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エステルドバロニア  作者: 百黒
2章 神の都
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4 選択

 リーレが行方不明になってから今日で6日。

 事態は何一つ進展することがなく、ついに期日を明日に控えていた。


「いかんな、このままでは」


 御母堂が煙管を吹かしながら、溜息混じりに呟く。

 住んでいたエルフが死んだことで空き家になったボロ屋の中、囲炉裏の灯りを2人で囲んで神妙な面持ちを作る。

 幼い頃から魔術の指導者として君臨してきた御母堂。本名は誰も聞いたことがないらしい。

 エルフの武術を代々受け継ぎ、今代では最強とされるオルフェア・ニシュエ。

 大きな問題が起こった場合、必ずこの2人が話し合って物事を定め、他のエルフはそれに付き従う。

 族長の決定は絶対とされるエルフの掟は、常に族長に命運を託すこととなっている。

 御母堂が相談にのるのは、3代も族長の世話をしてきた経験があるからであって、あくまでも決定はオルフェアが下さねばならない。

 だが、今の状況を打開するための決定など、どこを探っても出てはこない。


「後手とは言わんが、事態は我らを差し置いて先に行っておる。全く、リーレといい元老院といい、ままならんものだな」

「リーレの足取りは森で途切れているのですか?」

「いや、森の外へと魔力の残滓が残っていた」

「つまり、脱走したと?」


 目つきをきつくしたオルフェアだが、御母堂がそうじゃないとかぶりを振る。


「外と言っても、森の向こう。ディエルコルテの丘の方角だ」

「……どういうことですか」

「どうもこうもなかろう。私とて分からん。抜けるための方法を見つけたのか、攫われたかのどちらかだ」


 あの城が動きを見せたのか。

 事実はどうか分からないが、もしそうなら自分たちのことで手一杯だというのに、そこに第三者が関わってくることになる。

 そんなことをするなら呪法を解いてほしいものだ。嫌がらせにも程がある。

 できるなら森を避けて別の場所から侵入を試みたいが、領土の問題でフィレンツの森以外を経由する経路が使用不可になっている。

 他の場所にはこんな複雑怪奇な呪法が施されていない可能性もあり、調べる価値はあるのだが、周辺国が何もしていないとは思えない。

 もし鉢合わせれば神都でエルフを奴隷として扱っていると知られてしまうため、不用意に他国の領土に足を踏み入れるなと厳命されていた。

 命令は絶対だ。納得できなくても、抗いたくても、首に嵌められた戒めがそれを許してくれない。


「つまり、あの呪法を解かない限りどちらも解決しないのですね」

「まぁ、そういうことだな。だがこれは諦めるほかないと思っている」

「不可能だと、そう仰りたいのですか?」

「そうだ」


 はっきりと、言い切られる。


「あれは手に負えん。リフェリス王国の大賢者ヴァレイル・オーダーであれば違うかもしれんが、そこまで登りつめでもせねば式の一つも解けんだろう」

「ではどうしろと言うのですか!」


 あまりにも投げやりな言葉に、思い切り床を叩く。

 その振動で、橙赤の中に灰が舞い上がった。


「このままでは、またあの地獄を味わわされるのですよ!? どれだけの者が傷つき、どれだけの者が命を絶ったと思っているのですか! 出来る出来ないなんて事を言ってる場合じゃないでしょう! やらなければならないのです、なんとしても! それでも魔術師なのですか!」

「喧しい! どうにかできるのならとうにしておる! 私がどんな気持ちで取り組んでいると思っておるのだ! 私がやらねば誰もできん! 私が何もできなければ、皆が陵辱されるのだ! 他の誰でもない私のせいで!」


