2 団長、動く
風邪。そう言われれば誰でもピンとくるだろう。
それがどういうものなのかを学術的に説明できる者は少なくとも、どんなことになって、どうすれば治るのかくらい分かっている。
それが人間だ。
しかしながら、魔物は病を患うことがない。
経験をしなければ理解できはしないし、周囲から話を聞くことだってない。
それがエステルドバロニアの国民となれば尚更だ。人間と関わりを持つことがほとんど無かったのだから。
故に、
「うぬぬぬぬ、なんなんだよかぜってー」
エレミヤがうあーっと頭を掻き乱すのも無理はない。なにせ想像ができないのだ。
うんうん唸りながら耳をパタパタ動かし、腕組をする。ふさふさの尻尾はくるりと巻いており、時折ふわりと伸びて周囲を払う仕草をしている。
街の大通りを軍団長が歩いていると、祭りの騒ぎに火を注ぐようなもので、そんな騒々しいところを好き好んで歩いたりは当然しない。
なので今現在、エレミヤは民家の屋根の上で胡座を掻いていた。
「目眩にー、高熱ー? あとなんだっけ。えーっと、咳とか嘔吐感とか、もう多すぎ! そんなにいっぱい変になるってどういう状態なのさ。もうもう、すっごいボコボコにされたりしないと分からないような状態だよー! そうでしょグラドラ!」
頭が沸騰しそうになったエレミヤが後ろを振り返る。
「だな。何もされてねえのに弱体魔術でもされてんのかって感じだろ」
「むむ! その可能性はあるのかなー」
「ねえだろ。ルシュカが気付く。まぁもう少し待ってろや。ガチホモが同じ領域に辿り着けそうだ」
「ま、待て。すまん、拙者もうしないと約束す――」
「死ね」
「ぐへぇっ、おぶふっ、ぬぐあっ!」
そこで行われていたのは、簀巻きにされた鬼の頭領がボコボコにされている光景であった。
巨大な狼、グラドラが兵衛の頭を鷲掴みにして殴っているのは訳がある。
数分前。この兵衛、エレミヤとグラドラの目を掻い潜って城へと逃走を図り、弱っているカロンのもとへ突撃したのだ。
無駄に能力の高い兵衛の行動に2人の反応は遅れてしまい、迂闊にも城門まで逃げられてしまった。
しかし、いくら兵衛が強かろうと、天下の王城を守護する番人を抜けられるはずもなく、獅子と狛犬の2匹によって軽く潰され、その罰としてカロンと同じ症状になるまで嬲り続けるという罰を受けている。
「どうだ、そろそろか?」
「拙者に分かるわけがなかろうが……頭が痛い、腹が痛い、目眩もする、もう十分ではないか……あと吐きそう」
「あと咳と高熱か」
「ま、待て待て! いくらなんでもそれは難しいと思わぬか!? と言うかおぬしさっき死ねと言ってなかったか!?」
「どうする、混じり物」
「まぁ、そろそろいいんじゃない? リーレちゃんに会うのが目的だしね」
「だな」
「殴られ損ではないか!」
普通なら確実に死ぬレベルなのだが、一二を争う頑丈さは伊達ではない。
ぎゃーぎゃー騒ぐ兵衛を無視したエレミヤはすっくと立ち上がり、目的の店を見定める。
多くの魔物、特に亜人が溢れかえる大通りに面した店。軍御用達のその店を見つけるのに苦労はない。
「もうすぐお昼終わっちゃうし、早く行かないとごたごたするよー?」
兵衛の頭を持ったままグラドラは頭を掻く。
「お前だけで行けよ。俺も行くとめんどくせぇ」
「あー、子供たかるもんね」
こう見えても、グラドラは子供に絶大な支持を得ている。
バロニア軍の2から7の軍団は前線部隊と呼ばれており、その中で、本来の姿になった守善を除けばグラドラはもっとも魔物らしい姿をしている。
戦となれば常に最前線を走り、小手先の技術を用いず圧倒的な力で捻じ伏せる姿。そんな勇ましい姿に子供が憧れないわけがない。
