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エステルドバロニア  作者: 百黒
3章 王国と公国
27/93

3 主力達

 ミラによる理不尽な暴力――もとい、厳しい指導を終えた後、ベルトロイは昼食の時間にはどうにか開放してもらえた。

 待ちに待った昼食の時間であるはずだが、その顔はどうにも浮かない。食堂へ向かう足取りは重苦しく、どんよりと沈んだ空気を周囲に撒き散らしながらとぼとぼと歩いていた。


(面倒事押し付けやがって)


 ミラとの訓練が終わる直前、ある一つの課題を出されたのだ。


 ――お前以外に人員を3人集めろ。但し一般の騎士、貴族を1人は加えるように。


 普通に考えて、それを行うのは隊長の役目ではなかろうか。

 ミラ曰く今回の遠征が決まれば4個小隊120名で神都ディルアーゼルに向かうことになるそうだ。その判断が何処から生まれたのかは知らないが、ほぼ確定らしい。

 そして率いる隊長は、3千名の騎士の中で五指に入ると称されるバストン・ドゥーエ中隊長。その下に小隊長4名が指揮下に加わる。

 ただ、それとは別にミラは部隊を指揮するのだそうだ。何故なのかは説明されなかったが、「重要な任務だ」とだけ念押しをされた。

 その重要な任務を新米騎士。それも寄せ集めにさせようと言うのがどうにも理解できなかったが、命令なら仕方がない。

 言われた以上はやるだけで、食堂の中で目星を付けようと目論んでいた。


「よお苦労人。こってり絞られたか?」


 食堂に入る直前に背後からぽん、と肩を叩かれる。振り返ってみればからかう気満々のポウルが道を塞いで立っていた。


「まずお前だな」

「あ?」


 既に一人は確定らしい。



「はー、あのミラ嬢の部隊に仮編入ねぇ」


 食事をカウンターで受け取って席を取ってから、ベルトロイは軽い説明だけを行った。ミラが若い騎士を集めて何かするとだけに抑えておかねばならない。遠征の話は極秘だと言われており、決定になるまで話すわけにはいかないのだ。

 不審に思われるのかと思ったが、どうやらミラと一緒に行動できる方に気が向いているようで、若干鼻の下を伸ばしてあらぬ妄想をしているのだろう。

 あれだけ罵られたというのに良い根性である。


「面白そうじゃん。うっし、いいとこ見せて少しでもミラ嬢にお近づきになってやるぜ」

「まぁ、お前が良いなら良いけどよ」


 軽口を叩くポウルに笑い混じりで返すと、お互い見つめ合って懐かしさに笑いあう。

 昔はずっと一緒に遊び、くだらない悪戯をやってきた。訓練校では離れ離れになり、こうして久々に行動を共に出来ることが、しょうもないと思いつつ嬉しく感じている。

 裏表を考えているのではなく、純粋にベルトロイの事を信用しているのが見て取れる。それをベルトロイも気付いてからこそ、この2人は無二の親友でいるのだ。

 幼き頃の出来事を何気なく思い起こしながら、食事を進める2人。その話題に上がるのは当然彼女のことになる。


「しっかし、ほんと羨ましい奴だぜお前」

「俺がタコ殴りにされてるの知ってて言ってんのか? つか、さっき目の前で見てただろうがよ。どこに羨ましがる要素あったのか全然分かんねえ」

「ばーか。こう、男として燃えるもんがあるだろうが。ほら、あのキリッとした顔で冷たく扱われると、なあ!」

「死ね」


 さっくりと一言で切り捨てると、スープを口に含む。今日のはあまり出来が良くないようで、無意識に渋い顔を作った。


「けどよけどよ! ミラ嬢とお近付きになれるってすげえことじゃん? 狙ってる奴らがゴロゴロ居るって話と同じ位ずっぱり斬られてる奴もいるって聞くぜ」


 ポウルは首の前を掻き切る真似をしたが、そういう意味ではなくて交際を断られたという意味である。

 ベルトロイも何度かその現場に遭遇したことがあり、勇気を振り絞って差し出した花束が叩き落され、腕組みをしたミラに踏みつけられる光景を目の当たりにしていた。

 ゴミでも見るような目つきで何かを呟いてさっさと場を後にするミラの後ろ姿を見つめる男達の顔が不思議と清々しく輝いているのは、ポウルの言うところの燃えてくるものなのかもしれない。

