小さな訪問者 4
その夜のルンルミアージュは、饒舌だった。
「マルクって本当にすごいのよ! 自分で魚を釣って捌いて、その場で焼いて食べちゃうんですって。田舎の子ってすごいわね。今度川釣りに連れて行ってくれるって!」
「そうか、それはよかったな」
「ふふっ」
食卓につくなり、息をつく間もなく話し続けている。
はじめて会った時は少し大人びた印象もあったけれど、すっかり年相応の子どもに見える。きっとこちらが素のルンルミアージュの姿なのだろう。
たくさんマルクと遊んだからか、食欲も旺盛だ。きたばかりの日には苦手だと言って避けていた野菜まで、ぱくぱくとおいしそうに平らげている。
もしかしたら話すことに夢中で、気がつかずに食べているだけかもしれないけど。
「あ、それともしナラが産気づいたら知らせてくれるって言ってたわ! 私、出産に立ち会いたいっ! お手伝いがしたいの」
その一言に、思わずシオンがフォークを取り落とした。
「で……でも出産が昼間とは限らないし、そもそも予定通り生まれるわけじゃ……」
ナラの出産予定日は、ルンルミアージュが帰った翌日辺り。となると、もしも多少ずれ込んで早く産気づいたとしても立ち会うのは難しい。
「だからお願い! もう少し……ナラの出産を見届けるまで、ここにいさせてもらえない? 私が自分でお父様に手紙を書いて、ちゃんと説得するからっ。ねっ! お願いっ、アグリア。シオン!」
済み切ったうるうると懇願するような目まっすぐに見つめられ、たじろぐ。
果たしてこんな純粋なお願いを、自分たちの嘘がバレては困るからなんていう理由で無下にしていいものか。でもこれ以上ここに滞在して、うっかり自分たちの芝居がバレてしまったら――。
シオンをちらと見れば、同じ気持ちらしく眉間にしわを寄せ困り顔で考え込んでいた。
シオンは少々わがままの過ぎるルンルミアージュに時に厳しいことも言うけれど、かわいがっているのは明らかだった。自分の身を案じてずっと心を痛めていたのに、ずっとそれを無視し続けていた負い目もあるのだろう。
「……どう思う? シオン」
小さな声でシオンにそう問いかければ、一層眉間に深いしわが寄った。
「うーん……。しかし……」
こちらにはこちらの事情というものがある。でもルンルミアージュの願いを叶えてやりたい思いもある。
正直すっかり懐いたルンルミアージュがまるで年の離れた妹のように思えて、情がわきはじめていたし。
「ね! お願いっ。シオン。どうしてもナラの産んだ子牛を見てみたいのっ」
「むぅ……」
「朝だけじゃなくて、もっとお手伝いもする。わがまま言って困らせたりしないし、意地悪なことも絶対に言わない。だからアグリア。お願いっ!」
うるうると潤んだ目で両手をぎゅっと握り合わせ、シオンを見上げるその顔はまさに天使そのもの。
そんなまっすぐな目に勝てるはずもなく――。
「……わかった。ただし、ナラの出産を見届けた翌日にはちゃんと王都に帰るんだ。それでいいなら、自分で手紙を書いて、許可が出たらいい」
シオンの出した条件に、ルンルミアージュは真剣な顔でこくりとうなずいた。
「……それでいいか? アグリア。君には面倒をかけるが……」
シオンが申し訳なさそうにこちらを見た。けれどこんなにかわいくお願いされては、致し方ない。
こくりとうなずいて、ルンルミアージュに笑いかけた。
「ええ。ルンルミアージュがお手伝いしてくれるなら、私も助かるし。だから明日からちゃんとお手伝い、お願いね? ルンルミアージュ」
「うんっ。頑張るっ! ありがとう、シオン。アグリアも! ふたりとも、大好きっ」
ルンルミアージュの『大好き』の効果は、実にすごかった。思わずあまりのかわいさと愛しさに胸がキュンキュンしてしまい、その場に突っ伏した。
そんな姿をシオンがあきれたように見ていたけれど。
