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エステルドバロニア  作者: 百黒
3章 王国と公国
39/93

15 逃走

.




 燃え盛る聖都を背に、森を走る。

 背後から迫る騒音から逃げるように、入り組んだ木々の合間を縦横無尽に駆ける5人と背負われる1人は何度も後方を確認しながら漠然と前へ前へ走り続けている。

 畝るように地面から突き出た木の根を、一人が潜り抜け、一人が踏み台にして跳躍した。


「ミラ・サイファー! 責任もってどうにかなさって!」

「馬鹿を言うな。あの数相手、楽に勝てるか。始末してる間に貴様らが死んでも責任を取らなくていいなら考えるが」

「考えてくださいな! 貴女のせいでこうなっているのでしょう!?」


 起伏や障害物を軽々と躱しながら先頭を往くミラ。彼女は後方に意識を向けることなど一切せず、目的地である丘だけを睨んでやる気のない声でマリアンヌへ返答した。

 それを追うマリアンヌは、魔法の光を灯して道を照らすフィルミリアを背負いながら幾度も振り返っては泣きそうな顔で差し迫る化け物から懸命に逃げる。

 敵からも目印にされているのは重々承知の上だが、これがなければ月も満足に照らせぬ夜の森を全力で走るなど無理なのだ。

 神都の記憶改竄の結界魔術を無事に抜けることができた喜びも無かったわけではないが、それ以上の問題に追われてしまえば彼方に飛んでいくのも仕方がない。


「隠れてやり過ごせば良かったのに貴女と来たら!」

「五月蝿いな。時間が惜しい。死ぬ気で走れば死なないんだから大したことないだろうが」

「死ぬ気で死んだら意味がないのですわ! ああもう! 貴方たち、アレを私とミリアちゃんに近づけたら死ぬより辛い目に遭わせますからね!」

「とばっちりぃ!?」


 神都から抜けてフィレンツの森目掛けて走り続けているせいで脳に酸素が回っていないのだろう。横暴とも言える叱咤を投げつけられて女3人に続く男衆から驚愕の声が上がった。

 そうは言われても、ただでさえ度重なる戦闘で疲労困憊だったというのに、異様なほどやる気に満ちたミラによる敵斥候の真正面強行突破のせいで公国の手の者に追い回されるコンボを食らっているのだ。

 迅速な隠密行動の予定が、足を止めれば即死亡の過酷な逃走劇に変貌すれば余裕があろうはずもない。

 現に、リーヴァルは会話をする余裕なく幽鬼のような白い顔で走っており、ポウルに至っては最後尾で敵の先頭を走る【エンヴィーキャット】に何度か噛みつかれそうになっている。

 応戦できることならしたいだろう。だが一度走り出した以上、足を止めれば再び走るのは難しい。

 なにせ先導するマリアンヌの側に浮遊する魔力光だけを頼りに暗く不安定で不定形な足場を走るのだ。走れているだけ優秀と言えるが、その優秀さが潰えた瞬間に死ぬ運命にある。


