第二話 現代彫金師、転生したらしい
眩しい、って思った。
次の瞬間、全身が風に撫でられていた。
冷たくも熱くもない、でも確かに“触れてくる”風。草の匂いと、どこかスパイスみたいな植物臭が混じって、鼻の奥をくすぐる。
視界が、異常なほど広かった。遮るものがない。いや、むしろ遠すぎて認識できてないだけか? 見渡す限り、緑の草原。その先に、淡い影のような山々。
空は、青。
だけど、地球の空よりも色が濃くて、雲は高く、高く……まるで空の奥行きが倍にでもなったようだった。
その空を、でっかい何かが横切っていく。翼の幅は、旅客機並みかそれ以上。胴体はしなやかで、動きが滑らかすぎて逆に怖い。
鱗なのか、羽毛なのか、見極められない素材で覆われていて、尾が風を切るたび、空間そのものがたわむように見えた。
「うお……なんだあれ……」
思わず声が漏れた。
羽ばたきの音は聞こえない。けど、影の動きとともに、空気がゆるやかに押し寄せてくる。
鳥? いや、もっと骨格がしっかりしてる。
恐竜と竜の中間みたいな形で、尾が長い。翼に紋様みたいな模様が走ってた。
「マジで異世界だこれ……」
呆れと感動が混ざって、言葉にならない。
俺は、そっと自分の手を見る。
白くて、細い。爪の形がちょっと違う。指先の動きが、前よりもずっとなめらかだ。
胸に手を当てると──やけに柔らかい感触が返ってきた。
……うん、これは、アレだ。なるほど、そういうことか。
声のトーンも、少し高くなってる気がする。
体重も軽く、地面に立つ感覚がふわっとしていた。指先の皮膚が薄い感じがする。触れた空気を、敏感すぎるくらい感じる。
関節の動きが滑らかで、無駄な力が一切いらない。
「……これが、残響さんが言ってた新しい身体か」
年齢は十八って言ってたっけ? 性別は──もう確認済みだが、まあ今はそれより、この手だ。
この手、この感覚。
指先の神経が細かくて、力加減が直感で伝わる。震えも引っかかりもない。
“彫る”には、たぶん──いや、間違いなく最高のスペックだ。
改めて、周囲を見る。
丘の上だった。なだらかな傾斜が南に向かって落ちていて、ずっと向こうに、小さな村らしきものが霞んで見える。
屋根の形や建物の配置が、地球の街とは違ってて、煙のあがる区画もあれば、木で作った簡易的な壁のようなものも見えた。遠いけど、確実に“人の営み”がある。
……行ってみるべきだろうか。
風が吹けば、草が波打つ。
虫の声、遠くで動物っぽい鳴き声もした。
腰に、革のポーチがひとつ、ぶら下がっていた。
触れてみると、しっかり固定されている。俺の装備品らしい。
俺は、すぐにしゃがみこんで中を確認する。
「よし、まずは道具チェック」
中には──
・細い革紐が巻かれた束(多用途っぽい)
・金属製のビットセット(細・極細・特殊形状含む)
・手のひらサイズの携帯用リューター(どこかで見たような愛機そっくり)
・乾いた布(研磨用?)
