12 宣誓
――今、我が国には大きな問題がある。それは異界の地へと飛ばされ、全ての領土を失ったことだ。
神都攻略から二日跨ぎ、澄み渡った空の下で輝く魔物の国では、建国してから今になって初めて国王の演説が行われようとしていた。
エステルドバロニアに暮らす者たちは所狭しと道を埋め尽くし、溢れた者は屋根の上にまで登って遠く見える中央の城のテラスに視線を向けていた。
城の外で暮らす魔物も、種族同士の対立を忘れて巨躯を持ち上げて食い入るように見つめている。
視線の集まる先にいるのは、黒いスーツ姿の老人。背をしゃんと伸ばして大きな身振りで話すのは、第3団団長【真祖】アルバートだ。
アルバートの周りには、声を増大する【ハウリングヴォイス】を応用した魔術の円が幾つも浮遊し、抑揚まで余すことなく国中に届かせている。
――その問題は今暫くは解決できないだろう。王も我らも懸命に事に当たっていることを理解してほしい。
老齢な外見とそれに相応しい知識を持ち、“調和”の性格のおかげか人を惹きつける話し方をしている。
大役に抜擢されたのが余程嬉しかったのか気の入りようも半端ではなく、胡散臭さが増量して煽動者のような求心力を感じられた。
――先日の侵攻に関しては、皆も既に知っているだろう。同胞が人間に虐げられていたことを知り、救いを求める声に王が動いた。いつ如何なる時であっても、王は我ら魔物を考えてくださっている。異国の地の魔物であっても、例外なく。
エステルドバロニアが先日行ったことは領土拡大の意図はなく、エルフ解放のためというのが公式の見解とされている。
魔物の性質を考えれば前者の方が圧倒的に受けがいいのだが、国の性質を優先するなら後者の方が響きが良い。
世界情勢も知らないのに世界征服に期待をされても困る。極力周囲と友好的な付き合いをしたいカロンは、攻撃的な思考をさせないように体面を取り繕うことを選んだ。
現代的な生活を実現させたのに、頭の中だけ石器時代では話にならない。なので今回の演説でそのあたり釘を刺しておく必要がある。
――このエステルドバロニアは魔物の住まう楽園として栄え、その栄華が潰えたと言う声を私は耳にしたことがある。だが、そのようなことはない!
エステルドバロニアには屈強な戦士がいる、我らバロニアの十七柱がいる、何よりその栄華を築き上げたカロン王がいる! この国が潰えるなど、断じて起こりはしない!
煽り立てる言葉に、エステルドバロニア万歳が三唱される。リュミエールたちや他の魔術師が総出で結界を張っているおかげで世界に声が漏れることはないが、その雄叫びは薄い魔術の膜を破裂させそうなほどの大音量で国を揺るがせた。
「あああああ……またお前の仕業か……」
外が活気づいているのに反して、がっくしと肩を落として自室に引きこもるカロンは、優しく微笑むルシュカの顔を思い浮かべて思わず呟いた。
確かに演説はすると告げていた。しかし軍団長から軍へ、軍から民へと段階を踏んで伝える予定だったのに、外は熱狂で溢れかえっている。
団長陣を呼べと言うのが遅かったのが問題だが、二つ返事で承諾して一夜も経たず用意したルシュカの行動速度も問題かも知れない。
決まった以上は止めるわけにはいかないことは百も承知している。話すことは昨晩から考え続けているし、一応紙にも書いて問題があるかどうかを確認してもいる。つっかえるわけにはいかないと何度となく反復練習もした。
ただ、どうしてこうなったと言わざるを得ない。
「はぁ……いかんいかん。俺は王様だ。ちゃんと王様らしい姿勢で話をしなきゃ駄目だ。カロン王としてきちんとしないと駄目だ」
マップを開くと、自国の魔物を表す点は全て城の中と周囲に密集しており、国民約三百万が異変の起きた日以来の密度となっている。
背筋に悪寒が走るが、頭を振って無視する。逃げることはやめたのだからと何度も自分を叱咤し続けていた。
「カロン様、そろそろお時間です」
控えめなノックの音に続いて、扉の向こうからルシュカの声が聞こえる。柔らかなソファが身体を跳ねさせた反動で小さく軋む。
ばくばくと脈打つ心臓を押さえたカロンは、大きく深呼吸をしてから勢い良く立ち上がった。
