番外編3「孤独な王座」~カイロス①~
武器徴収案が可決された深夜。
宮殿の執務室に、一人の青年が座っていた。
カイロス・ヴァルステッド――19歳の若き国王。
濃紺の髪を手で掻き上げながら、机の上の書類を見つめている。しかし、文字は頭に入ってこない。
「力は民を守るためにあるはずだ。それを奪うのか?」
議会での自分の言葉が、虚しく頭の中で響いていた。
結果は圧倒的多数で可決。王の意見など、一票でしかなかった。
窓の外には王都の夜景が広がっている。
無数の灯りが瞬いているが、その一つ一つに人々の暮らしがあることを思うと、胸が重くなる。
(俺の決断で、あの人たちの運命が変わってしまう…)
***
執務室の扉が静かにノックされた。
「陛下、お疲れ様です」
振り返ると、近衛騎士団長のレオニード・グラストが立っていた。
21歳の彼は、カイロスより少し年上だが、戦場で共に戦った数少ない理解者だった。
「レオニード…今日はもう休んでいいぞ」
「いえ、陛下こそお疲れでしょう。少し休まれては?」
カイロスは苦笑いを浮かべた。
「休もうにも、頭の中が整理できない」
レオニードは主君の横顔を見つめた。
即位から数日、カイロスは一度も本当に安らいだ表情を見せたことがない。
「今日の議会…辛いものがありました」
「ああ。俺一人では、何も変えられないということを痛感した」
「あの玉座に座るたび思うんだ。俺は本当に王に相応しいのかと」
謁見の間の、金と赤の豪華な装飾が施された玉座。
そこに座って民や貴族と向き合うたび、重圧を感じていた。
***
レオニードは迷っていた。
実は、数日前に聖女ルミナから受け取った手紙のことを、まだカイロスに報告していなかった。
しかし、それは公式な報告ではなく、幼馴染からの私的な手紙だった。
ルミナとは昔からの親しい関係だが、内容があまりにも突拍子もないものだったからだ。
『二人の王』『もう一人の選ばれし者』――常識では考えられない話。
しかし、今日のカイロスの苦悩を見ていると、もしかすると…
「陛下」
「何だ?」
「実は…ルミナから私宛に手紙をいただいておりまして」
「ルミナ?聖女ルミナからか?」
レオニードは懐から丁寧に畳まれた手紙を取り出した。
「内容が…にわかには信じがたいものでして」
「読んでみろ」
***
レオニードが手紙を広げ、読み上げ始めた。
「『レオニード殿。神託により重要なことが判明いたしました。王は二人存在するかもしれません。もう一人の王は、王都から東の方角にある鍛冶場というビジョンを受けました。その者もまた、陛下と同じ王家の環を持つ可能性があります』」
カイロスの表情が変わった。
「『二人の王が出会わなければ、この国に災いが降りかかると示されています。もしよろしければ、陛下にお伝えいただけますでしょうか』」
手紙を読み終えると、執務室に沈黙が流れた。
「…二人の王、だと?」
カイロスは右耳の王家の環に無意識に触れた。
即位の日に現れたこの証が、もう一人にも宿っているというのか。
「最初は私も信じられませんでした。しかし、ルミナの神託が外れたことは…」
「ない、な」
***
カイロスは立ち上がり、窓辺に歩いた。
「鍛冶場か…どんな人物なんだろうな」
しばらく考え込んだ後、カイロスが口を開いた。
「もし本当なら…」
「俺がこんなにも苦しんでいるのは、一人で背負いすぎているからかもしれない」
カイロスの声に、わずかな希望が混じった。
「戦場では、仲間がいた。共に戦い、共に勝利を掴んだ。しかし王座では、いつも一人だった」
振り返ると、レオニードが真剣な表情で聞いている。
「鍛冶場…きっと俺とは違う環境で育ったんだろうな」
戦場で青春を過ごした自分と、鍛冶場のある場所で過ごしてきた誰か。
まだ見ぬ相手だが、その環境の違いこそが重要なのかもしれないと感じていた。
「もし…もし本当にそんな人物がいるなら」
カイロスの瞳に、久しぶりに光が宿った。
***
「レオニード」
「はい」
「俺が直接返事を書こう。聖女の居場所が分かり次第、すぐに届けてくれ」
「承知いたしました」
カイロスは机に向かった。今度は書類ではなく、羊皮紙に向かって。
短い返事だったが、そこには確かな意志が込められていた。
手紙を書き終えると、カイロスは久しぶりに安らかな気持ちになった。
(もう一人の王…本当にいるのだろうか)
右耳の王家の環が、月光の下で静かに輝いている。
もしかすると、この環が熱を帯びる日が来るのかもしれない。
「明日から、また頑張ってみよう」
一人呟いて、カイロスは書類に向かった。
今度は、集中することができた。
孤独な王座に座る青年の心に、小さな希望の火が灯った夜だった。
――番外編4「カイロス・ヴァルステッドの夢」に続く