 顔を突き合わせて、響かせた大声が微かな余韻を残して静まり返る。

 荒い呼吸音だけが残され、互いの目には互いの顔しか映っていなかった。


 そうだ。彼女が苦しんでいないわけがない。

 魔術に誰よりも長けている御母堂が、誰よりも先陣切って指揮をしているのだ。

 誰にも任せられないと寝る間も惜しんで文献を漁っている姿も見ていたというのに、私はなんて失礼なことを。

 次第に気持ちが萎んでいく。ゆっくりと元の姿勢に戻り、先程よりも姿勢を小さくして、こじんまりと収まった。


「気持ちは分かる。お前も私と似た立場だ。命運を握っておる。だからこそ、はっきりしなければならん」


 ――黙って身を差し出すか、反旗を翻すかを。


 揺れる炎が照らす室内。言葉にならない驚愕に染まったオルフェアの顔を、真っ直ぐ見つめる御母堂の決意は不退転である。

 彼女も元の場所へと戻ると、はしたなく胡座をかいて腕を組み、静かに目を瞑った。


「今度ばかりは手の施しようがない。時間ばかりを無駄にするわけにもいかん。ならそれしかないではないか」


 確かに、非現実的だが今の状況ではそれが最善に感じる。

 首輪にかけられた隷属は、“元老院に害を与えない”というもの。

 元老院の連中に命令されれば心に反して肉体が従うが、その命令がなければある程度の自由はある。

 つまり、騎士団を襲うくらいは可能なのだ。

 だが、どれだけ堕落していたとしても騎士の実力は紛れもなく本物。

 迂闊に手を出せば返り討ちにあうのは間違いない。

 そうなると、残る手段は夜襲か。


「……それが成功したとしても、あの老人共がいる限り何も変わりませんが」

「なに、あの者らを殺す手段などあるだろう。まだ首輪に縛られていない者が」


 そんなエルフはいない。

 反射的に否定しようとして、ふと一つ思い当たる節があった。

 隷属の首輪はほぼ全員に付けられているが、まだ(・・)の者もいる。

 あの大きな屋敷で、安らかな寝顔をしていた、彼らが。


「子供にやらせると? 本気ですか?」


 いくらなんでも酷すぎる。

 まだ幼いのだ。自分の置かれた身も分かっていないような子供に、汚れ仕事をさせるなど認められるわけがない。

 確かに可能だ。しかしそのような手段で自由を得たとして誰が喜べるというのか。

 堕ちるとこまで堕ちはしたが、理性まで奈落に放った覚えはない。

 先程以上に怒りに燃え、後ろ腰に提げてあるハチェットを握り締めて片膝を立てる。

 そんな危険な思想を持つ相手は、たとえ育ての親であっても生かしておくわけにはいかない。

 一触即発の空気。

 それを払ったのは、他でもない御母堂自身だった。

 真面目な顔を取り消して微笑み、剣呑な気配を纏うオルフェアをからかうように煙管を左右に振ってみせる。

 その様子の変りように呆けた顔をしたオルフェアを見て、また笑った。


「冗談だ。そう苛立つな。だが、そんな選択しかないというのも事実。他に考えられるとすれば、あの城が動いてくれることなんだがな……」


 最悪を考慮しろと、そう言われている。

 どう足掻いてもこの状況を進めることができるのはエルフではなく、元老院か、あの城のどちらかだ。

 元老院が動けば最悪に、城が動けばどうなるかは分からない。

 かれこれ1週間もの間、起こしたアクションは侵入を阻む魔術の行使とリーレの誘拐疑惑のみ。

 もうそろそろ行動を起こすのではないかと御母堂は踏んでいる。

 オルフェアは少し引っかかりを覚え、思案を始めた。

 リーレがいなくなった時、彼女は一人で行動をしており、そのタイミングを狙われて姿を消した。

 ただ適当に目についたエルフを攫うのと違い、計画性がある。

 つまり、監視の目があり、実行する者がいるということだ。


「――――御母堂。我らの方から城へ訴えかけることは不可能でしょうか」

「どういうことだ?」

「先日シエレと話をした時に出た案なのですが、恐らく相手は我々を監視しているでしょう。リーレの誘拐には計画性がある。