そのせいか、グラドラが街を歩くと子供の群れが取り巻いてしまい、思うように動けなくなることが多いのだ。
振り払えばいいのだが、国の将来を担う子と思えばそんな暴挙に出るわけにもいかず、苛立ちながら我慢して歩かなければならないのでストレスが溜まる。
短気と言えど、そういった分別はつくのだ。代わりに誰かが捌け口にされるが。
「でもさー、アタシが行っても同じじゃない?」
エレミヤも当然人気がある。前線部隊の中の女性団長はエレミヤの他に一人だけだ。
人前に姿を見せる機会も多いので、明るく気さくな性格に高身長のお姉さんタイプということもあって若い層に大変な人気がある。
なので、エレミヤが言ったとしてももみくちゃになるだろう。まして今は祭りの最中だ。普段以上に人だかりができてしまうだろう。
そうなると、残ったのは――
「……えー? わんころ、まさかと思うけどゴロベエ行かせる気ー?」
「じゃ誰が行くんだよ」
「そうだけどさー、こう、バロニア軍の面汚しを衆目に曝け出すのは気が引けるなーと」
「誰が面汚しだ! 拙者の剣技に酔いしれる男子は多く、軍の中でも一目置かれている拙者を面汚しと申すか!」
「その男どもが問題なんだよ。てめえのファンはどいつもこいつも気色わりい」
兵衛も確かに人気はある。
剣において右に出る者はおらず、戦場での働きも眼を見張るものがある。その剛柔併せ持つ斬撃は華やかさを感じられるほどに。
ただ、男好きでなければさぞかし素晴らしい剣士だったことだろう。生まれる時代、いや、世界が違えば衆道も認められただろうが、あいにくエステルドバロニアは同性愛を推奨してはいない。
「っち。仕方ねえな。こんな野郎でも役に立てばいいか」
「おい、おぬしらは仲間であろう。何故こうも拙者の命が加速度的に磨り減る所業を平気で行えるのか」
「そりゃあ、なあ?」
「王様に色目使うクソ野郎に優しくする必要って、ないよねー」
「嗚呼、我が主……同僚が拙者を甚振るのです……」
「……懺悔か?」
「違うわ!」
ともあれ、兵衛を行かせたとしても違う意味で騒ぎになるのは目に見えている。
「夜になるの、待つしかないかなー」
「だな。昼間に動くより目立たねえだろ」
「では、その小娘の自宅に押しかけでもするのか?」
「……発想が下品だよゴロベエ」
「全くだ。訪問すると言えよ」
「お前も行く気かー! 夜に乙女の家に行くのは安くないんだぞーデリカシーはないのか馬鹿犬ー!」
「んだとこのクソアマァ。すり潰してやろうか」
「上等だ犬っころー」
両者揃って喉を鳴らし、威嚇の構え。
毛を逆立てて臨戦態勢に入る2人を、グラドラの指の隙間から見ている兵衛は、静かに「夜になりそうだな」と悟る。
そして、自分がどういう扱いをされるかも悟った。
「っしゃおらあああ!」
「ちょりゃー!」
エレミヤは蹴りを放ち、グラドラは兵衛を振り回す。
その後どうなるのかは、ご想像にお任せしよう。
◆
「なぁ、リューさん。かぜって知ってる?」
切り株で作られた椅子の上、切り株のテーブルに肘を預けて守善はそう切り出した。
木漏れ日が淡く照らすフィレンツの森の中心には、広間のような空間が存在する。
エステルドバロニアが現れてから造られたもので、芝生の絨毯を敷き詰めて原木で全てを造った景観に人工的なものは感じられない。
揺れる葉に合わせて光が揺らぎ、その下で優しい風の音を聞きながらハープを奏でていたエルフが動きを止めた。
「風邪、ですか」
白く細い指を竪琴から離すと、ゆっくりと彼女は立ち上がる。
腰だめまで伸びた黄金の髪が彼女の動きに合わせて花開く。鮮やかなエメラルドグリーンのマーメイドドレスで顔に似合わぬ豊満なボディを隠し、美しい髪と同じ金のネックレスが首もとで煌めいた。
