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エステルドバロニア  作者: 百黒
3章 王国と公国
30/93

6 魔窟

 


エステルドバロニアによって属国化された国、神都ディルアーゼル。

 属国と呼んではいても実際は放し飼いにされている。金銭の要求もなく、関与もしてこない。ただ魔物の国の存在を隠せとだけ伝えられ、日々監視の目に晒されながらも生活を営んでいた。

 そんなディルアーゼルの神殿に、早馬が訪れた。それも2つも。

 一つは、エステルドバロニアからの使者。もう一つは王国からの使者。どちらも神都に良い話とは思えず、だが聞かぬ訳にはいかぬと両国の使者からの言葉をしかと聞く。


「カロン様より、神都から人間を派遣させてほしいとのことだ。無論拒否権はない」

「神都に不穏な噂が流れており、その真偽を確かめるべく王立騎士団が7日後に訪問する。迎え入れる用意をするように」


 どちらも、考えたくない問題だった。



 謁見の間にて、神都の運営を担う面々が眉間に深いシワを作り上げて王国の使者が居た場所を無言で睨みつけていた。


「どうすればいいのでしょうか……」


 呟いたのは、高き位置に座るアーゼライの神子。教皇エイラ・クラン・アーゼルは何から手をつけてよいものかと困り切っている。


「まずはエステルドバロニアへと連絡するのが宜しいかと」


 エイラの隣に並んでいるのは、神官だった。

 あの元老院の敷いてきた圧政に反抗してきた者は数少なく、しかし存在はしていた。その中の1人が、元老院にも劣らぬ年老いた男。曲がった腰に骸骨を思わせるコケた顔をした神官長ノレッド・アイマンである。

 語られることはなかったが、この神殿に従事する者達は街に暮らす人々のように記憶の改竄を受けてはいない。

 エルフ達だけで政治など行えぬだろうと配慮してのことだが、魔物の記憶が残っているのは相当な恐怖がある。おかげで何人もの神官がトラウマで家から出なくなったり、些細な事にも異常な反応をするようになっていた。

 残るのは凄惨な光景にさしたる感慨を抱かなかった者か、元老院のやり方に反感を抱いていた者だけだ。

 神聖騎士が消え去り、神官も多くがドロップアウトし、広い謁見の間は埋め尽くすだけ人がいたのが半月前のこととは思えない。胸に去来する奇妙な悲しみと一抹の喜びに、エイラはその年で見せるには随分と大人びた顔を作った。

 ノレッドがゆっくりと段を降りながら、エイラの正面に移動すると進言する。


「これは我々だけの問題ではありますまい。政治関与は行わぬと言っていたそうですが、王国が動くとなれば彼らにも不都合が御座いましょう」

「そう、でしょうか。あの人達にとって私達は捨ておいても構わないはずです。神都に依存しているのは王国と公国。私達が何をしようと、あの人達に被害は一つもありませんよ?」

「……それは」

「ノレッドの気持ちも分かります。こうなった責任は彼らにもあると。ですが今を望んだのは私達です。たとえ望まぬ形だったとしても、この今があるのはあの方々のおかげなのです。とにかく、まず市民に掛けられた隷属の呪ですが」

「では、そちらは我々にお任せを」


 2人の会話に割って入ったのは、エルフを代表してこの場に参加していたオルフェアだった。

 魔術を使えば、元の隷属の呪の術式を改変して印の位置を変えれないこともない。神都全域に魔物によって認識阻害の魔術が張り巡らされており、この神都から出た瞬間に記憶の忘却が起こるようになっているので、騎士団が滞在している間を凌げさえすればいいと彼女は考えている。

 しかしノレッドは渋い顔でオルフェアを見つめた。何か不味いことをいっただろうかと考えるオルフェアだが、ノレッドが紡いだ言葉は別のものだった。


「隠蔽は諦めた方がいい。下手に隠して知られた時を考えると恐ろしい」

「で、ではどうすると」

「そのままにしておきましょう」


 放置する。そう言ってのけたノレッドに懐疑の目がいくつも向けられるも、気にした様子もなく淡々と説明を始めた。


「王国にどの程度の情報が入っているのかは存じえませぬ。ただエルフの扱いは噂程度に知られていることでしょう。あの老人共は信者の心を上手く突いておりましたが、ただの行商人の口に鍵をかけるほど気を回していなかったので」

