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エステルドバロニア  作者: 百黒
3章 王国と公国
36/93

12 蠢動

大変長らくお待たせ致しました。続きです。

「……遅い」


 カロンがミラ達勇者候補と出会ってから、既に結構な時間が経過している。

 既に日は暮れ、空には月と星が浮かび上がり、賑やかな昼が終わって騒がしい夜が訪れていた。

 日中と違って酒場は多くの大人がごった返しており、酒の臭いが充満し、あちこちから賑やかな声が起こっている。

 それを避けるように入り口の右奥、少し薄暗い席に陣取った3人だったが、他のメンバーの合流が余りにも遅いと僅かに苛立ちを見せていた。


「遅すぎるぞあいつら。下僕のくせにいつまでこの私を待たせるつもりだ!」


 訂正しよう。相当苛立っている。

 ミラはぐいっと一気に飲み干したビール的な何かの入っていたジョッキを力強く机に叩きつけ、酒臭い息を吐き出した。

 向かい側に座るリーヴァルが初めは宥める言葉をかけたが、聞こえていないのか無視したのか、指で机をノックしながら酒場の入り口を睨み続けている。

 リーヴァルも次第に宥めることをやめ、ミラと違い心配の色が濃く出ていた。


「あの、何かあったのではないでしょうか」

「……有り得なくはない。正直私達は潜入任務をしに来たくせに目立つからな」

「なら探しに行く必要が」

「駄目だ。と言うより、何か起きたなら起きたで自分たちで対処出来なければならん。いちいち助けに行ってどうする」

「しかしあまりにも遅すぎます」

「ならなんだ、彼を引き連れて夜の街に出て探し回れと言うのか? 悪いが無理だ。行くなら一人で行け」


 待てども現れないからと苛立っているのに、ミラは嘲笑うように吐き捨てた。

 リーヴァルとてそれは分かっている。こちらも想定外にカロンを保護したのだ。一般人のカロンを既に日の落ちた町中を警護しながら歩くのは大変だろう。

 だが、曲がりなりにも仲間だ。他のメンバーに対する横暴な態度に反論しようとするのを堪え、「自室に行きます」とだけ言い残してリーヴァルは席を立ち、酒場の外へ出て行ってしまった。

