朝の黄金モーニングセットと3枚のお札
朝食は分厚いブルーベリージャムのトーストに、黄身の色がとても濃い目玉焼き。小鉢にはミニトマトが3個ずつ入っていた。たぶんこれもブランドものだろう。発色がいい。
「さぁ、アンナちゃん。食べんさい」
「……頂きます」(お腹空いてないけど……)
トメ子さんはソース、私は塩コショウをそれぞれかけて食べる。目玉焼きの食べ方って人それぞれ違うよね。
「……美味しい」
お腹は空いていないけど、味は分かる。卵黄の半熟加減も良かった。厚切りのブルーベリージャムトーストも、ほどよい酸味と甘味が絶妙でいくらでも食べれそう。少しくどくなればミニトマトでフレッシュにする。
理想の朝ごはんだ。
(あ~幽霊になっても味がわかるって最高ー!)
歯を磨かなくても身体を洗わなくても全然臭わないし、トイレも行きたくならない。私は自身が幽霊である事に少し慣れてきた。
足が透けていること以外、不自由なことなどないではないか。
最悪ここを追い出されても、いろんな街や国を巡ることが出来るかもしれない。
(幽霊って、チートじゃん)
私はトーストを齧りながら「むふふ」と笑った。漫画やアニメキャラの『エルフ』になった気分だったからだ。
「楽しそうで何よりやわ」
トメ子さんが白いマグカップを手に取りコーヒーを啜る。私が「それなりに楽しいかな」と返すと、トメ子さんがクシャッと口元をすぼめて笑った。
(なんか、平和な朝……)
────どん!
和室の壁に何か物が当たった音がする。気配を感じて見てみると、座敷童子がまるで、「私を忘れるな」とでも言わんばかりに睨んでいた。
睨んでいると言っても、恨みとか怨念ではなく拗ねているような……だってほっぺたリスみたいに膨らんでるもん。
「座敷童子ちゃん用のご飯も供えてあげたほうがよくない? 守り神なんでしょ」
「あぁ、そうだねぇ。でも何でウチに来よっただか」
「後で訊いといてあげる」
「ありがとね」
トメ子さんが座敷童子の分の朝食を作りに行っている間、私は座敷童子と縁側でにらめっこをして遊んでいた。
心地よい春風が吹く。庭にある松や低木、花が揺れた。白くてアジサイみたいに群れて咲く花の名前は……何なんだろう。
ボーっと考えていると、トメ子さんがやってきて私たちに声を掛ける。
「ほら出来たよ、座敷童子ちゃん。和室にご飯供えておいたからね」
トメ子さんには座敷童子の姿がちゃんと見えていないみたいで、彼女に背を向けて話していた。トメ子さんを笑いながら座敷童子は風車を吹く。
────カラリカラリ。
こんなに近くにいるのに、聴こえない。
「からかっちゃダメだよ。座敷童子ちゃん」
「キャッキャ」
座敷童子はお供えのご飯の匂いを嗅ぐと、和室へと走って行った。その足音はトメ子さんにも分かるらしい。「あぁ、やっぱり居るんだねぇ。元気な座敷童子ちゃんが」と笑っていた。
私は気になることを訊いてみる。
「ねぇトメ子さん、庭の低木に咲いてる花は何なの?」
「あぁあれは春の花だよ。沈丁花。亡くなった夫が『香りが好き』って言ってたから植えとんの。あたしゃ金木犀の方が好きやったけんどな、ふぇふぇ」
沈丁花。
何かで聞いたことはあっても、実物を見たことがなかった。私は、興味津々で広い庭の花々を見回った。我ながら優雅な行為だなと思う。
────ガサガサ……、
低木が揺れた。
右耳が欠けた白猫がのそのそ歩いてくる。
(この子ホントによく見るな……)
「その子、よく日向ぼっこしにくるけん、近くの飼い猫かと思うんやけど、よぉ分からんくてな」
トメ子さんは後ろに手を組みながら、私の横に立っていた。少し困ったように白猫を見つめている。
「…………にゃん」
それにしても太い声で鳴く猫だ。よく見ると、土遊びをしたのか、頭が砂を被って汚れていた。まるで『きなこ』を浴びたような白猫。
私は愛称を込めてこの子を、「きなこ」と呼ぶことにした。
「あんら、美味しそうな名前にされて」
「ふふ、いい名前でしょ」
────ガシャン!
