6 始動
翌日、エルフたちは昨日取り決めたことを実行に移そうと行動していた。
皆は難色を示したが、オルフェアと御母堂の説明と説得を聞いて他に手がないのだと理解し、2人がそう決めたのならと迷いを払って森の奥へと進んでいる。
「成功するでしょうか、これで」
ショートヘアのエルフが二歩後方を歩くオルフェアに声をかける。
不安げな顔をして前を行くエルフたちが持っているものを見ながら、オルフェアの言葉を待った。
「……これ以上のものを用意できぬ以上、やるしかない」
エルフたちが持っているもの。
それは、今まで収穫や狩猟で手に入れた全ての食料だ。
ただ話をしたいと言ったところで応じてくれるとは露ほども考えてはいない。
なので意見を交わした結果、特殊な状況下で出現した城の問題を突いてみるということに決まった。
あの城がどのような規模か計りかねるが、城だけ突然現れたとなると作物も何も不足していると考えられる。
城に蓄えはあるだろう。しかし限りがある以上どこかから調達することになるのは間違いない。
エルフたちは食料を献上することで機嫌を取り、交易の話を持ちかけて相手を引っ張り出す作戦を打ち出し、そして実行の最中である。
大きな猪も穀物袋も荷車が森では使えないので手で運んでおり、オルフェアの手にも鹿を片手に二頭ずつ、足を掴んで持っていた。
「あの城が現れてまだ週を一つ跨いだだけ。食糧難には陥っていないだろうな」
「では何故」
「いずれ陥るのだ。拒絶をいつまでも続けられるとは普通考えないだろうから、我々が手引きをすると言えば裸一貫で交渉するよりは相手もやりやすかろう」
有能な城主、臣下であれば飛びつきはしなくとも一考はするはず。
それに賭けてみようと言うのだ。
実に幼稚な作戦だとは思うが、エルフだけで用意できるものはこれが限界で、元老院に手を借りるのは不可能なのだからどうしようもない。
しくじれば終わりだ。ベストを尽くしているとはどう見ても言えないが、最良の手段だと思ってやるしかない。
「ここでいい」
静かに発した号令に先頭が立ち止まり、合わせて後列も足を止めていく。
迷いの呪法の範囲の最西端。あと数歩進むと術中に捕らわれるぎりぎりの位置で行進を止めたエルフ達は、持参した食糧を地面に下ろしてぞろぞろと平伏を始めた。
オルフェアも先頭へと回って両膝を土で汚す。
誠意をもって応対しなければいけない。姿も見えぬ相手に頭を下げるなど馬鹿げているが、少なくとも老害共にするよりは遙かにましだった。
全員が額を擦り付けて身動きを止めたのを合図にして、オルフェアが大きく息を吸い込んだ。
「森を惑わす術者のお方に申し上げる! どうか私の声を聞いていただきたい!」
しんと静まり返っていた森を木霊して広がるハスキーな声に、ざわざわと木々が揺らいだ。
「我々は神都ディルアーゼルからの使者であり、どうか交流を行えないかと進言しに来た! 貴殿らは突如この地へと現れたことで多くの不便を強いられていることだろう。我々も実態の知れぬ城が目と鼻の先に現れたことで多くの不安を抱いている。そこで双方の問題を解決するためにも話し合いの場を設けてみてはいかがだろうか!」
監視している者は間違いなくいるはずだ。姿も見えず気配も感じぬがそれは確かだと断言できる。
平伏した体勢のまま周囲に目配せをしてみるが、どこの陰にも見当たらない。
どれだけ待てばいいのか、どんな言葉を連ねればいいのか、どこで切り上げればいいのか、表情を窺いながら進言するのと訳が違い、全てオルフェアの裁量に委ねられている。
無風の中では草ずれの音すらなく、動物が動く様子もない。
まるで自分以外の時間が止まったような錯覚が不安を助長させていき、焦りももやもやと胸から口へせり上がってくる。