 なら、見えぬ監視の者に告げればいい。そちらと交流を行いたいと。リーレと会いたいと、そう伝えるのです」

「効果があるとは思えんがな」

「ですが、ただ闇雲にいるよりはマシでしょう。悪意があるかどうかは分かりませんが、向こうもこのまま黙っていることは有り得ない。

 孤立無援で居続ければそのうち飢餓に喘ぐことになる。ならこちらから手引きすれば、話す余地は生まれるかと」


 もし排除するのなら、これほど時間を掛ける必要もなく殺してきているだろう。

 相手も様子を見ているのではないかと考えられた。

 リーレを攫ったのは、こちらの情報を引き出すためではないだろうか。

 もしかすれば尋問されているかもしれない。無惨に強姦されているかもしれない。生きているかどうかも怪しい。

 だが、そう仮定しなければ話を進めることはできなかった。

 希望的観測だが、あの神聖な城がこの神都のような醜さを持っていないと思うことで冷静さを保つ。

 心のどこかで、聖地ディエルコルテの丘に突如現れた陽光を浴びて燦々と煌めく白銀の姿に、救いの神が居てほしいと願望を抱いていることにオルフェアは気付いていない。


 炭が踊る音の中、小さく諾と告げられた。


「しかし、問題もある」


 ほっと胸を撫で下ろしたオルフェアだったが、付け加えられた言葉に怪訝そうな顔を作った。

 一息紫煙を吐き出した御母堂は、オルフェアと違って憎しみで顔を歪ませている。


「元老院だ。ここ最近、妙にきな臭いと思わんか」

「それは……いつものことと思うのですが」

「そうではない。いつもであれば我らの行動を逐一呼び出して怒鳴りつけるというのに、今回はそれがない。それどころか妙に猶予を与えてきた」


 そう言われてみれば、確かにこの1週間元老院に呼び出されていない。

 用があってもなくても暇つぶしに隷属の呪を用いてくだらない命令をする連中が、目と鼻の先に宝の山と思わしき城があるのに、行動を起こしてこないことが御母堂の不安の一つだった。

 期日は明日までと定められてはいる。だが途中経過を聞くこともせず、放置されているのが気がかりだ。


「なにかある。我々を遂に捨てる気か、それとも何か別のことが」


 強く握られた煙管が僅かに軋む。

 パチパチと音を立てて燃える炭を見つめながら、2人の間には沈黙が漂った。

 未来が見えない。

 2人とも口には出さないが、いつも以上に不安を感じ、今までにない転機が良し悪しに関わらず訪れるのではないかと考えていた。


「……とりあえず、シエレに伝えてきます」


 博打になるかもしれない行為を行う。今まで惰性で生きてきたが、今回は自分たちで未来を掴めるかもしれないという期待がある。

 それと同時に襲いかかる最悪の想定を払いたくて、オルフェアは腰を上げて家を足早に出ていった。


「シエレ、か」


 残された御母堂は、難しい顔を作って煙管を一際強く吹かした。

 普段外で精力的に動き回っているオルフェアは知らないし気付いていないことだが、シエレはここ最近不思議なことをしていると子供たちから聞かされていた。

 足が悪いのに時折居なくなっているとか、隠れて誰かと話をしているとか、あまり良いとは言えないものばかりを。

 以前に人間と逢瀬を交わしていたことがあり、その青年と会っているのではないかと考えたが、どうにもきな臭い。


「何事もなければ、とはいかんだろうなぁ」


 念のため、自分はここに残ることにしよう。

 明日に控えた作戦が、どうか無事に終わることを祈りながら。





 王城、玉座の間。陽光を浴びて純白に光る室内。

 常であればここに訪れることができるのは王であるカロンだけで、他の者は呼び出されない限り足を踏み入れることは叶わない。

 一つとしてくすみのない磨き上げられた床や壁、天井を覆うミスリルは魔物たちを表し、中央に配置された黒は王を表している――のではないかとはルシュカの談である。

 玉座の間がその機能をまともに発揮できたことは一度もない。カロンとルシュカが2人だけの会議を行ったり、天変地異が起きてすぐの頃に団長陣だけが集まったくらいで、それ以降開かずの間となっていた。

