1 勇者候補
いきなりの展開。
リフェリス王国。
銀の鷹を象徴とする王国は中央のレスティア大陸を支配しており、五大国家の一つに数えられている。
度重なる戦争の末に権力を収束し、未だ四方の大陸を支配する国々には及ばないながらも、交易によって徐々に力を付けている国であった。
宗教の中でもっとも信者の多いアーゼライ教の聖地と言う大きな市場もあるため、戦乱が起きなければいずれは他国に比肩しうるだけの経済力を得るだろうと、言われてきた。
しかしここ最近、その肝心要の神都にて不穏な噂が流れている。
――元老院の引退。
神都を統括し、利益を生み出してきた元老院が突然その存在を消した。
何の報せもないため、いくらなんでもそれはあり得ないと誰もが口々に言うが、しかし現在はその地位をエルフへと譲っていると聞く。
王国にとって神都、聖地の存在は貴重な収入源であると同時に心の拠り所でもある。他人を重んじる精神や、自らを律する意志を持たせるのに、信じる心とはとても大きな力を与えるものだ。
それをどれだけの人が実行できているかはさておいても、どれだけ国にとって重要かは分かっていただけることだろう。
その聖地を任されていた人間が突然その地位を降り、同じアーゼライ教の教徒とは言え、エルフに一任したなど信じがたいものがある。
リフェリス王国の重鎮達は事態の解明を急ぐものの、その成果は上げられることはなく、既に一週間が経過している。
神都制圧より、半月が経過していた。
◆
「でやああああああっ!」
頑丈な甲冑を鳴らしながら疾走する小柄な男が、彼よりも背の低い軽鎧に身を包む女へと向かってゆく。
未熟ながらに鬼気迫る裂帛の気合いを声と共に相手にぶつけ、高く掲げられた長剣を袈裟切りに振り下ろした。
銀と橙の色を基調とした鎧を見る限りどうやら騎士と思われる。声の質はまだまだ若く、しかし耳で感じた声からは歴戦の勇士を思わせるほど真っ直ぐに力が篭もっていた。
そこらの兵士であれば容易く両断せしめん一刀だったが、相対していた女は襲い来る刀身の腹に軽く剣先を押し当てて軌道を逸らすと、そのまま勢い良く首を刈り取らんと刃を返して奔らせる。
振り下ろされた剣身を滑るように接近する銀閃。男は柄を持ち上げて遮ろうと図るが、滑る銀閃は鍔に引っかかった途端に方向を変えて下へと押しつけるように降下し、細身の女性とは思えぬ力によって男の姿勢を前方に揺らがせた。
「くそっ」
予想外の力の強さに悪態を吐きながらも次の手を考えるも、首筋に一筋の冷たさを感じる方が早く、ぴたりと両者の動きが止まる。
ふわりと、濃紺の髪が余韻で靡いた。
「っ……参り、ました」
たった一合、刃を合わせただけで決まった勝敗に、ヘルムの奥で苦い顔を作る若い男を、女は刃にも劣らぬ冷たい視線で睨みつけている。
「ベルトロイ・バーゼス。貴様は馬鹿なのか。いや、馬鹿正直に走りかかってきて真っ直ぐ斬り捨てようとするのだから馬鹿だろうな。駆け引きのかの字もない」
鞘に剣を納めながらも、女は男――ベルトロイ・バーゼスから視線を外すことなく見据えている。
ぼろぼろに言われているベルトロイはそこまで気が長い方ではなく、言葉よりも手の方が早い。しかし相手がこうも格上だとそういうわけにもいかず、加えて上官では大人しく聞いていることしかできなかった。
「まったく、それでも“勇者候補”か」
聞き慣れない言葉。しかしこの世界では当たり前のように聞く言葉でもある。
勇者候補ベルトロイ・バーゼス。今年17。王立騎士団所属1年目。訓練時代を抜け出して直面したのは、過酷な鍛錬の日々だった。
リフェリス王国に限らず、この世界には数多くの“勇者”が存在している。
その起源はこの世界の歴史に触れなければならず、200年前にまで遡る。
200年前。この世界には一つの大きな戦争が起きた。
それは長年続いていた人間同士の争いではなく、人間と、魔物の戦争だ。