もともと気が長い方じゃないオルフェアが待つのは得意ではなく、徐々に落ち着きがなくなっていく姿を後ろから見つめるエルフは、御母堂が出てくるべきだったのではと思っていた。
無下に過ぎる静寂に、いよいよ堪えが効かなくなる。そのタイミングと同時に変化は現れた。
オルフェアがまたも口を開いて声を張り上げようとしたのに合わせ、周囲が僅かに揺らぐ。
今まで見えていた周りの景色が急に明瞭になる感覚。はっきり見えていたのがさらによく見えるようになったような、言いしれぬ気持ち悪さを五感で感じ取る。
溶けるように、一枚膜が張っていた森が本来の姿を取り戻し、目の前にはっきりと森を抜ける獣道が見えた。
「術が……」
「解かれた……」
あれほど苦戦させられた呪術が容易に氷解するのを見るのは歯痒さがあったが、事態が進展したと気持ちを切り替えねばならない。
ざわつく仲間に静まれと命じて黙らせ、相手の次のアクションを窺う。
誘われているのだろうか。目前に拓けた道を見て進むか留まるかを見極めていたが、動きは相手が先に起こした。
じゃり、と土を踏む音が立つ。
どこから聞こえてきたのかを一瞬考えたが、獣道を真っ直ぐ歩いてくる人物を見咎めて納得し、その納得を消し去る。
(いつから、いたのだ)
オルフェアはずっと正面を見ていた。
獣道が現れてからも目を逸らすことなく注視していたのに、文字通り瞬く間に、予兆もなくその人物はオルフェアの視界に映り込んでいたのだ。
隠行の類だろうか。ゆっくりと距離を詰める姿に気負いはなく、散歩をしている気軽さでやってくる。
チリチリと脳に痛みが走る。魔の血が流れるが故の危機察知の本能が抗うなと警告を発しだした。
本能が訴えているのは、膨大な魔力や気力を感じ取ってのものではない。
純粋な、火を見るより明らかな圧倒的な種族の差。
神都の、ディエルコルテの丘周辺には魔物が存在しない。
近くても神都から更に東へ向かうか、西のボレンヴィ山脈まで行かねば出会うことはまずなかった。
そんな遠出をする理由も、他の地のエルフのもとへ行く時ぐらいしかなく、出会ったとしても魔物と呼んで恐れるには小振りなものばかり。
話には聞いたことがあったが、どれほどの脅威かをその身で感じた者は御母堂くらいなものだろう。
故に、その魔物の香り立つ死を嗅いで叩きつけるようにして四肢をぬかるむ土に押しつけ、限りなく息を殺して懸命に機嫌を損なわぬよう意識する。
犬でも猫でも魔物でも、敵わないと悟れば降参して命を繋ごうとする。それ以上の追撃を避けて保身へと走る。
彼女たちの行動も、全く同じものだ。惨めだと蔑めるものではなかった。
じゃり、とつま先を捻って立ち止まると、エルフを右から順に見定めて気怠そうに溜め息を吐く。
「よく参ったな耳長族の……って、女だらけではないか。なんともつまらぬ」
浅葱の羽織。烏羽の袴。胸襟から右手を出し、左手で刀の柄をさする白髪交じりの一角。
【覇王鬼】五郎兵衛が独りごちるも、当然ながら反応はない。聞こえているかどうかも怪しいものだ。
つまらぬ、と呟いたがそれも聞こえていないだろう。
震えることもなくまさに石に相応しい姿。どいつもこいつも底が知れる。
軍の下級兵でも機嫌を取ろうとここまではしない。本気の殺意でもない、ただの残り香に怯えるような軟弱者はいないというのに、この浅ましさはなんなのだ。
王が決定した以上異論を挟む余地などありはしないが、もし王が見誤っているとすれば伝えるべきなのだろうか。
陰に潜む猫を見て言伝を頼もうとして、五郎兵衛はもう一度考えて取り止める。
王がそれを知らないわけがない。神秘と呼ぶに相応しき予知眼と召喚術を事も無げにやれる御方が知らないと思うか?
