13 初戦
もう忘れたかな? 大丈夫。私もだ。
ディルアーゼルの神殿では、盛大、と呼ぶには少しばかり静かな宴会が行われていた。
王国騎士の歓迎会のはずなのだが、広い食堂の中は緊張感が漂っている。
丸腰の騎士たちはテーブルに置かれた料理や酒を頬張りながらも、視線は自分達を囲む神都の騎士に向けられている。
当然といえば当然か。まだ彼らが公国と繋がりがないか確証を得られていないのだから。加えて公国の動きも不明瞭なまま、欲しい情報が手に入っていない状態で気を緩めるなど土台無理な話と言える。
「やはり、このような催しは避ける方が宜しかったでしょうか?」
礼儀としてやらなければならない事だが、状況を思えば避けるべきであったのか。その意味合いで少し離れて隣に座る隊長バストンに問いかけたが、答えは笑い声で返ってきた。
「いえいえ、我々も何分強行軍でしたので、こうして豪勢な食事を頂けるのはありがたいことです。お気になさらずともよいでしょう」
「で、あればよいのですが」
そう言って冷水を口に運ぶエイラを見習って、バストンも酒を喉へ流し込む。愛好を崩さないバストンの様子に心の底でほっと一息を吐く。
だが、こんなものは方便でしかない。事実バストンは率先して楽しむ振りをしてはいるが、内心は部下と変わらず懐疑心を隠し持っている。
公国が仕掛けるとするならここしかないはずだ。騎士が分断されている今が。だから公国にも見えるように堂々と行動してきたのだから。
バストン個人の意見としては、公国と神都は無関係だと考えている。そもそも元老院を廃する必要が感じられない。幼い教皇とエルフを表に出す必要もなく、神都の利権を握る欲が出たとしても、元老院を廃したのなら自国の者を代わりに捩じ込む方が効率がいいだろう。王国に対する姿勢は変わらないのだから、疑われようが構わないはずだ。
確証はないにしても、そう踏んでいる。なにより隣に座る少女が、そのような争いごとの為に真剣な姿勢で言葉を交わすとは思えないのも些かなりとも理由として存在するが。
だから料理に毒を盛られているかと恐々としていた部下よりも早く食事や飲み物に手を付けてみせた。エイラに向けて、信用していると行動で示してみせた。
そのおかげかは知らないが、始まって二十分ほど経った宴会で頻繁に言葉を交わしているのはこの二人だけである。
「教皇様、あの呪法に関してですが担当の者から返答はありましたか?」
「それが、皆様に例外措置を施すには時間が足りないそうなのです。申し訳ありません」
「そうですか。出来るとすればいつ頃になるでしょうか」
「早くて二日後と……」
長い。
せめて数人だけでもと思ったが、難しいとなると非常に困ってしまう。
エイラがわざと伸ばしているとしても、専門外の自分が論破出来るだけの知識があろうはずもなく、「そうですか」と答えるしかない。
王国に求められる役割も相俟って歯痒さが増す。落ち着かない様子の部下を見やり、何度も繰り返す謝罪を内心で行った。
対してエイラの心の中も穏やかではない。
アルバートを名乗るエステルドバロニアの魔物に渡された対応マニュアル通りの会話はなんとかこなせているが、突拍子もない質問が来た場合はエイラの裁量で言葉を選ぶ必要が出てしまう。
もしそれで不利益になる発言をしてしまえばと思うと、背筋に冷たく鋭い何かを錯覚するほどに戦々恐々としていた。
周囲を神聖騎士が配置されているのは王国騎士への疑いから用心のためにとしているが、エイラには自分の監視の為と感じてしまう。
彼の国より遣わされた、人の姿をした“何か”であることは承知している。故に、それが怖くてたまらない。
