【第5話】冒険者、契約する。(1)
扉の奥は、さらに階下へ続く階段が続いていた。
暗いし、足元が悪くて危なかったが、シェリカちゃんの『照明』のおかげで無事に降りることが出来た。
不安を誘うこの雰囲気も、このほんのりとした灯りのおかげでいくらか安らいだ気がする。
階段を降りた先にも両開きの扉があった。
その扉の前に立つだけでも感じる──これまでとは違う、不穏な何かを。
「それじゃ、開けるよ」
ユアンが扉に手を掛け、そのまま扉を開く。
そこに広がっていたのは、大きな牢獄。暗がりのせいでよく見えないが、そこそこな広さだった。
部屋全体の五、六割が一つの牢獄になっていた。人を閉じ込めておくには、あまりにも広すぎる。
「なんだこりゃ……」
リルドは言う。
僕も全く同じ感想を抱いたが、それはその牢獄に対してではない。そしてそれは、リルドも同じだろう。
牢獄の中に、何かがいる。
「穏やかじゃないな……」
牢獄の中は薄暗く、シェリカちゃんの灯りでかろうじて人影を確認できるほど。
人影──確かにそれは紛うことなく人影だったけど、それはあり得ない。あってはならない。
──何故なら、それは息があるから。
なんで生きてるんだ?
「……っ!」
シェリカちゃんが何かに気付いたように一歩後ずさる。
それに応じて、見えていた人影が再び闇に包まれた。ユアンとリルドは既に武器を構えていた。
「アレは──」
ユアンが何かを言おうとした。
その瞬間、
部屋がパッと明るくなった。
唐突な明るさに目が眩んだが、徐々に目が慣れると視界が確保され、部屋全体が見渡せるようになる。はたして、その牢獄の中に、
──人影はなかった。
「……はあ?」
「リルド、索敵だっ!」
ユアンにそう言われ、はっとするリルド。
『反響音波!!』
その直後、リルドは上へ視線を向け、僕らもそれに続くように上を見る。
「いたぞっ!!」
こちらが気付くや否や、その何かは素早くこちらに飛び掛かって来る。
狙いはリルド──。
「──チッ!」
リルドは大きくバックステップし、距離をとる。
すると、ユアンは飛んできた何かに対して斬りを繰り出した。
僕もすかさず剣で斬りかかる──が、僕達の攻撃は虚しく空を切った。
「また消えた!?」
ユアンが振り下ろした剣を再び構え、辺りを見回す。僕もそれに倣ったが、どこにもいなかった。
リルドは再び『反響音波』を発動したようだが、何も成果は得られなかったようだ。
つまり、もうこの場にはいないということだろう。
「……一体、何が起きたんだ?」
ほとんど何もしていないはずなのに、とてつもない脱力感に襲われる。
「ありゃ、魔人か? しかも、かなり強いぞ……」
辺りを見回しながらそんなこと言うリルド。
シェリカちゃんがこちらに駆け寄ってきて、大丈夫ですか? と声を掛けてくれた。
「僕はなんともないよ、ありがとう。それより、魔人って──」
魔人──人間の姿と知力を持ちながら、人間とは思えない力と魔力を持つ存在。人間からは勿論、魔物や魔族でも魔人を嫌う者が多く、現在魔人は数を大きく減らしている。
「一瞬でしたが、本で読んだ魔人の特徴そっくりでした……それに、もしかしたら『上位種』かもしれません」
「上位種?」
「はい、魔人の中でも特殊な魔力を持った魔人です。何か、異質な雰囲気を感じたので……」
凄い分析力だ……いや、感心してる場合じゃないか。その魔人がどこに行ったか分からない以上、油断はできない。
それに何故こんなところに、ただでさえ数の少ない魔人の、更に上位種がいるのだろう。
「逃げたのか?」
剣を鞘のしまいながらユアンが言う。
しかし、牢獄は開いてない。どうやってあそこから脱出し、僕達に襲いかかったのだろう?
