第十六話 古代ダンジョン
音もなく開いた円形の扉を抜けた先――そこは、まるで別世界だった。
足元を照らす星紋の光が、滑らかな石床を縁取る。壁も天井も、まるで鋳型から一体成形されたような滑らかさで、一切の継ぎ目がない。
なのに、どこからか柔らかな光が差し込むように、空間全体が一定の明るさを保っていた。灯晶も松明もないのに、暗くない。
「……これ、まるでエイリアンの宇宙船の中みてぇだな」
思わず漏らした俺の声が、ほとんど反響もせずに消える。不思議と息苦しさはないが、空気は異様なほど静かだ。
ツルハシの先を軽く床に突いたが、金属のようで石のようでもある音が、くぐもったまま響いた。
だが、横を歩くクラリーチェは、俺とは別の感想を呟いた。
「やっぱり……ここ、古代ダンジョンの構造とそっくり」
彼女の指先が、壁の構造線をなぞる。
「世界にいくつか残ってる、未踏破の古代ダンジョン……王国の北方や、帝国の地下深くにも埋もれてるって言われてるの。中は広くて、馬車どころか小型の飛竜まで通れたって記録もある。自動で明るいのも共通してて……しかも、中身がね、生きてるみたいに、変わるの。逆に、すでに攻略されたダンジョンはもっと新しい時代のもので、構造も単純だし、地図も整ってるわ。中身は変わらないし、目的は主にモンスター素材の回収。規模も難易度も比べものにならない。」
「……変わる?」
「通路の形が日によって違ってたり、前に行けた部屋が封じられてたり。侵入者に合わせて反応するって話もある。だから、“ダンジョンが意思を持っている”って……信じる学者もいるくらいよ」
そんな話、ゲームやラノベの設定みたいだと、思わず口に出しかけてやめた。
だが実際、目の前に広がる光景は、その“虚構”以上に現実離れしている。
入り口から数歩進んだ先で、広間の左側――壁のくぼみに、ひときわ目を引く構造物があった。
高さは人の背丈ほどで、円筒形の基部に、翼のような金属片が折りたたまれて接続されている。中心には、星形の窪みがあり、まるで“何かを嵌めろ”と言わんばかりの形状だった。
「なんだ、これ……?」
手を伸ばしかけた俺を、クラリーチェが制した。
「待って。古代ダンジョンの“入り口の装置”……に似てる。これ、何かしらの機能を持ってると思う。下手に触ったら動くかも」
「動くって、これ……動くのかよ」
「実際、過去の探検で発動した例もあるわ。急に床が動いて、別の区画に移されたり……それに」
クラリーチェは自分の胸元を押さえ、服の下のチャームを確かめる。
「星紋鉱の反応が、さっきよりも強くなってる。たぶん、これ……星紋系のアイテムが鍵になってる装置よ。起動には“選ばれた道具”がいるの」
なるほど。つまり、星紋鉱のチャームや、俺の指輪がこの装置を“使える”可能性があるってわけか。
まさか――ダンジョン内の転移装置、あるいはダンジョン間の接続装置……そんなものまでが、ここにはあるのか?