 しかし今回、正式に軍を動かす理由が望まずとも訪れたため、城壁と同じ白銀で埋め尽くされた室内には、八人の団長が勢揃いしている。

 2から7の団長がずらりと横一列に整列して事の次第を見守っており、ルシュカは玉座の隣に控えてカロンに視線を向けている。


「……奴隷、か」


 黒曜石の玉座の上で王が不快感を露わにする。

 正面に居並ぶ配下の視線はカロンにではなく、団長たちとカロンの間で座り込んだ少女に向けられていた。

 一生に一度も経験することのない最上級の魔物に睨まれ、それを従える王の御前。

 緊張しないわけがない。恐れないわけがない。

 怯える少女──リーレを見下しながら、その気持ちはよく分かるとカロンは鷹揚に頷く。


 神都でエルフが会議をしている同時刻、カロンはリーレを呼び出して話を聞いていた。

 誘拐を知った直後は頭痛と胃痛に苛まれたものだが、時間をおいて考え、多少の危険を冒してでも情報は必要かと前向きに検討することにした。

 独断行動は許容できるわけではないが、ミャルコに対して何一つ指示を出さなかったのが原因だろう。

 自我を持ったのだから勝手にユニットが行動を起こすと、そう考えて然るべきだったのだ。

 甘い考えだと自身を責めながら、放置していた四方の守りを任せている者と適当に配置している者に指示を下すことで一応の解決はしたが、目に見えるクエストを処理する以上に、ありもしなかった配下の心が見えずに苦労していくのはこれから否が応でも続くだろう。

 それを考えると落ち着いた胃痛もぶり返すのだった。


 今日この場に呼び出したのはその神都の情勢を知っているかを聞くだけのつもりだったが、歴史の中で起きた出来事を文面や考察で知るのとは違い、虐待と呼ぶのも生温い行為や扱いの数々を、涙ながらに語られると現実味を帯びて心を抉ってくる。

 薄汚い白い布を巻き付けた黒い首輪を付けられたその姿を見るだけでも胸が苦しいのに、追い打ちをかけるような非人道的な行いを聞いてしまい、かける言葉が見つからなかった。


「なんともゆか……いや、酷い話ですな」


 一瞬アルバートの目がおかしな輝き方をしたが、きっと気のせいだろう。若干漏れた的外れな言葉もそういうことにしておく。

 だが酷い話だというのは事実だ。

 マップの機能は俯瞰で眺めることはできるが、一つ一つの建物の中までは覗くことができないため、実際に見ていたのはほんの表面だけでしかなかった。

 神殿内部で行われていたことはカロンたちの想像を超えていたもので、よりにもよって聖教の国が家畜にも劣る生活を強いるなど、現代で暮らしていたカロンには理解できない。

 過去、宗教で問題になったことがある。

 カロンの暮らしている時代では見なかったが、信仰心を高めると言って拷問に近いことを振るい、恐怖心で忠実な駒を仕上げ、地下鉄で殺人事件を起こした。そんなニュースが過去にあったことは知っていた。

