4 親友
「……」
バタン、と。アルバート達に送られて自室へと帰ってきたカロンは、ふらりふらりと千鳥足になりながらソファにもベッドにも行くことなく、カーペットの上に受け身もとらず倒れ込んだ。
上質な素材を使っているからか、倒れた割りには痛みが少ない。そもそも、それを感じるだけの余裕がなかった。
「お、終わった……」
既に心労がピークを超えていた。
ぐったりと横たわって、ようやく訪れた一人の時間を噛みしめて深呼吸する。掃除が行き届いているので土汚れの臭いなどしてこない。
病み上がりではあるものの、ゆっくり休めた日がどれだけあったのか数えてもそう多くはないだろう。
団長達の相手をしていて感じる恐怖感は堪える必要がないレベルまで落ち着いている。その代わりに責務や権威を誇示しなければならないと肩肘張っているのが余計に疲れを増長させているらしい。
そして今回の褒賞祭りには自然と力が入っていたようで、全て終えたと思った途端に体の力が抜けきった。
仕事も難民の整理にかなり時間を用いた。一度分布させた魔物をもう一度集めてから敵対種族が被らないように配慮して配置し直すなんてややこしい事もした。
これがゲームだった頃であれば、体感時間が長くても現実に戻ればゆっくり休むことが出来たが、リアルタイムで世界を生きている今では負担も大きい。逃げ場がないのだから。
やっと一段落した今、とにかくゆっくり眠りたい。
満足に睡眠を取ったのが病で臥せった時くらいしかないのは堪えるようで、目を瞑ってそのまま寝る体勢に入る。
誰も来ないようにトークンを使って言いつけておかないとアルバートからカロンの考えを伝えられたルシュカが大急ぎでやってくるかもしれないが、動く気が起きない。
だらだらしながらそんなことを考えていると、急に体が浮かび上がった。
「うおっ!?」
膝の下と肩の下で支えられる感覚は、どう考えても抱き上げられているとしか思えない。
所謂お姫様抱っこというやつで。
これには溜まり溜まっていた眠気もさすがに吹き飛び、目を開けて誰の仕業なのかを確認する。
この部屋に入ってくるとするならルシュカやハルドロギア達が真っ先に挙げられるが、彼女達が入る時は一応ノックをして許可を得てから入ってくる。故に見当がつかない。
先程別れたばかりのグラドラや守善などが来るとは思えず、一体誰なんだと相手の顔を確認し、
「やあ、カロン。お疲れのようだね」
自分の名前を馴れ馴れしく呼ぶ黒い着物を着た白髪の女が何者なのか、全く思い浮かばなかった。
唖然としたままベッドに連れて行かれ、優しく横たえられたカロンは改めてその女を確認する。
顔の横に腰を下ろした女は光沢のある美しい漆黒の着物を崩して着ている。裾や袖には紅葉の落ちる様が描かれており、上品な黒に映えていた。
体つきはかなり良い。帯でよく見えないウエストラインだが、シルエットから綺麗にくびれていると推測できる。胸は着物を着るには不釣り合いな大きさで、着崩しているのもあって胸襟が過剰に開かれていた。
そんな挑発的な胸元だが、それ以上にカロンの目は上から自分を覗き込む女の手に向けられる。
手が、白く長い毛に覆われた獣の手なのだ。
鋭い深紅の爪が伸びており、指が4本しかない上に肉球が付いている。人間の手の倍は大きく、カロンの首を指が平気で巻き付けるくらい長い。肩は素肌のようだが、右側に刺青が彫られているのが見えた。
もう一度顔に目を向ける。
容姿はルシュカのような生真面目な凛々しさと違って、艶のある凛々しさがあり、ルシュカの方を不機嫌そう、と感じるかもしれない。
キツい目つきだが瑠璃色の大きな瞳が視線の鋭さを緩和していた。
そして、白髪に白い――狐耳。
大きな耳が忙しなく内へ外へと向きを変えており、たおやかに微笑んでカロンを見下ろす姿に少し似付かわしくないくらいに動いている。
扇子が似合いそうな大和撫子は、まだぼおっとしているカロンの顔に凶悪な殺傷性を感じさせる手を伸ばすと――
「いだだだだっ」
遠慮なく、指と指の間で頬を抓った。
