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エステルドバロニア  作者: 百黒
3章 王国と公国
44/93

20 王

予約投稿忘れてました。ごめんなさい。


.




 漂う意識の向こうで泣きそうな怒号が聞こえてくる。

 慌ただしく走り回る土の振動。放たれた魔術の余韻で震える魔力の波。ぐらぐらと揺すられる感覚。

 激しい空爆からどれだけ時間が経ったのか、勝ったのか負けたのかもよく分からない。

 淀んだ視界で闇が揺らいでは、この鉛のような重さから逃げようと誘いかけてくる。


「――様! ――イル様!」


 耳を掠める声が脳へと届いても起き上がりたいと思えないほどに体が鈍い。

 でも、その声が補佐についた教え子のものなら応えるのが指導者の役目だ。

 自覚すると同時に、ぐんっと意識が浮上した。


「ぐっ、ごほっ!」


 肺の空気が一気に吐き出され、咳き込んだ口の中は鉄の味がした。

 朧げな意識でヴァレイルが視線だけで周囲を見回すと、側にしゃがみ込んで顔を覗き込む部下の後ろに地面に倒れ伏して苦しげに呻いている教え子たちが見えた。

 その側では負傷者を守るように隊列を組んだ魔術師たちが、魔法陣を組み上げて前線を援護しようと懸命に光の矢を飛ばしていた。


 折り重なる足の合間から覗いた戦場はもっと凄惨だった。

 爆弾は魔物諸共吹き飛ばしたのか、死体は敵も味方も関係なく、軽傷で済んだ魔物が無差別に食い漁っている。

 どれだけの爆弾が放り捨てられたのか、もうもうとあちらこちらで立ち込める黒煙の足元にはプレゼントの威力を物語る深い傷跡が残されていた。


「げほっ……くそったれめ」

「大丈夫ですか! お手を——」

「大丈夫だ。年寄り扱いせんでいい」


 徐々に自分の置かれた状況を把握していくヴァレイルは、仰向けに転がった体をうつ伏せてからのっそりと緩慢な動きで立ち上がり、体に付いた土を払って忌々しげに遠く公国を睨みつける。

