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第八話 灯晶洞窟


 最初の一歩で、空気が変わったのがわかった。


 背後にかすかに残っていた外の光が、すうっと消えていく。吸い込まれるように闇が深まり、代わりに足元の岩肌や壁面を、微かに瑠璃石と光苔の青白い光がなぞっていた。


 温度が違う。息が白くはならないが、肌に触れる空気がやたらと冷たい。地面は湿って滑りやすく、靴底がたまに小石を蹴ってカツンと鳴る。その音だけが、やけに大きく反響した。


 ここは、もう地上とは別の世界だった。


「この中で生きて帰りたきゃ──音と匂いを忘れるな」


 先を歩く低い背中が、ぽつりとそう呟いた。


 俺はその背を追いながら、肩にかけた背負子の重みを確かめた。中には最低限の工具、水袋、布、ナイフ。それから、ダリルに借りた細身のつるはし。


 道具があるだけで少し安心するけど、それ以上に、この異質な空間がじわじわと感覚を侵してくる。


 壁をちらと見やる。

 鉱脈というより、岩の“ひび割れ”のような筋。その奥に、点のような瑠璃色の輝きが見える。素材なんてただの物質だと思っていたけど──ここでは、何かがこちらを“見ている”ような錯覚すらあった。


 耳に届くのは、ゴルドの足音と、自分の呼吸。

 他には、風がどこかを抜けるような、管の中を鳴る低い音が遠くから響いてくるだけ。


 目の前の世界は、青くて、黒くて、静かだった。

 まるで、夜の底に沈んで歩いているような感覚。


「……集中しろ」


 誰かが言った気がして、ハッとした。いや、声なんてなかった。ただ、五感が“全部を拾おう”と勝手に動いていた。


 視界の端に、緑がかった光苔。壁に沿って流れている水の筋。しっとりと湿った岩盤の肌理。

 呼吸するたびに、石の匂いが鼻の奥に刺さった。


 知らない世界だ。

 でも、何かを掴める気がした。ここには、まだ知られていない“素材の声”がある。


 そして俺は、初めて本当の意味で、“素材と向き合う”ための道を歩きはじめた。



 どれくらい歩いたのか、時間の感覚はすでにあいまいだった。


 青く霞んだ光が照らす通路を抜けた先──そこに、ぽっかりと天井の開けた小さな空間があった。


 天井の裂け目から、微かに射し込む外光が、瑠璃石の群れに淡い光輪を描いていた。

 その光が、壁に這う光苔と溶け合い、空間全体が静かに“呼吸”しているように見えた。


 その壁面の一部に、ほんのりと光を湛える群れがある。

 半透明で輝く、青白く澄んだ鉱石。


「……あれが、灯晶石か」


 思わず声が漏れた。


 まるで、誰かに見られているような──それでいて、優しく迎え入れられているような感覚。

 “掘っていいのか”と、問いかけたくなるほどだった。

 ゴルドが振り向くことなく言う。


「第一層じゃ、あれが主な収穫だ。崩すな、傷つけるな。石の“筋”に沿って剥がす。できなきゃ、お前は素材を殺すだけだ。石を叩くのは腕でも、削るのは心だ。……忘れんな」


 俺は無言で頷き、背負子からつるはしをゆっくりと外した。

 