 職務放棄めとぶつくさ呟いていたが、それにも飽きたようでまた酒場の入り口を睨む作業に戻る。


 残されたのはカロンとミラだけ。

 気まずいにも程がある。先程まではリーヴァルが相手をしてくれていたが、ミラと話すのは気が進まない。

 重苦しい空気を誤魔化すように、カロンはジョッキを煽った。


「すまないなカロン殿。気まずいだろ」

「は、いや、気にしないでいい。元は私のせいだろうしな」


 突然話しかけられ、持ち上げたカップを落としそうになりながらも返事をする。

 隣に座るミラを横目で見ると、その表情はどこか憂いが見て取れた。

 流れるような銀色の髪をかき上げ、切れ長の瞳は酒場の入り口を睨んだまま動かない。


「心配しているのか?」

「……さあ、どうだかな」


 曖昧な答え。

 話すことなどないと言うような対応に、カロンもわざわざ聞くことでもないかと果物のジュースを飲んで気持ちを誤魔化す。

 喧騒の絶えない中で、ここだけが静かだった。

 別段カロンも交流を深める気はない。出来るならリーヴァルのようにさっさと部屋に行ってほしいとさえ思っている。

 そもそもがお互いにとっての予定外だ。どうしても腫れ物を触るように扱ってしまうし、叶うならなかったことにしたいと。

 酒を切らしたミラは大声で店員に追加を注文し、ここで初めてカロンに目を向けた。

 目の前に並べられた料理はどれも手のついた跡があるが、緑色の魚やら甘い匂いのする肉やらと異世界情緒の溢れる物ばかりでカロンは手を一切つけていない。

 エステルドバロニアではまだ良かった。基準が地球の料理だから出される物は味噌汁であったり鯛や豚、調理法もよく知るものばかりだったから抵抗なく食事することが出来た。

 しかし、ここにあるのは調理法もそうだが、それ以上に食材そのものが未知。安全なのはミラとリーヴァルが食べていたのを見て分かっていても食指が動かない。

 空腹を誤魔化すようにジュースを飲んでいたが、その腹が小さな声を上げた。


「……」

「……ぷっ。くくくっ、腹が空いているなら食えばいいだろうに」


 自分よりも年上であろう男のまぬけな姿に思わず笑ってしまうミラに、カロンは恥ずかしそうに顔を背けた。

 仕方ないなと言うように、ミラが丁寧に料理を小皿に取り分けてカロンの前に並べる。


「ほら、食べればいい。それとも苦手なものばかりだったか?」

「いや、どれも知らないものばかりで……」

「おいおい、どんな家で育てばこんな世間知らずに育つんだ。私でもこれくらい知ってるぞ? 変な人だな、カロン殿は」


 必要なく関心を向けるほどミラは優しくはない。

 事実こうしてカロンと共にいるが、用のない時以外に話しかけはしなかったし、視線を向けることもしなかった。ただ保護しただけ。それだけだった。

 妙な男だとどこかでまだ色々な疑いをかけていたが、こうもまぬけな姿を見せられてはそんな毒気が抜かれてしまう。


「はぁ……。貴方に言うことじゃないんだが、今私は下僕どもを待っている」

「下僕、なのか」


 料理の説明をされたことでようやく怖ず怖ずと食事を口に運び出したカロンを見て、手がかかる男だと小さく笑ったミラは、少し落ち着いて口を開いた。


「ああ。その中にな、手塩にかけて育ててる奴がいるんだ。あれは実に筋がいい。このまま行けば私の下くらいの強さになれるだろう。一目見てスグに分かった」

「へえ」

「他の奴らも才能がある。死んでも目の前で褒めてなんかやらんが、ゆくゆくは王国の要になれるはずさ」

「それを私に言ってどうする」

「さあ。ただなんとなくだ。カロン殿は話しやすい人のようだからな」


 少しムスッとしたカロンの表情を見て、クスクスと不器用ながらに笑う。

 彼女のこんな表情を見たことのある者は騎士団にも、身内にすらいない。

 騎士団の中は皆が自分より下と見ているから、強者である自分が甘い顔をする気はなく。

 身内となれば貴族の中、欲ばかりが目につく連中に対等であっても慣れ親しむ気はなく。

 ベルトロイであっても、彼女に何かを映している節がある。

 しかしカロンは外部の人間で、かなり裕福な貴族と思われるが独特の嫌味が何もない。本当にただありのままにそこにいて、強い欲に目を眩ませもしないし美人だと自他共に認めるミラに対して性的な視線も向けない。

 ミラが他国でも名の知れた“騎士の誉れ”と知ればカロンの態度も変わるのだろうか。

 そんなどうでもいいことが不思議と気になった。


「……自分で驚きだ」

「何がだ?」

「こっちの話だ。それで? カロン殿は一体何者なんだ?」

「ここで私か……部下はいいのか?」

「リーヴァルが私に内緒で向かってるだろう。バレないと思っているようだがそれくらい分かる。それで、どうすればそんな無欲な世間知らずに育つんだ?」

「そう言われてもな」


 緑色の魚を口に運んだが、生臭さから眉間にシワを寄せてジュースを流し込む。

 喉を鳴らしてジョッキを置くと、どこか遠い目で天井を見上げた。

 どうと言われても、知らないから知らないだけなんだが。まして異世界に来たからと言って理解されるわけもない。


「知らないものは知らない。不自由なく生きてきて、不自由なく過ごせても、不自由の無さが不自由だ。対価に責任を支払い続けるし、知るべきことも知らずにいる」

「へぇ、面白いことを言う。王国の貴族も貴方のような者がいれば少しはマシだろうに」

「私は他の貴族……と言うのがよく分からないが、そんなに酷いのか?」

「酷いというものじゃない。どいつもこいつも欲ばかりだ。金、力、女、あってもまだ足りないと下衆い顔がぞろぞろしている。中にはまともなのもいるが、あれはあれで面倒だ」