「知識としては持ち合わせていますよ」
側に生えた大木に立て掛けていた黄金の長杖を握りしめ、おっとりした優しい微笑みを彼女――リュミエールは守善へ向けた。
この森を拠点として東方の守護を任されるエルフを従える第14団団長。【ハイエルフロード】である彼女は、エルフと名の付く亜人を全て自らの部隊に集めていた。
とても穏やかな存在で、その優しさ溢れる顔からも分かるとおり内面も優しさが詰め込まれている。
“慈愛”と“調和”の性格を付けられれば、そんな聖人君子に引けを取らない寛大な心にもなるだろう。
バロニアの十七柱でもっとも常識人で、そして全員の緩衝材の役割を果たし続けてきた、軍団長ということを抜きにしても重要な役割をになっているのである。
「風邪とは、空気中に存在する小さな毒が人の体に入って悪さをするそうです。それは普段なら人間の体が持つ抵抗力が駆除するのですが、今回カロン様はとても疲弊なさっていました。それで抵抗力が落ちてしまったのでしょう」
ゆったりとした動作で歩くリュミエールは、守善の正面に腰を下ろしてカップを手に取った。
それを優雅な所作で唇に付けて喉を鳴らす。守善が眉間に皺を寄せた。
「今カロン様に起こっている症状は、その毒を駆除しようとしているのです。体に入っただけだと容易ですが、体に回ると大変なことらしいので、あのように熱や咳などで外へ追い出したり退治している、と、大図書館にあった医学書で学びました」
「……あそこ、一応図書館なのに9割方入れないから調べ物できないんだよね」
「ふふ、私はバハラルカさんと懇意にしていますから」
王城直下に存在する巨大な図書館には数多くの蔵書があるが、そこに入れるのはごく僅かの魔物だけ。あのルシュカでさえ入ることができない。
それもこれも、その館長が本を愛しているイかれた骨なのが原因だが、王の采配なのでそれに文句を言うことはしない。
「はぁ。じゃあ何か。今王はそのなんか、毒をやっつけようとしてああなってるってわけね」
「はい。ですから、きちんと水分を補給し、胃に優しい食事を取ればそのうち回復します」
「……つまり、あの女の早とちりってわけか」
守善の頭を過ぎる、どや顔の女。切羽詰まった様子で話すから全員危機感を募らせて行動したというのに、その全てが見切り発車した女の発言に踊らされていたのかと思うと少々頭に来る。
そんな守善の内心を読みとったのか、リュミエールは小さく喉を鳴らして笑った。
「ルシュカじゃなくても焦ったと思いますよ。みんな知りませんもの。カロン様は今お辛いでしょうし、一から十まで説明を行えるほど体力はないでしょうから。だから彼女を責めないでください」
ね? と言われてしまうと、モヤモヤするがリュミエールの言葉に従おうと思ってしまう。
感情でぶつかり合う他の団員と違って、彼女は諭すように言葉を並べる。相手が納得できるように噛み砕いて懇切丁寧に話してくれるのは、もしかすれば彼女だけかも知れない。
とにかく原因が分かり、対処の方法も分かった。
今は大事ではないのだと知って、守善は巨大な右腕をテーブルの上に乗せて安堵の息を吐いた。ぼーっとしているようで、意外と心配だったらしい。
それを見てまたリュミエールがクスクスと笑うが、そこに嫌なものを感じないからか、不思議と心地が良い。
「あー、リューさんまた城に帰ってこないかなー。そうすれば大分馬鹿連中抑えられるのにさ」
その言葉に、リュミエールは困った顔をする。
彼女は以前、王城に勤務していた。東方警備は別の者にあてがわれており、後方部隊として活躍していた頃がある。
しかし60年ほど前、この東方を守護していた人物が戦争の中で果ててしまい、その任が彼女に回ってきたという事情があった。
