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エステルドバロニア  作者: 百黒
3章 王国と公国
33/93

9 遠征

ご無沙汰しております。

 フィレンツの森はディエルコルテの丘と神都を分け隔てるように密集している。丘を囲うように半円状に広がっており、王国の近くも範囲に含まれていた。

 ついに訪れた神都遠征当日。王国正門の前にて揚々と号令が行われる遠征軍より離れた位置。森の中からその光景を眺める集団は、背負う装備を鳴らして立ち上がった。


「よし、行くぞ」


 その声に、付き従う4人が頷いてみせる。

 布に包まれた武器と盾を改めて背負い直し、積もる枯れ葉を踏みしめて森の奥へと移動していく。人目を避けるように普段人が踏み入ることのないフィレンツの森の奥へ移動して北上を開始する。


「ないとは思うが、人に出会ったら報告するように。バレたら洒落にならんからな」


 からかうようにミラが鼻で笑う。銀色の髪を隠すようにフードを深く被り、高低差に歩みを緩めることなくスイスイと先へ進む。


「来るわけないの知ってるじゃないですか。神聖の行き届く森に踏み込もうなんて不信者は王国には居ませんよ」


 苦笑交じりにベルトロイが合いの手を入れる。彼もミラ同様、少ない装備で軽快に森を進んでいく。表情がすこし強張っているのは、あまりこのメンバー内に漂う空気が良くないからだろうか。


「まぁ、それが俺たちなんだけどね」

「おいやめろ。アーゼライの信者にしばき倒されるぞ」


 大真面目な顔で誰も口にしなかった爆弾を吐いたポウルが広い背に巨大なタワーシールドを担いで重い足取りで2人の後を追い、慌てて隣に並ぶリーヴァルが突っ込んだ。

 師弟の2人と違って彼らは頑丈な甲冑を纏ってこその騎士なのだが、今回の任務ではあまりにも目立つため装備せずにいる。予定として有事の際は遠征軍から受け取る手筈になっていた。

 

「ええ、ええ本当に、厚く信仰する信者なら踏み入れませんよ。ええ、ここも厳密には聖地なのですから。それなのに、それなのに私は……っ」


 最後尾を歩くのはマリアンヌだ。いかにもお嬢様と分かる品の良い容姿に立ち振舞だが、甲冑はポウル同様身に付けず、代わりに身につけている服はどれもボロボロになっている。心ばかりのカモフラージュのつもりらしい。

 とても重苦しい空気を生み出している元凶は彼女にあった。と言うのも彼女、真面目なアーゼライ教の教徒なのである。年に一度の巡礼は必ず行い、毎日の祈りも欠かさない。当然聖地の大事さを誰よりも理解している。

 だと言うのに、人目を憚るためとは言えど聖地の範囲に含まれるフィレンツの森をずかずか歩かされれば不機嫌にもなろう。聖地は神都から丘を繋ぐ道しか人の足を入れてはならないと決められているのに、大嫌いなミラに教徒にとっての禁忌を犯させられているのだ。

 ミラ曰く「そんなの神都の都合で決めたものだろ」とのことだ。余計に神経を逆撫でたのは言うまでもない。

 マリアンヌも頭では分かっているのだ。神都までの道のりを隠密で移動するには森を抜けるしか無いと。だから渋々承諾したが、こんなに奥まで行くことないだろうと思っている。

 その苛立ちがオーラになって見えているので、男衆はフォローをするのも躊躇っており、アイコンタクトでどうにかしろと互いに擦り付けていた。


「ああ神よ! アーゼライよ! この罪深き私をどうかお許し下さい!」

「大丈夫か? 狂信者は頭がオカシイらしいがアレもその類か?」

「貴方がこのチームに引き込んで信仰者の気持ちを土足で踏みにじったからでしょう……。はぁ、で、ミラ教導官様」

「馬鹿か貴様。このベルトロイ・バーゼスめ。今はミラ部隊長閣下と呼ぶのが普通だろ」

「いや普通じゃないし人の名前を悪口みたいに言うのやめてもらえません?」


 心底がっかりした顔を向けられてベルトロイが無表情で右手を左右に振る。


「じゃなくて。公国の連中、いつ動くんでしょうね」


 話題を変えるために、今最も欲している情報へと切り替えた。

 今日に至るまで、公国から出兵したと言う報告は上がっていない。周辺地域の魔物が魔獣使いによって集められている事までは知らされているが、そこから先は何一つ開示されておらず、一抹の不安が拭えなかった。

