6にもなる穆王駿馬は騎手に従うだけではなく、無理な攻めを決して許さずベルトロイの力量を見極めて動いてみせた。
器用に両手に握り締めた剣をすれ違いざまに振り、手や足に傷を付ける。
「くそっ!」
ベルトロイの技量ではせいぜい皮膚より深く斬ることしか出来ず、力のなさに悪態をついた。
彼が戦えているのはひとえに絶地の能力とフィルミリアの補助があってどうにか成り立っている。
他の騎士や勇者候補と比べれば遥かに才能があるが、それでもこれだけの相手には歯が立たなかった。
対して、ミラは縦横無尽に犇めく魔物の蠱毒にまで飛び込んでいく。
笑みを浮かべて馬上から繰り出される連撃が大蛙の腱をを切り裂いて、次へ向かえと馬の腹を蹴った。
「くっ、ひ、はははっ! やっぱり勇者はこうじゃないとなぁ!」
巨大な足や腕の隙間を縫いながら、時には飛び上がって頭上を渡りながら、今までの鬱憤を晴らすように魔を斬る手応えに酔いしれる。
エステルドバロニアにいる間、どうしてもソワソワして落ち着かなかった。
殺すべき対象がうようよしているのに手を出せない状況は相当にストレスだったようで、大人しく本陣に下がっているのも耐えられず暴れ回っているのだ。
さしものミラでも殺すのは容易ではないようで、とにかく多くの動きを阻害する為に手足を狙って剣を走らせ続けている。
「さぁ走れ駄馬め。貴様がカロンの配下に相応しい働きをしないならその首切り落としてやるぞ」
銀髪を激しく靡かせながら凄惨な笑みで挑発するミラに、絶地もその駿足を張り合うように振るってみせた。
魔を狩る者と魔を纏う者。
水と油の両者は信頼しているように見えて互いに寝首をいつ掻こうかと目論んでいる空気を漂わせており、カロンの存在がどうにか軽快な連係を生んでいた。
「ミラ隊長はりきってるな」
「置いていくわけには……行きませんよねぇ」
塹壕や拘束魔術で鈍らせてはいても徐々に迫ってきている。その合間を縫いながら切りつけて移動し続けているが、ベルトロイの疲労は極限の接近戦でかなり溜まってきていた。
疲れ知らずに飛び回るミラはベルトロイに一瞥もくれず戦い続けている。
弱音を吐くわけにも置き去りにするわけにもいかず、ミラを追って一度大きく離れてから再び敵の群れに飛び込もうとした時、煌々と収束する魔力の光が塹壕の底から見えた。
「っ、隊長!」
群れを抜けたミラと合流したベルトロイがその方角を指差して叫ぶ。
発光体は塹壕の中からのっそりと体を起き上がらせていく。
それは、ヴァレイルが目を引かれた炎の巨人だった。
ヴァルクロプスの単眼に赤熱した魔力が膨らませており、周囲の魔物より高い位置から人間を見下ろした。
「まずいっ! 全体防御術式! 重装騎士はしっかり盾を構えろ!」
本陣でもその様子が確認でき、リーヴァルが喉を引き裂かんばかりに叫ぶ。
騎士団の陣営前方で慌てたように魔法陣が折り重なっていくが、ヴァレイルのそれと比べれば非力な薄氷だ。
「ちぃ! もっと速く走れ!」
絶地の腹を蹴るが、穆王駿馬は本能で近づくことの危険を察知して足を止めてしまう。
苛立つミラをよそに光は収束した瞬間、地面を抉りながら灼熱の光線となって放たれた。
赤橙に輝く熱線が防御術式の目前で防がれる。
数十人がかりでようやく止めるが、防ぎきれない熱風が白い鎧を焦がす。
ミシミシと魔法陣の軋む音が轟音に紛れて聞こえてくると、さしものミラでも額から汗が伝った。
不安げに背中を掴むフィルミリアの手を握るベルトロイの手も力が篭る。
祈るように手綱を折るリーヴァルには、この時間がいつまでも終わらないように感じられた。
徐々に視界いっぱいに広がっていた光が弱まっていく。
懸命に魔法陣を維持していた魔術師たちからも力が抜けていくが、枯渇しかけた魔力ではこれ以上守ることは出来ない。
肩で息をしながら、それでもやり遂げたと満足気な笑みが口元に浮かぶ。
だが、再び輝いた単眼に顔を蒼くした。
「次来ます!」
「無理です! もう魔力がありません!」
それでも魔法を練るが、現れた弱々しい魔法陣はパタリと術者が倒れると共に掻き消えてしまう。