状況を鑑みて、相手が踏み込んでこないと予測している仕掛け人のアルバートはさほど心配はしていないが、その旨を伝えられていないエイラからすればこの場をさっさと抜け出して自室に帰りたい気持ちでいっぱいだ。
(出来るならそうしたいですけど……)
言わずもがな、無理な話である。
エステルドバロニアにも関わることである以上、向こうが介入してくるのは致し方なく、また、受けた恩を裏切る真似も出来ない。
カロンが気にしていた不干渉を破る形になる事への心配自体は問題ではなかった。また戦争が起きるとしても、エイラを始め、エルフも神官も協力的だ。
これさえ乗り切ればとの思いが強く、エステルドバロニアへの恐怖と同時に安堵も抱いている。敵にさえ回さなければ、この大陸に於いてこれ以上ない強力な後ろ盾なのだから。
どれだけ時間が経とうと取れないギクシャクした空気。ただ泰然としているのが神聖騎士達だけの中。
その落ち着きのない空気を断ち切ったのは、突然開かれた食堂の扉の音であった。
壊れそうな勢いで開かれた両開きの扉が上げた大音に全員の視線が自然と集まる。誰もが身構えたが、そこにいたのは見慣れた祭司の服を着た神官だった。
蒼白した顔は汗を滴らせ、肩で息をしながら薄汚れた白の衣を引き摺りながらよろよろと食堂の中に進んでくる。
「何用ですか。今は宴会の最中で――」
「申し上げ、ます。魔物が……街の中に……」
千々に途切れる呼吸音に混じって零れた言葉に、ざわりと周囲が騒ぐ。
各々が顔を見合わせて互いの顔を確認する。恐怖、憤怒、諦観、愉悦。バストンとエイラの視線には、覚悟が灯る。
ついに訪れた。来るべき時が。
「バストン殿、すぐにお支度を」
「承知した。皆、動けるな! すぐに武器と盾を取りに行くぞ!」
「神聖騎士の皆様もお願いします。十名ほどは神殿の防備に。エルフの皆にも伝えてください」
素早く立ち上がった二人の声に騎士たちが反応して動き出そうとする。
食事を捨てるように盆の上に戻した彼らは先導して神官が背にする外への扉に向かって歩き出す。追従してエイラも神聖騎士を引き連れて外に向かうが、すれ違いざまに見た疲労困憊の神官の顔にふと疑問が湧く。
(あれ?)
あまり多いわけではない神官を彼女はある程度把握している。間引きされて減ったことで顔もある程度覚えているが、
(こんな人、いましたか?)
扉の前で跪く神官の顔が、記憶にヒットしなかった。
「お待ち下さい! 公国より電文も届いています!」
もうすぐで外に出られるというところで、先程の消え入りそうな声とは違う神官の大喝に、動いていた騎士たちが止まって“しまった”。
顔を上げて振り向いた神官は、更に蒼白になっている。もはや人間には無理な蒼い顔が、ニタリと笑って立ち上がった。
「『このまま此処で死に絶えろ』。以上です」
そう口にした途端、神官の体が急激に膨れ上がる。風船のように手足の先までがパンパンに膨らみ、穴という穴から外へ向けて白い光が零れた。
はっとして気付いたエイラが、満たす光に負けじと慌てて声を張り上げる。
「いけない! 魔力暴走です!」
「お前ら伏せろおおおおっ!」
二人の悲鳴が届いたかも分からぬまま、食堂は強烈な閃光と衝撃に包まれた。
◆
ドン! と強烈な爆音に気が付いて、ベルトロイは俯かせていた顔を上げた。
何をしても開かない鉄の扉と格闘を繰り返したが開けること適わず、時間ばかり消費していた。ミラと連絡も取れず、途方に暮れていたところに起きた轟音と振動に、片膝を立てて俯かせていた顔を上げて眼光の鋭さを取り戻す。
「何の音だ」