「あーもう! どうしたんだよミラ小隊長は! うおっ、あぶねっ!」

「俺に聞くなよ! なんつったっけ? カ……カ……ッカモンだかってっ名前聞いた、途端にだっ。少なく、ともっ! 王国にそんな名前の奴、いないだろ」

「ひぃ、ひぃ、ひぃ、ひいっ!」

「なんか、知ってそう、だったっ、リーヴァルが、こっの調子じゃっ、なっ!」


 ミラの厳しい訓練を受け続けてきたベルトロイは他の2人よりも余裕はあるが、ミラのように何一つ疲労も感じずに動けはしない。それでも多少の余裕はあるが。

 ちなみにマリアンヌがフィルミリアを背負っているのは、男衆にもミラにも背負わせたくないのと同時に身体強化の魔術をまだ多少は行使できるからである。


 圧し折る音、砕く音、千切る音。

 牛の声、蛙の声、猫の声、山羊の声。

 漆黒に浮かぶ幾つもの光る双眸との距離はまだ付かず離れず、開きもしなければ縮まりもしない。

 愚直なまでに周辺を破壊しながら進む魔物と違ってあらゆる障害を回避しながら逃げる彼らが今も逃げ続けられているのはさすが勇者候補と言えよう。

 とは言え、いつまでも目的地に近付いているのかどうかも分からないまま走るのは徒労と変わる。そうならぬよう声を上げるのがフィルミリアだった。


「あと少しで森を抜けます! そうすればきっと!」

「あと少しってどのくらいですの!? あああああ、こんな何度も聖域を踏み荒らすなんて私はアーゼライ様に見放されてしまいますわ!」

「神がいるなら神都もさぞかし平和だったろうな。所詮全ては人の業だ。マヌケが揃えば神も死ぬんだと覚えておけ信者」

「こんの……っ! そういうことしか言わないから貴女のことが嫌いなのです!」

「私は貴様が好きだぞ。からかうと実に楽しい」

「きいいいいいい!!」

「け、喧嘩は駄目ですよぉ」


 軽口を叩いてはいても、マリアンヌには攻性魔術を使うだけの魔力は体内に残されていない。フィルミリアに心配をかけぬよう気丈に振る舞ってもいるが、髪に隠れた額には珠のような汗が幾つも浮かんでいる。

 いい加減に限界が近い。いや、もっとも前から限界は来ていたのだ。

 だからこそ隠密行動をする予定だったのを無視したミラへの非難は当然向いてしまう。

 口にはしないが独断が目立ちだしてから不満はあれど、それだけの実力と高い立場を持つのを思えば強く言うなどできずにいた。


「ふん」


 それに気付いていても、ミラは何も言わない。

 そのうち目が覚めると思っているのだ。フィルミリアという魔物の誘惑から。

 魅了チャームの魔術を使っている様子などどこにもないが、比類する何かがあると見ていた。

 勇者の血には格があり、高ければ高いほど魅了、服従、催眠、操作などの精神汚染に分類されるものに耐性を持つようになる。

 ミラだけがフィルミリアに好意的な感情を持たず、他の者は絆されているとなれば可能性がないとは言い切れない。

 ミラは、そう思っているから何も言わずにいる。

 それが願望に近い感情だったとしても。


 しかし、疑惑と共に疑問もある。

 敵と遭遇した地点はまだ記憶改竄の魔術下だったというのに、フィルミリアに加えて公国の魔物も目的を見失っていない。

 魔物には作用しない魔術なのだろうか。とすれば、あの魔術はある程度の個体認識ができているとなる。

 エルフに、あれほど巨大な結界に緻密な操作ができる力があるのか?

 もしあるとすれば、あるとすればだ。

 公国に狙われていると知っていて、何故魔物を野放しにしていた?