「カロン、女性をそんなに見つめるものじゃないぞ? 確かに僕がこういう姿をしているのは君には予想外かも知れないけど、それはただ君の前で見せたことがなかっただけだ」
むっと頬を膨らませ、大和撫子から少女の顔へと変わる。
「皆と同じで大方私が誰なのか分からないんだろう。失礼しちゃうよ。そりゃこんな姿になるって誰にも言ってないけどさ、少しは口調で分かると思うのに、ルシュカなんて「なんだお前」とか……百数年一緒にいるのにその扱いはどうなんだ!」
ふんっと顔を背けて腕組みをした女性。本来の姿とはかなりかけ離れた姿なため、同じ団長達でもきっと気付けないだろう。
だが、カロンは違う。
「いや、分かるさ」
短く呟かれた声に反応して、女性はカロンの方へ視線だけを向ける。
カロンも女性の方をまっすぐに見つめる。……正確には、女性の頭の上に表示されたキャラクターネームと、顔の前に表示したステータス画面を。
「第15団団長。エステルドバロニアの第一防衛線を担う私の部下。晦瞑白狐の梔子姫。だろう?」
ずるくさい方法だが、バレなければよいのだ。
人の名前と顔を一致させるのは人間関係を円満にするコツ。それを少し卑怯な手段であろうと、王たる自分が出来ぬようでは示しがつかない。
と言うのがカロンの弁解である。
名前を呼ばれた魔獣種である彼女――梔子姫はぱあっと顔を華やかせ、ベッドの上に飛び乗ると嬉しそうにカロンの頭をわしわしと力任せに撫でた。
「ふ、ふふふふふ。流石我らが王だ。変化しているこの私の正体を苦もなく見破るとは恐れ入るよ! へへへ、へへへへへへへへへへ」
当然、魔物の力任せは人間相手ではゴリラ以上のもので、へし折れそうなぐらい頭を振り回されるカロンには睡眠ではなく昏睡が訪れそうである。
上機嫌に頭の上に耳を何度も寝かせたり立たせたりして顔と体で喜びを表現していた梔子姫だったが、出ちゃまずいものが出そうになっているカロンにようやく気付いて慌てて手を止めた。
「す、すまない。つい嬉しくて……なかなか皆気付いてくれないからちょっと拗ねていたんだ。ごめんよ」
うーうー唸って首の痛みを紛らわせようとするカロンの頭を、今度は優しく撫でる。ふさふさの毛の感触が気持ちいい。
申し訳なさそうにしながらも、それでも嬉しさを隠しきれないらしく、口元にはまだ笑みが残っている。
さて、カロンの首の痛みが収まると同時に、当然疑問が湧く。
何故この部屋に入っているのか、だ。
この梔子姫、エステルドバロニアの第一防衛線と言うことで常日頃から国を囲む外壁に配備されており、何処かへ動かすことは一度もなかった。
グラドラ達のような前線部隊は国内や国外を警邏、もしくは哨戒と常に動いているのだが、梔子姫や四方を守る軍団は移動を決してしない。
王の命令の効力を考えると決して動くはずがないと信じていたカロンだが、それは少々違う。
四方の守護や外壁の守護を担う者へ告げた命令は、軍団長個人に向けた命令ではない、と言うことである。
つまり、各軍が常に警備を正常に行えていればある程度の移動は可能なのだ。
が、それとこれとは話が別。不法侵入の理由にはならない。
「それで、何故此処にいる。私の私室と知ってのことだろうが、許可なく入ったと言うなら警備の者を呼ぶことになるぞ」
厳格な王を目指す以上、信賞必罰は徹底する必要がある。
さっきから名前を平気で呼ぶし、頬抓るし、首折られそうになったし、勝手に部屋入るし。
半分は私情だが、悪いことは悪いのだから怒らなければいけない。その方法が、親のように言い聞かせるのとは違うだけの話である。
冷たい口調で、なるべく自信ありげに口にした言葉。
初対面の魔物と言うこともあって少々緊張しており、視線が狼狽えないようにと真っ直ぐ、今度はきちんと梔子姫の瞳を見つめる。
頭を撫でる動作を止めて女の子座りをする梔子姫の、淋しげに揺らぐ瑠璃色の瞳がカロンを見つめ返し、
「それくらい許してくれよ。親友なんだからさ」
「……あ?」
爆弾を投下してきた。
「建国当初からそうだったじゃないか。なんだ急に偉ぶって。似合わないとは言わないが、私に対してそう言うのはちょっと酷いぞ?」
え? 友達?
