10 潜入
騎士団、到着。
その報告を受けたのはシエレだった。
神殿の中で雑務をこなしていた彼女のもとにやってきた神聖騎士に扮する魔物の報告を受け、緊張が走る空気を振り切って彼女は外へと飛び出した。
小高い神殿の位置から見下ろす神都の正門。そこに整然と並ぶ白と青の鎧にゴクリと喉を鳴らす。
ついに、この日が訪れた。
神聖騎士に先導されて王国騎士が神殿に向けて進んでいく。列を乱さず歩幅を乱さず、鋭い眼光を放つ騎士の姿を一目見ようと周囲には人垣が出来ている。
そこに不審者がいないかと先頭を進む遠征部隊の隊長、バストン・ドゥーエは騎馬の上からできるだけゆっくりと周囲に視線を這わせた。
彷徨う視線に映り込むのはアーゼライ教の装束を真似た白い布を身に付けた老若男女。しかしその首には不似合いな黒い刺青が分け隔てなく刻み込まれているのが隠そうともせず露出しているのが見て取れる。
異様。その一言に尽きた。
(呪法の類であろうか。今ここでそれを探るのは目立つな)
神都には何かが起きた。それは間違いないだろう。一見すれば人々の様子はそこらの街と変わらぬ活気づいた雰囲気だが、以前は何処か影を感じさせていた。
良い方向に変化したと思っていいのか判断がつきにくい。刺青が誰の手によって刻まれたものかで答えは変わってくる。
否応なく押し寄せる違和感を払拭する為にも、早く神殿に赴いて教皇と会談を設けたいところだ。
油断せず行こうと隣に並ぶ副隊長に目を向けて意思疎通を図り、再び周囲へと戻す。
その中で、灰色の薄汚れたマントを羽織った一団を見つけた。
目立つ銀色の髪に氷の眼差し。そして一団の背負う物々しい武装。何者かなど考えるまでもなく理解できる。
彼女達にも、目で礼をして互いを確認しあえば、銀髪の女はコクリと頷いて伴を引き連れ路地裏へと姿を消した。
(上手く入り込んだか。さて、どうなることやら)
願わくば、命だけは助かりたいものだと心の中だけで信じぬ神に祈りを捧げるのであった。
「さて、無事に第一段階はクリアしたな」
マントで身を隠した集団は、少し奥まった場所にある小さな酒場の隅でテーブルを囲んでいた。
騎士団が訪れたおかげか店内に人はおらず、注文を受けて料理や飲物を用意するウエイトレスに時折目を向けられるだけ。少し休むには丁度いい。
首に括った紐を解きながら荷を下ろして一息つく中、一人だけローブをすっぽりと被った子供が落ち着かない様子でいる。
「もういいよリア。顔を出しても大丈夫だから」
そう言われて子供がフードを払うと、綺麗に纏められた髪が首元に滑り落ち、零れそうな大きな真紅の瞳がまっすぐにベルトロイを見つめて微笑む。
彼も釣られたように微笑んだところで、その空気を阻害するように咳払いがされた。
「さて、無事に神都に潜入出来たことだしここらで作戦会議と行こうか」
ミラ・サイファー。ベルトロイ・バーゼス。ポウル・デルフィ。リーヴァル・オード・シュトライフ。マリアンヌ・フォン・フランルージュ。そしてフィルミリア。
予定外の一人を加えた彼らは、騎士団の到着に合わせて旅人を装い街に入り込んだ。
神都の土地柄、武装した旅人は珍しいものではなく、騎士団が注目されていることもあって特に不審がられることなく人混みに紛れることが出来た。
もう少し警戒されるかと思っており、その時の手段を用意していたが無用となって少々拍子抜けしているが、結果だけを見て問題無いことにする。
「余計な荷物が増えたが、やることは変わらん。街の様子を探る」
「あぅ、ごめんなさい。私のせいで」
「気にしなくて大丈夫だよ」
刺のあるミラの言葉に体を小さくするフィルミリアにすかさずベルトロイがフォローを入れる。
魔物の襲撃を受けた際、フィルミリアの処遇で一悶着あった。
子どもとは言え知性を持つ高位の魔物。今後の被害を起こさぬためにも此処で処断するべきだと言い張るミラに対してベルトロイが真っ向から対立。魔物だからと悪と断ずるべきではないと主張した。
結果、ベルトロイが責任を持つと言うことで話が落ち着いたのだが、ミラとしては今もまだ不信感が拭えないらしく、少々辛く当たる部分がある。
任されたベルトロイやポウル達はフィルミリアを庇護することに異論はない為、ミラとの溝が少し広がっていた。