 学生の頃にそれを歴史の教師の口から聞いたときはショックが大きく、国に関わらず宗教に関わるとろくなことがないと思ったものだ。

 だが今なら分かる。

 宗教が悪いのではなく、宗教を仕事にするから悪いのだと。

 トップの歪みは組織の歪み。町で暮らす市民の頭も相当にやられていることだろう。

 今までエルフが外から助力を得て行動したという話は終ぞ聞けなかった。


 魔物たちの反応は様々だ。

 興味なさげな者、何かを期待している者、憤る者、笑いを隠す者、悲しげにする者。

 全てを話し終えたことで感じる安堵と、鋭い視線に晒されて竦み上がる恐怖でさめざめと涙するのを視界に収めつつ、眉間に皺を寄せて団長たちを見回した。


「さて、どうすればいい?」

「拙者はさして思うところは御座らぬ。自業自得と言うほかあるまい。好き好んで人間なんかと関わるからいかんのであろう」

「そこって総本山なんですよね? 手出したら面倒くさい話になると思うけど。聖戦なんて言いながら大挙して攻めてくるかも。別に踏み潰せばいいだけだからそれもどうだっていいんだけどさ」


 兵衛と守善は擁護する気はないらしい。

 大人しく今に満足して暮らしていれば騙されることもなかった。欲に眩んだ結果失敗したのだから、我々には関係ないと言う。

 確かに森で暮らしていた話から一連の流れは聞いていたが、カロンも騙される方が悪いと思う気持ちが少しだけある。

 今まで干渉し合わなかったのに突然使者が来て、旨い話に乗っかったのは世間知らずなのかと聞きたくなるほど警戒心が薄すぎる。

 今まで使者が来たりしたのかは知らないが、招き入れて話を鵜呑みにした長を支持したのも間違いだ。

 仔細詳しく聞いたわけではないが、聞いた話で判断するならそう捉えられる。

 エステルドバロニアに多大な影響を及ぼすわけでもないので、騒ぎを横目で流しつつ国の内政に力を注いでもいいだろう。


「グラドラはどう思う?」

「俺は攻め込んでもいいと思いますがね。エルフがどうこうってのは別として、国の資金が減る一方。資源も同じ。土地も少ない。そうなると他から奪うしかねえでしょ」


 これも正しい。

 土地がなく、民の収入源が著しく低下してしまっており、国の収入も併せて大きく減っている。

一次産業は壊滅状態。二次産業も弊害に遭い、三次産業は辛うじて動いているが、満足にとは言えない。

 災害給付金と名付けて国民には年齢に応じた金額を一人一人に手渡し、国庫から資源と食料を街の商人に安く売ることでどうにか体裁を繕うことができているが、放置すればそれだけ破綻が近付く。

 いくら余裕があると言っても出費が減るわけじゃない。軍事費は相当な額だし、国の状況に鑑みて税収も引き下げたので、以前よりも定期の収入は減る。

 城壁周囲に獰猛な魔物が跋扈したままでは迂闊に民を外へ出すわけにはいかず、とにかく土地を得ることが先決だ。

 神都を落としてもめぼしいものは何もないが、足がかりとするには丁度いいだろう。


「あ、アタシもそれに賛成。みんな結構鬱憤溜まっちゃってるんですよねー。目の前に格好の餌があるの知ってるから、不安をなくしたい気持ちもあるみたいだよねー。ばーっと暴れて勝利! なんて分かりやすい形で安心したいんだと思うんだ」