「何か目的があって行方をくらましているのかもしれませんね……」
「あんだけ強けりゃ、俺達なんか一瞬で殺れるだろうしな」
あの魔人は、間違いなく強い。僕ですら分かるぐらいだ。それに、あの容姿。見間違うはずもない、女の子だった──。
「本当に、穏やかじゃないな……」
僕はどこか胸糞悪さを感じた。
確証はないけど。
「とりあえず、色々探索してみるか?」
リルドは強かだな──こんな状況でも、冒険心が勝つなんて。
……まあ、それは僕達全員そうなんだけど。
全員が全員、この状況を楽しんでいる。
「それにしても、明かりがついた今ならよく分かるが──めちゃくちゃ大きいな、この牢獄……っ!」
ユアンは牢獄の格子に蹴りを入れながらそう言った。
この牢獄は、出入りが出来るつくりになっていなかったので、やむを得ず壊すことにした。
「ああ、大きめの魔獣なら三体は余裕で入りそうなくらいだな」
その例えはどうかと思ったが、確かにそれくらいの広さだった。
牢獄の中は見れば見るほど殺風景で、申し訳程度の朽ちた調度品がちらほら転がっている。
少し探索を進めると、壁際に置かれた机の上には日記のような物を見つける。
「この日記──さっきの奴のモンか?」
どれくらいの間ここに居たのかは知らないが、少なくともこの隠し部屋が見つかるまでの間はここに居た訳で……。
「どうだろう。そんなに厚くないし、少し読んでみよう」
僕はその日記をスッと手に取る。
すると、得体の知れない強烈な悪寒に襲われた。
「──っ!?」
すとん、と手に持っていた日記を落としてしまう。
なんだ今の。何かこう、精神に直接来るような──とにかく、嫌な感じ。
「どうしたんだ?」
僕が落とした日記を拾おうとするリルド。
「いや、待ってリルド」
僕はとりあえず引き止める。
この悪寒の正体が分からない以上、迂闊に手を出すのはまずいよな。とはいえ、このまま放置する訳にもいかないし──、
「僕が拾うよ、ありがとう」
再びその日記に恐る恐る触れると、先ほどのような強烈な悪寒はなかった。
「ん、読まないのか?」
「あ、ああ。そうだね……」
これ、本当に読んでも大丈夫なのか。よくある『読んだら呪われる』的なやつじゃないのか? よくあるのかは知らないけど。
今何も起きていないことから考えて、さっきのは僕の気のせいだったのかもしれない。というか、そっちの方が可能性は高い。
もし何か起きたら、その時はその時ということで。
僕が日記を開こうとすると、付近を探索していたユアンとシェリカちゃんが戻って来る。
「その辺に散らばっている所を探してみたが、ほとんど朽ちていて目ぼしい物は特になかったよ」
と、肩を竦めながらユアンが言う。
「そちらは何か見つかりましたか?」
「うん、日記みたいなのが見つかったよ」
「日記、ですか?」
「これなんだけど……丁度今から読もうと思ってたんだ」
僕は手に持っていた日記をシェリカちゃんに手渡す。
“いや、最初は僕が読むべきだったかな”とか、“もし何かあったらどうしよう”、とかあれこれ憂慮していたのだが──果たして、それは杞憂だったらしい。
中を開いて数刻、シェリカちゃんは日記を閉じてしまった。
「どうしたの?」
僕が訊くと、シェリカちゃんは僕に日記を返した。
「ええと、なんていうか……はい」
僕はその言葉の意図を汲み取れず、返された日記を開く。
ああ、なるほど。
──そこには、何も書かれていなかった。
正確には、中身が大分朽ちていて、何かが書かれていたのかどうかすらも分からなかった。
「ありゃ、これじゃ何もわからないな」
リルドが言う。
あんなに不穏な雰囲気だったのに、結局何もなかったなんて拍子抜けだな。
「冒険者協会に鑑定士さんを紹介してもらいましょうか。そうすれば、少しでも何か分かるかもしれませんし」
「そうだね。それじゃあ、もう少し探索したら帰ろうか」
ユアンの言葉に僕らは頷いた。
◆ ◆ ◆
その後も、僕達は辺りを散策するも特に成果はなく、隠し部屋から帰ろうとしていた。
「結局、何もなかったな。いや、何もなかったって訳じゃないけど……」
「面白い経験をしたし、無駄足ではなかったな」
前向きだなあ。やはり見倣うべきものがある。
僕達は隠し部屋を出ようとする。すると、隠し部屋の明かりがパッと消えてしまった。
「……?」
危ないので、再び『照明』の魔法で明かりを確保して階段を登った。
「はぁ〜、なんか疲れたな!」
「ああ。だが、帰るまでが冒険だ。最後まで気を抜くんじゃないぞ」
その時、
「もう気を張る必要はねえぞ」
明らかに僕たちのものではない低い声。その声の主は続けた。
「お前らの持ちモンと手に入れた宝を全部置いてけ。そうすれば命だけは助けてやる」
「盗賊かっ!」
「流石に数が多いな……」
少なくとも、今見える範囲だけで十人はいるだろう。伏兵もいると考えれば更に多いはず──明らかに分が悪い。
「どうする? ユアン」
僕は訊いた。
個人的には装備を渡したくないが、死にたくもない。
「……皆、やれるか?」
「いつでも」
リルドが答え、武器を構えた。それに続くようにシェリカちゃんも構える。
「そうか──後悔するなよ」
盗賊の頭らしき人物も武器を構える。
「お前ら、やっちまえ!!」
その声を合図に、盗賊達の雄叫びが城跡に響き渡る。
「……」
僕も武器を構える。
勝算は?