 咄嗟の判断で防御魔法を使いはしたが、物理爆破耐性のないものでは完全に防ぐことはできなかった。

 それでも一人も死者が出ていないのは僥倖といえよう。少なくとも回復魔術の心得がある者がいるからだ。


「状況は、どうなっとる」

「魔鳥の襲撃から30分経過しています。魔術部隊は……ご覧の通りです。死者こそ出てはいませんが」

「そうか」

「あの襲撃以降ずっと空を周回するばかりで襲ってこないのは助かってますけどね」


 随分長いこと意識を失っていたようだ。

 ズキリと痛んだ脇腹に触れると服が焦げており、ザラついた皮膚の触覚に焼けたのだと理解した。

 恐らく治療を施されたのだろう。生々しい皮膚の薄さを感じて察する。


「それに向こうは……」


 部下の向けた視線の先は主戦場に加えてもう一箇所。

 回復術師を配置していた地点も狙われていたようで、倒れた仲間を治療しようと淡い緑の光が灯っている。

 あれでは仲間内だけで兵の治療は満足にできないと見た方が良さそうだった。

 仮に前線の治療に回したところで焼け石に水だろう。それだけの被害が広がっている。

 千々に逃げ出し、その背を追われて組み敷かれている姿も散見された。


「警戒していても防げはせんかっただろうな。あれだけの威力と数じゃ対応しきれんわ」

「嘆かわしいですが、そうですね……」

「しかしな」


 足元を見ればアテにしていた妙薬の欠片が散らばっている。

 屈んで拾ったのは爆風を免れた二本だけ。

 監視するように飛び回る魔鳥を見てから、ヴァレイルは白髪を掻き乱して魔術を発動させた。


「やられたらやりかえせって教わってるんじゃい! 打ち鳴らせ炎の晩鐘、天に掲げし(かむり)を響かせて大輪の狂爆を咲かせたもう!」


 三叉の先から浮かび上がった紅玉は高度を上げ、魔鳥の顔の前に来た瞬間波紋のように魔法陣が広がった。


 マジックスキル:火《インパクトパルス》


 広がった魔法陣が空を連鎖する球形の爆炎で覆い尽くす。

 落とされた爆弾よりも遥かに威力がある高位魔法の発動に少しばかり息切れしたが、誤魔化すように口を拭って舌を鳴らした。


「ええい、これで全部死んどらんのが余計腹立つわ」


 恐らくあれが大公の目だ。

 高みの見物を決め込んで、姿を見せることもせず悠々とこの惨状を嘲笑っていることだろう。

 300近い魔物を同時に使役するなど勇者の範疇を超えた能力だ。確かに常人から逸しているものだが、ここまで来ては最早勇者とは呼べない。

 勇者と対極をなす存在に、あまりにも近すぎる。


「こりゃ本当に有り得るかも知れんな。人魔大戦の再来ってやつが」


 ヒュン、と杖を数度回転させて体を抱くように杖を構えて詠唱をすれば、空に再び巨大な魔法陣が浮かび上がった。


 マジックスキル:火《アグニライン》


 定めた狙いは敵陣後方。

 杖を正面に構えれば、最も厄介な魔物が密集した地点を灼熱の光線が横薙ぎに迸った。

 壁のように連なって噴き上がる炎柱が多くを死へと至らしめるが、やはり全てとはいかず焼け爛れた体を揺らす炎の巨人は陽炎の呼気を吐き出しながら進撃を続けているのが見える。