 これは初めて知った。

 フラストレーションの概念が民にしか存在しなかったゲームのシステムに目が眩んでいたが、軍にあってもおかしな話ではない。むしろなかった方が不思議だろう。

 突然の異世界への転移。国が例年でも稀な事象で混乱の最中、軍ができたのは混乱を収めることだけ。

 ゲームであればそれで済まされたことだが、現実になると置かれた状況を把握できない不安が募ってもおかしくはないのだ。

 これからどうなっていくのか。国の姿勢は変わらずとも、どこまでこの世界に通用するのか。

 故に最も簡単に、自分たちは変わらず強者で、この程度なら余裕で乗り越えられると納得を欲している。

 そこまで好戦的な姿勢でプレイしていたつもりはなかったが、何が来ようと打ち払ってきた今までがあるからこそ、戦の中で感じたいのだろう。


「私は消極的な賛成ということで。やることは構わぬのですが、国とも呼べぬ町を落としても旨味がありませぬ。せっかくやるなら国を相手取りたいものですな」

「余計な波紋が生まれるぞ。こちらに大義名分が立たなくなる」

「元からないではないか。この世界に来た時点で我々は既に人間が分け終わった土地を強引に奪っていくしかないであろう?」


 反射的に反論したルシュカだったがぴしゃりと言い返されて、口をもごもごさせながら黙り込んだ。

 アルバートは国内ではなく国外を重視しており、価値のないものは手遊びで殺せるのだから、人目を憚らずに侵攻してもいいのではと提案する。

 今エステルドバロニアが建つ土地も、必要だからと占領した適応環境も、どれもがこの世界に存在する国のもの。

 境界をなるべく侵さぬようと言ってはみても、部外者が何をしたって侵略は侵略だ。取り繕ったところで意味は変わらない。 

 ならば開き直ってもいいじゃないか。そもそもエステルドバロニアはそうやって(NPCの領土を奪って)国土を広げてきた以上、違いなどない。


 あるとするなら、それがカロンと同じ生きた人間だということくらいか。


「……」


 決断し難い。

 皆の視線を受けながら、両膝に肘をついて床を見つめながら、カロンは決めかねていた。

 どれも正論ではある。どれが一番正しいなどない。だが選ぶのなら侵略を選ぶべきだ。

 土地さえあれば解決できることが幾らでもある。解決してしまえばかなり負担が軽減される。

 だが、人間と慣れ合うことができるかと言われれば、それは難しい。

 価値観が違いすぎるし、魔物にしてみれば今リーレが受けたと口にした所業を躊躇いなく行える。

 そんな連中を抱えて、どうやって交易ができるというのか。


「私は賛成に回ります。こちらから歩み寄ることなど不可能ですから、向こうから擦りよろうと思うだけの力を示せば少し話も変わるでしょう。

 あの神都を攻めても益の方が大きいですし、起こることが予想できる分思い悩むこともそれほどないはず。

 聖地の直上に城が建ったのは今後アーゼライ教に目を付けられるのは代わりありません。ですので、相手が迂闊に攻め込めると思えぬようにしてしまえばよろしいかと」


 ルシュカは皆の意見を纏めて判断をする。 

 土地の方は奪ってしまえば勝手に付いてくるからわざわざ言う必要もないと省いて説明した。


「公国というのが神都と密接に関わっているらしいが、それはどうする?」

「どうともしません。申し上げたように、動く気を起こさせない圧倒的な戦力で潰してしまえばいいのです。

 それで噛みついてくるのなら喜んでお相手しましょう。また我らの領土が増えるだけですから」


 美しい笑みを見せるが、簡単に言うと「どうでもいいから殺しちゃおうぜ」と言いたいらしい。

 うじうじと悩むカロンだが、戦争はどうあっても避けられないのは一応理解していた。

 ただ、それがもしも無駄で、関係のない人間も巻き込んだらと思うと決めかねる。

 甘い考えなのは分かっている。それでも考えてしまう。

 自分の指示で、人が死ぬ。殺せと命じれば躊躇せずに殺す。

 対岸の火を画面越しに見ていた一般人が、軍の司令官として画面で見た壮絶な殺し合いを、その狼煙を上げろと迫られている。


 ルシュカが決めても問題なんかないだろう。グラドラが、アルバートが、決めていいことだろう。

 好きにやれよ。俺を巻き込むなよ。帰れればそれでいいんだよ。知ったこっちゃねえよ。

 人を殺せと求める声に渦を巻く思考の中で暴言が並び回り続ける。

 不満を吐き出して解決するならどれほど楽だろう。それができるのならとうにやっている。

 カロンは王だ。軍を束ね、民を守る、唯一無二の存在だ。覆ることのない事実から逃げたいとも、このまま沈黙で流してしまいたいとも思っていた。

 