 不真面目な貴族はミラに女と権力を求めるし、真面目な貴族になれば“騎士の誉れ”を求める。

 彼女のアイデンティティは環境が作ってきたものばかりだ。高い地位の貴族であり、高名な騎士の家系。その家に一人娘として生まれれば、求められるのは相応の生き方。

 幼い頃からそうであれと願われ、そうあれかしと望まれる。

 王国にいても外に出ても、彼女の背にはいつも誇りが付き纏い、彼女自身から美貌が剥がれることはない。

 そう生きてきて、初めてどちらにも目を向けない男が現れた。

 零した言葉から高い権限を持っているのだろう。にも関わらず偉ぶった態度も求める思いもない。

 初めて出会う、ミラをミラとして見る男だった。


「本当に変な人だ。こんな美人と一緒にいて欲情しないのか? ほら、他の奴らは遠巻きに狙ってるぞ?」


 からかう口ぶりに乗せられて周りを見ると、ギラギラした雄がカロンを睨み、ミラに舌舐りをしていた。


「ミラ……嬢も、大きな貴族の割に下世話な話をするんだな」

「貴族こそするものだ。で、どうなんだ?」


 わざと外套の下に隠れた騎士団の服を開けさせ、白い谷間を作る。

 ちらりとカロンは目を向け、思わず食い入りそうになったが慌てて視線を逸らした。


「ぶっ! な、なななないわけじゃないぞ! ただ、それで良い思い出がないから意識しないだけだ!」

「ははっ、その歳でまさかの未経験か」

「ど、どどど童貞ちゃうわ! そういうお前はどうなんだ!」

「私は不自由してないからな。その気になればいつでも出来る」


 そうやって売れ残ってくんだよ、とは言わないでおこう。

 まだぎこちないが、声を上げて笑うミラに釣られてカロンも笑う。

 ふと、こんな時間はいつ振りだろうと微かな懐かしさを感じ、表情を翳らせた。


「あ、すまない。嫌だったか?」

「違う。そうじゃない。こう、久し振りに少し素が出たなと思って」

「なかなか大変だな貴方も。かく言う私は初めて素の自分になった気がする」

「部下といる時も十分素だ。安心しろ」

「言うなぁカロン殿は」

「カロンでいい。恭しいのは……好きじゃないんだ」


 思わず、自分で何を言っているんだと言ってから気付く。

 だが、それが本音だ。心の何処かで、気を許せる人を欲していた。

 梔子姫も多少は気楽だが、ミラのように人間の友が欲しいと、思ってしまった。

 自分を王として、特別な目で見ない人間の友が。


「出会って一日と立ってないのに積極的だな。手が早い」

「抜かせ」

「なら私もミラでいい。私も実は堅苦しいのが嫌いなんだ」

「下僕持ちがどの口で言うんだか」

「ふふ、抜かせ」


 ミラもまた、カロンに欲してしまった。

 いつか別れる時が来ると分かっていても、今だけは友として、心の許せる人として接することが出来ればと。



 叶わずとも、望んでしまった。



 またくだらない話でもしようかと言うところで、突然ミラが腰に帯びた剣に手を添えた。

 酒場の喧騒は変わらない。彼女だけが突然雰囲気を変え、ビリビリと肌に刺す殺気を放っている。


「お、おい。どうした」

「静かにしていろ。何か来る」


 その気迫に押し黙る。

 じっと見据える酒場の入り口。細く呼吸を繰り返して警戒するミラの目つきが一層鋭くなった。


 ゆっくりと、扉が開き、黒い布で全身を覆い隠した怪しい人物が入ってくる。

 刹那、悍ましい瘴気が店内に充満した。

 空気が色を濁らせたと錯覚する程の魔物の気配。一瞬にして、喧騒は夜風の音が聞き取れてしまう押し殺した呼吸音に変わった。


「おい、てめえナニモンだこら」


 まだこの空気で酔いが冷めないのか、腕に覚えのある大男が黒い何かに手を伸ばす。

 だが、その手は相手に触れることなくメギ、と音を立て、大男も体中から小枝の折れる音を立ててゆっくり地面に倒れ伏した。


 殺された。いとも容易く。


 なのに恐慌は起きない。

 見えない力に縛られたように誰一人動くことを許されず、黒い布が歩く姿に目も向けられず、震える体で意識を保つのがようやくだった。


「あいつ……」


 布の隙間からチラリと見えた、白い三本の獣の手。

