はじめまして、旦那様 2
結婚して、あっという間に年月が過ぎた。
最初の頃こそ領民がお祝いの品を持って駆けつけてくれたりはしたけれど、今では一度も帰ってくることのないシオンの存在ごと忘れられている気がするくらい、暮らしぶりは何も変わらなかった。
当然のことながら、この結婚が形だけの契約婚であることは皆には内緒だ。知っているのは、シオンとの縁を勧めてくれたモンバルトと父のふたりだけ。
もしも制度を利用した形だけの結婚だとバレたらさすがに国からお咎めがあるかもしれないし、せっかくつながった希望の光も消えてしまう。
だからこれは決して知られてはならない秘密だった。
シオンからは、毎月の仕送りが届くもののいわゆる普通の手紙は届いたことはない。最初の一通だけだ。もちろん休暇でこの領地に帰ってきたこともない。
ずっと戦地にいるか、もしくは軍に呼び出されまた戦地にとんぼ返りするのがせいぜいであるらしい。
おかげでシオンと顔を合わせる機会もないまま、時間は過ぎていった。
そして月日は流れて、あっという間に契約期間も満了に迫ったある日のこと。
「大変っ。お父様っ! シオンが来月休暇で領地にくるって……」
父から渡されたばかりの手紙を開封し、大きな声を上げた。
シオンから届いた手紙には、来月一週間ほどこの領地に滞在したいと書いてあった。なんでもちょっとしたけがをして、そのために一時除隊になったらしい。
「けが!? 大丈夫なのか?」
念のためもう一度手紙に目を通し、こくりとうなずいた。
「えぇ。けが自体は大したことはないらしいわ。普通に動かせるし、痛みもそれほどないって。ただ戦うにはちょっと問題があるし、ずっと働き詰めだからたまには休みを取れって言われたんですって」
確かに五年近くもろくに休みなく働いていたら、さすがに上官も心配になるのだろう。
「そうか、ならいいんだが……。シオン君には、一番広い客間を使ってもらおうか。あそこなら日当たりもいいし、領地も見渡せるし」
「そうね。せっかくのお休みなんだし、よくしてもらってるんだもの。ゆっくり羽を伸ばしてもらわなくちゃね」
シオンが月々仕送りをしてくれているおかげで、農地の整備も進んだしちょっといい農具だって用意できた。感謝してもし尽せない。せっかく滞在してもらうのなら、その恩を少しでも返さなければ。
けれどちょっとだけ不安もある。
何と言っても、シオンとのはじめての対面なのだ。
「うーん……。ま、考えても仕方ないわよね。そろそろ契約も満了なんだし、今後についての話し合いはいつかはしなきゃいけなかったんだし!」
戸惑いも不安もあるけれど、きっとどうにかなるだろう。大切な恩人をおもてなしすると思って、招き入れればいいのだ。
「とにかくも返事を書いたらどうだ? 手紙がシオン君のもとに着くまでには、きっと大分時間がかかるだろうからな。行き違いになっては大変だ」
「そ、そうねっ」
急ぎ自室の書き物机へと向かった。
のだけれど、指はぴくりとも動かないまま時間だけが過ぎていく。
「……そういえば、返事を書くのもはじめてだったわ。もらったことは一度だけあるけど、返事はいらないって書いてあったし……。何を書けばいいのかしら……?」
一応は妻から夫への、はじめての手紙である。形ばかりの妻だけど。
「えーと……、まずは書き出しは普通に時候の挨拶でいいわよね? でも今シオンがいる場所って、寒いのかしら……。それとも暑い……?」
シオンがいるのは、この国と隣国の国境近くだと聞いている。ということは、この領地よりもずっと冷涼な気候のはずだ。けれどろくに領地から出たことのない人間には、想像もつかない。
「困ったわ……。何を書けばいいのかさっぱりわからない……」
そしてはっと思いついた。
「そうだわ! 今はメリューの季節だし、妻らしくお料理の話でも書いておけば無難よね。だったら……」
我ながら名案だと目を輝かせ、意気揚々とペンを走らせはじめた。
◇ ◇ ◇
一週間ほどして、アグリアからの手紙は無事にシオンの手元に届いた。
「おっ! シオン。愛妻からの手紙かっ? いいねぇ」
「まさかお前が結婚するとはねぇ。もう二年たつんだっけ?」
「でも結婚と同時に戦地にきちまって、まだ一緒に住んでないんだったよなぁ。五年近くも離れ離れなんて、奥さん寂しかっただろうなぁ」
「俺は遠距離でも結婚がしたいっ! だって帰りを待ってくれる人がいるなんて、嬉しいじゃないかっ!」
仲間たちの冷やかしを、シオンは慌ててしっしっ、と手で払い追いやる。
そして届いたばかりの手紙をそっと開いた。
『シオン様
お手紙ありがとうございます。
お休みをいただけるとのこと、とても嬉しく思います。おけがは心配ですが、自然たっぷりの領地でのんびり休めばきっとすぐによくなるでしょう。
こちらでは今、メリューの収穫の真っただ中です。
甘い香りが領内に立ち込めて、それはそれはとても素敵なんですよ。
お帰りになったら、メリューのパイを焼いてお出ししますね。
無事のお帰り、お待ちしております。
あなたのアグリアより』
女性らしいやわらかな筆跡でかかれた手紙を読み終わり、シオンは首を傾げた。
「メリュー……って、なんだ?」
甘い香りのする農作物ということは、きっと果物か何かなのだろう。それを使ったパイを焼いて待っていてくれる気らしい。
「メリュー? あぁ! 王都の朝市で一度だけ見たことがあるぞ。果肉はトロリとしていてやわらかくて、とびきり甘くてうまいらしい」
「へぇ……」
そんな果物があるのか、と新鮮な気持ちでうなずいた。
「いいなぁ! メリューのパイかぁ……。俺も食べてみたいよ。奥さんお手製の甘ーいメリューのパイ!」
結婚どころかまだ恋人もいない仲間のうらやましそうな視線にさらされつつ、シオンはポリポリと頭をかいた。
「メリューのパイ……ね……」
どうにもなんだか腹の底がもぞもぞする。むずがゆいというのか、落ち着かないというのか。
けれどメリューのパイの香ばしく焼けた甘い香りを想像すると、少しだけ戦地を離れる日が待ち遠しく感じられた。