以来リュミエールは東の地を監視し続けているが、その前までは軍議の際に皆の緩衝材として活躍していた。重要な役割とはこのことを言う。
「それはカロン様がお決めになられることですから、私個人の意見では何とも……」
「でも、宗教国家のエルフにミャルコと一緒に真っ先に関わったんでしょ?」
「それについては、カロン様の体調が戻り次第直接謝罪する予定です。カロン様の許可も得ず、ただ感情に身を任せて動いてしまいました。皆様にもご迷惑をお掛けしてしまいましたし……」
本当に、戻ってこないかなぁ。
守善の内心は吐露されることはなかった。
守善は、こう見えて仲間を大事にしているつもりだ。グラドラもあれでいて仲間思いで、馬鹿にされるとそれだけで一気に沸くほどだったりする。
いや、そもそも軍団長たちは仲が悪いわけではない。互いに互いを気にかけているし、率先して行動しようという意識もある。
ただ、それが表に出ないだけだ。素直になれないと言うよりは、そういう生き物だからと言う方が適切だろう。
それ故にどうしても口論が多かったりする。その緩衝材の役割を自分が果たせたらと思いはするのだが、幸せそうにカップに入ったものを飲むリュミエールのようにはどうしてもできなかった。
“安穏”に“傲慢”。前者は仲間に、後者は敵に対して作用しているが、両性格ともに他者への思いやりが詰まった彼女とは大きな違いでもある。
「ですが、少しルシュカに相談してみるつもりです」
「お、そりゃまたどうして」
「やっぱり、カロン様のお側に居たいなと。欲張りですけど、あの頃を思い出すと懐かしくって。無口な御方でしたが、それでも側に寄り添えるだけで幸せでしたから」
そう言って、子供のようにはにかんだ。
軍団長、いや、もしかすれば軍の女は皆挙ってカロンに熱を上げているかもしれない。
強い雄に惹かれるのは彼女たちの本能で、全魔物の頂点に君臨する人物となればたとえ非力でも惹かれるらしい。
ただ、王を取り巻く女性陣は、その恋愛に対して非常に面倒くさいのだ。
例えばルシュカは、最初期からカロンに仕える魔物で、王を敬愛している。そこに恋愛感情はある。
エレミヤは父としてカロンを好いており、そこに男性に向ける感情も混同している節がある。
ハルドロギアはエレミヤと似て父として敬っているものの、周囲のキメラの助言のせいかハーレム形成を望んでいる。
紅廉と蒼憐はカロンとの接点が薄いが、些か陶酔している印象が見える。
もうこの時点でかなり面倒くさい。他にもいるが、それは追々説明するとして、とにかくそんな疎らな愛情がぶつかるものだから互いに牽制し続けている。
巻き込まれる男衆はたまったものではないのだ。
では彼女はどうか。
リュミエールはカロンを愛している。しかしそれを既に諦めており、ただ側に居たい一心しか持っていない。
要するに、そんな面倒な状況の中でもリュミエールは仲を取り持つ重要な役割を果たすのである。
「……やっぱ来てくれない? 切実に」
我慢していたがやっぱり口に出した。
守善の言葉にリュミエールは何を言いたいのか理解したのか、また小さく笑う。
「そうですね。皆さん大変でしょうから、そうなるようお願いしてみます」
「俺も口添えはしてみるよ」
「ありがとうございます。あ、今日は泊まっていかれますよね」
「そうするよ。今から帰っても晩までには辿り着けそうにないし」
バロニア軍のお母さん。
そんなリュミエールが王城へと戻るのはいつになるのか。
きっとそう遠くない日に、あの騒々しい輪の中へと帰るだろう。
「でもリューさんのご飯は食べないから。アーガルムに作らせてよね」
「ええ!? せっかく腕を振るおうと思っていたのに……」