「国が大きくなるにつれてカロンも立派になったけど、こうしてプライベートで会いに来たんだからちょっとくらい普通に接してくれても良いと思うんだ。カロンだって今は仕事中じゃないだろう? ただ幾らなんでも床で寝るのはめっだ」
は? なんで友達がいるの? それも魔物に。
「最近やりがいのある戦争がなかったせいで暇してたのを僕は知ってるぞ? それで今回、まあ手応えはなかったけど久しぶりに戦に勝ったみたいだからお祝いしてあげようと思ったのに。そんなこと言うならサラマンダーの姿揚げ食べさせてあげないからな?」
「……いらん。それ共食いだろ」
「なに、人間とて同じ哺乳類を食す文化があるのだ。我らとさして変わりはしないさ。なんだ、食べたいのか」
「いらん」
にぱっと笑って毛深い手で指差してくる梔子姫に冷静な突っ込みが入る。
ぶーぶーと不満を言っている梔子姫を余所に、梔子姫に背を向けたカロンは頭を抱えこんだ。
不法侵入していた部下が親友でした。字面でも意味不明である。
もしこれがオフラインのVRMMOだったならNPCの友達が居てもおかしくないだろう。オフラインな分、他プレイヤーの代わりにAIが積まれたキャラクターが仲間になったりするのだ。不思議ではない。
しかし、VRMMORTSと言う奇妙な分野で、キャラクターとお友達になるという摩訶不思議な機能が搭載されているわけがないのだ。
となると、この異世界に来た影響で魔物の認識に少しおかしなことが起きたか、もしくはこの梔子姫の妄想かのどれかである。
「おーい、聞いてるのかー?」
ぐるぐると無い頭を捻っていたところに、どんと上から何かがのし掛かってきた。
何かとは言わずとも分かる。梔子姫だ。では何が乗っかっているのか。
豊満な胸である。
横になったカロンの腕の上にのし掛かった梔子姫の胸は、潰れてはみ出たように上腕を包み込んでいる。
胸襟の開きが更に大きくなり、もう少しズレてしまえば突起が見えてしまいそうだ。
「なっ、馬鹿っ、離れろ!」
慌てて強引に引き剥がして距離を取る。壁際に背を預け、四つん這いの姿勢で尻を高く上げ、女豹のポーズで舌なめずりをする狐耳の美女の姿を見ていると兵衛が発するのとは違う嫌な気配が背筋を駆け上る。
「ふふっ、お子様め。僕とカロンの仲だ。遠慮しなくてもいいんだがな。それに君は王なんだ。君の言葉に、誰もが従って股を開く。そんなこと、考えたことはないのかな?」
大きな獣の爪が胸の谷間に滑り込んで、その隙間を更に広げていく。
腰をくねらせながら徐々に近付いてくる梔子姫を、鞘から抜けていても使った試しのない聖剣が刺し殺せと囁いているが、頭の方は混乱の極みだ。
(友達ってそう言う友達なの!? ご冗談を! そんな素敵……いや、そんな馬鹿な!)