 見間違うはずもない。どう見ても梔子姫である。

カロンの呆れるような声は、ミラには焦燥に駆られたように聞こえていた。


「あれがカロンを狙う奴か」

「……え?」

「そこらの雑魚とは一味違う。くそっ、こんな時にあいつらが居ないとはな。いや、それを狙われたか?」

「いや、そうじゃなくて――」


 周囲を見回して、黒い布に身を包んだ梔子姫はカロンに向かって真っ直ぐ歩いてくる。

 合わせてミラもカロンを背に隠すように立ち上がって相対した。

 訂正する暇は与えてもらえず、最悪だと頭を抱える。


「見つけたよ、カロン」


 いつもと同じ調子で、いつもと同じ雰囲気の梔子姫が、迎えに来たと言いたげにゆっくり手を伸ばす。

 カロンは別段何も感じていないが、ミラにはカロンを連れ去ろうとしているようにしか見えない。

 魔物の淀んだ瘴気を放つ怪しい奴がカロンと面識があって、カロンがこの瘴気に慣れ親しんでいて、などと想像できる者がいる訳がない。


「私が時間を稼ぐ。その隙に逃げろ。いいな?」


 いいな、と言われても困る。

 頭を抱えて怯えるカロンに向けて小さく呟くと、ずいっと前に出て明確に敵対を示した。

 立ち塞がった障害に布の奥で梔子姫の目が細められる。


「邪魔だ、小娘」

「悪いが彼を渡すわけにはいかなくてな。貴様ら公国の言いようにされてたまるか」

「公国……? ああ、そういう……。まあそれでもいい。我々にはこの方が必要なんだ。これから大事な仕事が入っているからね。だから――邪魔だ、人間」


 ひゅんと、風を切る音が鳴る。

 ミラは抜刀の体勢から無理やり柄を自分の顔の横に引き寄せるて襲いかかった大きな獣爪を防いだが、予想以上の力に踏み止まれず軽々と吹き飛び、酒場の壁に背中を強く打ち付けた。

 地面に落ちて苦しげに咳き込みながら、相手が自分よりも遥かに格上と認識する。

 攻撃に力は加えた様子は殆どない。ただ本当に、邪魔だから振り払っただけに過ぎず、それが理解出来てしまっただけに遠ざかる勝機を再び引き寄せるのは困難だ。

 ゆっくりとカロンに迫る異形の手。逃げろと言っておきながら逃げる間も作れなかったことに遅まきながら気付き、痛みを押し殺して這いつくばった姿勢から強引に走る。


「させるかぁぁああ!」


 右手で握った剣を振り下ろしながら、左手で右に差した剣を抜き、防ごうとして出来る隙を狙って胴を薙ごうとする。

 金属のぶつかる甲高い音を立てて梔子姫の頭上で両者がぶつかり合い、ミラが抜刀を仕掛ける寸前で体勢から上に崩れそうになった。

 やはり、基本的な力の差が離れすぎているからか、ただ剣を防いだだけの梔子姫の力に斬ろうとするミラの力が耐えられない。

 すぐに右手から剣を離し、上体を引き下げて抜きかけた剣を両手で振るう。

 手応えは、あった。


「へえ、やるね」


 梔子姫はカロンの前から飛び下がり、背後にいた人間を巻き込んで避けた。

 押し退けられた人間はそれでようやく自由を取り戻したのか、転がるようにして店から出て行く。恐怖の波は正しい伝播をして、店には三人だけが残された。


「ボクに傷つけるなんてあいつら以外にはいないと思ってたけど、なるほど、確かに侮れない」


 うっすらと赤い線が浮かぶ腹部を晒してなぞり、興味深げに呟く。


 アビリティ・騎士の誉れ

 アビリティ・魔物狩り

 アビリティ・守護の剣

 アビリティ・神速

 アビリティ・英雄の血

 アビリティ・勇者の系譜

 スキル・唐竹割り

 スキル・居合斬り


 今の一撃の間に発動され、カロンのログに残されたミラの能力だ。

 本来のレベル差なら梔子姫に傷を付けることは不可能だが、勇者の適性があるだけで僅かに届く。

 梔子姫が油断していなければ有り得なかったかも知れない。それでもカロンの目には、勇者や英雄の力を脅威と見て取った。


「逃げろ! 早――」


 呆然と眺めていたカロンにミラが声を張り上げて促す。

 その途中で、カロンの視界から二人が消えた。

 頭蓋を軋む音が鳴るほど強い力で捕まれ、カウンターに勢い良く叩きつけられる。丈夫な分厚い板を割り、地面に後頭部をめり込ませた彼女の口から空気と共に血が吐き出された。