「俺、辛いものとか甘いものが好きな奴はそれなりに知ってるけどさ、苦いものが好きな奴はリューさん以外見たこと無いんだけど。どういうことなの」
但し、彼女も取り扱い注意な部分があることだけは覚えておいてほしい。
◆
神都の様相は一変した。
いや、外面的には何一つ代わり映えはしていない。町並みは変わらず神秘的で、町往く人々の生活にも異変はない。
むしろ以前より活気づいていると言えよう。神都としての在り方である神聖さよりも、人間の活力が全面に出ているような、上手く伝えられないがそんな空気がある。
ぱっと見では何が変わっているのか分かりにくいかもしれない。ただ、生活する人間をじっと見つめていると、ある共通点に気付ける。
エルフと同じ、刺青の首輪だ。
この神都で暮らす者も、たまたま運悪く神都を訪れていた者も、例外なく首輪を填められていた。
彼らの頭の中に、“あの日の出来事”は存在しない。すでにその記憶は消去されていた。
ただ、元老院がエルフを認め、全員病に伏せってしまい、エイラが代表して神都を取り仕切っている。
と刷り込まれている。
あの老害が行なってきて、それを見て見ぬふりをしていた者たちは、自分たちが知らぬ間に同じ目に遭わされている。
神殿の庭に備えられた白いテラスの椅子に腰掛けて、それを滑稽だと、喉を鳴らして老人は嗤った。
「神都のエルフは、どうにも人間に毒されているなぁ。“我ら”はもっと明確に、化け物らしくあらねばならんと言うに。
ああ、王はこちらを好まれるのだろう。しかし魔物の矜持はどこへ行ってしまったのか。
ん? いやいや、我が国がそれを失うことなど有りはしない。我らが王は聡明であらせられる。人間の生活というのは魔物から見ても利便性に適っている。それを成せないのは統率するだけの者が存在しないからだ。
例えば【オーク】が人間の生活をしようとする。だがオークだけでは決して成り立たない。そこにあるのはオークの秩序であって、人間と同じ倫理観を持っていないのだから。
人間と似た生活をするには、人間と似た思考を持つものが、その主義思想を部族に行き渡らせ、従わせ、徹底させる力がなくてはならない。
王にそれだけの力がないと? 不敬罪で内臓をここで引きずり出してもいいんだぞ小娘。まぁ、正直に、率直に言えば王に力はない。ただそれは信賞必罰を可能とする力を備えておいででないのであって、それは我々が、この忠実な僕がやればいいだけの話だ。
人間の王というのは、見ていてとても楽しいものだよ。あの御方がなさることはどれも新鮮だ。突飛な意見も出される。その柔軟性を、残念ながら魔物は持ちあわせておらなんだ。
私かい? 私も一応人間に近い化け物だから機転は利くし視野も広いと自負している。だが、やはり王と比べたら大したものではない。私には“平等”がないからね。取捨選択が極端過ぎるのだ。だから私が率いるのは無駄な思考を挟まない死者の残滓ばかりなのさ」
長々と、とても饒舌に話すアルバートは実に活き活きとしている。
同僚たちとそのような話をしようとしても、皆総じてその言葉の裏に何があるのかと探ろうとしたり、変な企みに巻き込まれるのではと警戒していたりでまともに相手をしてくれない。
なので、自分の考えを聞かせて話を逸らされないことは貴重なのだ。
「そ、そうなのです、か……」
「そうだとも。ほら君もしっかり聞いておくといい。君らの政治に関与はしないが我らの属国と化したのだ。知らぬ存ぜぬで許されることではないのだよ」
「は、はい……」
ニコニコと優しく微笑む老人の顔を見て、その正面に座らされて頬を引き攣らせているのは、今この神都の政治を請け負っている2人。
アーゼライの神子であり教皇エイラと、エルフを代表してエイラを補佐するオルフェアだ。