世界創造から長きに渡り人間は魔物の脅威に曝されながらも国の版図を広げんとぶつかってきたが、ある日を境に魔物たちの行動が不自然になった。
村や街を襲撃することはよくあったが、本来ならば決して行動を共にすることのない種族が共闘していることが増えていたのだ。
動物に近い魔物が敵対する種族と共に動くなどただ事ではない。次第に広がっていく情報は世界中を駆け巡り、徐々に魔物達に対して奇妙な違和感を植え付けていった。
それからしばらくの間は変化はなかったが、大きく事が動いたのは聖暦666年6の月1週目の6の日。
当時最大の勢力を誇った北のニュエル帝国が、僅か一晩のうちに壊滅した。
ニュエル帝国は北と西の大陸を併呑し、そのまま順調に進めば5大陸全てを手中に収めるのではないかと言われていた。
そんな巨大戦争国家、その本拠地が潰えるなど誰も考えつかず、世界を震撼させる出来事に加えてもう一つ衝撃の出来事が起こる。
――魔王君臨。
ニュエル帝国より更に北にある小さな島にて、魔物を統べる者を名乗る存在が全世界へ宣戦布告をしたのだ。
この話題は瞬く間に広がり、その速度にも負けぬ勢いで魔王は侵略を開始する。
人間ではなく、魔物の大軍が押し寄せる。圧倒的な物量で、秩序なく人間を貪る。今までも脅威だった魔物が束になるだけで人類は劣勢へと追い込まれてしまった。
一番の要因は魔物に対して無策だったことだろうと歴史家は言う。
魔物一つ一つの対処法を知ってはいても、それが揃うとは誰一人として考えていなかった。ニュエル帝国がもし事前に知っていたとしても、対処できたかどうかは分からない。そう言われている。
愚直なまでに突き進む魔物の軍勢。迫る脅威に備えようにも、呼応するように各地の魔物も活発に動くようになり、その対処にまで追われてしまう。
無策のまま月日は流れていき、北、西、東の大陸が魔物に奪われ、残すは中央の大陸の半分と南を残すのみとなった。
どうにか南の国は大陸から魔物を駆逐したが、代わりに戦の波を逃れてきた人々に埋め尽くされ、刻一刻と迫る滅亡をただ見ているしかできずにいた。
しかし、そこに光明が差し込む。
聖域の力によって魔物を阻んでいた神都に、突如天に巨大な魔法陣が現れ、九人の騎士がディエルコルテの丘に降り立った。
それはこの世界の危機を察したアーゼライが遣わした勇者だったのだ――
「その勇者たちは我らに戦う術を伝え、超越した力を用いて魔物たちを次々に倒し、幾多の困難を乗り越えて遂に魔王を倒したのだ!」
赤いカーペットが敷き詰められた講堂の教壇で教鞭を振るう大男の話を、ベルトロイは机に肘をついた姿勢で話半分に聞いていた。
「その血を継ぐ者たちは往々にして強い能力を持っている。それは貴様らも例外ではないだろう」
この講堂に集う若者たちは、皆勇者の血を受け継いでいる。それがどれだけ遠縁であったとしても、体に勇者の遺伝子があるだけで“勇者候補”として扱われるのだ。
これを勇者制度という。人魔戦争から100年の時を経て定められたこの制度は全世界で取り入れられており、どの国も未来の勇者を育成しようと力を入れている。
いつか訪れるかもしれない魔物の侵略に備えて、という体面で行われていることだが、
(人間相手にさせる方が多いくせによく言うよ)
実際は、さしたる苦労なく強力な兵士を育成しやすいのが理由であった。
今では技術革新も進み、魔術開発も進んだ。よほど強力な魔物でもない限りは退けるに苦労はない。
となれば、今のご時世で魔物相手に大戦を行うなど考えられず、当然世界を救った力の矛先は、救われた人間に向くのだった。
「有名な勇者を挙げるなら、“灼炎”レムリア、“瀑布”イーサン・ダンハートなどがそうだ。我が国の大賢者“大火”ヴァレイル・オーダー様も勇者候補から抜擢された御方と聞く」
どの勇者も、その高名は戦果で得たもの。人のためではなく、国の利益を生んだことで世に名を広めた者たちだ。