冷静に口にしたのはポウルだ。流石にこれだけの音なら誰でも気付くかと周りを見ると、マリアンヌの膝で眠っていたフィルミリアも眠たげに目を覚ます。
徐々に外の様子が騒がしくなる。神殿の奥に位置するこの部屋でははっきりと聞き取れないので、ベルトロイは口元に指を立てて仲間に合図し、息を抑える。
微かに聞こえてくるのは、悲鳴と怒号。そして剣戟の金属音。
「戦闘の音がする。公国が仕掛けてきたんじゃないか?」
「こんな時にかよ! くそっ、どうすりゃいんだよ!」
「落ち着きなさい。騒いだところでここからは出られません」
「なら黙っていりゃ何か解決すんのかよ!」
「騒いでも変わらないでしょう!?」
「落ち着け二人とも」
堪えていた不満が爆発して口論が発展しそうになるポウルとマリアンヌの二人の間に割って入り静止する。止められた二人はまだ言いたげに口を開いたが、鼻を啜る音に固まった。
「た、戦いが起きたんですか……?」
目に涙をためながらも泣こうとはせず、気丈に振る舞う幼い彼女の姿に毒気を抜かれ、マリアンヌは優しく微笑んで頭をゆっくりと撫でる。
「大丈夫よ。心配いらないわ。私がいるから」
ポウルもマリアンヌと同じようで、所在なさげに頭を掻きながらベルトロイに顔を向ける。
「けど、これからどうすんだ。こうなってるってことは隊長達も動いてるだろ。合流しねえと不味くねえか?」
「せめて連絡を取れれば助けを呼べるんだが。マリアンヌ、まだ無理そうか?」
唯一魔術を使えるマリアンヌに、通信魔法が届いたか確認するが、やんわりと首を左右に振ることで返答された。
「くそっ」
悪態をついて行き場の無い憤りを壁にぶつけるポウルの姿を視界の端に収めながら、ベルトロイは立ち上がって顎を擦りながら此処に閉じ込められるまでのことを思い起こす。
「……これがあいつの言ってたきっかけなのか?」
ここに閉じ込めた友人にして犯人のタイラーの言葉。あいつはこれも予見していたのだろうか。だとすると公国の内通者? 浮かんだ疑惑の真偽も気になったが、時間が来たら、と言っていたことも気になる。
既に外は暗くなっているだろう。それだけ閉じ込められていた感覚がある。なら何時外へ出すつもりなのか。
その疑問の答えは比較的早く訪れた。
扉の向こうからガチャガチャと音を立てて誰かが走ってくる。音からして、布だけを着る神官の音ではない。
音の正体はベルトロイ達の閉じ込められた扉の前で止まると慌ただしく音を立てて、カチリと扉の鍵を開けた。
「本当に此処にいたのか! 何をしていたんだ!」
そこにいたのは、本来此処に来るはずのない人物だった。
「リーヴァル!? なんで此処にお前が!」
「話は後だ! 早く此処から出るぞ!」
重い鉄の扉の向こう側では爆発音と悲鳴と雄叫びが止めどなく聞こえていた。
何も奪われずに部屋に押し込められた為、装備は全て手元にある。皆外へ飛び出しながら袋の中から剣を取り出して腰に差す。
長く暗い通路を抜けた先神殿の裏手。そこは既に多くの魔物が跋扈していた。
「なん、だこれ」
「くそっ! もうこんなとこまで!」
ベルトロイ達に気付いた魔物が、異形を向けて認識すると同時に飛び掛かってきた。苛立たしげに舌打ちしてリーヴァルが盾を構えて魔物を防ぎ、ポウルは折りたたみのパルチザンで小人のような魔物を刺し貫いた。
【ゴブリン】と呼ばれる子鬼の魔物だろうか。ボロボロのナイフを持って騒ぐ彼らは、そのさらに後ろにいる少し大きめのゴブリンの合図に合わせて襲いくる。
事態を把握する暇もなく起きた戦闘に僅かな動揺はあったが、示し合わせたように直ぐさま気持ちを切り替えて応戦する。