梔子姫の性格は“淫靡”と“狡猾”。つまり何か裏を持ちながら本気で迫ってきている可能性がある。
そんな機能があったならと切実に願っていた日々がなかったわけではなく、それを可能となった今なら王の権力を存分に発揮して魔物娘でハーレムを築くのもいいんじゃないかと、内心隠してきた気持ちが浮かび上がった。
命じれば思いのまま。そう、カロンにはそうするだけの力がある。
激しく鼓動が打ち、脳が沸騰しそうになりながら、自分の意志とは関係なくカロンの手が大きな二つの実へと延びていく。
甘い彼女の匂いが鼻の中を満たし、快楽に委ねてしまえと囁いてくる。
思うがまま。思いのまま。
その代わり、反抗されたら死ぬけど。
そう思ったら急に冷静になっていき、ずいっと身を乗り出してきた梔子姫の鼻先を掌で押さえ込んだ。
「んぎゅっ」
鼻が潰れて変な声を上げた彼女は数歩下がって鼻を擦ると、不満気にカロンを恨みがましく睨みつける。少し涙目になっているのがぐっと来るが、聖剣は既に元鞘である。
「なんだ。意気地なしめ」
「好きに言え。そんな欲望に流されるわけがあるわけなかろう。私がどれだけの間お前達を従えてきたと思っている」
「むー。どうしても駄目かい? ほら、ルシュカとかエレミヤだってきっと頼んだら簡単に股を開いてくれると思うよ? あとはフィルミリアもそうだろうし、リュミエールだって。あ、と言うかこの国に居るメスなら誰だって――」
「くどいぞ。そんなことに興味ない。それにあの者達がそんなに軽いわけがなかろう」
「そんなことないと思うけど。あ、もしかして兵衛の方が好み?」
「【ケルベロス】の餌にされたいのか」
どれだけ美人であろうと相手は化け物だ。不信感を抱かれてバッドエンド直行は勘弁願いたい。
梔子姫は腕を組んで頑として頷かない様子を悟ったのか、わざとらしい溜め息を吐きながらガシガシと頭を掻き毟る。目を閉じて心底困ったようにしているが、一度決めたことを撤回する気は今のカロンには無い。
「そうだよね。カロンは真面目さんだからね。はー、先が思いやられるなぁ」
「本当に馴れ馴れしいな」
「あ、失礼だな君は。誰だよずっと僕のとこで愚痴を言ってたのは。ずーっと黙って聞いてあげたじゃないか」
あっただろうか、と昔のことを掘り出してみると、本当に最初期と呼べる頃にあったような気がする。
建国当初のメンバーはコボルト達とガチャで手に入れた魔物達で、ルシュカ、ヴェイオス、そしてこの梔子姫が最古参のメンバーに当たる。
色々と楽しい頃だったので返事もしない魔物に話しかけて遊んでいたりして、この梔子姫はその頃から国の外壁警備をさせていたため常に定位置にいたから話に行き易かった。
仕事の愚痴だったりゲームの愚痴や敵国への文句をよく言っていたが、それがこんな作用の仕方をするとは思わなかった。
どうやら梔子姫の言う親友の定義はそこから来ているらしい。良かった、体の関係じゃなくて。本当に……。
「そんなこともあったな」
「いつの間にか全然来なくなるし。城が大きくなるにつれて遠くなってくのは分かるけど、少しくらい会いに来てくれてもいいと思うんだけどな」
「それは私の勝手だ」
しかし、梔子姫の認識が事実なら初めて対等に話せる相手が出来たことになる。
王と配下の関係ばかりで、【キメラ】達みたいに父と子の関係は癒しだったが、こちらは気持ちに余裕がある付き合い方だ。
とは言え、一応初対面であることに変わりはない。なにせこの晦瞑白狐は本来であれば狐の姿をしているはずなのだ。
カロンの記憶が正しければ、梔子姫は闇を纏った白い狐の姿である。断じて人の姿をしていたことはなく、記憶にある梔子姫と相違が激しいせいで少しもやもやしていた。
敵意はないし反抗心も見当たらない。忠誠度はMAXで固定されている。分かってはいてもステータスで一度判別しておかないと落ち着かないのだ。
そして対等な話し相手が居たとして、話すかどうかはまた別である。
「ま、気長にやるさ。ところで親友、寝なくていいのかい?」
「お前のせいで目が覚めたのだ」
「それは残念なことをした。ではまた眠くなるまでの間話をしないか?」
「なにを」
「そうだな、これから君が何をしたいのか。なんて」
「……国の安定と周辺国への対応を考えて」