 ミラは僅かに歩く速度を落とし、顎に手を当てて何かを考えた。


「一応情報はあるんだがあまり言いたくない」

「言いたくないって……」

「それはあれっすか。機密の問題で?」

「いいや、気が滅入るからだ。ポウル・デルフィ、貴様は今の状況で起こる可能性が考えつくか?」

「うぇ!? えー、そうですね、例えばー、この遠征の隙を突いてくる、なんて」

「あれほど念入りに指導したせいで脳みそも筋肉になったか? リーヴァル・オード・シュトライフ、貴様はどうだ」

「え、あ、はい。公国寄りの貴族の謀反でしょうか」

「正解だ。既に16の貴族が公国側に付いたと報告が来ている」


 たしかに気の滅入る話だった。

 レスティア大陸の貴族は皆王国に所属している。公国も特殊ではあるが一応は王国の貴族扱いだ。領地を治め国に貢献する立場である貴族が数多く公国に手を貸したなどむしろ聞きたくなかった。


「さて、ではマリアンヌ・フォン・フランルージュ。貴様とは一度話をしているが、そこから考えられるのはなんだ?」


 貴族の恥を聞いて更に不機嫌になったマリアンヌをわざと指摘したミラに、男達は苦い顔を作る。ぴくりと眉を引くつかせたマリアンヌは、大きく深呼吸をしてから口を開く。一応は上官である以上その指示に従わなければならないことを恨めしいと瞳で語っていた。


「戦場の数が増えるでしょう。公国側と王国側の貴族がそこかしこでぶつかり合うことになってしまう。現在国だけでみる戦力は王国が有利ですが、それも大きな差ではありません。むしろ数だけで考えると公国の方が多い可能性があります」


 魔獣使いというのは使役する方法とは別に洗脳することも可能だ。下級の魔物に限られてくるが、この方法だと数に制限が生まれる使役と違って魔術師の力量にもよるが理論上無限に配下を作れる。

 下級の魔物は単体だと雑魚だが、量で押し切られればそうもいかなくなる。敵はその量を十二分に集めていると考えられていた。

 そうなると外部から、領地を持つ貴族の招集を当てにしたいが、マリアンヌの言う通り公国側の貴族から妨害が行われる可能性があって迂闊に動かすことが出来ない。可能な限り人員を保持していたい王国にとってこれは厳しい問題だった。


「神都の神聖騎士が加われば、逆に王国が不利になりますね。ただでさえ数の多いであろう公国を相手にしながら神都へ向けて騎士を差し向けなければならなくなってしまいますから」

「その通り。では連中はどうやって攻めてくると思う? またベルトロイ・バーゼスに戻そう」

「やっぱり多面作戦でしょう。命令系統なんてどうせぐちゃぐちゃでしょうから好き勝手に王国目指して攻めてくるんじゃないです?」

「うん。十分あり得ることだ。だが少し足りん。ポウル・デルフィ」

「う、お、俺もベルトロイと同意見です」

「この筋肉がっ。ならリーヴァル・オード・シュトライフ」

「大きな差がないなら戦略でしょう。どこか有利な位置取りをする、とか」


 そうは言っても、この周辺で戦略上重要になる場所などほとんど存在しない。公国、王国、神都を繋ぐ大地はほぼ平地で遮蔽物もない。野戦になるのは避けられず、優劣などあるとは思えない。

 そこまで考えて、皆の顔がひとつの予想を打ち立てた。それもマリアンヌが更にキレてしまいそうな予想を。


「ま、まさかとは思いますが、公国が聖地や森を使うと?」


 唯一存在するのは遮蔽物の多いフィレンツの森と少し高いディエルコルテの丘。よりにもよって聖地を決戦の舞台に選ぶなど普通に考えては思いつくものではないし実行しようなど微塵も思わない。

 だが、そうであれば。


「魔物は野戦で来るだろうな。神聖は森に行き届いているから亜人のような知性のある魔物でなければ踏み入ることが出来ん。だが、どこぞの貴族がディエルコルテの丘に拠点を作ったりするとまずい」

「森を抜けての強襲にも警戒ですか。最悪ですよ本当に」

「向こうがなりふり構うことはないだろうな。信仰より金を選ぶ連中だ、しきたりや禁忌など平気で犯してくるぞ」

「でも神都を制圧することは考慮していないんすよね」

「神都を奪えれば丘を奪われようがどうされようが思惑を潰せるがそんな余裕は王国には無い。遠征軍が駐留出来ればいいや程度だな。それも大した意味はないだろうが、神都で得られる情報は重要になる」