 容姿端麗。加えて近接戦闘の技術は大隊長クラスにも引けを取らないという。それだけでも賞賛に値するのだが、それ以上の価値が彼女の家に存在していた。


「まぁ、“騎士の誉れ”の出だから仕方ないだろ」

「ミラ嬢の気持ちも分からなくはねえけどな。寄ってくる奴はミラ嬢の体目当てか、家督目当てかなんだから」


 “騎士の誉れ”。ミラの実家であるサイファー家は王国騎士団の騎士団長を何人も排出してきた名家である。初代サイファー公爵は初代騎士団長を務め、続く二代目も騎士団長に就任している。ミラの父も副団長の地位に収まったことがあり、とにかく抜群の戦闘能力を誇っている家系だ。

 しかし今、サイファー家には男子が居ない。ミラ一人だけしか子を為すことが出来ず、必然的に彼女と婚姻した者がサイファーの家督を継ぐのだ。余所者がその地位に至る事が出来ると思えば必死にもなろう。

 その反動なのかしらないが、当のミラはあの性格だ。まず結婚は不可能に近い。政略結婚をしようにも、あれでは。


「へっへっへ、これで他の奴よりリードしてやった。俺に嫉妬と羨望の目が向く日も近いぜぇ。いずれはあんなことやこんなことだって。へへへへ」

「馬鹿だ。馬鹿がいる。謂れの無い暴力の塊相手にそんな気になれるのがすげえわ」

「お前にそんな気がない方が俺はビックリだっての。なんだって興味向かないわけ? あのちっこいのにバランスの取れた体! 容姿は当然文句なし! おまけに立派な家柄まで付いてくるってのに!」

「少し黙れ。切実に。お前のせいで俺も激しい被害に合ってんだけど。あと小さく見えんのはてめえがデカイから相対的にそう見えてるだけだ馬鹿」

「おぉ~い、それでも男かよ~。英雄色を好むって言うのにさ~」

「血だけ引いてる分際で偉そうだなぁお前は」

「そりゃ、勇者候補だから当然じゃんよ」


 なるほど。勇者候補が嫌われる理由がよく理解できた。だがコソコソと陰口を叩かれてるのはそのせいではないはずだ。

 謎のテンションで上機嫌なポウルに呆れながら、時間までに食事を終わらせようとフォークを再び動かす。

 だが、これだけ大声で大勢の中で騒げば当然やって来るものがある。


「おい貴様ら、此処は騎士団員が共用する場だぞ。先程からぎゃあぎゃあ喚き散らして、少しは節度を学んだら――」


 お説教だ。

 ただ想像していた上級騎士からではなく、見覚えのある顔からだったのは予想外だったようで、2人は相手を視認するとあからさまに嫌な顔を作り上げた。


「なんだ、朝のヘタレ共じゃねえの。これだから勇者候補ってのは鬱陶しいんだよ」


 その相手は今朝喧嘩を吹っ掛けてきた一般騎士だった。ベルトロイ達と同じ嫌な顔を作ると、お決まりのように蔑んだ言葉をぶつけ始める。

 偉そうに腰に手を当てているのが癪に障るが、他の騎士もいる場所で反抗するわけにもいかない。


「おいてめえ、調子乗ってんじゃあいだだだだ!」

「すまんすまん、気をつけるようにする」


 なので速攻で喧嘩を買おうとしたポウルの足を力一杯踏みつけて、ベルトロイは誠意のない謝罪を行う。喧嘩っ早い性格だと自負しているが、どうやら忍耐は以前と比べて格段に増しているらしい。ミラの教導の賜物と言えよう。

 騎士は机に額を押し付けて激痛に耐えるポウルを一瞥すると、ベルトロイを睨みつける。


「……なんだよ」

「ふん、気に入らねえってだけだ。なんでお前なんかがミラ様と」

「出来る事なら代わってもらいてえんだけど」

「あの御方から指導を受けられることがどれ程の名誉かも分からぬのか。お前さえ居なければ俺は今頃……」


 その後になんと続いたのかは分からない。ただ最後に鼻を鳴らし、肩を怒らせて食堂から出て行く背中を見送りながら、妙に敵視されているのだけは気付いた。


「なんだあいつ」

「し、知らねえの? あの野郎、元貴族様だぜっ」

「まじか。でも一般の騎士じゃん」

「没落したんだよ。サイファー家とは交流があ、ああ、って、ミラ嬢にぞっこ、ううっ」

「惚れてんのか。ますます代わってほしくなるな」

「おお、おうっ、ほんとなら野郎がミラ嬢の手ほどきを、んっ、受けるはずだったらしんだけどな。そ、そろそろ足どけてっ、足らめになっちゃうのおっ、んおおおっ」

「てめえ変な声上げんじゃねえよ! 風当たりもっと強くなるんだけど!? おいこっち見んなよそんな趣味ねえから! 違うよ、違うからね!あと鼻息荒くしてる奴どこだこらぁ!」


