17 賽
かつて世界を救った九人の騎士。
彼らが降り立った聖地、ディエルコルテの丘に突如現れたという魔物の国。
フィルミリアから聞かされても疑わしかったその存在は、グラドラの乱入によって足を止めた場所から僅か100歩。目と鼻の先へと進むだけで幻視の領域から外れ、その威容を現した。
澄んだ夜の帳から陽炎のように巨大な壁が突如として目の前に出現し、瞬いていた星明りが天へと漏れる魔導光によって霞んでしまっている。
銀月の下には黒鉄の巨大な外壁が聳え、それよりも高く天へと伸びる階のような三本の塔が見えた。
加えて、彼らを驚かせたのは本当に存在した都市の外観だけではなかった。
壁の周囲には掘っ立て小屋が大小様々建てられており、子犬人と巨人が松明を頼りに建築に励んでいる姿が見えるのだ。
遠く外れの森では豚人が一丸となって夜闇も気にせず伐採と植林に勤しみ、囲われた柵の中では山羊の角を生やした羊の様子を見張るように小鬼たちが六脚の熊に跨って巡回していた。
高度な文明は人だけが得ていると信じていたこの世界の住人には、あまりにも刺激の強い光景だった。
マリアンヌが目眩で倒れそうになるのを並んでいたフィルミリアが慌てて支えるが、重さに負けそうになってフルフルと震えている。
「聖地が……魔物に占拠されて……」
「ああ、ナントカ教のアレだったらしいな。悪いがこっちも生活かかってんだ」
「嘘……嘘です……ああそんな、アーゼライ様……」
グラドラと呼ばれていた群青の毛を揺らす大狼の声は耳に届かないらしく、ぐるぐると渦を巻いた碧眼に涙を浮かべ、土汚れでくすんだ金髪を抱えてしまった。
リーヴァルもアーゼライ教の信徒であるため、マリアンヌほどではないが瞠目して跡形もない丘を見つめていた。
対して、さほど真面目に信仰していないミラとベルトロイ、ポウルの3人は元々変哲のなかった丘の消失よりも魔物の共存風景に驚愕している。
「夢……か?」
「ゴブリンが家畜の世話? 騎乗用じゃなくて食用のものを? 嘘だろ?」
「おい犬、あの建築に勤しむ奴らは何か魔術で使役しているのか?」
「阿呆ではあるが損得を考えるくらいの頭はあるってだけだ。あと誰が犬だクソガキ」
どの魔物も知性が低く欲求に従って動くことで有名だ。複雑な思考ができず教養もないために、主導者となる上位種に従って傍若無人の限りを尽くすと言い伝えられ、実際その通りの低俗な厄介者と認識している。
なのに、目の前で行われる文明生活は低知能が行えるような安易な作業じゃない。
利害を考えられるとしても、どうすれば本能を抑えられる理性を植えつけられるというのか。
それが十や二十ではなく、百や二百の単位で広大な草原の中を動き回っているのだから驚かずにはいられない。稀有な存在が集まっていると否定ができない数だ。
フィルミリアから聞いた時は、知性の高い魔物が上に立ち有象無象を寄せ集めて使役する魔窟をイメージしていたのに、入国する前から長年寝物語でも聞かされた常識を破壊されてしまった。
先頭をミラとグラドラが行き、その後をリーヴァル、マリアンヌ、フィルミリアが続く。ベルトロイとポウルが殿を務めていたが、その更に最後尾を笑顔を絶やさないリュミエールが追従してくる。
ベルトロイたちの警戒をよそに、魔物はグラドラとリュミエールの姿を見ると手隙の者は敬礼し、作業中の者は会釈で済ませる様子は上下関係への対応が実に人間に近しい。
まるで時代に取り残されたような気持ちを誤魔化すように、ベルトロイは目の前を揚々として歩くフィルミリアに小声で話しかけた。
「ミリア、ここではこれが普通なのか?」
「はい。エステルドバロニアでは皆規律を重んじ、規則を守って暮らしています。それだけで多大な恩恵を授かり、無用な諍いをせずに済みますから。種族間の揉め事は無いわけではありませんが、それらも配慮したうえで国が作られているんです」
不要な嘘を吐く必要がなくなったからなのか、どれだけ素晴らしい国かを嬉々として答えるフィルミリア。