 残されていた内の一本を開けて飲み干し、どうしたものかとヴァレイルは首を捻った。


 悠長にしていい状況では決してないのは理解している。

 だが力を振るおうにも制限のあるヴァレイルは無駄な魔力を使うわけにはいかない。

 残されたストックはこれで後一つだけ。その使い道を考える必要がある。

 答えは決まっているようなものだが、それでも聞いてみるかと軽く杖を振って通信魔術を起動した。



「おい、聞こえているか。生きてるなら返事をせんか剛剣ドグマ」

『……ああ、聞こえてますよ』


 返答は少しばかり時間を要したが、はっきりとした口調に気付かれぬ程度にほっとする。


「無事で何より。ところでそっちはどうかね。わしの方でも大凡は見えているが」

『ならば見た通りです。っと!』


 ぱっと、中心付近で血飛沫が高く上がった。


『ヴァレイル殿、貴方も分かっておられるでしょう。ここはもう駄目です』


 努めて冷静を装っていても、憤りと遣る瀬無さが通話魔術越しでも滲んでいた。

 諦めとも取れるドグマの言葉だが、ヴァレイルはその意味を正確に理解して呻いてしまう。

 その判断の正しさは誰も答えを持たない。

 ただ。

 どれほど敗戦色が色濃くなろうと、彼らは勇者としてあるべき勝利を優先しなければならなかった。


『行きましょう。公国へ』


 それはこの場にいる兵士たちを見捨てることに他ならない。

 ドグマも分かったうえで言っているのは震えた声から感じられた。


 それでも勇者にしかできない役目がある。勇者にしかできない決断がある。


 事態が果たして好転するとは言えない。

 死に出に花を添える程度の、苦しい勝利を得たのだと大衆に言い訳をするような、みっともない決断だと。

 いついかなる時も、いつの時代になろうとも、勝つことが求められ続ける。


「……仕方あるまい。それが勇者だものな」


 髪をかきあげながら見た補佐の男の顔が不安に曇る。

 ヴァレイルが何をするのかドグマの声が聞こえずとも察したようで、見られていると気付いた男は俯いて再び顔を上げた。


「ご武運を」


 疲れ切った顔のヴァレイルに向けられる決意の表情。

 それを見ては、憂鬱なままではいられない。


「まったく。チェルミーと言いなんでわしの周りはこんな奴ばっかりなんだか」


 丸まりかけた背中を伸ばして、いつものように自信に満ちた笑みを作った。


「剛剣! 馬捕まえて迎えに来い!」

『承知しました。勝ちましょう、必ず!』


 通信が途切れるとヴァレイルから失笑が溢れる。


「青臭いことを言いよる」


 勇者はシステムだ。

 英雄譚や武勇伝がどれだけ愛されていたとしても、その中で活躍する姿の中には多くの苦悩が隠されている。

 その苦さを知っている身からは、いつまでも青臭いドグマの生き様はバカらしく思いながらも少し憧れるものがあった。


「まあいいわい。アルマス! とにかく制空権を取り戻すことを優先しろ! その後は負傷者を集めて回復術師に治療するようにな!」

「はっ!」

「とにかくドグマとわしが公国を落とすまで時間を稼いでくれればいい! それ以上は望ま——……なんじゃ?」


 焼けたローブの襟の陰に、フィレンツの森から飛び出してきた何かを視認して目を細めた。



 疾走するのは、青みがかった黒い毛並みの軍馬だ。

 紅玉の瞳をぎょろりと動かし、鼻息荒く踏みつける大地を蹴ってヴァレイルのもとへ一直線に向かっている。


「見えたぞ!」


 その上に跨ったミラ・サイファーが叫ぶと、後に続くベルトロイ、リーヴァル、そしてベルトロイの背にしがみついたフィルミリアが頷いた。

 エステルドバロニアより借り受けたこの【穆王駿馬(ぼくおうしゅんめ)絶地(ぜっち)】はそこらの騎馬よりも遥かに速い優駿だった。

 土に足が触れていると感じさせない軽やかさで野を越え森を越え、戦場まで予想外の時間で運んでくれた。

 ミラは警戒している王国軍に向けて自分の証でもある銀の長剣を掲げながら手綱を引いて後陣を駆けた。


「“大火”ヴァレイル・オーダー! まだ死んでなかったか!」


 新手かと警戒していた魔術師たちだったが、そこに跨る騎士が名高きサイファー家の息女と知って動揺を示した。

 ヴァレイルも驚きを隠せずにいる。

 戻らないと思っていた遊撃部隊が立派な馬を手に入れて現れたのだから無理もない。

 それに、ミラたちの顔は生気に満ちていた。


「サイファー家の娘か! 頭が溶けたりはしとらんだろうな!」

「問題ない。色々と話したいことはあるが、そんな時間はなさそうだな」

「うむ。わしは剛剣とともに公国へと攻め入る。わしらが大公を討つまで戦線を極力維持してほしいのだが!」

「なら朗報だ。援軍がくるぞ。訳ありの援軍だがな」

「……はぁ?」


 神都を指すなら神聖騎士と言えばいいだけなのに、持って回った言い方にヴァレイルが素っ頓狂な声を出した。

 訳ありと言われてはどこかに山賊でもいて懐柔したのかと思わなくもないが、今この場で詳しく話し込む暇はない。

 なんにせよ援軍は心強いと、ヴァレイルは余計なことを聞こうとはせず「よくやった!」と明朗な声でミラに告げて背を向けた。