 余計に足を強く踏まれて「ぬふううっ」とポウルが声を上げたのが運の尽きか、ひそひそ話の内容はベルトロイとポウルの肉体関係へと発展し、男が圧倒的に多い職場の中には油断をしてはならない人物が多数いることを知ってしまったベルトロイであった。





 ヒュン、ヒュン。

 風を切り裂く刃が幾度も宙を舞い続ける。ひらひらと剣を翻しながら軽業のような素早い体捌きで姿勢を変えながらも、一文字に奔る剣閃には乱れがない。

 胴回しのように体を空中で捻りながら着地して背後に一閃。すぐさま正面へ一閃。顔の前に柄頭を持ち上げ、ぐんと姿勢を落として足元にひと突き。土を巻き上げながら逆風に断つ。

 一連の動作に淀みはなく、そして非力さもない。どの攻撃も男に引けを取らぬ重さがあり、ミラは昂った呼吸を落ち着かせようと静止したまま細く息を吐いた。

 額から頬へと滑る汗の雫が地面へと落ちた瞬間、再び剣技を振るい始める。剣術における九種の斬撃を絶え間なく繰り出し、そこに拳打、蹴脚と体術も組み込み嵐を思わせる連撃が目にも留まらぬ速さで迸る。

 だん、と強く地面を踏み込んで最後に八相の構えから渾身の袈裟斬りを振り下ろし、ぴたりと切先を止めた。

 暫く息を詰め、余韻が消えると同時に大きく息を吐き出した。そしてそれを待っていたかのように、拍手の音がミラへと打ち鳴らされる。


「お見事お見事。流石は“騎士の誉れ”のご息女。実に見事である」


邪魔をされたと思って鋭い眼光が見物人へと不躾に向けられたが、誰なのかを理解すると途端に態度を軟化させて、似合わぬお辞儀を行った。


「お久しぶりです団長」


 熊を思わせるガタイのいい髭の大男。背には巨大な剣を背負い、手には体格以上に巨大なラージシールドを易易と持っているこの男が、王国騎士団の頂点。

 名をドグマ・ゼルティクト。またの名を“剛剣”ドグマと呼ぶ。二つ名持ちの勇者であった。

 ミラが顔を上げると、まるで父親のような温かい目で見つめ、その成長を喜ぶように大きく二度頷いた。

 ドグマは、ミラが訓練時代から長年指導官を務めていたことがある。サイファー公爵とは旧知の仲でもあり、幼い頃から彼女の成長を見守り、時に育ててきたのだ。

 騎士団長になってから各国を渡り歩くことが多く、こうして久々に顔を合わせては、徐々に大人へと変わり、人として成熟していくミラを喜ばしく思っている。

 同時にほろりと涙も溢れる。どうして嗜虐趣味なんてものを得てしまったのだろうかと。


「しかし、戻って来られるのが些か早くありませんか? 本来であればあとひと月は列島国に滞在なさるはずですが」

「うむ。ただ先方との話はついたのでな。此方できな臭い動きがあると聞いて戻ってきたのだ」

「それは。お手を煩わせてしまい申し訳ありません」

「なに、構わぬとも。四方四国とは良好な関係を保てておる。大臣も今は神都の件を優先せよとのお達しだ。それにこうも橋渡しばかりさせられては腕が鈍ってしまうでな」


 まるで、争いが起きることを予測している口振りである。

 ミラもその意見には同感なのか、律していた感情を僅かに表へと出し、きつい目つきでドグマを見つめる。真剣な話をする時の顔つきに、表情を崩していたドグマも気を引き締めた。


「やはり、公国は動くと」

「ああ。恐らくな」

「そうですか……」

「ミラ、自分に与えられた任務は聞き及んでいるか?」

「はっ、神都内にて怪しい動きをする者達を捕らえる遊撃の任であります」

「うむ。他の者達が王立騎士団として顔を出している中で、お前達は市井に紛れて動いてもらうことになる。あまり褒められた手段ではないが、な」

「しかし、神都側の動向も掴めぬ今のままでは、何ら対策を見出だせずに戦端が開かれることに」

「公国が何をしているのかは想像がつく。大方お得意の魔獣使いを用いる用意をしてるはずだ。表面上は取り繕えていても、周辺地域で高ランクの魔物が徐々に減っていると知れば馬鹿でも分かるとも」

