第9話「橋の建設」
――カイロス視点・王宮教会――
翌日。
王宮の一角にある教会に、一人の老人が訪れた。
大司教マクシミリアン。
白い髭を蓄えた70代の老人だが、その瞳には鋭い知性が宿っている。
「聖女ルミナは、市場側におられるのですね」
執務室で報告を受けたレオニードが頷く。
「はい。亀裂の向こう側です」
「では、エーテルコールを使えば連絡が取れるかもしれません」
「エーテルコール?」
レオニードが首を傾げる。
「聖女同士が、光の魔法で意思を伝え合う術です。ただし、条件がいくつかあります」
大司教が指を折る。
「一つ、天気が良いこと。二つ、お互いの力が届く範囲であること。三つ、両側に聖女がいること」
「しかし、市場側にはルミナ様しか…」
「いえ、ルミナ様は最高位の聖女。彼女の力なら、あの程度の距離は問題ないでしょう」
大司教が窓の外を見る。
快晴だ。
「こちら側の聖女に、試させてみましょう」
――ルミナ視点・市場側――
その日の午後。
私は市場の一角で、負傷者の手当てを終えたところだった。
突然、胸が温かくなった。
懐かしい感覚。
(これは…エーテルコール?)
私は目を閉じて、意識を集中させる。
光の魔法が、心の奥で脈打ち始める。
『ルミナ様、聞こえますか』
広場側の聖女、ノアの声が聞こえた。
『ノア!久しぶりです』
『大司教様が、エーテルコールのことを教えてくださいました』
エーテルコール――そうだった。
私、この術のこと、すっかり忘れていた。
聖女としての基礎訓練で習ったけれど、使う機会がなくて。
『ありがとうございます。これで、両側の連絡が取れますね』
『ええ。カイロス様もお喜びです』
ノアの声に、温かみが混じる。
『それと…もう一人の王様に、陛下からの伝言を』
私は頷いた。
『分かりました。すぐにアレン様にお伝えします』
――アレン視点・市場側――
「アレン、これを見てくれ」
ドルンが設計図を広げた。
橋の設計だ。
村にいた頃、川に橋を架けたことがある。あの経験が、ここで活きている。
「木材と鉄材を組み合わせて、両側から橋を伸ばす。中央で繋げば…」
「でも、資材が圧倒的に足りないんじゃないか?」
ドルンが指摘する。
商人たちも深刻な顔で頷いた。
「あの深さに橋を架けるなんて…正直、王都中の資材を集めても足りるかどうか」
「どうする、アレン?」
俺は考えた。
村にいた頃、困った時はみんなで助け合った。
「周辺の村に、協力を仰ぎましょう」
「村に?」
「ええ。王都の近くにも、いくつか村があるはずです。資材を分けてもらえないか、聞いてみたいんです」
その時、一人の冒険者が前に出た。
浅黒い肌に、旅の装備。商人の護衛として王都に来ていたらしい。
「なら、俺が伝えてくる」
「本当ですか?」
「ああ。この状況、放っておけねえ」
冒険者が笑う。
「それに、落ち着くまで村に避難したい人もいるだろ?その案内も兼ねてな」
確かに、市場には不安そうな顔をした人々がいる。
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
「お願いします」
冒険者が手を挙げると、何人かの商人も名乗りを上げた。
「俺も行く」
「俺もだ」
人々の善意が、胸を温かくする。
その時、ルミナが駆けてきた。
「アレン様!」
「ルミナさん、どうしました?」
「広場側と、連絡が取れました!」
「本当ですか!?」
ルミナが頷く。
「エーテルコールという術で。そして…カイロス様からの伝言を」
俺の胸が高鳴る。
「カイロス様は、怪我をされているそうです」
「怪我!?」
「爆発の時、民衆を庇って。でも、命に別状はないとのことです」
安堵と、申し訳なさが混じる。
あの人も、必死に民衆を守っていたんだ。
「カイロス様も、橋を架けることに賛成されています。広場側でも、すでに建設が始まっているそうです」
「そうか…」
俺は亀裂の向こうを見つめた。
「ルミナさん、俺からも伝えてもらえますか」
「はい」
「怪我、大丈夫ですか。無理をしないでください。それと…」
俺は言葉を選ぶ。
「市場側は、みんな無事です。橋が完成したら、必ず会いましょう」
ルミナが微笑む。
「お伝えします」
――カイロス視点・広場側――
「陛下、アレン殿からの伝言です」