和室の方で食器が擦れる音がした。たぶん座敷童子の食事が終わったんだと思う。散らかってるかもしれないからと、トメ子さんは庭から離れ、和室の片付けをしに行った。
さて。
目の前には白猫「きなこ」と私のみ。気にせず花を愛でるか、それとも猫吸いでもしてみるか……。
「今、俺を吸おうとか考えてるだろ」
「え?」
「俺を吸おうと考えてるだろ!」
シャー!
目の前の猫が威嚇をしながら話しかけてきた(!)
もしかして、この猫も化け物か何か? この屋敷、やっぱり座敷童子だけじゃなくていろんな幽霊とか化け物とか居るんじゃん。
「俺のことを化け物だと思ったな!」
「……う、うん」
低い声で怒っても、猫だからそんなに怖くない。幽霊だから引っかかれるなんてことも無さそうだし。害は無さそう。
「妖と化け物は違うからな。そこんところは覚えておけよ。それから、ここのトメ子ってやつに言ってくれ。俺はカリカリじゃなくて人間が食うトーストを食いたいと」
「……自分で言えば?」
「バカだな。猫が喋ったら驚いて餌をくれなくなるではないか」
「んで、幽霊の私を介して餌を要求すると。ふてぶてしいわね」
「それほどでも」
にゃにゃにゃ、と口元に手を当てて舐めた態度をとるから無視して和室に戻ろうとしたら引き止められた。
「トースト! トーストのガリッとした音が耳に焼きついて離れないんだ! さぞかし美味いんだろ? 頼む、俺にも食わせてくれ! 食べる時はこっそりと人間に化けるから!」
「そんなに食べたいの? トースト」
「食いたい!」
そこまで言うならと、片付けが終わったトメ子さんに、もう一枚トーストを焼いてもらった。
「よく食べるわい」
「へへ、そうでしょー」
トメ子さんが2階の仏壇に手をあわせに行ったのを見計らって、私は縁側に食パンを置いた。
白猫は袴姿のおじさんの姿に変わった。江戸時代とかに居そうなモブおじさん。隠れて牛鍋とか食べてそう。そんなイメージ。
「おお、これこれ〜♪」
────サクッ、ガリガリッ!
「うまい、このブルーベリーってやつがウメェ!」
「そうだよね。ブルーベリーは美味しいよね」
結構大きめの声だけど、トメ子さんは気付かないみたい。何か唱えてる。お経かな?
(こんなにも広くて立派な屋敷に独りって、キツイだろうな……)
私が共感でシュンとしたのを見た白猫のおじさん(こう呼ぶと少しキモい)が、
「美味かった! トーストのお礼だ。受け取ってくれ!」
そう言って、懐から3枚のお札を渡してきた。幽霊の私に必要なくない?
「中には、霊力を吸い取る妖怪が居る。そいつの名前は『狐夜』、かなり美形の男の姿をしてやがるが目をつけられないようにな」
「霊力……吸い取られたらどうなるの?」
「悪霊に早変わりさ。次第に街そのものが穢れに満ちちまう。そうなると人も街も、何もかも終わりだよ。土地を捨てなきゃいけねぇ」
「そうなんだ……」
幽霊になっても悪い奴に出くわす可能性が有るんだ。面倒くさ。
(でも、もう私は間違わない。トメ子さんの家で平和に暮らすんだ!)
生前のように自暴自棄になって男性に身体を受け渡すようなことはしない。むしろ、トメ子さんや座敷童子も守ってあげよう。
それが、私に出来ることだと思うから。
「トースト、ありがとなぁ〜♪」
白猫のおじさんは、元の姿に戻ると低木の隙間に入ってどこかへと行ってしまった。
お経の声が止む。
毎日、詠んで何を思ってるのかな。
(私の家族も、お経。唱えてるのかな……)
余計なことは考えない。今は目先の幸せを確実につかむこと。ほおをバシッと鳴らして、私はトメ子さんが2階から降りてくるまでリビングで待っていた。
座敷童子が縁側で風車を吹く。
────カラリカラリ。
ここに居れば孤独じゃない。みんな幸せになれる。そうだ。これでいいんだ。
そう自分に言い聞かせた。