その責任を感じるのか、フィルミリアはどうにも居心地が悪そうだ。元々土地を追われた魔物だからと行く宛もなく、これから戦が始まるかもと言われては彼らから離れるのは不安がある。まして相手が魔物を操る国と言われては尚更に。
邪魔者の自覚があるせいで人目を窺う仕草の多い彼女を、マリアンヌは抱きかかえて膝の上に乗せ、優しく髪を梳いてあげる。その優しさにフィルミリアは強張っていた表情を緩めて甘えるようにマリアンヌの胸に頭を預けた。
癒やしを求めるようにフィルミリアに集まる視線を見て、女王様基質のミラとしては自分が中心から外されたような空気が気に入らないのか、端正な顔をむっとさせて行儀悪く机に片肘を付いた。
「で、チーム分けするんですか?」
空気が悪くなりだしたのを悟ってリーヴァルが切り出すと、ぶすっと膨れるミラがメンバーを見回して「そうだな」と小さく呟く。
「分けるとなると、男女でになりますか? それとも混成で?」
「混成になるでしょう。リアの面倒を見るのはベルトロイの役目ですから」
「んじゃ、ベルと俺とリアでどうよ」
「そんな安易に決めていいもんじゃないだろ」
「理想としては私とバーゼスにリアではないですか? 個々の戦力を鑑みるにこれが適当かと。ミラ・サイファーとバーゼスは一緒に出来ませんし、リアを含むと魔術の使える重装騎士の私が加わるのが適当と思われます」
「あー、ミス・フランルージュ。それなら男組とリア、女騎士2人に分けてもいいんじゃね?」
「馬鹿ですかデルフィ。貴方達だけにリアを任せては彼女に何か起きかねません。却下します」
「最近俺達を呼ぶ時に馬鹿って枕詞が使われるようになってないか?」
チーム分けの話になっても、中心にいるのはリアだ。
途中から参入したと言えど、マスコット的な存在としての地位をこの数日で築き上げた彼女は随分と人気者になった。
表情、仕草、声。どれをとっても愛くるしいフィルミリアに皆心を奪われている。
団結し始めたと見て取れるが、やはり疎外感を感じるミラ。当然不満は募っていくばかりだ。
彼女からすれば、どうしてこうもフィルミリアを庇護したがるのかが理解できない。
確かに愛らしいとは思う。しかし魔物だ。
魅了の魔術でも使用していれば流石に気付くが、その様子はないので彼女の持つ天性の魅力がそうさせているのだろう。
それでも納得ができないが。
騎士の誉れとして育てられてきたミラの本分は戦にあり、敵を斬り捨てることにある。
そして敵とは仇なす者と、魔物である。
そう教育を受けてきた彼女には、魔物と仲良くするなど考えられずにいた。マリアンヌも貴族であるため同じように教育されているはずだが、それ以上に母性本能と言うのか、妹のように思ってしまっているらしく共感してくれそうにない。
チーム分けで騒ぐ自分の厳選したメンバーを見て、取り敢えずフィルミリアとは少し距離を置きたいと考える。自分が第一な彼女だが、任務に支障を来す真似はしたくなかった。
「もうその辺にしろ。ベルトロイ、お前はポウル・デルフィとマリアンヌ・フォン・フランルージュを連れて行け。私はリーヴァル・オード・シュトライフを使う」
「え? あ、了解です。けど、いいんですか?」
「どうせ元々2と3に分けるつもりだったんだ。小娘一人加わったところで変わらん。いいか、とにかく情報を纏めろ。でどうにかメモか何かに残せ。恐らくヴァレイル・オーダーの作った物が作用するはずだ」
ミラの言葉に、各々懐から小さな宝石を取り出した。
それは緋色の多面体。“大火”ヴァレイル・オーダーが魔術を解析して作り上げたアンチマジックジュエルだ。所持しているだけで効果があるらしく、阻害魔法を防ぐらしい。
その効果の程は正確には分からず、ヴァレイル曰く「記憶の改竄は免れないが媒体に記録するのは可能だろう。これが今の精一杯である」とのこと。検証することも出来ずその日を迎えたため、ぶっつけ本番で効力を確かめるほかなかった。
「あのおっさん、胡散臭いっすよね」
「助手の人を死んだ飼い猫の名前で呼ぶらしいですよ?」
「それでか……」
「うわぁ」