「そろそろ抜けます!」


 叫ぶフィルミリアの声に、一時思考を切り替える。

 事が済んでから聞けばいい。方法を問わずとも。



 徐々に周辺の木々の間隔が広がり始め、見通しが良くなり始めた。


「走れ走れ走れぇ!」

「ポウル! スピード落ちてきてるぞ!」

「んなこと言われてもぉうおおお!」


 森を抜けたからと言って安全になどならないが、1つ目のチェックポイントが確認できれば力の入りようも違う。

 喘ぐように呼吸しながら徐々に近づく出口。

 身を乗り出すように5人が飛び出した先に見えたのは――


 ただの、なんの変哲もない丘だった。

 月と星の明かりが降る、記念碑も石像も何も無いただの丘だけがあった。


 まさか騙されたのか。その考えが誰彼の頭の片隅に浮かぶよりも早くフィルミリアが叫ぶ。


「もっと近くへ! まだ幻視の範囲から抜けていません! あと少しで見えてきますから!」


 下手な考え休むに似たり。

 後続が途絶えない以上はまだまだ走らなければならない。

 体が鉛のように重くとも、手足が鉄のように固くとも、止まることなどできないのだ。

 よたつきながらもフィルミリアの言葉を信じて崩れかけた膝に力を篭めて、いつ終わるとも知れない逃走劇を続ける。

 ここまで来た以上他に選択肢などなく、徐々に距離を詰める脅威からみっともなく逃げる様は勇者らしくないだろう。

 しかし、これが唯一の活路だと決めたのだ。


 あと少し。あと少しと励まされて動くのも限界に近い。

 最後尾のポウルは少しつんのめるだけで爪が届く距離まで追い詰められている。

 マリアンヌの背に負われながら背後を注視していたフィルミリアの手が掲げられようとした。


 そこで、気付く。


「あっ、あれはっ、なんだっ!?」


 その問いはポウルから零れた。

 丘の正面から土煙を巻き上げて何かが接近してくるのが遠目に分かる。

 それも尋常じゃない速度だ。

 大地を抉り、大股で駆ける何か。巨大な猪を連想させる猛進は真っ直ぐ向かってきており、あと数十秒もすれば両者がぶつかり合う。

 進路を変えろと叫ぶよりも早くミラの目に土煙の正体が映り――瞬間、咄嗟に叫んだ。


「貴様ら伏せろぉ!」


 突然ミラの怒号が飛び、反射的に体が従おうと膝を折った。伏せるつもりが転げ回るようにして皆が倒れ込む。

 思わず反応して動いたが、再び起き上がって走り出す気力は残されていない。

 覆い被さるように鋭い爪をもたげるエンヴィーキャットが、一番近いポウルに襲い掛かる。

 一か八かの判断。


 その答えは、


「ヒアッハハハハァ!!」


 高らかに笑う化け物の一撃によって下された。



 ウェポンスキル・大槌《ソワールクリニエール》


 倒れた彼らの頭上を掠める漆黒の瀑布。

 脇に構えた大槌が、尋常ならざる速度の接近から横一閃に繰り出された。

 ポウルへと食らいつく寸前だったエンヴィーキャットと、その隣に並ぶ2体も纏めて横殴りに引きちぎるように振り抜かれる。

 砕ける音も潰れる音も聞こえない。ただ強烈な打撃音だけが鳴り響き、左腕一本で動きを止めた大鎚の刺から、消し飛ばなかった欠片がズルリと落ちた。

 軌跡に沿って撒き散らされる鮮血を、這う者たちは呆然と見上げる。誰の理解も追いつく暇はなく、しかし3m近い二足歩行の巨大な獣は大口を開けて愉悦に満ちた顔で次の標的目指して一歩踏み出す。


 個体保有スキル《悪食の爪牙》

 ウェポンスキル・大鎚《ヴュルギャリテ》


 降り注いだ血に浸ったポウルを越えて、凶悪な密度の魔力を放つ大狼に怯んだ公国の魔物の頭上。片手で振り上げた大鎚が容赦なく断罪する。

 一度、二度、三度。

 一瞬にして伸し掛かった圧に耐えかね、魔物が風船のように弾けて体を形作っていた部品が辺りに散らばった。

 地面を衝撃の余韻が揺るがす。振動が収まる頃には血風は土とともに地面に帰り、晴れた先には顎を天に向けて高らかに笑う狼と、ポウルの足元には直径5mにも及ぶ陥没した大地であった。


「なんだ……あれ……」


 体の震えはきっと振動だけではないだろう。

 生物としての恐怖が心の底から獣の強さを忌避していた。

 驚愕とも言えるし、悲嘆とも言える。

 言いようのない感情の波が全身を巡り、無様に身を守るための行動すらできない。

 大の大人を子供扱いできる巨躯。その背丈よりも巨大な暗い灰の大鎚。

 血塗れの群青が、夜の帳を引き裂かんばかりの咆哮を天に向けて上げている。


 自分たちを追っていたのは魔物だったのだろうか。

 馬鹿らしい疑問が脳裏を過ぎる程度には、人の弱さを哄笑する大狼の暴虐が目に焼き付いて離れない。


 魔物とは、化物とは。



 正しくこれを指す言葉じゃないだろうか。



 事を終え、呆然と見つめる人間を舐め回すように見下す獣は大槌を肩に担いで牙を剥き出しにして威圧する。


(さて、こっからどうすっか)