何故こんなことになっているのかと言うと、アルバートが人間から情報収集をしようと神都に訪れたまでは良かったが、カロンから「神都の民と不用意に接触することを禁ずる」と言いつけられていたのを思い出し、どうしようかと悩んでいたところに偶然オルフェアが通りかかったのでお邪魔させてもらった、という感じである。
風邪の話を聞けてご満悦のアルバートだが、巻き込まれた2人はたまったものじゃない。
穏やかな、人の良さそうな顔を作っている非力な老人という風体をしているが、この老人が、あの巨大な縦穴の中での惨劇を嬉々として行なっていた様子は記憶に新しい。
人の形を失っても殺さず、ギリギリで生き返らせて地獄へと幾度も落とされる元老院の面々。それを空から見下ろしながら杖を掃除するアルバート。
そして時折振り向いて、こう言うのだ。
「どうだい。君たちも」と。
そこにどんな意味合いが篭められているのかエイラたちには分からない。
勧誘なのか、それとも脅迫なのか、判断する材料を与えずに凍りつく彼女たちを見て笑みを深めるその様子。忘れることなどできるはずもない。
本当ならオルフェアはアルバートを全速力で振り切って関わらないようにしたかったが、そんなことができるはずもなく。
内心で何度も何度も早く帰ってくれと念じることしかできずにいた。
「それにしても酷い味だな。これは本当に紅茶なのかね? まるで溝の底の汚泥を溶かしたような味じゃないか。曲がりなりにも賓客を迎え入れる神殿でこのような代物を提供するなど、君らの気が知れん。
それとどうでもいいが町並みも最低だな。これでは遺跡ではないか。白い土壁で統一して緑を繁殖させるのは分かるが、手入れがされていないせいで薄汚い。全く、正気を疑ってしまう」
おまけに、この歯に衣着せぬ物言い。自慢話に加えて酷い蔑みも滔々と吐き出されれば、エイラの顔がひくつくのも仕方がない。
見かけに騙されると手痛い目に遭うと勉強させられた。
「そういえば、この街は宗教の総本山なのだろう? 巡礼者なども来ると思うのだが、どうやって住民の首輪を隠すつもりなのかね?」
ふと思い出したようにアルバートがエイラに尋ねる。
この大規模な呪いを操っているのは魔物ではなく、その権限を委託されたエイラが扱っている。
神子の立場でありながら、そんな悪事に手を染めて良いものかと良心の呵責が押し寄せていたが、神都の責任を文字通り背負うのだと考えて彼女は今、人間を支配していた。
「それなんですが、カロン様が必要はないと仰っていたらしいのです」
「……王が? 何故」
「分かりません。ルシュカ様が言うには、今後の布石だそうで」
エイラは首を傾げながらオルフェアを見つめたが、その答えを持ち合わせていないオルフェアは困ったように視線を落とした。
アルバートは神都の様子を思い出しながら思案に耽り、一つの答えを導き出す。
「恐らく、王は大きな戦をするおつもりなのだろう」
その言葉に、2人は身を固くした。
「戦、ですか」
「そんなまさか。カロン……様は、暫くは行動を起こされないのではないのですか?」
カロンは風邪で寝込む前に一つの決定を国中に通達している。
それは、当面の間外界へ干渉をしない。つまりこの大陸に存在する神都以外の国から姿を隠すことにした。
国周辺に今も難民が多く残っている状況。それにまだ多くの生産業が活動していない。それをある程度の水準まで回復させ、交通が安全に行えるようになるまで内政に打ち込むことを意味する。
それは誰もが納得できる内容だ。
しかし、アルバートの推測が正しければ、その決定は嘘になってしまう。
「いや、王は当分動きはしないだろうね。ただし、それはあくまでも我らが姿を暗ませるだけで、君らは関係ないのだよ。何が言いたいか分かるかね?」
