第1話「神の光は辺境に」
「アレン、そんなやり方じゃ鉄が泣くぞ」
「ごめん、父さん……」
俺は手を止めて、叩きかけの剣を見つめた。
刃の角度が微妙にずれている。これじゃ切れ味が悪い。
「お前は器用なのに、どうも力の入れ方が甘いな」
父さんの言う通りだ。俺は鍛冶に向いてない。
いや、正確には「人を傷つけるための道具」を作ることに、どうしても気が進まない。
ハンマーを握るたび、この剣で誰かが傷つくかもしれないと考えてしまう。
「……集中、集中」
小さく呟いて、もう一度ハンマーを振り上げた。
俺の名前はアレン・ルーフ。辺境の村トルナで、鍛冶屋の息子として生きてきた。
将来は父さんの跡を継いで、この村でずっと鍛冶屋をやっていくんだろう。
それ以外の人生なんて、考えたこともなかった。
***
午前十一時頃。
いつもと同じ朝。いつもと同じ炉の音。いつもと同じ鉄の匂い。
その時――世界が白く染まった。
「……っ!?」
ハンマーが手から滑り落ちる。
目を開けていられないほどの光が、空から降り注いでいた。
熱でも、雷でもない。これは――何だ?
耳の奥で、鐘のような音が鳴り響く。
次の瞬間、冷たい金属が右耳に触れる感覚。
心臓が、脈打つように熱くなった。
「アレン!?」
父さんの声が遠くに聞こえる。
光が収まった時、俺は膝をついていた。視界がぼやけ、耳鳴りが止まらない。
「何が……起きたんだ……?」
ゆっくり顔を上げると、村人たちが全員、俺を見つめていた。
驚き、畏怖、そして――少しの恐れを混ぜた視線。
まるで、俺が何か恐ろしいものになってしまったかのように。
「お前の耳……」
父さんの声が震えている。
言われて右耳に手をやると、いつの間にか小さな耳飾りがあった。
白銀の地金に、細い金線が螺旋を描いている。見たこともない精巧な細工。
そして――鍛冶場の窓ガラスに映った自分の瞳に、淡い星影が瞬いていた。
「神環……」
村の老人が、かすれた声で呟いた。古い伝承を知る彼の顔は、青ざめている。
「まさか……選ばれし者の証が、こんな辺境に……」
神環?選ばれし者?
「本当に神環なのか?」
「この村に、王が……?」
「嘘だろ……アレンが?」
ざわめきが広がる。鉱山で働く男たちも、商売を営む女たちも、皆が信じられないという顔で俺を見ていた。
待ってくれ。
王って、何だよ。
俺はただの鍛冶屋の息子だぞ。剣を作るのも下手で、人と争うのが嫌いで、この村でずっと暮らしていくつもりだったんだ。
王様なんて、雲の上の存在で――俺には絶対に向いてない。
「……嘘だろ」
声が震えた。
この耳飾りは外れない。まるで体の一部のように、俺に馴染んでいる。
***
しばらくして、村長代理のコーリスが前に出た。
険しい表情のまま、村人たちを見回す。
「……このことを王都に知らせるな」
「え?でもコーリス、これは――」
「あいつらに渡せば、村は終わりだ」
コーリスの声には、強い怒りが込められていた。
十年前、税の取り立てで村の娘たちが連れ去られた。
あの時のことを、村の大人たちは忘れていない。
二度と、貴族たちに村を蹂躙させるわけにはいかない。
でも俺には、その重みがまだよく分からなかった。
ただ、耳の神環が脈打つたび、心臓が苦しくなる。
***
遠く離れた王都では、同じ時刻。
若き貴族カイロス・ヴァルステッドが、突然の光に包まれていた。
彼の右耳にも、同じ白銀に金線の入った神環が現れている。
この時、アレンは知る由もなかった。
もう一人の王が、同じ戸惑いを抱えていることを。
***
その日の夕暮れ。
俺は鍛冶場の奥で一人、座り込んでいた。
神環は、やはり外れない。髪で隠そうとしても、光の加減で金の線がちらつく。
この耳飾り……いや、神環って呼ぶのか?
「アレン」
父さんが入ってきた。いつもの気さくな表情じゃなく、真剣な顔をしている。
「父さん……俺、どうしたらいいんだろ」
言葉が勝手に出た。
「……わからん」
父さんは、ゆっくり俺の肩に手を置いた。
「だが、お前が決めることだ。俺たち家族は、お前の味方だ。それだけは忘れるな」
その言葉に、目が熱くなった。
外では、村人たちのひそひそ声が続いている。
「王都に引き渡せば……」「いや、村で匿うべきだ」
俺の運命は、まだ定まっていない。
でも一つだけ分かることがある。
この日を境に、辺境の村で平穏に暮らすつもりだった16歳の少年の人生は――大きく変わり始めたんだ。
そして、遠く離れた王都で。
もう一人の王が、同じ空の下で同じ戸惑いを抱えていることを、俺はまだ知らない。
俺は王に向いていない。
それでも、神は俺を選んだ。
二人の王の物語が、今、静かに動き始めた。