 要するに、後手にしか回れないと言う訳だ。公国を野放しにしてきたツケが此処で回ってきている。

 神都、公国周辺の貴族は全て公国側に付いていると思っていい。王国からでは神都の裏を移動する公国の軍を察知することが難しく、胡散臭い視察と思われても最前線に兵を配置するくらいしか対処が出来ないのだ。

 神都が快く承諾したことが気にかかるが、それ以上を考えても実際に見てみなければ分からない。

 これより先は不毛な会話にしかならなかった。



 だらだらとした行軍が続く。極秘任務と謳っているのだからある程度の緊張感があってもいいのだが、この森に人が来ることなどまず無いし、加えて魔物も神聖があれば立ち入ることはないと言う意識があるからだろう。

 ただの旅を思わせる気楽さ。だが今後の事を思うとどうしても気分が鬱屈としてしまう。それを紛らわせるように男たちは取り留めのない話で静寂を作らないよう声を上げていた。

 マリアンヌはそんな彼らの背中を見つめながらも、ピリピリとした空気を放っている。遊びではないんだぞと内心の苛立ちが表に現れていた。

 言いたくはないが、ここは既に敵地だ。実際にそうかは判断出来ないが、そう思って行動して然るべきだと。神都の現状を考えれば当然の判断だろう。

 同年代と比べて大人びているせいか思考が堅苦しい。そのせいでこうしてチームを組むことも殆ど無く、組んだとしても煙たがれることが多い。

 良くも悪くも貴族らしい。そんな生真面目な彼女だったからこそ、森の中で自分達とは違う音を感じ取ったのだろう。

 その足が止まる。


「今、何か聞こえませんでしたか?」


 追従する気配が離れたことに気付いたベルトロイが振り向くと同時に、マリアンヌの口から零れた言葉。その意味をはっきりと理解出来ず、僅かに首を傾げる。


「なにかって――」


 なんだ?

 そう問い掛ける間もなく、森の奥、ディエルコルテの丘に近い方向から、微かに声が聞こえてきた。

 それは決して話し声ではない。怒声でもない。

 紛れも無い――悲鳴だ。


「悲鳴!? なんでこんなところで……っていねぇ!?」


 疑問をポウルが口にするよりも早く、ベルトロイとミラが駆け出していた。ベルトロイは正義感から。ミラは使命感から。

 疾走する2つの人影は、女が男を引き離して奥へと突き進む。矢のように障害物を諸共せず走るミラは流れる木々を横目に、声の正体を視界に収めた。


「いや、いやぁ! やだ、放して!」


 声の主は少女だった。高価であろう紫黒のゴシックドレスに身を包み、手にはバスケット。その中から薬草がこぼれており、この少女が何をしに森に入ってきたのか容易く想像できた。

 人形のように整った顔立ちを歪め、病的なまでに白い肌を紅潮させて振り払おうとする少女。脚で蹴りつけようとする動きの先には、ドレスの裾に鋭い牙を立てて激しく首を振り乱す猫がいた。

 【エンヴィーキャット】と呼ばれる、この近辺に生息している大きな猫の姿をした魔物だ。顔が人間の女に似ており、毛むくじゃらの体は少女の倍はある。

 なぜ森の中に、と言う疑問を抱くよりも早くミラは剥き出しになった木の根を砕く勢いで踏みつけて高く跳躍する。少女に夢中になっているのか、エンヴィーキャットはミラの接近に気付かず小枝のように細い少女の脚に向けて喰らいつこうとするところだった。


