第一話:転生した薬師、引きこもり宣言!
カタン、と静かな音を立てて、古びた木の扉がゆっくりと閉まった。森の奥深く、誰の気配もない場所にひっそりと建つ小さな木造の小屋。その中にぽつんと座るのは、淡い栗色の髪を後ろでまとめた少女、ハルナだった。
深呼吸を一つ、彼女は細く長い指で頬を撫でながら呟く。
「やっと……ここまで来た」
目の前に広がる窓越しの緑の海。木々のざわめき、鳥のさえずり。前世では味わえなかった、静かな時間が流れている。
だが、その静けさとは裏腹に、胸の内にはまだどこか落ち着かないものが残っていた。
「もう二度と、誰とも関わらずに暮らすんだ……」
これは、彼女が異世界に転生して最初に心に決めたことだった。前世は終わりなき残業とパワハラに耐え、精神も肉体も擦り減らした。人間関係の煩わしさに疲れ果て、逃げるように異世界へと辿り着いたのだ。
転生時に与えられた特典は「植物と会話できる能力」。正直、あまり派手ではない。魔法の剣や火の術、あるいは神級のチートなどではない。ただ、耳を澄ませば草花や木々のささやきが聞こえ、意志を持っているかのように話しかけてくる――そんな能力だった。
そんなスキルを持て余しながらも、ハルナはこの森の奥で薬草を育てる決意をした。薬草師として静かに生きるための第一歩だった。
「まずはこの苗から……」
彼女は木箱に入った小さな薬草の苗を手に取り、丁寧に湿った土の上に植えた。ゆっくりと水を注ぐと、苗はかすかに震えた。
すると、苗から小さな声が聞こえてきた。
「水、もっとちょうだいよ! こんなもんじゃ足りないってば!」
思わずハルナは眉をひそめた。植物の声は予想以上に生々しく、まるで子どもが駄々をこねるようにわがままだった。
「うるさいな……でも、あなたたちが大きくなってくれないと困るのよ」
ハルナは自分に言い聞かせるように、小さくつぶやいた。彼女は人付き合いが苦手で、コミュニケーションはいつもぎこちない。植物相手でも同じだった。
しかし、その独り言が、苗たちにはまるで励ましの言葉のように響いたらしい。
「ねえ、頑張って大きくなってよ。立派な薬草にならなきゃダメよ?」
そう言いながら、ハルナは照れくさそうに目を伏せた。まるで子どもに話しかける母親のようだと思ったが、今はそれで良かった。
すると、苗はゆっくりと葉を広げ、鮮やかな緑色に輝き始めた。
「……すごい。私のスキル、本当に効いてるんだ」
不器用ながらも、ハルナの魔力が植物に伝わっていることを実感し、少しだけ胸が温かくなった。
夜が更けると、森には一層の静寂が訪れた。だが、彼女の小屋の中では、育てた薬草たちがひそひそと話し合う声が響いているようだった。
「もっと大きくなろうよ!」
「私たち、もっと役に立てるはず!」
ハルナはその声を聞きながら、複雑な気持ちを抱いていた。
(本当に、ここで静かに暮らせるのかな……)
願いとは裏腹に、これから始まる奇妙な日常をまだ知らずに。