 慎重に、つるはしの先を岩の縁へと当てる。

 叩くんじゃない。石の繊維をほどくように、角度を探りながら撫でていく。


 ゴルドが言っていた“筋”が、確かにある気がした。

 光の通り道、岩の膚理ふり、湿り気──微かな違和感が指先から伝わってくる。


「……よし」


 一呼吸置いて、小さく振りかぶる。

 カン、と音がして、岩の端がわずかにずれた。


 その瞬間だった。


 一振りの衝撃が、まず耳に響き、遅れて目に届く。

 音の波が脳を通って、視界に染み込んだとき──岩の表面に浮かぶ模様が、ほのかに光った。


 見えた。

 灯晶石の鼓動のような“通り道”が、青白い線となって視覚化された。


 どこを削れば、どこを残せば、“素材の声”を殺さずに取り出せるか。

 わかる。感じる。音と光で、素材が自分に語りかけてくる。


 俺は、つるはしをもう一度だけ構え直した。

 続けて三度。崩さず、割らず、滑らかに──。


 ぱきり、と。


 薄く剥がれた鉱石の破片が、掌に転がった。


 同時に、ふわりと光が浮かぶ。


《採取記録:灯晶石》

【品質:C+】

【純度:82%】

【安定性:良好】


 ウィンドウが表示された。

 あのときと同じだ。手に取って、目に映す──それだけで、素材の“状態”が浮かぶ。

 けれど、他の誰に見えているのかは、まだわからない。

 声も音もないのに、それが“確かな手応え”として、俺の中に染み込んでくる。


「ほう……やるな」


 振り返ると、ゴルドがほんの少しだけ口角を上げていた。


 褒められたというより、“見極められた”感覚のほうが強かった。


 ふと、俺は気になって、採取直後に浮かんだウィンドウのことを口にした。


「……なあ、今、なんか文字とか、情報みたいなのが浮かんだんだけど。見えてたか?」


 ゴルドは一瞬だけ眉を動かしたが、首を横に振る。

 

「いや、俺には何も。けどな、昔どっかで聞いたことがある。素材の“声”をそのまま数値で見るやつがいたってな」


「……それって、俺の目?」


「たぶん、そうだろうな」


 ゴルドは俺の目をじっと見つめた。

 

「その目、たまに光るんだ。しかも──ただ光るんじゃねぇ。模様が浮かぶ。刻印のようなもんが」


 ──思い出した。月灯り亭のエレナも、そんなことを言っていた。

 虹色の髪と、光を映す瞳。その瞳には、見る角度で色が変わる模様があるって。


 自分でも鏡で確認したことはある。

 でも、ただの“異世界転生の副作用”くらいに思ってた。

 

 だが、今。素材と向き合ったこの瞬間に、その瞳の“模様”が情報を浮かび上がらせた──まるで、鉱石が語りかけてくるように。


 知らなかった。

 俺の中には、そういう“目”があったんだ。


「魔眼……とか、そういうやつか」


「さあな。俺は詳しくねぇ。ただ、見えるもんが違うってのは、時に“才能”でも“呪い”でもある。気をつけろよ」


 素材が手に入ったことより、素材を“掴めた”ことが、何より嬉しかった。


 初めてだというのに、まるでずっと昔からこの作業をしていたような……そんな、不思議な感覚。

 岩を叩く手の震えも、目の奥に走った光も──すべてが自分と素材をつなぐ“証”のようだった。

 音を視て、石の声を感じて、芯を捉えて叩き出す。

 ただの採掘じゃない。

 “手が語り、素材が応える”──そういう感覚が、確かにあった。


 胸の奥がふわりと熱くなる。こんなにも、自分が“嬉しい”と感じるなんて。

 


 第二層へと続く傾斜は、わずかにねじれるように続いていた。

 湿った石壁に指をかけ、慎重に足を進めるたび、空気が変わる。


 重たい。

 冷たいのとは違う、地の底の“圧”が、肩と肺にのしかかるようだった。


「気を抜くな。ここからは、光苔も減る。足元と天井、常に意識しろ」


 そしてもう一つ、とゴルドが付け加えた。

 

「この層から先は、モンスターの気配が不意に現れることがある。……気づいたときには遅いってこともある」


 その言葉に、無意識に背筋が伸びた。

 光の届かぬ深層の闇に、何かが潜んでいる──そんな気配が、確かに漂っている気がした。

 洞窟の静けさが、逆に耳に痛いほどに感じる。


 緊張感がじわりと滲み、俺はそっとランタンの光を強めた。


 ゴルドの声が静かに響く。

 その言葉通り、第二層はまるで“飲み込まれた空間”だった。

 光は薄れ、代わりに鉱石の自然輝だけが、所々を照らしている。


 そこで、ゴルドが腰の袋からひとつ、小さな布巻きランタンを取り出した。


「これ、使え。手元が暗いと命に関わる」


 受け取ったそれは、掌にすっぽり収まる程度の重さ。


「布を一枚めくれ。魔石が見えるだろ。指で触れりゃ、光る。けど、触れっぱなしだと魔力食うから、必要なときだけだ」


 俺は言われた通りに布をめくり、魔石に指をあてた。

 ぱっ、と小さな光が広がり、壁の紋様が浮かび上がった。


 そして、また見えた──素材の中に、通るべき“線”。


「……たぶん、この目の力なんだろうな」


 素材が語りかけてくるように、俺の目に“形”が浮かぶ。

 それが正しいかどうか、試すのは、これからだ。

 

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