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元社畜の転生者に職場環境を荒らされています。

作者: 唯乃
掲載日:2026/02/11

 王宮書記官室。男爵家の次女である私、リアナ・エルフォードが務めるその職場は、木漏れ日を浴びながら、一時間かけて淹れる紅茶を嗜み、羽根ペンの音だけが「カリカリ……」と優雅に響く、天国のような職場だった。

 …あの日、前世で「社畜」だったと自称する転生者、マリー・フローレンが同僚として配属されるまでは。


「皆様、おはようございます! 始業十分前です! デスクの整理整頓は済みましたか? 脳のゴールデンタイムを無駄にしないよう、今日から朝の業務報告は『スクラム形式』で行います。一人三十秒、結論から話してください。はい、リアナ先輩から!」


「えっ、あ、ええと……今日は昨日の続きの、商工会の……」


「はい、15秒経過。具体的数値が足りませんね。昨日のうちに予測データを出しておいたので、これを使って十時までに終わらせてください。次、レオくん!」


「は、はいぃ! 僕は……あ、あの、今日はお腹が痛くて……」


「体調管理も仕事のうちですよ! はい、これ、私特製の『超高濃度栄養ドリンク(泥のような味)』です。飲めば48時間働けます。これを飲んで、午前中に書庫の整理を全部終わらせましょう。マッピング図はもう作っておきました!」


 私、リアナは、震える手でマリーから渡された「分厚い指示書」を受け取った。


 隣では、勤続20年のベテラン、グレータさんが、大切にしていた「ティータイム用のお菓子」を口に運ぼうとして、マリーの鋭い視線に固まっていた。


「グレータさん、その糖分摂取は今の血糖値を考えると非効率です。代わりにこの『低GI健康ナッツ』をどうぞ。あ、あと、その昔ながらの集計方法ですが、魔導計算板にこの数式を組み込めば、3日かかる作業が3時間で終わりますよ。さあ、やってみましょう!」


「……3日が、3時間?」


 グレータさんの瞳から、光が消えた。


「マリーちゃん……。3時間で終わらせたら、残りの時間はどうすればいいの……?」


「決まっているじゃないですか! 浮いた時間で、行政のコストカット案を練り、隣国の経済動向を分析し、さらなる業務効率化のためのマニュアルを作成するんです。やりがいに終わりはありませんよ!」


 彼女は悪くない。むしろ、国を救うレベルの逸材だ。


 だが、彼女がいるだけで、職場は戦場と化し、私たちの精神は「やりがい」という名の濁流に飲み込まれていく。


 マリーの恐ろしいところは、彼女の仕事効率が良すぎるせいで、上層部の「期待値」がバグってしまったことだ。


「……ねえ、リアナ。さっき財務部長が来てね、マリーちゃんが出した『予算30%削減案』を見て、狂喜乱舞してたわよ」


 グレータさんが、焦点の合わない目で呟く。


「浮いた予算で新規プロジェクトが3つも立ち上がったわ。……それ、全部私たちの部署が担当なんですって」


「なんですって……!?」


「マリーさんが『私たちなら、一晩で骨子を作成できます!』って太鼓判押しちゃって……」


 ふと時計を見ると、深夜2時。


 かつては「夜警の交代時間」だったはずのこの時間は、今や「書記官室が一番盛り上がる時間」へと変貌していた。


「レオくん! 寝ちゃダメよ! 寝たら死ぬわ。私たちが!」


「……先輩、もうダメです……。マリーさんが作った『覚醒の魔導コーヒー(胃壁が溶ける味)』を5杯飲みましたけど、もう手が震えて……文字が、文字が踊ってます……」


「レオくん、姿勢が悪いです! 効率が落ちますよ!」


マリーの声が響く。彼女だけは、肌ツヤも良く、瞳をギラギラと輝かせていた。


「皆様、朗報です! 王立魔導研究所から『短時間睡眠で回復できる新魔法の開発に成功した』との連絡が来ました!これで、1日2時間睡眠で効率よく働けるようになります!」