 しかし笑みを演じるグラドラは、この展開の先を全く考えていなかった。

 戦支度を進めていたところに突然王からの指示が下り、早急に向かえと言われたので文字通り早急に駆けつけはしたが、このような状況になっているとは思っていなかったのだ。

 勇者と言うならランク3(・・・・)の魔物くらいさっさと殺してしまえばいいものを、尻尾を巻いて逃げていたなんて脆弱過ぎて笑えもしない。

 一応リュミエールが間を取り持ってくれる手筈ではあるが、肉体派の全力と頭脳派の全力では、暫く彼女がここまで辿り着くことはないだろう。


「おい。どうやってここに――っと」


 森にかけていた魔術は解いてある(・・・・・)ので来られて当然だが、時間稼ぎにと会話を交わそうとしたところで、横合いから剣閃が迫るのを察知して大鎚を持ち上げた。

 金属同士のぶつかる甲高い音が響く。


「なんのつもりだ、人間」


 ただ腕を持ち上げただけで、押し付けられる剣は微動だにしない。

 それでも力を篭め続ける騎士――ミラは、口角を上げて不敵に笑った。


「何をされるか分かったものじゃないと気が気じゃなくてな。少し私の気を紛らわせるために遊んでくれないか」


 ミラが狙っていることには気付いていた。伏せていると見せかけて剣の柄を握り、膝を曲げて走る用意をしていた。

 が、まさかここで仕掛けてくるとは思ってもみなかった。

 先の暴力を見れば戦力差を嫌でも感じたはずで、仲間の疲弊を庇うにしては些か性急過ぎる。

 釈然としなかったグラドラだったが、ミラの表情を見て一つ確信した。

 動かすことができないと判断したミラは剣を押す力に合わせて後方に飛び、再びグラドラに仕掛ける。

 今度は側面から背面に回りこむよう駆け出すが、彼女の軌跡を追うように大槌が振り抜かれた。

 速さは大槌の方が僅かに速い。瞬時の判断、一歩大きく踏み込んで速度を強引に落とすと同時に後方へ宙返りする要領で肉叩き器の剣山を躱す。

 着地の直後、迂回する時の倍近い速さで真正面から勝負を仕掛ける。

 巨大な槌を引き戻す暇を与えぬ接近。握る双剣を水平に並べ、首を刈らんと飛び上がって一息に薙いだ。

 防ぐ間はない。確実に取った。


「……お痛が過ぎるぜ、小娘」


 だが、徒労に終わる。

 ギシギシと、首に食いこんだはずの剣が悲鳴を上げているのを、ミラは不思議そうに見つめて首を傾ける。

 受け止められたわけではない。ただの体毛が、幾多の魔獣を切り裂いた一閃を遮る光景に、疲労で倒れ伏した面々も驚愕に目を見開いた。

 かの剛剣にも比肩するのではと囁かれる勇者の末裔が繰り出した会心の一撃を、無防備に受けてなお毅然と立つ魔物を見たことがない。

 だが確かに目の前で起こっている。


「ちっ……」


 舌打ち一つ。

 加減のせいか、武器の問題か。切れなかった理由を確認するように剣を眺めるミラに追撃の意志は見えない。

 これは手遊びのようなものだ。いつものような手抜きで、欠片もその気になんてなっていない。

 だが、魔物を殺さないという選択肢は彼女は持ち合わせていない。彼女の血がそれを許さない。

 ただの手遊びだが、それでも殺す気ではいた。


 勇者たれと願われ、勇者たれと育てられた彼女にとって、これが生きることに等しいのだから。



「そんなに殺したいかよ」


 問いかけに、ミラは嗤う。


「当然だろう? 私は勇者だからな、それにこの程度の遊びでどうこう言うのは狭量ではないか?」


 祝福と呪詛にいかほどの違いがあるのか。

 実に理解しがたいが、所詮人間のすることで、考える価値などないとグラドラは判断する。

 本当に招き入れていいのかと不安は感じるが、王が決断した内容に異を唱えるつもりはなく、興味を失ったように見えぬ城へと目を向けた。


「で? お前はアイツの言う魔物の国の住人と見ていいんだろうな」

「そうだとして素直に教えると思ってんのかよ小娘。立場を分かってんのか? このままお前たちを纏めて縊り殺すことも、あの飼われた魔獣の餌にすることも選べる――っ、はいはい、分かってるよ。だからそんな叫ぶな、ただの遊びじゃねえか……」