まだ御伽噺で聞かされてきた九人の勇者の話を信じているベルトロイにしてみれば、そんなのどこが勇者なんだよと突っ込みたくなる。
「いずれ貴様らも二つ名持ちになる日が訪れるかも知れぬが、一介の騎士としてもまだ未熟な今はただの小僧に――っと、時間か。ではこれで終了する。兵科長、号令を」
「全員、敬礼せよ!」
時計を見て定刻を過ぎていることに気付いた教官がクラス委員長と同義の兵科長に合図をすると、兵科長の号令に合わせて全員が起立して両手を胸の前に添えた。持たざる剣を掲げる敬礼をすると、教官は胸に拳を添えてから足早に講堂から退室していった。
途端、室内の空気が緩むのが分かる。堰を切ったように話し声があちこちから溢れ、教官への悪口や遊びや趣味の話題が上った。
ベルトロイも、当たり前のようにその中に身を投じる。
「おいベル、お前さっきミラ嬢にのされたらしいじゃん」
話しかけてきたのは訓練校からの友人であるポウル・デルフィ。
図体がベルトロイより一回り以上大きく、人相の悪さからあまり人が近寄らないが、実際は割と馬鹿な青年である。
「うっせえよ。お前もグランツ中隊長にぶっ飛ばされたって聞いてんだけど?」
「ばーか。そうじゃねえよ。ミラ嬢って言えば騎士団でも五本の指に入る美少女様だぜ? そんな人に相手してもらえるとか最高じゃん」
「目付けられてるだけだ」
「それが羨ましいってのに、ほんと興味ねえんだなお前。男色?」
「ぶん殴るぞ……」
机の上で作られた拳を見て、ポウルは大袈裟に「怖い怖い」と両手を広げてポーズを取った。
次の隊列訓練を行う訓練場へと向かいながら、目つきの悪い男が二人並んで廊下を歩くと、自然と人通りに分け目が出来上がる。
いつものことだとポウルは気にも留めずにいたが、ベルトロイはそうもいかなかった。
(くそっ、どいつもこいつもビビりやがって。こんな顔でなきゃクソ女に絡まれなかったのによ……)
騎士団と言えばイメージするのは美男美女の集まりだが、実際はそうでもない。が、この2人に関して言えばそうでもない枠にすら当てはまらなかった。
ベルトロイは、勇者の血が本当に流れているのか疑わしいくらいの分家の分家の分家の……以下略レベルで遠い血族である。
どうやって調べられたのか知らないが、突然騎士団の人間が現れて訓練校へと叩き込まれたのだ。
貧乏な暮らしと治安の悪い地域に住んでいたせいもあって悪いことをしていそうな顔をしているせいか、騎士団の面々は見聞を気にしてそんな顔の人間を入団させるのをかなり渋った。
しかしそこで現れたのが、件のミラ・サイファー小隊長である。
何かの報告だったのか、偶々ベルトロイの処遇を話し合っている部屋に入ってきて、その顔を見たと同時に、
――なんだこのチンピラは。勇者候補か。ならその性根を叩き直してやるぞ。覚悟しろベルトロイ・バーゼス。
と吐き捨てたのだった。
お陰でベルトロイは訓練時代から一貫してミラの世話になっており、そしてこれからの騎士団生活でもミラに叩きのめされる日々というわけだ。
(ちくしょう……)
かなり気に食わないが、どう足掻いても勝てないので文句の言いようがない。
いつか地面に顔を擦り付けてやると心に決めながら外へ出ると、ベルトロイたちとは逆に中へ戻ろうとする者たちがやってくる。
ベルトロイと同じ白い騎士団正式隊服だが、胸に付けられた紋章が違う。相手には鷹と剣の紋。対してベルトロイたちは翼の紋章だった。
「お、才能の無い勇者のみなさんじゃねえか。こんな所で遊んでんのかい? 随分と楽なようだな」
口火を切ったのは先頭を歩いていた相手側の男から。
いつの間にか先頭を歩いていたベルトロイが無視しようとしたが、それを買ってしまったのはポウルだった。
「今年の騎士は不作だって教官嘆いてたぜ? 今すぐママの所に帰ったらどうだ?」
「おい、やめろポウル」