「しかし馬鹿正直に突っ込んでくるはずはありませんね」

「王国内で手引きする者がいるか調べているところだ。まだ報告は上がっていないが」


 ラドル公国に関しては確定事項として話は進んでいた。以前からも怪しい動きは報告されており、疑う余地などないらしい。

 魔獣の研究を国で推進している公国が魔獣以外の選択肢で攻められるほど兵力があるとは思っておらず、魔物への対策だけを進めていればいい位に考えている。

 言っておくが、甘く見ているわけではない。取るべき対策がそれなりに確立されているだけで、脅威であるのは間違いなかった。

 それよりも――


「問題はディルアーゼルか……」


 神都に関してだけは、状況が何一つ掴みきれていない。こちらの方が問題になっている。

 浮上する話はどれもが噂の域を出ておらず、元老院が引退したかも、エルフが実権を握っているかも、教皇がどうなったかも、分かっていない。

 偵察も送っているはずだが、帰っては来るものの記憶が消されているせいでそこで何を見たかすら覚えずに帰ってくるのだ。

 それが誰によって行われているのか。それを真っ先に調べようと記憶改竄の魔術を解析するのだが、厳重なプロテクトのせいで解除できず、魔術部隊が首を捻っているのが現状。


「元老院が絡んでいる可能性も」

「ある。不自然に彼の者らが退いたと話に上がるから、裏で何かしている可能性も見える。同時にエルフの謀反の可能性もあるし公国の謀略の線も捨てがたい。まったくもって嫌らしい手を使ってくるな」

「しかし、大賢者は何をしているのですか。記憶改竄の魔術くらいさっさと解いてくれればいいものを、ちんたらちんたらっ」

「落ち着けミラ。理由は知らぬが、ヴァレイルも手を焼いているそうだ」

「……ご冗談を」


 “大賢者”ヴァレイル・オーダー。この中央のレスティア大陸では並ぶもの無しと称される正真正銘の大魔術師。元素、古代、神聖、奇跡、呪法。5つ存在する魔術系統全てに精通し、使えぬ魔術など存在しないと豪語する国の重鎮が解除出来ないなど、冗談以外の何物でもない。


「……本当に、このレスティア大陸だけの問題なのですか? 魔術大国のカランドラ王国であれば、或いは」

「それは無理だな。あの国が我らに干渉するなど不可能に近い。そもそもシュトミル教を信仰する国がわざわざ手を出すなど」

「ですが」

「それは決して有り得ん。分かって口にしているのであればそろそろ噤め」


 強い口調でそう言われ、ミラはぐっと唇を噛むようにして押し黙った。

 長く保てている平穏が、たかが金儲けの末に生まれる戦争で失われるなど、騎士の誉れとしては看過できるものではない。無意識に沸き起こっていた憤りを認識し、一つ大きく息を吐いた。