「え…?」


「やった! これで納期に間に合いますね!」


 マリーの明るい声に、私たちは力なく「わーい……」と拍手するしかなかった。


 彼女の善意という名の鞭が、私たちの心身を確実に削っていく。


「マリーさん…その、たまには、早く帰ってお買い物とかしたくないの?」


 私が最後の力を振り絞って聞くと、彼女は聖母のような微笑みを浮かべて答えた。


「買い物の時間も、1週間のうち15分に集約してあります! 効率化によって生まれた自由な時間は、すべて『次の仕事』に投資する……。これこそが、転生してまで手に入れたかった私の理想のホワイトライフなんです!」


「………」


あまりにもマリーすぎる回答に、もはや誰もツッコミを入れない。


 そんなこんなで、窓の外では、朝日が昇り始めていた。


「あ、もう朝ですね! 一旦、一時間の仮眠を取ってから、朝一番のミーティングを始めましょうか!」


 爽やかな彼女の声を聞きながら、私は確信した。


 このままだと、私たちは廃人になってしまう、と。


 ある日、マリーが「今日はちょっと用事があるので、日付が変わる前に上がります!お疲れ様でした!」と爽やかに去っていった。

 千載一遇のチャンスに、残された私たちはゾンビのように這いずり回りながら、緊急会議を開催した。





「……このままじゃ、死ぬわ」


グレータさんが、机に突っ伏したまま呟いた。


「昨日、隣の部署の課長が、マリーちゃんの作った『自動承認魔法』のせいで自分の仕事が消えて、アイデンティティ崩壊して辞めちゃったのよ……」


「僕も、マリーさんに『レオくんは伸び代しかないですね!』って笑顔で言われて、徹夜で魔導回路の設計をさせられました。……もう、実家に帰りたい……」


 後輩のレオくんは、目の下に濃い隈を作り、泥のようなドリンクを啜っている。


「みんな、落ち着いて」


 私は、自分自身の有給休暇申請書(※マリーによって『論理的根拠不足』で却下されたもの)を握りしめ、宣言した。


「彼女を結婚させましょう。そして、この職場から、物理的に引き離すのよ……!」


 作戦は全会一致で即座に決行された。まずは、戦うための装備を整えなければならない。


 私たちは仕事の一環として、マリーを王都一番のサロンへと連れ出した。


「マリーちゃん、今日は『宮廷外交におけるビジュアル戦略』の現地研修よ。これも、書記官として重要な任務なの」


 グレータさんが適当な言葉を並べる。


「ビジュアル戦略? なるほど、外見が相手に与える心理的影響を数値化して、交渉を有利に進めるわけですね。承知しました、学びます!」


 マリーがまた想像の斜め上の解釈をしていたようであるが、それはそれで都合が良いので放っておく。


 プロの手による神がかったメイク術と、私たちのボーナスを注ぎ込んだ、流行最先端の衣服。

 眼鏡を外し、美しく結い上げられたマリーは、まるでお伽話の姫君のような輝きを放っていた。


(よし……。外見だけは『守ってあげたくなる可憐な乙女』が完成。でも中身は「鋼のワークホリック」。このギャップに耐えられる……いえ、この暴走を止められる男を探すわよ!)





 私たちは、王宮の独身男性リスト作成。政界工作を隠れ蓑にしたお見合いをマリーにぶつけていった。しかし、結果は想像を絶する惨劇となった。


●第一の犠牲者:教育オタクの若手伯爵の場合


「僕は、子供たちの個性を伸ばす教育を広めたいんだ。君のような優しい女性と、夢を語り合いたい」


「閣下、夢を語る前に予算キャッシュフローの話をしましょう。その教育プラン、投資回収まで五十年かかります。まずは教職員のKPIを設定し、無駄な行事を全廃。それから……」


