11 転機
神都攻略に参加した軍が翌日にエステルドバロニアへ帰還すると、門を潜って広がった光景は、花と紙の吹雪が乱舞する歓声の嵐だった。
国に起きた異変に困惑する者たちが残る中で、王は前へと進む姿を戦争という形で示した。
それは、どこにいようと魔物の国として在り続けると、最強を誇った国が放つ異世界への宣戦布告。
それに胸が躍らないわけがない。どれだけ安穏としていても闘争への疼きは抑えきれるわけがない。
ここは、魔物の国なのだから。
平和を愛する種族もいるし、無関心な種族もいるが、それをエステルドバロニア
で暮らしていて忘れずにいられはしない。
十分な食事。十分な安息。十分な労働。欲さずとも国は全てを約束し、違えることなく与え続けてくれる。
しかし、平和ばかりでは胸焼けがしてしまう。暇を持て余し始めた者たちは皆、喜び勇んで戦地へと赴き、勝利を勝ち取って凱旋する軍に憧れ始める。
その憧憬はスポーツ選手に向けるものに似ているかもしれない。なれなかったから憧れて、テレビの向こうで活躍する姿に一喜一憂する。
故に、バロニアの民にとって軍は娯楽なのだ。
小国を落としただけと思っても、久方振りの戦争というだけで国は大いに盛り上がる。
血生臭いワールドカップ的な感じと捉えてくれればいい。
文字通り、勝ち進んで優勝するような、そんな感じと言うのがしっくりくる。
盛大な歓迎に迎え入れられて気分上々で凱旋するバロニア軍。
それとは別に、外の門から真っ直ぐ進んだ先、緩やかな坂の上にある王城の門を潜ろうとするエルフが居た。
「お願いです、王様に会わせてください!」
小さな胸の前で両手を合わせ、大きな瞳を湿らせて懇願するのは、連れ去られてきたリーレだ。
懸命に門を守る2体の魔物に声をかけるが、リーレとさほど変わらない背丈の2体は困ったように互いの顔を見合わせ、口をへの字に曲げている。
「カロン王には国民ですら会うことが許されていない。お前、この国のエルフではないだろう。本来ならこの場で斬り捨ててもいいんだぞ」
「では、その前にどうか王様にお取次ぎを!」
「どうしろと言うんだ……」
着物を模した作りの色鮮やかな紅蓮の鎧を纏う門番は、生真面目そうな顔を顰めて困ったように赤いざんばら髪を掻き乱した。
頭の上に獅子の仮面を乗せており、手には朱塗の鞘に収められた身の丈と同じ長さの大太刀が握られている。
助けを求めるように隣の1体に目を向けると、赤髪の魔物とは対照的な蒼碧の着物風の鎧に青髪の魔物が蛇の装飾が施された棒に歪に波打つ紫黒の刃を取り付けた槍を向けて、リーレを諭すように柔らかく微笑んだ。
「悪いけど、カロン王には近付けないよ。そういう決まりなの。だから殺される前に元の場所に帰ってほしいんだけどね。一度も血で汚したことのない王城門を、あんたの薄汚い奴隷の血で汚したくないわけ。お分かり?」
奴隷、その単語にリーレが僅かに反応する。
「おい、蒼憐。このエルフのことを知っているのか?」
「ありゃりゃ、まさか知らなかったのかな紅廉ちゃん。この子はリュミエール様が連れてきたこの世界のエルフだよ?」
「……聞いてないぞ」
「私も小耳に挟んだだけだから。そもそも、余所者が外門を潜れるわけないじゃんか。お馬鹿さんだなーもー」
「そうか。それは考えつかなかった」
「真面目だなーもー」
ケラケラと赤い魔物を指差して笑う白い魔物の頭の上にも仮面があり、こちらは犬の面。
この2体は、2体で1体の魔物として扱われる珍しい魔物で、聖獣種の【獅子・狛犬】と言う。
バロニアの十七柱の一柱、第13団の団長を2人で担っており、赤い獅子は紅廉。性格は“勤勉”“単純”。白い狛犬は蒼憐。性格は“節制”“調和”。性格の相性は最も良く設定されていた。
個々の能力値が低い代わりに、1体で複数の性格付けができたり、強力な個体保有スキルを有していたりと守ることに適しているので、こうして第2防衛ラインの城壁を任されていた。