「ああそうじゃない。それでは王のするべきことであって、僕が聞きたいのはカロン自身がやりたいことだ。ずっと仕事漬けでは疲れてしまうだろ。何か息抜きになるようなことはないのかい?」
そう言われると、何もないことに気付く。
腕を組んで何かあるだろうかと悩んでみるが、やっぱり思いつかない。
まさかゲームの世界に来たのに仕事一辺倒のつまらない人間になるとは思いもよらず、せめて一つくらいあるだろうと考えたが出てくる様子はなかった。
腕組みをして顔を伏せってしまったカロンの様子で梔子姫も理解したらしく、はぁ、と溜め息を漏らす。
「本当に君は……仕方ないから話を変えよう。実は僕が此処にいるのは理由があってね」
無いのに不法侵入されては堪ったものではない。でも用があったのなら何故寝ないのかと聞いてきたのだろう。むしろ何故それを先に言わないのかと恨みがましい目で梔子姫を見つめると、「ごめんごめん」と苦笑いして扉の方へ目を向けた。
それが合図だったのか、偶然なのか、コンコンと控えめなノックの後に、穏やかな澄んだ声が聞こえてくる。
また、聞き覚えのない声だった。
「カロン様、失礼しても宜しいでしょうか」
「ああ、入ってきて大丈夫だよ」
「おい」
返事をしたのはカロンではなく梔子姫で、彼女のマイペースな言動に振り回されているのが少し癪ではあるものの、徐々にではあるが、気を使わない相手としてカロンの中に刷り込まれ始めていた。
馬鹿らしい、よくあるじゃれ合い。それなのに、この世界では触れることが無いままで居たせいか懐かしさすら覚える。それほどに余裕がなく、それくらい立場を固めた証拠だとカロン自身は気付いていない。
2人の掛け合いが聞こえていたのか、鈴を転がすような耳に心地良い笑い声が扉の隙間から聞こえる。
ゆっくりと室内に足を踏み入れたのは、幻想的な美しさを持つエルフの女王だった。
「駄目ですよ姫。あまりカロン様を困らせては」
「む。しかし僕とカロンの間柄だからこれくらい別に――」
「そうであっても、しつこい女性は嫌われてしまいますよ?」
「そ……それは僕も困るな。ごめんよカロン、まだ舞い上がっていたみたいだ」
口元に手を当てて上品に微笑む彼女――リュミエールは、上手く制御できなかった梔子姫を簡単に大人しくさせてみせると、優雅な仕草で鮮やかなエメラルドグリーンのドレスの裾を摘まんで一礼する。
ふわりと、芳しい花の香りが漂った。
「お久しぶりですカロン様。事前に連絡もせずお邪魔してしまい申し訳ありません」
「あ、いや、それはいいんだが」
「それについては僕からも謝るよ。と言っても、僕がアポなしで会いに行こうとしてるところでわざわざ面会予約入れてるリュミエールを引っ張ってきたんだ。彼女は悪くないからね」
そんなシステム確立してないから、予約しても会えるかどうか分からなかっただろう。これに関しては梔子姫を評価する。
ニコニコと嬉しそうに微笑むリュミエールは、一目見て敵対はしないだろうと思えた。穏やかな優しい顔つきからだろうか。
(いや、今まで会ってた奴らが怖すぎたんだ)
血の気の多い化け物揃いと思っていた節があるのは否めない。
「カロン様」
ふと物思いに耽っていた顔を上げると、リュミエールが恭しく膝をつき、手に握った杖を膝の上に乗せて深く頭を下げた。
何事かと少し驚いたが、いつの間にか梔子姫もその横に並んで同じような姿勢を取っているので余計に驚く。
「此度のエルフの件、誠に申し訳ありませんでした。如何に情が先走ったとは言え独断で行動を起こしたことは事実。申し開きのしようもございません。何卒、罪は私に。他の者達は関与しておりませんので、どうか」
身を切るような思いで述べられたのは、深い悲しみに包まれた謝罪であった。
“慈愛”と“調和”。女神を思わせる優しい心の持ち主に、見て見ぬふりは難しかったのだろう。同族ともなれば尚更に。
ぽつりぽつりと小さな雫を落としながら、強い責任感で全てをその身に引き受けようとする姿は直ぐに許したいと思う。
だがカロンがそうすることは出来ない。出来うる限り平等に扱わねばならないのだ、王は。
「ルシュカから減給の話は聞き及んでいないのか?」
「聞いております。ですがそれはあまりにも。そのような軽い処罰で済まされるほど、私の行動は軽いものとは思えず」
「もしや、それで自ら此処に?」
「はい。直接お詫びを申し上げたく思い、私の処遇を改めてお考えくださるようお願い申し上げるために馳せ参じました」