この焼いても煮ても喰えそうにない雑草を救うのは、偏に寛大な慈悲の心からのものだ。
弱きを救うのがエステルドバロニアの、ひいては王の意思。
やはり進言などできるわけがない。絶対の忠誠を誓うバロニアの十七柱の一つを任される自分が偉そうなことを述べるなど越権に過ぎたこと。
木漏れ日を見上げて立場を弁えろと己に言い聞かせ、兵衛は平伏したエルフを見やった。
「問おう。おぬしらが神都のエルフであるな?」
今度は聞いていないとは言わせない。ビリッと感電したと錯覚する威圧を数瞬解き放って無理やりにでも意識させると、先程騒いでいたオルフェアが勢い良く顔を上げた。
「はっ! そうでございます!」
ダラダラと冷や汗を流し、胃や腸がねじ切れてしまいそうな痛みを堪えて腹の底から返答を叫ぶ。
あの呪法がこの角の生えた魔物の術だとするなら納得がいき、確実にただ者ではない。
伝え聞く鬼と呼ばれる魔物は割と人間に近い習性があり、城を築いて多くの同胞と暮らすらしい。
あの城が人間のものではないのだというのは確信して納得し、この人物こそがその頂点に立つ人ではと思考が働いた。
「城主様とお見受けいたしました。どうか我々に発言をお許しく──」
それが相手の逆鱗に触れるとも知らず、畏怖に圧されて口から突いて出てしまった。
確証もなく勝手に想像した挙げ句の発言。
五郎兵衛の性格からして、それを黙って聞き流せる人物ではないと知る者は知る。
この鬼は、誰よりも“盲信”しているのだ。
オルフェアの体が、爆音と同時に後方へと吹き飛んだ。
大砲の音と幻聴する、鼓膜を破りかねない振動が大気を振るわせ森をざわめかせる。
凄まじい勢いで地面と平行に滑空する彼女は三本も木をへし折ってようやく止まり、全身が砕けそうな激痛に悲鳴も出せない。
左足は関節が逆になるだけで済んだが、両手は玩具の蛇のように形を保っておらず、右足など腸詰めみたいに膨れ上がって足の面影がない。
真っ赤に染まる視界で見える怒気を隠さない鬼を見ながら、自分がどうなっているのか理解できず、衣服が消し飛んで空気に曝される裸体は直視するに耐えない、鉄槌を叩き込んだように大きく凹んだ胸部で辛うじて呼吸を繰り返していた。
鳴り損ないの口笛のようなか細い呼吸をする大馬鹿者など兵衛はすでに見ておらず、湧き立ってくる止め処ない憤怒に任せて吠えた。
「貴様拙者を愚弄するか! 拙者が城主だと? この五郎兵衛、鬼を統べる立場であれど、我が国を統べる天上の主に比肩するなど烏滸がましい! たかだかこの程度で王と幻視するなど不届きにも程があるぞ小娘!」
加減のない殺意は無関係なエルフにも向けられ、失神したり失禁したりする者が続出している。
半身全てぐちゃぐちゃにされた痛みも忘れる殺しの気配に、生まれたての子馬にも似た過剰な痙攣をしながらも必死に平伏の姿勢をとると、オルフェアは大粒の涙をこぼし始める。
「も、うひわけごじゃいまふぇん。おゆるひ、ほうるひくらはい……」
戦士となってからも悔しさや悲しさから涙することはあった。
だが、これほど矮小な気持ちで子供のように泣きじゃくって許しを乞うことなど、幼少の頃でもなかっただろう。
いつだって凛々しくて格好良くて、皆の憧れだったエルフ一の戦士の無様な姿。
呂律も回らず美人だった顔も見る影もなく腫らし、蛇腹になった腕を折り曲げて平に容赦をと求め続ける。
頭の中に一族の存命なんてなかった。神都のことも、元老院のことも、愛らしい教皇のこともない。
たった一撃で四肢は使い物にならない体にされ、黙っていても死ぬような状態。
それでも彼女は命乞いを繰り返した。
身を汚される恐怖も、女性器を壊される痛みも、これに比べたら蟻を踏みつぶす罪悪感ほどに軽く感じる。
あれこれと薄汚い手段で味わった苦痛なんか、根源たる力を前には無価値に等しい。
森に来たときの威勢が恥ずかしかった。意を得たと勘違いして発言した自分を殺したくなった。
後悔しても戻ることはない。事実、兵衛は右腕を襟から抜いて肩をはだけさせ、がっちりと刀を握りしめている。
「一人くらい死んだところで構わぬだろう。我が国を侮辱したその罪、死して悔い改めよ」
「ごえんなひゃい、ごえんあはい、ごえ、ごめんあはひ……」
聞く耳など持つはずもない。
唯一無二の王と面識がないとしても、その存在を無き者にされただけで殺すことは確定している。
壊れたテープのように繰り返される悲痛な懇願。それを聞いても助けようと動ける仲間は一人としていなかった。