「いやあああああああああ!!」


 愛らしい金切り声を上げて化け猫から逃げようとする彼女の前に、ズドンと人が降り注いだ。

 途端に舞い上がる赤い飛沫に反比例して地面に落下する、大口を開けた魔物の顔。体を吹き出す鮮血に染めながら死骸を一瞥するミラに、少女は目を丸くするしかなかった。


「ミラ隊長!」


 停止した2人だったが、第三者の介入でようやく動き出す。

 真っ先にベルトロイが辿り着いて惨状に眉をしかめ、続いてやってくる者達は皆息を切らせて遅ればせながら到着した。


「何故魔物が森に……」

「さあ、な。分かるのは公国が既に動いてるってことだけだ」


 エンヴィーキャットの切り落とした頸を蹴り飛ばす。転がった頸の頭頂部には、強引に刻み込まれた魔法陣が見えた。公国が用いるテイムの技法。その痕跡。

 聖地の持つ神聖は自由意志を奪われた魔物には作用しないのだろうかと仮説を立ててみるが、結果として森に敵が踏み込める事実がある以上考える必要はない。


「遊んでいるわけにはいかなくなったな」

「いや、遊んではいなかったですけど。それで、この子は?」


 にやつくミラの言葉に脊髄反射で否定したベルトロイが、視線をへたり込んだままの少女に向ける。大きなまん丸の瞳に溢れそうなくらい涙を溜めて小さく震える少女。

 人が踏み入ることの少ない森には珍しい薬草などが自生しており、それを取りに来たところで襲われたのだろう。胸の前で抱きしめるバスケットを見てベルトロイはそう判断した。

 ミラも少女に目を向けたが、面倒臭そうに舌を打ち鳴らしてそっぽを向いた。子供が苦手なようで、「任せる」とその場にいた4人に言い残して何処かへと消える。逃げるついでの哨戒に出たようだ。


「えっと、大丈夫? 怪我とか、ありませんか?」


 任されても困ると男3人は顔を見合わせて困った。どう見ても少女なのだが、異様に色気がある。その表情もそうだし、まくれ上がったスカートから伸びる白く細い脚に、その奥に見えてしまいそうな下着に目が向いてしまいそうで、健全な気持ちで向き合えそうにないのである。

 そんな馬鹿共の内心を察したのか、一瞬キツイ視線を3人に向けてからマリアンヌが不器用な笑顔を作って少女の側に膝をついた。

 実は子供好きなマリアンヌ。でも顔が怖いと泣かれることが多い。今回は精一杯の笑顔を浮かべているが、リーヴァルが軽く後退るような顔をしていた。

 だが、少女は自分と目線を合わせて話しかけてくれたマリアンヌに安心したのか、ほう、と一つ息を吐いて目元を拭い、姿勢を正してからぺこりとお辞儀する。


「あの、ありがとうございます。助けてくれる人なんていないと思ってて」


 少女もこの森に入る意味を理解しているのだろう。同時に魔物の脅威がないことも知っていたはずだ。それなのに襲われたとなれば、その絶望感は如何程のものだったか。

 気丈に振る舞う少女の姿に、マリアンヌの表情が僅かに緩む。少しばかり硬さの消えたマリアンヌは、少女に手を差し伸べて立ち上がらせようとするが、腰が抜けているようで困ったように笑った。


「す、すみません」

「いいえ、大丈夫ですよ。ゆっくりで構いませんから」

「ありがとうございます……」

「どうして森の中に? 此処は立入禁止になっていると思うのですけれど」


 身なりから暮らしに困っているようには見えない。服もそうだが、髪もしっかり手入れされている。薬に困る生活をしているようには見えなかった。

 マリアンヌの問いに、少女は体を硬直させる。言えない事情があるのか、視線をきょろきょろと彷徨わせてから、また困ったように微笑む。

 不器用な笑顔を向けながらも、マリアンヌは警戒心を抱いている。

 公国の罠の可能性もあるのだ。先ほどの流れが策略で、油断させてこの少女がさくっとしてくるなんてことも有り得なくはない。

 うんうんと唸る少女を油断せず見つめていると、決心したのか目に力がこもり、マリアンヌに背中を向けた。

 何をするのかと思ったが、ドレスの背中に奇妙なスリットが2つ入っていることに気付く。疑問に思っていると、白い肌が奇妙に蠢き、次の瞬間大きく、大きく蝙蝠の翼が広げられた。