「それは勇者の聞き間違いじゃねえの? てめえらは毎年不作だと嘆かれているらしいしよ」
気障な態度で煽りかける先頭の男に倣って周囲の者も笑えば、ポウルの顔つきが変わっていく。
「クソが。たかが騎士風情でヌかすじゃねえか」
「何もしなくても昇級できる勇者如きが俺らに勝てるとでも?」
「上等だこら。やってやろうじゃねえの」
「おいやめろってお前ら」
同じ騎士団員でありながら明確な対立が発生するには、ある理由があった。
勇者候補とは、まるで国の宝のように大事に扱われており、勇者の血を引いていれば国に従事することができる。たとえ能力が開花しようとしなくとも関係なくだ。
国は勇者の血を濃くするため、優秀な遺伝子を合わせるためにと勇者の血を引く者を手当たり次第集めているので、どれだけ無能でも職にも給金にも決して困りはしない。
しかし一般から入った騎士候補は違う。訓練校に入る前から篩にかけられ、使えない者は容赦なく切り捨てられていく。
騎士になる夢を叶えるためにひたすら努力を繰り返し、心血を注いで騎士見習いにまでなっているのだ。
勇者候補とは心構えが違うし、その力も現段階で大きく差がある。
安定した暮らしを得るために日々を過ごす騎士見習いと、なあなあと流されるだけの勇者候補とでは埋められない溝が存在するのだ。
これとは別に貴族の騎士見習いの集団もいるが、それは追々説明しよう。
「騒ぎを起こすなよ。どうなるか知らねえぞ」
「なんだ、ビビってんのかよ勇者さんよぉ」
「ベル、こんな奴らぶっ飛ばしゃすぐ黙るぜ。なんで止めんだよ」
「なんかしたら滅茶苦茶罰せられんの知ってんだろうが!」
「バレなきゃいいんだよ。まぁ見とけ、すぐに終わる」
「お、おい!」
訓練校時代と違い、騎士団で騒ぎを起こせば即除名が有り得る。それも入団したての若造であれば遠慮なく切り捨てられるだろう。たとえ勇者候補であっても厳しい処罰が下るのは確実で、そんな目に会うのは勘弁願いたいベルトロイは2人の間に割って入りなんとか仲裁しようと試みる。
しかし当然そんなことで収まるわけがなく、ベルトロイを退けてぶつかり合おうと手を振り回す2人。
いよいよ抑えきれなくなりそうになり、誰か手を貸してくれないのかと心で思っていたのと同時に、何故か背後から硬い軍靴の感触を感じた。
「……は?」
身に覚えの無い一撃で地面に倒れ伏すベルトロイをワケも分からず見ていたポウルと騎士見習いであったが、それを放った人物に気付いて凍りついた。
「何を騒いでいるのか聞いてもいいか? なぁベルトロイ・バーゼス」
見た目以上に強力な一撃だったらしく、ぴくぴく痙攣するベルトロイを踏みつけると、その背中をぐりぐりと躙っている。
銀色の髪を靡かせて、純白の騎士団正式隊服を着こなす氷の女王、ミラ・サイファーが腕組みをして見下ろした。
「な、何もありません、ミラ指導官……」
「ああ、そうだな。確かに何もなかったな。粋がったクソガキが生意気にもこの騎士団の敷地内で反吐が出そうなしょうもないことで殴り合おうとしている以外はな」
氷柱を思わせる冷えた視線がポウルに突き刺さると、その剣幕に気圧されたのかピンと背筋を伸ばし、剣を捧げる構えを取った。
「申し訳ありませんでしたミラ指導官殿!」
「誰が指導官だ脳筋が。貴様の指導官になどなった覚えはないぞ。一度矯正してやろうか? ん?」
「し、失礼しましたミラ小隊長殿!」
「それでいい。で、貴様はヘンリー小隊長のもとに配属された奴だったな。貴様は私に対して何か言うことはないのか? 巫山戯た行為で私の道を遮り、まさか何も言葉がないとは言わせないぞ?」
「はっ、申し訳ありませんでしたミラ小隊長殿!」
「お前ら同士啀み合うのは興味ないが、それは国への反抗を意味するものとも取れる。よく聞け。貴様らの処遇は全て国が定めたことだ。勇者候補の優遇も、一般騎士志望の選別もだ。それに対して反感があるのなら今直ぐここを辞めて家に帰れ。国に仕える者が国に意見を言いたいなら一市民になって言え」