避けろと言っても不可能だ。騎士が受け止めても融解してしまうだろう。
まだ来ないのかと毒づこうが、魔物には関係の無い話だ。
慌てふためく騎士団に、第二射が容赦なく放たれる。
迫る豪炎は一度削った大地を溶かしながら愚直に迸る。
逃げようと背を向けて走り出した騎士の背を追いかける。
(まだか、カロン)
もう取れる手段は一つもない。
ミラとベルトロイが駆け寄っても止められない。
騎士団をどうにか纏めようと奮闘するリーヴァルも逃げる暇がない。
誰の目にも分かる。明らかな敗北が訪れると。
千々になって駆け回る蟻を焼き払うように、容赦のない灼熱が全てを燃やし尽くす。
――さあ、始めよう
巨大な壁が彼らの前に出現した。
大きな鱗が密集するように構成された半透明の壁は、その大きさも厚さも王国の魔術師とは比べ物にならない。
熱線が衝突する音だけは届くが、振動も熱も伝わらなかった。
「なんだこれは……」
強固な障壁を見上げてリーヴァルが呟いた。
この世界における防御術式とは構成が違う。
複雑怪奇な術式から組み上げられた形状は古くから受け継がれているものとはかけ離れた幾何学模様が浮かんでいた。
空には奇妙な真紅の連環が、ゆっくりと見たことのない模様を回している。
助かった安堵よりも疑問が飛び交う中、遊撃部隊の面々は自然とフェレンツの森の方へ顔を向けた。
「ふん、漸くお出ましか」
障壁のような魔術が消えて景色が元に戻る。
静まった世界に、規則正しい行軍の音が響いてきた。
木々を踏みながら鉄を鳴らして迫る音はとにかく数が多い。
援軍の報せを聞いてはいたが、一体大陸のどこにそんな戦力があったのだろう。
小競り合いに勝った貴族だろうか。それともならず者の集まりか。
しかし今見せられた防御術式は、そんな烏合の衆が成し得るものではなく、それこそ魔導の国でもなければ構成できない代物だった。
期待と不安をよそに戦場へと迫る一糸乱れぬ行進。
鬼が出るか蛇が出るか。
集まった視線の先。
森の中から姿を現したのは、
「わふ」
子犬だった。
「わふわふ」
「わふっ」
「ふんふん」
なんと評していいのか、誰もが言葉を失っている。
意思を殆ど剥奪された公国の魔物でさえ身動きを止めていた。
二足歩行でぞろぞろと森から現れる子犬は胴当てに兜を被り、手には思い思いの武器を握って大股に歩いている。
歪んだ皿のような兜の横から耳がピンと伸びており、下には鼻先の長い毛深い顔。
魔物の中でスライムにも並ぶランク1の獣人種【レッサーコボルト】。見た目通り凶悪さの欠片もない脆弱とされる小犬人であった。
「はぁ?」
ミラが普段からは想像もできない素っ頓狂な声を出した。
それもそうだ。彼女たちが見たエステルドバロニアの最後の光景は屈強な肉体のオーガやオークが忙しなく動き回る姿だったのだから。
なのに、いざ現れたのはこのひ弱な二足歩行の子犬。
数百体の多種多様な子犬の後続は更に予想を覆すものだった。
「ギギ」
「グヒヒ」
子犬歩兵の後ろには気味の悪い笑みを浮かべたランク1の亜人種【ゴブリンアーチャー】だ。
腰巻きだけの格好で大弓を担ぎ、歪んだ歯を剥いて上機嫌にけたたましく笑っている。
臆病で小賢しいだけの、常なら歯牙にも掛けない雑魚なのに、整然と行進しているだけで異常さが際立っている。
そして最後尾。
ボロ切れのとんがり帽子に皮の服を着た、草と岩を纏った小人が意気揚々と杖を掲げていた。
鋭い三眼で周囲を睨みつけながら存在を誇示するように歌う彼らはランク3の妖精【スプリガン】。
この大陸では馴染みのない魔法を得意とする下級妖精だ。
エステルドバロニアによる遠征軍の全容はそれが全てであり、あのバケモノの巣窟から来たとは思えぬ貧弱な軍勢の登場は良くも悪くも印象に残る。
誰が見ても乱入してきた謎の軍では公国と勝負にならないと思ってしまった。
個々であれば駆け出しの冒険者にも倒せる魔物でも、大挙して押し寄せるのは確かに脅威だが、巨大な亀や単眼の巨人に挑んだところでアリとゾウくらい違う。
