月萎(しぼ)む夜のかくれんぼ
夜になった。
幽霊の私はお腹が空かないらしい。でも、差し出されたお煎餅を齧ることはできた。味や食感も分かる。醤油が濃くて硬い煎餅だった。
(トメ子さんは塩っぱい味が好きなのかな)
特にすることがなかったから、湯飲みを上品に持ち、緑茶をすするトメ子さんを観察していた。
(暇だな〜)
そんな私の気持ちを察したのか、トメ子さんはしわくちゃな顔で微笑みながら話し掛けてきた。
「アンナちゃん、美味しいかい?」
「……ふつう〜」
「もう少し甘えてもええんに」
「えーだって、私はトメ子さんの孫じゃないもん〜」
「…………」
私が煎餅を齧りながら言った時、少しだけ間ができた。あ。もしかして、触れちゃいけない話題だった?
(う、気まず! 早めに謝っとこう!)
「ごめんね、まだそんな距離じゃなかった」
「幽霊に距離感も何もなかろ。ええの、気にせんで」
ズズッと、茶を啜る音が響く。しばらく話したあと、トメ子さんは寝る準備をして私にこう言った。
「座敷童子ちゃんと遊んであげてね」
「遊ぶ……? ────ハッ!?」
開いた襖の陰から何者かがこちらを見ていた。こけしみたいな赤い和服の女の子、座敷童子だ!
(暗い部屋で遭遇したらやっぱり怖いじゃん!)
「あ、遊ぶって言っても、どうやったら!」
「ぐ〜」
「寝るのはや!」
トメ子さんが寝てしまった。
「アンナ、遊ぼ!」
座敷童子が話しかけてきた。手には小さな風車を持っている。隙間風が入るとカラリカラリと回った。やけに耳に残る音だ。
(まぁ、暇つぶしにはなるか)
どうやら幽霊は眠れないらしい。まったく睡魔が襲ってこない。
どうせ眠られないなら、座敷童子の考えた遊びに付き合ってやろうじゃない!
私が座敷童子の方へ、「何して遊ぶ?」と言いながら近づくと、彼女は「かくれんぼ!」と言ってどこかに消えてしまった。
「……は、ガキくさ……」
幽霊だから何か変わった遊びの誘いかと思ったけど……所詮は子どもなのね。まぁいいわ。この際だから幽霊の力を使ってみよう。
何か面白い力が『覚醒』しないかな。
(むむ……!)
脳内に意識を溜めてみる。又は両腕を力いっぱい握りしめて解放してみる。
特に何も起こらなかった。
(あれ、トメ子さんを助けた時のあの力は何だったんだろう?)
「アンナ! 遊べ!」
「……わ!」
私のもとに何かがぽぽいと飛んでくる。それらは、私の透けた足を貫通してトメ子さんの頬に当たった。
トメ子さんの顔を見る。目と口元がピクピク動いていた。
(……もしかして、笑ってる?)
もー、トメ子さん。狸寝入りしてるじゃん!
座敷童子が投げた物。正体は色とりどりの紙風船だった。
(ふふ、驚かせてやろう)
私が紙風船を拾って『パン!』と大きな音をたてて割ると、座敷童子は目をパチクリさせて、もう一度紙風船を投げてきた。
もっとやれ、ってことなんだろうな。
「もー、仕方ないなぁ!」
「キャッキャ!」
私は座敷童子を追いかけた。彼女は逃げながら紙風船をぽいぽい投げてくる。
テテテと廊下を走る音や畳をトトと踏み歩く音。小さな風車のカラリカラリという音……。
「よぉーし、捕まえ──」
────ガシャン!
私が座敷童子を捕まえようとすると、必ず食器が1枚落とされる。しかも割れないプラスチックの皿や木製のプレートなど。
(こやつ、計算してるな!)
「ケケ。アンナ、『直せ』!」
座敷童子の命令を聞くと食器棚前まで強制的に戻ってしまう。正攻法では捕まえようがない。
(この子は『言葉で命令』出来るのね……)
何か、座敷童子の気を引くものはないかな。
トメ子さんの知恵を借りようとしたら、今度は本当に寝たみたいで、スヤスヤという寝息が聴こえた。
(起こすのも悪いし、朝までこのままにしておこう)
さて。
一定の距離を保ちつつ、キャッキャと楽しそうにこちらを見ている座敷童子を、どう捕まえようか。
────ふと、廊下に一筋の白い光が絹のようにさした。
(綺麗……)
見上げると、まん丸ではないけれど、綺麗な月がホワっと浮かんでいた。
(庭も立派だなぁ……)
廊下から見えた庭には、大きな松が3本と、手入れされた低木が並んでいた。低木には季節の花らしい物が咲いている。
(なんか独特な香りがするな……)
アジサイかと思ったけど、たぶん違う。花の形や色味、葉っぱの感じも違うから。
(朝になったらトメ子さんに何の花か訊いてみよう)
────そうだ。
フィールドを変えてみようかな!