「でも、お礼を言いたいんです。皆を助けてくれたことに」
「んー、ぶっちゃけると、私たちでもカロン王に取り次ぐことはできないんだよね。私程度の魔物に時間を取らせるわけにはいかないし、王と連絡を取るにはルシュカ様を通す必要があるし」
「なら、ルシュカさんにお取り次ぎを」
「手当たり次第だな」
「手当たり次第だねー」
頑として帰ろうとしないうえに、脅しても引かないリーレに、2人はまた互いの顔を見合わせた。
2人がこの城壁の守護を任されてから、ただの一度もエステルドバロニアに敵が侵入したことはない。
なので、侵入者の排除をするのは今日が初めてだ。
今まで経験がないし、まさか記念すべき一人目がこうも手強いのは想定しておらず、リュミエールが連れてきたと言う噂もあり力尽くで排除しにくい。
このままリーレを放っておくと、ぞろぞろと帰ってくる軍の邪魔になってしまうので、放置するわけにもいかず困り果ててしまう。
「何か、あったのか?」
不意に、紅廉と蒼憐の後ろから声が掛かる。
聞き覚えのない声に2人が振り返るのと、リーレが歓喜を顔に浮かべてその名を呼ぶのはほぼ同時だった。
「カロンさん!」
振り向いた先に立っているのは、えらく冴えない男。黒いコートに黒い軍服と厳しい格好をしているが、気力の感じられない顔では些かみずぼらしく見えてしまう。
しかし、服装も顔つきも魔物2人には全く関係ないしどうでもいい。その人物が、この最強国家を従える人間ということが重要なのだ。
「ああ、誰かと思えばリーレ、だったな。何故こんなところに?」
「え、えっと、カロンさんこそ何をしていたのですか?」
「お、私は……散歩だ」
疲れて城へ帰ってきてから、カロンは一睡もしていなかった。
顔に生気は無く、下瞼は黒ずんでいる。髪は整えているが艶がなく、うっすら髭まで生えていて不潔感が漂う。
リーレや門番の2人から見ると、それが戦争で忙殺されていたからだと考えが至るが、実際は違う。
戦争が終わり、これから内政に移るという時に、朝が来ることが恐ろしくなってしまったのだ。
カロンは今も、身の危険を幻視し続けている。
様々な歴史が存在し、どんな国も些細なことから滅亡の一途を辿っていることを知っている。それが、馬鹿な王のせいであることが多いことも。
自分が愚王かどうかはカロンには分からないが、少なくとも自分ではそうだと思い込んでいた。
死にたくない。
戦争が終わって気持ちが日常に戻り出すと、ありもしない悲劇の終幕が頭を過る。
眠ると、目を覚ませないような気がして、どうしても寝付けなかった。
常駐軍のほとんどを神都周辺の占領に駆り出しているため、現在王城の敷地内には警備の魔物くらいしか姿がない。
さすがのカロンでも、あの戦場を経験した後では魔物の1体や2体に出会しても平常心を保てるようになり、少し城の外へと目を向ける余裕が生まれたようだった。
その余裕も、転移で逃げれることが前提にあるので、克服したとは言い難い。
「かっ、カロン王、あまりお一人で出歩かれるのは感心致しません。せめて誰か伴を」
「そうですよ。今は皆出払っているんですから、何かあっては」
「ここは王城だ。お前たちが警備しているのに、危機などあるはずもないだろう」
部下を褒めるスキルは少し上がっているらしく、さらりと事実を評価してみせると、この門を守りだしてから初めて仕事振りを褒められた紅廉と蒼憐は、頬を林檎のように赤く染めてがちんと直立で硬直してしまった。
その発言力を未だに理解していないカロンは身動きを止めた2人を心配そうに見ていたが、それよりもリーレがこの場に居ることを不思議に思い、側へと近付く。
「それで、城に何用だ? 聞いた通り今は皆出払っている。何か要望があるのなら軍団長の誰かかリュミエールに……その刺青は、どうした」
カロンがリーレを優遇することはできないからと他の者に告げるように説明している途中で、白い腕に痛々しく刻まれた黒い紋様を見つける。