「……あ、あの、ケーキ食べない?」


「咀嚼は時間の無駄です。これ、私が作った『栄養ゼリー』です。効率よく栄養吸収ができます。吸いながらこの表をチェックしてください」


「………」


 数日後、伯爵は現実の重みに耐えかね、爵位を返上。その後の行方は誰も知らない。



●第二の犠牲者:近衛騎士団の脳筋将軍の場合


「女は俺の後ろで守られていればいい。戦場は男の仕事だ」


「将軍、その非効率な陣形は何ですか? 補給路のロス率が8%を超えています。前世なら倒産案件ですよ。私がドローン……じゃなかった、遠隔監視魔法を使って、全部署の在庫管理を一括制御します。あなたはそこで素振りでもして筋肉を維持していてください」


「な、なにィ!? 俺の権威を……!」


「権威で兵士の腹は膨れません。はい、これが30分以内に改善可能な兵站最適化案(500ページ)です。読み終わるまで寝かせませんよ?」


「………」


 数日後、将軍は、マリーの圧倒的統率力に恐怖し、除隊届を提出したとの噂が届いた。





「……いよいよ、真打ちの登場よ」


 私は、震える手で最後の一枚のカードをテーブルに置いた。


「エリート文官、セドリック様よ!マリーさんの噂はセドリック様の耳にも届いていて、良い印象を持たれているらしいわ!」


●第三の犠牲者:超真面目なエリート文官の場合


 セドリック様は、王宮内でも「歩く六法全書」と恐れられる超・実務派だ。

 眼鏡の奥に光る知性は鋭く、無駄を何よりも嫌う。

 彼ならマリーさんの話についていけるし、むしろ二人でこの国を変えてくれるんじゃないかと期待した。


「初めまして、マリーさん。君の噂は聞いている。効率化を重んじるその姿勢、実に素晴らしい。今日はぜひ、この国の物流網の最適化について、建設的な議論をしたい」


「セドリック様! 嬉しいです、やっと話が通じる方にお会いできました!」


 お見合い(?)開始10分。二人は、お互いの持参した「自作の統計資料」を見せ合いながら、かつてないほど盛り上がっていた。


「(やった……! ようやく、歯車が噛み合ったわ!)」


 物陰で、私、グレータさん、レオくんは歓喜の涙を流し、固い握手を交わした。


 …しかし、その希望はわずか1時間後に打ち砕かれた。


「セドリック様、今の案では甘いです。物資の移動速度をさらに25%上げるために、魔導馬車の発着スケジュールを秒単位で管理すべきです。はい、これが私が試算した『全大陸対応・マルチモーダル輸送計画表』です。今から30分で目を通してください。その後、実地調査に行きましょう!」


「えっ……30分? この量をか?」


「はい! あ、読みながらでいいので、こちらの『農地改革のための土壌成分分析データ(100ページ)』の矛盾点も探しておいてください。並列処理マルチタスクは基本ですよね?」


 セドリック様の眼鏡が、ガタガタと震え始めた。


「ま、待ってくれ。私は……私は人間だ。睡眠も必要だし、思考を整理する時間も……」


「あぁ、眠たかったのですね!配慮が足りずに申し訳ありませんでした。私特性の眠気打破ドリンクをどうぞ!さて、次は徴税システムのバグ取りです。私の計算では、今のままだと0.2%ほどの誤差が出ます。これは国家に対する反逆です。一晩かけて修正案を作りましょう、さあ!!」