「よぅしっ! じゃああらためて、もう少しの間よろしくねっ。アグリア、シオン!」
安心したのか、嬉々とした顔でルンルミアージュはそう言うとぱくりと大口を開けて料理を頬張るのだった。
その夜ルンルミアージュが部屋に引き上げたあと台所で片づけものをしていると、シオンがやってきた。
「アグリア、ちょっといいか?」
「えぇ、どうしたの? シオン。……よかったら、少しお酒でも飲む? うちの領地で採れた果物を使った自慢の果実酒なの」
なんとなく言いにくそうな気配を感じ取り、そう持ち掛ければシオンがうなずいた。
すでに父もアグリアも眠っている時間とあって、薄茶色の果実酒が入ったふたり分のグラスを手にそっと足音を忍ばせて庭に出た。
ホゥホゥ、ホゥホゥ……。
遠くでフクロウの鳴く音が聞こえる。そよそよと風が木々の葉を揺らす音も。
今頃の季節らしい心地よい夜風が、少し火照った頬と髪をなでていく。
「それで……、話ってなぁに? シオン」
もしかしたら、今後についての話かもしれない。そう思いながらできるだけ何気ない口調でたずねれば、シオンは一瞬の間を置いて口を開いた。
「話さないとと思いながらつい機会を逃してばかりだったから……、そろそろ先の話をしておいた方がいいと思う」
「……えぇ、そうね。私もちゃんと話し合わなきゃって思ってた」
そう言ったきり、沈黙が落ちた。
『離婚はいつにしますか?』、そう聞いたのは、自分の方だった。だから、そんな話を近いうちにしなければいけないことはちゃんとわかっていた。
けれどどうしてか、気が重かった。
こうしてふたり並んで庭に座り、領地で採れた果実でできた果実酒を飲む。メリューの旬にはパイを焼いて、それをシオンが嬉しそうに頬張る。
そんな日常が、この先も続いたらいいのに。
いつの間にかそんなことを思いはじめていた。そんなこと、叶うはずないのに。
「……」
「……」
いつまでたっても互いに話を切り出すことなく、時間だけが過ぎていく。まるでわざと話を避けるように。
けれど夜が明けるまで、いつまでもこうしているわけにはいかなかった。
「……君がここを守りたいと思う気持ちは、あらためてよくわかった。養子縁組に関しては、君の好きにしてもらってかまわない。もちろん諸々の手続きも、手を貸す」
「……うん。ありがとう」
そしてまた落ちる沈黙。
「その……契約期間についてですけど、養子縁組さえ整ったあとならシオンの都合に合う時期にしてもらってかまいません。もともとあなたの考えなんだし……」
「……あぁ。そうだな……」
虫の声が庭にやけに凛と響く。
甘いはずの果実酒が、今夜はなぜか苦く感じる。
「……アグリア」
「はい……?」
シオンがグラスを椅子の上にコトリ、と置きこちらをじっと見た。そのまっすぐな視線に少し息が苦しくなって、動けなくなる。
互いに言葉を発することなく、見つめ合った。
ふいにお腹の底から衝動がこみ上げた。シオンの目に吸い込まれるように、その体に触れたいと思った。体の熱を分け合いたい、と。
(……! 私、今何を……!? なんだか気持ちが抑えきれなくておかしい。自分の気持ちじゃないみたいで……)
こんな気持ちははじめてだった。
突然の衝動を、意思の力でぐっと抑えつけた。そしてグラスに残っていた果実酒を一気に飲み干し、シオンに笑いかけた。
「じ、じゃあ詳しい時期についてはルンルミアージュが王都に帰ってから話しましょうか! うっかり話を聞かれたら大変だし」
取って付けたように明るく告げれば、シオンがはっとした顔でこくりとうなずいた。
「あ、あぁ。そうだな。じ……じゃあ、今夜はこの辺りで。……おやすみ、アグリア」
「えぇ! おやすみ、シオン」
わざとらしい態度でいそいそと立ち上がった。
いつのまにか、虫の声は止んでいた。