「それは、見て見ぬふりをされていた、と……」

「そうでしょうな。神都に異を唱える者も、国もいないのが現状です。いや、でした。しかし今は違う。このアーゼライ教の総本山、その政権から老人が消え、代わりに虐げられていたエルフが台頭したとなれば周囲は敵と見なすでしょう。ですが、その噂を上手く用いれば或いは」


 今頃、エステルドバロニアが現れていなかったらどうなっていたのか。きっと惨たらしく死ぬまでそのままだったことだろう。

 恩があるのだ。口にはせずとも、その気持はある。同時に関与されたくないとも思う。しかし伝える必要はあるし、指揮を仰ぐ必要もある。


「今一度あの国の使者をお呼びして王へと伝えてもらわねばなりませんな。策は私の中に御座います。ただ一つ問題が」

「隷属の呪に関する話ではないのですか?」

「いえ、私がお尋ねしたいのは別なのです」


 それが本題だと思い込んでいたエイラは可愛らしく首を傾げた。


「呪は私の腹案でどうにかしてみせます。問題は――神聖騎士が1人足りともいないことなのです」


 そう。この国に多く存在していた神聖騎士が根絶やしにされたことが問題だった。

 これは隠したり誤魔化したり出来るものではない。神都内を見れば一目瞭然なのだ。今はエルフが警備をしているが、そこには本来神聖騎士が居るべき場所。国の入り口の時点で不審に思われてしまう。


「市民を隷属の呪にて神聖騎士に扮させると言うのは……」

「オルフェア殿。それはいかん。あの老人と同じ事をすることになるぞ」


 ふと湧いた案は痛烈な反論で掻き消される。

 あくまでも隷属の呪は平穏な暮らしに戻れるように記憶を消すために用いているのであって、想いのままに操るためではない。そんなことをすれば同類となると言われれば、安易な考えだったと深々と頭を下げて謝罪した。


「人員を集めるなど不可能ですよね。私が加護を授けたとしても、付け焼刃に過ぎませんし。エステルドバロニアから呼ぶのはどうですか? 魔物であっても加護を授ければ神聖騎士になることは可能なはずです」

「私としてもそれが望ましいですが、その要請では我々の方が上の目線になってしまいます。協力を仰ぐにしても、此方の都合に向こうが合わせてくれるかは確証が得られません」

「そうですか。確かに、呪法よりも難しい問題ですね」

「やはり魔物の国に頼らざるを得ないでしょうか。何か腹案が浮かべばと思いお尋ねしたのですが」

「私達は何をするにも人手も伝手もありません。これがアーゼライ教の総本山など笑い話にもなりませんが、無い袖を振ったところで出てくる答えは変わらないのでしょう……」

「どうにか交渉が出来れば良いのですが。王国来訪の件をお伝えすると同時に、尋ねてみます」


 自分が行くと、ノレッドは暗に告げた。

 エルフは大事な労働力なのであまり手を割きたくはない。かといって若い神官に任せるには荷が重すぎる。適任なのはノレッドしかいない。

 申し訳なさから自然とエイラの頭が下がる。心優しい神子を見つめて、老いた神官は目尻に皺を寄せて白い髭を数回撫であげる。


「では、王国への対応は任せます。次にそのエステルドバロニアからの要請なのですが……」

「詳しいお話は書面にて確認しております。なんでも、この世界の歴史に詳しく薬学の知識を持つ者とのことで」

「そうなると、やはり神官の方に頼むことになるのでしょうか」

「そうでしょうな」

「あの、我々では駄目なのでしょうか」


 またもオルフェアが会話に割り込むが、ゆるゆると首を左右に振られてまた意味の無い進言だったと肩を落とした。

 今やエイラとノレッドで神都の内政を回しているに等しい。そんな姿を見ていれば少しでも手助けしたいと思うのだが、御母堂やシエレと違って頭よりも体を動かす方が得意なオルフェアでは少々難しいようだった。