そう言われても、と2人は首を傾げる。
その姿にあからさまなため息をつくと、アルバートは先程以上に嬉々とした様子で語り始めた。
「恐らく、王は国が安定するのを待つと同時に、大々的に我々の存在をアピールする機会を作っているのだ。今の神都の様子は部外者の私でさえ奇妙に見える。この世界の人間であればもっとはっきり感じ取るだろう。それに首輪は嫌でも目に付く。
巡礼者や他国の使者などが来れば、それは当然どこかへと広まる。神都の様子がおかしいと。そうなると今度は元老院が居ないことを知られる。君らが国を取り仕切っていると知られる。
さて、他の国はそれを知ってどう思う?」
「……我々が元老院を排除したように、見えるのでしょうか」
「でしょうかじゃなくて見えるのさ。そう見えて当然だ。そして、王はそう見えるように仕向けている」
言っておくが、誤解である。
カロンは神都から情報が漏洩することを恐れ、記憶を消す魔術を使用して戦争の痕跡を消すようにとルシュカに告げていた。
ただ、その方法までは指定しなかった。ゲーム内に敵の記憶を消す魔術が実際に存在していたので、それを使うと勝手に思い込んでいたのだ。
その魔術は、敵の偵察部隊などに放つことで目的を忘れさせ、任務の遂行を妨害する効果がある。
それを応用すれば、間違いなく戦争の記憶を消せる。
しかしその命令を受けたルシュカは、もっと簡単に記憶を消して、ついでとばかりに傀儡にする魔術を使ったのだ。
神都のエルフたちと同じ、隷属の呪縛を。
だから首輪のことを聞かれてもカロンはさっぱり理解していなかったし、正直神都の様子もきちんと見ていない。その前に寝込んでしまったから仕方ないが、これはカロンの落ち度だろう。
同時に、魔物達のぶっ飛んだ思考回路の賜物でもある。
「では、元老院が居なくなって統治者が代わり、住民には呪いの首輪。他国はきっと宗教の教えに背いて欲を出し、国を奪った反逆者と呼ぶんじゃないだろうか。騎士も空になっているのだから尚更。
そうなると一つの答えが生まれる。とてもとても大きな戦となる大義名分が誕生する。多くの国が、教徒が、大挙して押し寄せ、再び神都を正常に戻そうとする名分が」
誰がどう見ても怪しいと分かることが、宗教の総本山で起きていると知れば、教徒は挙ってその地を取り戻そうと動くだろう。
便乗して、神都の利権を手にせんと行動する国が幾つも現れると予想される。
そんな事態が起きれば、間違いなく世界がこの神都と聖地に関心を向けるはずだ。そうなれば、そこで大々的に魔物の群れを指揮して雑草を刈り取れば、一気にエステルドバロニアの知名度が上がる。
にやりと、微笑みに似つかわしくない三日月を描く口元から零れたアルバートの言葉。
聖地を奪還しようと人間が動いた時、その行動は歴史の中でこう呼ばれる。
聖戦と。
「そして、諸君は皆、その餌なのだよ。理解できたかね? 王は正直この国の扱いに困っているのだろう。なにせ余所者が平然と出入りするような国だからね。
だから、その根本的な問題をついでに消し去るつもりなのさ。アーゼライ教に身をやつす愚かな子羊を狩ることでね。
くく、いや楽しみになってきたな。これだから王の側は愉快なのだ」
高らかに笑い声を上げるアルバート。
その哄笑は、この神都で誰よりも素直に感情を表していたかもしれない。
リュミエール、満を持して登場。割と重要なキャラです。ええ、軍の空気を良くする上で。
リューさんって呼ぶとハイジャンプしそうだと思いません?
ミカンとかガリとか連れ回して、ログインしてすぐに玉出すけど一向にPTに誘われず一日を終えるような気がしません?
ソロで強いから別にいいですけど(震え声)