「なんにせよ、最も警戒すべきは公国だ。そちらは我々に任せ、お前はしっかり神都にて役目を果たすように」

「承知しました」


 手に握ったままでいた剣を逆さに持ち、胸の前で両手で握り締める。すっかり似合うようになった敬礼の姿に、またドグマの頬が緩んだ。


「それで、同行させる者は決まったのか?」


 ミラの単独行動は本来騎士がすべき所業ではない。適当に放浪戦士でも雇って行わせればいいことでもある。

 そうしないのは、相手に騎士は動かないと思い込んでいる隙を突く狙いがある。神都での首謀者を見つけ次第迅速に捕らえる為に、重要なこの任務をミラが担うのだ。


「はい、新米の騎士を選別しております」


 もう一度言うが、重要な任務である。当然しくじる訳にはいかず、必ず情報か、もしくは犯人を捕らえるかしなければならない。

 にも関わらず、選別している対象が言うに事欠いて新米など、これにはドグマも大口を開けて呆然としてしまった。


「……すまん、聞き間違えか?」

「何がでしょうか」

「今、新米を選別していると言ったか?」

「はい」


 思わず眉間を揉みほぐすのも無理はないだろう。


「ミラ、何を考えている。この任務がどれだけ重要かはお前も分かっているだろう。もっと手練を揃えるべきだ。ゼンツ・バウムとか、うちの倅とか、色々いるぞ?」

「いえ、不要です。市井に紛れるのであれば、騎士の作法が身に付いてしまった者を率いるのは不安ですので、まだきっちり仕込まれていない者を使おうかと」

「それで戦力になるのか?」

「期待しておりません」


 要するに、連れて行くには行くが、ただそれだけで自分が一人でなんとかする腹積もりと言うわけだ。

 確かにミラと同等に戦えるとなれば中隊長以上の階級を持つ騎士しか居ない。ドグマが挙げた名前は確かに強いが、彼女に追随出来るかと問われれば首を傾げてしまう。

 間違ってはいないのだがどうにも納得がいかず、説得する方法をドグマは模索するも、堅物の彼女相手では名案が思い浮かばない。


「ご心配なく。必ずや努めを果たしてみせますので。それでは、午後の教練があるのでこれで」

「いや、待て。おいミラ! まったく、どうしてあんな子になってしまったのか」


 自分の教導の仕方が問題だったのだろうかと、ついつい考えて騎士団長らしからぬ情けない顔でミラの背を見送るドグマであった。





 リフェリス王城。どっしりと構えた白い城の地下には広い空間が作られている。

 荘厳な景観とは正反対の、薄暗くじめじめしたその部屋の中には数多くの奇妙な実験器具が置かれており、怪しげに光る液体が幾つもシリンダーの中で流動しているのが見える。

 その部屋の主は、杖を鳴らしながら診察台に寝かせられた被験体の傍まで行くと、ぶつぶつ呪文を唱えてから杖の先を額へと向けた。


「【バニシングルーン】」


 ぼそりと口にした発動キーに反応して杖の先から青白い魔法陣が出現すると、被験体の全身を淡く光らせただけで静かに収束していく。

 結果は失敗だ。自分の放った呪文が正常に発動したのを確認しながら、主はつかつかと揺り椅子まで行き、乱暴に腰を下ろした。


「また駄目とは。まさか我輩に解除出来ぬ魔術がこの世に存在したとはなあ。くくくく、なんとも愉快ではないか! 一体何処の誰が我輩に喧嘩を売っているのだろう。ああ、なんとも楽しい。楽しいぞ! 吾輩は貴様を宿敵と定めよう! 必ずやその複雑怪奇な術式を解除してみせるぞ!」


 かっと目を見開き、ぐらぐらと椅子を揺らす老けた主は、とりあえず言いたいことは言い終わったようなので次の手段を考え始める。

 前後に規則正しいリズムで揺れながら頭の中を駆け巡るのは様々な言葉と順序と配置。魔術に必要な術式を読み解き、どのように綻びを生み出して崩壊させるのかが解除系の魔術の仕組みとなっている。

 被験体が運ばれてきてから既に5日。挑んだ回数は述べ272回。あと2日すれば別の被験体が連れて来られるので、この術式を相手にする期限は刻々と迫っていた。


「宿敵は慎重が過ぎるほど慎重だ。要らない工程があまりにも多いが、そのせいで余計に意味が分からない。使っている言葉は我らと変わらぬというのに、記憶改竄の魔術で本来使わない言葉も組み込むとは。我輩でさえ爆発したらおっかないからやっておらんと言うのに、なんとも羨ましいチャレンジ精神よ」


 高度な魔術になればなるほど複雑な言葉や順序を踏むが、その代わりに無駄が削ぎ落とされて純粋な高威力魔術へと昇華されるのが常識とされている。しかし、諜報員にかけられている魔術は、不要なものが敷き詰められているにも関わらず高位魔術と同等の効力を生み出しており大変興味深い。