「……無理だ」


セドリック様が、ポロリと眼鏡を落とした。


「君は……君は、仕事と結婚したいのかい? 私は、パートナーが欲しかったんだ……。君のような『暴走する計算機』と一緒にいたら、私の脳が焼き切れてしまう……!」


「セドリック様!? まだまだ案件は山積みですよ! どこへ行くんですか、戻ってください! 納期は明日です!!」


 追いかけるマリーさんと、必死の形相で逃げ出すエリート文官。


 数日後、セドリック様は「自分探しの旅に出る」と言い残して長期休暇を取得し、修道院の奥深くで瞑想に耽っているという噂が届いた。





「……ダメだわ。価値観が合うはずの相手すら、彼女のには耐えられなかった」


「もう私たちに打つ手はないのかしら……」


 グレータさんが、しわくちゃになったハンカチで涙を拭う。


 私たちが頭を抱えていたその時、王宮の片隅にある「呪われた(と噂される)公爵邸」から、一通の苦情が届いた。


『……掃除の業者がうるさくて眠れない。静かにさせてくれ……』


 その送り主の名前を見て、私は閃いた。





 苦情の送り元はラザロ公爵家。


 ラザロ侯爵は、「社交界の至宝」と呼ばれる美貌を持ちながら、その実態は「重力に逆らうのも面倒」という、この世で最も怠惰な男だった。


「……食べるのも面倒だから、点滴でいい……」


そんな迷言を残す彼なら、あるいは―。


 お見合い当日。


 豪華なソファに溶け込むように寝そべり、指一本動かそうとしないラザロ公爵。


 その「完璧なまでの無能っぷり」を目にした瞬間、マリーの瞳に、これまでにない狂気の火が灯った。


「……なんてこと。閣下、あなたの生活習慣、資産管理、屋敷の清掃状況、そしてその筋肉の衰え……すべてが『改善余地100%です! 素晴らしい……! 磨けば光る、なんてレベルじゃない。これは、死んでいる原石です!!」


 ラザロ公爵が、眠たげな目をわずかに開き、マリーを見上げた。

「……へぇ。僕の外見に反応しなかった女は君が初めてだ。……でも、僕は動かないよ? 君が何を言っても、無駄だ……」


「結構です! あなたが動かないなら、私があなたの人生のすべてを『自動化』し、完璧に『管理』してみせます! あなたの心拍数から資産の変動まで、一秒の狂いもなく最適化する……。これこそ、私が求めていた究極のプロジェクト!!」


「……ふふ。面白い。君なら、僕の人生を『丸投げ』してもよさそうだね。……いいよ。君に、僕のすべてをあげる」


「「「プロジェクト(成婚)、成立!!!」」」


カーテンの裏で、私とグレータさんとレオくんは、天を仰いで咽び泣いた。





 一ヶ月後。


 マリーの退職日。彼女は、かつてないほど充実した顔で、私たちに言った。


「皆様! 私、公爵家の『全面刷新・永久管理プロジェクト』のリーダーに就任することになりました! 旦那様は、私がいないと息をするのも忘れるような方なんです。もう、24時間365日、つきっきりで管理しないといけないんですよ! ……私、今、最高に『社畜』……いえ、『幸せ』です!」


「おめでとう、マリー!! 本当におめでとう!!(絶対に、絶対に、戻ってこないでね!!)」


 職場一同による、割れんばかりの拍手。


 彼女を乗せた馬車が見えなくなるまで、私たちは手を振り続けた。

 …それは、戦友を送り出す敬意ではなく、爆弾を処理し終えた後の安堵だった。


 翌日。


 書記官室には、小鳥のさえずりと、一時間かけて淹れる紅茶の香りが戻っていた。


「……あぁ、平和ですね、リアナ先輩」


 レオくんが、三十分に一枚という「かつての標準スピード」で書類をめくっている。


「そうね。……あ、レオくん。その書類、一箇所間違ってるわよ」


「えっ、本当ですか? ……まぁ、明日直せばいいですよね」


「そうね。今日はもう、ティータイムにしましょう」


 窓の外、遠くの公爵邸からは「閣下! まだ入浴時間が3秒遅れています! 効率的な洗浄ルーチンを叩き込みますよ!」というマリーの勇ましい声が聞こえてくるような気がした。


 マリーの「やりがい」と、私たちの「平和」。

それは、ラザロ公爵という尊い犠牲(?)の上に、ようやく成り立っている。


 公爵様、どうか…。彼女を一生、離さないでください。私たちの平和のために!



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