第五話 お金の価値と自信の見た目
村長ガルスにペンダントを渡し、お金を貰い、そして、村での生活を許可された後、まず感じたのは──満足感と、空腹感。
「……うん。最高に、腹が減った」
でもまぁ、それだけよく働いたってことだ。昨日は彫った。刻んだ。詰めた。例のペンダント、しっかり完成して、それが気に入られて売れて、ちゃんとお金にもなった。魔刻入りアクセ、記念すべき第一号。上出来。
ベッド脇に置いた革のポーチを手に取る。ぱちんと留め具を外すと、中で銀貨が三枚、ちょろちょろっと音を立てた。
「おお……銀貨。しかも、三枚。あの村長さん、ちゃんと払ってくれた……っぽい」
でも、これって……何が買えるんだ? パン? 何枚? 肉? 服とか?
金属の冷たさを指で感じながら、ふと気になった。俺は彫ることに関してはたぶん、誰よりも集中するけど──世の中の相場とか、そういうの、まるで素人だ。
というわけで、知ってる人のところへ行くしかない。
*
「おはようございまーす……って、あ、もう仕事してるんだな」
鍛冶工房に入ると、鉄と炭の匂い。ほんのり湿った鉄粉の感触が、空気の中に漂っていた。炉は起きかけの赤子みたいに、ぼんやり明るい。周囲の空気はじんわりとあたたかく、でも足元の石床はひんやりしていた。
ダリルはすでに何かを叩いていた。金槌の音はリズムを持っていて、でも俺の声に合わせて、ちゃんと止まるあたりが優しさか怖さか、判断に困る。
「えっと、報告だ。村の許可、ちゃんと下りた。晴れて、住民になった、俺。あと……昨日のペンダント、売れたぜ。銀貨、三枚」
……?
ダリルの動きが止まった。ぎり、とハンマーを置く音がやたら重たく響いた。俺は直感した。これはアレだ。怒られる流れのやつだ。
「……お前、昨日のペンダント、魔刻印を入れたな? ガルスが朝一から見せびらかしてたぞ」
え? 見せびらかしてた? なんで?
「確かに魔刻印を入れた」。
「……馬鹿か、お前は」
来た。怒られた。
「魔刻印ってのはな、普通は剣か鎧に入れる。戦うための道具に、命を乗せて彫るんだ。あんなもん、ただの飾りに入れるやつが、どこにいる」
はい、それ俺です。えへへ……じゃねぇ!
「しかもだ。銅板での試作、見たことがない術式が走ってた。短時間で、あの仕上がり。あのダリルから魔刻印入りのペンダントが……銀貨三枚? 冗談だろ。金貨数枚は出せる。少なくとも“ちゃんとした相場”ならな」
……そんなに、すごかったんだ、あれ。
俺の脳内で、ゆうべのペンダントが再生された。磨いた魔鉄。石の縁に精密に刻んだ回路。魔力を通した瞬間、ふっと浮かんだ線の光。
それが“規格外”だったなんて、考えもしなかった。
「村長は悪い奴じゃねぇ。ただ、抜け目もねぇ。次からは、俺に見せてから売れ。……いいな?」
俺は素直に、こくんと頷いた。
技術って、楽しいだけじゃダメなんだ。
ちゃんと、向き合わないと。作ったものに責任を持たないと。職人って、そういう生き物だ。
──知らなかった。自分が彫ったものに、そんな価値があったなんて。
なら次は、その“ちゃんとした価値”ってやつを、自分で見極めてやろうじゃない。
ちょっと怖いけど、……なんか、燃えてきた。
ダリルに叱られて反省しつつ──俺の腹は、相変わらず主張が強かった。
「……うるせぇな、今は真面目な話してたっての」
ぐぅぅ、と情けない音が鳴る腹を押さえて、俺は気まずく笑った。ダリルがじろりとこっちを見る。
「朝飯、まだか?」
「うっ……はい。怒られに来るのが先でした」
「順番逆だ。腹減ってちゃ手元も狂う。職人の基本だぞ」
「それ、今朝一番で言ってほしかったな……」
「宿で飯は?」
「いや、家借りてるだけで、飯は自前っす」
「……なるほどな。村長のやつ、珍しく親切なことを……いや、あいつのことだ、何か見込んでるな」
「俺、投資対象だった?」
「変なとこだけポジティブだな。……奢ってやるから、飯食ってけ」
◇
《月灯り亭》
初めて入るその店は、朝の日差しに照らされて、思ってたよりずっとあったかい雰囲気だった。
窓から差し込む光が木の床にまだら模様を描き、誰かの靴音が心地よく響く。
焼き魚の香ばしさ、根菜スープの湯気、カウンターから漂う薬草の匂いが混じって、なんとも落ち着く空気だ。