 獰猛に獣らしい笑みを浮かべていたグラドラだったが、水を差すように届いた念話に疲れた表情で宙を見ながら受け答えしている。

 ある程度息も整い、立ち上がれるまでに回復したベルトロイたちは目の前の大狼にどう対応していいのか判断がつかない。


「ミラ隊長……」


 ポウルの声に含まれているのは恐怖だ。それも自分に追い縋ったエンヴィーキャットとは遥かに格の違う化物に感じる明確な死のビジョンが、耳を垂れさせて独り言を呟く姿にすら感じていた。

 ボウルほどあからさまではなくとも、ミラ以外の者は皆抱いている感情だろう。針の筵に座らされているようなこの状況に、喉が乾いて仕方ない。

 それでも勇者候補かと言いたくなる無様な姿だと苛立ちを募らせたミラだが、彼女が指示を飛ばすよりも早く動いた者がいる。


「グ、グラドラ様!」


 よたよたとふらつきながら、大狼の前に歩み出たのは、戦力として何一つ期待していない弱々しい魔物だった。

 怖気づいているのは彼らと変わりないが、果敢にも少女は前に進み出て、フワリとスカートを広げながら震える足で傅いてみせる。


「我らを守護せしエステルドバロニアが誇る第二団が長、グラドラ様。助けていただいたこと、っ、誠に感謝しております」


 言葉に詰まりながらも、品格を感じさせる振る舞いは晴天の下に咲く黒薔薇の如き美しさがある。

 フィルミリアは相手を知っているからこそできるのだろう。しかし圧倒的な力を振るう獣の前に身を晒すなど、生半可な気持ちでできることではない。


「かの者たちは私の身を救ってくれた恩人です。どうか手荒な真似は致さないでいただきたく。どうか」


 そして、守り続けてくれた人間に危害が及ばぬようにと、深々と頭を下げた。

 今フィルミリアにできる精一杯の恩返し。不甲斐なさを噛み締めながらベルトロイたちは黙って見守るしかない。




「―――――んふっ」




 今、何か吹き出すような声がした気がする。


「んんっ! あー……こっちは元からそのつもりだ。王から下知も頂いている。ちっとばかし問題児が居るみたいだが、危害を加えない限りは見逃してやるよ」

「ほう、首に刃まで当てられたくせに随分と寛大だな」

「寛大? 羽虫が触れたくらいで騒ぐ馬鹿がどこにいるんだ。それに、お遊びだったんだろ?」

「……」

「み、ミラ部隊長閣下! 抑えてください!」

「煩い、私に触るな」


 歯牙にかけない態度にゆらりとミラが構えたのを慌ててリーヴァルが押さえ込む。

 緊迫した状況なのは変わりないが、身の安全を言質として確認できたところを台無しにされるのはマズイのだ。

 騒がしい外野を他所に、魔物2人は目を合わせたまま会話を続ける。


「王から保護を確約していただけるとは、()()()()()()()()()()()()()()()。とても喜ばしく思います」

「まぁ、()()()()()()()()()()()()()()()()