なんなんだこの善人っぷりは。ルシュカが霞んで見えてくる。
「構わん。この結果は我がエステルドバロニアで築いたものだ。誰か一人が重責を負う必要など無い。負うとするなら、皆を統べる私の役目だ」
「そんな! カロン様に非など何一つ御座いません! 不用意な行動で混乱を招き、王自ら戦地へと立つような事態を生み出したのは他でもない私なのですから!」
落ち着きかけていたリュミエールの目に再び大粒の涙が浮かび上がり、なんだかこうして問答を繰り返していることに罪悪感を覚えかねない。
いつまでも寝台の上に居るのは格好悪い、かと言って目の前で仁王立ちするのは気分が良いものではないからと窓の側へと移動する。
窓の外に広がる街の景色を眺めながら、どうやって上手く話を終えるべきかを思案した。その憂いを帯びた表情は、まるでこの世界に来たことを悔いているようにも見える。
「カロン様……」
「君は優しすぎるよカロン。我々に、国民に辛い思いをさせることに心を痛めているんだね」
「きっとこの世界の人々にも悔いているのでしょう。前の世界と違い、私達は異物なのです。だから人間との共存をお選びになられたのですね」
感慨深げに2人はカロンを見つめているが、残念。自分の為でした。
「そう言えばリュミエールよ。此度の件で褒賞を与えていなかったな」
「え? あの、そのような物を戴ける立場では御座いませんので」
「いや、神都の人間達へ記憶改竄の魔術を用いたであろう? それにいち早く結界を張り国への侵入を防いだ。その対応は素晴らしいものだった」
「そのお言葉を戴けるだけで十分です。これ以上無い褒美となりました」
「そうか。しかし私はこれを褒美としては与えているつもりはない。故に、厳罰からその褒美を差し引いて減給に収めてやろう。構わぬか?」
卑怯な言い方だろう。しかしそれ以上リュミエールを納得させるような言葉が思いつかなかった。
後ろ手を組み、漆黒の軍服に背負う国の紋章。梔子姫は装飾過多にして右肩に彫り込み、リュミエールは金の首飾りに下がる琥珀に刻んでいる。
「王、貴方は丸くなられた」
「は?」
突然敬語を使った真意を理解できず、問い返すつもりで梔子姫へと顔を向ければ恍惚とした表情が。
「以前の貴方であれば、重罰に処しただろう」
「あ」
確かに。この世界で彼女達の人間味に触れる前はただのNPCだから平然と処罰していたが、よくよく考えるとものすごく冷酷な王として君臨していたのではなかろうか。
なにせ弁明も何もない。罪を犯したことだけがウィンドウで報告され、その内容で処置を取っていただけに過ぎず、もしかすれば冤罪もその中にはあったのでは、と。
ルシュカを副官にしてからは小さい問題は全て自動で処理されていたが、どれも過激だったように思う。
そうなると、民は敵視しているのではないだろうか。つい先日も犯罪者が3人その場で処刑されたと言うテキストが画面に流れているのを確認している。知らぬ間に。
(あれ、ちょっと待って。俺結構やばい人と思われてる?)
淡々と、罪重き者は殺してきた。戦争をしてもその土地に居る魔物も人間も別にいらないからと根絶やしにしてきた。気付けば領土は世界の5分の1まで拡張されていた。
どう見ても覇王です本当にありがとうございました。
「え、あ、いや、それは」
「我々は所詮無法者。如何に知性を持とうとも忌避すべき欲を抑えることの出来ぬならず者です。それを御身一つで束ねるは難しく、勧善懲悪を用いて罰さねばならぬのでしょう。事実この国には、秩序が生まれました。あの貧相な屋敷から始まったエステルドバロニアの躍進が連なり今があるのでしょう。王、貴方は常に正しき道を歩み、我らを導いてくださった」
大仰過ぎる。あまりにも過大評価され過ぎていて穴を掘って埋まりたいくらいだった。
語る梔子姫の瞳は潤んで蕩け、隣でうんうんと分かって頷いているのか怪しいリュミエールも頬を紅潮させてカロンを見つめている。
カロンが想像した圧政に対する民の感情は見えてはこないせいで、どことなく不安な気持ちで一杯になってくる。ここ最近落ち着いてきたはずの不安の芽が再び顔を出し始めた。
まぁ、民が国を去らないのを見れば不信感を持ちながら我慢して暮らしているわけじゃないと分かるものだが。