 くつくつと喉を鳴らして笑っていた主だったが、突然部屋の景色が明るくなったことに驚いてビクンと尻を僅かに浮かせた。

 じめじめした空間が、不思議と手術室のようななんとも言えない清潔感の漂う白い部屋へと変わり、魔力光の灯を部屋に行き渡らせた人物は少し怒った様子でいる。


「ヴァレイル様ぁ、暗い中で実験したら駄目だって言ってるじゃないですか。目悪くしますよ」

「ふふふ、我輩を誰だと思っているのだチェルミーよ。“大賢者”ヴァレイル・オーダーであるぞ」

「晩御飯抜きにしましょうか」

「ごめんなさい、それは駄目です。もうお腹ぺこぺこなんで本当にそれだけは」


 むっとした白衣の人物に土下座しそうな勢いで謝罪する40を超えたばかりの男。

 この男こそが大賢者と称される勇者ヴァレイル・オーダーであり、溜め息を吐きながら弁当を用意する若い人物は助手のセーヴィルである。


「で、少しは進みました? もうヴァレイル様しか頼れないんだってさっき大臣に泣きつかれましたよ?」

「今解ろうとしている最中だと伝えておきたまえ」

「もう言いましたよ。これ解けなかったら大賢者なんて大それた称号を剥奪するか考えるとも言っていましたが」

「あの狸親父め……吾輩がこれほど尽力しているというのになんだその扱いは!」

「普段ぐーたらしてるのが悪いんです。手抜きしてるって思ってますよきっと」

「ひにふわん。ひふれあひゃふひはほほひひらへへ」

「食べてから喋って下さい」


 渡された弁当を貪るヴァレイルの調子が普段と変わらないので、セーヴィルは視線を被験体へと向けた。

 被験体と呼んでいるが、実際はただの偵察部隊の隊員が診察台の上でぐっすり眠っているだけだ。なんとなくヴァレイルがそう呼んでいるだけだったりする。


「で、進展は?」

「ない」


 爪楊枝で口の中を掃除しながら、ボサボサの髪をかき乱してヴァレイルは背もたれに体を預ける。


「我らの使う魔術とは似て非なるもの、と呼んでも過言ではないかも知れん。これだけ無駄が多いのにどれもが最適な効果を生み出している。解除させない為の仕組みかとも思ったが、これはこれが完成形なのだよ」


 オンボロのローブのポケットから一枚の紙を取り出し、セーヴィルへと投げつけた。

 その中身はヴァレイルが読み取った術式の図面。セーヴィルは眼鏡を何度も直しながらじっくりと見つめ、観念したように視線を外す。


「解けないです」

「であろう。我輩が苦戦しているものを貴様に容易く解かれてたまるか。形式は古代魔術に近いものがあるのだが、あと一歩が辿り着けぬのだよ」

「あと一歩なんですか? 本当に?」

「……ほ、本当ですとも。ほんと、本当だってば。あ、待って! 待って! 今大臣のとこ行こうとしたよね!? ごめん嘘ですあと4歩くらい足りてませんでしたああああ!」


 とても偉い大賢者なはずが、どうしても助手にだけは頭が上がらないようで、静かに部屋を出て行こうとする太腿に縋りつくように抱きつく姿は誰が見ても変態である。

 そうだろうとは思っていたのか、助手も素直に元の位置へと移動してカップに注いだ紅茶を口に含みつつ、五体投地しているヴァレイルを見下した。


「目処は立たないとはお伝えしても構いませんね」

「ううう、構いません」

「そうなると、ますます謎ですね。この魔術が一体どのような人物によって生み出されたのか」

「それも気にはなるが、大臣にはこうも言っておけ。神都には我に負けず劣らずの強力な魔術師がいると」


 土下座をやめたヴァレイルの目は本気だ。

 

 プライドが高く、偉ぶっているくせに少し突くとへなちょこになる。だが魔術だけは他の追随を許さないから彼は大賢者だと言うのに、なんの躊躇いもなく同格の存在を認めたことにセーヴィルは少なからず驚きを感じた。


「我輩とて無知ではない。今王国がどのような状況下に置かれているかは知っておる。だからこその警告である。公国の手の者かどうかなど現状知る由もないが、我輩自ら赴きたいと思う程に出来栄えのいい術式なのだ」

「それは意見交換をしたいと?」

「ふははは、ブチ殺すに決まっておろう! 最強の魔術師など大陸に一人で十分なのだ!」


 しかし明確に闘志は抱いているらしく、無理に高笑いをしながら被験体の側へ寄るのをセーヴィルは黙って見つめる。

 ここ最近暇だったので問題が降ってきたのは好都合ではあったが、それはヴァレイルがどんな魔術でも解除出来ると思っていたからだ。

 それが出来ないとなると、今回の戦、相当苦しいものになると予想される。相手は強力な神聖騎士と魔獣使い。加えて超級の魔術師などどう対処するというのか。

 国が魔術で頼れるのはヴァレイルしか居らず、彼が対抗策を見つけ出せるかどうかが勝敗の分かれ目になるだろう。

 音を立てて紅茶を啜りながら、水を得た魚のようにはしゃぐ馬鹿な大賢者が解決してくれることを、心の中でひっそりと願った。



今回の肝になりそうな人達が続々登場。

地味にですけど、今回は長くなりそうな予感がしてくる……。

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