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エステルドバロニア  作者: 百黒
2章 神の都
14/93

7 謁見

 王城二階に備えられた大広間は、今まで一度たりとも使用された試しがない。

 謁見の間と同様に飾りとして存在するもので、実用性など全くもって考えて作られたものではない。なにせ使うべき時が今の今まで訪れたことがなかったのだから。

 しかし、今日は違う。

 城に招いた賓客を初めてもてなすのだ。と言うより、賓客自体が初めてである。

 城の内政に加えて雑務もこなす、ルシュカが率いる第16団は大変喜んだ。

 磨き上げた儀礼もマナーも一切活用する場面がなく、今か今かと待ち侘びて軽く100年以上経っていれば喜ばないはずがない。


 その結果、行われた歓迎の宴はカロンの想像を遥かに超える豪華なものに仕上がった。

 全面が白銀のミスリルで覆われた室内は黄金や真紅で装飾され、天井から提げられた直径が10mはありそうな巨大なシャンデリアによって照らされている。

 虹彩を周囲へと振り撒くシャンデリアの下には広い部屋を両断する巨大なテーブルが配置されており、純白のテーブルクロスが皺一つなく敷かれていた。

 その上には色とりどりの美しい花々が装飾されて場の美しさを際立たせており、それ以上に目を引く豪華な料理が所狭しと並べられていて、第16団の本気具合がよく分かる。

 壁際に控える魔物たちは皆がスーツとメイド服に身を包んで一点の曇もない美貌を正面に向けたまま微動だにしていなかったり、配膳を行う者たちも背筋を伸ばして流れるような一連の動作で仕事をこなしていたりと格式の高さが窺える。

 他に、場を彩るためにと楽団が隅で穏やかな音色を奏でており、荘厳な雰囲気に深みを与えていた。

 ただ贅沢の限りを尽くしているのではなく、それに相応しい光景を作り出す。

 ルシュカ率いる第16団の努力は非の打ち所がないレベルまで鍛え上げられていた。


 が、それを意に介さず食事をする者たちがいる。


「おかわり!」

「こっちも!」

「あー! それ私の狙ってたやつ!」

「ちょっと奪わないでよ!」


「……」


 六芒星に剣と蛇が描かれた巨大な垂れ幕が提げられた上座で、カロンはワイングラスを揺らしながら食事を続ける者たちを見つめていた。

 身なりが酷いからと風呂に放り込ませ、高価なドレスを与えて着飾らせてはみたが、騒々しく豪華な料理をろくに味わいもせず食べる20人近いエルフたちを見つめながら、彼女らには勿体無かったんじゃないかと思い始めている。

 あの森で起きた出来事で萎縮していたはずのエルフが活き活きとしている姿を見るのは悪くないが、忘れられるのは少々悲しいものがあった。


 この場には軍団長たちは誰一人として呼ばれてはいない。

 威を示すために勢揃いさせるのもいいかと考えていたが、ルシュカに止められて実現には至らなかった。

 理由としては、そこまでする相手でもないことと、無駄に怯えさせて話ができなくなるのは困ること、それ以前に脳筋共がマナーを理解しているはずがないことが挙げられる。

 グラドラなんかはきっと手掴みで食事をするだろうし、それを衆目に晒すのはまずいなとカロンも納得したため、主催者と賓客と第16団だけが集められていた。

 そんなカロンの心遣いを知らぬエルフたちが、次々と並べられる料理にすかさず手を伸ばして食べ漁っていることは咎めるべきかもしれないが、事情を知っているとそうも言えなかった。