家に帰れる嬉しさもあるのだろう。軽い足取りに鼻歌まで口ずさみ、目の死んだマリアンヌの手を握って歩いている。
大股で進む少女と、数本繋がった糸で支えられた人形のように揺らめく淑女。
2人の落差に思わず苦笑が漏れた。
「おい、なぁベルトロイ」
馴れ馴れしくグラドラにあれこれと話し掛けるミラや、聖地の様変わりに嘆くマリアンヌとリーヴァルを後ろから眺めていたベルトロイの肩を控え目にポウルが叩く。
振り向いてその顔を見ると、恐らく一番この状況を理解している風な神妙な面持ちをしていた。
「こんな悠長にしてていいのか? 神都は魔物に襲われてるし、王国だってあぶねえんだぞ?」
焦燥を浮かべたポウルに、ベルトロイは魔物から顔を隠すようにポウルの方へと口先を近付ける。
「従うしかないだろ。それとも逃げられると思うか?」
チラ、とポウルが背後のリュミエールを見れば、どうかしたのかと不思議そうに首を傾げた。
彼女くらいならどうにかできそうな気持ちになったが、しっかりと身支度を整え直したリュミエールの容貌は幻想的で、薄く微笑まれるだけで胸の高鳴りが止まらなくなったポウルはデレっと笑いながらベルトロイに顔を戻した。
「俺には無理だ」
「今何考えたお前」
「だってよー……」
見た目ほど緊張感は持ち合わせていなかったらしく、ベルトロイは真面目に受け答えしようとしたことを後悔する。
ミラもマリアンヌもまだ幼さを残す容姿だから、耳が長い以外は魔物に見えない成熟した美女の色香に目が眩みそうになる気持ちはわからないわけではない。
馬鹿みたいな軽口を重ねていた彼ら目の前には既に巨大な外郭が見下しており、重厚な大門の扉がベルトロイたちを威圧していた。
ここから先は未知の世界。
災厄を今なお齎す魔物が集う国。
肺から湧き上がる恐怖を震わせて、巨大な門が轟々と音を立てて開かれていく。
どんな地獄か。
どんな魔都か。
巡る考えの先に見た答えは――星空も掻き消す光に満ちた魔物の楽園だった。
「なんだ、これ……」
そこは光に溢れた享楽の都市だ。
夜闇の星を掻き消さんばかりに煌めく街の明かりが、幅広く真っ直ぐに延びた道を鮮やかに照らしている。
木造や石造の入り交じる家屋がずらりと並んだ通りを闊歩する多種多様な魔物たちは、夜が更けたのも関係なく音楽と喧騒の中でひしめき合っている。
どんちゃん騒ぎの街並みが、果たして人の国であれば受け入れられただろうか。
諸国に赴くこともあったミラやマリアンヌでさえ、この富んだ賑わいには言葉を失った。
先を往くグラドラの後を夢遊病のように追う一行は、視線を左右に振り乱して落ち着きがない。
なにせ、街中に設置された街灯は全て魔力で光っており、どころか普通の家すら贅沢な光が溢れている。
売り買いされる品物はどれも見たことのない代物で、街角で食べられているものすら目新しい。
これが魔物の常識というなら、自分の見てきた人々の暮らしはなんなんだ。
「夢だろ……?」
願うように零れた誰かの言葉。
誰が認められようか。この大陸で最も栄える王都の、その遥か上を行く裕福な暮らしを魔物が謳歌しているなど。
嘲笑うように音楽が鳴り響く。罵るように喧騒が響く。
城へ延びる太い街道を沈痛な面持ちで歩く彼らは、人間であることを抜きにしても何一つ馴染んではいなかった。
そんな中、ミラだけは周囲の様子に目を配らせて情報を得ていた。
俯きがちに視線だけを彷徨わせ、憂鬱な部下に紛れて鋭く周囲を観察していく。
賑やかな様子に目を奪われがちだが、何よりも目を見張るのは整備された街の作りだ。
地面に乱れなく埋め込まれた石が理路整然と果てまで並び、移動を阻害するような凹凸はほとんどない。
左右の家々も列に歪みがなく、全て計算し尽くされているのが見て取れた。
それは統治者と住民の関係性を表しており、これだけ機能に充ちた開発を実行するだけの資金と権威があると言える。
故に、見れば見るほどミラの中には疑問が湧き上がってきた。
(あの男が王? 非力で凡庸な世間知らずが魔物を統べられる?)