よく見ると、白いワンピースにも透けており、肩から腹部までうっすらと見えていた。
「呪いの、代償です」
身体を隠すように両腕で抱きしめても、白磁の肌を走る鋭い刺青は隠し切れない。
「あの時はなんともなかったんですけど、戦争が始まった辺りに出て……」
リーレがカロンに依頼をした時は何事も無く、実際に動いてから呪いが効いた。
その発動条件が曖昧なのもあるだろうが、リーレ自身の持つ魔力抵抗力が遅延させていた
かもしれない。
しかし、完全に防ぐことはできなかった。罪の重さで刻まれる刺青の量が変わる。ほぼ全身にまで侵食されているとなれば、重罪の扱いを受けたことになる。
リーレの身体は、上半身のほとんどに罪符が刻まれていた。
刺青の周辺は赤く腫れている。相当な痛みもあったはずなのに、少女はとても嬉しそうに微笑んでみせた。
「ありがとうございました」
「え?」
「皆を助けてくれて、ありがとうございました」
そして、深々とお辞儀をする。
最初からこうなることは覚悟の上で、リーレはあの強力な魔物に睨まれる中で懸命に懇願していた。
もとより死ぬ覚悟だってあった。そうならなかっただけでも運が良いんだと前向きに考えている。
だから、目を伏せてしまったカロンに、明るく声をかけるのだ。
「カロンさんの、いえ、カロン様のお陰で、私たちは再び自由を得ることができました。本当にありがとうございます」
「……それは、聞きたくない言葉だな。私は損得で動いた。得があるからそうしただけだ」
「それでも、救ってくださいました。諦めそうになっていた私たちに希望をくれたのは、他でもないカロン様なんです」
勢い良く顔を上げたかと思えば、幸せいっぱいの笑みが溢れ出す。
その表情に、カロンは目を丸くすると、すっと視線を外した。
笑顔が眩しい。
自分を犠牲にしてでも、誰かのためにと文字通り命懸けで願いを届けたリーレ。
傷つくことはきっと怖かったはずなのに、死ぬかもしれないと恐ろしかったはずなのに、大事な家族を思って化け物に囲まれた中心で叫んでみせた。
(それなのに、俺はどうだ)
自分のことばかり考えて、死にたくないと怯えて縮こまり、周りの空気に流されながら意思を持たず過ごした。
魔物たちのことも全く見ていなかったし、信じながらも敵だと思い込ませて距離を取ってばかり。
カロンには、リーレの真っ直ぐな瞳を見つめ返すことができない。
その笑顔を向けられるような人間じゃないと、否定を頭の中で繰り返す。
その否定が、自分を悪くする要因だと分かるまで、何度も。何度も。
「カロン様が何を考えているのか、私には分かりません。でも、貴方様が決意してくれたから、皆は辛い日々から抜けだしたことは事実です。ルシュカさんや、リュミエールさんでもなく、カロン様だからできたことだと胸を張ってください。あはは、何言ってるんだろ私。王様にこんな失礼なことを――」
「俺が王だから」
「――え?」
申し訳なさそうに淡く紅潮した頬を掻きながら謝罪しようとする前に、小さく零した男の声に反応をする。
門の向こうに見える空の色を見つめながら、カロンの目には自分の元いた世界が映し出される。
手を擦って、頭を下げて、威張って、褒めて、謝って、叱られて、働いて、働いて、働いて。
決まったように生きて、決まったように死んでいく自分の姿と今の自分を比べると、笑えるくらい同じことをしているのに気付く。
「社会に出て覚えたのは、身の振り方だけか。馬鹿らしい」
人は、自分に幻想を抱く。
富。名声。力。女。自分にはないものをたくさん持った自分に憧れる。
だから自分の分身を作り出せる世界にのめりこむのだろう。
格好良く敵を倒して、多くの人に尊敬されて、素敵な女性に愛される、そんな世界を夢見て。
誰もがそうなるだけの力を持っている。
足りないのは、人一倍の努力と、ほんの少しの発想と。
(俺も、こんな綺麗に輝いてみたい)
見落としそうになる、小さな切っ掛け。
「カロン王? どうか、なされましたか?」