 盛大に舞い上がったガラスが薄暗いオレンジに煌めきながら、ゆっくり落下していく。乱反射する光の奥に、王である自分を見た。


「っ、やめろ! ミラに手を出すな!」


 衝動で叫んだカロンの言葉に、息の根を絶とうと振り上げられた腕が静止する。

 この場でミラを殺すのは問題だ。打算は後からついてきたが、今は失いそうになった友の身を思って叫んだ。


「君が望むなら。ごめんねカロン。ここまでするつもりなかったんだけど、久し振りに手傷を負って血が上っちゃった」

「いいから、早くしろ」


 ごめんごめん、と申し訳なさそうに謝る梔子姫に促されて、酒場を後にする。

 カウンターの近くに立ってミラを見ると、衝撃で幾つも傷付いたのだろう、仰向けに倒れた顔は真っ赤に濡れ、沈んだ床も薄黒く滲んでいた。

 自分が招いたことだ。弁明などない。

 かける言葉も見つけられず、背を向けて梔子姫の後を追う。


「カ、カロン……行く、な……今、たす、け……」


 苦しげに呻くミラの声が聞こえた。満身創痍の体を引き摺り、懸命に手を伸ばす姿を背中越しに見つめる。

 その手を握りそうになる気持ちを抑えこみ、ただ一言。


「すまなかった」


 それだけを残してカロンは立ち去る。

 これから自分が行うことは、その優しさに甘えていいものではない。

 全て終われば、あの手を今度は握れるだろうか。

 いや、きっと握る資格はないだろう。

 これから多くの命を奪う人間が、救おうとする手を握るなど、許されるべきではないのだ。



 暗い表情で夜道を歩くカロンに、梔子姫は隣に並んで所在なさ気にそわそわしていた。


「あ、あのカロン。本当にすまない。あんな事するつもりは本当になくて、その、ご、ごめんなさい……」

「構わん。私の責任だ。お前はお前がすべきことをしたに過ぎん。何も悪くないのだ。そう気に病むな」

「でも、仲良く、なったんだろ? 君の顔を見てわかったよ」


 泣きそうな、布を脱ぎ捨てた梔子姫の顔を見て、どうなんだろうと考える。

 出てきた答えは、


「住む世界が違うのさ、俺も、あいつも、何もかも」


 王座に縛り付けられた男の泣きそうな微笑みだけが、その心を表していた。





 ミラ達と別れたベルトロイ、ポウル、マリアンヌ、フィルミリアの四人は街で聞き込み調査をした後に神殿へと向かっていた。

 ベルトロイは神官の中に友人を持っている。何年も会わずにいるが、昔はよく遊んだ仲で、今でもその友情は続いているはずだ。

 薄汚い外套で身を隠した四人は白い石畳の坂を黙々と歩いていく。


「ミリアちゃん、大丈夫? 疲れてない?」

「平気です。皆さんの邪魔になるわけには行かないですから」


 気丈にも笑顔で返すが、額には玉のような汗が浮き、ただでさえ白い肌から余計に血の気が失せているように見える。

 魔物でも人間と違って遥かに強い、わけではないらしい。


「つっても、朝から歩き通しだしなぁ。なぁベル、どっかで休まねえ?」

「そうだな、あそこで休んでくれ。俺は先に行く」


 指差したのは雄々しく伸びる大木の下に備えられたベンチ。ベルトロイは3人をそこに残して一人神殿へと走った。

 後ろからかかる声を無視して、千切れたような外套を風に揺らしながら一気に駆け上る。ゆるやかな時間を過ごす人達を追い越して、一人荘厳な神殿の前に立ち止まった。

 息をゆっくり整えながら思うのは、懐しい友人の姿。

 神都の異変の話を聞いてから一番気がかりだったことだ。もし巻き込まれていたらと思うと、いても立ってもいられなかった。

 騎士団は誰も居ない。恐らく全員神殿の中に案内されているのだろう。それでも人通りの多い表通りから外れて神殿の横へと周り、周囲を気にしながらも丁度歩いてきた神官に声をかけてみる。


「あ、あの!」

「はい? 何か御用ですか? ……ああ、炊き出しなどは行っておりませんが、神殿の中に来てくだされば食事を提供させていただきますが」

「いや、乞食じゃなくてですね……。ここに、アルフォー・タイラーは居ませんか?」

「あら、タイラーの知り合いの方? 彼は今日居たかしら、最近出張で居ないことの方が多い人だから。ちょっと待っててね?」


 そう言って神官は神殿の方へと小走りで駆けていった。その背を見ながら、友人の無事に安堵すると同時に疑問を抱く。

 神官の出張とは、一体何処に?