 がっくりと項垂れてしまったオルフェアを後で宥めてあげなきゃとエイラが苦笑しながら彼女を見つめている時に、ノレッドは1人の神官を見つめていた。

 この要望は、どうとも解釈できる。人質、研究材料、純粋な講師役。あの戦争の光景を思えば前者2つの線が濃厚に見えてしまうが、ノレッドは素直にその要望の意味を考えた。

 今の今まで何も要求せず、されず、今になって人手を貸せと言ってきた。前者2つだとするならもっと早い段階で――それこそ神聖騎士を捕らえることが出来たはず。

 では、後者だとすればどうだ。説明はつく。捕縛した人間を使うよりも扱いやすいだろう。丁寧に使者まで出して報告してきたのだから。

 心象も良く、無理もない。相手が魔物だと言うのを考慮しなければ十分に考えられる。

 しかしそれが正しかったとしても、選ばれた者は悪い方向へと考えるに違いない。ここまで考えたノレッドもまだ最悪の可能性を捨て切れていないのだから。


「……騎士団が訪れることを考えると、ノレッドをそのまま送るわけにはいきません。どなたか、引き受けてくださる方はいませんか?」


 キョロキョロと周りを神官達は見つめて誰か居るだろうかと確認する。静かに、1人の男が手を挙げた。


「私が、行きます」


 その男は白い祭司服を着た若い男だ。髪を全て後ろで纏めており、神官にしては精悍な顔つきをしている。

 皆の視線が集まる。その手は微かに震えているが、笑う声は一つとして上がることはない。この決断を、嘲ることなど誰にも出来はしなかった。


「タイラーさん……」


 エイラも、その男の評判は聞き及んでいる。神官の中ではもっとも年若く、誠実で熱心に信仰している将来を期待された人だと。


「わ、私は親類は王国ですし妻子も恋人もいません。私が行くべき、かと」


 もっとも若輩となると、神都の今後に大切な人材とも言える。彼を異形の地に送り込んでよいものか。だが言い換えれば大切な人材だからこそ送り込むべきともとれる。

 決断を下すのはノレッドではない。幼くして教皇の位に座す彼女が責務を負うべきことだった。


「教皇様、私も初めは同伴いたしますので」

「ええ。ええ、そうですね。タイラーさん、お願いできますか?」

「お任せ、ください」


 まだ葛藤があるのだろう。言葉に力はない。

 託す他ない。罪は負おう。ゆっくりと瞑目したエイラは、静かに崇める神と彼の王へ祈った。

 どうかこの神都に再び平和が訪れんことをと。





 エステルドバロニアの王城。もとい中央の塔の真下には幾つかの階層がある。その中でも政務官達が足繁く通う場所が第4層目に存在していた。


 図書館。またの名を――亡霊の館。


 この呼び名は多くのバロニア兵が語り継いでいるのであって、カロンの意図ではない。まあ原因は確かにカロンにあるが、そこまで畏怖されるようにしているつもりはなかった。

 薄暗く、辛うじて蝋燭の火が足元を照らす程度の光。埃が舞っているわけでもないのに空気が淀んでおり、時折聞こえてくる奇怪な音や声に屈強な魔物であってもビクビクしてしまう。

 この場所を取り纏めているのは第9団。前線部隊と違い、非常時には後衛として戦争に参加する者達が集っている。

 そして亡霊の館と呼ばれるとおり、配備されているのは皆死霊や悪霊と言った肉体を持たない存在たち。好んで近寄りたがらないのも無理はない。殴って殺せる存在ではないのだから。

 しかし、此処に来る必要はどうしてもあった。調べておくべきことが沢山あるのだ。人間に対する知識。国の歴史。知らない書物もあるのか等。

 コンソールウィンドウで見ることの出来る情報は限られている。事細かに何もかも表示されるとプレイヤーに煩わしいだろうと配慮されており、詳しいことを知るためには書物を見る必要があった。これもなかなかに手間ではあるが、必要な時に見る程度ならそこまで苦ではないし、使用する機会も殆どないのだ。事実カロンは一度も利用したことがなかった。

 城に引き篭もっているばかりでは知れないことも多い。だからどうしても、どうしても来なければならなかった。


「……帰りたい」


 ぼそりと呟いたカロンの言葉は、付き人として選んだルシュカと梔子姫の耳には届かなかった。

 天まで伸びる本棚の壁。螺旋状に作られた階段を下りながら、その下でちらちらと見える白い影に時折びくりと硬直した。

 とにかく底が見えないほど暗い空間を歩くだけでも恐怖が身を包むというのに、現実ではいるかいないかも分からない存在が間違いなくいると知っていると怖さも倍増である。


「カロン様、お気を付けください」


 カロンが僅かに足を止めただけで、先頭に立ってランタンで足元を照らすルシュカが振り向く。カロンが少し足を踏み外したのではと気にしているが、そんなことはない。


「大丈夫だ」


 精一杯の虚勢を張ってみせるカロンにルシュカは微笑んで頷いたが、その視線がカロンの背後に移ると途端に鋭い顔つきとなる。


「梔子、カロン様にお怪我があったらただでは済まさんぞ」

「おお、怖い怖い。あのねぇルシュカ、君は僕をなんだと思っているんだい? 君がこの螺旋を転げ落ちて首の骨を折る程度なら気にしないけど、カロンに何かあるようなら直ぐに助けるさ」