仮にラドル公のように特殊なタレントを持っていたとしても、この大狼を使役できる強力なものとは到底思えない。
なによりも、あの男がそんな権威を持っているなど考えられなかった。
だが、ミラの中には一つの結論がある。
魔物を殺し人々に平和を齎すシステムとして生きる彼女には、誰が敵かなんてはなから関係ない。
公国とこの国、相手取るのが先か後か程度だ。手を借りようと恩を受けようと、最終的には殺してしまえばいい。
しかし、あの男のことだけは気掛かりだ。
物も知らず、見栄えもせず、困ったように笑う、あの男が。
(だから、もし魔物の傀儡なら魔物を殺して救ってやろう)
そうじゃなかったらーー
「……?」
どうするのだろう。
どれだけ考えたところで彼女の思考はそこに行き着くし、そこから先には進まない。
勇者の務めしか知らないミラには、他の選択肢など考えつかないようになってしまっている。
一つ言えることは、サイファー家がミラに勇者として生きることを望んだ対価は欲する物を手に入れる権利であり、手に入れたいと願ってその手から零れたのは初めてということ。
「何がおかしいんだ」
魔物に聞かれて上げた視線が交わって孤月に歪む。
「別に。何もない。何も」
ミラとしてはいつもと変わらない笑みのつもりだったが、狼はその眼差しに覚えがあった。
魔物を足元で這う蟻程度にしか見ていない、あの世界の勇者の目。
再三に渡って脳裏を過ぎる不安が払拭できないまま、グラドラもまた、他に選択肢などなく主の下へと異分子を導くしかなかった。
◆
――第15団団長:御一行様の到着を確認
――第16団団長:了解……いや待て。貴様謹慎中だろうが
――第15団団長:謹慎してるとも。管轄でね
――第16団団長:第1城壁内ならうろちょろしていいわけじゃない!
――第2団団長:なんでもいいけど誰か代わってくれよ。もうお役御免だろ?
――第16団団長:不自然だろ。大人しくエスコートしてろ
――第5団団長:ぷふふ、犬っころがエスコートとか……その首にリード付いてたりするのー?
――第3団団長:ほほう? グラドラ殿にはそのような趣味がおありで?
――第2団団長:お前らマジで覚悟しとけよ。
――第7団団長:暇な奴らよのう。拙者は作戦に向けて作業に勤しんでおるというに
――第5団団長:アタシはもう現場ですー
――第7団団長:拙者ももう少しで準備終わりもうすー
――第4団団長:ねぇねぇ、緊張感足りてないんですけど? もう少し真面目にやってよ
――第7団団長:出番のないやつはすっこんどれ
――第4団団長:お?