「なっ――!」


 膝をついた姿勢から一気に飛び退いて武器を構える。ベルトロイ達も少女の変化に気付いて腰に提げた剣に手をかけた。

 その体に似合わぬ大きな蝙蝠の羽。一度二度とはためかせ、ゆっくりと振り向いた少女は悲しげに眉を潜ませていた。


「私の名はフィルミリア。住んでいた土地を追い出された、惨めな魔族です」


 知性のある魔物は神聖の影響を受けない。それが善であろうと、悪であろうと。

 フィルミリアを名乗った少女がどちらなのか、警戒する騎士を悲しげに見つめる少女の瞳は、僅かに半月を描いた。





 エステルドバロニアの地下図書館。

 望んで足を踏み入れる者など数少ない冥府の書庫。

 暗く淀んだ室内に漂う幽霊が、しきりにある一角を何度も往復して遠目に様子を見ている。

 魔法陣の描かれた巨大な円卓の隅にぽつんと灯る蝋燭の火。肌寒い風に揺られて不安定に燃える炎の側には、様々な本が山積みにされていた。

 怨霊の呻き声をBGMにして、パラパラと紙をめくる音が鳴る。本の山に埋もれた人影は顔を上げると、疲れたように欠伸を一つ。


「俺の知ってる歴史と違いすぎる……」


 声の主は、エステルドバロニア唯一の人間、カロンである。

 こんなリアル幽霊屋敷に一人でやってきている彼は、バハラルカに命じてくにの歴史書をかき集めさせ、一冊一冊流し読みしていた。

 初めて訪れた時こそ恐怖でいっぱいだったが、いい加減に慣れるものらしい。バハラルカだけがネックだが、見た目以外に感じるプレッシャーが弱い浮遊霊程度じゃ驚けなくなりだした。

 むしろ、ここの幽霊が癒しの存在になりだしている。遠くからチラチラッとこちらを窺う白いフワフワしたもの。ちょっと手招きするとビクビクしながら近付き、ヒンヤリした体を触らせてくれる。

 喋らないし表情もない。ただ小動物を思わせる行動が、なんとも言えない安らぎをカロンに与えていた。


 まぁ、その癒しがよりにもよって幽霊に感じている辺り、大分間違っているが。

 いや、カロンが悪いんじゃない。軍団長達にその要素がないことが問題なのである、と言い訳をしておく。


 ともかく、魔物ですら忌避する図書館に通い慣れたカロンはこの国の歴史を重点的に調べている。

 最初訪れた時はルシュカ達も居たからと深く調べることはせずに終わり、変なプライドから一人で訪れるようになってからは人間との交流の記述と歴史にポイントを当てている。


 結果だけを言うなら、ほとんど価値のない代物ばかりであった。


 バハラルカの用意する書物の尽くが、カロンの事ばかり記してあるのだ。

 あの時こう決断なさった。あの時こう指示を出された。あの時この魔物を参入させた。あの時あの国を滅ぼした。

 読めば読むほど辟易としてくる。何故自分の英雄譚なんかを読まねばならんのだろうか。

 バハラルカ曰く国宝級の書物らしいが、カロンにしてみれば誇大妄想のメモ帳レベルにしか思えない。


「面倒くさい……」


 誰かに代役を任せたい。しかしこれを記したのが魔物だから、纏められる情報も偏るのではと懸念してしまう。結局カロンがやるしかない。

 近くにいた丸い幽霊を枕にして机に突っ伏し、どうにか集めた情報を整理する。


 まず、魔物達は人間に対して良い印象を持っていない。

 これは当然予想していた。害獣のように扱われてきたことへの不満が積もり積もっているのだから仕方がないだろう。

 人間側も魔物は悪と断じてきた為、両種族が協和したことは表面上ではあっても根本は敵対したままだったらしい。

 しかし交易や交流に対して否定的な意見は意外と少なく感じた。

 魔物の持つ技術と人間の持つ技術は違いが多く、解りやすく言うならば高性能で古いのが魔物の技術。平凡だが革新的なのが人間の技術、と言う感じになる。

 感情はともかくとして有益であることは認められる点を知れたのは大きな収穫だ。

 カロンが行なってきた政策で何度か交流を持ったが不満は少なかったらしい。最終的に滅ぼしてきたのでそこで溜飲が下がった可能性もあるが、概ね賛成と見れる。


「協力はしてやるが共存はしたくない、ってとこか。お互いに知性を持った獣目線じゃ難しいんだろうな」

「ギギギギ、カカカカカカロ、カロン様アアアガガガガガ」

「ああ、はいはい。そこに置いておいてくれ」


 顔を横たわらせてノートをめくるカロンの前にふわりと近づいた脊髄の尾を生やすバハラルカの壊れた声にも最早慣れた。適当にあしらおうと生返事を返す。

 バハラルカも慣れれば小動物っぽくはある。嬉々としてカロンの指示に従うし、しっぽの代わりに背骨を振るし。そう言えなくもないので、落ち着いて観察するとそこまで恐ろしいとも感じない。

 次の指示を大人しく傍に座って(足はないが)待つ彼女? をちらりと一瞥して、また思案に戻る。


(前の世界の転移前はこっちが圧倒的強者で搾取する側だったけど、それでも勇者や英雄を冠する奴らは団長数人当てないと厳しい戦いを強いられた。この世界のヒーローがどれくらいかが分からない。強気のままで居られない)