弱肉強食。世の理が物語る末路は、強者のエゴで全てが決まる。
「死ね。女」
その刃が鞘から姿を現し、離れた距離から両断せしめんと翻る、直前。
「止まれ、兵衛」
緊迫した状況には不釣り合いな、穏やかな制止の声が届いた。
誰の者か、意識できるのは兵衛しかおらず、そしてその声の主が誰なのかを知っているのもまた、兵衛しかいない。
振りまいていた殺気を霧散させて顔を後ろへ弾くと、そこにいたのは黒衣の男。
「あ、ああ……」
狼狽。
王から言いつけられていたことを忘れ、怒りに身を任せて動いたことへの後悔が一気にのしかかってくる。
静かにやってくる黒衣が、兵衛以上の絶対的な存在感を放って歩み寄ってきた。
失態を恥じて崩れ落ちそうな兵衛。エルフたちの視線もまた、近づく者に向けられている。
言葉にならない。
そう表現するに相応しい。
兵衛を烈火と例えるのであれば、それはまさに清流。
あれだけ猛々しく怒り狂っていた化け物をたった一言で鎮火させ、淀みなく動いている。
誰もが理解した。兵衛が怒る理由に納得した。
これほど海より深い底知れぬ恐怖を醸しだし、大空の広さにも劣らぬ壮大な気配。
悠然と、土下座のまま動かないエルフたちを一瞥もせず通り抜け、虫の息となったオルフェアの前で立ち止まる。
今も一つ覚えで繰り返す謝罪の言葉を聞きながら、何もない空間から魔術も用いず小さな瓶を取り出すと、その中身をそっと撒いた。
淡い光が立ち上る。傷ついた体を濡らした液体は膨大な魔力を周囲から取り込んで彼女の中へと染みていき、徐々に傷を治していくではないか。
時間を戻すように、光に包まれる肉体があるべき姿を取り戻す神の如き御業。治癒の魔術が霞んでしまう、奇跡と呼ぶに相応しい光景。
皆が熱に浮かされた目で見ている中、脳が壊れかねない痛みが消え失せていくのを感じてオルフェアは視線を上げた。
そこに見えたのは、優しい木漏れ日を後光にして、睥睨する男。
ああ、そうか。
彼こそが、王なのか。
全てを黙らせて従える。それが今この場でも起きている。
一人として口を挟まず、視線は彼を捉えてブレることがなく、信仰する神に向けるより陶酔しきっていた。
きっと自分もそうだろう。
恐怖ではなく、歓喜で彩る涙でぼやけた視界で、王の口が動いた。
「エステルドバロニアへようこそ。歓迎しよう、盛大にな」
それを額面通り取ったのは王以外で、すでに盛大に歓迎してるけどなと付け足したのも王以外にはいなかった。
◆
静寂の中、泰然と構えてオルフェアの前に立つカロンは、じっと彼女の肢体を見つめると、回れ右をして五郎兵衛の側へと移動する。
何一つ言葉を発さないのに一挙手一投足から目が離せない。
後ろを向いたその背に刻まれた紋章が、まるで存在を誇示するかのように見せつけている。
涼やかな風が吹けば共に靡く黒いコート。派手さはなく、質素にすら感じるというのに、オルフェアは自分の姿を省みるのも忘れて、大樹のように力強く聳える広い背中に見入っていた。
「……兵衛」
「申し訳ありませぬ! 主に命ぜられていた言いつけを守れず、憤慨に駆られてこのような短慮な行動に出てしまい、それこそが王の品位を下げてしまうことだというのに、拙者はなんということを!」
一言声をかけただけ。それだけで猛る剛鬼は素早く傅いて己の行為を謝罪した。
王足るに相応しい強さを誇っていて、オルフェアもカロンが現れるまではそう感じていたはずなのに、今では歴然とした差が目の前で繰り広げられ、カリスマ性も遥かな開きがあるように思える。
この差を知ってしまえば、自分の失言がどれほど礼を欠いたものだったか自覚できる。
襤褸のようにされたことに対して怒りを抱くよりも、偉大な王への非礼に後悔が押し寄せていた。
遠い目でオルフェアが事態を眺めているその視野の中、決して弁明を行わず、ひたすらに自身の非を挙げ連ねる兵衛を、カロンは何も言わず上から見下ろしていた。
良かれと思ってその時は行動したが、冷静になってみると王の意思に背いて行動したことがオルフェア以上に王を侮辱することとなってしまったことは覆せない。
穏便に話を済ませて会談の場を設けることに同意して追い返せ。その命令を、何一つ遂行できていない不甲斐なさに唇を血が出るほど強く噛んで全身を強張らせる。
(この程度が拙者の忠誠心だというのか。ただ一時の激情に流されて敬愛せし王に迷惑をかけるのが忠誠だというのか!)