「うん、神対応ってやつだな……」
リューターを持ち上げる。
重量バランス、素材、握りの感触──全部、俺が最後まで使ってたあの子と同じだった。
残響さん、やるじゃねぇか。
少し緊張しながら、リューターにビットを差し込んで、ぐっと固定する。
指先が自然と動いた。
「……さて、次は何を彫ってやろうか」
口元が自然に笑っていた。
どこにいても、どんな世界でも、この手と道具さえあれば──俺は、俺でいられる。
さあ、刻む準備はできてるぜ。
さて、と。
異世界だろうがなんだろうが、職人ってのは手を動かしてナンボだ。
まずは──掘ろう。
俺は足元に転がっていた小石を拾った。サイズは親指の先ほど。灰色で、ちょっと脈が入ってて、形は不ぞろい。
よくある小石。でも──俺にとっては、最初の素材だ。
「ほう……“表示”されたな」
石を手に取った瞬間、視界の右下に淡い半透明のウィンドウが浮かび上がった。
《素材鑑定──「風化した頁岩」》
《属性:なし/等級:F/魔力耐性:極低》
うわ、ほんとにゲーム世界みたいなノリか。
ていうか、魔力耐性が“極低”? なんだその死亡フラグみたいな評価。
気を取り直して、リューターを取り出す。
ぐっ、とビットを装着して……まずは軽く撫でるように削ってみる。
……カリッ。
思ったよりももろい。押し付けたつもりもないのに、石の表面がぽろっと崩れた。
「おっと……なるほど、これが“耐性”か」
これはもう一歩間違えたら砕け散るな。石自体に芯がないタイプだ。
ビットが細すぎたか、あるいは相性の問題か。
ウィンドウを改めて見直すと、下に小さく『推奨ビット:丸刃・浅彫り』と表示が追加されていた。
「親切設計だな。システムに感謝」
ビットを交換し、もう一度挑戦。今度は角度をつけず、表面をなでるように……
シュ……カリカリ……
削れた。
わずかだが、ちゃんと“溝”が残ってる。
よし、じゃあ──神から貰った力、エングレイヴァーとやらの魔刻印を試してみるか。
俺はリューターを握ったまま、そこに体内のエネルギーを流すことを意識してみた。
すると、感覚が変わる。
身体の奥、腹のあたりから“何か”が流れ始めて、腕を通ってリューターへと伝わっていく。
蛇口をひねる感覚。いや、正確には──最初はホースが破裂しそうなほどの水圧。
「これが魔力ってやっ……ちょっ……待て待て待て! 加減加減……!」
意識して、徐々に絞る。
全開から、指先ひとつぶんの穴へと、流れを細く細く……
すると、石の表面が、ふわりと光った。
刻印が、浮き出すように描かれていく。円の中に、いくつかの線が自動で伸びて、紋様を成していく。
その模様は、俺が見たこともない形なのに──どこか完成されていて、美しかった。
だが──
ピキィッ!
乾いた音がして、石にヒビが走った。
次の瞬間、ぱきんと真っ二つに割れる。
まるで完成直前の芸術品を叩き壊されたような感覚だった。
「うおっ……ああ、やっちまった」
原因は──魔力の流量か。あるいは刻印の密度。
素材が弱すぎたせいもあるが……感覚がまだ荒い。
だけど、その一瞬の“手応え”──刻印が浮かび上がった瞬間の感覚だけは、忘れられなかった。
あれは、確かに“彫った”感触だった。
──面白い。
思わず口元が、にやけていた。
……他の素材なら、もっと上手くいくかもしれない。試す価値はある。
俺は立ち上がり、視線を落として草むらを見渡す。
足元には、他にも形も色も違う小石がいくつも転がっていた。陽を浴びて、淡く光っているように見えるやつもある。
──よし、次は、こいつだ。
手に取ったのは、うっすらと青みがかった小石だった。
先ほどよりも固く、重みもある。
ウィンドウがすぐに浮かぶ。
《素材鑑定──「藍鉄石」》
《属性:なし/等級:E/魔力耐性:中》
なるほど。前の風化頁岩よりも扱いやすそうだ。
「よし、さっきの轍は踏まねえ」
俺は慎重に丸刃ビットを取り付け、まずは下地彫り。
手を震わせないよう、呼吸を浅く整える。
コツン……コツン……。
石の肌に食い込むビットの音が心地いい。鉄粉のような細かい粒が削り出され、布に落ちていく。
彫る。
削る。
整える。
呼吸と連動して、作業がどんどん集中していく。
次第に、周囲の音が消えていった。
形が定まったところで──魔刻印に入る。
リューターを握り、魔力の流量を極細に絞っていく。
先ほどの失敗で学んだ“出力バランス”が、指先の感覚でだいたいわかってきた。
光が走る。
先ほどと違って、刻印が滑らかに石の表面に溶け込んでいく。
ビリ……と震えるような音とともに、紋様がひとつ、焼き付いた。
──ピリリッ。
ウィンドウが更新された。
【簡易魔力ペンダント(試作)/効果:魔力微回復(自然時)】
「……やった」
つい、口に出た。
手のひらに収まる、小さな石のペンダント。
細い革紐に通せるよう、軽く穴も空けてある。
ほんのりと青白い光を帯びていて、石の中に紋様が淡く揺らめいていた。
世界初の、自分の魔刻印による完成品。
職人としての血がざわめく。これだ。これが、“異世界での俺の最初の作品”──
名前をつけてやろう。
「……《藍のしるし》、ってとこか」
風に揺れる草原のなかで、ひとり、俺はそいつを革紐でぐるぐる巻いて首にかけた。
重くはない。
でも、たしかな実感だけは──ずしりと胸に残っていた。
石に穴を空ける道具が無かったので、最初に持っていた革紐でぐるぐる巻いてネックレスにしてみました。