 この認識はルシュカと共に合意に至っている。

 そう思っているのはカロンだけであって、ルシュカから各団長に伝えられた際には、「だから戦力を把握してから掌握する」と余計な部分が付け加えられていたことを彼は知らない。

 そして今後魔物の意識改革に必要なのは、なによりもまず王がその姿勢を見せて行動することだ、との結論も出ていた。

 既に共存は宣言されているので、王の方向性を皆知った。そこに様々な想いはあれど、まずは受け入れてみようと考え始めている。それだけの意識が国民には植え付けられていた。


「法律に関しては殆ど分からずじまい。何処かで一度視察の名目で街に出てみる必要があるのかな」


 座して指示を飛ばすのも悪くはないが、それでは平穏が遥か彼方になってしまう。徐々に魔物との生活に慣れ親しんできた今であれば、以前のようにフードを被って怯えながら歩くことをしなくても平気じゃないかと思い始めている。

 ひんやりとした枕代わりの霊魂を指で突きながら自分も大分肝が座ってきたなと思っていた。



「カロオオオオオン!!」


 が、突発的なことには弱い。

 強烈な音を立てて遥か上から炸裂音と共に自分の名を叫ぶ声が聞こえた。

 ビクンと椅子から落ちそうな勢いで飛び上がったカロンが見上げた先には――垂直に降ってくる物体。


「……ヒッ!」


 目の前に真っ直ぐ落ちてきた物体をバハラルカが空中で受け止める。それは図書館の入口にあるはずの鋼鉄の扉だった。

 あと少し遅ければカロンの頭は上下で真っ二つになっていたかもしれず、目の前で鈍く光る鋼の色に血の気が引いていく。


「カカカロンさ、さままゴゴゴゴゴ、だいじょ、じょうぶでで、です、かギギギ!」


 咄嗟に扉を掴んだバハラルカが心配して声をかけるも、頭が真っ白になっているカロンに返答をする余裕はない。


「カロンカロンカロオオオン! 聞いたぞ面白いことが神都で起きるんだろう! なぁなぁちょっと遊びに行ってみよう! 少し、少しでいいから!」

「ええい、待てこの雌狐! 王の邪魔をするなと何度言わせれば分かる! 止まれ、おい、止まれっつってんだろ!」

「よっし捕まえ――うごっ!」

「くそっ、守善がやられた!」

「構うな踏み越えろ!」

「待てー! 御用だ御用だー!」


 あれほど静かだった図書館の中が一気に騒がしくなり、どうにも聞き覚えのある声達が一斉に駆け下りてきている。

 やいのやいのと騒ぎながら、カロンが本当にどうでもいいことで死にそうになっているのも知らずやってくる馬鹿複数。

 呆然としているカロンの目の前に突如現れたのは、階段から飛び降りてきた梔子姫だった。踏みつけられた本や紙が一気に舞い上がる。カロンが作ったノートまでも。

 目の前でヒラヒラと揺れる紙を掴もうと手を伸ばそうとするが、がっちりと肩を掴まれたせいで阻害されてしまった。


「カロン! 遊びに行くか!? 行くんだな! よし、なら行こう!」

「え、なに、ちょっと」

「そうと決まればすぐに行こう! なに、ほんの旅行気分だ。君は大船に乗ったつもりでいるといいよ何せこの梔子姫が守るんだからね!」

「はな、話が見えない……」


 がくがくと両肩を揺すられれば誰だって頷く。ガクンガクンと首を前後に揺らして事態を把握できていないカロンは梔子姫の肩に担がれる形になった。


「貴様! 何気安く王に触れている! うらやまっ、けしかっ、とにかくカロン様を離せ!」

「ふっふ、カロンはこれから私と休暇だ。惨めに働き給えよ諸君」


 円卓の上に仁王立ちしてカロンを担ぎ、到着した団長達に背を向ける姿は姫を攫う悪い騎士の様。

 はっはっはと高笑いを残して高度な転移魔術を発動させて姿を掻き消した梔子姫を追うように、また騒々しくルシュカ達が図書館から退場する。

 あとに残されたのは静々と本を集めながらほろりと涙を零すバハラルカ。


 後日、彼女達がリュミエールによって背筋の凍る説教を食らったのは余談である。




勢いだけで書いたので出来はお察し。

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