「いらっしゃい──って、あら。ダリルに女の子? 珍し……って、まさか」
奥から飛び出してきたのは、がっしり体格の女将さん。腕まくりした腕に、腰巻きが妙に可愛らしい。笑顔は……似合いすぎてちょっと怖ぇ。
「ラピスだ。昨日の“アレ”を作った本人だ。……村長が見せびらかしてたらしいからな。ま、まだ表には出てねぇが、そのうち噂になるぞ」
「まぁ! 村長がニヤついてたのはそのせいか。私はエレナ。ここ《月灯り亭》の女将よ」
──エレナ女将。見た目どおりの迫力だ。
「えーと、ラピスです。昨日ちょっとだけ、納品しただけでして……」
「うんうん、初々しいのも今のうちよ。ほら、朝ごはん付きで歓迎させてもらうわ。座って座って。あとでゆっくり話そうね」
出てきた朝飯は、ご飯に根菜スープ、炙った塩魚、それに薬草の香りがするお茶。どれも湯気が立ってて、ちゃんと熱い。
「……うまっ」
思わず声が漏れた。口に入れた瞬間、腹が正直に喜び始めたのがわかる。胃に染みる感じが、たまらん。
「それ、銅貨十枚よ。どう? お得でしょ」
「……十枚が高いのか安いのか、まだよく分かんねぇけど──これが基準なら、全然アリだな」
「え……ラピス、あんた銅貨十枚がどのくらいかも分かってないの?」
「うん。てか、銀貨が何枚で金貨なのかも、ぶっちゃけあやふや」
ダリルとエレナが、同時に頭を抱えた。
「お前なぁ……よくそんなんで村長と交渉できたな」
「いや、金貨出されたらヤバいってのは分かるけど、銅貨と銀貨の感覚がまだ掴めてなくてさ……」
「はあ……しょうがないわね。いい? この村の基準で言うと──」
エレナが指を折りながら丁寧に教えてくれた。
「まず、銅貨が基本。で、銀貨は銅貨十枚分。金貨は銀貨十枚分。つまり金貨一枚=銅貨百枚」
「ふむふむ。百倍ってことか」
「んで、庶民の一日の食費が銅貨六〜十枚くらい。今のあんたの朝飯がまさにそれ」
「つまり……今日の俺は“ちゃんと一食分”ってことか」
「そういうこと。あと宿代は銀貨一枚。村の酒場で一杯飲むのは銅貨三〜四枚が相場ね」
「なるほど……いや、これ聞けてよかった。ほんとに」
ダリルがボソリと呟く。
「……あいつ、これでよく銀貨で交渉したよな」
「ほんとそれ。可愛いからって騙すなんて酷い男よね」
「えっ、それ関係ある?」
◇
「で、ラピスちゃん。ちょっと顔見せて」
「えっ?」
エレナがぐっと身を乗り出して、じーっと俺の顔を見る。いや、見るっていうか、観察されてる……?
「髪……光、反射してる? 目も……なんか、円が入ってる? へぇ、こりゃ目立つわ」
「えっ……そんな、俺、そんな派手か?」
俺が首をかしげていると、エレナが手をひと振り。
「ちょっと待ってな。うちの奥に、昔もらった“磨き鏡”があるのよ。旅の商人が置いてったやつ。今じゃ飾りだけど……ほら」
彼女は奥の棚から、小さな楕円の金属鏡を持ってきた。縁にはくすんだ銀の装飾。光を受けると、表面がうっすらと人影を映し出す。
「へぇ……けっこう見えるな」
鏡に顔を映した俺は、息をのんだ。
虹色の光が、瞳の中でわずかに揺れていた。
「うわっ……思ったよりガチだ。俺の目……こんな色してたのかよ……」
ダリルが腕を組んで、横目で俺を見る。
「もしかして、自分の顔ちゃんと見たの、これが初めてか?」
「いや、そもそも映すもんがなかったし……自分の目なんて、そこまで意識してなかったっていうか」
「目立つって自覚ないってのも、ある意味すげぇな。……そりゃ村の連中、騒ぐわけだ」
「そうよ。この髪にこの瞳、しかも愛想よく挨拶してくる女の子が急に現れたら、話題にならないわけがないわ」
「え、俺そんな“女の子”してるか?」
「……あんた、自覚ないけど顔が整ってるんだよ」
エレナの一言に、俺はちょっと口ごもった。
「まぁ……そういう“売り”があるのも、武器の一つってことにしときな」
鏡の中の自分の目が、じっとこちらを見返していた。
──こんな顔してたんだ、俺。
どこか他人事みたいで、でも確かに“俺”で。
光の輪を宿したこの瞳は、何を見て、何を刻んでいくんだろう。
少しだけ、怖くて……でも、悪くなかった。
ラピスのキャラ設定は身長155センチ前後
銀髪、銀目。髪は光に当たると虹色に反射し、瞳は極彩色の輪が浮かんでおります。