――第14団団長:み、皆さん? あまり騒がれるとカロン様のご迷惑になってしまいますから……
「……賑やかだなぁ」
視界の端に流れるチャットを眺めながら、王城のテラスから街を見下ろすカロンは手摺りの上で頬杖をつきながら少し楽しげに呟いた。
梔子姫によって偶然にもチャットの新しい使い方が発見されてから、カロンの視界の正面では各軍の代表たちが思い思いに発言する度に小さな半透明のウィンドウが埋め尽くされていく。
本来は異常事態や結果報告と業務に関するログが残されるだけの機能だったが、どうやらこの世界に来たと同時に日常会話も記せるようになったらしい。
彼らにはこの機能がどう見えているのか興味深く、この場に居合わせない他の団長たちは参加できるのか否かも気になったが、それは暇になってから詳しく調べればいいと一度頭から振り払った。
元NPCたちのやり取りは昔からしていた自分の妄想と当てはまると考えられるので見ていて飽きないが、そろそろ役目を果たそうと宙で指を滑らせてウィンドウを端へ移動させた。
カロンの居るテラスからは南の正門に続く大通りが眺められるが、報告にある彼女たちの姿は窺えず、まだ辿り着く様子はない。
これから今後に関わる分水嶺が来ると分かっているが、気を少しでも紛らわせていなければ重圧に押し潰されてしまいそうだった。
テラスの入口に控えるロイエンターレが不安げに背中を見つめていることに気付きながらも、カロンはその場から動く気になれずにいた。
現在ラドル公国とリフェリス王国は主戦場となる平野にて睨み合いながら戦争の用意を進めている。
どちらも大方の用意は済んでおり、あとはきっかけ一つで動くだろう。
神都の騒動は一先ず小康状態になっている。
森にはいまだ記憶改竄の魔術を張り巡らせてあるので此度の戦でこれ以上の出番はない。
各地の小競り合いは魔物の投入によって終始公国の優勢で進んでいる。
この世界に於ける人間と魔物のパワーバランスを把握するには分かりやすい状況だった。
つまり、狙い通りの危機に瀕してくれている。
勇者がどのくらい活躍するのかをまだ見ていないのでなんとも言えないが、ウィンドウに浮かぶステータスだけで言えば、カロンの知る知識と同等の力なら容易に困難を打ち払えるだろう。
しかし、仮にあの世界の勇者と同じであっても影響が及ぶのは主戦場に限られるため、局地的なものでしかない。
各領地に向けて兵を送ってはいるが焼け石に水だろう。むしろ余計な被害を増やす愚行とすら言える。
カロンの思想は一貫して人間との協調路線だ。
問題は、リフェリス王国がエステルドバロニアを国として認めるかどうかが一番気になってしまう。
魔物と手を組む発想があるようには思えず、こちらは聖地を土台にしている件もある。神都の元老院が言っていたように聖戦と銘打って攻めてくる危険性も当然あった。
避けるためにはなんとしても良い魔物だよアピールをしたいが、果たしてこんな稚拙な策略で上手く事が運ぶのか。
なにせ、有力貴族のご息女2人を案内しても有力者そのものではないのだから、あまり期待はできないと後になって気付く。
「どうしたもんか……お金で釣れるに越したことはないんだけどなぁ。当たり前だけど魔物には生きづらい世の中だな」
今エステルドバロニアが、カロンが欲しいのは物じゃない。
土地を失い産業が回らない状況を脱却するよりも先になんとしても必要なものがある。
その最低ラインは譲れないし、もしどちらかでも拒絶されてしまえばその時は――。
「はぁ……」
どうなるにせよ、今はまず勇者候補との交渉を考えなければならない。
なんとしても成果を上げたいところだが、
「ミラがどう転ぶか、な」
その内の1人と、関わり過ぎてしまったことが気がかりだった。
梔子姫のせいで無用な諍いを生んだうえに傷まで負わせてしまっている。
面識を持っただけであれば多少のアドバンテージにもなるかと考えられるが、同時にあれだけのことをしては難しいと考えてもいた。
「絶対いい方向には転んでないよ……」
せめて人間の王なら交渉の余地はあると判断するかと期待して素性をフィルミリアに明かす指示を下したが、冷静になって考えれば部下を御しきれない無能っぷりを披露しただけではないだろうか。
もし万が一、ミラを懐柔できないようならフィルミリアに頼るしかなくなる。
正直彼女の能力であればいかようにもできるし、そうする方が遥かに簡単で融通が利く。