ようやく正気に戻った紅廉がおずおずと声をかけるが、カロンの反応はない。
じっと街を眺めて思いふける様子に、3人は心配になっておろおろしだしたが、勢い良く顔を叩いたカロンに驚いてぴたりと止まる。
大きく息を吸い込んで、鬱屈としていた気持ちを全て吐き出したカロンは、リーレの頭に手を乗せて優しく撫でた。
「ありがとう。少しやる気になった」
鳶色の瞳にはリーレのような眩しさはないが、代わりに決意の灯った輝きに満ちていた。
死にたくないと逃げるよりも、生きようと動く方が愉しいはずだと、心にぐっと握り締める。
忘れていた自分らしさで、誰かのためになるように。
元の世界に帰れるその日まで、なりたい自分になろうとしよう。
きっとなりたい自分は、誰よりも誰かの為に生きていて。
恐らく、自分以上に自分らしく生きているのだろう。
そんな自分になれるチャンスは、今この世界に、無限に存在しているのだから。
自分以上の自分に。もっと輝ける“人間”になりたい。
エステルドバロニアの王ではなく、魔物を統べる人間の王カロンになろうと。
「えっと、お役に立てて光栄です」
よく分からないまま返答したリーレを少し可笑しく思い、カロンはくつくつと笑い声を漏らして、二度、小さな頭を優しく叩いてから城の方へと歩いていく。
「王、お帰りですか?」
ポケットに手を突っ込んで、上機嫌に去っていくカロンの背に蒼憐が声をかけると、振り返ったカロンは今まで以上に自信に満ちた顔でニヤリと笑ってみせる。
「ああ……私は、王だからな。やらねばならんことがまだあるのだ」
そこには飾り立てた王の気概はない。
あるがままに、等身大の人間らしく、しかしあの日と比べて最も国王らしい姿だった。
「あの、カロン様。まだお話が!」
「終わりじゃなかったのか?」
「はい。約束を果たしていただいたので、私も約束通りこの身を捧げようと――」
「……急用を思い出した」
「あ、カロン様? カロン様ー!」
まだまだ、王様見習いである。
◆
深い、深い、穴の中。
その中心で、ゆっくりと元老院の議長は上体を起こした。
「どこだ、ここは」
目を開けて見たのは土の壁。その広さは神殿の庭くらいある。見上げても空は見えず、どれだけ深い穴なのか想像がつかない。ただ、等間隔で取り付けられた松明の位置は人が10人肩車しても届きはしない高さだ。
更に周りを見ると、壁の所々にガラスが嵌め込まれている。恐らく誰かが監視するためのものだろう。
自分がどうなったのかを振り返るも、触手の化け物に捕まったところまでしか思い出せず、そこから先の記憶は存在していない。
間接的に攻撃を受けたはずの身体を調べると、傷は全て塞がっている。
「どういうことだ」
議長の予想では、斬首されるものだと思っていた。
敗北したことは悔しいと感じているが、事実を受け止められないほど子供ではない。
むしろそのうえでどうやって立ち回るかを考える。
敵となるのは教皇と乱入してきた男の2人。教皇はどうにでもなるが、男は魔獣使いか魅了魔術の使い手で、手出しをするのは難しい。
そうなると、どうやって男に取り入って生き長らえるかを考えた方が建設的だと判断した。
「む、議長。おぬしもおったか」
薄暗い穴で、誰かに声をかけられると思っていなかった議長は勢い良く振り返って身構えた。
声をかけたのは、同じ元老院の議員だった。
「おお、無事だったか」
「他の者にしても、わしらは何が何やらまだ分かっておらんのだ。突然何者かに襲われたかと思えばこのような場所に寝ておった。エルフが反逆でもしたのかのう?」
土で汚れた白い髭を撫でながらうんうんと唸る老人の言葉で、他の議員は事の発端も首謀者も知らないのだと理解した。
「ううむ、見当がつかんな。在り得るのはエルフだろうが」
「では、ここに閉じ込めたのもそうと考えるが妥当か」
「どうであろうな。エルフ共にこんな穴を用意できる力があるとは思えんぞ」
「なら誰が……」
