8 火の国 王城(5)
今にも振り払われそうなのを、関節を押さえ込んで説いた。
その間に、徐々に粉の量は減った。咳き込みは依然激しいが、吐息に含まれる粒子は、もう見えなかった。
ほっと力の緩んだネイを放し、ターナハースは屈みこんでサーラに目線を合わせた。
「サーラ、苦しいのを取ってあげる。少し、息を止めて、口を開けて」
小さな顎に手を添えて仰向かせると、辛そうにしつつも息をこらえ、そっと口を開いた。
「いい子ね。……見えた」
口の中でも、欠片がめくれている。白い歯列の奥、息に沿って揺れる欠片の波間に、はたはたと動くものを見つけて、ターナハースはさっとそれを摘み取った。ネイが、半ば呆然としながらも受取って、サーラの目の届かないところに隠した。
「さあ、少し喉に欠片が詰まったのね。……もう大丈夫かな?」
咳は、ぴたりと止まっていた。
サーラは目をぱちくりとして、こくりと頷き、爪も捲れた指で、そっと喉を確認した。
「喉が痛むから、なるべく水を飲んだ方がいいかもね」
安心しきったのか、素直に、側の小机にあった水を飲んだが、ターナハースはそれを見て一瞬顔をしかめた。
水が、濁っていた。乾いた土地の多いジークファラントであっても、こうまで質の悪い水しかないものなのか。
落ち着いたサーラを残して部屋から出たところで、ネイが渡されたものを改めて見つめて、硬い声で尋ねてきた。
「これは、いったい……」
ネイの手の平に広げられた布切れに置かれていたのは、茶色い翅の真ん中に大きな黄色い目玉模様のある蝶だった。脚も触覚も揃っている。ターナハースが指の平で圧し潰すまでは、翅をばたつかせて生きていたものだ。
なぜ、これがサーラの口に。
ターナハースはしばらく逡巡した。
話すことの是非を迷ったのではない。ネイに話さなければ、今後サーラに発作が起こった時、対応できない。
だが、どこまで、どう話せばいいのか、束の間考えた。
「以前、同じ症例を見たことがあります。乾くと、蝶が現れやすい。蝶は粘膜付近に現れやすく、喉などに現れれば呼吸を妨げるようです。
取れるような場所なら、鱗粉が吹き出されるのが落ち着くのを待って、さっきのように取るのが一番いいでしょう。でも、取れない場所だと、難しいことになります。
なるべく水分を取らせて、乾燥を避けると症状が緩やかになります。はちみつなどで少し粘りをつけると、もっともつでしょう」
ネイは、目を見開いた。
神の落とし子たちは、似た症状もあるとはいえ、千差万別だ。さらに彼らは迫害されるか隠されるため、ここのように特殊な施療院でなければ、巡り合うことも稀とされる。その反応は、もっともだった。
「その話しぶりだと、多くの症例を見ていそうですね。いったい……」
「旅をしていると、いろんな土地があって。中には、落とし子たちを慈しんで育てる村もありました」
疑問を先取りして答えたターナハースは、それで口を噤んだ。村のことは、あまり話せない。そしてそれよりも、ネイが気が抜けたように、ぼんやりと疲れた顔をしていることに気がついたからだった。
「ネイさん? 顔色がよくない。もう診療を始めて二時間です。少し休んではいかがですか」
だがネイは、静かに首を振った。
「いいえ。休んでいては夕食の準備までに終わらないので、困ります」
「……夕食はどなたが?」
「食事の用意はルートさんが。配膳は私も手伝いますが、回収と片づけも任せます」
返事にほんの少し安心したが、ネイの様子を見れば過労にまちがいがない。
だがやるべきことを思い出したネイは、表情を改めてさっさと次の部屋へ向かった。
「ターナハースさん、手伝ってくださるなら、少しは早く済みます、きっと」
照れ隠しのようにぶっきらぼうな言い方だったが、ネイが背中で誘ってきた。
さすがに嬉しくて、唇がゆるんだ。
これも王太子の策のうちかと、心のどこかで勘繰りながら。
つわりでしばらく苦しんでいました。短めですが、2話投稿します。