ノアがルミナからの言葉を伝える。
『怪我、大丈夫ですか。無理をしないでください』
胸が温かくなった。
会ったこともない相手なのに、心配してくれている。
『市場側は、みんな無事です。橋が完成したら、必ず会いましょう』
「ああ…」
俺は窓の外を見た。
「必ず、会おう」
レオニードが報告書を持ってくる。
「橋の建設ですが、貴族議会から反対の声が上がっています」
「誰が?」
「複数の貴族です。『市場側を放棄すべきだ』と」
俺は拳を握りしめた。
「認めない」
「陛下?」
「全ての民を守る。それが王の務めだ」
立ち上がると、脇腹に痛みが走る。
それでも、俺は歩き出した。
「貴族議会を招集しろ」
---
議会。
貴族たちが集まっている。
「市場側など、放棄すべきです」
「あちらには平民しかおりません。貴族の領地を優先すべきでは?」
「この機会に、市場を再編成するのも一つの手かと」
次々と冷酷な意見が飛び交う。
俺は立ち上がった。
「待て。市場側にいるのは平民や旅人だが、彼らもこの国の民だ。見捨てることはできない」
「陛下は理想主義が過ぎます」
ガーウィン侯爵が冷たく言い放つ。
「現実的に考えれば、限られた資材は貴族の土地に使うべきです」
「そうだ」「その通り」
賛同の声が広がる。
「侯爵、あなたは昔、民のために尽くす理想主義者だったと聞いている」
ガーウィン侯爵の表情が、一瞬揺れた。
でもすぐに、冷たい仮面を被り直す。
「それは過去の話です。現実を知った今の私は違います」
「貴族には民を守る義務がある。その矜持を、忘れてはならない」
俺の声に、議場が静まる。
しかし賛同する者はいない。
俺の意見は、また押し切られようとしている。
(また一人で…)
胸に孤独が広がりかけたその時――アレンの言葉が脳裏に浮かんだ。
『市場側は、みんな無事です。橋が完成したら、必ず会いましょう』
向こうでも、あの少年は必死に戦っている。
民を守るために。
(俺も、負けられない)
俺は静かに、しかし力強く言った。
「橋を架ける。これは命令だ」
「しかし陛下!」
「民を見捨てることは、王として認められない」
俺の声に、議場が静まる。
「王の名において、橋の建設を命じる。異論は認めない」
レオニードが前に出る。
「陛下のご意志です。従っていただきます」
貴族たちは不満そうだったが、最終的には頷いた。
王権の行使――強引だが、他に方法はなかった。
---
建設現場。
王宮の魔導士たちが魔法陣を描いている。
「木材と鉄材を魔法で強化します」
技術者たちが指示を出し、兵士たちが資材を運ぶ。
組織的で、統制された動き。
「まずは人が渡れる簡易的な橋を、一週間で完成させろ」
俺の命令に、全員が頷いた。
重い荷を運ぶには心もとないが、人が行き来できれば十分だ。
正式な橋は、その後ゆっくり作ればいい。
---
夜。
執務室で、俺は窓の外を見つめていた。
亀裂の向こうに、小さな明かりが見える。
(アレン…)
名前を心の中で呼ぶ。
一週間後、橋が完成する。
その時、ようやく――
会える。
右耳の神環が、温かくなった。
――ルミナ視点・両側を繋ぐ――
私は毎日、エーテルコールで両側を繋いでいる。
アレン様の言葉を、カイロス様に。
カイロス様の言葉を、アレン様に。
二人の想いが、光を通して交わっていく。
市場側では、商人や魔法使いたちが協力して橋を架けている。
多様な人々が、力を合わせている。
広場側では、王宮の魔導士と兵士が、組織的に作業を進めている。
統制された、効率的な動き。
それぞれの強みを活かして――
両側から、橋が伸びていく。
「もうすぐです」
私は空を見上げた。
「二人の王が、出会う日が」
一週間後。
簡易的な橋が、ほぼ完成していた。
中央まで、あと少し。
重い荷を運ぶには心もとないが、人々が安全に行き来できる幅と強度は確保されている。
市場側では、アレンが民衆と共に最後の作業をしている。
広場側では、カイロスが怪我を押して現場を見守っている。
そして――
両側の橋が、ついに繋がった。
歓声が上がる。
「やった!」
「橋が完成した!」
アレンとカイロスは、それぞれ橋の端に立った。
亀裂の向こう側に、相手の姿が見える。
(あれが…)
二人の神環が、同時に光り始めた。