「これ……全部、本当に遺跡の中身なんだよな」
俺の言葉に、クラリーチェは頷く。
「古代文明の遺産。でも、あたしたちが知ってる古代ダンジョンより……もっとずっと深い。核心に近いか、あるいは“母体”かもしれない」
母体。中心。原点。
まさに今、俺たちは“星々の記憶”そのものに、足を踏み入れているのかもしれない。
通路の奥へ進むごとに、空気の“質”が微妙に変わっていく。
はじめは気のせいだと思った。けれど、星紋のリングの明かりが床を照らす角度や、壁に浮かぶ模様の“揺らぎ”が、どこか不規則になっている気がする。
「なぁ、クラリーチェ……ちょっと妙じゃないか?」
俺が問いかけると、彼女も足を止めた。
「うん。……光の当たり方、さっきと違う。リングも、少し熱が強い気がする」
クラリーチェはチャームを服の上からそっと押さえる。
「ここから先、何かが近いかもしれない。……それか、ダンジョンが“起きてきてる”のかも」
「起きるって、何だよ……生きてるみたいだな、ホントに」
冗談めかして言ったつもりだったが、クラリーチェは笑わなかった。
「本気でそう言ってる学者もいるの。古代ダンジョンは、“誰かが見てる”みたいに反応するって」
その言葉に、思わず背筋がひやりとした。 誰かが見ている? いや、“何か”が、か。
「引き返すか?」
ぽつりと俺が聞くと、クラリーチェはわずかに笑った。
「今さら? ラピス、あなたが一番、先に進みたそうな顔してるわよ」
「……まぁな」
笑ってごまかす。だが本音を言えば、怖くないわけじゃない。
むしろ、だからこそ目を逸らせなかった。未知のものに触れる、あの瞬間の震えが、俺の中で消えずに残っている。
「……よし、気合い入れ直すか。何が出てもいいように、道具も確認しとけ」
「ツルハシで何でも解決できるとは限らないのよ?」
「それでも、握ってると落ち着くんだよ」
そんな他愛ないやりとりを交わしながらも、俺たちの足取りは自然と慎重になっていく。 そして――数歩先の床で、星形の刻印が、まだ気づかれていない小さな光を宿している。
静まり返った通路を、俺たちは慎重に歩いた。星紋のリングが淡い光を撒きながら、一定のリズムで進行方向を照らしてくれる。
壁面にはところどころ、意匠のような凹凸があり、時折クラリーチェが足を止めては、目を細めて見入っていた。
「これ、パネルかもしれない。古代の操作盤って、文字の代わりに図形で指示するのが多いの」
「ってことは、間違えて押したら変なとこ開いたりするやつか? ……いや、怖ぇな」
俺が腰のツルハシを無意識に握ると、クラリーチェは肩をすくめた。
「でも、何もしなきゃ進めないこともあるわよ? 昔の探検隊の記録にも、『足場が勝手に動いた』とか『部屋ごと別の場所に運ばれた』って……あ、ほら、これとか」
彼女が指差したのは、壁に埋め込まれた三角形の金属片。周囲には星型の線が重なっていて、どこかで見たような……
「星紋リングと似てんな。これ、やっぱ反応すんのか?」
「まだ試さないで。起動条件があるかもしれないし……わたしのチャームも今は反応してないから、たぶん“今は違う”ってこと」
「その“今”が、次の一歩で変わったらどうすんだよ」
「そのときはそのときで、逃げるのよ」
気楽に言ってくれる。だが俺たちの足取りは、妙にそろって慎重だった。
……と、そのとき。
踏み出した俺の足の下で、石床が一瞬だけ“明滅”した。光ではない、けれど確かに、何かが“走った”感触。
「ん、今、光った……?」
「待って、ラピス。そこ、戻って」
クラリーチェがすっと手を伸ばし、俺の腕を引いた。が、遅かった。
足元の床に、星型の紋様がじわりと浮かび上がる。
「うお……っ、マジかよっ!」
リングが熱を帯びる。チャームが反応する。光が、足元から這い上がるように体を包み込んだ。
「転移トラップ!? これ、古代ダンジョンの……っ」
「どこへ――うわぁぁっ!?」
次の瞬間、俺たちは光の中に飲み込まれた。
宙が歪む。足が、床を失う。視界が真っ白に包まれ、耳鳴りすらも消えていく。
視界が白から灰へと変わった。
ほんの一瞬の転移だったはずなのに、着地した足元は重力の“クセ”すら違って感じる。
「……っ、ここは……!」
俺とクラリーチェは、粗く磨かれた石の広間に投げ出されていた。周囲には出入口らしき構造は見当たらず、床の星紋も、さっきまでのものよりずっと濃く、複雑な線を描いている。
天井からは淡く青白い光が降り注ぎ、まるで夜の海底にいるような錯覚すら覚える。
そして、広間の奥。
そこに、それは立っていた。
身の丈は俺の倍近い。漆黒と鈍銀の金属外殻。腕は楔のように太く、胸部には螺旋状の魔刻印が脈打っていた。
……いや、ただの魔導ゴーレムじゃない。
俺は目を凝らす。胸部の装甲が一部、すでに破損している。
広場の中央には、異様な存在感を放つ巨体が鎮座していた。
全身を漆黒と鈍銀の装甲に包まれ、無言のまま、そこに立っている。
魔刻印のような光の線が胴体部にいくつも浮かび上がり、淡く脈動していた。まるで呼吸するように。
そいつは動かない。
だが、確かに“見られている”という感覚だけが、肌に刺さっていた。