 2人のやりとりに不安を感じたリーヴァルが補足しようと口を開きかけたが、横から伸びてきた剣の煌めきにぐっと声を詰まらせる。


「黙っていろ」


 本当に告げなくていいのかと視線で訴えたリーヴァルだったが、じろりと半目の眼差しを向けられただけで黙りこくった。


「リーヴァルさんはあまり強気な方ではないのですか……?」

「いや、そんなわけないと思うけどな。多分ミラ隊長が相手だからだろ」


 フィルミリアの問いにベルトロイは答えたが、その理由は正直よく分かっていないで言っている。

 色恋の機敏に疎い彼ではその程度しか感じ取れないのだ。


「くっ、うるさいぞそこ!」

「貴様も黙ってろ。それで、見込みはあるのか」

「余裕じゃなおぬしら……まぁどうにかなるとは思っておる。奴の能力をわしほど知っている者もおらんだろう」

「それは……ああ、なるほど。しかしあの頃とは大分変わっているんじゃないのか? これだけのことができるなど私は聞いた覚えがない」

「うむ、わしもな。だがどうにかできるさ。なにせわしは——」

「ヴァレイル殿!」


 激しい馬蹄の音と低い声。

 振り向けばドグマが軍馬に跨ってすぐそばにまでやってきていた。


「なにせわしは天才だからな!」


 手を借りてドグマの背に飛び乗ったヴァレイルが白い歯を見せる。

 なんの根拠もないが、それを納得させる不思議な迫力があるのは勇者の力だろうか。

 この苦境の中でも勝てると錯覚させる2人の姿に、ミラは静かに目を閉じてから鋭くドグマを見つめた。


「団長、指揮を預けていただけますか」

「ミラか……いいだろう、お前たちの奮闘に期待する」


 あの空爆の中で信頼していた副団長や補佐官が失われた。

 騎士団の統率が纏まらない状況で団長自ら先陣を切るとなれば当然誰かに役割を任せなければならない。

 その点でミラは家柄も実力も騎士団に知れ渡っており申し分ないと、ドグマは短い思案で許可した。


 馬が高く足を掲げて高らかと嘶く。


「皆を頼むぞ!」


 その言葉を残して、2人を乗せた馬は戦場を迂回するようにして一路公国へと駆けていった。

 怒涛の事態に置き去りのベルトロイたちを無視して、ミラは喉に手を当てて各自奮戦している騎士たちに向けて通信魔術越しに叫んだ。


「いいか貴様ら! 今からこのミラ・サイファーが指揮をとることになった! しのごの言わず指示に従え!」


 死地の中でもがいている大勢の鼓膜に響いた。

 傲慢不遜な態度と自信過剰な声色で、名乗らなくても誰なのか分かる迫力に戦場が騒然とする。

 ピンチも関係なく怒号のようにどうなってんだと叫ぶ音に馬上で腕組みをしていたミラはもう一度喉に指を添え、指揮官らしからぬ怒りを発憤した。


「うるっさあああい!! 黙って従え馬鹿ども! まず私のいる場所まで後退しろ! 陣形を整えて応戦しなければ無様に殺されるだけだ! 動ける者は這ってでもここまで来い!」


 言い方は問題大ありだが、時間を稼ぐのであれば今のように散り散りのままでは各個に襲われるだけだ。

 正面からぶつかれるだけの数もいなくなった騎士団が延命する術は、総力を一箇所に集めて持久戦に持ち込むしかない。


「ミラ指揮官。それでは魔物たちが王都に抜けていってしまうのではありませんか?」


 アルマスとヴァレイルに呼ばれていた魔術師の問いはもっともだ。

 だがミラは(かぶり)を振る。


「それはないだろう」

「何故そのように?」

「神都で魔物と相対した時、奴らは逃げた私たちを常に追い続けた。神都からどれだけ離れてもだ」


 公国にとっては攻略できればアドバンテージを得られる場所を攻める方が遠くどこかに逃げる者をひたすらに追わせるよりも重要視するべきことのはずなのに。

 数人ディエルコルテの丘に逃げられても問題はない。にもかかわらず捕捉した獲物を馬鹿みたいに追いかけ続けた。

 あのグラドラと遭遇した時も逃げる素振りをほとんど見せていない。


「恐らく公国は魔物に単純な命令しか出せないんだろう。向かう方向だけを決めて直進させ見つけ次第殺す程度のな。だから我々が王国との間で陣を構えている以上アレは無視して進めない」


 そう言われてアルマスは空を見上げて得心する。

 突如現れて爆弾を大量に投下した魔鳥たちが、急襲もせずに延々と空を泳いでいた。

 持った爆弾を運んで投下するだけの命令しか与えられないとすれば、空の戦力を監視のためとしても遊ばせておく理由はなく、ミラの推測にも信憑性をもたせた。


 這々の体で集まってくる騎士たちを追う魔物を見れば鈍重な巨体が目立つ。

 素早い魔物は爆発に耐えられなかったり、騎士団の中に食い込んでいたせいでほとんどが倒れている。

 頑強であったり動きが遅かったりする魔物ばかりが残っており、全体の速度は落ちている代わりに厄介な魔物ばかりが残されていた。


「魔力にはどれだけ余裕がある」

「私は」

「違う、全体でだ」

「……恐らく4割ほどかと。大規模魔術の運用は無理ですが、あと数時間は戦えるでしょう」

「よし、それだけあればやりようはあるな。ベルトロイ・バーゼス! その娘と共に前線に行って罠を仕掛けてこい! 役に立つから連れていけと言ったのだから利用させてもらうぞ」