そして即座に、その情報を隠すことに決める。
全員が全員で男に媚びてしまえば、寝返る自分の言葉が軽薄になってしまう。馬鹿な連中の中で自分だけは頭脳を活かせるとアピールするのが目的で、競争相手はいないに限る。
よたよたと立ち上がって他の議員と合流しながら、狡猾に思考を巡らせて考えているが、そもそもの発端を理解していないのは致命的だろう。
エルフ解放の話を、そんなことを目的としているわけがないと切って捨ててしまっているのだから、救いがあるわけがないのに。
「出口と思わしき所はあるんじゃが、あれは通気口か何かであろうな」
そう言って指差されたのは、周囲の壁の下に僅かにある溝。
微かに足元に漂う冷気はそこから流れているようで、伏せていけばどこかには繋がっていそうな気はするが、試したいとは思えない。
魔物を従えていた男に、他にどれだけ兵力がいるか分からないので迂闊な行動は控えようと議長は決めている。
どんな魔物が居るかも分からず、あの触手が生えてきたらと思うとゾッとしてしまう。
魅了魔術を使える魔術師で、最も多い使役数は40前後。この数字は魔術大国、カランドラに居る最上級魔術師エドガー・ブロイツが成功させた数で、それ以上は存在しないという指標になっている。
魔獣使いであれば、同じく西にある魔獣使いの里で、牙の末裔と呼ばれる部族の長が130の魔獣を従えていると聞く。
そのどちらも、上位に属する魔物を使役することはできず、せいぜい中位程度だ。カロンのように、数千の魔物を従えるなどできるはずがない。
できるはずがないから、警戒を抱いていた。
(魔物を使役するアイテムはあるから、もしそれを使っていたとして、あの白銀の城はどうやって聖地にやってきた? 聖地の神聖は魔物を祓う力があるはずなのに、どうしてさも平然と居を構えている?)
思考に思考を重ねても答えは出ない。
適当に議員の会話に相槌を打ちながら様々な推測を立ててはみたが、あまりにも荒唐無稽で当てになりそうもない。
結局は当人に聞くしかないようだと、議員たちの話に積極的に混ざることにした。
「元老院の皆様方、ご機嫌麗しゅう」
一塊になって話し合いをしていた頭上から、突如声が落とされた。
全員が反射的に見上げると、そこには元老院よりも歳のいった紳士服の老紳士が、宙に腰を下ろしてハットを指で押さえている。
サーカスの綱渡りのように、立ち上がって真っ直ぐに歩き出すと、大きく手を広げてから大袈裟にお辞儀をした。
「私はエステルドバロニアを守護せしバロニアの十七柱の……と言っても理解できないだろうから簡潔に教えておこう。王より賜りし名をアルバート。種族は、まぁ血を吸うアレだ。わざわざ説明するほどのことではないね」
アルバートの登場。浮遊する姿。色々と想像していたことと違い、議員は狼狽しながらも警戒してアルバートから視線を外さない。
議長だけが、教皇か男が顔を見せないかと目をギラつかせていた。
「いやぁ、諸君らに魔法が効いて良かった。もし効かなかったらどうしようかと悩んでいたんだよ。回復薬が効くのも分かったし、これで楽しめると皆喜んでいてな。どうかお付き合い願いたい」
何が始まるのかなんて優しい言葉をアルバートはかけない。
他の団長たちと話し合って――軽く暴力沙汰になりながら――決めた順番を守るのは少々つまらないが、余興が全て終われば好きにしていいとルシュカに言われているのでそれまで我慢しようとばかり考えている。
これから行われるのは、ただ観客を楽しませるだけ。それ以上のことはしない予定だった。
さて、何が行われるのかは想像がつくだろう。元老院も薄々感づいてくる。
それを口にしないのは、口にした瞬間現実として認めてしまうことになるから、避けていた。
捕虜に事前に申告してくれるわけがないのは分かっていたが、ただ少しでも情状酌量の余地を与えられるものだと思っていた。
普通ならそうするだろう。カロンならそうする。