 ピリリとした空気が向き合う魔物から流れている。ただの市民と兵士の漂わせる空気とは言いがたい。

 三者三様の気まずい雰囲気が晴れぬまま睨み合う中、遠くから小さな人影が駆けつけていることにミラが真っ先に気付いた。

 駆けつけていると言ったが、覚束無い足取りで右へ左へと揺れながら、早足程度の速度なので駆けつける気力しか残っていないように見受けられる。

 ひぃひぃと荒い息でやってくるのは、普段であればきっと絶世とも言える美しさを誇るエルフなのだろう。

 その影を感じるだけで、月の幻想的な銀の灯りにて照らされる姿は、髪を顔に貼り付ける疲弊したエルフにしか見えなかった。


「うえっ、げほっ! グラドラ、さん……ひど……げほっげほっ!」


 膝を震わせながら立ち止まったエルフは、杖を支えにして辛うじて立っている。

 膝を突くのは許せないのか、支える黄金の杖が前後左右に暴れ回っても崩れ落ちることは無い。


「あれだあれ。緊急事態ってやつだ」

「わかっ、分かっています……けほっ! ふぅ……ですが、貴方ではその事態を収拾できる知恵と言葉を持ち合わせていないでしょう? そのために付いた私ですのに、貴方と来たら」

「分かった分かった分かったよ! 俺が悪かったからお小言はやめてくれ。頭が痛くなる」

「本当に……エレミヤよりも幾分か考えが回るのですから、王のことだからこそ冷静さを欠いてはなりませんよ?」


 調子を戻したエルフの言葉に反抗すると、何故か自分が子供っぽい態度を取っている気分にさせられるので、追及したいと目で訴えるエルフから逃れるようにペタリと耳を閉じて彼女の後ろに下がっていった。

 グラドラの様子に釈然としないながらも、エルフは髪を手櫛で整えて改めて凛と立ち、陽だまりを思わせる温和な顔で深々と頭を下げてみせる。


「勇者の皆様、ようこそいらっしゃいました。この度は我が国の民をお救いくださったこと、感謝の念に堪えません。王に代わりましてこのリュミエール、心より御礼を申し上げます」


 威圧的に事を進めようとしたグラドラとは違い、流暢な言葉遣いで丁寧に接せられ、余計に勇者候補達の頭を混乱させる。

 件の国が、いったいどうしたいのかが全く見えてこないのだ。

 捕らえる気配も無ければ始末する様子もなく、手放しで友好的に接することもない。どころか、彼らの存在を危険視してすらいない。


「それに、何やら王がそちらの方々にお世話になったご様子。それも踏まえ、ささやかながらその恩を返したく思い、こうしてお迎えに上がりました」

「お、ん返し?」

「はい。我らの王からそのように伺っておりますが、何か気になることがおありでしょうか?」

「失礼ですが、私たちの……いえ、今の情勢をご存知ではありませんの?」

「勿論存じておりますよ? 既にそのための行動は起こしておりますが、詮無きことですのでお気になさらずとも宜しいかと」


 にこりと小首を傾げて微笑むリュミエールに、嘘偽りなどない。

 様々な思惑はあるだろうが、彼女は王から受けた内容しか口にしていない。

 聞かされていないのは、聞かせる必要の無いことだからと解釈しただけのことである。

 だからこそ、今まさに森の向こうで巻き起こる騒乱を詮無いと断じて笑う姿に一言言わねばならないとマリアンヌが食って掛かろうとしたが、道をミラが遮った。


「単刀直入に聞こう。そちらは何を求めている? 公国の簒奪か? それとも王国か? まさか世界征服なんて世迷言は言わんよな?」

「無論、人間の皆様との友好でございます」


 まだ世界征服と言われた方が魔物らしくて理解しやすかったが、エルフはなんの気負いもなく、当たり前と言いたげに軽い口調で答えた。

 微笑みを湛えながら薄く開いた目がミラの顔を見つめている。

 路傍の石でも見るように金色の瞳が彼女を睥睨している。


 そこには確かな“慈愛”があった。

 野良犬を愛でるような、自分より下位にいる者を慈しむ、吐き気のする偽善の愛が。


 


「ともあれ、詳しいことは後ほど。まずは皆様を案内致したく思います。ご同行願えますか?」


 森を隔てた先の戦火に一喜一憂しているのは、人間だけなのかも知れない。

 魔物にとっては、それこそ犬猫の諍い程度でしかないのだろう。

 本当にここに踏み入れてよかったのか。本当に助力を請うべきなのか。

 拭い去れない不安を抱えたまま、彼らは暗き彼方に未だ見えぬ魔城へ誘われるのだった。





 

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