二回りほど背丈の低い醜悪な姿をした鼻の大きな魔物。数ばかり多いが強さはそれほどではなく、鎧袖一触と群がる敵を斬り伏せる。
フィルミリアを守るように土の魔術で作った鋼の重鎧と大盾に儀礼用の剣を握るマリアンヌの道を作るように、軽装のまま3人は各々の得物で突き進む。
「くそっ、多すぎだろ!」
「これほどっ、動きが早いとはっ、なっ! ふぅ、俺が神殿の中に来るまでは何もいなかったんだが」
器用にくるくると槍を回しながら狙ったゴブリンを一突きで絶命させるポウルの悪態に、盾と剣を器用に使い分けて堅実に倒すリーヴァルがご丁寧に返答する。
「だがこのままだと外に出るまで、っ、まだかかるぞ!?」
「これだけの数だ。恐らく指揮官がいるはずだ」
「なら乱戦はお得意のお前の出番だぞベル!」
ポウルの声に応えるように、ベルトロイは剣を掲げると一気に駆け出した。
群れの合間をすり抜けるように、飛び掛かってくるゴブリンたちの間を紙一重でかわしながら最奥を一気に目指す。
ミラから教えられたのは単身での戦闘方法だ。常に一対多を想定した剣術を教えこまれ、その第一として『指揮官をさっさと殺す』と言われている。
敵を一人づつ倒す以上に難しいであろうことを、事も無げに言われて憂鬱になったベルトロイだったが、その言葉を授かるに足る実力はしっかりと手に入れていた。
頬や手に振り回されるナイフで薄く傷がつくのも厭わず突き進めば、他のゴブリンより一回り大きいゴブリンの姿を視認する。
(とらえた!)
その距離を二十歩まで詰めた所でぐっと地を這うように上体を下げると、勢い良く飛び上がった。くるりと先行する下半身を追いかけるように体を回して標的の直上に合わせて降下する。
自分を守るように部下を配置したゴブリンの頭上は当然ながらがら空きだ。両腰から剣を抜き放つと、見上げる醜悪な顔めがけて落下する。
が、それは淡く紫に光る膜によって防がれた。
「こいつ、メイジか!」
ゴブリンにも何種類か存在し、中には魔法を使える者がいる。それがメイジゴブリンだ。普通のゴブリンより格が高いとされており、そし下位のゴブリンを使役できる。それをすっかり失念していた。
ケケケケと耳障りな嘲笑。隠し持っていた杖を取り出してベルトロイに向ける。退避しなければとぶつかる膜を押すが、それより早くなんらかの魔術が放たれるだろう。
杖の先端が光るのを見て覚悟を決める。
が、それは起こらなかった。
ニヤけた顔をそのままに、メイジゴブリンの口から緑の血を滴らせる棘が生えている。周りの部下も同じように地面から生えた棘に貫かれていた。
「莫迦なの貴方。少し頭を捻れば分かることでしょうに」
「これ……マリアンヌか!」
遥か後方から呆れたと言外に告げてくる声は、何一つ焦りのない冷めた声。
怯えるフィルミリアを自分の背に隠しながら、彼女は刃に直角に折れたような刃先を持つ剣を地面に突き刺すと、その体を灰色の魔力の奔流が纏わりつかせた。
「我が魔を喰らいて応えよ精霊! 我に仇なす悪しき汚泥を尽く土へと還さん」
静かな詠唱は力となり形となる。きっと見据えた先に映る敵全てに狙いを定めて呪文を紡いだ。
「磔刑に処せ!」
マジックスキル・土《グレイブランス》
神殿にまとわりつく者も、ベルトロイ達に迫る者も、分け隔てなく宙に浮かび上がった。その口からは棘を生やし、処刑場を思わせる早贄の木々が出来上がる。
あまりにも凄惨に、貫かれた者は物言わぬ死骸と成り果て、地に足を下ろしたベルトロイは思わず呟く。
「ま、魔法すげえ……」
ちまちまと一体ずつ倒していたポウルは、自分のしていたことが馬鹿らしくなるくらいに魔術の力をまざまざと見せつけられて、今どきの魔術騎士の強さを実感させられる。