 バチバチと、暗い図書館の中で青白い火花を幻視した気がする。

 カロンが怯えているのは、この2人の仲の悪さも原因だった。

 カロンの中で最初期のメンバーは仲が良いと勝手に思っていた。性格付けで多少の不和はあるものの、それでもゲーム内時間で100年以上も一緒に居たのだから苦楽を共にした関係を築いているものだと。

 しかしその読みは大きく外れる。2人に声をかけ、カロンの部屋に喜び勇んで現れた2人はその瞬間から激しい敵意を剥き出しにしたのだ。


(くそぅ、100年の歴史はなんだったんだよ)


 あいにくと、魔物にとっての100年など些細な年月で、その程度で簡単に変わるものではない。ましてカロンがその根幹にいるのだから変わろうはずもなかった。

 陰鬱とした空気を醸し出すカロンの姿を見て、2人は睨み合いをすぐにやめた。

 さすがに彼女たちも馬鹿ではない。何が原因でカロンが暗い空気を漂わせているのか予想が付いていた。


(きっと梔子が目障りなのでしょう)

(きっとルシュカが疎ましいんだな)


 正しくとは言っていない。

 気に食わない相手よりも忠実な僕であると誇示するように一定の間隔を保ってカロンを誘導する姿は良いのか悪いのか。カロンの苦悩がカロンの与り知らぬところで解決するはずもなく、ただ項垂れるカロンとその僕は最深部をゆっくり目指していった。



 3人が最深部に辿り着いた頃には、ずっと見えていた白い影は姿を消していた。代わりに目を奪うのは、中心に置かれた薄ぼんやりと淡い緑に光る大きな円卓だ。会議室にあるようなものではなく、天板に巨大な魔法陣の描かれたものだ。怪しい雰囲気を醸し出しており、今にも奇妙な術が発動しそうに見える。

 ずっと耳障りに聞こえていた音はぱったり止んでおり、それが余計にカロンの恐怖を煽った。

 無音の広い空間の中で、足音だけが反響する。言葉一つ発するにも不安を掻き立てるのに、ルシュカも梔子姫も気を遣って言葉をかけてなどくれはしない。

 円卓の元まで辿り着くと、ランタンを円卓の上に置いてルシュカがいそいそと用意を始める。暗闇を苦にせず乱れない足取りで四方八方に歩き回りながら、灯されている蝋燭の量を増やしていった。

 徐々に明るくなっていく図書館の底。たった3人だけしか居ない場所のはずなのに、余計な足音がカロンの耳に届いた。

 規則正しく動く音は間違いなくルシュカだが、徐々に近づいてくる音はその合間に聞こえてくる。気のせいだと頭を振ってもその音が消えることはない。ゆっくり、ゆっくり、ルシュカの3歩の中に不可解な1歩が鳴っている。

 梔子姫はなんの反応も示さず、ただカロンの後ろに佇んでいるだけだ。危険がないことを意味するのだが、危険かどうかなどカロンには関係がなかった。

 ひゅうと喉が渇いた音を立てる。暗闇の奥から少しづつ近づいてくる音がついに光の下までやってきた辺りで、意識が軽く飛びそうになった。


「あら、カロン様。どうされたのですか?」


 カロンにとっての混沌から現れたのは、橙の明かりに金色の髪を輝かせたリュミエールである。


「っか、はっ、お、脅かすな……」


 息が止まりそうだったことに気付いて無理やり空気を吸い込んだ。そんなカロンの様子にリュミエールは申し訳なさそうに微笑んだ。


「ふふふ、カロンも人間だな。見えぬ世界は怖いのか」


 音の正体に気付いていた梔子姫は安堵の息を漏らすカロンを見て小さく笑う。じろりと睨まれてわざとらしく肩を竦めてみせたが、侮蔑や嘲笑の意味は何もない。

 それが人間として正しいのだ。闇夜を無意味なまでに照らして知らない世界を掻き消そうとするのは当然の行動と言える。夜目が利くわけじゃなければ気配も探れはしない。本当にただの人間なのだと再認識して、梔子姫は小さく笑う。