足並みを乱すことなく行進していたエステルドバロニア軍がピタリと息の合った動きで停止した。
「わふぅ!」
「偉大ナル王ニ勝利ヲ捧ゲン!」
「kypd68g.ltwc4|3.#._orw@!」
三者三様の言葉を種族のリーダーが呼び掛ければ、大気を揺るがす雄叫びが上がった。
見かけによらない勇ましい叫びは戦う者である証だ。
まだ呆然としている両軍に構わず、銅鑼の音が森の中から響き渡った。
「進軍を始めろ」
白亜の城で、静かな開戦の合図が呟かれた。
◆
スプリガンたちは踊るように杖を振り、歌うように呪文を唱える。
すると見る見るうちに騎士団の前で土がせり上がり、公国軍の射線を遮った。
邪魔者は殺せと指示されている公国の魔物は、進路が塞がり、敵がいるとなれば足のむく方向は当然コボルトの方となる。
「わっふ! わっふ!」
巨大な魔物が大挙して押し寄せようとする光景に何一つ臆さず、コボルトたちは鳴き声に合わせて武器を構えると、躊躇せず真っ直ぐ駆け出した。
猛然と走る子犬の大群に、穴から抜け出し始めた単眼の巨人が大きく腕を振り回して威嚇するが、つぶらな瞳に恐怖はなかった。
その瞳にだけは見えているのだ。
目の前に伸びた光のライン。敵の頭上に浮かぶ様々なポップ。優先付の数字。
色付けされて描かれた、エステルドバロニアの兵にだけ見える王の秘技が全てを教えてくれている。
何を優先し、警戒すればいいのか。どこへ移動し、どう攻めればいいのか。
個々に割り振られた指令が迷いを消す。従うことが唯一無二の忠誠である。
いかに強大であろうとも決して躊躇うことはない。
小さな犬歯を剥いて、コボルトファイターは全身全霊を以て敵へと飛びかかっていくのだ。
「グォォオオオ!!」
1と振られたヴァルクロプスに、指の先程度の背丈しかないコボルトが華麗に舞って刃を振るう。
種族保有スキル・《オメガパックⅠ》
スタンススキル・《獣の本能Ⅰ》
最弱にも近いはずなのに、振るわれた刃は赤熱した硬い皮膚に傷をつけた。
近づけば燃える陽炎に焼かれてもおかしくないのに、コボルトたちは暴れる巨人の手足を掻い潜りながら果敢に立ち向かい続けている。
マジックスキル・水《アクアオーラ》
マジックスキル・風《アップアジリティⅠ》
マジックスキル・水《アップディフェンスⅠ》
スプリガンたちの目にも多くの情報が映されていた。
優先順位の数字に従ってコボルトに防御強化と耐性付与を次々と施し、先陣切って切り込む者を次々と強化していく。
耐熱、耐冷、防御アップ、攻撃アップ、速度アップ、体力回復、異常解除……。
手練手管を駆使して打たれ弱い彼らが戦えるよう全力でバックアップすれば、応えるようにコボルトの動きは苛烈さを増した。
しかし、敵の土俵に引きずり込まれてはどれだけ強化されようとコボルトでは相手にならない。
軽い子犬は足のひと振りで跳ね飛ばされ、「キャイン!」と甲高い声を上げて地面を転がる者も多かった。
それを許さないのが、ゴブリンの役目である。
「ゲゲゲ」
「クギ! グギ!」
ウェポンスキル・《レッグブレイク》
ウェポンスキル・《アームブレイク》
ウェポンスキル・《スペルシールアロー》
ウェポンスキル・《スキルシールアロー》
ウェポンスキル・《ブレインアロー》
ウェポンスキル・《ポイズンショット》
弱体効果の付与された遠距離攻撃がコボルトの合間を縫って突き刺さっていく。
複数体から一斉に放たれる矢が突き刺されば目に見えて動きを鈍らせ、より優位に戦闘を進められるよう黙々と矢をつがえるゴブリンたち。
ヴァルクロプスは自慢の魔法を封じられ、手足に魔法の鎖を巻き付けられ、目を暗雲で包まれながら煩わしげに戦っている。
エステルドバロニアにとって最もメジャーな白兵戦術。
ネオンのようなスポットが、鮮やかなラインが、詳細なメッセージが。
効率的に、確実に、敵を殺す為に軍を機能させる。
ベルトロイでも一体づつなら苦もなく殺せるのは間違いないのに。
灼熱の巨人が地面に倒れ伏し、その上に立ってトドメを刺すコボルトの姿は、あの国に生きる兵士と呼ぶに相応しいおぞましさを漂わせていた。