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はじめまして、旦那様 1

 屋敷にさっき届いたばかりのシオンからの手紙を握りしめ、椅子に腰を下ろした。


 カサリ……。


 乾いた音とともに、想像よりはやわらかな文字が目に飛び込んできた。


『アグリア殿


 この度はこんな申し出を受けてくれたこと、心から感謝している。

 婚姻届はすでに軍を通して提出済みだから、安心してくれ。


 これより、契約通り君と私とは夫婦の関係になる。だが、何か特別な事情がある場合をのぞいて顔を合わせることはない。両家の付き合いも、一切不要だ。


 今後、仕送りは自動的に君のもとへと支払われるよう手続きしてある。

 もし何か条件の変更を求めたい場合は、連絡をくれ。


 では五年間、よろしく頼む。


 シオン』


 シオンから届いたはじめての手紙だった。


 中には、丁寧に婚姻届の写しまで同封してある。

 そこに並んだふたりの名前をまじまじと見て、「はぁ……」と大きく息を吐き出した。


「……私、人妻になったのね。なんだか変な感じ……」


 口にした言葉の響きに、思わずドキリとする。


 シオンとの結婚話は、びっくりするくらいトントン拍子に進んだ。

 モンバルトが後押ししたから、という理由もあるのだろうが、思いのほかシオンが乗り気だったらしい。


「結婚……か……。まさかこんな形で結婚するなんて、子どもの頃は思いもしてなかったな……」


 幼い頃は幸せな結婚に憧れていた。いつか母の遺したウエディングドレスを身にまとって、大好きな人と結婚するのだと。

 そして両親のように深い愛でつながれた幸せな夫婦になりたい、と。


 でも母が亡くなり悲しみに打ちひしがれる父の姿を見ていたら、誰かを愛することが怖くなった。どんなに深く愛し合っても、いつか必ず別れはやってくる。

 愛が深ければ深いほど、その悲しみと孤独も深い。


 父のそんな姿を目の当たりにしてしまったことで、自分自身も言葉にできないほどの悲しみと孤独を知ってしまったことで、幸せになるのが怖くなった。


(臆病……なんだろうな。そんなの……仕方のないことなのに。でももうあんな思いは嫌……。だからこれでよかったのよ)


 そう自分に言い聞かせ、今も消えない悲しみと喪失感にそっと目を伏せ、手紙をしまい込もうとしたその時だった。


「ん? どうした、アグリア。まさかそれ、シオン君からの手紙かい?」


 父の声に弾かれたように振り返った。


「あ、お父様。え、えぇ。さっき届いたの。ほら、これ」


 最近すっかり体調のよくなった父に、慌てて笑みを浮かべて手紙と同封して会った婚姻届の写しを差し出した。


「ふんふん……。そうか……。お前が結婚、なぁ」


 しみじみと、けれど少し複雑そうな表情を浮かべて父が笑った。

 

 当然だ。父親として、いつか娘が幸せな結婚をすることを夢見ていたに違いない。たとえ愛で結ばれた縁ではなくても、ちゃんとした手順にのっとったごく普通の結婚を。

 なのに、現実はまさかの契約婚だったのだから。


 けれどそれが領地の未来を考えての苦肉の策だとわかっているからこそ、何も言わず承諾してくれたのだろう。


 文面に目を通した父の顔に、安堵の色がにじんだ。


「シオン君は、しっかりした男のようだな。ちょっと無骨ではあるが……。ま、少々変わった縁ではあるがいい結婚をしたと思っているよ。……おめでとう、アグリア」

「……ありがとう」


 素直にありがとうと言えないのは、これが真っ当な結婚ではないことを自分が一番わかっているからだろう。けれどちゃんと国に認められた以上、五年間やりきるしかない。


 そう自分に言い聞かせて、ここしばらくの間にすっかり筋肉の落ちた父を見やった。


(モンバルト先生は無理さえしなければ当面大丈夫だって言ってたし、精のつくものをしっかり食べさせて元気を取り戻してもらわなくちゃね! 養子を迎えるって言ったって、しばらくはお父様に頑張ってもらう必要があるんだし)


 シオンと結婚したことで、いざという時にはシオンが領主代行になる。けれどそれはあくまで形式上、の話だ。だって肝心のシオンは、ずっと戦地にいるのだし。五年たったらすっぱり縁だって切れるのだから。


 ともかくこれで、この領地を未来につなぐための時間稼ぎにはなる。


「ねっ、お父様! 無事結婚の手続きも済んだことだし、今夜はモンバルト先生も一緒にお祝いしない? 先生には色々と骨を折ってもらったし、お礼代わりに」

「あぁ、そうだな。酒も少しならいいと、あいつのお墨つきももらったからな!」


 長らく禁じられていたお酒が解禁になるとあって、父の目がきらりと輝いた。


「一応まだ病み上がりなんだから、ほどほどにしてよね? 先生と一緒だと、すぐに酒瓶を抱えたがるんだから……」


 ふたりそろうと、どうにも酒が進み過ぎるのが困りものだ。

 まぁ、それだけ気が合う飲み友だちをこの年になって得られたことは、幸せなことでもあるのだろうが。


「あぁ、わかってるよ! まったくお前は年々母さんに似てくるな。そういう心配性なところがそっくりだ。くくっ」


 父が母のことを話す時、びっくりするくらい顔がやわらかくなる。


「……もう、ひと言余計よ。さ! じゃあ私は豪華な食事の用意に取りかからなくっちゃ。そうと決まれば、邪魔だから出て行ってちょうだいっ! お父様」

「はいはい!」


 楽しげな笑い声を上げながら去っていく父の背中を見やり、苦笑した。


「さて、と……! じゃあ、はじめますかっ」


 ブラウスの袖をよいしょとまくり上げ、さっそく下ごしらえに取りかかったのだった。


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