【第155話】ゴーストの少女。
「……」
「ちちちょっちょっと待てっ! 待ってくれっ!!」
──シュンッ!!
「速すぎるだろっ!!」
現在、咲刃はウェフォン殿を抱えて狐獣人族の集落へ向かっていました。それも、全速力で。
「……やはり、おかしいです……」
「何がっ!?」
「えっと……何かが、ですっ!」
「何だそりゃ……うおっ!!」
──シュンシュンッ!!
全速力と言いましたが、具体的には、三日で狐獣人族の集落到着してしまえるほどの速度──普通の人なら、全力で走っても一週間強は掛かるであろう道のりを、です。
「静か過ぎます……」
先ほどから、周囲には咲刃が風を切る音しか聞こえません。あ、それと、ウェフォン殿の絶叫に近い声ですね。
「そりゃアンタが飛ばしすぎて誰も反応出来ねぇからじゃねーのかっ!?」
「そこまで何も考えずに走ってる訳ないじゃないですかっ!!」
実際咲刃は今、周囲の音を一切聞き漏らさず走りつつ、同時に『思念伝達』の習得を進めていました。
移動し始めてから、それほど習得に時間が掛からなさそうだと思ったので、途中から全速力でダッシュ……というのが現在に至るまでの経緯です。
「この勢いで木に衝突したら、口にするのもおぞましい惨事になりそうだ……」
「全身が木っ端微塵ですねっ!」
「なんでわざわざ具体的に言ったんだよ!!」
まあ、そんなことには万が一にもならないですけどね。
「お二人とも、無事だといいのですが……」
咲刃の中を渦巻く、正体不明の胸騒ぎ。
あのお二人の身に危険が迫るなんて、咲刃が木に衝突するよりも可能性が低いこと────。
……そう分かっていても、そう頭で理解していても、拭い切れないこの不安は一体────?
「そろそろ目的地ですねっ! あと数時間といったところでしょうか?」
「マジでもう着いちまうのか……あっという間だ」
「とりあえずは様子を見ましょうか。もしかしてもしかすると、和解の道が開かれているかも────」
──ゾワッ……
「……っ!?」
思わず、足を止める。
突然背中を這い上がった、その悪寒に。
「まったく、何という速さだ。来ると分かっていながら、反応が遅れてしまうとは……」
「……」
「……な、なんで」
そんな台詞が、ウェフォン殿の口から零れる。
この事態の深刻さを誰よりも理解していた咲刃は、そんな台詞を口にする余裕すらありませんでした。
「はじめましてだな、名も知らぬ強者よ」
咲刃の言う“深刻な事態”とは、背後に立っている彼女──トキ殿の出現のことではありません。
「流石……天妖術、ですね」
「ほう、やはり知っているか。格好からして、繚苑の者だな?」
「……」
なるほど、理解しました。
あの胸騒ぎの正体は、あの不安の正体は────。
「なんで、魏刹の国主がここにいるんだよ……?」
────自分自身に迫る危険に対するものだったということですね。
天妖術を甘く見ていたつもりは微塵もないですが、これは少々予想外です。
今のトキ殿が、魏刹の現国主を再現出来るほどの力を有していたとは。
「……ウェフォン殿。集落に向かい、お二人と合流してください。集落の中が狼獣人族にとって安全だとは到底思えませんが、今はあのお二人のそばが最も安全ですから────」
「……足手まとい、か。そりゃそうだな」
抱えていたウェフォン殿を降ろすと、ウェフォン殿は軽い準備運動をする。
「すぐに助けを呼んでくる」
「はい、お願いします」
「任せてくれ、脚の速さには自信があるんだ」
そう答えるや否や、ウェフォン殿は木々の奥へ姿を消した。
「……」
もし、目の前の天黎殿が完全に再現されたものならば、まず咲刃に勝ち目はありません。
……いえ、勝算がない訳ではないですが、それは最終手段──可能ならば、最後の最後まで使いたくありません。
「お前は何者だ? お前のそれは、一端の魔族が持っていていい力ではないはずだ」
そう言って、咲刃の瞳を軽く睨めつけるトキ殿。こちらを警戒しているようにも見えます。
「そう……ですね。咲刃のこれは、少々特殊な経緯で習得したものですから──同系統の力を持っている方はそう多くないと思います」
「ああ、だろうな。だから聞いている────」
「────お前は何者だ?」
トキ殿の表情に、より一層警戒の色が浮かぶ。
「えーっと……」
何者かと聞かれても、今の咲刃は“魔王軍所属のゴーストです”としか答えられないのですが……ですがここは敢えて、カッコつけてみるのもいいかもしれませんねっ!
「────ある極東の国には、忍、忍者、或いはくノ一と呼ばれる少数精鋭で構成された組織が存在しています」
「彼らの役目は、諜報やお尋ね者の排除など、表立っては出来ないような任務をこなすこと────」
「通称“影”と呼ばれるその組織の中の、ある人物の果てなき好奇心と偽りなき善意、そしてほんの少しの悪意によって生まれた……生まれてしまった人間兵器────」
ここまで口にしたところで、トキ殿の顔が分かりやすく曇る。まるで存在しない、あり得ないものを見るかのような目。
「ま、まさかお前は────」
「────の、知り合いのただのゴーストですっ!」
「……」
「……」
ということで、咲刃の自己紹介でしたっ!