捨てる神あれば拾う神あり 2
「ん? なんだなんだ。こんな真昼間から、若い娘がひとりで酒か? よし、なら俺がつき合ってやろう!」
飲み干して空になったカップをゴトリ、と置いたところで声をかけられた。
「モンバルト先生! ち、違いますっ。暇さえあればお酒を飲んでる父と先生と一緒にしないでくださいっ」
半年前に作った果実酒がそろそろ飲み頃かと、ちょっぴり試飲していただけなのだ。昼間からいつも飲んだくれてるみたいな言い方はやめてほしい。
「あぁ? まぁ細かいことはいいじゃねぇか。お前さんも結構酒、好きだろ?」
「べ、別に嫌いではないですけどそういうことじゃ……。」
医者というには少々くたびれた、無精ひげの目立つモンバルトの顔をじっとりと見やった。
モンバルトは元軍医で、数年前からこの領地で暮らしている。
最初はただの旅行気分で訪れたらしいのだが、自然以外見事に何もないこの領地のおおらかさがいたく気に入ったとかで。
以来、アグリアの父であるログの主治医でもある。
「お前さんみたいなタイプは、たまには酒でも飲んで憂さ晴らしした方がいいんだぞ? どうせこんな田舎領地で飲んだくれの令嬢がいたって誰も噂にもせんよ」
父の診察が終わったのだろう。
今日の仕事はもう終わったとばかりに診察鞄を放り出し、いそいそと酒瓶とグラスを持ち出して笑みを浮かべ寄ってきた。
「そりゃそうかもしれないけど……! まったくもう、モンバルト先生こそ医者の不養生ですよ? ちょっとはお酒を控えた方が……」
でもまぁ言っても無駄なのは、過去の経験則からわかっている。
戦地に行った人たちや、戦争で傷を負った人たちは大抵酒に溺れる。
きっとモンバルトにも忘れたい過去のひとつやふたつ、あるのだろう。頑なに過去の話も家族や生い立ちの話もしないし。
無理に聞き出そうなんて思わないけど、もはや家族同然の付き合いなのだ。心配するくらいは許してほしい。
モンバルトはこちらの視線になど気に留める様子もなくにやりと笑うと、自分用に持ってきたグラスにはなみなみ酒を注いだ。
「おぅ、なんだ。もう空じゃないか。さぁさ、飲め飲め!」
なぜかこちらの空になったカップをのぞき込み、当然とばかりに酒を注いでくる。
「え、ちょっと……!」
とはいえ、注がれてしまっては飲まないわけにはいかない。
渋々ながら、モンバルトとの酒盛りがはじまった。
目の前に並んだふたつのグラスと酒瓶。
それに合うような、適当に切って並べただけのチーズやピクルスなどのつまみが並んだ。
ちびちびとグラスに口をつけながら、モンバルトにたずねた。
「……で、父はどうでした?」
モンバルトがくいっと勢いよくグラスを傾け、ぷはぁっ、と心地よさげな息をつく。
「ん? あぁ。ログのことなら心配はいらん。無茶をしなけりゃ、今すぐ命がどうこうなるような状態じゃない。……ま、体ん中に爆弾を抱えていることに変わりはないがな」
「……そう。いつもありがとう、先生」
二年前の冬、父が倒れた。原因は心臓だった。
十歳の時に母が亡くなって以来、男のひとり手で自分を大事に育ててくれた父。領地の仕事も家のことも、慣れないながらも必死にこなしてくれていた。
その無理がたたったのだろう。
ある日外の仕事から帰ってきた途端、玄関先で倒れ込んでしまったのだ。
こんな田舎領地に流れてきたわけありの医者だけれど、モンバルトは腕が立つ。おかげでどうにか一命はとりとめ、今は普通の日常生活ができるまでには回復した。
とは言え、手術ですっきりよくなるということも望めず、薬を飲みつつ無理をしないくらいしか打つ手はない。
「私がさっさといい人と結婚して、父の負担を減らせればいいんだけど……」
グラスとことり、と起き、ため息を吐き出した。
もう自分だって、庇護されるだけの小さな子どもじゃない。
家事全般を切り回しているのは自分だし、料理だって得意な方だ。使用人なんていなくても、こんな小さな屋敷の家事くらいどうにでもなる。
領地の仕事だって、領主代行としてどうにか父の代わりを務められるくらいにはなった。
「女性が領主になれる世の中だったらいいのに……。そうすれば、わざわざこんなに慌てて結婚なんて……」
届いたばかりの二通の手紙を思い出し、腹立ちまぎれにグラスをテーブルに叩きつけた。
こんな田舎にも婿としてきてくれそうな、無難な人だったから。
領主とは言え、時には馬や牛の世話も力仕事もしなくてはならない。爵位はあるけど、お金はない。
そんな令嬢のもとにきてくれる人なんて、そうはいない。やさぐれたくもなるというものだ。
ま、ちっとも好きでもないのに打算で近づいたこちらにも非はあるんだけど。
父と母が愛したこの領地を、守りたい。
ずっとここで領主としてこの土地と領民を守りたい。
でも――。
どんよりとしたため息を吐き出し、テーブルに突っ伏した。
「……今回もだめだったか。婚活は」
握りつぶされた哀れな二通の手紙をちらと見やり、モンバルトが笑った。
突っ伏したまま、低くうなった。
「もう打つ手がないの。婚活のために王都に行くのだって毎回お金がかかるし……」
できるだけ婚活にかかる費用を抑えようと、王都に出荷する野菜を運ぶ荷馬車に同乗させてもらったこともある。ついでに王都の店を回り、「うちの領地の野菜はいかが?」と売り込んでみたりして。
けれど、どうしたって日帰りというわけにはいかないし、滞在費用だって馬鹿にならない。
「もう二十一歳だし、このまま結婚できなかったらどうしよう……。領地と爵位を返上するしかないのかしら」
モンバルトが注いでくれるままに、カップの中を空けていく。
「せめて兄か弟でもいりゃあ、お前さんひとりがこうして悩まずに済んだんだろうが……。こればかりはなぁ……」
十歳の時、母が亡くなった。もともと体が弱かった上、流行り病にやられてしまったのだ。
今でも、少しずつ力が抜けていく母の手の感触が忘れられない。母がいなくなった空っぽのベッドの空虚さも。
せめて兄弟か姉妹でもいれば、少しは寂しさが紛れたのかもしれない。けれど残念なことに、母の体ではひとり産むのがやっとだったらしい。
自分を産まなければ、もしかしたら母はもう少し長生きできていたのではなんて暗い思いがよぎることもある。
けれど、過去を悔やんでもどうにもならない。問題は今と未来なんだから。
「……でも、あきらめるわけにはいかないわ。両親が守り抜いてきた大事な領地の未来がかかってるんだもの……」
けれど打つ手はもうない。握りかけた拳をしゅるしゅると力なく落とし、テーブルに突っ伏した。
すると、モンバルトがしばしグラスの中の液体をじっと見つめ口を開いた。
「なぁ……、お前さん。今これといって好いた男はいないんだよなぁ?」
「え? そんなの当然でしょ。恋だのなんだのとは残念ながら無縁だし、夫にはお飾り領主になってもらって実務は私が代わりにやればいいと思ってるし……」
「ふむ……。ならば悪くない、か」
「え?」
何やらしばしモンバルトは考え込んだのち、ぽんと手を打ちにっと笑った。
「アグリア! お前さん……契約結婚をする気はないか?」
「……はい?」
間抜けな自分の声が、台所に響きわたった。