アンチマジックジュエルを直接渡しに来たヴァレイルと助手のセーヴィルを思い出し、セーヴィルと名乗る女性をチェルミーと違う名前で呼んでいた理由を知って揃って嫌な顔を作った。
名高き大賢者と会えたことに対して喜んだものの、想像していたのとは随分違う性格に少しなりとも幻滅していたが、好感度は今ので大分落ちた。
「それでも腕は確かだ。伊達に大賢者と呼ばれる勇者じゃないからな。イカれたジジイにしか見えないし助手の小娘に媚びへつらう変態だし魔術狂いだが、腕は確かだ」
「ミラ……部隊長閣下。そこまで言いますか」
「言わざるを得んだろう。色んな意味で桁違いだからな」
ベルトロイのうんざりした顔に平然と答えるミラ。悪気などさらさら無い。
「なんにせよ、行動は今日のうちから始めるぞ。宿は各自で確保しろ。明日の朝騎士団は教皇と会談をするはずだ。その間は情報収集に勤しみ、正午にまた此処で落ち合う。質問はあるか?」
段取りを確認し、声が上がらないのを確認して満足気に頷く。
「おまたせしました~!」
丁度頃合いを見計らったかのようにウエイトレスの元気な声とともに食欲のそそる匂いが近づいてくる。
粗雑なものばかりを数日食べ続けていたせいで、真っ当な食事にありつけるのを皆内心で楽しみにしていた。
置かれていく湯気の立った大量の料理。香草のそそる香りが、香ばしい焦げた匂いが鼻を喜ばせ、ドンっと置かれたジョッキに波々と注がれたエールの泡立つ音が喉を鳴らす。フィルミリアの前にはミルクが置かれ、彼女も久しぶりのきちんとした食事に目を輝かせている。
誰だ酒を頼んだのは、と少し怒ったようにミラが言うが、そういう自分の前にも当然のようにジョッキが置かれているのを見て皆苦笑を漏らした。
「ミラ隊長……」
「ふん。食事を終えたらすぐさま任務だということを忘れずにな」
今だけは目を瞑ってやると偉そうに言っているが、単純に自分も飲む口実を作っているだけにしか聞こえない。
ジョッキに手をかけると自然に合図を待つ形になり、自分が中心となっている空気に早くも軽く酔いながら掲げられて声高らかに音頭が取られた。
「神都の未来に乾杯!」
「おいいきなり縁起でもないぞ!」
「よっしゃ食うぜ食うぜぇ!」
「あ、おいポウル! それは俺の頼んでたやつだぞ!」
「うるせー早い者勝ちだー!」
「ポウルもリーヴァルも少し静かにしろって。人いないからって騒ぎすぎだぞ」
「リアちゃん、何か食べたいものはある? お姉さんに言ってちょうだいね?」
「あ、ありがとうございます。マリィ……お姉ちゃん」
「……」
「見ろベルトロイ・バーゼス。鼻血を出す奇っ怪な女がいるぞ。世も末だな」
意味を知っていると物騒な掛け声とともに賑やかな食事の時間と変わる。今だけは少しばかりの安息を楽しむ面々であった。
◆
神都では、公国と王国の確執も戦争もよそに、いつも通りの日常が流れていた。
外で起きている問題を耳にする機会が無いと言うのも理由の一つである。
現在神都を出入りする商人などは戦争の標的に神都が含まれていると知って訪れず、ただの旅人も巡礼者ですら察知して近づこうとしない。
両国によって通行禁止状態にされていることもあり、この国だけは奇妙なくらいに平穏であった。
苔むした白い壁が聳える町並みで暮らす人々。首に繋がれた呪いがありながらも、元老院が支配していた頃よりも過ごしやすい環境となっている。
そんな街に、王国の騎士団が訪れた。それが何を意味するのかも理解できず、盲目白痴な神都には歓迎ムードが渦巻いている。
両国の間者が入り込んでいてもお構いなし。本当に、戦争の舞台に選ばれているのかと疑問に思うくらいに平穏でいた。
しかし、当然緊張感を抱いている者達はいる。
訪れた騎士団とミラ一行。暗躍する公国。エステルドバロニアから派遣された神聖騎士紛いの魔物。
そして、ここにも。
白ばかり際立つ町並みの外れ。人気の少ない路地裏にて、一滴の墨のように溶け込めていない男はがっくりと塀の上で項垂れていた。
遠く人々の声を聞きながら、隔離されたように静まり返る路地裏で微動だにしない奇妙な男。
我らが王、カロンである。
今日までに色々とやる予定だった。模擬戦がどの程度形になっているのか確認したり、王国と公国に送っている猫の情報を整理したり、最近募集せずにいた軍の強化をしようかと思っていたり、すっかり忘れていたが風呂に入らなきゃならんのではないかと思ったり、色々と。