庭には月の光で出来た影が沢山ある。幽霊の力を使って、松や低木を瞬間移動して隠れ、後ろから座敷童子を捕まえることが出来るかもしれない。
(そうと決まれば、不意打ちダッシュだ!)
「あ、アンナ。どこ行く!」
「庭で鬼ごっこをしろ。座敷童子ちゃん!」
「あー、命令は私がするの! ずるい〜」
(よし、座敷童子のペースが乱れた!)
私は太い幹の松の陰に隠れて座敷童子が探している姿を見ていた。彼女が近づけば瞬間移動して隠れる。
(私だって幽霊だもん。隠れるのは得意なのよ!)
私の足は透けてるから足音もしないし、見知った場所へは一瞬で移動できるし……これらは私が最初に使った幽霊の力。役に立った!
「アンナ、どこ?」
(ふふ、困ってる)
「アンナぁ……」
(ん?)
声がふるふる震えている。
「アンナ、『出て来い〜』!」
座敷童子から発せられたのは完全に駄々をこねた子どもの声だった。
(そう来たか〜)
私は気が付けば座敷童子の前に立っていた。彼女のムスッとしたリスみたいな両頬は思わずつねってやりたくなる。座敷童子の涙袋から涙がポロリと落ちる。
さて。
これは悔し泣きか、それとも寂し泣きか。両方か。
「捕まえた」
「むぅ〜! もう一回!」
「いいよ。捕まえ方、分かったもん♪」
「うぎ〜! アンナ、生意気!」
「そりゃどーも」
意外と楽しくて、朝まで庭で遊びまくった。幽霊は基本疲れることはないけど、精神的な休憩を入れることは大切だ。
闇に萎む月を見上げることも。真っ白な野良猫に声を掛けてウザがられることも。
(そっか)
きっと、トメ子さんも座敷童子も、私も。寂しかったんだ。だからこれで良い。これできっと良いんだ。
(私はここに居よう)
そう決めたとき、朝日が昇った。少しだけ心が晴れた気がする……だけど、やっぱり成仏は出来ないみたい。
(そりゃそっか。トメ子さんの家に棲み憑いただけだもんね)
ま、いっか。
楽しけりゃそれで良いんだ。折角だから、幽霊ライフを謳歌してやる!
◇
「ふわぁ〜」
トメ子さんのあくびの声がする。起きたようだ。座敷童子はトメ子さんの布団に寄りかかるように寝転がって小さな風車を吹いていた。
────カラリカラリ。
音を立てながら。
(ふふ、気づかないもんなんだ)
あんなに近くにいるのに。
◇
朝が始まる。
さて、この幽霊屋敷で私は何をしようかな。時間なら沢山ある。座敷童子の子守役も良いけど、どうして座敷童子がトメ子さんの家に来たのかとか、これからどうやってトメ子さんに幸せをもたらすのかとかいうような話がしてみたい。
人間的視点で何かアドバイスとか出来るかな?
(そうだ! 座敷童子の相談係なんてどうだろう!)
清々しいほどの朝日を浴びながらそう考えた。
私の透けた足元で、白い野良猫が毛づくろいをしている。頭を撫でると、「なぁ〜ん」と太い声で鳴いて低木の隙間に隠れてしまった。
(この辺をよく通るのかな?)
夜に座敷童子と見かけた野良猫だ。覚えてる。だって、右耳が欠けてたもん。去勢とかされたのだろうか。野良猫も大変だなぁ。
「────おはようアンナちゃん。座敷童子ちゃんとは仲良く出来たかや?」
「え、うーん。まぁまぁかな」
考えていたらトメ子さんが私を朝食に誘ってくれた。私は庭からリビングに瞬間移動し、椅子に腰掛けて、朝食が出揃うのを待った。
────じーっ…………、
私たちの様子を座敷童子がどこかでこっそり伺っている。そんな気配を感じながら。