気付くのがあまりにも遅すぎた。
魔物としては正しい行動ではあっただろう。それはただ一介の魔物であるならば許されることに過ぎず、国の下に身を置く者が行なってよいものではない。
依然として何も言わず、木に寄りかかるオルフェアとカロン以外が頭を下げた状況下において、カロンは頭を抱えるのを必死に堪えていた。
(何してくれてんだこの野郎……)
たまたま手の空いていた兵衛に交渉をやらせたのだが、どうにも胸騒ぎがするので様子を城から窺っていたのだ。
城から様子を見ると言っても、そこに課金アイテムや特殊な道具を用いる必要はどこにもない。
そこにはアポカリスフェの特殊なシステムが大きく関与している。
アポカリスフェはVRMMOでありながらRTSと言う、本来混ざり合わせることの難しい分野を開拓した黎明期を彩る一つだ。
だがそのシステムを有効的に、特にVRの価値をどう活かすべきかについて思案に思案を重ね、その結果生み出されたのがインターフェースマップシステムと呼ばれるものだ。
これは、元来の戦略シミュレーションのような区分けされたマップを俯瞰で見る機能に、RTSのような区分けのないマップを見る機能を合わせた特殊なものである。
本来戦略シミュレーションにおいてマップは全体を見るものだが、そこに一つのマスの中を覗くことができるようになっており、命令に従って動くユニットの様子を実際に見ることができるようにされている。
アポカリスフェはターン制ではない代わりに戦争も探索も全てが流動的に動くため、動かしたキャラが何をしているのかを確認する必要があった。
有名な検索サイトの地図を例えに出せば分かりやすいと思うが、離れてみると地図として機能し、拡大していくと途中で路上カメラで撮影した映像に切り替わるのと似ているだろう。
これがアポカリスフェ最大の売りである戦争システムに繋がるのだが、今回は省略させてもらう。
その機能を使って、カロンはフィレンツの森のあるマスを拡大して様子を窺っていた。
兵衛以外にアルバートの選択肢もあったが、老人がのこのこやってきても見栄えがよろしくないので却下。
精神的に年のいってると外見で判断できる兵衛ならしっかりきっちり務めを果たしてくれると信じつつも、疑いながらエルフと接触する様子を見ていた。
兵衛とエルフの頭の上には体力を表すバーが並んでおり、青いバーの兵衛の前にずらりと赤いバーが並んでいる。
こうして見るとゲームと変わらないんだよな、と感傷に浸りながら、フィールドで動くのを執務室から眺めていた。
が、この有様だよ。胃潰瘍で殺す気か。
いきなりエルフの長と思わしき人物に攻撃をぶちかました兵衛。
エルフの長の頭の上に被ダメージ量がピロンと表示され、物凄い勢いでバーが消え去っていき、極微量の体力だけになっている。
おまけに出血の持続ダメージ付き。兵衛が攻撃しても死ぬし、放っておいても確実に死ぬ。
いきなりすぎて理解できなかったが、問答無用で交渉決裂の危機に瀕したのを悟ってそれはもう慌てた。
そこからは無我夢中で、転移の能力が制圧した土地にも使用可能という、ゲームでは不可能だった行為が発揮されて落ち着く間もなく現場に到着。
ごちゃごちゃした頭で、まず追撃を繰り出そうとする兵衛を止め、オルフェアに近付いて課金アイテムの体力スタミナ全回復のポーションを振りかけて一命は取り留めた。
(……そこまではよかったけど)
今のこの状況をどう収めてよいのかが分からず、困惑している。
跪く兵衛、平伏するエルフたち、死に体だった代表と思わしきエルフ。
どう声をかければいいものか。少し王らしく一声かけたまでは良かったが、そこから先は無策である。
「……何故、このようなことをした」
結局、先に兵衛を対処することに決める。
キレる若者でもやらない唐突な暴走の光景がリフレインしており、かなり気が進まない。
かといってそのまま放置して帰ってしまえば今度は後々に面倒事を引きずることになるのでそうもいかない。
いきなり代表格を殴られたら誰だって怒るものだ。きっと伏せているエルフの顔には怒りが散りばめられていることだろう。