──ない。多勢に無勢もいいところだ。もし、これで勝てたら賞賛してほしいくらいだ。
じゃあここで死ぬか?
──それも、ない。一番ないな。僕はこんな所で死ぬ気なんて更々ない、あの人に追い付くまでは。
やるしかないな。よし、やろう。やれ、僕。
「生きて帰ろう」
「ああ、勿論だ!」
ユアンは剣を構えると
『剣術!』
と言い放った。
……ソードスキル、僕も使いたいんだけど。ていうか、何処にスキル無しで戦う剣士がいるんだよ。ここだ。
ユアンがスキルを発動しようとしたその時──、
「まったく、喧しい奴らじゃ。漸く外に出られたかと思えば、次は此奴等か。まだ牢の中の方が良かったやもしれぬな?」
「──え?」
なんだ、今の声。どこからだ? 僕の後ろ? いや、これは──、
「影の中じゃ、童よ」
振り返ってみると、僕の影の中から半身を出している少女がいた。紛うことなく、その子はさっきの魔人だった。
何故、僕の影の中に? いや、そんなことより盗賊が先だ──いや、こっちを優先すべきか? あまりにも不安要素すぎる。
というか、ユアン達には声が聞こえていないのか? 僕が再び前を向くと、僕は息を飲んだ。
「動いて、ない……?」
なんだこれ、時間が停まってるのか? いやいや、そんな魔法、あったとして誰が使えるんだよ。
「本当に停まっとる訳ではないぞ。ちょっとしたトリックじゃ」
僕は再び少女に目をやった。この子か? この子がやったのか?
「ふん、そう警戒するでない。別に取って喰おうという訳ではない」
……さっきめちゃくちゃ襲ってきてたじゃねぇか。
「それは勘違いという奴じゃ。妾はただ、お主の影に飛び込んだだけじゃからな」
「影に飛び込んだって──何の為にだよ?」
「理由など、妾が影の魔人だからに決まっとるじゃろ?」
いや、それは知らないけど……。
「あの部屋は、というよりも牢屋の外側は魔力を感知すると特殊な照明が点くようになっておるんじゃ」
なるほど。だからあの時、部屋が明るくなったのか。
「それで、妾は影の魔人。言いたいことは分かるよな?」
やはり、この子はあそこに閉じ込められていたのか。その特殊な照明とやらが結界となって。
「まあ、これがおおよそ四百年前の話じゃな。そしてつい先程、お前さん等が現れたという訳じゃ」
だから“影”を利用させてもらった、と言って、ニヤリと笑みを浮かべる魔人の少女。
この子は、四百年もここに閉じ込められていたっていうのか。
魔人にとっての時間間隔は人間である僕には分からないけど、どんな長寿な生き物だって四百年も閉じ込められてたら正気でいられるとは思えない。
いや、流石に何万年も生きていたら四百年なんてほんの数週間のようなものなのかもしれないが──この子はそうじゃないはずだ。
「……それじゃ、ずっと影に潜んで僕たちがあの部屋を出るのを待ってたのか」
「そういうことじゃな。ま、結果だけ言えばお前さん等は妾の恩人ということになる。感謝するぞ」
この子の事情は概ね把握できたが、そんなことより僕達の状況だ。ピンチなことには変わりない。
魔人の少女は突然指を鳴らした。
「恩は言葉だけじゃなく、しっかり行動で返すタイプでな──借りは返しておくぞ」
すると、動きを止めた盗賊達は、あっという間に黒い斬撃によって真っ二つにされた。
「な……」
無詠唱かつ、この威力だって? あまりにもデタラメすぎる。これが、魔人なのか?
「おっと、言い忘れておった……」
「──妾のことは、くれぐれも内密に頼むぞ」
そう言って、斃れた盗賊達から影を回収し、少女は再び僕の影の中へ沈んていった。
そして、盗賊だったもの達も、同じように影の中へと沈んでいった。
【プチ補足】
ほとんどの魔法は「魔法名を唱える」ことで発動します。詠唱を省略する事もできますが、威力や精度が落ちたり、強度の低下、発動すらしなかったりもします。
その為、物理的に詠唱の出来ない魔物が使う魔法は、威力が低い場合が多いです。