ぐっと強く踏むと、ベルトロイの口から蛙の潰れたような呻き声が漏れた。
「騎士とは国に殉ずる者だ。国の所有物であり駒だ。甘ったるい夢が見たいなら早々に消えろ。辞めたいなら今ここで私に言ってもいいぞ? すぐに騎士団長のもとに辞表を届けてやる」
「いいえ! 辞めません!」
「私もです!」
「そうか。まぁ次同じような場面を見かけた場合は直々に処罰してやるから死の淵が見たければ遠慮なく喧嘩でもするといい」
にやりと笑った顔は美しさに合わせて嗜虐的な匂いを漂わせている。
騎士団内で五指に入る美しさとは言え、この暴力の塊のような女の手綱を引ける者など早々現れはしないだろう。
「さて、ベルトロイ・バーゼス。私が直々に指導しているというのになんだこの体たらくは。男2人も止められないのか?」
「ぼ、暴力は処罰の対象なので――ぐえっ」
「本当に馬鹿か貴様は。周囲に声をかけたり大声を上げたりして場を収めれば良かったものを、1人でどうにかしようなど本当に馬鹿だな」
「し、しかし誰も手助けに――」
「来ないなら来たいと思わせるように言えばいいのだ。一緒に処罰されたいのかなどと脅しをかけてだ。本当に貴様は。どうやらもう一度指導しておく必要がありそうだな、ベルトロイ・バーゼス」
「いや、これから隊列訓練が――うぐふっ」
「言葉遣いがなってないぞ。それに私の言葉には全てイエスだ」
「イ、イエス。ミラ指導官」
「様を付けろよベルトロイ・バーゼス」
「うぐう、ミラ指導官様……」
「ふふん。上下関係を守れぬ者など騎士団には必要ないからな。その荒れた性格が矯正されるまで私は貴様を苛め抜いてやる」
言葉の節々には言葉の暴力がこれでもかと練り込まれており、その度にベルトロイのプライドを刺激してくるが、実力も今の体勢もミラが上である以上従うほかなく、地面を見つめながらも唇を噛みちぎりそうな勢いでこらえていた。
周囲の視線が集まっていることに気付いたミラは、ベルトロイを苛めるのにも満足したらしく、登場したときと同じように静かに場を離れていった。
ベルトロイを引き摺って。
「あー、ありゃすげえわ。ベルの気持ち分かったかも」
あまりの熾烈さに見ているだけだったポウルだが、2人に聞こえないように小さくご愁傷様と呟いた。
◆
王国騎士団の任務は、周辺地域の警戒、及び脅威の排除が主である。
それは魔物相手でもあるし、人間相手でもあるが、警備隊とやっていることに大差はないだろう。
と言うより、他にすることがあまり無いのだ。能力の高い者が集められた上位の騎士たちであれば遠征などで遠い地に足を運んであらゆる任務をこなすが、国内に常勤している騎士たちのすることと言えばその程度しかない。
稀に遠出をするとなると、貴族や王族、騎士団の他国訪問の護衛に偶然抜擢されるくらいなもので、本当に暇である。
戦争が起こらず、大きな諍いもないに越したことはない。しかし戦力を持て余してばかりでは、金の無駄だと財務官たちに煙たがられるばかりだ。
「そこでだ。ベルトロイ・バーゼス。お前に提案がある」
「話が見えませんミラ指導官様。あと自分は現在倒立させられていてまともに聞ける体勢ではないのですが」
「いいから聞け」
ポウルたちが向かったのとは別の訓練場。騎士団の隊長陣が使用する場所にて、何故かベルトロイは倒立させられていた。
上半身は裸になり、引き締まった肉体に負荷がかかってしっかりとした筋肉が浮き出ている。滴る汗は頭上で土を濡らしているが、そんなことはお構いなしに、ミラは樽に腰掛けて遠くを見つめていた。
「恐らく明日には決まるはずだが、神都へ遠征することになる。それに貴様を同行させようと思う」
「やはり話が見えません。まず王国が神都に赴くなど、行事でも無い限りなかったはずです」