 新都の神官が外に赴くとなれば、王国か公国のどちらかが主だ。他のアーゼライ教の信仰がある国には行事出なければ有り得ない。ましてまだ日の浅いタイラーが行くとは思えないのだ。

 草場に身を潜めながら神官を待っていたが、やってきたのは昔よりも大人びた友の姿。


「おい! ここだ! 久し振りだなタイラー!」

「は? ベル? なんだってこんなとこに!」


 懐かしい再会を喜ぶ。そんな気持ちと裏腹に、タイラーは真剣な顔で近付いてきた。


「早く神都から出て行け。ここは戦場になるぞ」

「お、おいなんだ急に」

「何もクソもあるか。お前がどんな用件で俺を訪ねてきたのかは知らないが、それはまた今度にしろ。今日にでも戦争が起きる。王国も神都も公国も頼らないで暫くこの辺から逃げた方がいい」

「ま、待て。おい、引っ張るなって!」


 ベルトロイの手を引いて裏門の方へ歩き出す。明らかに焦っている。それもこれから起こることを全て知っているかのような口振りだ。

 力任せに引く手を振り払い、落ち着けと少しばかり声を荒らげる。


「俺は今騎士団所属している。俺の用件は、お前の知っていることを話してもらうことだ」


 懐を開けさせれば、中に見えるのは王国騎士の制服。

 タイラーにとって、避けたかった事態である。


「ああ……お前も巻き込まれてしまうのか……」

「少しでいい。聞かせてくれ。何が起きようとしているんだ」


 人目を気にして周りを見回すと、タイラーは手招きをして神殿の中にベルトロイを誘う。

 素直に従って後を追うと、人の往来が殆ど無い裏の通路に続いていた。

 そのまま進んでいけば、小さな暗い部屋の前に案内される。


「ここは、俺達神官の使う部屋だ。人は来ない」


 そう告げて中へ案内される。

 小さな小窓が備え付けられた暗い部屋。椅子も机もなく、ただ白い壁と床のある、まるで牢のような部屋だった。

 ベルトロイが何かを問うよりも早く、タイラーが肩を強く掴んだ。


「いいか。これから言うことは他言無用だ。お前の心のうちに秘めておけ」

「あ、ああ。それで、今の神都はどうなっているんだ」


 ベルトロイの肩を離したタイラーは、ゆっくりと壁際に腰を下ろした。


「今の神都はエルフと神官が権力を掴んでいる」

「なら元老院は……」

「とっくに廃されたさ。外部の助力を得てな」

「外部?」

「詳しく言うことは出来ない。だがこの辺りまでは既に神官は皆口にしてもいいことになっている。外部の手を借りてようやくまともになったが、お前も知ってる通り公国が動いた」


 不可解な点はあるが、まずは話を聞こうと首肯で返事をする。


「みんな三つ巴か、神都公国VS王国と思ってるが実際は違う。そんなのよりも圧倒的な連中のワンサイドゲームだ。奴らは敵を公国に絞っているが、少しでも機嫌を損ねれば王国も踏み潰されるぞ」

「……色々気になるが、その外部とは何なんだ。この近辺に国なんてないぞ。何処かの貴族が付いたにしても、すぐに分かるはずだし……」

「ベル、お前達には想像のつかない出来事が起きてるんだ。俺も未だに信じられないが、現にこうして中央大陸の情勢は塗り替えられた。そして今日それが起きる。きっかけ一つで盛大にな」

「その外部って何なんだよ」

「……言えない。それだけは言えないんだ。俺も恩がある。だからこれ以上は言えない。ただ、もし知りたかったらディエルコルテの丘に行け。そうすれば辿り着けるかも知れない」