「カロン様、私の方から注意致しましょうか?」


 カロンの右に控えるルシュカが眉間に皺を作った顔で進言したが、手を上げて制す。

 気持ちのいいくらいに貪るエルフたちにそれはあまりにも酷だと判断した。今まで貧困に喘いでいたのだから、今くらいは大目に見てもよいだろうと。


「構わん。ミャルコから報告は来たか?」

「はっ。エルフが戻ってこないことで神都の元老院が動き出しました。カロン様のご想像通りのことが起きているとのことです」

「だろうな。となると、やはり今日中には動くとしよう」

「それが最善かと。間を空けても構いませんが、彼女らに犠牲を出さないことが前提となりますので」


 無駄な時間を取られていて内心苛立つルシュカだが、これといって急ぐ理由はない。

 神都侵攻の段取りは既に組み上がっており、あとはオルフェアたちを動かすだけで準備は終わる。

 本来なら、用意など必要はなかった。情報は十分集めることができたし、敵のレベルも分かっている。その気になれば一息で吹き飛ばすこともできる。

 だがそうはしない。

 何事にも順序というものがあるし。備えも当然必要だ。

 いかに相手が格下だからと言って油断はできない。以前のように知り尽くした世界を闊歩するのと違い、初期の頃のように手探りで進んでいく必要がある。

 特に魔術や兵装。この二点は一番警戒しておきたいのがカロンの考えである。


「グラドラ、アルバート、守善の用意はどこまで済んだ?」

「すぐにでも出ることが可能です」

「なら森まで進ませて、視覚妨害魔術を展開して待機させておいてくれ。リュミエールにも協力させよう」

「了解しました」


 正面を向いたまま直立不動だった体を数歩後ろへと移動し、静かに深く、頭を下げたルシュカを横目で確認し、そろそろ食事のペースが落ちてきたエルフの話を聞こうと、芳醇な香りを放つ高価なワインを一気に呷った。



「そろそろ、話をしてもいいかな?」


 穏やかなカロンの言葉に反応して、自然とBGMが消える。

 カトラリーの触れ合う音も合わせて静まっていき、ようやく視線に晒されていることを思い出したオルフェアたちは慌てて口許をナプキンで拭って姿勢を正した。


「お、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳――」

「気にするな。そちらの事情は知っている。礼儀を求めるつもりもない。今はな」


 謝罪を遮ってすこしの静寂を作ると、自分に皆の視線が向いていることを確認してカロンは両肘をテーブルの上へと乗せた。


「とりあえず、わざわざ足を運んでくれたことに感謝する。見も知らぬ土地に不可解な事象によって放り込まれたので警戒していてな。そのせいで迷惑をかけたことを謝罪しよう」


 そう言ってカロンが頭を下げると、エルフたちから困惑した声がこぼれた。

 大仰な態度で圧力をかけられるのではと考えていたのに、正反対の腰の低い対応をとられると戸惑ってしまう。

 五郎兵衛の高圧的な態度を見ていれば、何かしらの力で押さえつけて従わせてると考えてもおかしくはないだろう。


「いえ、こうしてお目通りが叶い、盛大にもてなしていただけただけで貴方様のご厚意は深く感じております」


 だが、オルフェアだけは冷静に、カロンを真っ直ぐ見つめて受け答えをしてみせた。

 カロンがただの人間だということは出会った時点で分かっていたし、徳に深いからこそ、獰猛な鬼や多くの魔物を従わせられるのだと理解していた。

 もしかすれば特殊な能力を隠している可能性もあったが、理知的に会話をしてくれるのであれば気にしてもしょうがない。

 それに、上から押しつけるような物言いをしてこないことは物事を上手く進めやすくもある。

 とにかく交渉の席を設けることができれば目的は達成したも同然で、元老院にそれを報告すれば任務は完了する。

 尋問や拷問を有無も言わせず行うような暴虐でないことは、非常に助かっていた。


「そうか。いや、こうして諸君らに振る舞っているが、増えることなく食料が消費されるのは気が気じゃなくてな。その申し出にはとても助かったのだ」


 ただ、カロンが何を考えているのかが読めないことだけが、オルフェアの不安の種だった。

 穏和に微笑んでいるが、本当に食糧難だなどとはどう見ても考えられないだろう。

 もし困窮しているのならそれらしくするものだ。嘘か真かは別にしても、説得力は必要である。

 しかしながら、カロンのしていることはその逆。

 ただの使者で、一度として交流を持ったことのない相手に大がかりな宴を開いている。

 エルフの事情を知っているのなら、尚更重宝するような真似をする意味がない。

 懇意にしたいのだろうかとも考えたが、それならリーレを攫って敵対心を煽る意味がない。

 優しい笑顔の裏で、何を考えているのか。

 それを読みとらせないことに、一人汗ばんだ掌を強く握った。


「つもる話もあるのだが、それは神都との交渉が済んでからでもいいだろうか。なるべくなら明日には協議の席に着きたいと思っている」

「何故か、お伺いしても?」

「何故と言われても、我々は互いをあまりにも知らなすぎる。このまま正体不明の国と睨み合うのは得策ではないだろう? なるべく早く意思の疎通を図りたいと思う。そうできぬようにしていたのはこちらだから、それを言われると弱いがな」