このまま国に返してしまい、敵対する覚悟がこちらにあるのだと思われるのだけは回避せねばなるまい。
そもそも帰られると次に進めないので本当にまずい。
兵衛が王だとバラさなければもう少しやりようがあったものを。そう愚痴る気持ちもあるが、今は彼女たちの前でしっかりと裁くことにする。
「はっ、この長耳族が拙者のことを城主と宣った故、主の存在を蔑ろにされたと感じまして」
マップでは音声が拾われないので、何を話しているのかと思ったらそんなことだったのか。
敢えて王だと詐称させた方が色々楽になれたんじゃないかと考えたが、後の祭りである。
「そうか。それは、私を思ってのことか」
「当然でござる! 王無き国などありえず、王はカロン様を置いて他におりませぬ!」
「……そうか」
嬉しくないわけじゃない。王だから大事にされてると分かっただけでも良しとしよう。
数日経ってそこそこ成長したが、王だから、と付け加えるのは忘れないカロンであった。
「その心意気には感謝しよう。だが使者に対して自身の感情で暴行を振るったことは事実。それは相違ないな?」
「はっ! 誠に失礼なことをしたと思っております!」
本当か? と言いたいが我慢しよう。
顔を上げず地面に話しかける兵衛を見ながら何を言い渡すかを考え、瞑目していた瞼を開けてじっと兵衛を真っ直ぐ見つめる。
「では、暫しの間謹慎を言い渡す。罪は罪だ。だが兵衛の力が必要であることも含め、当面の間は城内での行動も制限する。よいな?」
これなら角が立たないだろう。
使者のエルフには上手く伝えておくとして、謹慎といっても仕事はさせるのでカロンも困らない。
なにより、外より内のご機嫌取りのほうが優先されるので、この程度で済ませておくのが妥当と言える。
カロンの告げた処罰。別段厳しいことを言ったわけでもなく甘さだけが見える内容だったが、兵衛にとってはそうではなかったらしい。
ボロボロと大の男が涙を流しながらカロンを見つめ、鼻水を啜るではないか。
気持ち悪いと一歩後退ったカロンだが、何かされるわけでもなさそうなので、それ以上下がることはせずに反応を見る。
「そのような寛大な措置とは、主の優しき御心に感謝致す! もう二度と主の意に反する行動は取らず、この五郎兵衛、一層の忠誠を捧げたく思います!」
「う、うむ。これからに期待しよう」
まさか感謝されるとは思わなかった。どういう思考回路をすれば涙ながらに罰を喜ぶ人間が出来上がるのだろうか。
ああ、そういえばこいつ“盲信”だったか。ありえるな。でも“剛毅”はどこに捨ててきたんだお前。
触れたもの皆傷つける感じの殺気を放出していた姿は見る影もなく、カロンによく分からない感謝を告げる兵衛はとりあえず放っておくことにした。
「さて、待たせてしまったな。申し訳ない」
兵衛との話を終えたカロンがエルフたちへと振り返った。
茫然自失していたエルフたちだが、あの桁違いの暴力を見せた鬼を傅かせる人物ともなれば何者なのか想像がつく。
上げていた顔をすぐさま地面へ叩きつけ、発言する権利を持たぬので沈黙が流れた。
この場で言葉を発してよいのは族長であるオルフェアのみ。それ以外の者が口を開くなど失礼にあたる。
声をかけたら罵声を浴びせられたり糾弾されたりすると思っていたカロンの思惑が外れ、なんとも言えない緊張した空気が流れる中、ふらふらと奥から歩いてくるオルフェアが視界に入った。
体に身に付けるものはなく、豊満な肉体を惜しげもなく隠そうともせずにやってくるので慌ててカロンは目を逸らす。
近寄った時は裸体よりも見るに耐えない無残な姿から視線を外したが、今は違う意味で目の毒だった。
「白銀の城、その城主様とお見受けします。先は大変失礼なことを口にしてしまい、誠に申し訳ありませんでした」
「なに、そんなことを気にするほど狭量じゃない。傷は大丈夫か? こちらこそすまなかった。許されるとは思ってはいないが謝罪させてほしい。兵衛への処罰も甘いというのであれば代わりに私が」