だが、それは本当に最終手段にしたい。
例え勇者候補と魔物の関係が偽りだとしても、その感情には一つも偽りはないはずだ。
こんな寸劇に付き合わせている償いとして、せめてそれだけは壊さないであげたいと思う。
これから多くの有識者たちと渡り合っていかなければならないのに、カロンにはその最低限も身に付いていない。
それでも生き残るために選択をした以上突き通そうと決めている。
ぐっと顔を上げて大きく息を吸い込み、目立つ群青が連れる一行を見つけて長く吐き出した。
「よし」
長い髪を掻き乱してもう一度深呼吸をしてから、ロイエンターレの待つ城内へ身を翻して強い意思の籠る眼差しで前を見据えて強く踏み出す。
既に幾つもの選択をしたが、まだ幾らでも手を変える時間はある。
漆黒の布を纏うキメラの前を通り越し、だがすぐ側に居ると確信しながら言葉を投げた。
「ロイエンターレ、至急ルシュカとアルバートを呼んでくれ。今後の仔細を相談したい」
「畏まりました」
鋭くも歪な長槍を立てて脇に挟み、当然のように背を追いながらロイエンターレは恭しく頭を垂れる。
コートを靡かせながら歩く姿は、彼女たちの主に相応しき威風にほんの僅か近付いたかもしれない。
役者の賽は既に振られた。
誰もが選択し、その道を悩みながら歩いている。
しかしカロンは違う。
役者を束ねる支配人らしく配下たちの賽を振りながら、手元に置かれた自分の賽を振り直せる場所に立っているのだ。
「全て……全て王の御心のままに。貴方様のためにと生きて死ぬことこそが我らの望みなれば」
このエステルドバロニアを統べる者は駒になどなり得ない。
如何なる時も、カロンは“プレイヤー”なのだ。
――第1団副団長:カロン様が勇ましすぎて素晴らしいです
――第16団団長:詳しく話せ。仔細を書面に上げて軍の広報誌に掲載しろ。早急に!
――第14団団長:あの、すみません。この会話カロン様も御覧になられるんですから好き勝手に会話するのはよろしくないかと思うのですが
――第16団団長:なんだと!?
――第15団団長:本気で言ってるのかい君。ついに脳味噌まで亜空間に飲み込まれたのか心配だよ
――第16団団長:お? お? なんだやんのか?
――第2団団長:おい喧嘩なら他所でやれや鬱陶しい! よく王に見られているのに揉められるなお前らは!
――第1団団長:じゃあ、食べようか?
――第15団団長:……? 待てハルドロギア、それはどういう…
※このチャットは削除されました※
「……まだまだ解明することも多いな。キメラの能力がチャットに及ぶってどういうことだ? 権限持ってるわけないのに。こんな時に変な謎を作るなよ全く」
どうしてこうも決意したタイミングに合わせて問題が起きるのか。
思わず頭を抱えたくなるが、今更この気持ちを鎮めるわけにもいかない。
まったく、と苦笑混じりに零して、カロンは配下を従えて堂々と突き進んだ。
◆
異常な空間だった。
通路が狭く、左右に石柱の立ち並んだ紅と金に彩られた暗い通路は最奥が薄ぼんやりとしか見えない。
進めば進むほどに空気が重くのしかかり、伝い落ちた汗が柔らかな紅いカーペットに染み込んでいく。
小刻みに手が震えるのを自覚しながら、彼らは案内された場所で立ち竦んだまま、玉座に座る男の姿から目が離せなくなった。
国の紋章が編まれた黄金の椅子に腰掛けているのだから、確かに彼は王のはずだ。
隣に見目麗しい美女を侍らせ、静かに勇者候補の面々を見回している。
異常だ。
この部屋の絢爛さも、魔物たちの恐ろしさも、この王の前では全てが霞む。
彼は、何もない。
軍服の女が漂わせる濃密な魔力の匂いは肌が粟立つほどの脅威を感じるのに、王だけはぽっかりと穴が空いたように何も感じられないのだ。
そこだけ切り取ったかのように、魔物を統べる王にはあるまじき無才。
それが、ただ強さを見せる魔物よりも恐ろしくて堪らない。
「ようこそ楽園へ」
穏やかながらもよく響く低い声に、慌てて勇者候補たちは跪いた。
自分達より遥かに脆弱な得体の知れない人間の王に、非礼を重ねることを避けた。
この国の全ての異常性を、この王が1人で体現していると言っても過言ではないだろう。
まだ夜は明けない。
魔物が最も謳歌し、人が遠ざける暗闇は、彼らの選んだ道を塗りつぶしていく。
にやりと笑う非力な人間は、この場で最も闇を愛する怪物にしか見えなかった。