「知っていたなら教えろ」

「ごめんよ。カロンが本当に人間のままか確かめたくて」

「まったく、なんなのだお前は。人をからかってばかりで」

「これも愛だよカロン」

「妄想が行き過ぎて分別も弁えられないほど脳みそが腐っている女狐のことなど放っておいて大丈夫ですよカロン様。そのうち拗らせて死ぬでしょうから」


 ようやく明かりを灯し終えたルシュカが梔子姫を睨みつけながら近くまでやってくる。先程の反撃とばかりに辛辣な言葉を投げつけられ、一瞬梔子姫の眉間がひくついた。


「言うじゃないか。そう言うルシュカも頭の中がお花畑なせいでカロンに迷惑をかけたんじゃないか? 勝手な行動をして余計な心労を与えるのは臣下としてどうなんだろうね。どうせ咲いているのは彼岸花だろうに」

「ふ、ふふ。本来の姿も晒せない醜い狐が何か言っているな。変化なんてものを使わなければカロン様に会う事も出来ないなど、どれだけ穢れているか物語っているようなものだ。それとカロン様を呼び捨てるなクソ狐」

「ははは、頭だけじゃなく股座も緩い女のくせに僕に意見するなんてさ。その程度の魅力で王に侍るなんて恥を知るべきじゃないか? どうせ相手にもされないんだろう? カロンをカロンと呼ぶのは僕だけに許されたことだ。部外者は黙ったらどうだい」

「貴様が言うなよ売女が」

「八つ裂きにしてやろうか矛盾女」


 まさに一触即発の状態。綺麗な美女が互いの胸倉を掴んで睨み合う光景は相当強烈なものだが、するりと腕を取る感触に我に返った。


「おい、いいのか放っておいて」


 てっきりリュミエールだと思って腕を取る手に目を向けると、異様に細いことに気付く。その細さは尋常ではない。はっきり言えば骨にしか見えない。


「……」


 視線を上げると、リュミエールがまだ正面にいた。その距離はおおよそ4歩。どう頑張ってもカロンの腕を抱きしめるなど出来はしない。驚愕で目を見開いている。

 ぎしぎしと軋んだ動きでルシュカ達を見ると、まだ喧嘩をしている。お互いの頬を抓りながら若干涙目になっているのが見えた。やはり手が届く距離ではない。

 もう一度視線を落すと、やはり骨がカロンの腕を抱いている。それもよくよく見れば二週もしている。


 おかしい。


 肌寒さを感じる場所は、斜め後ろ。隣を見ても相手は見えず、寄り添ってもいないのにカロンまで手が届いているわけで。

 ゆっくり。ゆっくりと。その相手を確認するために体を後ろへと捩っていく。

 多少明るくなった図書館の中。ぼんやりと浮かぶ青白い姿。

 首が二つ。一つは骸。一つは少女。

 ボロボロの黒いマントにはギラギラと大粒の宝石が吊るされている。

 見えている下半身は、本数の多い肋骨と尾のような長い脊髄しかない。

 マントの裾から伸びる腕は、関節が二つほど多かった。




「ギギギギギ我が愛しの王よ! よくここまままマママママでいらっしゃった! ゲゲゲゲゲ歓迎しま、しししガガガガガガガガガ!!」




 壊れたように首を動かす骸骨の放った雄叫びに、劈くような絶叫を上げてカロンの意識はぶつりと途切れた。



 円卓に敷かれたルシュカの上着の上で寝かされていたカロンが意識を取り戻して上体を起こすと、4人の魔物が正座していた。

 ルシュカと梔子姫はカロンの事を放って私事に夢中になったことを悔いて。リュミエールはカロンの側に現れた死霊のことを告げなかったことを悔いて。


「あの、申し訳ありませんでデデデギギギギ、でした」


 壊れたCDのような声で謝罪する、彼女? か彼か分からない幽霊の姿。

 骸骨と少女の顔を持ち、黒いマント。5人分はある長い腕に、異常に多い肋骨と異常に長い脊髄。

 本当に謝罪しているらしく、声は少し震えていて涙ぐんでまでいた。あの口調で震えてるかどうかなどカロンには分からないだろうが。


「バハラルカ、だな」

「は、はい! そうでそ、うそででゴゴゴゴすそうです! 嗚呼、私の名を王が呼んギギギで下さるなんて素晴らしジジジいいいい日なのでしょ、ジジガガガガ」

「あ、ごめん。ちょっと黙ってほしい」


 喋る度に髑髏ががくがくと震える姿は恐ろしすぎる。少女の方が話しているので声だけは可愛らしいのだが、テンションの上がりすぎた骨に妨害されるのか激しく雑音が混ざるのはトラウマになりそうだった。