 申し訳なさそうに眉を顰めて薄く笑ったカロンの顔には、やはり思惑など見えはしない。

 これはカロンにとって建前でありながら本心だ。

 神都侵略は魔物たちが望んでいるし、自分もそうするべきかと思っている。

 だが、やはり現実にのし掛かる命の重さ。それを奪うのは躊躇ってもおかしくはない。

 魔物への恐怖。殺戮への恐怖。二律背反の選択を迫られて、まだこの期に及んで女々しく決め(あぐ)ねていた。

 そんなカロンを見て、オルフェアが何かを感じ取れるはずがない。

 なにせ決意が丸ごと存在していないのだから。


「……では、今日中に神都へと戻り、その旨を教皇様へとお伝えさせていただきます」


 急ぐ理由はもっともらしいもので、それに深く突っ込むことはできない。

 自分たちに迫る期日を考えると急いで帰る必要もあったし、これで役者が全て舞台の上に揃うとなれば、それからの身の振りをご母堂とも相談したかった。

 オルフェアから快い返事をもらえたことで、カロンは顔に喜色を浮かべて大きく頷いた。


「そうか。ならお願いしよう。有意義な話ができて嬉しく思う。あとは、私のことは気にせず食事を続けてくれたまえ」


 カロンが指を鳴らすと、時間が戻ったかのようにメイドや楽団が再び動き出した。

 少しばかり肌をちりちりさせる空気もなくなり、穏やかな空間が広間に降りた。

 この決断は本当に良かったのだろうか。オルフェアの不安はどうにも払拭されない。

 胸騒ぎが収まらず、美しいルシュカに手酌をされながら不敵に笑うカロンから目が離せずにいた。


 対してカロンは、話が無事に済んで内心胸を撫で下ろしている。

 リーレの話を後に回せたのが大きいだろう。

 この場で、神都へ攻め込む意思があることは一切告げるつもりはなかった。というのも、その約束はあくまでリーレと交わしたもので、エルフたちとは関係がない。

 密には関わりはあるが、ここで知らせて彼女たちがその気になられるのは避けたかった。

 神都の調査は今も着々と進んでおり、知りたいことも、知りたくないことも、無遠慮に耳にする日々はカロンには実に辛い。

 殺るべきか。そんな物騒な考えが及んでしまう自分が煩わしく、しかしその感情に一種の愉悦もあり、尚更自己嫌悪に陥ってしまうばかり。

 現実は嫌悪する思いに沿って周囲は流れていて、それを決断したのは自分だと思うと全てを投げ出したくなる。


 だが、それが王の責務というもの。


 焦点を合わさず、ただ注がれる血の色をしたワインを、現実であることを忘れてしまおうと何度も嚥下する。

 虚ろなカロンの視界の端で、時折ちらつくノイズが妙に気になった。








 盛大に繰り広げられた宴も終えて、エルフたちは一同帰路へついていた。

 カロンとの約束通り、早々に会談の席を設けられるようにするためもあるが、豪盛な食事が腹を満たしてから自分たちが藪の中に入り込んでいることを思い出したのもある。

 酔いも一気に醒める周囲から感じる大蛇の気配に戦々恐々としながら、逃げるようにして城を後にしたのだ。

 当然帰りも鬼に護衛されて目隠し状態のまま森まで送られたが、そこからの足取りは自然と速い。

 色々と聞きたいことはあったが、それは今回のことが終えてからでも遅くはないとオルフェアは考える。

 リーレのことは気がかりだったが、友好的な姿勢を取ったカロンの様子と、森に現れた際に会わせようかと口にしていたことを考えると、酷い目に遭っている危険性は大分薄れた。

 魔法のことも聞きたかったが気分を害す恐れがあったし、結局はこの成果で満足するしかなかった。


(まぁ、それでも上出来ではあるがな)


