第七話:知られざる波紋と不器用な絆
朝の陽光は、ゆっくりと森の緑の隙間を縫いながら、小屋の窓へと差し込んでいた。透き通った空気の中、朝露に濡れた薬草の葉がきらめき、柔らかな光を放つ。鳥たちのさえずりが遠くから聞こえ、木々の葉がそよ風に揺れる音が静かな調べを奏でている。
そんな穏やかな朝の光景の中で、ハルナは窓辺に座り、小さな鉢に植えられた薬草の一枚一枚を丁寧に見つめていた。彼女の指先が葉の表面に触れると、ほんの少し暖かさが伝わってくる。黄金色に輝く葉は、まるで生きて呼吸しているかのように、微かな振動を伴って揺れていた。
「今日も元気に育ってね」
彼女は小声でそうつぶやきながら、薬草たちが日々力を増していることを感じていた。しかし、その一方で彼女の心は穏やかとは言えなかった。森の外の世界では、すでに「森の賢者ハルナ」の噂が広がり始めていたのだ。
数日前、遠方の村から一通の手紙が届いた。薬草を受け取った少女の母親が病を克服したこと、村人たちの感謝の言葉がつづられていた。その手紙は、ハルナにとって驚きと同時に、少しの責任感をもたらした。
「こんなに遠くまで、私のことが知られてしまって……」
彼女は静かな森の中で、増え続ける訪問者と期待に押し潰されそうになっていた。人と話すことが苦手な自分には荷が重すぎる。それでも、薬草が誰かの命を救うことができるのなら、やめるわけにはいかない。
そんな朝、小屋の扉をノックする控えめな音が聞こえた。驚いて振り返ると、そこには見知らぬ少女が立っていた。彼女は痩せこけ、顔色は悪く、瞳には深い悲しみと不安が滲んでいる。
「賢者様……どうか、お願いがあります」
少女の声はか細く震えていたが、その言葉には揺るぎない強さがあった。彼女は小さな手でぼろぼろになった布袋を差し出し、続けて言った。
「私の母が重い病にかかってしまいました。村の薬も効果がなく、日に日に弱っていくのを見ているだけで……どうか、賢者様の薬草で助けてください」
その言葉を聞いた瞬間、ハルナの胸は締めつけられた。彼女の心には、人と関わることへの恐怖と不安が渦巻いていたが、その一方で、助けたいという強い願いもあった。
「わ、わかりました……」
震える声で答えながら、彼女はそっと小屋の奥へと戻り、最も状態の良い薬草の鉢を選び出した。黄金色の葉が朝の光を浴びて輝き、今にも力強い生命の息吹を感じさせる。
薬草を抱えて再び扉へと戻ると、少女の目がぱっと輝いた。
「ありがとうございます、賢者様。これで母が救われると信じています」
その言葉に、ハルナはぎこちなく微笑みを返した。少女の不安そうな表情が少し和らぎ、深く息を吐く。
「早く、良くなりますように」
少女は礼を言い、小屋を後にした。ハルナはその後ろ姿を見送りながら、自分が背負うことになった期待の重さを改めて感じた。
数日後、再び少女の村から感謝の手紙が届いた。母親の症状は確かに改善し、村人たちの感謝の言葉が綴られていた。ハルナは静かな森の中で、薬草が奇跡を起こしていることを実感した。
しかし、その奇跡は同時に、彼女の生活に新たな波紋を広げていた。
訪問者はますます増え、村々の期待は膨らんでいく。そんな中で、ハルナは自分の不器用なやり方でしか対応できず、戸惑いながらも必死に薬草を育て続けていた。
ある夕暮れ、薬草たちに語りかけながら、彼女は心の内を吐露する。
「どうすれば……この期待に応えられるの?」
森の静けさに響くのは、彼女のささやかな声だけだった。薬草の葉がやさしく揺れ、まるで励ますかのように輝きを増した。
不器用な薬師の物語は、こうしてまた一歩、世界の中心へと動き出していた。