「……よしっ」
意を決して扉を開け放ち、深く頭を下げるルシュカの前を通り過ぎると、カロンの後を追ってルシュカも歩き出す。
「遂に、カロン様のお姿をお披露目するのですね」
「たまには街に出たこともあるんだがな」
「いいえ、お忍びで行かれるのとは違うのです。やはり王として君臨することを知らしめるのですから。民も心構えをしているようですし」
「……お忍びだったのか、あれは」
なんとはなしの行動が自分の知らないところで色々と設定付けられていると、妙な違和感が拭えない。
いつもとは違うことをするからか、ルシュカの表情も普段より嬉しそうに笑っているように見える。
通路の脇に控えてカロンを出迎える【リザードベルセルク】たちも普段以上にメリハリのある動きで剣を掲げていた。
特別な日になると、誰もが感じているのだ。
――そして今日、この日、我らがエステルドバロニアは新しい時代を迎えることになるだろう。カロン様直々に、皆へと伝えてくださる。しかと拝聴するように。
ゲームの世界で迎えた最後の日、ふらりと訪れた場所。
深くお辞儀をして道を避けたアルバートと入れ替わって足を踏み入れた。
国を一望できる白いテラスのその先に広がるのは、晴天に似つかわしくない異形の絨毯と、鼓膜を貫く歓喜の声だった。
「っ……!」
その熱気に圧倒され、半歩後ろに下がってしまう。
その数の多さにではなく、それが全て自分の治める国に暮らしていることが、恐怖に繋がった。
何気なく、ただ作業として行ってきた結果。三百万の命を握っている。王になる意味を今ここで明確に理解してしまった。
喉が渇き、歓声に埋もれて喘ぐように息をする。
たかが軍一つに怯えていた自分が馬鹿らしく感じる。そんな甘い認識で戦争なんかしたのかと思うとちょっと前の自分を殴りたい。
老若男女問わず、頼りない双肩にのし掛かっている。
恐ろしい。生きると決めた決意だけが、カロンを動かした。
「今日……」
たった一言で、沸き立つ歓声は静まり返る。耳に残る余韻を残して、今度は焼け付くような視線が集中しているのを感じてごくりと喉を鳴らす。
もう、練習した内容は頭の中にはなく、ただ思った言葉を綺麗に並べ立てる努力だけが実を結ぶ。
なりたい自分に向かって、口が自然と走りだす。
「――今日、この場に集まってくれたこと、心から感謝する。今まで皆と顔を合わせることを避けていた私を許してほしい」
鳴りそうになる歯を食いしばって堪え、小さく頭を下げた隙に一つ深呼吸。遠く見える地平線に視線を投げかけながら、外壁の向こうで顔を覗かせる魔物を一人ひとり見つめながら語りはじめた。
「エステルドバロニアは異世界に迷い込んだ。広がっていた景色は全てが変わり、多くの者たちが家と縄張りを失って路頭に迷った。
戻れるかどうかは定かではなく、見えぬ未来を思い不安を抱いていることだろう」
視線を自分の真下近くへと移す。バロニア軍が皆膝をついてカロンをじっと見つめて話を聞いていた。
戦争を駆けた化け物が、カロンの足元に傅く光景をカロン自身が異様としか感じず、自分が権力を振り翳すような人間にはなれそうもないと実感する。
「しかし、私はこれをチャンスだと思っている。この世界に降り立ち、領土を失い、多くの資源を失った。それには何か意味があるんじゃないだろうか。私は人間だ。皆と比べれば遙かに非力な生き物で、淘汰されるべき弱者だ」
それを言い終えて、静かに瞑目する。
その言葉にどのような反応をするのか、怖くなって見ようと思えなかったらしい。
しんと静寂が落ちてから10を数え、また気持ちを落ち着かせてから口を開いた。
「だが、こうしてここにいる。何故か? 皆が私を認めてくれるからだ。この弱き人間を、王として認めてくれるからだ。だから私は皆の思いに応えるために今までやってきた。やってこられた。
この世界は我らのことを知る者はいない。それは、我々が新たな一歩を踏み出すチャンスだと、そう思う。
私は、人間とも手を取り合いたいと考えている」
瞬間、大きなざわめきが起こった。
今まで人間の国は、利用し終わったらさっさと殺して経験値の足しにしていたのに、それを根本から覆す発言をしたのだ。