 ひとまずこれで一つ問題は解決した。言い換えれば先送りできたとも言える。

 元老院との約束の期日は守れたことで反乱を起こす必要が一先ずはなくなったのはかなり大きい。

 森を抜けて、草原を行き、神都までは後少し。

 頭の中で今日のうちに何をすべきかを考えながら、次第に見えてくる神都の姿を視界に収める。


「……?」


 ふと、いつもと少し様子が違うことに気付く。

 丘を螺旋状に、家々の明かりが薄く延びているのは変わらない。その一番上で一際明るく闇夜を照らす神殿の姿も変わらない。

 おかしいと感じたのは、神都の麓。本来なら夜の帳が落ちているべき正門の周りがやけに明るい。

 何か篝火を焚いているのか、点々と揺れる炎が乱立しており、不可解だった。


「オルフェア様」

「ああ、気付いている」


 後ろから駆け寄ってきたエルフの娘に軽く返す。

 少女の顔を窺うと、オルフェアと同じように訝しげに眉を寄せていた。


「何か、催しでもあるのでしょうか」

「それはないだろうな」

「では……我々を待っている、とか」


 その疑問に、オルフェアは答えなかった。

 歩けば歩くほど距離は縮まる。それに合わせて目視できるものも増えていく。

 篝火だけが見えていたが、次第に人影が、次に人の多さが、そしてその人影が甲冑を纏っていることが分かってくる。

 神聖騎士団が、神都正門前で陣を構えていた。

 その数、凡そ500。そこまではオルフェアには見えないが、それでも想像できないだけの人数が揃っていることだけは分かった。

 少女の言う通り、考えられるのはオルフェアたちを待っていること。

 だがそうされる意味が理解できないし、ただ単純に急遽遠征することが決まった可能性だってないわけじゃない。

 徐々に歩く速度が落ちていき、不安から足を止めてしまいそうになるが、どうにか自分を叱咤してオルフェアは先頭切って近づいていった。



「そこで止まれ!」


 彼我の距離が凡そ100mというところで、一人の騎士の大声によってエルフたちの足が完全に止まった。

 しゃがれた騎士の一声に反応した騎士団がぞろぞろと動き出し、見る見るうちにエルフたちを囲んでいく。

 いやに張り詰めた空気を纏い、普段であれば暴言を吐いて鼻で笑うような騎士団が警戒した態勢を取っていた。

 剣こそ抜いてはいないが、皆腰に帯びた剣の柄に手を添えており、もし何か下手な動きをしようものなら斬ると、言わずとも理解させる。

 100にも満たないエルフ相手にそこまで警戒する意味がオルフェアには分からない。もし会談の話が破断したと思われていたとしても、敵意を剥き出しにして待ち構えられていた理由が掴めなかった。