「そして、新たな段階へと進むのですね。世界を震え上がらせた最強国家が、覇道から王道へと往く道を変えるとは。きっと今以上の繁栄が齎されることでしょう」
――梔子、理論が途中でぶっ飛んでいる気がするぞ。
話の半分以上は耳を塞いで「あーあー」とやって聞かなかったことにしたい内容だったが、重要なことを思い出した。
この国、法律が存在していないのだ。
犯罪に対処したりなんなりと色々王がすることは多い。だがそれは王が采配を振るっているからであって、何かを基準にして処理されているわけではない。
だから全てが過剰なのだ。カロンがそうしてきて、魔物達もそう動くから異常なほど罪に反応する。
リュミエールの言葉を思い返すとそんな節があったし、ルシュカもそうだ。エルフを攫ったことを打ち明けた際に自身への処罰を求めてきた。もしあのまま隠し通し、露見して重責を問われたとしても抵抗はしなかっただろう。
カロンが告げれば、抗うなど彼女なら決して考えない。
(まずい。非常にまずいぞ。人間と仲良くしましょうとか言っておきながらまだ全然基盤が出来てないじゃん! てかさっき梔子に言ったこととかモロじゃん! どうしよう俺。どうすんだこれ。色々足りてない気がしてきた……)
どうやら一度、国の状況を調べ直す必要がある。
「カロン。君の選択に僕達は決して歯向かうことはない。君の決断が僕らの往くべき道なのだ」
「うわぁ……」
そして早速重たい発言を喰らい、頭を抱えたくなる。
「リュ、リュミエールもか?」
「勿論ですカロン様」
一切の躊躇いが無かった。独断で動いたリュミエールも躊躇しないと言うのは、首チョンパ覚悟でやってたってことなのだろうか。
「あの時帰っておけば良かったっ……!」
聞こえないように口の中だけで言葉を転がし、痛み出した胃の辺りを抑えこむ。
とりあえず今日はこの辺にしておかないとまずい。カロンの体的に。
「とにかく、今日はこの辺にしてくれないか。少し、そう少し眠りたい。ここ最近眠りが浅くてな」
「あ、そうだったな。ごめんよカロン」
「申し訳ありません。このような事にお時間を取らせてしまいまして」
「いや、構わない。大事なことに気付けたのでな」
「そうですか。どうか、ご自愛ください」
きっと、大事なことを良い方に解釈したのだろう。王をどれだけ敬愛しているのかなんて内容に。
残念。いっぱいになったのは悩みの種でした。
しずしずと優美な動作で立ち上がり、愛らしい笑みを浮かべてリュミエールは部屋の外へと向かっていく。
その後を梔子姫も追っていくが、何か思い出したように部屋の扉から顔を出し、
「あ、そうそう。リュミエールなんだが、城に滞在してもらいたいんだが駄目かい?」
「なんでだ」
「いやぁ、他の連中もリュミエールが居ると少しは大人しくするだろうからさ」
「あの、姫? それ守善が言おうとしてたことじゃ」
「どうだろうカロン。君の苦労も幾らか減るんじゃないかと思うんだけど」
「是非。是非お願い。その悩みがなくなるとかなり楽になれる。今もう余裕ない」
「そ、そうか……忙しいもんな。分かった、じゃあルシュカに手続きしてもらうよ。カロンの方でも少し頼むよ」
「ああ、分かった」
「だからそれ守善さんが言おうとしてたことじゃ」
「よし言質取ったからね。さあ行こうかリュミエール余計なことを言う前に」
「もしかして自分の手柄にする気じゃ。カロン様、カロン様、それは守善さんがー」
「はいはい出て行こうね。カロンの邪魔をしちゃ駄目だよ」
「あああああ、ごめんなさい守善さん、無力な私をお許しくだ――」
なんか、結構大事なことを言おうとしていた気がするが、もう扉は閉まっている。多分梔子姫がどうにかしてくれるだろうと信じることにしよう。
今は少しでも負担を減らすために、第14団の方にリュミエールの城滞在を承認してくれるかどうかの確認をトークンで送り、ベッドの上に飛び乗って頭を抱え、水揚げされたマグロのようにビクンビクンと震え始めた。
「誰だこんな中途半端な国作ったのは! ちくしょおおおお折角周辺整理終わったのに面倒事思いつかせるなよおおおおおお!」
そんなこと言っても全ては自分に返ってくるので、死んだように眠った後はまた頭を抱えながら働くことだろう。
王様見習いの日常は、こうして積み重ねられていく。そのうち本当に過労で倒れそうなカロンであった。
変な子登場。リューさんも登場。
そして深刻な問題も登場。