ざわめきの中に、異論を唱える声はない。人間の存在を否定してしまえば、カロンという人間も否定することになる。自分が弱い人間だと明言された後では異を唱えづらい。
神都の件を終えた直後に言うべき言葉ではない。ことだが、言わなければならないことだ。
落ち着かない魔物の様子を眺めて、カロンは大きく息を吸い込むと、少し力を入れて喉を震わせる。
「隣を見ろ。後ろを見ろ。お前の周囲に嫌いな種族はいるか?」
ざわざわと鳴っていた声が収まり、皆が顔を見回せる。
嫌いな種族がいないわけがない。これだけの数が集まっていれば、一人や二人見つけられる。
「互いに目を合わせて、殴ろうと考えたか?」
そう問われても、見つめ合う不仲な種族は困った顔をするだけ。そんな直情的な行動をするほど原始的では“なくなっていた”。
「このエステルドバロニアが目指すのは楽園だ。誰もが幸せになれる、そんな国を目指している。誰も喧嘩しないとは言わない。嫌がらせがないとは言わない。それを糺すのは私と軍の役目で、それを意識するのは民の役目だ。
一人ひとりの意思が全てに繋がる。この国は私が生んだ。しかし育てたのは他ならぬ皆の尽力によるものだ。
これほどの数の魔物が一堂に会していながら、何も起こさず私の声を聞いている。そんなことができるのは後にも先にもこの国だけだろう。
何故今まで人間を駆逐してきたか。それは我が軍の強大さに怯え、徒党を組んで打ち倒さんとするものばかりだったからだ」
事実、エステルドバロニアが大きくなりすぎて一国では相手ができないからと、NPC同士で同盟を組んで攻めてくることが多かった。
基本的に人間の国はプレイヤーの餌ポジションだったので仕方ないが、攻めてきたのは事実なので勝手に捏造した。
「私の想いは変わらない!」
ぐっと身体を前に乗り出して吼える。周囲を浮遊する4つの魔法陣が振動して広げた声は、蒼穹の彼方まで溶けていった。
「救いを求めるなら手を差し伸べる。歯向かうのなら容赦はせん。それが魔物でも、人間でも!
新たな世界に訪れ、何一つ変わらず今までを過ごすなどできようか! 私は改革を宣言する! 世界平和を樹立させることを!
胸が躍らない者はいるか!? 心が震えない者はいるか!? 新しい時代を切り開くことを躊躇う者は我が国には存在しない! そうだろう!?」
その呼びかけに、天地を引き裂かんばかりの咆哮が轟いた。
カロンの行動は、エステルドバロニアが今の形に落ち着いてから一貫してきた。信賞必罰。種族で差別せず、善悪で区別する。
それは豊富な資源と広大な領土があったから行えたことで、今後人間を擁護する姿勢を取るとなれば、侵攻ではなく交渉によって手に入れていく必要がある。
かたや人間の国。かたや異形の国。交じり合うことなど到底できるものではない。
しかしカロンはその手応えを神都攻略で得ていた。
ぐっと胸で握り締めるコートの縁。黒の王衣の効力を上手く活かすことができれば、その力は種族を問わず行き渡る。
それをどう浸透させていくか。それが課題となるだろう。
卑怯な手段だろうとなんだろうと、思い描いた自分の姿を目指して走るしかない。
世界はいつだって、止まった者に栄光を与えはしないのだから。
「新生エステルドバロニア王国の誕生を共に祝おう! 我らの未来に栄光を!」
喝采と歓声の嵐の中で、威風堂々と吹き荒れる風を浴びて遥か見ぬ世界を見据える。
バロニア暦、元年。未知の世界への躍進がこの日から始まる。
「……リスフェでの死亡事故により制作会社アクロクワイトへの捜査が昨日行われ、サーバー停止直後にウイルスが混入したことによるシステムエラーが原因ではないかと発表しました。
様々な障害が起こりうるVRですが、こうした死亡事故は今回が初めてです。警察は捜査を進め、どのような経路で侵入し、システムに支障を来したのかを調べる予定です。
今回の事件を受け、VRゲーム制作会社への防衛強化を促し――」
短いけどこれで2章は終了です。
次から幾つか本編に挟まなかった閑話を3、4話入れてから3章に移る予定。
取り敢えず、読んでくれて感謝。これからも宜しくお願いします。