 直接的な表現は全て避けられた。ただ解ったのは、今日すぐにでも戦争が始まる何かが起きる事。外部から強力な干渉がある事。

 そして、この戦争が仕組まれたものかも知れない事。

 まくし立てるように全てを告げ終えたタイラーは、ゆっくりと立ち上がり、真っ直ぐ向けた顔を下げた。


「すまない。お前も何かの任務に来ただろうに、こんなことしか教えられなくて」

「いや、いいんだ。ありがとな」

「ああ。ところで、お前は仲間は一緒じゃないのか?」

「ああ、途中に置いてきたんだ。大木の木陰で休ませてる」

「そうか……」


 そう言って、タイラーはゆっくりと扉に手をかけて外に出た。

 タイラーに告げられた内容を整理しながら遅れて外に出ようとして、



 バタンッ



 突然目の前の扉を閉められた。


「なっ、おいタイラー、これはなんの冗談だ」


 開けようと力を加えてもびくともしない。強力な防護魔術が仕込まれているらしく、薄ぼんやりと緑色の魔法陣が浮かび上がった。


「騙したわけじゃない。監禁するつもりもない。時間が来たら開放する。ただ、今はここで過ごしてくれ……夜には必ず出してやるから」


 友人だからと油断していた。

 腰に隠していた剣を抜き放ち、木の扉目掛けて何度も振るうが傷付く様子もない。


「嘘だったのか、今言ったことは全部!」

「嘘じゃない! お前に教えたことも、お前を親友だと思ってることも何一つ嘘なんかない。分かってくれ、お前の為なんだ……」


 ドア越しに聞こえる悲痛な声に、それ以上何も言えなくなった。

 大きな変革がタイラーの勤めるこの場で起きて、何事もないままでいられるわけがないのだ。

 それを読み取れなかった自身にも原因はある。


「お前の仲間もここに入ることになる。だが、必ず夜にはここから出してやる。約束しよう」


 扉の向こう、足音が遠のいていく。

 強く扉を殴る音を聞きながら暫く歩いたタイラーは、通路の途中で足を止めた。

 目の前に立つ、背筋を伸ばした老人の前で。


「うむうむ、上出来である。これでカロン様の計画もスムーズに進むことだろう。いやはや、君の友人が計画の要とは実に好都合だった。曲がりなりにも勇者の末裔、野放しにするのは些か不安だったのでね」


 髭を擦りながら、その老人アルバートは満足気に頷いた。


「あの、本当にあいつに手は出さないのですよね……?」


 怯えながらもタイラーは意を決して尋ねる。今はこの魔物が彼の上司に当たるため、気分を損なえばどうなるかなど想像もつかない。

 あの実験場で見た、狂乱の仲間入りはしたくない。

 じろりと深紅の瞳がタイラーを捉えれば、歯を打ち鳴らして体を細かく震わせる。その無様な姿にアルバートは高笑いをひとつ上げると、安心しろと声をかけた。


「あの男達は、ただ夜まで大人しくしていてくれればいい。その後は知らんよ。戦いの中で死んでも責任は取らん。はっは、その仲間も彼女がいい具合に足手まといになってくれるだろうし、カロン様の方はあの方が居る限り動けない。これで万事が上手く進むぞ」


 これから起きる惨劇を心底愉快だと喉の奥で笑い、早く訪れないものかと待ち遠しく指でステッキの髑髏の柄を何度も叩く。


「さぁ、皆々揃って頭を垂れろ。そこのけそこのけ魔物が通るぞ? あぁ楽しみだ。無様に惨めに死ねばいいのさ。その果てに王の慈悲深き救済があるのだからな。死に物狂いで生きればいいのだ」


 感情にひと通り身を委ねることに満足したのか、行くぞと声をかけて軽やかな足取りでアルバートは外へ向かう。

 師であるノレッドはこう言った。人間の王に従えば、必ず先には幸福がある、と。

 眼の前の狂気を見る限り、その言葉を信じることは出来ない。

 ただ、友の命は助かるはずだと、今はそれだけを信じて付き従った。



どう見てもカロンがヒロインにしか見えない件

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― 新着の感想 ―
読み返すと書籍版とはかな違う展開ですね。 梔子姫のカロンの対する思いがわかるので、書籍読んだ後にもう一度楽しめました。
[一言]  カロンがヒロインに見えるw
[気になる点] そんなにクチナシ姫にヘイト集めさせて作者は何がしたいの?
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