「ほら、先に行きますわよ」
30はいたはずのゴブリンが纏めて串刺しにされた光景は、剣を地面から引き抜くことで元通りになった。
どさりと乱暴に地面に落とされたゴブリンたち。びくっと震えたフィルミリアに、マリアンヌは振り返ってバイザーを開けて安心させるように微笑む。
「さすが墓石嬢といったところか……移動するぞ。こっちだ」
二つ名持ちの強さに呆然としていたが、リーヴァルの指示に皆が従い、周囲を確認しながら最も警戒されているであろう正面の状況を確認しようと移動する。
辿り着いた神殿の横、柱の陰から顔を覗かせると、神殿の前は巨大な牛頭の魔物に占拠されていた。
「……【ミノタウロス】は、さすがに無理ですからね」
真っ先にマリアンヌが小声で申告する。一体だけならどうにかなるかもしれないが、見える範囲で五体もいれば敵うなど無理だ。
元々騎士団とは別行動で、あくまでも役目は王国に情報を持ち帰ること。どれだけ悔しく思っても、任務は何よりも優先しなければならない。
それに街も混乱を極めている様子だ。遠目でも灯る火の中を人々が走る影が映っているのが見える。
けして夜を照らすためではない火の灯り。助けに向かいたい気持ちに駆られるが、正面を抜けられない以上は迂回して危険の少ない場所から向かう他ない。
口惜しさに震えるベルトロイの肩をポウルが軽く叩き、魔物のいないルートを探すために再び移動を開始した。
「それよりリーヴァル、お前はどうやってここに来たんだ? それに隊長は」
「お前らがいつまで経っても来ないから一人で探しに来たんだ。その途中で神官が、あそこにお前らが閉じ込められてるから助けてやってくれって教えてきた」
恐らくはタイラーだろう。いったいどこまで知っているのか気になったが、それは今考えるべきことではないとベルトロイは意識の外に追いやる。
「ミラ隊長のことだからなにかしら行動してると思うが……それにしても早すぎる。俺がお前らのとこに向かってる時はまだ魔物は入ってきてなかったのに」
「推測ですけど、なにかしらの転移魔法を使ったのではないでしょうか」
「そんなものどうやって」
「複数人の魔術師がいれば可能でしょう。あらかじめ街に入り込み、頃合いを見て発動させる。不審者を追い出せるほど神都の警備はしっかりしたものではありませんでしたし」
自分たちが不審者みたいに入り込んだのだから反論できそうにない。
こそこそと姿勢を低くしながら街とは逆方向に降りていく一行。正面から街までの道には当然魔物が溢れており、ゴブリンたちは裏側にではなく、神殿の周りを見るように配置されているらしく、ベルトロイたちが倒した連中とは別の集団がうろうろしている。必然手薄な裏から街を逸れるルートで一度麓まで降りるしかない。
「ミリアちゃん、大丈夫?」
だが歩く道は道とよべるようなまともな作りじゃなく、ほとんど獣道に近い。先導する男衆の後ろを危なげに追うフィルミリアに、殿として後ろを歩くマリアンヌが心配そうに尋ねた。
「大丈夫、です。ご迷惑かけられ、ませんっ、からっ」
健気に、汗で濡れた黒い髪を額に貼り付けながら笑う。激しい運動に向かないヒールの高い靴で歩くのはかなり辛いはずだが、気丈にもそんな様子を感じさせないように振舞っていた。
それを不安に思ったベルトロイはリーヴァルに肩を寄せるように近づいて後方に聞こえないように会話する。
「なぁ、このままミリアを連れ回すのか?」
「置いていくわけにもいかんだろうが。この状況から抜けない限り安全なんてないんだ」
「それはそうだけど……」