(こんなキャラだったなぁ。久し振りに見た気がする)


 カロンが図書館にやってきたのは今回が初めてで、彼女? を見たのもステータス画面で眺めて以来だった。

 “エタニティカース”と呼ばれるランク10の死霊種。太古に永遠の呪いを身に受けた2人の少女の成れの果て、と言う設定で、幾万の死を食らってこの姿になったらしい。

 ステータスで確認するだけならモンスター図鑑を眺めている程度の認識しかないが、こうして実物を見るとそのデザインの狂い方は異常だ。

 おまけに性格は“盲信”“狂気”。設定した頃の自分を恨みたくなる。


「すみませんでした。私も突然現れたことに驚いてしまって」

「いや、気にするな。リュミエールのせいではない」


 いるだろうと思っていたのを失念していた自分も悪いとカロンは言う。予想できたかどうかは別としても、リュミエールのせいではない。


「ごめんよカロン。この女に構ってしまって」

「申し訳ありませんでした。馬鹿な狐を黙らせるのに没頭してしまって」

「……」


 この2人は許すべきか少々迷うが、いがみ続けられても困るので少し仲良くするのを条件にして許した。


「で、バハラルカ。何故姿を見せなかった?」


 カロンの問いに、バハラルカは長い腕を振り回して何か身振りをしている。


「あ、話していい。ただ少し落ち着いてな」

「は、い。その、すぐに出て、デ、行こうと思ったのです、が、ガガ、ルシュカ、達が怖、こわ、ここ、怖くここ」

「わ、分かった。分かったからもういいぞ」


 また吃音とも呼べない怪奇音をたてられる前に制すと、直ぐに静かになってまたすまなそうにカロンを見上げる。可愛らしい紫色の髪の少女の方がいいが、ぽっかりと眼窩に穴の開いた骸骨が口を開けて見上げてくるのは精神的に宜しくないので視線を逸らした。

 別にバハラルカが悪いわけではないので怒ってもいない。みっともない悲鳴を上げたのは少々気まずいが、ルシュカ達は気にしている様子がないので触れないことにしている。


「まぁ、今後は気を付けてくれればいい。あとはそうだな、私の調べ物を手伝ってくれるか?」

「もち、ろんです我が愛しの王よ! 貴方様のため、グググググならなんでもいた、い、いがガガガガ」

「分かったから、頼む」


 また手でバハラルカを制し、円卓から降りてルシュカの上着を返して死霊を従えて移動する。

 その背を見ながら、ルシュカ達は改めてカロンに感心していた。


「さすがカロン様ですね。彼女に驚いたのに、あんなに自然に振舞えるなんて」


 リュミエールの言葉に梔子姫も頷いて同意した。

 バハラルカの姿は、魔物であっても恐怖の対象である。渦巻く死の匂いや強力な呪いを感じて怯える者は多い。

 悲鳴を上げるなど、それこそグラドラやエレミヤでもするだろう。それは別段不思議には思わなかった。生みの親であるカロンであっても、恐ろしいと感じても仕方のないことだと。

 だが、そこから普通に接するなど出来るものではない。倦厭するのだ。どれだけ強かろうと容易く魂を奪える存在に。

 しかしカロンは今はバハラルカ相手に会話をし、あまつさえ扱き使ってまでいる。あれやこれやと本を要求して取りに行かせるなど、仲の良いリュミエールでもしようとは思わない。

 器の違いをまざまざと見せ付けられた気がしていた。ただの人間だと思っても、やはり低俗な人間共とは格が違うと。

 強い尊敬の眼差しを背中に受けながら、カロンは嬉しそうに飛ぶバハラルカを見ながらも遠い目をした。


(慣れって、怖いなぁ)


 残念なことに、カロンはバハラルカの発する匂いも呪いも分かっていなかった。と言うのも、彼女に限らず魔物の殆どに同じ気持ちを抱いているのだから、変な慣れ方をしたらしい。恐ろしいと思わなくなったのではなく、恐ろしいと思うことに慣れたようだ。

 付き従える魔物達の想像とは別方向に成長するカロン。それが良いのか悪いのかは分からないが、彼にとってのベターは今もまだ無意識に拾い続けられていた。



満を持して登場。まだ言われるほど狂ってるように見えないよね。まだだけど。

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