「これはいったいどういうことだ!」


 意を決して声を張り上げてみるが、返事は返ってこない。

 代わりに、オルフェアの正面を陣取る騎士が左右へと分かれて道を作り、その奥から数人がやってきた。

 高価なシルクで編まれた祭服を着こんだ、最も憎い相手。


 元老院議長。


 側に騎士団長を従えてオルフェアの前に立つと、薄暗い中で不気味に笑った。


「ようやく来たか。待ちくたびれたぞオルフェアよ」


 口ぶりは普段の傲慢不遜な態度。だがその目には憤りが灯されていた。


「議長。これは何事でしょうか。まだ期日には間に合っているはずです。それに会談の話は――」

「いや、そんなことはどうでもよいのだ」


 重要なことのはずが、興味すらないと一蹴されてオルフェアの不信感が更に強まる。

 どれだけ考えてもエステルドバロニアとの交渉の件以外に思い当たる節がなく、なにか難癖を付ける気なのかとも考えたが、もしそうであれば報告の際に言われるのが常だ。

 では何が。それを考える前に、再び議長が口を開く。


「少し風の噂で耳にしたのだが――なにやら、わしらに反抗する気らしいなぁ」


 びくんと、オルフェアの身体が硬直した。

 体の芯から一気に冷え込み、手先が震えそうになってくる。

 頭の中で渦巻く言葉は反論ではなく、「どこから漏れたのか」ばかりでまともに思考が働かない。

 他のエルフたちは議長が何を言っているのかを理解できずどよめいているが、身動きを止めたオルフェアの姿を見て、議長は確信を得た。


「貴様ら……このわしを馬鹿にしておるのか!」


 穏やかな顔つきが徐々に鬼の形相へと変わり、老いた身からは考えつかない強烈な怒声を張り上げる。


「大人しくしていればよかったものを、そのような小賢しい真似をするというのか! わざわざ期間を長く設ける温情を与えたというのに、ふざけたことを企てていたとはな!」

「ま、待ってください! そんなこと私たちは」

「黙れ!」


 議長の剣幕に気圧されながらも一人が反論しようとしたが、一喝に込められた束縛の呪への効力が働いて口から音が奪われる。

 その効果はエルフ全員へと行き渡り、誰一人として声を発することができなくなった。

 それはつまり、一切の説明を許されないことにほかならない。

 口を何度も開閉させて話をしようと試みるオルフェアだが、絶対の言霊に縛られれば抗う術など失われてしまう。

 動揺が広がっていく仲間の様子を見ながらどうにかしなければと思うも、それを実現させることは不可能だった。

 武器は何ひとつも持たず、数に利もない。不審に思った時点で引き返しておけばよかったが、後の祭りだ。


「全員抵抗するな。あとで貴様らにはわしに反抗するのがどういうことになるのか理解させてやる」


 沸々と浮かぶ怒りを押し殺した冷たい声が更に縛り付け、顎で指図を受けた騎士たちがエルフを捕らえるために徐々に輪を縮めてくる。


 うまくいくはずだった。

 全て、うまくいくはずだった。

 馬鹿なことを考えなければ、こんなことにはならなかったはずだった。

 目の前で伸ばされる騎士の手を見つめながら、オルフェアの頭の中で後悔が巡る。

 情報がどこから漏れたのかなど考えることができず、ただ仲間を巻き込んでしまった申し訳なさしか浮かばない。

 捕らえるついでと若いエルフの身体を数人で弄る騎士を見ながら、己の無力さをただ悔いた。


 誰か。


 誰か。


 助けて。



 声無き声が、夜に溶けて消えていく。






「面白そうなことをしているなぁ。私も混ぜてくれないかね?」


 悲壮感と卑猥な笑い声。

 そこに割って入ったのは、落ち着いた男の声だった。

 張り上げたわけでもないのに、騒々しい集団の合間を一矢のように貫いた声は、森側に陣取っていた騎士の後ろから聞こえてきた。

 反射的に全員の視線がそちらへと向けられる。突然のイレギュラーの存在に警戒して、幾人かは剣を鞘から抜き放って身構えている。


「なんだ? 続けてもいいぞ?」


 その声の主は、人間の男だった。

 それもとびっきりの平凡さを持つ、冴えない男。

 黒い軍服の上から黒いコートを纏い、手を後ろに組んだ姿勢のまま不思議そうに騎士を見つめている。

 500にも及ぶ大人数に加えて捕らえられる100近いエルフ。そんな数を前にして怯えた様子を何一つ見せず、男は小さく笑ってみせた。


「おいおい、物騒だな。そうは思わないか? なあ」


 大仰に両手を広げてみせた男の後ろから、気配ひとつ感じさせず複数の影がぞろぞろと現れた。

 全員が奇抜な服装をしている。身体をボディスーツでぴたりと覆い、腰には短冊状の布帛を幾つも巻きつけている。

 統一して黒い髪に銀の瞳。一人だけ目を布で隠しているが、背丈や体格、容姿以外は全てが同じだった。

 そして手に握り締める槍も同じもの。少し太めの柄の先端に細かな装飾が彫り込まれた銀の穂先が取り付けられている。穂刃の長さから日本で言う大身槍に分類されるだろう。

 総勢7人の女。それも目を疑うほどの美女を侍らせて中央で笑う男は、不敵な笑みを崩さずズボンのポケットに手を入れた姿勢で真っ直ぐ前だけを見つめていた。


 突如現れた男にも驚かされたが、そこから更に現れた女たちに誰もが言葉を失っていた。

 エルフたちも美形は多いが、それでもこれほどの美を目にすることなど一度としてなかった故に、月光の幽玄さによって際立つ人ならざる美貌に見惚れてしまう。

 しかし、さすが老獪と言うべきか、少しの間意識を奪われていたがいち早く正気に戻った議長は男の前まで移動して温和な笑みを浮かべたまま相対する。

 見覚えのない人間がどこの国に所属しているのかを確かめなければならないのだから。


「おぬし、いったいどこからやってきた? 何故こんなところにいる?」


 好々爺とした笑顔でいるが、その言葉尻には苛立ちが混じる。

 馬鹿な女共を捕まえて愉快な宴を始めようというところで水を差された。エルフの翻意よりも、そちらの方が気に食わなかったらしい。

 慌てて議長の後を付いてきた騎士団長が腰に手を添えていつでも仕掛けられるように構えると、合わせて奇怪な女たちも槍の切っ先を僅かに議長の方へと向けた。

 緊迫した空気が流れる中、飄々とした態度を変えずに、男はわざとらしく空を見上げて唸り声を上げる。


「んー、どこからか。何故か。いいだろう、答えてやる」


 かくんと正面へ向き直った男は薄い笑みを掻き消して鋭く鳶色の瞳で議長を睨みつけ、言い放つ。



「エステルドバロニアが王、カロンと言う。そこにいるエルフたちを貰い受けに来た」




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