しかし、この件は全てルシュカの方へ投げており、残念ながら普通の思考ができる“人間”は関与していなかった。
「ふざけるな!」
「わしらにこのようなことをして、ただで済むと思っておるのか!」
厚顔無恥なアルバートの物言いに機嫌を損ねたらしく、議員たちが一斉に騒ぎ始める。
立場が分からないほど馬鹿なのかとアルバートは眉間を揉んだが、議長だけが何も言わずにいるのに気付き、ああ、と納得をする。
他の議員は、神聖騎士を殲滅する前に捕らえているので、不意を突かれて捕まったと思いこんでいるのだと。
そして、魔物に襲われたことに気付いていないのだと、そこまで考えて哀れに思い、手で隠した口の中で鋭い犬歯を舐めた。
「無知とは実に愚かしいものだな。私も全てを知るわけではないが、それでも探求心は捨てていない。いつだって知識を得ようと貪欲でいるよ」
無知は罪、というのがアルバートの持論で、無知でいることに気付かない者が嫌いだ。知ろうともしない者には虫唾が走る。
アルバートは他の魔物ほど人間を下等と見てはいない。魔物よりも環境に適する能力が高いし、発展速度も目を見張るものがある。
エステルドバロニアの王が魔物だったら、きっとここまで大国にはならなかったと思うくらいに高く評価していた。
が、それを放棄しているのはとてもじゃないが人間とは呼べそうにない。犬猫ですら序列を理解できるのに、【真祖】と名乗っていなくても、宙を歩く姿を見れば少しくらい分かるものだ。
所詮、ほとんどの人間は有象無象でしかなく、この悪逆非道の親玉たちも、そこいらの人間程度の汚れ方しかしていないことにわざとらしく嘆いてみせた。
「可能性の獣と言われていたのに、この体たらく……本当に余興程度の価値しかないのだね。残念で仕方がないので、さっさと進めて」
「待ってくれないか! 貴国の王と話がしたい!」
始まる、と身構えたが、そうはさせんと議長が慌てて声を上げる。
曲がりなりにも自分は元老院の議長で、神都の影の統率者。王国とも深い繋がりがあり、他国の内情にもそれなりに精通している。
それをアピールできれば、或いは。
他の議員が何かを言っているが、議長の意識はアルバートに集中していた。
じっと、アルバートの、皺に埋もれた小さな黒目が見つめている。
小さく、嗤った。
「それでも本当に元老院の人間なのかな? 考えれば分かるだろう。君が話したかったとしても、王にその気がないのだから、実現するわけないと。往生際の悪さは評価するよ。是非これからもその意気でいてくれたまえ。いられればの話だけど」
議長の顔に、喪心が浮かび上がる。
その顔を鼻で一つ笑い、アルバートは掲げた指をパチンと一つ鳴らした。
その合図に反応して、換気口と思われていた溝からぞろぞろと鈍色をした粘着質の液体が這いずって現れる。
喚く元老院の足元を埋め尽くしていく奇妙な液体は、まるで自分の意思があるようにずるずると床の傾斜と関係なしに徐々に迫ると、ついに一人の議員の足に取り付いた。
「な、なんだこれは! くそっ、離れろ!」
身体を登ろうとする液体を強引に、蹴るようにして振り払う。
地面にある液体を巻き込んで振り上げた足。
それが、突然爆発した。
「あ……? あ。あああああああああああ!!!」
広い縦穴に響く絶叫。
蹴りに当たった液体が突然弾け、それに連鎖して足に付いていたものも皮膚を巻き添えにバン、と乾いた音を立てて炸裂した。
同じように蹴ろうとしていた者たちの動きがピタリと止まる。
痛みに耐えかねて姿勢を崩した議員は床の上に倒れこみ、
バン、と背中を吹き飛ばされる。
断続的に鳴る炸裂音。議員の下で何度も鳴り、その度に議員の身体が衝撃で軽く浮き上がった。
「あ゛、いだあああああい! いだいいいいいいいいいいぎぎぎぎぎ」
ずるずると這いずる鈍色の液体の上を転がれば転がるほど、議員の皮膚が周囲に散らばる。
何度も何度も、肉に辿り着く熱と衝撃が少しずつ老いた肉を抉っていった。
次第に空間に立ち込める、火薬の匂い。