「辛いかもしれないが、こっちに合わせてもらうしかない」
この状況。それは街からではなく戦争そのものからを意味する。これからもっと過酷になることを思えば頃合いを見て離脱させるべきなのだが、既に機は逸している。いや、森で出会った時点でこうなるのは分かっていたのだ。
ミラの言う通り、連れてくるべきではなかったのではと、口にはしないが皆己の浅はかさに気を落としている。
「あの、私も何か、役に立ちたいです」
「え、え? いやでもそれは……」
「こ、これでも魔術が使えます、から、ご迷惑もっ、おかけしませんっ」
ふぅふぅと可愛らしく息を吐きながら眉を寄せて前を歩く三人を見つめる。瓦礫が転がる坂道の途中で足を止めると、皆が顔を見合わせた。
魔術師が一人増えるのはありがたい。前衛に重装騎士のポウル、要にマリアンヌがいて、その護衛にベルトロイとリーヴァル。チームとしては理想的な組み合わせだが、敵の集団の中を強行突破する殲滅力は先の戦闘を見て分かる通りマリアンヌの魔術頼りになりがちだ。
だがここに魔術師がもう一人加われば。狭い空間では難しいが、広い場所であればその効果は絶大であろう。フィルミリアの魔術が低レベルなものであっても優位に戦闘を運べるだろう。
「私を庇ってくれるのは嬉しいです。でも私が何かしてもしなくてもそれは変わらないですよね?」
「それは……」
リーヴァルが反論しようとして、やめる。
フィルミリアが現状貴重品扱いなのは変わりない。どうしてもか弱い彼女を守るように動くことになるのは明白だ。なら役に立つ貴重品になりたいと、お荷物のままは嫌だと、真紅の瞳に強い信念を灯す。
少し考えていた面々だったが、ベルトロイが意を決して閉じていた目を開け、フィルミリアの前に移動してしゃがみこんだ。
「後悔、しないんだな」
「はいっ。私にも、みんなを守らせてください」
「……分かったよ。マリアンヌ、ミリアの護衛を。ポウルは前衛を務めてくれ。リーヴァル、俺とお前で遊撃だ」
その決意を汲み取り、三人に指示を出す。三人も異論がないようで、何も言わずフィルミリアを中心に配置を変えた。
「みんなで、無事に切り抜けよう」
もうすぐ坂の終わり。そこから市街地に移動して、彼らの任務は本番となる。
ひとまずミラと合流するために激戦の中の突破を試みなければいけない。
「行くぞ」
その声に応、と返事が返ってくる。
「……はぁ」
また歩き出す中で、フィルミリアが口元を覆って小さく何かを呟いたが、それが聞かれることはなかった。
◆
どこか遠くで声がする。決して呼びかける声ではない。そのような優しさはない。沈んでいた意識を揺らすのは、劈くような――悲鳴だ。
「ゲホッ……」
咳とともに吐き出された血。同時に脳が覚醒していく。
ここはどこだ。何をしていた。私はどうなっている。
自問とともに回答を思い浮かべ、床に這い蹲った体を腕でゆっくりと起こした。
頭が痛む。背中もだ。体のあちこちが痛んでいる。口元から滴る粘ついた血を舌で舐め取ると、沸々と感情が湧き上がってきた。
周囲の騒がしさから何となく事態の把握ができたミラは、軋む体に鞭打って立ち上がると、転がっていた自分の剣を拾う。握る手に籠る力は柄をギシギシ鳴らすほどに強い。
「くそ……」
額から流れる血が目の縁を撫でるのも構わず顔を上げ、蝶番が壊れてゆらゆらとぶら下がった扉の向こうへと顔を向けた。
目の前で繰り広げられていたのは、逃げ惑う神都の民を追い回す異形たちの姿。手足が六本生えた蛙が長い舌で子供を捕まえているのが胡乱な瞳に映りこむ。切り裂くような悲鳴が聞こえてくる。どさりと崩れるように顔の上半分を失った男の躯が転がっている。