なのに。なのに。
「どうだカロン、国の外は新鮮だろう?」
「ふざけんな」
カロンの横で塀の上に立ち、満足気に微笑むのは同じく黒一色に身を包んだ魔物。
最近顔合わせをしてから何かと面倒事を強引に持ってくる女、第15団団長の梔子姫。
4本の真紅の爪を生やした毛深い獣の手と狐の耳と言う亜人のような形に化けた晦冥白狐と言うランク10の魔獣種。
この場にカロンを担いで連れてきた張本人である。
何故こうなったか。
これから戦争の起きるところになんていられるか! 俺は部屋に帰るぞ! と転移を試みたこと7回。ルシュカ達に保護されること7回。笑顔の梔子姫に捕まること7回。
2日に渡って繰り広げられた逃走の末の結末に、諦めの境地に達して今に至っている。
連れ戻そうとグラドラを筆頭にカロンの救出部隊が結成されたが、大事な日が訪れたせいであえなく断念。石畳を見つめるカロンの目に生気はなかった。
「梔子、これから神都で何が起きるかは知っているな」
「勿論だとも。馬鹿共が利権争いをするのだろう? カロンがその漁夫の利として手を組もうとしているのも知っているよ」
「……まあいい。なら何故此処に連れてくる。俺を騒乱の渦中に放り込む気でもあるのか? 反逆とみなしても私は構わんぞ」
「あー、それは今はおいておいてさ」
「おい」
「ほら、私が付いているんだから大丈夫だ。伊達に第15団の団長を任せられていないよ」
任命してるのは俺なんだが、とは言わないでおく。
「帰ると言う選択肢があるだろうが」
「えー? 勿体無いだろう。せっかくあの女に全部押し付けてきたんだから、1週間くらい滞在してもいいだろー」
「出来るか!」
1週間も過ごしていたら確実に巻き込まれる。それどころか今日明日中にも巻き込まれかねない。
キッと梔子姫を睨みつけるも、何故見られているのか分からず首を傾げる梔子姫の様子に貧弱人間の威嚇では意味が無いと知ってまたもうなだれる。
それ以前に、これが王の扱いなのか?
梔子姫の行動は他の魔物とはあまりにもかけ離れているのでどうにも落ち着かない。いくら親友と言ってもぶっちゃけ自称なのに、こんなに激しいスキンシップをしてくるとは予想外すぎる。
今までの魔物が、カロンからすると自分を腫れ物のように扱う雰囲気があっただけに気安くはあるが、今回の行動はそれを逸脱していた。
思い切って解任してしまうか。いやでもそれで恨まれたら。でもこのままだとストレスが。あれどうやっても胃痛になるのか。
一人地面を見つめながら脳内会議をしているカロンを見つめながら、梔子姫の目からおどけた色が消えて不安に揺らぐ。
梔子姫自身、この行動は王の意志を無視した行為であることくらい理解している。それによって処罰されることも覚悟している。
それでも尚、強引な手段に出たのはカロンがこの世界に囚われたことにも関係していた。
元々、カロンは現実と仮想空間を行き来する生活スタイルだった。そうなると当然エステルドバロニアに居ない時がある。それも不在ではなく文字通り消えているわけだ。
カロンが居ない間、システムには存在しないながらも魔物達は王が姿を消すことに様々な推測を立てた。
最も有力だったのは、不可思議な転移魔術によって何処か魔物の知覚できない場所へと赴いて休息しているのではないだろうか、と言うものだ。
彼らの見るカロンの姿は常に働いている姿ばかりで、自室に居ても何かしらの仕事に手をかけている。おまけに睡眠もしないし食事もしない。一昼夜通して働き続け、そして消える。
それはつまり、王にとっての安息はこの城に無いことを意味するんじゃないだろうかと言う結論に至ったのだ。
この世界にカロンが囚われた以上現実に帰ることがなくなった。それはこの城に安息を得たのか、安息の地が失われたかのどちらかしか考えられない。
ルシュカは好意的に前者で捉えたが、梔子姫は違う。
(もし安息が奪われたのだとしたら、カロンは望まずに城にいることになる。雲隠れすることなく寝ても覚めても仕事に負われているなど、耐えられるわけないだろう馬鹿女め。カロンは人間なんだぞ!)