「前線にって……」

「ベルトロイさん」


 命令を受けてベルトロイは不安げにフィルミリアを見たが、彼女は強い意志で一つ頷く。

 それを見てベルトロイも答えるように頷く姿を、苦い顔で見ていたミラはリーヴァルに視線を移した。


「リーヴァル・オード・シュトライフ、魔術部隊を率いて塹壕を掘らせろ。なるべく横に広く、深くな」

「了解しました」


 ミラの考えは凡そ間違ってはいない。

 時間を稼ぐやり方で確かに進軍は遅らせられる。

 しかし、ミラらしからぬとも思えた。


「ミラ隊長閣下はどうなさるおつもりで?」


 リーヴァルの問いかけに、ミラは口の端を持ち上げ

て当たり前のように答えた。


「魔物を前にして、大人しくしてられるわけないだろう?」









 エステルドバロニア、王城。

 ミスリルに包まれた謁見の間の中央、巨大な玉座の前に立つ王は忙しなく手を宙に這わせていた。

 目の前に浮かび上がるのは無数の窓。半透明の映像には様々な情報が浮かんでおり、自軍だけではなく戦場までも見渡している。

 この世界で唯一無二の、カロンにとって切り札と言える技能(スキル)の1つ。

 長年培った知識と経験を動員し、目移りするほどの文字と映像を見回しながら軍の編成を進めていた。


「カロン」


 音もなく開かれた扉から入ってきた黒い着物を着崩した梔子姫が、臣下に許された位置まで進んで名を呼ぶ。

 カロンは一瞥もせず作業を続けている。


「兵衛の用意は済んだようだよ。エレミヤとミャルコも所定位置で待機したって」

「知っている」

「だろうね。でも、こういうのは形が大事だろう?」


 巨大な爪をわきわきと動かして、おどけたように笑っても反応はない。

 しょうがない奴だと梔子姫はふっと息を吐き、つまらなそうに周りを見回してからまたカロンを見た。

 漂う雰囲気はいつにも増して威厳がある。この広い謁見の間に満ちる重圧は実に心地よかった。


「なあ、カロン」

「なんだ?」

「君はさ、楽しいかい?」


 ピタリと手が止まる。


「楽しい?」


 何を楽しいと思うのだろう。

 自分が愛してきたゲームが現実になっても。

 配下のモンスターが生き生きとした姿を見せていても。

 カロンは心から楽しいとは思えていなかった。

 一般人が突然王になり、今までにはなかった責任が重く伸し掛るようになり、生きるためにと心を削っている今。

 何が楽しいのだろうか。


 少なくとも、安心か不安かで一喜一憂している現状には心労ばかり祟ってまともに寝られていない。

 その証拠に目の下には深い隈があった。

 何故急にそんな質問をしてきたのかカロンには皆目見当もつかないが、ひとつ言えるのは――


「これから、そうなればいいと思うよ」


 この一件が終われば、少しは時間ができるだろう。

 それから考えたい。そう思った。


「そうかい……なら、早く終わらせないとね」

「そうだな」


 編成した軍のステータスを見ながら相槌を打つ。

 ランクもレベルも公国軍より低い代わりに、数と多様性で攻めるオーソドックスな編成。

 神都の時のように圧倒的な暴力で一気呵成に制圧しても良いが、今回は目的が違う。

 エステルドバロニアには秩序があり、有象無象とは一線を画すことを証明する必要がある。

 まるで初期の頃を思い起こさせる、小型の魔物が列をなして進発の時を待つ様子にはっと顔を上げた。


「……最低だな」


 ほんの一瞬。

 これから多くの命を奪おうとしているのに。

 楽しいと思ってしまった。


 これは現実なんだ。

 そう言いながら、城に篭もって画面越しに指示を出す行為には現実味がない。

 戒めるように強く拳を握り締めて、真正面に現れたボタンに手をかける。

 小さく息を吸い込み、まぜこぜになった感情を深い吐息と共に吐き出す。


「全軍、行動を開始せよ」


 躊躇わず、YESが押された。


 戦場全てを覆い尽くすように広がった真紅の円環。

 state of warの文字を見上げて何を思うのか。

 魔物たちの笑みに紛れて、ひっそりとカロンの口元も孤月に歪んだ。






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