「それは、【ガンパウダースライム】という特殊なスライムで、効果は見ての通りだよ。体力もなければ戦う力も身を守る力もない、魔物としては最弱争いに参加できるような生き物だ。
だが、人間相手には随分と効くのさ。衝撃が火薬に振動を与えて引火させる。その威力はご覧のとおり。面白いだろう?」
満足気に頷くアルバートは、足元に広がる余興を空に腰掛けて悠々と眺める。
歩くだけで爆発するガンパウダーリキッドは敷き詰められているだけではなく、身体を登ってくる。
じっとしていれば全身を覆い尽くされて窒息死するが、引き剥がせばその瞬間爆発する。
二者択一。どちらを選んでも地獄でしかない。
「来るな、来るな! あ、ああ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
「ぐえ、お゛っ、おごおぉぉ!」
「わしの指がああああ! 足がああああああああ!」
次第に一人、一人と地面に崩れ、非力な魔物の餌食にされていく。
スライムが爆発する度に周辺に赤い飛沫が飛び散り、小さな肉片が落ちる。
顔も身体も原形を留めなくなっていき、人体標本のように血に塗れた筋肉へと変わる。
血を流しても、肉が削げても、心臓は止まらない。元気な声で叫びを上げて、縦横無尽に転げまわり、爆発しては繰り返される。
もう、誰が誰なのかなど見ても分からない。白い骨が見え始め、脆くなった場所から容赦なく吹き飛ばしていく。
四肢が取れても、内臓が零れても、悲鳴は止まない。元気な声で叫びを上げて、縦横無尽に転げまわり、爆発しては繰り返される。
(殺してくれ! 早くっ)
肉の芋虫が、願う。
だが、その願いは叶えられることはない。
アルバートが爆発の衝撃で跳ね回る芋虫に向けてピンク色の液体が入った小さな瓶を投げつけると、淡い光が芋虫を包みこみ、失った肉体を回復させていく。
無惨な姿になっていたモノが人間の姿へと元通りに変わると、再び一から仕切り直された。
「言い忘れていたんだが、諸君らにはちょっとした魔術が掛かっているんだ。なんだったかな、リュミエールじゃないから詳しくなくて……そうそう、《マルマンチェーダ》だ。生体機能に必要な臓器が損傷しない限り死なないらしい」
ゲームでの効果は「一定時間戦闘不能を回避する」というもので、効果だけを聞くとこぞって使いそうなものだが、デメリットの多さから使われることのない魔術だ。
効果時間は効果の割に長いが、その代わり使用した魔物と使用された魔物はスキル、魔術の使用が不可能になる。最上級の呪い系統の魔術だが、ただ攻撃するだけの壁になってしまうとなると実に使い道がない。
しかし、今は戦争状態じゃないので気にする必要がない。ただ、この愚か者を苦しめるためだけに、エステルドバロニアのハイエルフは腐らせていた生き地獄の呪文を振るった。
「そして、これが最下級回復薬。脆弱な身体を回復させるならこれだけで事足りる。要するに、どうなるのかというと、身を以って知っているように」
死ぬことはない。
「それが、王の命令なのだから」
ひどい語弊だが、カロンは殺すなと命じてあるだけで、殺さず痛めつけろとは何一つ言ってはいないのであしからず。
ただ、そういうニュアンスは含まれていたかもしれないが。
「やだ、いやだああああああ! ころっ、ぎいぃぃぃいぃぃいぃいぃい!」
「はっはっは! 愉しませてくれたまえよ。オーディエンスに欠伸をさせないように」
飛び跳ねる老人。
それを高くからガラス越しに見下ろす観客は、皆顔を青ざめさせて口元を押さえ、凄惨な責め苦を逸らさず見つめていた。
誰も、口にはしない。
人のやることではないなど、魔物に言えはしなかった。
一歩間違えば同じ末路を辿るのかと思うと、神都のエルフたちは目を逸らすことができない。
そこに自分を投影し、この国の逆鱗に決して触れないようにと早鐘を打つ心臓に、鼓動する度に教え込んでいた。
紅廉、蒼憐の記述を修正。両名を同じ13団の団長へと変更。