それを発端として先日の騒動が起きた。
梔子姫の言い分とルシュカの言い分がぶつかり、話にならないと梔子姫は処罰覚悟で強硬手段に移る。ルシュカも本気になればそれを止めることが出来たが、梔子姫の意見に思うところもあって取り逃がす結果となった。
カロンを蔑ろにしているわけでも玩具にしているわけでもない。口に出すのが恥ずかしいし罪は罪だと自覚しているから梔子姫はカロンに釈明も弁明も行わないが、偏にその身を案じての行いなのである。
「ほら、観光でもしないか? 折角なんだからさ」
「折角って……誰のせいで……」
きっと恨まれるだろう。カロンも必死に逃げたので予定より大幅に遅れて決行日当日になってしまったのは誤算だが、意図を説明しなかった自分の責任としよう。
ほら、としゃがみこんでカロンの手を握った梔子姫はきつい印象の顔をほぐして温和に微笑む。仕方なさそうに立ち上がるカロンを見つめながら、少しだけでも仕事を忘れてくれればと願う。
「……にしても、隷属の呪法とはね」
少し気持ちを切り替えることにしたカロンは、時折通りかかる人の首に付けられた刺青に呆れた目を向けた。
悩みの種が芽吹きまくりの神都に来て職務を忘れることが出来るはずがなく、早速現れた仕事の種に梔子姫が小さく舌打ちする。
「いい気はしないかな?」
「それはそうだろう」
自分が指示した言葉がこのような方法で処理されているとは微塵も思っておらず、元老院とやっていることが同じではないだろうかと嫌な気持ちを抱いた。
「しかし便利だ。使用していることは褒められたことではないだろうが、記憶を消却するよりも確実で安易なのは確かだよ。結局は使い方さ。悪用はしていないしね」
それはそうかもしれない。そうでなければ魔物に襲撃された街に平穏がこうも容易く戻りはしないし、度重なる変化を受け入れることも出来ないだろう。
理解ってはいるが、それでも受け止め難かった。だが、それを訂正することも出来ないのが現状だ。
簡単に考えている自分が悪い。その一言に尽きる。
正しいこと、悪いこと。その基準を定めるべき自分がゆらゆらしたままではいけないと再確認できただけでも意味はあったのかもしれない。
「はぁ。他に見直す方法考えなきゃか……」
頭部を軽く掻きながら、何気なくコンソールウィンドウを目の前に展開する。
そこに表示される幾つもの点。全ての人間と魔物が画面上に符号として現れ、大多数が騎士団を拝もうと神殿周辺やそこまで至る道に分布している。
少し離れた位置にある点を目視で選択すると、公国の手の者であることがすぐに分かる。エステルドバロニア本国を除いて、徐々に進展しているのが理解できた。
ぐいぐいと何処かへ行きたがる梔子姫を少し放っておきながら色々な点を確認していると、自分を中心に表示されたマップの中央に向かって路地を曲がりながら近づく点が2つある。
中央に来ると言うことは、つまりカロンに接近しているものだ。
どうせ市民だろうと何気なくその点を確認したのは、目視できる場所に相手が現れたと同時。
マップに表記されたのは――
「お、第一村人発見だ。幸先がいいと思わないかリーヴァル・オード・シュトライフ」
「そ、そうですねミラ小隊長閣下!」
「誰がそう呼べといった馬鹿が。素性をバラしてどうする。ミラ様と呼べ下僕」
「は、はいミラ様!」
――勇者。
「……まじかよ」