「い、いえ! 誰とて愛する王を貶められれば憤るもの。確認も取らず早計に走った私が悪いのです。どうかお気になさらないでください。ヒョーエ殿にも思うところはございません」
「そう言ってもらえると助かる。ありがとう」
ゆっくりとした動作で両膝を折って土下座したオルフェアを心配し、立場もあるのに謝罪をする。
人心の溢れた王だと感じる。仁に厚く義に固く、礼を知り智に深く、そして信もある。
あの腐った社会の中で暮らしていて見ることもなかった、人の上に立つに相応しい者の姿に、知らず知らず心が打ち震えている。
ちらりと上目でカロンを見つめていたオルフェアだったが、少し違和感を感じた。
黒い髪に鳶色の瞳。少し彫りが深いくらいにしか特徴のない顔。
それ以上に、魔力を一切感じない。
魔物とは、魔の化身である。
亜人や獣人も魔物に分類され、魔物には必ず魔力が存在している。
悪霊のような不定形のものでも主成分は魔力であり、魔物であるなら例外なく備わっているはずだ。
しかし、それがない。
それどころか、一目見て危機を感じるような力の気配もなく、まるで唯の人間のような……。
頭に描かれた文面。それに気付くと同時にぶわっと全身に汗が噴き出した。
人間。
人間が、魔物を従えている。
それもただの魔獣師とは訳が違う。
知性の低い魔物を従属の魔術で強制しているのではなく、知性の高い魔物を己が身一つで魅了している。
そんな存在が、この世にいるなど、誰が信じられるというのか。
だがこうして仁王立ちする男はどう見ても特別な力を持っているようには見えず、かといって武に通じている風もない。
魔を従えるなど、思い当たる言葉は一つしかなく、兵衛に感じた恐怖以上の畏怖が全身を駆け巡った。
「そういえば使者殿。こちらで一人エルフの少女を預かっているのだが、お返しした方がよろしいかな?」
ビクッと、オルフェアの肩が揺れた。
怒ったかと警戒したが、面を上げたその顔に出た表情を見て、カロンは内心で首を傾げる。
怯えているのか?
視線を辿ると、後ろで剣の柄を握って警戒する兵衛がいる。これが原因か。
一人で現れた王を守る側近の役割を果たしているだけで、威嚇はしていない。
謀反の気は今はないと判断して幾分か落ち着いたカロンは、小さく手を上げて控えさせた。
一応場所は悪いが使者と王の立場の違いから襲いかかってはこないはず。
それに兵衛に為す術もなく殴られたのだから、兵衛がいるうちは平気だと敢えて構えを解かせた。
好戦的な姿勢をとりやめさせてオルフェアに顔を戻すが、先程よりも顔色が優れていない。
「具合が悪いのか? それともまだ傷が治りきっていないのか? 薬は間違いなく効いたはずだが」
「だ、大丈夫です! ご心配をおかけして申し訳ありません!」
一歩カロンが踏み出すと、膝を擦りながらオルフェアが二歩分下がり、薬の話を出すともっとひどい動揺を表した。
緊急事態と惜しげもなく使ったポーションだったが、普通に考えて虫の息から元通りにする薬が当たり前に使われているわけがない。
無自覚に喋ればそれだけ逆らう意思を削ぎ落としていく。理解度の差が二人の溝の原因であった。
「そう、か。では続きは城でしないか? このような場所では満足に歓迎もできぬし、なにより保護しているエルフの少女にも会わせてやれないからな。今迎えを用意しよう」
いつまでも森の中で話を続けるわけにもいかない。
色々と聞きたいことがあるし、今後の方針に影響が出ないよう取り繕う必要もある。
友好的なカロンの言葉に、人外魔境に誘い込まれてると思い首を振ろうとしたオルフェアだったが、身を竦ませる恐怖はそれに従うことしか許してくれなかった。
強力な鬼を従える人間の城。それだけ見るとどう考えてもまともとは思えない。
すぐにカロンが呼んだ迎えと出会うことになり、数名のエルフが失神する事態になるが省略しておく。
「では、城で会おう。先程も言ったが、盛大に祝ってやるから楽しみにしておくと良い」
魔術も使わず、余韻も残さず、掻き消えたカロンの光景は、迎えが訪れるまで誰一人身動きを取らせることはなかった。