「これは内緒の話だ。私も騎士団長から聞いただけで詳しくは知らないんだが、どうやら神都と公国の様子がおかしいんだそうだ」
神都ディルアーゼルとラドル公国と言えば、リフェリス王国の財布と影で揶揄される宗教の国。それがおかしいとなると、内容を知らずとも只事ではないと想像できる。
「まず神都だが、元老院が突然の引退を表明し、その後釜にエルフを据えた」
「……まぁ少し違和感は感じますが、別にいいのでは。エルフとてアーゼライ教を信仰する者です。差別意識を無くすにはもってこいかと」
「その差別を元老院の連中は率先して行なっていたらしいぞ?」
「はぁ?」
ベルトロイの疑問も無理はない。アーゼライ教は種族に関わらず信じる者を受け入れると豪語している宗教で、人間に限らず獣人や亜人も信仰していると話に聞く。
その本拠地である場所で差別を行なっていたと言われれば、誰だって意味が分からないだろう。
「それはどうでもいい。とにかく突然過ぎて怪しいのさ。エルフが神都を乗っ取ったんじゃないかって騒いでいる」
「ああ、なるほど」
「本当に興味が無いんだな貴様は。次に公国だが、何故か自分たちではなく王国に実態を確かめてきてほしいと願い出てきた」
「なぜですか。管理下を離れたとはいえ神都と公国は提携しているのでしょう?」
「ああ。だから神都の動きに公国が関与しているんじゃないかって疑っているのだ。王国に対して何かしようと企んでいるんじゃないかってな」
公国と王国はあまり仲が良くない。王国が公国の上にいるが、公国が抱えていた神都を独立させたせいで公国は収入が減り、しかし王国は支払わせる額を増やした。そのせいでラドル公は王国を憎んでいる。有名な話だ。
「で、その要請を受けるのですか」
「受けるしかないんだよ。なにせ受けなかったら税の支払いを拒否すると言うんだ。あそこから受け取れなきゃ王国は軽く傾くぞ」
「公国に命令して行かせることは?」
「同じことだ。我々をどうしても行かせたいらしい」
「はぁ……」
「ちなみに今までの話は全部極秘情報だ。外部に漏らしたら打首覚悟だから気をつけるように」
「ちょ、何話してんだよ!」
後出しの警告に思わず文句を言ったベルトロイの腹に蹴りが突き刺さり、軽く二回転して地面へと落下する。
「言葉遣いには注意しろと言ってあるぞ、ベルトロイ・バーゼス」
「も、申し訳ありませんミラ指導官様」
「話を戻すが、貴様を連れていくには理由がある。まず第一に私の小間使いの役目。第二に私に言い寄るカスの盾。第三に神官の友人を持っているから、だ」
1つ目、2つ目はかなりどうでも良かったし願い下げの内容だったが、最後の1つだけは聞き捨てならなかった。
「そ、それをどこで」
慌てて四つん這いになってミラを見上げたが、告げた本人は興味無さげに長い髪を弄っており、ベルトロイに顔を向けようともしない。
「別に隠せるものでもないし、隠しているわけでもないだろう? なら気にしても意味は無い。なんにせよ、使い道が貴様にはあるから連れていくのだ」
確かにベルトロイには歳の離れた友人がおり、2年ほど前に神官となって神都に仕えている。
正直、神都の話を聞いてその安否は気にしていたが、それを伝手にされるとは思ってもみなかった。
「奴らが何を隠しているのかを我々は知りたい。公国も気になるが、神都の情勢もだ。もしかすれば神都の所有権を手に入れる腹積もりかも知れないが、それは我々には関係ない。とにかく、これは決定事項だ。他言無用でおくように。分かったな?」
「っ……了解しました」
「物分りだけはいいようだ。それは褒めてやるぞ」
かなり気に食わないが、従うほかに術はない。
あれやこれやと都合よく利用されることを腹立たしく思いながらも、不敵に笑う女の尻に敷かれるしか、ベルトロイにはできないのだから。
なんてこった。勇者っぽいのが普通にいるじゃん。
その実力は未知数。楽しくなりそうです。