 沈黙。

 団長達は全て気持ちは伝えたから、後は王の判断を待つのみ。

 俯いたままのカロンに催促をすることもなく、静かに言葉を待つ。


「助けて、くれるんですか……」


 掠れた声がした。


「助けてください」


 消え入りそうな声がした。


「みんな、ずっと待ってたんです。あの地獄から救い上げてくれる人を」


 それでも、熱が篭もった声だった。


 少しだけ顔を上げて、泣いていたエルフを見る。

 その双眸には力強い意志があり、幽鬼のように立ち上がると挑むように胸を張ってカロンと相対してみせる。握りしめた拳からは血が滴っていた。


「助けてください! あの地獄から出られるなら、醜悪な男の思うままにされないなら、そのためならどんなことだってします!」


 カロンの悩みをリーレが知る由もない。

 ただ、最初で最後のチャンスだと思い、居てもたってもいられなかったのだろう。

 突然立ち上がって王に向けて許可もなく発言をしたとして、エレミヤが一瞬でリーレの頭を掴んで地面に叩きつける。

 乱暴な動作ではなく、なるべく痛まないよう気を付けたので酷いことにはならなかったが、もしエレミヤがやらなければ他の者が殺す勢いでやっていたかもしれない。

 地面にうつ伏せで押さえつけられ身動きがとれない。それでもリーレはカロンから視線を外さない。


「どうか、助けてください……私たちを、教皇様を。やっと、やっと見つけた希望なんです。私の命で請け負ってくれるなら、それでみんなが助かるなら……!」


 ずっと見てきた。

 ボロボロにされて家に帰ってくる大人たちを。

 族長になってから行為を免れるようになったのが逆に苦しいと嘆いていたオルフェアを。

 自慢の魔術が役に立たず、夜なべをして首輪を解除する努力をしては机を叩きつける御母堂を。

 腱を切られてから子供のいないときに声を殺して泣いていたシエレを。

 それに、リーレとあまり年が変わらないのに、エルフのためにと誰よりも頑張っていた教皇を。

 待ちこがれていた一縷の望みが現れて、じっとしてなどいられない。


「ちょっと、大人しくしてよ。アタシだからこれで済んでるけど、他の脳筋じゃ……」

「どうなっても構いません。貴方様のために身も心も全て捧げてもいい。あの老人に抱かれるくらいなら、貴方様に捧げた方がよっぽどマシです。だから、どうか……」

「もう、いい加減に──」


 頭を押しつけていたエレミヤの力に抗って、リーレはまたも立ち上がろうとする。

 もうカロン以外見えていないのか、エレミヤの忠告にも耳を貸さず、遙かな開きがある力の差を気にもせず両の腕に力を入れて頭を上へと持ち上げようとしていた。

 さすがにこれは見過ごせないと、エレミヤが空いている手を振り上げて首に狙いを定める。

 昏倒させてしまおうとしたが、唐突に立ち上がったカロンを見て止まった。


「……ルシュカ」

「はい」

「大義名分とは、必要なものだな」

「左様ですか」


 救われたいとこの少女が口にした。なんでもするから助けてくれと、そう言った。

 なら、そうさせてもらおう。

 土地も外交も、今この時はどうでもいい。

 助けてほしいと言うから助けてやる。お前がそう言うから、俺は動いてやったんだ。

 恩着せがましいし逃げ道にする姑息さがそこにある。

 そうでもしなければ、決めることは今の自分ではできそうにない。

 結局決めた責任は自分にあるが、当分はそれを言い訳にして動かなければならなそうだ。


 睥睨するカロンに、団長たちは一糸乱れぬ動きで跪いた。

 初めて王から直接命令を下される。そこに新たな国の幕開けを感じ、喜びで震えが止まらない。


「このエステルドバロニアの一歩を世界に刻め。最強の名をほしいままにした姿を取り戻せ。今日、この日をもって、我が国は蹂躙を開始する」


 応、と威勢のいい声が短く玉座の間に鳴り響いた。


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[一言] 人間に嵌められて落ちぶれたのに人間に助けを求めるのかやべーな
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