ざわざわと疼く誉れの血が、民の死を敏感に感じ取る。ただただ培われた本能と教育が満身創痍の体を突き動かした。
「しぃぃぃっ」
歯を剥き出しにして隙間から零した息は熱を帯びて僅かに白む。高まった体温が脳を徐々に刺激して痛覚を薄れさせていく。
ダン、と強く拳を地面に突き立てると併せて酒場の中から華奢な体が飛び出す。音に反応して振り向いた蛙に向けて、飛び出す直前に拾い上げた剣が夜の闇を断ち切るように月光を浴びた一閃を描いた。
個体保有スキル・《勇者の血Ⅰ》
スタンススキル・《フェザーダンスⅢ》
個体保有スキル・《騎士の誉れ》
スタンススキル・《ウインドステップⅡ》
ウェポンスキル・片手剣《エアスラッシュ》
バターを切るように、するりと抵抗もなく奔る刃。自分がどうなっているのかも理解できていない魔物はミラへと手を伸ばすが、頭部だけをそのままに醜い緑の巨躯だけがズレていく。その光景に目もくれず、次の標的へと身を躍らせる。
一方的だった。人類にとって脅威であり害悪とされる魔物がいとも容易く死に絶えていく様は屠殺場と変わらない。
ウェポンスキル・片手剣《ゲイルスピン》
作業的に、しかし激情をいきり立たせて地面を這うように駆け、鎌鼬のように気付く間もなく斬り落とす。
巨体が地面に倒れるのに合わせて着地したミラが我に返った時には周囲には人影はなく、加えて動く魔物の姿もなかった。
次第に冷静になる意識から、自分の起こした惨状を他人事のように感じる。血が目的を果たしたことでざわめきを潜めたのだろうと、経験から悟っていた。
少し冷えた空気が熱を奪っていく。だというのに、まだ心が冷めていない。
「あの化け物……」
明らかな敗北。騎士の誉れとして魔物への敗北は許されない。王国の剣である身が敵に負けるなど。
なにより、稀有な存在を惨めにも連れ去られるなど。
「ふざけやがって、ふざけやがって、ふざけやがって」
ぐちゃぐちゃになった石畳の上を、剣を振り回しながら同じ場所をぐるぐる回る。剣を苛立たしげに振り回せば、偶然転がっていた醜態を晒す異形の肉を裂いては色とりどりの血をまき散らした。
「この、この私から奪うなど、ふざけやがって!」
その激情は、彼女の生まれらしいもので。そして初めて経験する、敗北以上の憤怒。
人生を王国に捧げる代わりに彼女が得てきたあらゆる物。欲すればいとも容易くその手の中に収まり、一言口にすれば自分の前に揃う。
宝石も、書物も、調度品でも服でも家でも鎧でも剣でも家畜でも、人間でも。
敗北すれば容赦の無い叱責と暴力が行われるが、自ら己を殺したくなるほどの恥を責められるのは当然と考えている。
だが、これだけは許せなかった。
ミラ・サイファーの感性は、強さと人生を引き換えに有象無象を望むようにできるからこそ歪なのだ。
だから、初めて自分の物が手を離れ、あまつさえ奪われるというのは騎士の誉れの血ではなく、ミラ・サイファー自身が許せなかった。
それが、彼女を突き動かす初めての衝動である。
「……ちっ」
とは言え、別にカロンを自分の物にしたわけではないのだからそこまで執着するべきではないと心が反論を起こす。それ以上にすべきことが現状目の前に広がっている。
魔物に攫われたのなら、この争いの何処かで見つけることも出来るだろう。その時に――そうしてしまえばいい。
血を滴らせる剣を振って汚れを払い、ミラは取り敢えず部下共と合流する為に宛もなく移動を始めた。
戦の夜は、まだ始まったばかりである。
更新速度は期待しないでください。本当にお待たせしまくってもうしわけないです。




